ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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46 無様な洋裁屋の交渉

「まさか、その状態で行くつもりか?」

 

「はい」

 

「……俺はすでにお前の我儘を一つ聞いている。こんなくそ忙しいにもかかわらずだ」

 

「分かっています。ですから、連れて行ってほしいなんて言いません。場所だけ教えてください」

 

 これ以上この人に迷惑をかけてはいけない。

 だからここからは私一人で行く。

 

 ヴェスティが言っていたことが嘘であっても、同じ組織にいた人間なら何かしら知っているはずだ。

 行く価値はある。

 

 張さんは私の言葉を聞いて顔を上にあげ息を吐き呟いた。

 

 

「やれやれ。どうしてこうもお前はそんな無鉄砲なんだ」

 

「……」

 

「あの男は少なからず組織内では慕われていた方だ。そんな男がああなっちまった原因でもあるお前が単身乗り込むなんざ、狼の巣にウサギが一匹飛び込むようなもんだ」

 

「私は私のやるべきことをするだけです。それをしなければ後悔しか残りません。……それに、大事にするような命を私は持っていませんので」

 

 重富春太の弟子としてやるべきことを全うしなければならない。

 他の誰でもない、この私が。

 

 

「はあ……今のお前には何を言っても無駄、か」

 

 

 わざとらしくため息を吐いたかと思えば、諦めと呆れが混じったような声音で言われたその言葉に少しだけ罪悪感が湧いた。

 逸らしていた顔をまたこちらに向け、一呼吸おいてから張さんは話を続ける。

 

 

「──今からコーサ・ノストラにあいつを引き渡す。それに同行することを許してやってもいい」

 

 

 その言葉に私は一瞬驚いたものの、その厚意に感謝の言葉を述べようと口を開く。

 

「ありがとう、ございます」

 

「ただし、俺は行かん。ヴェロッキオにもお前が行くこと“だけ”伝える。これはお前自身の問題だ。お前が話をつけてこい」

 

 勿論張さんに同行してもらおうなんて少しも思っていない。

 むしろここまで世話をしてくれる事のほうがおかしいのだ。

 

「本当にありがとうございます」

 

 私は私の為すべきことを為す、そのために差し伸べられているこの手を掴む。

 今は手段なんて選んでいる場合ではないのだから。

 

 私が改めて礼を述べると、その瞬間張さんのポケットから携帯の着信音が鳴り響く。

 その携帯を無造作に取りだし電話の向こう側にいる相手と話し始めた。

 

「そうか。それなんだがな、ちょいとこっちに寄り道して来い。──なに、()()が一つ増えるだけだ──鋭いな、そのまさかだ──はっ、そんな怒るな。お前らはただ見届けろ。何もするな──ああ、別に構わん。それは本人が一番理解しているはずだ。物分かりが妙にいいのはお前もよく知っているはずだろ、彪」

 

 どうやら相手は彪さんらしい。

 話の内容からして私を同行させることに反対のようだ。

 当たり前の反応だろう。大事な仕事を行う時に私のようになんの役にも立たない人間が同行するのだ。

 張さんの言う通りお荷物以外の何でもない。それを喜んではい分かりましたと言う人間はまずいない。

 

 

 そこからしばらく話していたが、どうやら彪さんのほうが折れたらしく「じゃ、頼んだぞ」と言って電話を切りこちらを見てから再び口を開いた。

 

「俺の部下はお前がどうなろうと手を出さん。今以上に無様な姿になろうとな」

 

「……」

 

「だが、お前がどうしてもと言うなら守ってやらんこともない。折角拾った命だ、ここで捨てることはないんじゃないか?」

 

 何の力もない人間が敵地に向かう時にその言葉を聞いたら普通は懇願するのだろう。

 

 

『死にたくないので守ってください』と。

 

 

 

 だが、これは私の個人的な問題だ。おまけに高くはないこの命。

 この人が私を守る必要性はどこにもないしそれを望むのはお門違いだ。

 

 私にはこの人が何故そんな甘い言葉を吐いているのか分からないが、自分の立場は理解しているので答えは決まっている。

 

「お気遣いありがとうございます。ですが、これ以上貴方に甘えるわけにはいきません」

 

