ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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今回も少し長めです。


45 最後に笑う者が、最もよく笑うⅡ

 張さんの言葉を聞いた途端ヴェスティは掴んでいた胸倉を離し、私の後ろに回ったかと思うと右手を前で抑えてきた。

 

 さっき以上に身動きが取れない態勢にさせた瞬間、ヴェスティも自らの銃を抜き張さんへと向ける。

 

 さっきは表情がよく分からなかったが、こうして真正面から見るといつもの余裕そうな笑みを浮かべてはいなかった。

 

 

 無表情で、何を考えているか分からない。

 この人のこんな顔を見たのはいつぶりだろうか。

 

 

 

「──よう、思ってたより早かったな。周りにいたお前のお仲間には眠ってもらったはずなんだが、流石この子の保護者ってところか?」

 

「計算高いお前のことだ、とっととキキョウを連れてこの街を離れる筈だと思ってな。俺のカンはまだまだ健在らしい」

 

「ここに来てまで自慢か? そんな暇あるならそのどうしようもない童顔具合を治したらどうだ。それに俺は今逢引き中だ、ここは二人っきりにしてほしいね」

 

 

 何が逢引きだ、気色悪いことを言いやがって。

 

 

「それにしては随分乱暴じゃないか。お前の口説き方はそんなレイプまがいのことなのか?」

 

「この子は俺にとっても大事な人だ、そんな下品なことはしないさ」

 

「……それが彼女の左腕を折った奴のセリフとは思えねえな」

 

「利き腕じゃないだけマシだと思って欲しいね。それに骨折くらいすぐ治る。それまで俺が愛情込めて世話するから安心しろ」

 

 

 この男の気色悪さがどんどん増している気がする。

 張さんもそう思っているのか、うんざりと言ったような表情をしていた。

 

 

「──お前のことを買い被ってたよ、まさか女一人のためにここまで事を荒立てるとはな」

 

「ただの女なら俺もここまでやらないさ。だが、この子の技術と作品の完成度に惚れてしまった。だから仕方ない、そう思わないか? なあ、Ms.キキョウ」

 

 

 そう言いながら耳元で名前を呼んできた。

 悪寒がする。

 

 

 眉間に皺をよせ、不快さを隠すことなく顔を背け口を開く。

 

 

「気色悪い、離せ」

 

「キキョウも嫌がっている、離してあげたらどうだジェントルマン?」

 

「それは無理だ。……おいおい、そんな怖い顔すんなよ張。思わず指に力が入っちまいそうだ」

 

「奇遇だな。俺もお前に今すぐ鉛玉をプレゼントしたい気分だよ」

 

 

 そうだ、何故張さんは撃たないのか。

 

 確かに張さんが撃てば、私は今この男の盾になっているようなものだから当たるのはほぼ確実だろう。

 

 それでもこの状況を打破できるのであれば私はそれで構わないし、張さんも私を撃つことに躊躇いなんてあるはずもない。

 

 なのに何故? 

 

 

 私と同じことを疑問に思ったのか、ヴェスティは鼻で笑い言葉を発した。

 

 

「流石のお前もこの子を盾にされちゃ撃てないってか? 随分甘い男になったなお前も」

 

「……馬鹿か、お前」

 

 ヴェスティの言葉に思わず反応してしまった。

 ボソッと呟いたつもりだったのだが、しっかりと耳に届いていたようで「何か、言ったかな?」と聞かれた。

 

 だから私は臆することなく、思っていることを吐き出した。

 

 

「この人がそんなことで撃ってこないと思ってるなら、とんだお気楽野郎だって言ったんだ」

 

「じゃ、君にはこの男が何考えているか分かっていると?」

 

「私に分かるわけないだろ。ただ一つ分かっているのはこの人には“私を撃てない”なんて考えはどこにもない。私はこの人の部下でも、ましてやお前みたいに服や私の腕に固執しているわけでもないんだから当然だろ。私はただの洋裁屋。この人が優先するような命を持ち合わせてない。──そうでしょう? 張さん」

 

 相変わらず無表情で銃を向けていた張さんに声をかけると、そこで初めてあのいつものにやり顔を見せた。

 

 

「やはりお前はよく分かっている。流石だなキキョウ」

 

「いつも思っている事を言っただけです。だから、早く終わらせてください」

 

「そうだな。──そろそろ長話にも飽きてきた」

 

 

 

 その一言を言い終わった瞬間、二つ分の銃声が鳴り響いた。

 

 

 

「がっ……!」

 

