メイドさんとカルテルが何やら話し込んでいる隙にカウンターの裏側から速やかに裏口へ回り店の外へ出た。
ひとまず、怪我することもなく災禍の中心から脱せたことに息を洩らす。
這いつくばりながら移動したおかげで汚れてしまった膝の部分を手で払い、外からでは騒がしさの欠片も見当たらない店の方へ目を向ける。
「あのまま、話し合いで終わってくれればいいんですが」
「期待するだけ無駄だろ。たく、どいつもこいつもウチの店をなんだと思ってやがんだ」
「この前やっと修繕終わったばかりなのに。またしばらく家で飲酒生活になってしまいますね」
「……なあキキョウ、お前ウチがこうなっちまった時くらい他の酒場に寄ったらどうだ。ジャックダニエルくらいどこでもあるだろ」
「そんな寂しい事言わないでください。貴方の店で飲むお酒が美味しいから来てるんですよ私は」
バオさんが自ら常連を離すようなことを言うとは。
悲しいことに何回も店は壊されているから慣れていると思っていたのだが、どうやらセンチメンタルになる時もあるらしい。
「直ったらまた来ます。だから私がいつ来てもあのお酒が飲めるよう、用意しといてくださいね」
そう言葉をかけると、バオさんは少し目を見開いた後仏頂面のまま「……けっ」と吐き捨てた。
「相変わらずの変わり者っぷりだな、まったく」
「貴方の店の常連はほとんどが変わり者でしょう」
「言うようになったな、お前さんも」
この店主に“変わり者”だと言われたのは何回目だろうか。
そのことに嫌な気を感じないのは、最早これが彼とのちょっとした挨拶のようなものになっているからかもしれない。
「まだ飲み足りねえだろ? 騒ぎが収まった後酒出してやる。ま、あの惨状でも構わねえならの話だが」
「珍しいですね。貴方が店を壊されてるのに機嫌がいいなんて」
「うるせえ。嫌なら帰れ」
「嫌なわけないですよ。――では、店に酒が残っていたら飲ませてください」
「おう」
バオさんはこちらと目線を合わせず返事をし、取り出した煙草に火をつけて煙を吐き出した。
あのそっけない返事は彼なりのちょっとした照れ隠しなのかもしれない。
そう思うと口の端が上がるのを感じたが、あまりニヤニヤしても彼の機嫌をまた損ねそうなのでそこは我慢する。
店内が荒れている時に飲むのはバオさんの迷惑になるだろうと遠慮しているのだが、彼がこう言ってくれているし、飲み足りないのも事実なので今回は素直に言葉に甘えよう。
この店主の気前の良さには本当に頭が上がらない。
はやく終わらないかな、と隣で仏頂面を浮かべながら煙草を吸っている彼から再び目線を店の方へ向ける。
――だが、唐突に襲ってきた熱を放った猛烈な爆発音がそれを許さなかった。
唐突に巻き起こった爆風に踏ん張る間もなく押し倒され尻もちをつく。
「いった……」
地面に強打した臀部をさすりながら今度は何事かと熱風が飛んできた方向へ目を向け、入ってきた光景に思わず言葉を失う。
先ほどまで確かにそこに存在していた静かな雰囲気を持った酒場が、今では暗い空を明るく照らすほど轟轟と燃え上がり高熱を放っている建物へ成り代わっていた。
その様に思わず『この街でこんな大きな焚火をすることになるとは思わなかったな』と、この状況にはふさわしくない感想が浮かんだ。
私もとうとう末期だろうか。色々な意味で。
「……嘘だろ」
隣から今まで聞いたことのない情けない声が耳に入り、咄嗟に思いっきり彼を視界に入らせないよう顔を背けた。
先ほど不謹慎な感想が出たのもあって、隣にいる彼の姿を見ていられない。
もういっそこのままそっとしておいて帰った方がいいんだろうか。
だが、このまま何も声をかけずに立ち去るのも良くない気がする。