「そう言うだろうと思ったよ。やれやれ、たまにはとことん甘えてみるのもいいと思うんだがな」

 

 張さんは少し口の端を上げてそう言った。その言葉に私は特に何かを言うわけでもなく苦笑する。

 すると丁度部屋のドアをノックする音が響いた。

 

「大哥」

 

「時間だ、行ってこい」

 

 ドアの向こうから聞こえてきた彪さんの声を聞くと張さんは私にそう言った。

 私は部屋を出ようとソファから腰を上げ、家から持ってきた大きめの黒いハンドバッグを持った。

 

「生きて帰ってこれた時は“お帰りのハグ”をしてやろう」

 

 ドアの前に来たところで背中越しにそう言われ、振り返らずに口を開く。

 

「相変わらず面白くない冗談をいいますね」

 

 

 その言葉とは裏腹に自分の口角が上がっていたのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 迎えに来てくれた彪さんに「我儘に付き合わせて申し訳ありません」と謝罪を述べると、「俺たちの邪魔さえしなければそれでいい」と言ってくれた。

 もう十分邪魔したようなものだというのに。

 

 その寛大さに感謝しながら彪さんの後を着いていくと黒塗りの高級車が前後一列に二台停まっていた。後方の車の前には、黒いスーツに身を包んだいかにも極道ものだといわんばかりの雰囲気を持った四人の男達が立っていた。

 

 そのうちの一人に「お嬢様は大人しく籠っていればいいものを」と言われたが、意に介さず彪さんに言ったように謝罪を述べた。

 私の謝罪を聞いて面白くもないといった風に「ふん」と鼻で笑うとその男は車に乗り込んだ。

 それを見た他の男たちも次々と車に乗り込む。

 

 彪さんが「お前はこっちだ」と前方の車に私を誘導してくれた。

 その誘導に逆らうことなく後部座席に乗った。

 

 

 

 

 

 車に揺られること十五分。

 少し寂れてはいるが横に長い木造で造られた建物の前に止まると、彪さんが運転席から降りるのを見て私も車から出た。

 

 そこでちょうどいいタイミングで建物の中からイタリア人らしき男たちが数人でてきた。

 その内の一人が彪さんに声をかける。

 

「彪如苑だな。早速だが渡してもらおうか」

 

「ああ。──おい」

 

 彪さんは三合会の人たちに声をかけると、一人が車のトランクから大きいキャリーケースを取り出した。

 

 ……まさかあの中に人間が入っているのだろうか。

 一体どういう状態で入っているのか少し気になるがその思いをすぐに消し去る。

 

 キャリーケースを受け取ったイタリア人は、そのまま数人を連れて中へ戻っていった。

 その様子を黙って見ていたのだが、やがて彪さんの前に立っているイタリア人が私に気づき声をかけられた。

 

「お前が洋裁屋か?」

 

「はい」

 

「そうか、てめえが……ボスが中でお待ちだ。来い」

 

 張さんが事前に話を通しといてくれたらしい。

 本当に感謝しかない。

 

 

 

 さて、ここから先は私一人だ。

 私は建物の中に入る前に彪さんと他四人の三合会の人たちに向き直る。

 

「お仕事の邪魔をして申し訳ありませんでした。ここからは私一人で大丈夫ですので」

 

「大哥からは“見届けろ”と言われた。だから俺たちも着いていかせてもらう」

 

 彪さんのその言葉に私は驚いた。

 だが、これ以上私個人的な事に巻き込むわけにもいかない。

 その考えを伝えるため「しかし」と言葉続けようとしたが、別の一人がそれを遮る。

 

「これは大哥の命令だ。あんたの指図は受けねえ」

 

 その人はここに向かう前に私を「お嬢様」と呼んだ人だ。

 どうやら私はこの人に相当嫌われているらしい。

 恐らく自分のボスがこんな普通の女のために色々と世話しているのが気に入らないのだろう。

 

 これはあくまで憶測なので真実はわからないが。

 

 その言葉を聞いて私が黙っていると、中へ誘導しようとしていたイタリア人から「早くしろ」と催促された。

 こんなところで押し問答していても仕方ないので一人で行くことを素直に諦める。

 

「……では、もう少しだけ私の用事にお付き合いください」

 

