「――大尉殿、こちらが例の件の資料であります」
ホテルモスクワ事務所内の一部屋。
葉巻を咥え椅子に腰かけているバラライカに側近であるボリスが一つの封筒を手渡していた。
ホテルモスクワと友好関係にあるラグーン商会から、数時間前に頼まれたある一家とマニサレラ・カルテルの関係性。
バラライカはボリスから封筒を受け取り、中に入っている資料に目を通す。
「ラブレス家は南米十三家族でも一番落ち目の貴族。一家が所有している土地から発見された希土類を巡り、マニサレラ・カルテルと一悶着あったようです」
「希土類か。金にがめつい組織が放っておかないのも頷ける」
バカバカしい、と鼻で笑いながら資料とは別に入っていた一枚の写真を手に取る。
その瞬間、バラライカの視線は写真に写っている人物の一人に注がれた。
「そちらに写っているのは当主ディエゴ、一人息子のガルシア、そして唯一の使用人であります」
「よくないな」
「は?」
「よく見ろ軍曹、このメイドの目つきを。何か気づかんか」
気に入らないと言わんばかりに眉間に皺を寄せ、ボリスに写真を手渡す。
そして、ボリスはしばらく間を空けてゆっくりと口を開く。
「……兵士の目ですな」
「ああ。しかもそれだけじゃない。こいつは――」
とびきりの狂犬だよ。
「――こ、このクソッたれえええ!!」
「てめえら構うこたあねえ! ぶっ殺せ!!」
店内に銃声が響いたのと同時に撃たれた仲間を見て、マニサレラ・カルテルの面々は当然のように目の前のメイドさんに銃を向ける。
私は有難いことにイエローフラッグでこういう殺傷沙汰に巻き込まれることは滅多にないのだが、その運がどうやら尽きてしまったか。
「如何様にでも? おできになるならば」
メイドさんの挑発めいた言葉を皮切りに激しい銃の撃ち合いが始まった。
「キキョウ!」
「わっ」
一体何がどうしてこうなったのだろうかと考える前にレヴィに腕を掴まれテーブルの下に引きずり込まれた。
確かに棒立ちになって眺めているよりも比較的安全なのかもしれないが、さすがに大人5人と子供1人では少々狭い。
だが、文句は言っていられない状況であることは分かっているので口には出さないようにしよう。
「ったく、とんでもねえことに巻き込まれちまった。だが、連中がやりあっているのは好都合だ」
「なあダッチ、こっちは撃つのか撃たねえのかさっさと決めようぜ。こんなところで黙って蜂の巣にされるのは御免だ」
「いいこと言った。できれば撃たない方向で行こう」
「同感」
ラグーン商会の4人はテーブルの上で銃声が響き渡っている中でも比較的落ち着いて話をしている。
岡島も先ほど言った言葉は嘘ではなかったようだ。
私もこの後どうしようかと考えていると、隣にいる少年が青ざめた顔でメイドさんを見つめ震えている。
パニックになって妙な動きをされても困るので、できるだけ優しく驚かせないよう静かに声をかけようと口を開く。
「君、大丈夫? どこか怪我とかしてない?」
「だ、大丈夫……でも、ロベルタが。あんなんじゃ、ないのに……」
「ならよかった」
少年は話しかけてきた私と目を合わせて、目に涙をため声を震わせながら答えてくれた。
パニックにはなっているが、返答できるくらいには落ち着いているようだ。
こんな会話をしている中でも銃声は一層激しさを増している。
ここに残るよりはさっさと店を出た方が吉だ。
店内の様子を見渡し、メイドさんの猛攻撃に出入り口までマニサレラ・カルテルが下がったことによって脱出口がカウンター側にある裏口しかないことを確認する。
端の方に身を潜めながら移動すればなんとかなりそうだ。
「君、死にたくなかったら無闇矢鱈に飛び出しちゃダメだよ。いいね?」
「え?」
「じゃあ、皆さん。私はお先に失礼しますね」
「ちょ、ちょっとキキョウさん!?」
彼の様子なら、もしここに一人置いてもこの状態の中勝手に飛び出すことはないだろう。
それにどうやらメイドさんと無関係というわけでもなさそうだし、これはあくまで勘だが連れ回す方が何か面倒事が起きそうな気がする。
少年とラグーン商会に一言言い残して、テーブルから這い出て四つん這いになりながら裏口を目指す。
岡島がなにやら引き留めた気がするが、銃声のせいであまり聞こえなかった。
私もこの数年で大分度胸がついたのかもしれないな、と銃声が飛び交う中冷静でいられる自分に苦笑する。
「くそっ、また俺の店が……弁償しやがれってんだ!」
こそこそと身を潜めながら移動し、やっとカウンターまで辿り着くとカウンターの向かい側で銃を持ちながら座り込んでいるバオさんが何やら嘆いているのが目に入った。
