彪さんや張さんに忠告され家に籠ってから三週間。
今日も今日とて依頼はない。最近よく遊びに来ていたアンナもこの三日来ていない。
私はこの頃刺繍をするか新しく服を作るかのどちらかしかしていないため、おかげで部屋には服が溜まってきている。
今日は紫苑の花を刺繍したハンカチを作っている。
これが終わったら溜まった服をあっちの部屋に移そう。
そう考えながら作業をしていると、台の上に置いてあった携帯が鳴り響いた。
出てみると、今かなり忙しいはずのあの人の声が聞こえてくる。
『ようキキョウ』
「どうされたんですか張さん」
『なに、ちゃんといい子にしているのか気になってな』
張さんの子ども扱いのような言い方を特に気にすることもなく言葉を返す。
「あなたの言いつけ通りずっと家に籠ってますよ。おかげで暇を持て余してます」
『そうか、なら長話しても問題なさそうだ。……今日はお前に伝えることがあってな』
「……なんでしょうか?」
『これはお前にとっても俺にとっても胸糞悪い話だが──』
張さんから電話越しに聞いた話は、あのヴェスティとかいう男が私を手に入れるために一連のことを引き起こしたという確かに気分を悪くするような内容だった。
まさかそんなバカげた理由でここまでするとは思わず、聞いた後はため息しか出なかった。
「ほんとあの男は、この街の子供より子供ですね。自分の欲望に忠実すぎるというかなんというか」
『俺も聞いたときはそう思ったよ。しかもあいつは俺のことがとことん嫌いらしくてな、俺がお前を囲ってることが気に入らないんだと』
「だから嫌がらせのために三合会の縄張りを中心に荒らしたってことですか。呆れてものも言えませんね」
『全くだ。──そういう訳でお前には悪いが、まだ家でゆっくりしといてもらう必要がある』
張さんが言っていることはつまり
「囮になれ、ということですか」
『でかい獲物にはそれ相応の餌が必要だろ? お前はいつも通り家にいるだけでいい』
「……分かりました。それであの男が消えてくれるなら喜んで協力しますよ」
『聞き訳が良くて助かる。お前が嫌だとか駄々をこねたらどうしようかと思ったんだがな』
「私がどう言おうと、貴方は餌にする気満々だと思ってたんですが違うんですか?」
どう足掻いてもあの男が来るのは変わらない。
それに、この人だって自分の縄張りが荒らされていい思いはしていないのだからあの男を殺すためならどんな手段でも使うはずだ。
『フッ、さあな。家の周りが少々騒がしくなっちまうかもしれんが、大目に見てくれよ?』
「その時だけは我慢しますよ。ですが、なるべく早めに終わらせてくれたらありがたいです」
『分かってるさ。──それと、もう一つ』
この他にまた何か別の話があるらしく、一呼吸おいてからその話を切り出し始めた。
『お前の大事な客の一人だったアンナが、海岸沿いにある無人倉庫で殺されていた』
「……は?」
言っている事が理解できなかった。
張さんはいつもと変わらない調子で、そのまま話を続ける。
『見つけた時には、まるで肉の燻製を作るみたいに吊るされてたそうだ』
「……いつにも増して笑えない冗談ですね」
『信じられないかもしれんが、アンナはあいつの仲間を引きずり出した張本人だ。アンナのおかげであいつにたどり着いたといっても過言じゃない。自身の危機を招いた女をあの男が放っておくと思うか?』
「つまりアンナは報復のために殺された、ということですか?」
『このタイミングで殺されたってことは、関係しているのは確かだろうな』
その言葉に何も言うことができず口を噤む。
この人が今言っていることは冗談でも嘘でもないことくらい分かっている。
それにアンナ自身も言っていた、“自分はいつ殺されてもおかしくない”と。
だから、殺されていたとしてもそれはこの街にとっての日常であり仕方のないことだ。
……そう、仕方ないのだ。
今更どう足掻いてもアンナが殺された事実は変わらない。
私にできるのは、それを受け入れることだけだ。
「そうですか」
私は溜まっていた息を吐き言葉を発した。
「あの子とはもっと色々話したかったんですが。残念です」
『……意外と冷静だな。もう少し取り乱すかと思ったんだが』