 

 どうやら張さんの放った弾丸はヴェスティの右目を撃ちぬいたらしく、私には何の衝撃も来なかった。

 そのおかげか掴んでいた力が緩み、私は手を振り払い片手で思い切りヴェスティの体を突き飛ばし離れる。

 

 張さんの方を見てみるとヴェスティが放った弾がサングラスに当たったのか、普段は隠れている素顔が露になっていた。

 血は流れていないところを見ると、どこも怪我は負っていないらしい。

 

 それを見て私は安堵したのも束の間、銃声を聞きつけた三合会の部下らしき人達が数人入ってきたかと思えば右目を抑えているヴェスティを三人がかりで床に押し付け、身動きを取れなくした。

 

 そんな中で張さんは銃をしまい、その様子を見ている。

 

 

 

 ……やっと、終わった。

 

 

 

「──あーあ、あともうちょっとだったのにな」

 

 

 ヴェスティは、床に伏せられているにもかかわらずニヤリとした顔で言葉を発した。

 

 

「残念だったな。全く気の毒だがメインディッシュを取り逃がして空腹のままあの世へ行ってもらう。地獄で残飯でも食っていろ」

 

「……本当に、てめえをとっとと殺せばよかったよ。このクソ童顔野郎」

 

「今日はよく気が合うな。俺もお前を早く殺せばよかったと後悔してるよ着飾り野郎。キキョウ、お前もこいつに迷惑かけられてんだ。一発ぶちかましとくか?」

 

 

 張さんはそう言って、床に落ちてある私の銃を拾い私に差し出してきた。

 

 無言でその銃を受け取り、そのままヴェスティの前に立ち見下ろした。

 

 

「君のその腕になら、殺されても本望だ」

 

 こんな時になっても微笑を浮かべ軽口が叩けることにむしろ敬意さえ覚える。

 私は銃を構えることなく、静かに口を開いた。

 

「私の腕は、服を作るためにある。──この男に銃を向けるのはあなたの仕事ですよ、張さん」

 

「その腕を折られたってのに何もしないのか? 寛大だな」

 

「別に許したわけじゃないですよ。ただ、なぜ私がわざわざこの男に喜ばれることをしないといけないのか、その理由が見当たらないだけです。……ですが、一つ気になっていることがあるのでもう少しだけ時間をください」

 

「気になっていること? 何かな?」

 

 

 ヴェスティは未だに口の端を上げ続けている。

 

 もはや呆れて物も言えない。

 

 

 

 だがこの男のそんな顔も、今日で見納めだ。

 

 

「私の師が作った服はどこに置いてある」

 

「……俺の家の部屋に飾ってあるよ。量はそんなに多くはないから運び出すのは簡単だ。だが、今はコーサ・ノストラが見張っているだろうから勝手に入るのは色々と面倒が起きる。念のためヴェロッキオに挨拶に行っといたほうがいい」

 

「ご丁寧にどうも。……すみません張さん、時間を取らせました」

 

「連れていけ」

 

 張さんの命令に部下らしき人達はヴェスティの手足を拘束し、布で口を塞ぐとそのまま連れて出て行った。

 

 

 てっきり張さんも出ていくと思ったのだがそこから動くことはなかった。

 

 

「手ひどくやられたな、キキョウ」

 

 

 私の目の前まで歩いてきた張さんは、私の左頬と左腕の様子を見ながらそう言った。

 

 

「別に、気にしてませんよ」

 

「女を一方的にここまで殴るとはな。顔を見たときは一瞬誰かと思ったぞ」

 

「それは貴方のことも言えますよ。……初めて、顔を見ました」

 

 

 改めてみると、思ったより可愛い顔立ちをしていることに気が付いた。

 だから童顔なんて呼ばれてたのか。

 

 

「そうか、お前に見せるのは初めてだったな。特別大サービスだぞ?」

 

「なら、ありがたく目に焼き付けた方がいいですかね?」

 

 私はその冗談に微笑みながら冗談を返す。

 それが愉快だったのか張さんも笑みを浮かべながら私の言葉に答えた。

 

「そう何度も見せるもんじゃないからな、今のうちによく見とけ。──と言いたいところだが、それよりもお前のそのナリをどうにかしないとな」

 

 張さんは踵を返し「来い、キキョウ」と私を呼んだ。

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 

 張さんにどこに連れていかれるのかは分からないが、ここを出ていくのであればそのままアンナに会いに行きたい。

 