その様子に思わず動きを止める。
私がこの騒動の引き金であるメイドさんをここに連れてきたのもあり、なんだか罪悪感が生まれてしまう。
普段お世話になっている分、無視する訳にもいかないとカウンターの裏に入り声をかける。
「バオさん」
「キキョウ?お前さんまだいたのか」
「すこし知人と話し込んでいたらいつの間にか巻き込まれました。……あの、今回の修繕費は私が出しますね」
「あん? なんでそうなるんだ」
「少なくとも彼女をここに連れ来たのは私ですし」
何も知らなかったとはいえ、連れてきたのは私なのだ。ならせめて修繕費を出すくらいしなければ。
「お前さんの事だ。何も裏はなかったんだろ?」
「それは勿論。ですがそれとこれとは」
「なら問題ねえよ。今回はマニサレラ・カルテルに請求書送り付けてやる」
「……私に少し甘くないですかバオさん」
「お前さん以外の客が厄介すぎるんだ」
本当、毎度この店主の気遣いには参ってしまう。こうなったら頑として私から詫び金を受け取ることはない。
今度飲みに来たときにでもこっそり多く金を渡そう。
そう心に誓い、息をもらした瞬間。
「いった!!」
ガンッ、とテーブルか何かが倒れた音と岡島の痛がる声が高らかに響いた。
同時に銃声が一瞬で止み、店内は嘘のように静まり返る。
「てめロック! ふざけんなよお前!」
「それはこっちのセリフだ! 急に後ろから殴りやがって!」
「手前がちんたらそのガキと話してるからだろ!」
銃声が止んだことで顔を出してもいいだろうと判断し、何が起きているのか確かめようと様子をこっそり見る。
そこには後頭部を抑えている岡島とその岡島に怒鳴り散らしているレヴィ。
……何をやっているんだあの二人は。
そして気づいているのだろうか。
ここにいる全員が自分たちに注目していることを。
「ラグーン商会!? てめえら頼んでた荷物はどうした! 向こうには行ってねえのかよ、おい!」
「ま、まあ待て! 料金についてはゆっくり話し合おう!」
ダッチさんとアブレーゴさんの側近の男がなにやら揉めている。
少年が何らかの仕事の荷物だという私の考えは当たっていたのか。
しばらくその様子を眺めていると、メイドさんが徐に口を開いた。
「――若様」
「……ロベルタ」
「こんな所におられたのですね。ご当主様も大変心配なさっておいでです、さあ」
ロベルタと呼ばれたメイドさんが一歩近づこうとすると、少年も一歩下がった。
そりゃ、遠慮なく人を撃つような人間に暴力の世界とは無縁そうな子供が恐怖を感じないわけがない。
メイドさんもそれが分かっているのか、それ以上無理に近づこうとしなかった。
「怖がられるのも無理はございませんね。理由はいずれご説明」
少年をあやす様に優しく声をかけていたメイドさんの言葉が中途半端なところで止まった。
「――その方々は?」
メイドさんの目線は少年のすぐ近くにいるラグーン商会に移った。
それに気づいたダッチさんが「やばい、目が合った」とまるで熊に遭遇したような態度をとっている。
ベニーと岡島も顔が青褪め引き攣っている。
そんな彼らへ無情にもメイドさんは再び銃弾が入っている傘の先を構えようとする。
「ま、待ってロベルタ! ダメだ! ……うっ」
「下がりなよ、メイド」
他の面々が固まっている中、動いたのはレヴィだった。
少年がメイドさんにとって“大事な人間”だと判断したのか、ラグーン商会きっての女ガンマンは、少年の首に腕を回しこめかみに銃口を向けられている様を目の前のメイドさんに見せつけた。
その行動は効果があったようで、傘を構える動きが止まった。
「ここにいる全員が屍になるより生きて朝日を拝みたいはずだぜ。てめえもこの坊ちゃんもな」
「バカよせ、それじゃ悪役だ!」
「うるせえ!」
岡島、世間では君たちも立派な悪役だよ。
というツッコミはしないでおこう。そういう雰囲気じゃない。
「無理な撃ち合いしなけりゃ、お前も坊ちゃんも五体満足で家に帰れる。床に血の絨毯を敷くことなくな。分かるか?」
「……考えております」
さて、彼女はどうするのだろうか。
この四方八方敵に囲まれている状況では、交渉に応じるのが普通だ。
「てめえら何勝手に話を進めてやがる! こっちの話はまだ」
さっきまでダッチさんと揉めていた男が自分を余所に話している様に痺れを切らし怒鳴り散らした途端、メイドさんが考え事の邪魔をするなと言わんばかりに容赦なく男の方へ弾を放つ。
その弾が男を打ち抜くことはなかったが、黙らせる程の効果は発揮したらしい。
再び静まり返る店内で周りが固唾を呑んで見守る中、しばらくするとメイドさんの口がゆっくりと開かれた。