 そう一言言って私は足を動かした。

 その後ろから三合会の人たちが着いて来ているのを背中で感じながら、イタリア人の誘導に従い建物の中へと入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──どうやら建物は二階建てで、階段を上り廊下を真っすぐ進むと一つの扉の前に止まった。

 私の前にいるイタリア人がコンコンとノックをし「失礼します。連れてきましたボス」と声をかけるとドアの向こうから「入れ」と男の声が返ってきた。

 

 ドアを開け目に入ったのは、大きいテーブルを挟むように置かれたソファが二つ。

 そして奥のソファに腰かけながら煙草を吸っている金髪の男と、その後ろにはこちらを睨みつけている数人の部下らしき人達。

 

 私が部屋に入ってきたのを見て、金髪の男が声をかけてきた。

 

「随分いかつい野郎どもを連れて、いいご身分だな」

 

 この挑発めいた言葉を発している男がコーサ・ノストラのボス、ヴェロッキオだろう。

 そう判断し、ソファに座らず立ったまま挨拶を済ます。

 

「Mr.ヴェロッキオとお見受けいたします。私、洋裁屋を営んでおりますキキョウと申します。お忙しいところにお邪魔してしまい申し訳ございません」

 

「ふん、礼儀は正しいようだな。まあ座れ」

 

 そう促されるがまま、私は「失礼します」と一言断り手前のソファに腰掛ける。

 ソファの後ろには彪さんを含めた五人の三合会の人たちが立っている。

 本当ならここに座っているのは張さんのはずだったのだろうが、今はそれを気にする余裕がなかった。

 

「張から話は聞いている。……で、俺の元部下を誑かした洋裁屋が何の用だ」

 

「話を聞いていただけることにまずは感謝いたします。──私の話はたった一つ、あの男が集めていた服。それを回収する許可をいただきたいのです」

 

 意外とすんなり話を聞いてくれることに少々驚いたが、堅苦しい挨拶をそこそこに切り上げ本題を口にする。

 ヴェロッキオさんが私の言葉を聞いて片眉を上げたのが見えたが、やがて静かに言葉を発した。

 

「あいつが集めていた服か。確かにあいつの家にはコレクション部屋があるが……てめえは俺の元右腕を誑かした女だ。そんな奴からの頼みごとをはいどうぞと受けると思うか?」

 

「そんなことは微塵も思っておりません」

 

 予想していた通りの言葉が返ってきた。

 相手からしたら私はこの男の言葉通り№2の立場にいた男を“誑かした”ように見えているのだから当然の反応だろう。

 

 やはりちょっとした手土産は役に立ちそうだ。

 

 

 

 私は持ってきていた黒いハンドバッグをテーブルの上に置き、中身が見えるように開けた。

 

 中身を見たヴェロッキオさんは多少なりとも驚いているようだった。

 それは周りにいた人間も同じようで動揺の声が上がったが気にすることなく話を続ける。

 

 

「二十万ドル。これであの男の所持している服を“買い取らせて”いただく、というのはいかかでしょうか?」

 

 そう、私が持ってきたのは取引するための金だ。

 今の私に出せるのはこれくらいしかない。

 マフィアとの取引ならこれが一番手っ取り早いだろう。

 

 

 だが、何かマフィアなりの矜持があるのか素直には頷いてくれなかった。

 

「……金を積めりゃいいってもんじゃねえ」

 

「申し訳ありません。私はマフィアでもなんでもないただの洋裁屋ですので金以外何も出せません。──左腕が折れてなければ服を仕立てることもできたのですが、貴方の部下……失礼しました、元部下のおかげでこの有様ですのでそれはできません」

 

「……随分生意気な口を利くじゃねえか。張のお気に入りだからっていい気になってんじゃねえぞ」

 

 私の言葉が気に食わなかったのか、ヴェロッキオさんだけでなく周りのイタリア人まで苛立ったような表情を浮かべた。

 今この部屋の空気は極度の緊張感で溢れている。

 

 普段ならこんなところに来るのは御免だが、来てしまったものはしょうがない。

 私は怖気づくこともなく向けられている鋭い視線から逃げずにヴェロッキオさんの言葉に返答する。

 

「お言葉ですが私はその立場に甘んじているつもりは全くありません。もし、ここで私が貴方に殺されてもあの人は何も感じないと思いますので、私を殺すべきだと判断したならば撃ってもらって構いません。後ろの方々もそれは承知しています」