 そして、“もう一つの用事”も一気に済ませたいと思いエンディングドレスが入った紙袋と、自室から大きめで黒いハンドバッグを持ち部屋を出た。

 

 

 張さんはそんな私を見て「大荷物だな」と呟いた。

 

「ピクニックに行くんじゃないんだぞ」

 

「分かってます。ひとつはアンナの服で、こっちはちょっとした“手土産”です」

 

「……何をやろうとしてるのか、後でじっくり聞かせてくれよ?」

 

「はい」

 

 

 

 私の返事を聞き、今度こそ家から出ようとする張さんの後を黙って着いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──夜七時を三十分過ぎた頃。

 

 海の傍にあるコンテナ置き場の一角で八人の男たちが集っている。だが男たちの顔には焦燥、困惑、混乱などそれぞれ浮かべている表情は明るいものではない。

 

 そして、とうとう堪えきれなくなったのか一人が自身の困惑を打ち明けた。

 

「おい、どうすんだよ。とっくに時間過ぎてんのに来ないぞボス……。連絡もつかねえし」

 

 一人が言葉に出すと、堰を切ったように他の男たちも次々と自身の考えを口にする。

 

「まさか、やられちまったんじゃ?」

 

「あのボスがそんなミスやらかすかよ」

 

「それにラルの奴も来てねえ。……俺ら、見限られたのかもしれねえ」

 

 男たちは、見限られたという言葉に沈黙する。

 だがそれも束の間、沈黙を破るようにまた別の一人が口を開く。

 

「あの人が俺たちを邪魔だと思ったんなら、それを受け入れよう。それが俺たちだ」

 

 それぞれ思うことはあれど、その一言に全員が頷くと再び沈黙が降りる。

 さざ波の音だけが響く暗闇の中、男達は自分達のボスを待ち続けた。

 

 

 

 

 そして、夜八時半を回ろうとした瞬間。突然コンテナ置き場が光に包まれる。

 男たちは反射的に銃を抜き、お互い背中合わせになり自分の身を守る態勢を取った。

 

 

 

 やがてコツ、コツ、コツとハイヒールの音がだんだん近づき、凛とした女性の声が響く。

 

 

「こんなところにコソコソ集まって何をやっているのかしら? ここには面白いものなんて何もないわよ」

 

 女性が言葉を発すると、一人が構えていた銃を声の主に向け引き金を引こうとした。

 瞬間別の方向で銃声が響き、男が持っていた銃は己の手に弾丸が貫いたことで地面に落ち弾が放たれることはなかった。

 

 

 それを皮切りに更に複数の銃声が響くのと同時に全員の手から銃は離れ、男達の武装は完全に無力化された。

 

 その男たちを顔半分が火傷の痕で覆われている女性は冷徹な目で見下ろし、尖った声を響かせる。

 

 

「──よく聞けドブネズミども。お前達が食い荒らしていい場所もモノも、そして生き延びていい理由も存在しない」

 

 一歩、また一歩と女性は言葉を発しながら男たちに近づき言い放つ。

 

「派手に食い散らかした罪は、その命をもって贖え」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──八人? 九人ではなく?」

 

『ええ。お仲間もどこに行ったのか分からないっていうものだから、てっきり貴方のところかと思ったんだけど』

 

「いや、こっちも一人だ」

 

『そう。ネズミを一匹でも逃すと後々面倒よ張』

 

「よく分かってるさバラライカ。これ以上食い散らかされるのはご免だ」

 

『なら、何が何でも吐かせることね。──張、あの子の腕がネズミに齧られて使い物にならなくなるのは私としても心苦しいわ。だからちゃんと責任もって世話しなさいね』

 

「言われなくてもそのつもりだよ」

 

『なら結構。分かったら連絡を』

 

「ああ」

 

 俺はヴェスティを捕らえることに成功し、拷問部屋に放り込みお仲間の居場所を吐かせていた。

 

 ヴェスティはしばらく拷問を受けたところでようやく吐き、その居場所はホテル・モスクワがよく使っていたためバラライカに連絡し向かってもらった。

 

 場所を知り尽くしている人間が行った方が事は早く済ませられる。

 バラライカからは「雑魚狩りに私たちを使おうだなんて良い御身分ね」と言われたが、彼女も鬱憤がたまっていたのかそれ以上は何も言わずネズミどもの巣窟へと向かってくれた。

 

 

 そして今、ネズミの駆除から帰還したバラライカから「一人足りない」というあまり喜ばしくない連絡を聞き、携帯を閉じて目の前で酷い有様で寝そべっているヴェスティに再び質問する。

