ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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ここから原作編スタートです。










本編【原作】
1 同国人


 ──タイの南部に位置する街。

 三十五年前までただの寂れた港町だったその場所で毎日鳴り響くのは、銃声と断末魔。

 

 

 潮風に乗って血の匂いが漂う街の名は“ロアナプラ”。

 

 数多の危機を乗り越え『悪徳の都』として繁栄した現在、世界屈指のアウトロー達がひしめき合う。

 

 

 一九九七年、そんな犯罪都市に白いワイシャツにネクタイを締めた男がやってきた。

 

 

 名は岡島緑郎。

 つい最近まで日本でサラリーマンとして働いていたどこにでもいる普通の男。

 

 犯罪に手を染めたことがない“普通”である彼は、会社の陰謀に知らぬ間に巻き込まれ、海賊に拉致られ、挙句の果てには会社に見捨てられるという不幸に不幸が重なり悪徳の都に舞い降りた。

 

 今は自身を拉致した“ラグーン商会”という運び屋稼業に身を置き、喧騒の日々を送っている。

 

 

 そんな彼とラグーン商会の面々は、ロアナプラでも破壊された回数がダントツに多い“イエロー・フラッグ”という酒場でカウンターに座っていた。

 

 

「おいロック、なにそんなソワソワしてんだ。気色ワリぃ」

 

「いや、だって……」

 

「お前は告白前の女子か。まったく男なら堂々としろってんだ。なあベニー、お前からも何か言ってやれ」

 

「仕方ないさレヴィ。なんてったって、ロックにとっちゃこの街で初めての同国人だからね。緊張するのも無理ないよ」

 

 レヴィと呼ばれた女は「はッ」と鼻で笑うと自身の酒に口をつける。

 彼女の飲みっぷりに釣られるように金髪に眼鏡をかけている男、ベニーも酒を喉に通す。

 

「なあダッチ、その……本当に来るのか? 俺と同じ日本人の女性ってのは」

 

 そんな中、岡島、いや、ロックはラグーン商会のボスである大柄な黒人、ダッチにおずおずと尋ねる。

 

「ロック。さっきも言った通りここはアイツの馴染みの場所ってだけで、いつもいるわけじゃねえ」

 

「そりゃそうだけど」

 

「お前にできるのは、向こうがここで飲みたい気分になることを祈るだけだ。ま、この街にいりゃ嫌でも会えるさ」

 

 ダッチはそう言い放ち、グラスに口をつける。

 ロックはダッチの言葉に納得はしていないものの、何も言うことはなかった。

 

「おいおいロック、そんなに同郷の女が気になるのか? あわよくば仲良しこよしになろうって寸法かい?」

 

「誰だって同じ国出身の人間がいたら気になるだろ? それもあんな話を聞かされた後なら尚更だ」

 

 

 

 ──遡ること三時間前。

 

 ラグーン商会は特に仕事の依頼もなく、ダッチ、ベニー、ロックの三人はそれぞれ事務所でゆったりと過ごしていた。

 

 そんな暇を持て余している三人のいる部屋に、外に出ていたレヴィがドアを蹴破るように入ってくる。

 その様子に何事かとロックが声をかけようとするより早くレヴィが口を開いた。

 

「なあダッチ、今夜あたりイエローフラッグに繰り出さねえか?」

 

「おめえから誘ってくるのは珍しいな」

 

「さっきアイツに偶然会ってな。そこで今日あたり一仕事終わりそうだって聞いたもんだからよ」

 

「それでか。だが、今日来るとは限らねえだろ?」

 

「しかも、それは姉御の依頼なんだと。そんなヤマを終わらせたとあっちゃアイツが来ねえわけがねえ。それに、しっかり()()()()()

 

「成程」

 

「今度は絶対負けねえ。勝ったらこの間の飲み代の分も請求してやる」

 

「……なあ、さっきから言ってるアイツって誰の事?」

 

 部屋にいる中でただ一人話題についていけていないロックは耐えきれず疑問を投げかけた。

 その言葉に会話がピタリと止まる。

 

