ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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※注意※
若干の鬱要素あり。






48 往時渺茫の夢

 アンナと師の服を海の底へ葬った後、再びロアナプラまでレヴィと密室で揺られていた。

 

 ただ、意外と疲れが溜まっていたようで瞼が重く会話をする元気がでない。

 気を抜けばそのまま眠りについてしまいそうだ。

 

 そんな私の様子を見かねたレヴィの「着いたら起こす」という言葉に甘え、瞼を閉じ、壁に背を預けて短い眠りにつく。

 

 

 

 

 

「──い、おい。着いたぜ、起きろ」

 

「……ん」

 

 何分経ったかは分からないが街に着いたらしく、レヴィが肩を揺らしたことで私の意識は眠りから戻った。

 少し寝たせいか体が重く思うように動かない。

 

 それでもなんとか体に鞭を打って立ち上がり、外に出ようとその場から足を動かす。

 

 レヴィの後を着いていき甲板に出ると、ダッチさんがこちらに背を向け煙草を吸いながら立っていた。

 改めて礼を言おうとその背中に声をかける。

 

「ダッチさん、おかげですべて滞りなく終わりました。急な追加だったにも関わらず本当にありがとうございました」

 

「堅苦しいぜキキョウ。こんな簡単な仕事に五万ドルも落としてくれたんだ、文句はねえ。なによりあんたみたいに羽振りがよくて裏もない人間は珍しい。これからも仲良くやっていきたいもんだ」

 

「そうですね。では、また何かあったときは遠慮なく頼みます。次依頼するのはいつになるか分かりませんが」

 

「ああ、これからもぜひご贔屓にってな。記念にこれから一杯誘いたいところだが……あんたにお迎えが来てるぜ」

 

「え?」

 

 お迎え? 私を迎えに来てくれる人はいないはずなのだが、見間違いではないだろうか。

 首を傾げつつダッチさんが向いている方向へ目をやる。

 

 停まっている船の横には桟橋があり、それを目線で辿った先にここには来るとは思っていなかった人物。

 

 

 黒塗りの高級車を背後に、白いストールを首にかけ黒いロングコートを靡かせながらその人はこっちを向いていた。

 

 

「……なんであの人がここにいるんですかね」

 

「さあな。ただ、早く行ってくれねえと俺が睨まれちまう」

 

 だからさっさと降りてくれ。という言葉が後ろに続き、私は困った顔をしていたように思う。

 とりあえず船から降りようと未だに重い足を動かしたとき、レヴィに「また今度一杯やろうぜ」と声をかけられ「そうだね」と微笑みながら返し甲板を降りる。

 

 

 桟橋を渡り、ここにいるはずのないその人の近くまで歩みを進めると声をかけられた。

 

 

「やるべきことは終わったのか?」

 

「はい。……どうして貴方がここに?」

 

「姫を迎えに行くのは騎士の役目だろう? ま、姫というにはちとボロい姿だがな」

 

「なら騎士らしくもっと綺麗な姫のために動くべきでは?」

 

「騎士にも選ぶ権利はあるんだぜ。俺はお前の迎えなら喜んで動くぞ?」

 

「心にもないこと言わないでください」

 

「嘘はついていないんだがな。……ひとまず帰るぞ、ここじゃ落ち着いて話もできん」

 

 いつものようにどう反応したらいいか分からない冗談を言い終えると、いつのまにか車の外に出ていた彪さんがドアを開けそこに張さんが乗り込んだ。

 

 にも関わらずドアを閉めようともせず、彪さんはこっちを見てくる。

 

 

 ……まさか本当に私を迎えに来たのだろうか。

 いや、そんなことあるはずがない。この人はマフィアのボスだ、そんなことでわざわざ動く理由がないだろうし。

 

 そんなことを思っていると「早く乗れ、潮風がきつい」と車の中から催促がかかった。

 

 

 先ほどの眠りからちゃんと目覚めていないのか上手く頭が動かせない。

 

 

 それもあって色々考えていたことを放棄し“失礼します”と一言断るのを忘れず素直に車に乗る。

 

