ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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4 愛しき日常

――家から十分ほど歩いた灰色のビルの二階。

そこにある部屋は依頼以外で作った服。所謂趣味の産物である服を収納する場所となっている。

 

ここはパトロンである彼が用意してくれた場所で、家からも近く管理するにはとっておきで有難く使わせてもらっている。

たまにその服を買い取ってくれる人もいるので、収納したまま放置というわけにはいかず時々様子を見に行く。

 

 

そして今日、久々にその場所へ赴いた。

部屋に入り、少し籠っている空気を入れ替えようといつものように窓を開け、新しい空気を取り込む。

 

籠っていた空気が外へ流れていくのと同時に入ってくる風を感じながら、部屋を埋め尽くしている100以上の服すべてに触れ丁寧に状態を見る。

 

 

花が刺繍されたTシャツ、黄色のロングスカート、灰色のワンピース、淡い水色のワイドパンツ、膝丈の黒のパーティードレス――

 

 

部屋にある一つ一つ違う服全てに思い入れがあり、こうしてきちんと収納できることの喜びを訪れるたびに噛みしめる。

最後の一つを手に取りくまなく状態をチェックし終えたら窓を閉める。

 

 

私の習慣の一つであるこの数十分の行動は私の心に穏やかさをもたらしてくれる。

 

だからこそ、この時間と空間がとてつもなく愛おしいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとしきり服に触れた心地よさに浸ってから部屋を後にし夕日に照らされた来た道を戻る。

 

今日は特に予定もないし刺繍でもして過ごそうか。

 

この後のことを考えながら10分ほど歩いていると、あっという間に見慣れた小さな我が家が見えてくる。

 

 

 

 

――そんな我が家の前に、遠目からでも分かるほど目立つものが立っていた。

 

 

 

 

近づけば近づくほど、その姿がはっきり見えてくる。

 

 

 

整えられた黒髪、漆黒のロングコート、首にかかった白のストール。

 

 

 

後姿であろうとその格好を見ただけで一体誰なのか分かってしまう。

それほどまでに、家の前に立っている人物の格好は私にとって馴染みのあるものなのだ。

 

何の躊躇いもなく近づいていく私を気配で感じ取ったのか、それとも足音で気づいたのかこちらに振り向いた。

 

ロングコートと同様の黒のスーツに身を包み黒のネクタイを締め、レトロ感のあるティアドロップ型のサングラスをかけた男性は私の姿を捉えると口の端を上げ、低い声で言葉を投げかける。

 

 

「珍しいな、お前が外を出歩いてるのは」

 

「久々に何もなかったのであの部屋に行っていたんですよ」

 

「成程、だからそんな機嫌がいいのか」

 

「ええ。――そういう貴方もなんだか今日は機嫌がいいようですね、張さん」

 

 

目の前で愉快そうに話すこの男性こそ、ロアナプラで最大の縄張りを持ち、街の支配者の一人として君臨している香港マフィア、三合会タイ支部のボス『張維新』。

 

この街で私が洋裁屋を営むことになったきっかけであり、命と腕を預けている人物。

 

「ああ、ついさっき一仕事終えてな。おかげでやっと羽が伸ばせる」

 

「お疲れ様です。……それで、そんな貴方がなぜここに?」

 

 

国際的なマフィア組織の一部を任されているこの人はいつも忙しなく動いており、この前も電話で忙しいと言っていた。

そんな彼がこんな街の端っこに来るのは何か私に話がある時か気まぐれが発動した時なのだが、果たして今日はどちらなのだろうか。

 

「なに、折角時間が空いたんだ。久々にお前と一杯やりたいと思ってな」

 

「それなら電話で呼び出してくれれば……。わざわざ来る必要なかったでしょう」

 

「たまにはこういうのもいいだろう?」

 

 

こんな感じで、たまに張さんから飲みのお誘いが来る。

電話をもらって私が向かうというのが基本なのだが、気まぐれが更に発動し自らやって来て誘ってくることもある。

 

どうやら、今回は後者だっだようだ。

 

「いいんですか? 貴重な空き時間を私との飲みに使って」

 

「それくらいお前との一酌は格別ってことだ。――付き合ってくれるか?」

 

一応こちらの意志を聞いてはくれるが、普段お世話になっている人からの誘いを断ることなんて私にはできない。

この人は、それを分かった上で聞いてくる。

 

「面白い話はできませんが、それでもいいなら」

 

「決まりだな」

 