いやでも、声からして何を話しかけても無反応な気もしなくもない。
――ああもう、じれったい。
とにかく彼の姿をみてから色々考えよう、話はそれからだ。
それに声に相反して意外といつも通りということもある。
私は決して長くはない時間で思考し、その一縷の望みを胸に抱き意を決して隣の店主の姿を捉える。
「お、俺の店が……」
「……」
横顔からでも分かる絶望した表情。
呆然とした立ち姿からは覇気のはの字もないほど哀愁が漂っていた。
最早哀れすぎて言葉をかけるどころか目も当てられない。
再び静かに目を逸らし、火の勢いを増している建物だったものを見る。
今ではただ火を更に燃え上がらせるための薪と化している様に、残った酒を飲みたいという願望は捨てるしかなくなった。
店内が荒らされるまではいつも通りだが、ここまで跡形もなく木っ端微塵に吹き飛ばされるような大惨事は少なくても私は見たことない。
それは恐らく隣で棒立ちになってる店主もだ。
こんな無茶をやらかすような人間はあの場では一人しか思いつかない。
そして私は、その人物を店に案内した張本人。
やはりここは修繕……いや、建て替え費は出すべきだろう。
燃え盛る建物を瞬きも忘れたかのようにずっと見続けているバオさんに、少しの勇気を出して声をかける。
「バオさん、やっぱり私が建て替え費払います」
「……」
流石のバオさんも気前がいいことを言ってる余裕はないらしく、私の方を黙ったまま複雑そうな顔で見てきた。
だが先程自分から金は要らないといった手前からか、どうしたものかと悩んでいるようだ。
「彼女を連れ来たのは私ですからそれくらいは」
「……いや、さっきも言った通りお前さんが払うこたねえ」
「ですが」
「彼の言う通りですよ、Ms.キキョウ」
唐突に背後から名を呼ばれ反射的に振り向くと、そこには白人で黒髪の男性が一人立っていた。
「――メニショフさん?」
「お久しぶりです。まさか貴女がここにいるとは」
「それはこちらのセリフです。びっくりしましたよ」
私の名を呼んだのは、バラライカさんの部下の一人であるメニショフさんだ。
少し話を聞いただけで詳しくはないのだが、バラライカさんはロシアにいた頃軍隊に所属していたらしい。
軍にいた頃彼女は一つの部隊を率いていて、なんやかんやあってその部隊全員と共にホテル・モスクワへ入り今に至るという。
バラライカさんがボリスさんから「大尉」と呼ばれる理由もそこから来ているのだと、彼女とのお茶会の時に聞かされた。
ロシアから共にやってきた彼女が今も率いるその戦闘部隊はこの街で“
四大組織の中でも圧倒的な武力を誇っている。
そのせいかバラライカさんが
実際、今まで彼らが動いた際に血が流れなかった時はほぼ存在していない。
私はホテルモスクワの事務所に訪れる時に遊撃隊の人たちとも挨拶を交わしたり、バラライカさんを待っているときに話をしたりするので比較的顔見知りが多い。
メニショフさんもその一人で、遊撃隊の一員でバラライカさんからの信頼も厚く、待ち時間によく話し相手になってくれる。
そんな彼がどうしてここにいるのだろうか。
「バオ、大尉からの伝言だ。『保証の心配は無用』だと」
「そりゃありがてえな。おかげでキキョウに金を出させる必要もなくなった」
「メニショフさん、もしかしてバラライカさんは貴方がたを動かしてるんですか?」
「ええ。ですが、そこまで大事にはならないでしょう。たかが一匹の猟犬を捕まえるだけですので」
そういえばさっきカルテルも『フローレンシアの猟犬』とか言っていた気がする。
数少ない情報の中だけで予想するのなら、恐らくその猟犬とはあのメイドさんの事だろう。
遊撃隊が動いたということは、それほど重要な人物なのか?