 ドアを閉めると彪さんは運転席に座り、そこからすぐ車のエンジンがかかるとラグーン商会の船が早くも遠くなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 車に揺られ二十分ほど経っただろうか。

 その間はほとんど誰も言葉を発さず、沈黙が大半を占めていた。

 

 一回だけ私が「煙草吸わないんですか?」と尋ねると「お前の前では吸わないことにしてる。匂いが着いたら職業柄大変だろうからな」と返された。

 だが、ここは張さんの車の中なので今度は私が気を遣う番だと思い「私の家で吸わなければ問題ありませんよ。ですからお気になさらず」と返答する。張さんはその言葉を聞いて「そうか、なら着いた後に隣で吸わせてもらうさ」とだけ言って吸うことはなかった。

 

 

 それが最後の会話だ。

 

 

 

 やはり眠気が抜けきっていないのか体と頭が重い。

 そのせいもあって喋る元気がなかった。

 

 私は窓の外に目をやり、過ぎ去る街の景色を眺めながら隠れ家までの道中を過ごした。

 

 

 そして今、目的地である隠れ家に着き車が止まる。

 

 張さん側のドアが開き、先に降りるのを確認してから私も自らドアを開け外に出る。

 外の空気を肺に入れ深呼吸し、隠れ家の中へ入る張さんの後についていこうと足を動かす。

 

 

 

 

 その時、視界がぐらりと揺れた。

 

 

 

 

 

 思考がままならない頭では何が起きたか分からず戸惑ったが、なんとかその場から動き張さんの背を追う。

 だが、動けば動くほど目の前が更にぐにゃりと歪み平衡感覚がなくなっていく。

 

 

 歩みはどんどん遅くなり、ついには止まってしまった。

 

 そんな私を見かねた張さんが振り返り呼びかける。

 

「キキョウ?」

 

 近くにいるはずなのにどこか遠くから聞こえるその声に、踏ん張って重い足を上げ一歩進もうとした瞬間。

 とうとう足がもつれてしまい重力に逆らうことなく体は地面に引き寄せられる。

 

 

 あ、と思った時には遅く、受け身をとる態勢がとれない。

 

 

 このまま思い切りぶつけるかと思ったが、私の体は地面に打ち付けられることはなかった。

 

 

 

 

 代わりに感じたのは武骨な手の感触と、煙草の匂い。

 

 

 

 

「まったく、こうなるまで気が付かなかったのか?」

 

 

 朦朧とする意識の中で、誰かが私の体を受け止めていると理解した。

 何をしているんだ私は。こんなところで倒れたら迷惑がかかるだけだ。

 

 僅かに残っている思考回路で咄嗟にそう思い、受け止めてくれている誰かにいつもより調子の悪い声で言葉をかける。

 

「すみ、ません。大丈夫、ですから……」

 

 なんとか立ち上がろうと力を入れようとするが体が言うことを聞かない。

 何でもいいから早く動け、と念じても無情に指一本動かすことができなかった。

 

 諦めずにもう一回体を動かそうと力を入れようとした時、急な浮遊感に驚き思考が止まる。

 一体何が起きているのだろうか。

 

「今は何も考えるな」

 

 すぐ近くで声がする。

 歪む視界の中で誰かがこちらを見ていることに気づいたが、はっきりと顔を見ることができなかった。

 

 最早なにも考えられない。再び重くなった瞼を閉じ、視界から光を遮る。

 ゆらゆらと揺れている体を動かすことを放棄しその言葉通り考えることをやめた。

 

 

 

「弱ってるお前もたまにはいいな」という声を遠くで聞きながら私は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

『──お願いします! もうこの子には手を出さないでください!』

 

 

 

 声が聞こえる。

 とても、懐かしい声。

 

 

 

 誰の声だったか。

 

 

 

 その声がする方向に目を向けると、綺麗な女の人が小さな女の子を抱きしめている。

 そして、それを冷たい目で見下ろす一人の男。

 

 

 

 

 

 これは……なんだ。

 

 

 

 

 

 

『お前はちゃんと母親だな。だが、俺の妻としては失格だ。どけ』

 