 

 張さんは彪さんたちに“見届けろ”とそう言った。

 私が殺されかけても何も手は出さないし、起こったことをそのまま張さんに伝えるのがこの人たちの仕事だ。

 つまりはそういうことである。

 

 

 

 私の返答にヴェロッキオさんは鼻で笑った。

 

「は、たかが服ごときに命をかけるってか?」

 

「でなければこんな姿でここには来ません。──このまま他の誰かにあの男が集めている服が処分されるのを黙って見ているくらいなら、命を懸けてマフィアと取引したほうがよっぽどいい。だから私はここにいます」

 

「……」

 

 鼻で笑いながら言うその言葉に一瞬の間もなく返答する。

 私の言葉に何を思っているのか黙ってしまったが、その間も私は視線を外すことはなかった。

 

 だがその沈黙も一瞬で、再び口を開き締めの言葉を発する。

 

「Mr.ヴェロッキオ。どうかこの無様な洋裁屋の取引に応じていただけないでしょうか?」

 

 さあどうする。

 

 私は言うべきことはすべて言った。あとは相手の返答を待つだけだ。

 了承を得られれば万々歳、殺されればそれまで。

 

 しばらく沈黙が続き、その間ヴェロッキオさんは色々と考えているようだった。

 答えが出るまで待つしかないので私もそのまま言葉を発することなく返答を待つ。

 

 

 

 

 

 だが、返答は私の思いもよらないところから飛んできた。

 

「ボス! こんな女のいうことなんざ聞く事ないです!」

 

 ヴェロッキオさんの後ろに立っていた一人の部下が私に銃を向けながらそう叫んだ。

 その部下の顔は怒りで顔が真っ赤になっており、銃を持っている手も震えているようだった。

 

 そんな状態であっても、私の後ろに立っている人たちは身じろぎ一つもしない。

 流石張さんが信頼する部下だ。

 命令に忠実で、自分たちは何もせず起こっていることをそのまま見届ける気満々だ。

 

 私としてはそれが逆にありがたい。

 さっきヴェロッキオさんに「この人たちは何もしない」と告げたのでもし動いてしまえばそれが嘘になり、取引に応じてもらえる可能性が無に帰る。せっかく張さんがくれた機会だ。無駄にはしたくない。

 

 

 やがて銃口をこちらに向けている男は怒りを隠すことなく怒鳴り散らす。

 

「てめえが兄貴を誑かしやがったせいでこんなことになったんだ! 今ここでぶち殺してやる!」

 

 “兄貴”とは恐らくヴェスティのことなのだろう。

 

 なるほど、確かに張さんの言う通りあの男はコーサ・ノストラでは慕われていたらしい。

 慕っていた人物が自分たちを裏切るなんて考えたこともなかったのだろうし、この人にとっては相当ショックな出来事だったのだろう。

 だからヴェスティの裏切りを人のせいにしたいのかもしれない。

 

 だが、私にはそんなこと何一つ関係ない。

 誑かした覚えはこれっぽっちもないし、あの男の子供じみた行動を私のせいにされるのは心外だ。

 

 口からため息が出そうになるのを我慢して、できるだけ冷静に返答する。

 

「お言葉ですが、あの男はただ自分の我儘が通らなかったことに腹を立てて一連の事を起こし貴方がたを裏切った。それを私のせいにされては困ります」

 

「うるせえ! てめえのせいで兄貴は……!」

 

「……貴方は自分たちを裏切った人間をまだ“兄貴”と慕うのですか?」

 

 どうやら本当に尊敬されていたらしい。

 ここまで来たらもはや洗脳されているんじゃないかと疑いたくなる。

 

 周りのイタリア人達はその男を諫めることなくただ黙って見ている。

 ヴェロッキオさんに至っては新しく煙草に火をつけ顔を下に向けており、ここからじゃ表情は窺い知れない。

 

 男は未だに銃をこちらに向けたまま、私の言葉には反応せずさらに叫び続けた。

 

「あの人は俺たちの誇りだったんだ! てめえさえいなけりゃあの人も妙な気を起こさずに済んだ! てめえのせいだ!」

 

「……」

 