 

 

「で、もう一人のお仲間はどこへ行った? これ以上お前に時間を割きたくない。さっさと答えろ」

 

「……なあ、今何時だ?」

 

「あ?」

 

「今何時だ」

 

 

 時間を気にする余裕があると言いたいのか、はたまた別の思惑があるのか。

 俺は正直に「二十時半だ」と答えた。

 

 

 それを聞いたヴェスティはどこから血を流しているか分からない状態にも関わらず口の端を上げ「そうか」と呟いた。

 

「これ以上引っ張っても意味はないな」

 

「随分素直だな」

 

「喋ったって問題ないからな。──その場に居合わせなかった俺の片腕は昨日のうちにこの街を出て今はどこか遠いところだ。行先はあいつの自由にしろと言ったからどこにいるのかは知らねえが」

 

 

 ……おいおい冗談だろ。

 

 

「つまらねえ漫談を聞きたいわけじゃねえ。どこにいるのかと聞いてんだ」

 

「だから知らねえって言ってんだろ。俺があいつに出した最期の命令は『この街を出た後に行く場所は自分で決めろ』だ。だからあいつはもうこの街にいないし、誰もあいつの居場所を知らない。勿論、この俺も。──何から何までお前らの思い通りにさせる訳ねえだろ。残念だったなあ、もう少し早けりゃ間に合ったかもしれねえのに」

 

 

 ヴェスティは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 その笑みに腹立たしさを感じ顔に蹴りを入れる。

 

 それでもなお笑みを崩さないその姿勢に苛立つが、煙草に火をつけ煙を吸ってから俺は口を開いた。

 

「今からお前をコーサ・ノストラに引き渡す。せいぜい熱い歓迎を受けるんだな」

 

「……は、あいつらにそんな芸当ができるかよ」

 

 その一言を言い終えた瞬間に踵を返し、部屋を出る。

 

 

 壁にもたれ掛かり、コートのポケットに入れていた携帯を手に取ってある番号にかけた。

 

「ようヴェロッキオ」

 

『張か』

 

「もう知ってるかもしれないが、ヴェスティは今うちで預かってる。仮にもお前の部下だった男だ、お前がとどめを刺すべきだと思ってな」

 

『お心遣い痛み入るぜ。だがお前もアイツに一杯食わされてんだ。てっきりてめえが殺すもんだと思ったよ』

 

「そのつもりだったんだが、もうあいつの相手をするのは懲り懲りだ。ここは、あいつの扱いに慣れてるお前が受け持ってくれると有難いね」

 

 

 ヴェスティはコーサ・ノストラの№2という決して軽くはない立場にいた男だ。

 そういう奴は自分がいた組織で然るべき処罰を受けるのが妥当だろう。

 

 ま、これ以上あいつの面を拝むのは遠慮したいのも本音だが。

 

『どこで引き渡す?』

 

「今からコーサ・ノストラの事務所に送る。そっちは色々と準備があるだろう?」

 

『ああ、あいつ好みのオシャレで盛大なパーティーを開いてやる。この俺が直々にな』

 

「そいつは素晴らしい歓迎だな。あいつも涙して喜ぶだろうよ」

 

『ふん』

 

「受け取ったら連絡をくれ。じゃ、頼んだぞ」

 

 

 そう言って俺は電話を切り、いつからか傍に立っていた腹心に声をかける。

 

 

「彪、そういうことだ。念のため手練れを連れてヴェロッキオの元に送ってけ」

 

「はい」

 

「……キキョウの方は?」

 

「今はアイツに診てもらってます。ひとまず大丈夫でしょう」

 

「そうか」

 

 俺は吸い殻を彪が差し出した携帯用灰皿に入れ、「後は頼んだぞ」と一言残しその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「──まったく、こんな美人さんの顔をここまで腫れさせるなんて。あなたもとんだクソ野郎に目をつけられたわね」

 

「ははは……」

 

 家を出て、私は今張さんが手配してくれた家にいる。

 ここで暮らしているわけではないらしいが、何かあった時のための避難所みたいなものらしい。

 

 つまり隠れ家だ。

 

 まるで豪邸。というか屋外プールまである豪邸なのだが、ここまで広いと逆に目立つのではないのかと疑問に思う。

 

 その一室で予め呼んでくれていた三合会お抱えの医者に腕の状態を診てもらっている。

 

 

 

 名前は林 翠蘭(リン スイラン)

 