「ご意向には添いかねます。若様には五体満足でお戻りいただきますが、ラブレス家の家訓を守り仕事をさせていただきます。」
そう言いながら傍に置いていたトランクを持ち、再びレヴィ達の方へ向き直る。
「――
決して大きくはない、だが耳にはっきり聞こえる凛とした声音で英語ではない別の言語で何か喋っている。
「
喋っている内容は分からないが、許しを請う言葉ではないことは分かる。
そして、メイドさんの雰囲気が先ほどとは違う異様なものになっていることも戦闘の素人である私でさえ読み取れた。
真っ向から対峙しているレヴィはそれを全身で感じ取っているのかいつも以上に緊張している面持ちだ。
「
ひとしきり喋った後、一呼吸おいて持っていたトランクを勢いよく前に突き出した。
「
その最後の一言を高らかに響かせた瞬間、トランクから弾を乱射してきた。
あのトランク、重そうとは思っていたがただの旅行カバンじゃなかったのか。
身の危険を感じたレヴィが即座に反応し、少年を突き飛ばして銃をメイドさんへ撃ちながらこちらに走ってくるのが目に入る。
私は咄嗟に出していた頭を下に引っ込め、銃弾が当たらないよう身を潜める態勢を取った。
瞬間、乱射音がほんの一瞬止んだとともに頭上で爆発音が響く。
これはまた随分派手なものを容赦なく撃ちこんだものだ。
「うッ……!」
爆発音が止み、体勢を崩そうとした私の上に“何か重いもの”が急にのしかかり、ちゃんと受け止めることができず思わず呻き声を上げた。
「なに…?」
衝撃で閉じていた目を開き、降ってきたそれを確かめる。
「――レヴィ?」
目に入ってきたのは意識がはっきりしておらず、全身を微かに震わせているレヴィの姿。
咄嗟に身を起こし目の前で虚ろな目をしている彼女に必死に声をかける。
「レヴィ! しっかりしなさいレヴィ!」
声掛けも虚しく、レヴィが起きる様子はない。
だけど、死んでいるわけではない。
私はレヴィの意識を呼び戻そうと更に声をかけ続ける。
こんなところで伸びているのは、彼女らしくない。
「レヴィ! しっかり!!」
「キキョウさん! レヴィは!?」
遅れてこっちに走ってきた岡島とベニーが焦った表情でレヴィの様子を見る。
「ダメだ、軽い脳震盪を起こしてる!」
「くそっ、無茶な女だ。ケサンの攻防戦がピクニックに見えるぜ……!」
「レヴィ! レヴィ!!」
そんな中でも私は必死に声をかけ続けた。
こんなに大声を出したのは久しぶりで声が早くも掠れそうだ。
「キキョウ、レヴィは俺たちが連れていく。お前も早くこっから退散しろ」
ダッチさんが必死に声をかけ続ける私の肩を掴み声をかけてきた。
「まさか、この状態のレヴィを連れ回してあのメイドさんとやりあう気ですか?」
「あのメイドの目的は俺たちじゃねえあのガキだ。ガキはここに置いていく。それに、こいつがいつまでも伸びるような女じゃねえことはお前も分かってるはずだ」
「……ええ、よく分かってますよ」
そういうことなら何も心配ないはずだ。
そう判断し、私は大人しくレヴィをダッチさんに引き渡した。
「また今度、絶対一杯付き合ってくださいね」
「おう。――行くぞ! 走れ!!」
メイドさんがカルテルの方へ集中している隙にレヴィを背負っているダッチさんとベニーは裏口へ向かった。
さて、私もぐずぐずしている暇はない。
ダッチさんの言う通り、一刻も早く退散したほうが身のためだ。
幸い何やらカルテルの男が話をしている最中で銃声も止んでいる。
逃げるには絶好のタイミングだろう。
「バオさん、私たちもいきましょう」
「ああ」
メイドさんと男が話している隙に、私とバオさんもそそくさと裏口から店の外へ出た。
その時後ろで「フローレンシアの猟犬が……!」という怒鳴り声が聞こえたが、今の私にはどうでもいいことだ。
「サンタマリアの――」の部分もきっとスペイン語だろうなと思ったので、あえてスペイン語にしてます。かっこいいですね。
そしてその家訓をキキョウは、カウンターからひょっこり顔を出して聞いてます。
可愛いですね。
=質問コーナー=
Q.初めまして。キキョウさんに質問なのですが、服以外の布製品の依頼を受けたことはあるのでしょうか?例えば、ぬいぐるみとか。もしあるならば何を作ったのかお聞かせ願いたいです。よろしくお願いします。
キ「初めまして。服を仕立てる以外の、というカテゴリであればありますよ。といっても、私は服専門なので一から作るものではなく簡単な修繕だけ請け負ってました。クッションカバーや小物入れ。それこそぬいぐるみもあります。
ロアナプラに来てからは、その依頼は全く来なくなりましたけどね」