「今からてめえを地獄に送ってやる!」

 

 誰も止めない。そして、私も止めることはできない。

 きっと数秒後には引き金を引かれ、体のどこかには穴が一つ増えるだろう。

 だが、命を懸けて取引したのだ。後悔はない。

 そんなことを思いながらも、私は怒りで焦点が合わなくなっている男を見続けその時を待つ。

 

 

 

 そして数秒後、部屋に一つの銃声が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──のだが、私の体には何の衝撃もこなかった。

 

 代わりに今まで銃をこちらに向けていた男が苦痛の表情を浮かべていた。

 男は撃たれた腕を抑えながら、自身を撃った人物に声をかける。

 

「……ボ、ボス? なんで」

 

 男を撃ったのはヴェロッキオさんだった。いつのまにか銀色の銃を懐から出し、自分の部下の腕を撃ったのだ。

 その証拠に銃口からは煙が出ている。

 

 これには他の部下も驚いているらしく大金を見た時よりも動揺の波が広がっていた。

 後ろの三合会の人たちは分からないが、私も驚いている一人である。

 

 ヴェロッキオさんは煙を吐き出し、まだ吸えそうな煙草を灰皿に押し付けてからゆっくりと喋り始めた。

 

「どうやらこの女のほうがこっちの流儀を分かっているようだな。いいか、あの裏切り者をまだそんな風に慕うってんなら俺の下に置く理由も必要もねえ。そんなに好きなら一緒に地獄へ落としてやるぜ」

 

「そ、そんな! 俺はただ……!」

 

「俺は裏切り者やそいつを好いている人間を周りに置く趣味はない。──連れていけ」

 

 そう冷酷に言い放つと、他の男たちが数人で片腕を撃たれているイタリア人を引きずるように無理やり部屋の外へ連れ出した。

 連れ出されるまでずっと「待ってくれ」とか「離せ」とかいろいろ叫んでいたが、それに耳を貸す人間はどこにもいない。

 

 その叫びは部屋を出てからもしばらく続いたが、やがてそれも収まり再び部屋には静けさが戻る。

 

「洋裁屋」

 

「はい」

 

 沈黙の中、ようやくヴェロッキオさんが口を開き私に声をかけてきた。

 

「今回はてめえのそのどうしようもねえイカれ具合に免じて取引に応じてやる」

 

「ありがとうございます」

 

 その言葉は待ちに待った取引成立の報せを告げる言葉。

 イカレ具合に免じてというのはよく分からないが、なんであれ向こうが応じてくれる気になったのだ。理由なんかどうでもいい。

 

「ただし、一つ条件がある」

 

 安堵したのも束の間、今度は向こうから何か提案する気のようだ。

 その条件とやらを聞こうと身構えてから口を開く。

 

「……なんでしょうか?」

 

「その腕が治ったら俺の服を仕立てろ。とびっきり上等な奴をな。あそこまで啖呵切ったんだ、ぜひその腕前見せてもらおうじゃねえか」

 

 ……驚いた。

 まさかここで服を作れと言われるとは。

 

 少し拍子抜けだが、断る理由がないので快く了承する。

 

「それが条件であるなら、喜んで引き受けます」

 

 取引成立だ。

 

「回収するときはここに連絡しろ。部下たちには俺から話を通しておく」

 

 自身の懐からなにやら名刺のようなものを取り出しそう言うと、私の前に差し出してきたので遠慮せず手に取った。

 

「分かりました」

 

「話が終わったなら早く出ろ。俺は忙しい」

 

「はい。……では」

 

 私はソファから腰を上げ、部屋を出ようとドアに向かう。

 

「Mr.ヴェロッキオ」

 

 ドアの前まで来たときにその場で振り返り、私は改めて礼を言おうと声をかけそのまま言葉をつづけた。

 

「この度は取引に応じてくださり本当にありがとうございます。この借りはいずれ」

 

「これは正式な取引だ。だから貸し借りなんざ俺とお前には存在しねえ。とっとと行け」

 

「では、失礼いたします」

 

 

 

 一言そう残して、私は後ろに三合会の人たちを引き連れて今度こそ部屋を出た。






キキョウの前で電話した時の張さんはわざと英語で喋っています。
念のため、「お荷物」だということを認識させるためです。
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