私の返答を聞き更に上機嫌になった張さんは、着いてこいと言わんばかりに歩き始める。

念のため鍵がかかっているか再度チェックし、見慣れている背中に着いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そういや、ラグーンの新入りがお前と同じ日本人らしいな。」

 

「ええ」

 

「もう会ったのか?」

 

「二回ほど顔を合わせましたよ。まさかこの街で同郷の者に会えるなんて思ってませんでした」

 

「そりゃそうだ。遥々東洋の島国から肥溜め(こんな街)に移住する物好きはそうそういねえからな」

 

ロアナプラで特に高くそびえ立つ熱河電影公司(イツホウデインインゴンシ)という三合会が表向きで経営しているケーブルテレビ会社の本社ビル。

その最上階には社長室があり、客人を迎えるときはその部屋で対応しているらしい。

 

だが、私が張さんと飲むときに通されるのはその奥にあるプライベートルーム。

 

 

所謂張さんの自室だ。

 

 

彼曰く「気兼ねなく話せるから」という理由から私を部屋にあげているらしい。

 

マフィアのボスの自室に上がれて喜ぶべきなのか悩みどころではあるが、この人の気まぐれについて深く考えても無意味ということは、この5年で身に染みている。

 

 

 

そして今夜も例外なく、ガラス張りの向こうにあるネオンの光を眺めながら他愛もない話をしつつ酌み交わしている。

 

 

張さんは懐から新しい煙草を取り出し、ライターで火をつけると煙を吐き出した。

普段洋裁屋という職業柄に気を遣って私の前では吸わないが、こういう時は遠慮なく隣で煙草の匂いを漂わせる。

 

吸っているのは高級煙草で匂いは葉巻に似ているらしいのだが、私は全く吸わないので嗅ぎなれていてもその価値はよく分かっていない。

 

紫煙を燻らせ、吸うごとに生み出される灰を灰皿に落としながら話の続きを口にする。

 

「で、お前から見たそいつはどんな人間だった?」

 

「……“普通”、ですね」

 

「それは、どっちの世界での話だ?」

 

この人の事だからもうすでにどんな人間なのか調べていると思うのだが、まだ実際に会っていないのだろう。支配者の一人として少なからず新しい住民が気になっているようだ。

 

手にしているグラスに口をつけ酒を少量喉に通してから、張さんの質問に思ったことをそのまま伝える。

 

「“あちら側”です。少なくても、まだこの街に馴染んでいない今は」

 

「そうか。ま、いずれそいつも溶け込むだろうよ。せいぜい仲良くしてやれ」

 

「……そうですね。仲良く、できればいいですね」

 

岡島は本当に普通に暮らしてきた普通の人間だ。

だから、私と仲良くできるのかどうか怪しいところではある。それに、同国人だからこそあれ以上に深く突っ込まれることは遠慮したい。

 

そういう感情が言葉に乗ってしまったのか、張さんは「ほう」と物珍しそうにし、空いている手でグラスを持ちカラカラと氷がぶつかる音を奏でた。

 

「お前が人付き合いをそこまで嫌がるとは珍しいな。ヘンな口説かれ方をされたのか?」

 

「そんなわけないでしょう。私を口説いてくるのはとんだ物好きだけです」

 

「なら、俺はその物好きに入るってことだな」

 

「貴方はただ私の反応を楽しんでるだけでしょう」

 

「フッ、それもあるが……お前はそれほど魅力的ということだ」

 

張さんは一口酒を飲んでから自身のグラスを置き、慣れた手つきで私の左頬に触れてきた。

 

 

 

これはこの人の一種の癖だ。

 

 

数年前から始まったこの行動に最初こそ驚いたが、二人で会う度にされてしまえば慣れてくる。

 

だが私は張さんの恋人でも愛人でもなく、ましてや体の関係さえ一度も持ったことがない。すなわち、彼は私を“そういう目”で見ていないのだ。

 

だから頬に触れられるくらい別に問題ないと思い、こういう時は何も言わず好きにさせている。

 

「全く、いつになったら落ちてくれるんだ?――啊、 我可爱的花。(なあ、俺の可愛い花)

 

「……」

 

ここ数年で習得した中国語を聞き取り「またか」と思わず黙ってしまう。

この人は「キキョウ」が花の名前だと知った時からこういう呼びかけをするようになった。それには特に深い意味はなく、きっと私の反応を楽しみたいだけだなのだろうと勝手に結論付けている。