 切れ長な少し茶色かがっている目。身長は私より高く、医者らしく白衣を着ており“できる女”を体現したようなキリっとした女性だ。

 

 腕は確からしく、三合会だけではなく他からも依頼がよく来るらしい。

 

 そしてさっきの言葉はそんなリンさんが私の顔を診た最初の一言だ。

 もう乾いた笑いしか出ない。

 

「まあ腕は幸い正しい位置に戻して固定するだけで済む程度のものだから、一か月もあれば動かせるようになるでしょ。顔も治るまでいじらなければ特に問題ないわ」

 

「そうですか」

 

 一か月か。利き手じゃないとはいえこれじゃ満足に服作ることも刺繍することもできないだろうな。そう考えると少し長い。

 顔は……まあ別にどうでもいい。

 

 

 だが、今の私にはやることがある。嘆くのはそれを全て終わらせた後だ。

 

「じゃ、とっとと済ませましょ」

 

「お願いします」

 

 リンさんはそのまま腕の治療に専念し、私はただそれを見てることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──とりあえずはこんなもんね」

 

「ありがとうございます」

 

 治療を始めてから一時間ほど経った頃には顔の殴られた部分にはガーゼ、左腕は包帯とギブスで覆われた状態になった。

 ここまで酷い怪我を負ったのは久しぶりだ。

 

 

「ほんと、ここまでボロボロにする男に碌なやつはいないわ。こんな可愛い女の子の顔をぶつ奴は特にクソの中のクソよ」

 

「……可愛くないですよ。リンさんの方が綺麗です」

 

「ありがとう。でもそんな謙遜しちゃダメよ? 素直にお礼を言うのも世の中を上手く渡るコツ」

 

「生憎、こういう性分なので勘弁してください」

 

 リンさんは何故かここにきてから私の事を「可愛い」と連呼している。

 少し恥ずかしいのでやめてほしいと言ったのだが「可愛いものを可愛いと言って何が悪いの?」とばっさり切られてしまった。

 

 

「ジャパニーズは謙遜するものだって聞いたけど、皆こうなの?」

 

「人ぞれぞれだと思いますよ。まあ、基本謙遜する人の方が好かれたりしますね」

 

「ふうん、窮屈な生き方ねえ」

 

 丁度その時、部屋にある電話が鳴り響く。

 リンさんは電話を取りそのまま誰かと話し始めた。

 

 

「哦、大哥。现在结束了──」

 

 何を話しているか分からないが、中国語ということは恐らく相手は三合会の人だろう。

 しばらくしてリンさんは電話を切るとこっちを向いて「あなたのその怪我だけど」と声をかけてきた。

 

「今後ちゃんと治るまでアタシが治療する。あなたには完全に治るまでここにいてもらうわ」

 

「え」

 

「これはあの人の指示でもあるから。後でこっちに来るそうだからその時にでも詳しいことを聞いて頂戴。あ、アタシ二日に一回は来るから。風呂の入り方とかはそこの紙に書いてあるから目を通しておいて。……一人じゃ大変なら、アタシが付きっきりで面倒見てあげることもできるけど?」

 

「お気遣いありがとうございます。腕を折られるのは初めてではないので大丈夫ですよ」

 

「そう、それは残念。……本当はもっとお話ししたかったんだけど今日はこれで失礼するわ。張大哥によろしくね」

 

 リンさんは少し残念そうにしていたが、医療道具を片付けて出て行った。

 見た目は物静かそうな人なのによく喋る人だ。

 

 

 そんな騒がしい人が去り、一人部屋に取り残された私はあたりを見渡す。

 本当に広い。まるでセレブが過ごすような綺麗で豪華な部屋。

 日本にいた時もそこまで広い家に住んでいたわけではないので、狭い部屋で過ごすことに慣れている人間にとってここは広すぎて戸惑ってしまう。

 

 

 

 そういえば、あとで張さんが来ると言っていた。

 

 

 その間暇だなと思いながら片腕が動かせないというのもあって特に何もせず、ソファに腰かけたまま張さんが来るのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──それから三十分。

 あまりにも暇だったのでテーブルの上にあった雑誌を読んでいると表の玄関から物音がした。

 

 そのまま足音がこちらに近づいてきたかと思うと、部屋のドアをノックした後「俺だ、入るぞ」という声とともに未だに素顔を晒している張さんが姿を見せた。

 

 私は雑誌を置き、その場に立って迎える。

 

 

「色々とありがとうございます張さん。本当に」

 