「殺されても仕方ない、あの子自身がそう言ったんですよ。それに、一々人が死ぬたびに取り乱したら身が持ちません」
私はそう言いながらイエローフラッグでアンナに言われた言葉を思い出していた。
「──張さん、一つ我儘を言ってもいいですか?」
『ん?』
“ねえキキョウ、私が死んだら──”
あの酷く儚げな笑顔で言ったあの言葉。
「アンナの遺体、しばらく保管してもらうことは出来ますか?」
『何故だ?』
「“死んだときには綺麗なエンディングドレスを”、それがアンナから頼まれた最期の依頼でしたから。……お願いします」
こんな時に頼むなんてどうかしてると思う。
女一人の遺体をマフィアが大事に取っておくなんて普通はしないし、する必要もない。
だけどもし許されるなら、周りの大人たちに負けまいと背伸びをし、自分を全く見せようとしなかった私の“友人”にせめてもの手向けを。
『あいつの葬儀を行う予定はないし遺体は邪魔になる。──だが、お前の初めての我儘を無下にはしたくないな』
「それじゃ」
『2日。それ以上は置かん。それでもいいなら我儘を聞いてやる』
「十分です。ありがとうございます、本当に」
本当に感謝してもしきれない。この人のおかげで私はやりたいようにできている。
いつかちゃんと恩返しをしなければならないな。
『言っておくが葬儀はしねえぞ。そこまで時間も人も割けない』
「分かってます。私にも考えがありますので、大丈夫ですよ」
『そうか。そっちの準備が出来たらいつも通り連絡をくれ』
「はい。──張さん」
『なんだ』
私はまた溜まっていた息を吐き出し、一呼吸おいて口を開いた。
「終わったら、一杯付き合ってくれますか?」
『……ああ。その時は2人きりになれる所でゆっくり話そう』
「ええ。では、また」
『ああ』
そう言ってお互い電話を切る。
息を吐き、眉間を抑えしばらく目を閉じた。
5分程経った頃に席を立ち自室へ向かい、棚にしまっておいた二枚の小さな紙を取り出す。
それぞれに書いてある番号にかけようと私は再び携帯を手に取った。
──それから六時間。
溜まっていた服の中にあるロングで長袖の白いワンピースを取り出し、そのワンピースからエンディングドレスを作ろうと作業していた。
一から作るよりも、元々あったものを改変する方がダントツに早い。
二日は遺体を保管してくれると言ってくれたが、早くできるに越したことはないだろう。
先程ちょっとした修正を施し、簡易的ではあるがエンディングドレスが完成した。
すっかり日も暮れ、ドアを開ければあたりはすっかり暗くなっていた。
これは張さんに連絡するのは明日にした方がいいな。
そう思いながらドアを閉め、中に戻りエンディングドレスを丁寧にたたみ紙袋へ入れた。
そろそろ夕ご飯を食べようと自室に行こうとした瞬間、表のドアから来客を告げるノック音が聞こえた。
こんな時間に一体誰が……。
張さんから連絡は貰っていないし、こんな時、ましてやこんな時間にわざわざ依頼に来る人間などいるわけもない。
私は妙な胸騒ぎがして、そのまま自室に行きクローゼットの奥から張さんにもらった銃を持ち、ドアの向こうから声をかけられるのを待った。
黙っていると再びノック音が聞こえたが、私はただ黙ってドアを見つめていた。
5分程経っても何も声が聞こえてこないので、悪戯か何かかと思ったその瞬間。
突然銃声とドアノブが外れた音が聞こえた。
あまりにも唐突の事で咄嗟に動くことができず、ただ体に緊張が走る。
壊れたドアから姿を見せたのは、地面に着きそうなくらい長く黒いロングコートに黒のソフトハットを被り、黒手袋を嵌めた全身黒のコーデで埋め尽くされた男だった。
帽子のせいで顔が見えず誰だか分からなかったが、声を聴いた途端確信する。
「迎えに来たよ、Ms.キキョウ。さ、俺とともに行こう」
聞き覚えのある声で気色悪い言葉を聞いた直後、その男を睨みつけながら使ったことのない銃を反射的に構えた。
「二度と私の前に現れるなと言ったはずだ。何しに来た」
「言っただろ、俺は欲しいものは必ず手に入れる。その欲しいものを取りに来ただけだ」
「ふざけたことを」