 

 

サングラスの奥にある瞳を見つめながら拙い中国語で言葉を返す。

 

 

和往常一样喜欢玩笑啊(相変わらず冗談がお好きですね)

 

听起来像玩笑吗?(冗談に聞こえたか)

 

(ええ)

(ええ)

 

会話をしている間も頬の上を親指で撫でている。慣れているとはいえ少しこそばゆい。

 

「……あと、いい加減そういう呼び方やめてください。聞いてるこっちが恥ずかしいです」

 

頬の上を滑る指の感触を感じながら言葉を続ける。

習得したといっても、私が話せるのは簡単なものだけなので英語に戻す。

 

「結構気に入ってるんだがなあ」

 

「張さん」

 

「はっはっは、そう睨むな。ま、気が向いたらやめるさ」

 

私の言葉を軽く流してからやっと頬から手を離した。

 

そして置いていたグラスを手に取り酒を呷るのを見て、私も自身の酒に口をつける。

 

 

丁度グラスが空になったのを見て、張さんが酒瓶をこちらに向けてきたので酒が入りやすいようにグラスを傾ければそのまま注がれていく。

 

「ありがとうございます」

 

「相変わらずペースが早い。そのまま酔いつぶれたお前を見せてくれると嬉しいんだがなあ」

 

「そんなはしたない姿は見せたくないです」

 

「寝顔もボロボロになった姿も見てるんだ。今更だろう?」

 

「それとこれとは話が別です。それに、私の酔った姿なんて面白くもないでしょうし」

 

飲み比べはレヴィだけで充分だ。

それにこの人の前で勢いよく飲むのは、なんだか妙な気恥ずかしさがあってあまりしたくない。

 

「俺としちゃ気丈なお前が弱みを見せることに面白味を感じるがな」

 

「……最近、酔狂さに磨きがかかってませんか張さん?」

 

「はは、そいつはお前なりの賛辞と受け取っても?」

 

「そうですね。そんな貴方とのこういうゆったりした時間は大切にしたいので、飲み比べは遠慮させてください」

 

「全く、つれないと思えば今度は嬉しい言葉のオンパレードか。流石の俺も照れるぞキキョウ」

 

そう言って張さんは酒を飲み干した。今度は私が酒瓶をとり、空いたグラスに酒を注ぐ。

 

「ああ、今日はいい夜だ。――最高だな」

 

上機嫌な彼の横顔を眺めながら、『ほんと、この人の考えてることは分からない』と心の中で呟き、再び酒に口をつける。

 

 

彼が軽い冗談を言い、それを困りながら流す。そんな私を見ながらまた彼が愉快そうに口の端を上げる。

 

 

 

五年前から変わっていないこのやり取りは、私の愛しき日常の一つだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――同時刻。ロアナプラより遠く離れた異国の地。

 

 

激しい争いの跡が残る場には、怯えて腰を抜かしている男。

 

そして、怯え震えているその男に一人の女が歩み寄る。

 

 

 

 

銃口を彼に向けながら。

 

 

 

「ま、待て! 待ってくれ!」

 

「……」

 

「あ、あのガキはもうここにゃいねえ! 先週ヘロインと一緒にここを出た!」

 

「…………」

 

「本当だ! 信じてくれ!」

 

「……渡し先は?」

 

「タイのロアナプラっつー街にいる運び屋に受け渡すことになってる!」

 

「そうですか」

 

「な、もういいだろ!? 頼むよ……!」

 

「では、ごきげんよう」

 

引き金を引いた女の眼鏡の奥に潜む瞳は、まさに“獲物を狩る獣”そのものだった。

 

銃声が響き渡り、沈黙が訪れる。

 

 

 

 

 

 

「――ロアナプラ。そこに若様が」

 

 

 

 

 

血と硝煙の匂いを纏わせた女の呟きは、誰にも聞かれることなく静けさの中へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




中国語は頑張りました。(が恐らく、いや絶対間違えてると思う…。むずかしいなあ…。)





=キキョウの質問コーナー=


Q.ドーモ、キキョウサン。キキョウサンノ趣味ヲ教エテクダサイ。

キ「こんにちは。(なんでカタコトなんだろう? あまり突っ込まない方がいいのかな)
えっと、趣味は刺繍と服作りです。服作りは仕事にもしてますけど、たまに依頼されたものだけじゃなくて自由に作りたいって思うときがあるんです。依頼がない時とか結構作ってますよ」

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