 ロックは「え、何……」と唐突に訪れた沈黙にたじろいだが、その空気を破ったのは部屋の端で話を聞いていたベニーだった。

 

「あー、そっか。ロックはまだ会ったことなかったんだっけ」

 

「あ、ああ。えっと、姉御ってバラライカさんの事だろ。あの人から仕事をもらうなんて相当腕が立つのかい?」

 

「ああ。なんせその腕を気に入ってんのは姉御以外にもわんさかいるんだこの街には」

 

「へえ。じゃあさっきの話からするとレヴィは直接やりあったことあるんだろ? どうなんだ実際」

 

「……あーロック勘違いすんなよ。アイツの仕事は殺しとかそんなんじゃねえ」

 

「え、違うのか? 俺はてっきり……。えーと、何か情報を流してるとか?」

 

「残念だがハズレだ」

 

「じゃあ武器か」

 

「アイツが武器流すどころか持ってるところも見たことねえよ」

 

「……」

 

 じゃあなんだ? この街で武器を持っていないなんて、俺が言えることじゃないが相当珍しい。

 

 ロックは眉間に皺を寄せて考える。

 その様子を口の端を上げて愉快そうに見ていたレヴィは「ま、分かるわけねえか」と再び言葉を発した。

 

「洋裁屋だよ、ロック」

 

「洋裁屋って……服を仕立てるあれか?」

 

「ああ」

 

「なんだ。割と普通な職業もあるんだな、この街には」

 

「やってることは確かに普通の洋裁屋と変わんねえな」

 

 レヴィはそこでようやくソファに腰かけ、ズボンのポケットから煙草を取り出し火をつける。

 ゆっくりと煙を吐きながら再びロックに向かって声をかけた。

 

「だがな、ロック。この街じゃアイツを普通なんて言う人間はどこにもいねえのさ」

 

「……どういう意味だ?」

 

「そのまんまだよ。なあロック一つおさらいだ。この街を牛耳ってる奴らは?」

 

「……イタリアンマフィア『コーサ・ノストラ』、コロンビアマフィア『マニサレラ・カルテル』、ロシアンマフィア『ホテル・モスクワ』。そして香港マフィア『三合会』。この四つのマフィアが街の利権を多く握っている、だろ? それがどうしたんだよ」

 

 レヴィの唐突な質問に訝し気になりながらも、この街で生きていく上で必要だと教えてもらった情報を口に出す。

 それが今更なんだというのか、と言いたげなロックに煙草を咥えたまま話を始める。

 

「アイツはな、その4つのボス共全員と身一つで渡り合って生き延びた人間だ」

 

「…………は?」

 

「しかも、今じゃその全員の服を仕立ててるんだと」

 

「ちょ、ちょっと待て。渡り合ったってどういうことだよ!?」

 

 マフィアのボスと渡り合うなんて一体どういう技を使ったのか。

 ただの洋裁屋がそんな芸当できるわけがない。

 

 発せられた言葉に思わず声を上げたが、レヴィはそんなロックの様子に驚くこともなく話を続ける。

 

「確か、三合会には銃を向けられて、ホテル・モスクワには胸倉掴まれて、コーサ・ノストラの時は自分から本拠地に乗り込んで、マニサレラ・カルテルは……なんだったか?」

 

「確か、ボスが連れてきた女が気に入らないとか言ったんじゃなかったっけ?」

 

「ああ、そうだそうだ。んで話の続きだがどの時もアイツは殺される寸前だった。が、さっきも言った通り武器なんざ持ってねえ奴で、いつも身一つで真正面から向かってったのさ。その結果、運がいいのか悪いのか生き延びてる。この街牛耳ってるボスども全員と対面するだけでも普通じゃねえってのに、殺意向けられた後も街を歩けているなんざ異常だ」

 

「……」

 

 話を聞いたロックは思わず絶句した。

 日本育ちで平和ボケした人間であっても今の話の異常さを理解している。

 

