ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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40 始まりの一夜

 あの男が帰り、昂った気持ちを抑えようと今は自室のベッドに横になっている。

 三十分程経ってなんとか落ち着きはしたが、どうにも仕事に集中できそうにない。

 

 どうしたものかと悩んでいると、またドアからノック音が聞こえてきた。

 まさかあの男が戻ってきたのではないかと一瞬体が強張ったが聞こえてきた声にその緊張は解れた。

 

「キキョウー! 遊びに来たわよー!」

 

 もはや聞き慣れた声を聞いて、私はベッドから降りて表のドアに向かう。

 ドアノブに手をかけ開けてみれば、そこには笑みを浮かべて立っているアンナがいた。

 その笑みは私の顔を見た途端なくなり、そして疑問を投げかけてきた。

 

「どうしたの? 随分疲れたような顔をしてるけど」

 

「……なんでもないよ。とりあえず入って」

 

 平静を装っていつものように中に入れる。

 私はそのまま自室に行き、コーヒーと自分用のココアを作りカップに注ぐ。

 既に座っているアンナにコーヒーを渡すと「ありがと」と口をつけ飲み始めた。

 私も椅子に腰かけ、甘いココアに口をつける。

 

 いつもはお喋りなアンナだが、今日はなんだか静かだ。

 私も自分から話しかける気分ではなく黙っているので部屋には飲み物を飲む音のみが響いている。

 そんな沈黙が続く中、先に口を開いたのはアンナだった。

 

「キキョウ、あなたには遠回しに聞いても無駄だから単刀直入に聞くわね。──何があったの?」

 

「……何もないって言ってるでしょ。気にすることないよアンナ」

 

「私からすれば、そんな分かりやすい嘘をついてるなんて“何かあった”って言ってるようなものよ」

 

「嘘なんてついてないよ」

 

「私は名女優のアンナさんよ。素人の演技なんてすぐ見抜けるわ。というか、キキョウの演技は分かりやすいから誰でも見抜けるわよ。……ねえキキョウ、もしかしてあのエセ紳士に何かされたの?」

 

 いつもならアンナなりに気遣ってなんだかんだ引き下がってくれるのだが、今回はそうしてくれないらしい。

 

「……話をしただけだよ。大分気に食わない話だったけど」

 

「話だけ? ほかに何かされてない?」

 

「本当に話だけ。話したおかげで、あの男には絶対服を作らないって決めることができた。だからいい機会だったと思うよ」

 

 そう、話をしただけだ。

 別に何かされたわけじゃない。

 あの腹立たしい男に服を作らないと思う決め手となったいい機会。

 そう思えば少しは気が楽になるかもしれない。

 

 アンナは私の言葉を聞いて、腑に落ちないと言ったような顔だったがそれ以上何か聞いてくることはなかった。

 再びコーヒーに口をつけ飲み終わったかと思うと、急に腰を上げ手を掴んできた。

 

「キキョウ、今から飲みに行くわよ。今日は私が奢る」

 

「え。ごめん、今依頼入ってるから飲みには」

 

「ムカついた事があった時は飲むに限るわ。さ、行くわよ」

 

「ちょ、ちょっとアンナ!」

 

 半ば強引に引っ張られたが、何故かその手を無理やりにでも振りほどこうとは思わなかった。

 教会に連れていかれた時のように鍵をかけさせてほしいと頼み、ドアの鍵を閉める。

 そしてそのまま私は引っ張られるがままアンナについていった。

 

 

 

「──キキョウ、そんなんじゃ酔えないでしょ? もっと飲みなさいよ!」

 

「アンナはちょっと飲みすぎなんじゃないの?」

 

 アンナに連れてこられたのは、私がよく通っている酒場イエローフラッグ。

 と言っても来るのは約1か月振りで、バオさんからも「よお、久しぶりじゃねえか」という挨拶をもらった。

 

「ご無沙汰してます」と言葉を返しいつものカウンターに座れば氷の入ったグラスとJack Daniel'sを出してくれた。

 

 アンナは「私はアブソルートね」と注文し、『Absolut Vodka』と書かれたボトルに入った酒を自分のグラスにいれ「今日はヤな事忘れましょ。とりあえず乾杯」とお互いのグラスを軽くぶつけ酒に口をつけた。

 それを見て私もグラスを軽く振ってから久しぶりのお酒を喉に通し体に染み渡らせた。

 

 そこから2時間ほど経ち、今はアンナの方は酔いが回ってきたのかよく笑っている。

 何故連れてきた本人が誘われた方よりも酔っているのか。

 