『お願いします! もうやめてください!』

 

『どけ』

 

『母さん!』

 

 女の人が男にぶたれ倒れてしまう。

 

 

 

 

 そうか、これはあの時の……。

 

 

 

 ああ、だめだ。これ以上は。

 

 

 

 

 次の瞬間、男が女の子に向かって拳を振り下ろす。

 

 

 女の子は叫びながら必死に抵抗する。

 

『なんで! あんたはいつもそうやって! どうして母さんを!!』

 

 

 なんで、どうしてと泣き叫ぶ女の子は腕を折られ悲痛な叫びをあげる。

 痛みで抵抗しなくなった女の子を男は無言で殴り続けた。

 

 

 

 

 

 ……そうだ、それでいい。そのままその女の子を

 

 

 

 

『逃げなさい!』

 

 

 

 その声とともに女の人は、女の子から男を引きはがして必死に止めていた。

 女の子は困惑し微動だにしない。

 

 

 

 ダメだ、ここで逃げるな。逃げたら君は後悔する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 君がその人を逃がさなければいけないのだ。

 

 

 

 

 

 

『逃げなさい“  ”!』

 

 

 

 

 最後は何て言ったのか聞き取れなかった。

 

 そして女の子はその声に反応し走り出してしまう。

 

 

 

 

 

 ……待ってダメ。

 

 

 

 

 

 

 

 お願い待って。ダメだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ダメだダメだダメだッ! お願い! 行かないで! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くを行く女の子を止めようと後を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 君が逃げたら誰が! このままだとあの人は……!

 

 

 

 

 お願い待って! 止まって!! 

 

 

 

 

 

 

 

 必死に大声で声をかけてもますますその姿は遠のいてしまう。

 それでも追うことをやめられず、ただ走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──走り続けているといつの間にか景色が変わっており、どこだろうかとあたりを見渡す。

 

 

 

 

 

 

 そこは、また懐かしい場所。裁縫道具と布に囲まれている部屋。

 

 

 

 

 

 

 そういえばあの人は……

 辺りを見渡し、後ろにあの女の人がいたことに安堵する。

 

 

 

 ちゃんと逃げれたのか、よかった。

 

 

 

 

 そう思ったのは一瞬で、視界に入った顔はあの人ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔はよく似ている。だが別人だ。

 黒く腰まである髪。無表情で虚ろな目をして女の人は裁ちばさみを持っている。

 

 

『“  ”、遅いぞ。茶はいらないから早く話をしよう』

 

 

 遠くから呼び掛けるその声は、さっきまで女の人と女の子を殴っていた男の声。

 

 

 

 

 その声が聞こえてきた方へ目の前の女の人は歩みを進める。

 

 

 私は地に根が張ったように足を動かすことができず、ただその後姿を見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 映画が流れているように見せられたそれは、未だに脳裏に焼き付いて離れないかつての日々。

 

 

 

 ずっと目を背けていたいその景色を見たせいか背中と右腕が痛みだす。今そこは怪我していないはずなのに。

 

 

 

 

 痛みがどんどん増してくる。

 

 

 

 痛い……熱い……。

 

 

 

 痛みで息がうまくできずうずくまる。

 

 追い打ちをかけるように、火を押し付けられているような熱さが背中に何回も刺さる。

 

 

 

 痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛い痛い痛い痛い──

 

 

 

 

 

 

 

 いつになったらこの痛みは、熱さは収まる。

 

 

 

 

 もうやめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛い。もう、嫌だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──キ──ウ』

 

 

 

 

 

 

 

 また声が聞こえる。もう一回あの画を見なければならないのか。

 はたまた別の画なのか。

 

 

 

 

 

『──キ──キョ』

 

 

 

 だが画は始まることもなく、何を言っているか分からない声がまた響く。

 

 

 

 

 なんだろうか。よく聞こえない。

 

 

 

 

『──キキョウ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “キキョウ”

 

 

 

 

 

 

 

 あの悪徳の街での私の名前。

 あの人が『いい名だ』と言ってくれた名前。

 