 マフィアのボスに目をつけられた人間が、こんな小さな町で生き延びられるわけがない。

 ましてや武器も持っていないなら尚更。

 

「いったいどうやって」

 

「本人曰く、『話をしただけ』らしいぜ。それだけで済むってならこの街から銃を引っさげた人間はいなくなるだろうな」

 

「じゃあ、口だけでマフィアのボスに気に入られたってことか!?」

 

「本当に口だけなのかは知らねえが、姉御と洋裁屋のパトロン様は“目”を気に入ったんだと」

 

「目?」

 

「詳しくは知らねえ。そういうのは本人に聞いてみるのが一番さ。気になるなら、お前も来るかロック?」

 

「……ああ──」

 

 この後流れるようにラグーン商会全員でイエローフラッグに向かうことが決まり、その道中で自分と同じ日本人だと知ったロックはさらに会ったことのない洋裁屋に興味を募らせた。

 

 

 ──そして、今。

 イエローフラッグのカウンターに座り、洋裁屋の登場を今か今かと待っているのだった。

 

 

「にしても遅えな。姉御のとこで何か話し込んでんのかねえ」

 

「ま、来ようと来まいと酒を飲むのは変わらねえがな」

 

「やっぱり今日は来ないのかな」

 

「いんや、アイツは絶対来る。だから安心しろよロック、もうすぐお望みのお姫様に会えるからよ」

 

「茶化すなよ」

 

 ロックはレヴィの軽口を流し、自身の酒を煽った。

 

 こんな地の果てで日本人、しかも武器を持っておらず身一つで生きている。

 

 なにからなにまで今の自分と同じ境遇である人間に興味が湧かないわけがなかった。

 もしかしたら、唯一自分と話が合うのかもしれないとまだ見ぬ人物に思いを馳せる。

 

「冗談が通じねえな。そんなお前に、もう一つアイツ絡みの面白え話をしてやるぜ」

 

「面白い話?」

 

「ああ、一人の洋裁屋を巡ってとあるクソ紳士が暴走したって話なんだが──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「──相変わらずいい仕事するわ。調子はいいようね」

 

「ええ、お陰様で」

 

「何か困ったことがあったらちゃんと言いなさいね? すぐ片付けてあげるから」

 

「ありがとうございます。ですが、貴女の“片づけ”はとても派手なので、どうしてもって時にお願いしますね」

 

「そうでもしないとここの連中は懲りないでしょ?」

 

「一応聞きますが、できるだけ穏便に済ませるって選択は」

 

「あると思う?」

 

「貴女も相変わらずで何よりです」

 

 目の前で微笑みながら優雅に紅茶を飲んでいるのは、ロアナプラの顔役の一人であるロシアンマフィア、ホテル・モスクワ タイ支部の女ボス──通称バラライカ。

 悪徳の都を支配し、街の住民から“火傷顔”と呼ばれ恐れられている彼女のそんな表情を見られるのは、ホテル・モスクワの組員を除くと指で数えられるほどしかいない。

 

 その中に、この街の隅っこでひっそりと洋裁屋を営んでいる女が入っているなんて、誰だってどこのおとぎ話だと笑い飛ばすだろう。

 

 

 5年前から洋裁屋キキョウとしてこの街に住んでいるが、幸か不幸か未だに生きている。

 ある人にひょんなことから目を付けられ、洋裁屋を営むようになってからはそれまでの日常ががらっと変わった。

 

 

 マフィア達に殺意を向けられたり、娼婦には騙され、馬鹿な男には商売道具である腕を折られたり。

 他にも私が仕立てた服を盗む人や、私が作った証であるマークをそこら辺の服に入れて売る人が出たり、私が何かマフィアの貴重な情報を知っていると勘違いしたおバカさんに拉致られたりもした。その度にパトロンであるマフィアの彼やバラライカさんが動いてくれたおかげで何とかなったのだが、まさに踏んだり蹴ったりである。

 

 

 