「私はまだ酔ってないわよお? だってまだ眠くないもん!」

 

「そういう言葉遣いになるってことは酔っぱらってる証拠だよ」

 

「だから酔ってないってば! さ、キキョウもどんどん飲んで!」

 

「あ、こら。そんな雑に注がないでよ」

 

 まるで日本の飲み会のようなノリだ。

 酔っぱらった時の絡み方は世界共通なのだろうか。

 

 酒を注いで早く飲めと言わんばかりにニコニコしながらこちらを見てくるアンナの顔を見て少し呆れもしたが、つられて口角が上がりそのまま酒を呷った。

 

「いい飲みっぷり! その調子よ!」

 

「……ありがとう、アンナ」

 

「……え?」

 

 私がお礼を言うと、アンナは驚いたような顔をした。

 

「アンナのおかげで、今日もいい酒が飲めてる。この前来た時は最悪だったから」

 

「ああ、あの男にキスされた時ね。それはどんな美酒でも汚水みたいな味になるわよ。そういえば、なんでバオも黙って見てたのよ。止めることくらいできたでしょ」

 

「仕方ねえだろ、相手はあのヴェスティだぞ。あそこで入ってたら俺が床とキスする羽目になってた」

 

「ヘタレね。あんたそれでも元軍人なの?」

 

「叩きだすぞてめえ」

 

 あの男の話題になるとアンナは私以上に不機嫌になる。

 子ども扱いされたのが本当に嫌だったらしい。

 

 話題を出してしまったのは私なので、なんとか別の話をしようと頭を回転させる。

 

「えっと……。そ、そういえばアンナは最近どうなの? 何か面白いこととかなかったの?」

 

「私? うーん、面白いことねえ……強いて言えば、キキョウとこうして話してることくらいかも」

 

「え」

 

 私の質問に酒が入って笑っていたアンナが笑わずに答えている。

 これは失敗したかもしれない。

 

 私がどうしようかと悩んでいるとアンナが頬杖を突き正面を向きながら、「──私ね」とポツポツと話し始めた。

 

「人が騙された時の顔を見るのが好き。私のことを売女とかクソ娼婦って侮辱したやつらがそんな女に騙されて、命も金も全部失った時のあの絶望した顔は傑作よ。……こんないつ誰かの恨みで殺されるか分からないここ最近の私の楽しみは、あなたと喋ることなのよキキョウ」

 

 今までの楽し気な笑いとは打って変わって、自嘲的な笑みを浮かべながら話すその姿は演技なのかはたまた本当なのか。だが、どこか寂しさを漂わせていた。

 

「前も言ったかもしれないけど、キキョウは娼婦だからってバカにすることもしなかった。それに私に騙されたと知ってもいつもどおり迎えてくれた。そんなこと、本当に初めてだったの。だからさらに興味が湧いて、もっと話したくなって、あなたの家に通って……。いつからか、“友人ってこんな感じなのかな”って私らしくないこと考えるようになってさ」

 

 酒に口をつけ、また話し出す。

 私とバオさんはそれをただ黙って聞いている。

 

「少なくとも、私はキキョウの事好きよ。だから私を侮辱したあの男がキキョウにあんな顔させたことがむかつくのよ。──ねえキキョウ」

 

 アンナは正面を向けていた体をこちらに向けて、微笑みを浮かべながら口を開く。

 

「私が死んだら、とびっきり綺麗なエンディングドレスを仕立ててくれる?」

 

 その笑顔は酷く儚げで、だけど“綺麗”だと思わせるほど魅力的だった。

 私はその言葉にどう返答したらいいか分からず、一瞬迷って口を開く。

 

「いきなりそんな、縁起でもないこと言わないでよ。らしく、ないよ」

 

 私の戸惑いが伝わったのか、アンナは少し間を空けて「……そうよね、らしくないわ」と言って酒を一気に呷った。

 

「おいアンナ、お前また懲りずにそんなクセえ演技をキキョウにしてんのか」

 

「もうバオ、なんでそんなこと言うのよ。せっかくいい雰囲気だったのに」

 

「でも、リアルだったよ。さすがだね、アンナ」

 

「そう? ありがと」

 

 そういうと、また正面を向いてグラスに口をつけていた。

 

 アンナは自他共に認める名女優だ。

 そう、さっきのも演技に決まってる。私よりもアンナを知ってるバオさんもそう言ったじゃないか。

 

 私は、胸の内にある妙な不安を取り除こうと酒を一気に呷った。

 それを見て「今日はとことん飲むわよ!」と意気込むアンナを横目に、グラスにまた酒を注ぐ。

 