「そんなかしこまるな。お前には迷惑かけちまったからな、その詫びとでも思っとけ」

 

 そう言いながら私の隣に腰かけるとこちらを座れと言わんばかりに見つめてきたので、「失礼します」と一言断り柔らかいソファに座る。

 

 煙草の匂いがする。さっきまで吸っていたのだろうか。

 

 煙草は吸わないしいい匂いと思ったことはなかったのだが、不思議と嫌悪感は感じなかった。

 

 

 そんなことを思っていると張さんが話しかけてきた。

 

 

「──キキョウ、お前アイツと一回話したそうだな」

 

「……はい」

 

「何故言わなかった」

 

 

 それは、ヴェスティがカタコトの日本語で私の家に尋ねた時の事を言っているのだろう。

 あの男には服を作らないと決めていたし、何より組織の上に立っている人間がたかが一人の洋裁屋に拒絶されたからと言ってあんな行動をするとは思っていなかった。

 

 だからわざわざ言う必要もないと考えていた。

 

「特に、話すようなことでもないと思ってたので」

 

「アイツはお前に酷く執着していた。それが今回の火種だ。……お前もアイツの事を心底軽蔑しているように見える。ただ変な挨拶をされただけじゃあんな態度をとる人間じゃないだろうお前は。何を話した」

 

「……面白くもなんともない話です。それでも構いませんか?」

 

「アイツ絡みの事で面白味なんてあるのか?」

 

 

 それもそうか。

 それに今更隠したって意味もない。

 

 

 あの時話したことを伝えようと言葉を発する。

 

 

「私には、洋裁を教えてくれた師がいます。その人の作る服は本当に素敵で誰もが魅了されるものでした」

 

 あの人の服は本当にすごい。

 私も魅了された一人でよく作業場にお邪魔していた。

 

 今となっては遠く、懐かしい思い出だ。

 

 

「師は一時海外で働いていたようで、その時にあの男も服に魅了されたと。

 イタリアでは師に会うことは叶わず、せめて服を集めようと躍起になっていたそうです。あの男が言うには服を集めるうちに師が作った服か否かを見極めることができるようになったらしく……どこで見たのかは分かりませんが、私が作った服を見て私があの人の教え子だと見抜きました」

 

「……それで?」

 

 張さんは私の話を聞いて面白くもないと言った風だった。

 

「あの男は師に会いたいと言っていました。ですが師はもうこの世にはいません。そのことを素直に伝えました。それを聞いたあの男は“今まで通り欲しいものを手に入れる”と」

 

「惚れた洋裁屋が死んだとなればその腕を継いだ教え子を手に入れる、か。分かりやすい方程式だ」

 

「……ですが私が気に入らなかったのは、その後に聞かされたことです」

 

 

 私に全てを与えてくれたあの人を侮辱している行為。今思い出しても腹が立つ。

 無意識に右手に力が入る。

 

 

「師の服を手に入れるため、依頼人たちから無理やり奪ったと。……師は素晴らしい洋裁屋です。依頼人のことを考えながら一つ一つ丁寧に、繊細に仕上げたはずです。そこにはあの人の洋裁屋としての誇りや依頼人に対しての思いやりが込められているはずなんです。……それをあの男は踏みにじり、侮辱した。私はなによりそれが許せなかった」

 

「……」

 

「だから私は、あの男には服を作らないと告げました。──それがこの結果です」

 

「成程。その左腕と顔はお前の“信念”を貫いた代償ということか。……ふっ、そういうのは嫌いじゃない。この話で唯一面白味があるとすればそこだろうな」

 

 顔を見ずに話しているのでどんな表情をしているのかは分からないが、きっといつもの微笑を浮かべているのだろう。

 

 そんな気がする。

 

 だが、私の話はこれで終わりではない。

 

 

 

「張さん」

 

 

 私には、やるべきことがある。

 それを終わらせるため聞かなければならない。

 

 この人なら絶対知っているはずだから。

 

 私は顔を隣に向け、いつものサングラスをかけておらず露になっている瞳を見てから口を開く。

 

「あの男は、師の服をこの街に持ってきている。それを処分するのが教え子である私の役目だと思っています」

 

 張さんは黙って私の話を聞いている。

 その顔は先程も見せた無表情で瞳は酷く冷めていた。

 

 

 私はその瞳を見続け、本題を口にする。

 

 

 

 

「ヴェロッキオとやらにはどこで会えますか?」







一応ヴェスティ騒動は終わりです。

ここからは後片付け的な感じの話になります。

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