 他の人が聞いたらドン引くような散々な目に遭っているが、悪い事ばかりではなかった。

 

 

 好きな時に好きなように、作りたい人のために作ることができる環境ができたこと。

 お気に入りの酒場とお気に入りの酒が見つかったこと。

 一生忘れないであろう友人ができたこと。

 私が作った服が人に着てもらえること。

 

 これらをすべて与えてくれた我がパトロンには頭が上がらない。

 そんな彼とは、とある事件で救われた自身の腕と命を預けてからも服を依頼されたり、二人きりで飲むことが増えたりなど、ビジネスパートナーとして良好な関係が続いている。

 

 

 

 今日は得意先の一人であるバラライカさんから頼まれた服を完成させたので、服を届けるため彼女の拠点であるホテル・モスクワの事務所に足を運んでいる。

 

 彼女から依頼を受けた時は私が届けに行き、事務所の一室で紅茶を飲みながら談笑することが基本となっている。

 なので今回も例外なく恐らく高級品であろうロシアンティーを片手に二人で談笑している最中だ。

 

 

 

「そういえば、最近ダッチのところにアナタと同じ日本人が入ったって知ってる?」

 

 

 

 急に出てきた話題に思わず驚いた。

 アジア系ならたくさん見かけるのだが、日本人というのは全くいない。

 あんな島国からこんな街にわざわざ移り住もうなんて考えはまず浮かばないはずだ。

 

 ラグーン商会は街では有名な運び屋だ。その商会にメンバーが新たに加わっただけでもすぐ噂になるというのに、職業柄家に籠りがちだからか耳には入ってきていない。

 

 こういうところは未だに変わっていないのだと自覚する。

 

「その情報今知りましたよ。いつの間に……」

 

「一か月前くらいかしらね。中々のタフガイだったわよ、彼」

 

「もしかして、もうお会いになられたんですか?」

 

「ええ。アナタも近々会えるんじゃない? 同郷なら話が合うだろうし、仲良くしてあげてね」

 

「……そうですね、仲が悪いよりかは良い方がめんどくさくないですし」

 

「フフッ」

 

 バラライカさんは口の端を上げクスッと笑い、紅茶に口をつけた。

 私もそろそろお暇しようと温くなった紅茶を飲み干し腰を上げる。

 

「では、今日はこれで失礼します。紅茶美味しかったです」

 

「あら、もう少しゆっくりしてっていいのよ」

 

「マフィアの事務所に長居する訳にもいかないでしょう」

 

「今更そんな事気にするの?」

 

「気にしますよそりゃ。では、失礼します」

 

 頬杖を突きながら残念そうにしているバラライカさんに軽く一礼し、そのまま背を向け足を動かす。

 ドアノブに手をかけた時「相変わらず礼儀正しいわね」という言葉が聞こえたが、何も言わず微笑みで返しドアを閉め部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そうしてホテル・モスクワの事務所を出てから私は真っすぐある場所に向かっていた。

 

 一仕事終えた後は酒を飲むに限る。

 

 

 それに、服を届ける道中でばったりと出会ったレヴィに「イエローフラッグで待ってる」と言われている。

 実はレヴィから十回は超える飲み比べを挑まれているのだが、先に潰れるのは決まって彼女だ。

 それが悔しいのか毎回翌日には酷い二日酔いで悩まされるのにも関わらず、私が一仕事終えたと聞いた時は必ずと言っていいほど先にカウンターに座り勝負を挑んでくる。

 

 

「勝負しろ」と直接的には言わないが、今日のあれは確実にその申し出だろう。

 

 レヴィからの申し出に応じなかった時が一回だけあったが、あの時のように会う度無理やりイエローフラッグに連れていかれそうになるのは御免だ。

 

 まあ、私としては割と楽しく飲ませてもらっているので特に何も文句はないしこれからも受けれるときは受けるつもりだ。

 

 

 

 これからあの酒を飲めることと、酒場の賑やかな空気に浸れることに心を躍らせ足を動かす。

 