「Ms.キキョウ。失礼ですが貴女とあの猟犬はどういう関係で?」
考え事をしていると、メニショフさんが再び声をかけてきた。
彼が発した声音は先ほどのように世間話をするような柔らかいものではなく、その表情も声と似つかわしい硬いものだった。
バラライカさんの事だ。
私があのメイドさんと街を歩いていたことも、イエローフラッグで飲んでいたことも既に情報収集済みなのだろう。
だからといって、今なぜ私と彼女の関係性を聞かれているのか。
「……猟犬とは何のことか知りませんが、あのメイドさんとは今日知り合ったばかりです。私は彼女から“友人とイエローフラッグで待ち合わせをしている”と聞いたので、道案内しただけですよ」
「その友人の事は?」
「何も。事前に彼女の言っていた友人がカルテルだと知っていたら道案内なんかしません。アブレーゴさんも得意先の一つですから。――私が得意先に失礼を働くことが嫌いなことは、バラライカさんも貴方がたもご存じのはずですよ」
「……」
黙って聞いているメニショフさんの瞳を真っすぐ見据えて質問に答えた。
関係性を聞かれた理由については分からないが、何も話さず変な疑いをかけられるのは御免だ。
それに私には何も後ろめたい事は何一つないのだから、起きたこと、そして思っていることすべて正直に話すだけでいい。
私がこういう時嘘をつかないのを彼女はよく知っているはずだ。
なら、彼女の直属の部下である彼にそれが伝われば何も問題はない。
「――分かりました。では、大尉にはそのように伝えます」
「ぜひお願いします。彼女に命を狙われるのは本当に遠慮願いたいので」
「それもお伝えしたほうが?」
「きっと彼女なら笑い飛ばしてくれるでしょうね」
メニショフさんは私の言葉に嘘がないと理解してくれたのか、それ以上聞いてくることはなかった。
私と彼との間に走った緊張は解れ、いつもの世間話をするような雰囲気に戻る。
途端に後ろで建物が崩れる音が聞こえ、もう建物の形を保ってはいなかった。
「すまねえなキキョウ。店がこんなんじゃ出せる酒がねえ」
「本当に残念です。折角の誘いだったのに」
「代わりと言っちゃなんだが店が直ったら快気祝いに一杯奢ってやる」
「え、そこは私が奢る方じゃないんですか?」
「そういう気分なんだよ」
金の心配がなくなったバオさんは、意気消沈しどんよりした雰囲気から通常運転に戻り、新しい煙草に火をつけながらそう言った。
「貴方も私に負けず劣らずの変わり者ですよ、バオさん」
「言ってろ」
「……はい、まだそこに。……しかし報告は? ……了解。――Ms.キキョウ」
「なんでしょうか?」
バオさんとの会話にもはやこれ以上私がここにいる意味はないことを悟り、この場から去るため一言別れの挨拶を発しようとした矢先。
私がバオさんと会話している間誰かと連絡を取っていたメニショフさんが、私に向き直って声をかけてきた。
「大尉からの命令で、俺がこのまま貴女をご自宅へ送り届けます」
「……あの、自分で帰れますよ?」
「『夜の一人歩きは危ない。素直に甘えなさい』との事です」
この場にいない彼女が、しかもマフィアのボスでもある人がなぜそこまで気を遣ってくれるのだろうか。
いつも『そこまで気を遣わないでほしい』と言っているのだが、やめる気は更々ないらしい。
それは彼女だけではなく張さんもそうなのだが、あの二人の考えていることはよく分からない。
「私に断るという選択肢は存在しますか?」
「それを選んでしまわれては俺が大尉にお叱りを受けてしまいますね」
「それ、遠回しに『ない』って言ってるようなものですよ、メニショフさん」
「おや、気づかれてしまいましたか」
少し困ったように笑うメニショフさんにつられ口の端が上がる。
この人をこれ以上困らせるのは気が引けるので、今回は素直にバラライカさんからの厚意を受け取っておこう。
今度彼女に会った時は、こういうやり方はやめてほしいと言う必要があるな。
まあ、それもきっとうまいこと流されてしまうのだろうが。
「ではバオさん、また来ます」
「おう」
自身の店が燃えているにもかかわらず、悠長に煙を吐き出しているバオさんに今度こそ挨拶の言葉をかける。
バオさんはこちらには向かなかったが、一言だけ言って手を振ってくれた。
その返答を聞いて、後方でメニショフさんが立っている位置まで歩みを進める。
彼に誘導されるまま着いていくと、銀色の車の前で止まり後部座席のドアを開けてくれた。
「私に対してそこまで丁寧な対応しなくてもいいんですよ?」
「これくらいのエスコートは当然でしょう」
彼の気遣いが少し気恥ずかしくて素直にお礼が言えなかった。
こういうことをさも当たり前のように言ってのけるとは、バラライカさんの指導の賜物なのだろうか。と、エスコートについて語るバラライカさんを少し想像してしまう。