 

 

 誰かが呼んでいる。行かなきゃ。

 

 すぐ、そっちに行くから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──右の頬に冷たさを感じ、意識が底から戻ってくる。

 

 瞼を開け、目の前に広がるのは見たことのない白い天井。

 

 ここは、どこだろうか。

 

 

 

「キキョウ」

 

 

 先ほど聞こえてきた声が上から降ってくる。

 今度ははっきりと近くで聞こえるその声の方に目を向けると、こちらを見ている張さんがいた。

 

 体が熱い。

 おかげで目が潤んでしまっていて表情がはっきり見えない。

 

 おまけに喉が渇いているせいか声が出しにくい。それでもなんとかか細い声で呼びかける。

 

「張、さん……?」

 

「起きたか」

 

「……ここは」

 

「隠れ家の寝室だ」

 

 

 寝室。

 さっきまで私は外にいたはずだ。どうしてベッドで寝ているのだろうか。

 

 

 未だにうまく回らない頭で覚えている限りの記憶を辿る。

 

 

 

 

 ……ああそうだ、急に体が重くなって倒れたんだった。

 そしてそのまま誰かに受け止められたような。そこはあまり覚えていない。

 

 受け止めてくれた人物を思い出そうとしていた時、再び上から声が降ってくる。

 

「お前、普段ちゃんと食ってるのか?」

 

「……はい?」

 

「まさかあそこまで軽いとは思わなかったぞ」

 

 

 

 

 待て、ちょっと待て。

 この言い方だとまるでこの人が運んだみたいじゃないか。

 

 

 これ以上この人に迷惑をかけるわけにはいかないのに、そんなことをさせたのなら土下座だけじゃ済まされない。

 

 

 

 ……いや、まだそう決まったわけじゃない。だが念のため確認しなければ。

 

「張、さん。私をここまで、運んでくださったのは……」

 

 

 乾いている喉からまたか細い声を出し、恐る恐る疑問を投げかける。

 すると一呼吸間を空けてから上機嫌な声で答えが返ってきた。

 

 

「運ぶのには苦労しなかったな」

 

「……」

 

 

 

 

 土下座しよう。

 

 

 

 忙しい中私の身勝手な我儘を聞いてくれただけでなく迎えにまで来てくれた。

 そんな人に更に迷惑をかけたならちゃんと謝罪しなければ。

 

 折られた腕の方は包帯が外されているが、ギプスはそのままのためいつもより動きづらい。それに構わず起き上がろうと重い体に力を入れモゾモゾと動く。

 それを見かねた張さんが「おいおい、無理に動くな」と諫めてきたが、その声を聞き入れることなく動き続けなんとか上半身を起こすことができた。

 

 

 その瞬間、再び視界が歪み頭がくらくらし始めた。

 

 今度は手で体を支えたおかげで倒れることはなく、そのままの体勢を保ち眩暈が収まるのを待つ。

 

 

 

 動かなくなった私に、また張さんが声をかけてくる。

 

「何をしようとしてるのか知らんが、今はとりあえず寝てろ」

 

「……貴方に迷惑、をかけたのに、寝るわけには」

 

「はあ」

 

 私の言葉を聞いてため息をついたかと思うと、息を吸う度走った後のように上下している肩を掴んできた。

 

 

 驚いたのも束の間。後頭部に手が添えられ、そのまま抵抗できる間もなく後ろに押し倒される。

 不思議と衝撃を感じることなく、静かに体がベッドに沈む。

 

 

 

 

 歪んだ視界がはっきりし始めると目と鼻の先に張さんの顔があり、体の上に覆いかぶさられている状態だと気づいた。

 

 

 

 どうしてこうなっているのか分からず戸惑っている間に、かけていたサングラスを外し普段からは想像もつかない愛嬌のある顔を露にして言葉を発する。

 

「俺はお前の我儘を聞いた。なら、今度は俺の言うことを聞いてもらいたいもんだなキキョウ」

 

「……しかし」

 

「だってもしかしもない。──迷惑だと思ってるなら早く治して一杯付き合え。謝罪なんかよりそっちの方が断然いい」

 