 

 

 

 そして二十分ほど歩けば、目当ての酒場が見えてくる。

 日が傾き始めたばかりだというのに、中からは馬鹿騒ぎしている声が聞こえてきた。

 

 今や押しなれた木製のドアを開けると、目の前にはいつもの光景。

 

 どのテーブルにも拳銃が置かれており、目つきの悪い男や露出の多い服を着た女たちが酒を片手に笑いあっている。

 アウトロー達が特に集うこの酒場には普通の住民は近づかないらしいが、私にとってもここは憩いの場なので通うのをやめるつもりは更々ない。

 

 そんな見慣れた店内を見渡すと、カウンターで横並びに座っているラグーン商会のダッチさん、ベニー、レヴィ、そして隣には見慣れない白シャツ姿の男性が座っているのが目に入った。

 

 もしバラライカさんから聞いた新入りさんが彼なのであれば、私はこの街で初めて日本人に会うことにある。

 

 こんな街に来る羽目になった同国人はどんな人なのか確かめてみよう、と止めていた足を動かしカウンターに向かう。

 

 

 

 

「──じゃあ、その人を巡ってマフィアと麻薬組織が争ったってことか?」

 

「ああ、しかもエセ紳士が連れてた子ネズミどもを一掃したのはあの姉御だ。騒動の後には“洋裁屋に手ぇ出すと三合会とホテル・モスクワに消される”って話で持ちきりだったよ」

 

「それは、怖いな」

 

「……」

 

 二人が話している内容が耳に入り、大体何を話しているのか分かってしまい思わず顔が引き攣った。

 ダッチさんとベニーはこちらに気づいているようだが、目の前の男女二人はどうやら気づいていない。

 

 

「レヴィ、その話あまりしてほしくないって私言わなかったっけ?」

 

 

 ため息を一つ吐いてから、話し込んでいる二人の背中に声をかける。

 白シャツの男性は驚いたのか一瞬ビクッと肩を跳ねさせ、レヴィは「ようキキョウ」と口の端を上げた顔をこちらに向けた。

 

「お前が来るのが遅いから暇つぶしに楽しい話をしてやっただけだ。それに全部本当の事だろ?」

 

「私を巡ってマフィアが麻薬組織と争って後始末までしたっていうのが? 一万歩譲ってもそれはないから」

 

「悪かった悪かった、もうこの話は終いにするよ」

 

 私の不機嫌さを感じ取ったのか相変わらず口の端を上げつつも半ば無理やり話を終わらせた。

 そして、私の方を指さし隣の男性に再び声をかける。

 

「てなわけでロック、こいつが待ちに待ったお姫様だ。キキョウ、こいつはうちの新入りのロックっていうんだ。日本人同士、仲良くしてやってくれ」

 

 そう言うと、レヴィは隣に座ってやれと言わんばかりに自らの席を空け一つ隣に移動する。

「では、お隣失礼しますね」と一言断ってから未だにこちらを見たまま何も言わないロックと呼ばれた男性の隣に腰かける。

 カウンター越しにいるバオさんと目が合うと、黙って『Jack Daniel’s』のボトルと氷の入ったグラスを出してくれた。

 

 ボトルを開け、グラスに氷が浸かるまで酒を注いでから男性と顔を見合わせ口を開く。

 

「先ほどの話、あまり気になさらないでくださいね。あれは根も葉もないただの噂話ですから」

 

「そ、そうなんですか……えっと、あの」

 

 顔を改めてみると、本当に日本人なんだなと実感する。そして今のスーツ姿も相まって日本のサラリーマン感が尋常じゃない。この街では所謂“浮く”格好だ。

 

 そんなことを思いながらグラスを差し出し、その行動の意味に気づいた彼と打ち鳴らしたグラスの音が響く。

 響きのいい音を堪能した後酒に口をつけ喉に通し、動揺しているのか落ち着きのないサラリーマン風の男性に再び話しかける。

 

「あ、自己紹介がまだでしたね。私はこの街でしがない洋裁屋を営んでるキキョウって言います。ま、覚えなくてもいいですよ」

 

「あ、その……俺は」

 

 この人は何故こんなにどもってるんだ。私はただ挨拶しただけだというのに。

 

 ……あ、もしかして

 

もしかして、日本語の方が話しやすかったりしますか? 