「ふざけてないさ。──それより、その手に持っている物は君にはふさわしくない。今すぐ捨てるんだ」
ヴェスティは気色悪い笑みを浮かべ、銃をしまいながらそう言ってきた。
私はその言葉に一瞬の間を空けることなく返す。
「お前に命令される筋合いはない」
「君が持つべきなのは裁縫道具だ、捨てろ」
「うるさい黙れ。お前が私に命令するな」
「やれやれ困った。手荒な真似はしたくなかったんだが」
そう言うと少し離れていた距離を一気に詰め、手を掴み銃をはたき落された。
目の前には先ほどまでの笑みを消し、無表情の男の顔があった。
「……っ!」
私は必死に逃れようといつものように抵抗したがやはりびくともしない。
「君は確か、利き腕は右だったな」
そういうとヴェスティは私の左腕を力づくで伸ばした。
嫌な予感がした。
「何を……ッ! 離せ!!」
私は抵抗を続け、言葉でも離すよう訴えたがそれを聞き入れてくれるわけもない。
そして、左腕に関節が曲がる方向とは逆に蹴りが入る。
骨が折れる音と共に激痛が走った。
悲鳴が無意識に上がる。
「あああああああ!!」
「これくらいしないと、君は言うこと聞かなさそうだからな」
ヴェスティは痛みで身動きが取れずうずくまっている私を見下ろし、冷淡にそう言い放った。
「ッ……私が、こんなことで……お前の、言いなりに、なると思って、るのか!」
激痛のせいで上手く声が出せない。
そんな状態でも私はヴェスティの顔を真っすぐ見つめ、言葉を続けた。
「私は、銃を突きつけられようと、足を切られようと……お前なんかの、言いなりにはならない……!」
「そう、その君の態度があのアンナっていう娼婦を殺したんだ。君が俺を拒絶するからあの子は死んだ。それなのに、まだその態度をとるのか。君がそんな薄情な女性だとは思わなかったよ」
私がアンナを殺した?
この男の愚かさと馬鹿さ加減に更に怒りが募る。
「本当に、お前は子供だ。アンナは私が、殺したんじゃない。アンナは、お前のそのクソッたれな欲望に、巻き込まれただけ……。邪魔したアンナを、気に入らなかったから殺した。そうやってアンナを盾にすれば、私が言うことを聞くんだと思ったんだろうが……その、浅はかな考えも、気色悪い欲望も、全部……吐き気がする!」
私は痛みを感じながらその場に立ち、左腕を抑え再びヴェスティの目を見ながら口を開いた。
「今一度はっきり言う。私は、お前の服は作らない。そして、一緒に行くこともない」
「──そうか」
ヴェスティが一言そう言った次の瞬間、左頬に衝撃と痛みが走った。
殴られたのだと理解した時には、胸倉を掴まれヴェスティの顔が目の前にあった。
「言ったはずだ、俺は欲しいものは何が何でも手に入れる。君がどうこう言おうと拒否権はない。理解できるかな?」
「理解、する必要があるのか? そんな、子供じみた言い分を」
そういうとまた左頬を殴られた。
だが、殴られた後は怯むことなくまた真っすぐ目を見る。
無理やりにでも連れていけるはずなのにそうしないのは、きっとこの男は私が恐怖で首を縦に振るのを待っているからだ。
屈服した人間ほど支配しやすい。
特にこいつのように暴力で解決しようとする男ほどそう思っている。
でなければいつまでもこうやって押し問答をする理由がない。
「本当に君は頑固者だ。素直に首を縦に振ればいいものを」
「私が、そうしないのは、“作りたくない奴には作らない”と、決めているからだ。お前に作るくらいなら、死んだほうがマシだ」
私はヴェスティの目をまっすぐ見続け、口の端を上げ言葉を言い放つ。
「誰がお前の服なんか作るかバーカ」
ヴェスティが右手を振りかざし、また殴られるのかと思ったその時だった。
「おいおい、随分派手な口説き方だな」
低い男の声が響きヴェスティの動きが止まった。
その声は、私がこの街で一番信頼している人の声。
声がした方を見てみると、そこには白いスーツと黒いロングコートを身に着けサングラスをかけたあの人が立っていた。
「そんなんじゃ女性は落とせないぜ、ジェントルマン」
そう言いながら私のパトロンは自身の腰から銃を抜き、ヴェスティに銃口を向けた。
ヴェスティは次が最後の出番かな。
ヴェ「え……」