「……」

 

 きっとこの人は私が何をやろうとしたのか分かっているのだろう。

 そうでなければこんなこと言うわけがない。

 

 

「その時に粧しこんでくれれば尚嬉しいね」

 

「……粧しこんでも、何も変わりませんよ?」

 

「俺のために手間暇かけたっていうのがいいんだよ。普段着飾らないお前が、な」

 

「あまり期待、しないで、くださいね」

 

 息苦しく言葉が途切れ途切れになってしまう。

 それでも心はさっきよりも穏やかになっていて、この会話が心地いいとさえ思っている。

 

 

 

 私の言葉に満足げに口の端を上げながら熱くなった右頬に触れてきた。

 その手の冷たさがまた心地いい。

 

「お前こそあまり俺を焦らさないでくれよ? ──ああ、早く着飾ったお前を拝みたいな」

 

 そう言いながらも頬を撫で続けているので、『この人は頬を撫でるのが好きなのだろうか?』と

 不思議に思ったが抵抗する力もないので特に何も言わず、心地よい手の冷たさに酔いしれようとした。

 

 

 のだが、次の瞬間飛んできた声でそれは叶わなかった。

 

「なら病人相手に口説くのをやめたらどうですか張大哥。それとも、無抵抗な女の子を無理やり犯すのがご趣味で?」

 

「お前の患者の状態をこれ以上悪化させないようにしただけだ。そう怒るな」

 

「どうだか。貴方だったら面白そうとかいってやりかねませんからね」

 

「手厳しいな。……ま、弱ってるところにつけこむのも悪くはないが」

 

 上に覆いかぶさっていた体が動き、右頬から手が離れる。サイドテーブルの上に置いていた自身のサングラスをかけ「そんなのはつまらん」と言葉を続けてベッドから腰を上げた。

 

「もしやるならアタシの目の届かないところでお願いしますね。……キキョウちゃん、体調はどう?」

 

「リン、さん?」

 

 私の目に入ってきたのは、昨日顔と腕に治療を施してくれたリンさんだった。

 リンさんは私の顔を見て「意識はしっかりしてるわね」と呟いた後、すぐ張さんに声をかけた。

 

「大哥、後はアタシが」

 

「ああ。──じゃ、キキョウ。ちゃんとそいつの言うこと聞くんだぞ」

 

 そう言い残し近くの椅子に掛けているロングコートを手に取り羽織ると、そのまま部屋を出て行ってしまった。私はその背中に声をかけようとしたがすぐ見えなくなってしまう。

 

 

 せめて、お礼ぐらい言いたかった。

 

 

 

「とりあえず水飲みましょうか。はい、口開けて」

 

 寝っ転がったまま微動だにしない私に、リンさんは病院とかでよく目にする吸い飲みを差し出してきた。

 

 

 そろそろと吸い口部分を口に含み、乾いている喉に水を流しこむ。

 

「倒れたのは疲労と怪我による体力消耗が原因よ。いわゆる発熱。ちゃんと薬飲んで寝とけば治るから、それまでは絶対安静。分かった?」

 

「……はい」

 

 熱を出すなんて何年ぶりだろうか。久しぶりすぎて感覚を忘れていた。

 

「次は汗拭きましょ。起き上がれる?」

 

 

 

 その言葉になんとか体に力を入れ動こうとしたが上手くいかない。

 私の様子を見かねたリンさんが後頭部と背中に手を添えて起き上がるのを手伝ってくれた。

 

 床に足をつけ、ベッドの端に座っている形になる。

 この動作だけでも一苦労だ。

 

 

 

「はい、じゃ服脱ぎましょ」

 

「え」

 

「脱がないと拭けないでしょ? それにそんな汗が染みこんだ服をいつまでも着るわけにいかないし」

 

 

 

 これは困った。服を脱ぐということは肌を見られるということだ。

 そしてきっと“背中”も見られる。他は別にいい、ただ背中だけは見られたくない。

 

 

 これは私の我儘だということも分かってる。だが、どうしてもそれだけは避けたかった。

 