 

! ……いやその、想像してたのと少し違ってびっくりしてしまって。すみません

 

いいえ、謝ることじゃありませんよ。大抵ああいう話を聞いた人はもっと派手な人間を想像しますから、そういう反応は慣れっこです。……お名前を聞いてもよろしいですか? 

 

えっと、岡島緑郎です

 

 約6年ぶりに発した日本語に彼は安心したのかさっきよりも落ち着いて話してくれるようになった。

 

 ああ、だからロックなのか。見た目は全然Rockじゃないのに、なんて思ったことは言わないでおこう。

 

なんというか、その意外でした

 

え? 

 

貴女はどう見たって普通で、こんな街とは程遠そうな人間だなと。あ、そのすみません。失礼なことを

 

私からしたら貴方も意外ですよ岡島さん。なぜこの街に? 

 

 私は素直な疑問を岡島さんにぶつけた。

 こんな無害そうな顔をして一体何をやらかしたのか気になってしまう。

 

 まあ、言いたくないと言われたらそこで引き下がろう。

 そう思っていたのだが、意外にも岡島さんはすんなりと答えてくれた。

 

実は、勤めていた会社に見捨てられまして。行くところがなくなってレヴィに誘われて……とまあそんな感じです

 

では、今までは普通に暮らしてきたということですか? 

 

ええ、通勤するたび満員電車に揺られて、仕事が終われば酒を煽って。そんな普通の毎日でしたよ

 

日本に帰ろうとは思わないんですか

 

今のところ帰る予定は

 

……そうですか

 

 今の話が本当なら、この人はあの平和な国で平凡に過ごしてきたごく普通の人間だ。

 なぜ、そんな日常を捨ててまでこんな街に来たのか。

 

 

 まあ、恐らくそんな普通に嫌気がさして刺激を求めてってところだろうが。

 

 帰れるなら今すぐ帰れと言いたいところだが、彼の人生は彼の物だ。私がとやかく口を出すわけにもいかない。

 

 

 

 

 喉まで来ていた言葉を飲み込むように再び酒に口をつけ体に染み渡らせる。

 

 

 うん、やっぱりこのお酒は美味しい。

 

 

 口に広がるほんのり甘い風味に浸っていると、岡島さんがなぜか私の顔をじっと見ていることに気が付いた。

 

あの岡島さん、私の顔に何かついてますか? 

 

あ、いえ。その……すごく綺麗な目だなって。す、すみません……

 

そんな硬くならないでください。この街では数少ない日本人同士、仲良くしましょう

 

え、ええ。あの、キキョウさんはなぜこの街に? 

 

 その質問に思わず固まる。それを気取られないようすぐに顔を逸らし口を開く。

 

そうですね、私は

 

「おい、二人で盛り上がってるところ悪いが……なあキキョウ、そろそろアタシの相手をしてくれてもいいんじゃねえのか?」

 

 岡島さんの質問に答えようとする私の言葉を遮ったのは、しばらく会話の外に放り出されつまんなさそうにしていたレヴィだった。

 どう返答しようか迷っていたので、その横槍が今回ばかりは有難い。

 

 胸を撫でおろし、少し不機嫌になっているレヴィに苦笑しながら声をかける。

 

「ごめんごめん、久々に日本人に会ったからついね。でもレヴィ、もうすでに何杯か飲んでるでしょ? その状態でするつもり?」

 

「当たり前だ。アタシが勝ったらこの間の飲み代全部返してもらうぞ」

 

「はいはい。じゃ、折角だし今回はラグーン商会全員分の飲み代も賭ける? レヴィが勝ったら私が前回の飲み代を返して、更に皆さんの飲み代も払う。で、私が勝ったらレヴィが私と皆さんの飲み代を払う。これでどう?」