 

 

 

 そこから更に2時間ほど経った時には、アンナが酔いつぶれてしまいカウンターで寝息を立てていた。

 

 

 

「……まったくここは休憩所じゃねえんだぞ。寝るなら家で寝ろってんだ」

 

「すみませんバオさん。アンナも無理して私に付き合わなくていいのに」

 

「こいつも飲みたい気分だったんだろ。昔からこういう時は自分の加減てやつを間違える」

 

 そう言いながらアンナに出していた酒を片付けるバオさんは、寝ているアンナを起こすこともなくそっとしている。

 

「それにしても、本当に寝顔可愛いですよね。バオさんもそう思いませんか?」

 

 私がそうバオさんに話しかけると、「相変わらず憎たらしい顔だよ」という言葉が返ってきた。

 その言葉に苦笑しつつ、残っている酒を飲み干し席を立つ。

 

「じゃ、私はこれで帰ります。今日はアンナの奢りだそうなので、起きたらアンナにもらってください」

 

「分かった」

 

 アンナには妙に甘いバオさんのことだ。無理やり外に放りだしたりはしないだろう。

 私はアンナをバオさんに任せてそのままイエローフラッグを出た。

 

 アンナのおかげで気分転換ができたような気がする。

 明日からまた仕事を再開しよう。

 

 そう思いながら私はできるだけ明るい大通りの方から帰ろうと、普段とは違う道をたどり帰路に就いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──なんだこれは」

 

 コーサ・ノストラが仕切っている店の一つである酒場。

 そこで普段は事務所か自宅で飲む派の我らがボス、ヴェロッキオが珍しく複数の部下を連れて酒を飲んでいた。

 俺と部下のモレッティは留守番として妙に静まり返っている事務所に残り、トランプゲームで賭けをしながら酒を飲んでいた。

 

 モレッティはよく俺の暇つぶしにも付き合ってくれるいい部下だ。

 俺を“ヴェスティの兄貴”と呼び、イタリアにいた頃から随分慕ってくれている部下の一人。こっちに来るときも一緒に行かせてほしいと懇願された。

 

 そんな可愛い部下と楽しい時間を過ごしていた時、俺の携帯に一つの連絡が入った。

 それは“ボスが部下と周りの客を殺した”というあまり嬉しくない報告で、それを聞いてすぐモレッティとともに現場に向かった。

 

 店につきドアを開ければ、そこにはせっかくのトレンチコートを返り血で真っ赤に染め銃を手にしているヴェロッキオと、ヴェロッキオに付き添った部下数名とその他いくつかの死体、傍には部下1名が腰を抜かしているという光景。

 

 その有様を目の当たりにした俺は「なんだこれは」と純粋な疑問を口にし、こちらに背を向け血だまりに立っているヴェロッキオに近寄る。

 

 こんなところに入って服を汚したくないんだが、仕方ない。

 

「──おいヴェロッキオ、人に鉛玉を打ち込むことにとっくに慣れてるお前ならパニックで俺の声が聞こえないなんてことはないよな? これはなんだ」

 

「……ああ、ヴェスティか。丁度いい、お前後始末しとけ。俺は帰る」

 

「勿論そのつもりで来てるさ。だが、それは元々する予定のなかった仕事だ。ボスであるお前がわざわざ俺たちの仕事を増やした訳を知りたい」

 

 俺の言葉にやっと反応したかと思えば何も言わず帰ると言いやがったこいつに少し苛ついたが、今はそれよりもどうしてこうなったか知る必要がある。

 コーサ・ノストラのボスであるヴェロッキオが、こんなところで見境なく銃をぶっ放すという感情に任せて殺すサイコキラーなことをしでかすのはよろしくない。

 

 ヴェロッキオは銃をしまい、俺の方に血で濡れた顔を向けて口を開いた。

 

「てめえは俺の部下だろうが。ボスの言うことに逆らうのか」

 

 その言葉に俺はヴェロッキオから回答を得ることを諦めた。

 目を伏せため息を吐きそうになるのを我慢し、今やるべきことをやろうと動いた。

 

「……モレッティ、ボスを自宅まで送れ。俺はここを片付ける」

 

「は、はい」

 

 一緒に来ていたモレッティにそう指示し、俺は店の前に停めていた車の後部座席のドアを開ける。

 そこにヴェロッキオが乗ったのを確認し、ドアを閉める前に一言ヴェロッキオに添えた。

 

「ボス、夜道は危ない。気を付けてお帰りを」

 