 

「あの、自分で拭きますので」

 

「はあ? 何言ってるの、起き上がるのさえ自力でできないのに無理よ。それに片腕でできるとは思えない。何、見られたくないものでもあるの?」

 

「……」

 

 リンさんの一言に言葉が詰まる。

 

「でもダメよ、あなたはアタシの患者。医者の言うことに従ってもらうわ。はい万歳」

 

「ちょ……!」

 

 有無を言わさず服を脱がされそうになる。わずかな力で抵抗しようとしても意味をなさず、そのままTシャツを脱がされ上半身は下着姿になった。熱くなった体が外気に触れて少し寒気を感じる。

 

「あら、別に変なところないじゃない。じゃ、下着も脱がすわね」

 

「……」

 

 リンさんがブラを外そうとしている間、私はどうすれば背中を見られずに済むのか考えていた。だが、思考が回らない頭では考えつくはずもない。

 どこかから持ってきたタオルを手にしながら「拭いていくわね」と上半身の前半分をどんどん拭いていく。

 

 

 どうしようどうしようと焦っている間、前部分が拭き終わってしまい「次背中いくわね」と告げられ反射的にその手を掴んでしまった。

 

 リンさんは「これじゃ拭けないわ、離しなさい」と淡々と返してきた。

 

「……」

 

 その言葉に思わず黙っていると、掴んでいる手の上にそっと綺麗な手が乗せられる。

 

「大哥も言ってたでしょ? “言うことを聞け”って。あなたが何を見せたくないのか知らないけど、これはアタシの仕事。だからあなたの我儘は聞かない」

 

 リンさんはそう告げると、無情にも手を振り払い後ろに回る。

 その途端、背中を見たのか動きが止まる。

 

 

 

 ああ、見られたくなかったな。

 

 

 

「……これがあなたの見せたくなかったもの?」

 

「……汚い、でしょう? 子供の頃から、この状態です」

 

 私の背中は無数の火傷痕で埋め尽くされている状態だ。綺麗な部分はどこにもない。

 傷は完全に治っていて痛くはないのだが、痕が消えることはきっと一生ないだろうと諦めている。

 

 

「確かにこれは酷いけど、別に汚いとは思わないわね」

 

「……え?」

 

「ただ単に見慣れているだけかもしれないけど、とにかくアタシは気にしないから。じゃ、拭いていくわね」

 

「……」

 

 

 背中にタオルが触れる。

 瞬間体が強張ったが、優しく汗が拭かれていく感触に段々力が抜けていく。

 

「はい、終わり。とりあえず上に何か着ましょうね」

 

 そう言って部屋の奥にあるタンスからパジャマのような服を取り出すと、そのまま袖に腕を通される。

 

「はい、じゃ体楽にして。そのまま足を拭くから」

 

 リンさんは一言そう告げると衝撃が来ないように後頭部と背中に手を添え、再び私の体は静かにベッドに沈んだ。そしてそのままズボンを脱がし、新しいタオルで黙々と拭き始めた。

 

 やはりリンさんもこの街の住民だからなのか、この程度の痕には驚く様子一つ見せていない。

 詮索することも心配することもなく普通に仕事をこなすその様子に、私は有難さを感じていた。

 

 お礼を言おうと思ったがこの人はただ仕事をしているだけであり、わざわざ自分から話を広げる必要もない。そう思い開いた口を閉じる。

 

 私は黙って、汗ばんだ体がさっぱりしていくのを感じながら目を閉じた。

 そのまま襲ってきた眠気に誘われるがまま意識を手放す。

 

 

 

 

 今度はあの夢を見ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから三日間、熱が長引いてしまいリンさんに付きっきり面倒を見てもらう事になるとはこの時の私はまだ知らない。









昔の夢を見る→張さんにお姫様抱っこされたのを知る→土下座しなきゃ→押し倒される

熱でてるのに大変だなあキキョウ((





そんなキキョウが何でも答えるコーナーを活動報告にて企画してます。
詳細は活動報告「キキョウが何でも答えるコーナー」にて。

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