 

「上等だ。おいバオ! ありったけの酒用意しとけよ!」

 

「懲りねえなお前も。今までキキョウにゃ一回も勝ったことねえ癖に」

 

「うるせえ! 今回勝つからいいんだよ!」

 

 バオさんはレヴィの意気揚々とした姿に呆れていたがやめろとは言わなかった。

 

「すいませんダッチさん、勝手に巻き込んで」

 

「俺たちとしちゃどっちが勝っても飲み代がタダになるから文句はねえさ」

 

「というか、ほぼレヴィが払うの確定な気がするけどね」

 

「おいそれどういう意味だベニー!」

 

「そのままだよ」

 

 ベニーの言葉に思わず苦笑する。

 確かに一回も負けたことはないが今回は負けるかもしれないので、あまり自信を持ったことは言えない。

 

 飲み比べでいつも飲むのはレヴィがよく好んで飲んでいる『BACARDI GOLD』だ。

 私の好みから少し外れているが飲めないことはない程度。

 

 そのボトルと新しいグラス二つをバオさんが私たちの前に出すと、レヴィは愉しそうにボトルを開けグラスに酒を注ぐ。

 

「よし、キキョウ。今日こそぜってえお前に勝つ」

 

「今日も楽しもうね、レヴィ」

 

 私たちはそう言葉を交わし、互いのグラスをぶつけ響きのいい音を奏でた後ほぼ同じタイミングで一気に酒を呷った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロック、今日はレヴィの奢りらしいからたくさん飲んどきなよ」

 

「いやベニー。まだレヴィが負けると決まったわけじゃ」

 

「さっきバオも言ってたろ? 一回も勝ったことがないって。つまりはそういうことだよ。なんなら賭けてみるかい? 僕はキキョウに2。ダッチは?」

 

「キキョウに3だ」

 

「ロックは?」

 

「……彼女、そんなに強いのか?」

 

「すぐに分かるよ。どうする?」

 

 ロックは隣で酒を呷り続ける二人をちらりと覗き「レヴィに2」と呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──その三時間後のカウンターには、空になったBACARDI GOLDが十数本空いたところで潰れたレヴィとは反対に酔ったそぶり一つも見せないキキョウの姿があった。

 

 酒に強い彼女が潰れているだけでなく、顔色一つ変えていない洋裁屋にロックは驚きが隠せなかった。

 

 そして、隣で突っ伏している彼女を横目に「バオさん、新しいグラスとジャックダニエル出してもらっていいですか?」とまだ酒を飲もうとしているキキョウに開いた口が塞がらない。

 

 そんなロックの肩にポンと手を置きベニーは声をかける。

 

「な? だから言ったろ」

 

「ああ、よく分かったよ」

 

 

 隣でJack Daniel’sを飲み続ける彼女を横目に『この人と飲み比べは絶対しない』と会った初日で密かに心に誓うロックだった。

 

 





大変お待たせしました。これより、原作編開始です。
ここからが本番ですな。(ひえッ)






==キキョウの質問コーナー==
Q.好物は先に食べるタイプ?それとも後から食べるタイプ?

キ「後から食べます。最後に苦手なものを味わうのは嫌なので。」



Q.キキョウから見て、張が着ると似合いそうなカジュアル服ってどんなのがある?あの人のラフなスタイルの想像が今一つできなくて…。

キ「七分袖のシャツとジーンズっていうシンプルなものが似合いそうです。遊び心を加えたいなら、例えばデニム生地のシャツでボタンを空けて首元をゆったりさせる着方をするといいかもしれません。
張さんのように高身長で体つきがしっかりしてる方はダボっとしたものよりも、体のラインが分かりやすいものを着ると好印象になりやすいかと。
…まあ、彼がスーツ以外着るところなんて私にも想像できませんけどね。」



キキョウさんに聞きたいことは、活動報告の「なんでも答えるコーナーにて」
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