それを頭からすぐに振り払い、「失礼します」と一言断りを入れてから車に乗り込んだ。
私が座った後ドアが閉められ、メニショフさんが運転席に座りエンジンがかかり未だに火が消える気配のない酒場を後にする。
今日は少し疲れたな
とため息を漏らしそうになるのを我慢した。
――その三週間後、完全修復されたイエローフラッグで少々顔の腫れたレヴィと飲み比べをする羽目になるのだった。
――――――――――――――――――――――――――――
<後日談>
「この前は大変だったわね。道案内してた人間がまさか武装メイドだったなんて思わなかったでしょう」
「本当に。でもまさか、貴女に思わぬ疑いをかけられるとは」
メイドさんがイエローフラッグを爆散させてから三日。
イエローフラッグの二階で営業している娼館『スローピー・スウィング』のオーナー、そして数ある得意先の一つでもあるマダム・フローラから複数の服を依頼されていた。
その依頼をこなそうと朝から作業をしていたのだが、騒動の後始末が落ち着いたのかバラライカさんから数分前に依頼品を届けてほしいと連絡が来た。
そのため、急遽ホテル・モスクワの事務所へ行くことになりいつもの茶会を楽しんでいる。
いつも部屋の奥で紅茶を片手に迎えてくれる時のバラライカさんの穏やかな姿からは、街の人に恐れられている女ボスだと想像がつかない。
「アナタが私たちに対して何か良からぬことをするなんて思ってないわ。
――念のためよ。私の立場上、知らぬ存ぜぬって訳にもいかない。それはアナタも分かってるでしょう?」
彼女は私の事を信用してはくれている、と思う。
だが、バラライカさんはこの街の支配者の一人なのだから、どんな些細な事でも大きな火種に繋がりそうなモノは放っておくわけにもいかないのだろう。
それとこれとは話が別。つまりはそういうことだ。
「ええ。なのであの時メニショフさんに私なりに誠意を持って答えました」
「伍長が言っていたわ。『あの目で嘘をついているならとんでもない女性』だって。そういう時のアナタはいつも裏表ないから」
「流石、よく分かっていらっしゃいますね」
「フフッ」
メニショフさんに私の誠意ある返答が伝わってよかった。
『とんでもない女性』という部分には首を傾げたいところだが、結果信用してもらえたので別に気にすることでもないだろう。
「アナタはそういうところは変わらないわね。初めて会った時からずっと」
「変えるつもりはありませんからね」
「変われない、の間違いではなくて?」
「そうかもしれませんね。――貴女もそうではないのですか? まさか、今更生き方を変えようとは思っていないでしょう」
半分が火傷痕で覆われてなお美貌を失っていない端正な顔から目を逸らすことなく言葉をかける。
遠慮することなく投げかけた言葉を聞いたバラライカさんは少しだけ息を吐いた。
「言うようになったわね」
「お気に障ってしまいましたか?」
「いいえ、むしろ愉快だわ。私にそんなことを言うのは命知らずな馬鹿しかいないから」
「なら、私もその一人の仲間入りになってしまいましたね」
「アナタはその中でもとびきりよ。――だから、面白いのよねえ」
目のまえで優雅に紅茶を飲む彼女の顔が微笑みから酷く歪んだ笑みに変わった。
その様を目で捉えるだけに留め触れることはせず、紅茶の傍に置かれているジャムを少量スプーンで掬い、紅茶でその甘みを喉に流し込む。
――緊張した時に摂る甘いものは、やはり格別だ。
アニメでロベルタが爆破したイエローフラッグを膝をつきながら見ているバオの様子が本当に不憫だなあ……と初見時に思ったのを思い出しました。
いやあ、本当に可哀そう()
=質問コーナー=
Q.はじめまして。キキョウさんに質問ですが、レヴィに合いそうな服(ホットパンツは無しで)を何着か見繕ってください。
キ「はじめまして。これはまた楽しそうな質問ですね。……そうですね。薄い素材でできたVネックのシフォンブラウスに足のラインがはっきりしているジーンズの組み合わせとか、今着ているタンクトップに黒のフレアパンツ。あとバルーンスリーブのオフショルダーとレザーパンツ。あ、さっき言ったシフォンブラウスには膝までスリットが入ったロングスカートも合うと思います。違う視点からだと、チャイナドレスも似合いますよ絶対。下にガーターベルトと黒のストッキング履けばものすごく魅力的になるはず。
――ですが残念なことに彼女は服に一切の興味がないんです。いつも収納場所に置いてあるフリーサイズのものを買っていくだけで、今でも仕立てさせてもらえないんです。
似合うもの仕立てるって言ってるんですが……。
と、いうことで着てみないレヴィ?」
レ「めんどくせえ」
キ「そっか……」