「ああ」

 

「モレッティ、頼んだぞ」

 

「はい」

 

 ドアを閉め、車がヴェロッキオの自宅に向かったのを見送り再び血の匂いが充満している酒場の中に入った。

 血の絨毯の上を歩きながら、相変わらず腰を抜かしている部下の目の前にしゃがみ目線を合わせ声をかける。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「あ、兄貴」

 

「何があった?」

 

「それが──」

 

 

 

 こいつから聞いた話は、なんとも馬鹿げたものだった。

 ヴェロッキオと複数の部下は、どこで拾ったのか数名の娼婦と酒を飲んでいた。

 そこで部下たちはボスと飲めているという優越感からなのか相当酔っていたらしい。

 

 ここまでは特に何もないのだが、ここから先が問題だった。

 

 ヴェロッキオがトイレで席を立っている間、部下の内一人が『あれがボスだなんて上も馬鹿だよな』と呟いたらしい。

 酒の勢いもあり、それに便乗して『あいつの頭が回らないのを俺たちのせいにされてもな?』と愚痴がポツポツと出てきた。

 傍にいた娼婦も『もう一人のボスはどうなの?』と聞いたところ、『あいつもダメだ。ボスに振り回されっぱなしで何も役に立ってねえ』と、そういう話で娼婦達と盛り上がったらしい。

 

 今生きている部下はその時に『ボスと兄貴のことをそんな風に言うんじゃねえ!』と激昂したが、周りの奴らはそれを聞き流した。

 

 そこで丁度トイレから帰ってきたヴェロッキオがその話を聞いていて、『俺とヴェスティにはついていけねえってか』と言って、怒りに任せて娼婦と部下だけでなくその他の客まで殺した──。

 

 

 

 

 

 

 

 ボスと来ている飲みの席でボスの愚痴を言うとは、なんと愚かで馬鹿な部下たちだろうか。

 ヴェロッキオが殺すのも頷ける。

 

 だが、部下やその娼婦だけでなく関係ない奴まで殺すのは仮にもコーサ・ノストラの看板を背負ってるボスがやるべきことじゃない。

 

 

 

 

 自分がやったことを自分で始末もつけず、右腕である俺にこうなった理由を言うこともなく去っていった身勝手なボス。

 

 酒に飲まれ己の愚かさを自分たちが仕切っている酒場で露にする馬鹿な部下。

 

 そのボスと仲間の愚行を命を懸けてでも止めなかった腰抜けな部下。

 

 そして、イタリアで蔓延っている何の取柄もない無能な幹部ども。

 

 

 どれもこれも嫌気が差す。

 

 

 

 

 

 

 

 ──もう、潮時だな。

 

 

 

 

 

「兄貴、すんません……。俺、あいつらもボスも止めれなくて」

 

「謝るだけなら誰でもできるんだぜ? ──そんな腰抜けなお前に一つ教えといてやる」

 

 俺は腰に差していた自分の銃を未だ尻を床につけている部下の眉間に当てる。

 

「“名誉ある男”は、そんな間抜けな姿は見せない」

 

 そう言って、俺は躊躇いもなく引き金を引いた。

 部下だった男の体はそのまま床に転がり、この死体の山の一つとなった。

 

 袖に血がついた。

 だから返り血を浴びやすい銃は嫌いなんだ。

 

「はあ」

 

 とりあえず、この死体をどうにかしなければならない。

 俺はポケットに入れていた携帯を手にし、控えさせていた部下に動くよう指示した。

 

 そして一旦店の外に出て、煙草に火をつけ煙を吐く。

 街灯がない道が誰も迷わないように月明かりで照らされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コーサ・ノストラのボスがちょっとした騒ぎを起こしてから一週間後の夜。

 月の光がすっかり街を包んでいる時間帯となれば街中の酒場はいつも酒飲み客で賑わっている。

 

 ラチャダストリートの一角にある酒場もその一つ。

 だが、今夜は1人の男の行動によって騒然とした空気になっていた。

 

「──―ヒャハハハハハハハ!!」

 

「おいしっかりしろ!」

 

「アー……ハハハッ、ハハハハハハハハ!!」

 

「なんなんだよこいつ……!」

 

「ハハ……ハ……ガハッ!」

 

「お、おい!」

 

 狂気の笑い声を響かせた後、男は血を吹き出しそのまま息絶えた。

 

 

 

 

 

 ──その様子をほくそ笑んで見ている男が一人。

 

 男はその笑みをすぐに消し、周りの客と同様の困惑顔を浮かべその場に溶け込んだ。













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