ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

61 / 128
今回から双子編です。






10 落とした物は拾い得……?

「――災難だったね二人とも」

 

「ほんとだぜ。こいつが早く取りに行きたいって駄々こねさえしなけりゃこんな濡れずに済んだってのによ」

 

「誰がいつそんな駄々をこねたんだよ。大体お前が傘なんていらないって言ったんだろ」

 

「あ? じゃあアタシのせいだっていうのかよ」

 

「まあまあ」

 

今私の目の前で話しているのは、ラグーン商会のレヴィと岡島。

二人は私が貸したタオルを首にかけ、コーヒーを片手にくつろいでいる。

 

彼らがここに来たのは十五分ほど前。

 

昼時だというのに陽が照っておらず、いつもより暗い上にジメジメしていた。

その理由は、亜熱帯で年中暑いこの街に雨が降っているからだ。

 

雨はあまり好きではない。

ただでさえどんよりする天気だというのに、湿気がすごいせいで暑さに拍車がかかり余計気分が滅入る。

 

そして困ったことに、雨季に入ったからか雨が降る日がここ最近増えてきた。

そういう季節のせいなのか依頼が入る数も減っているおかげで、最近は仕事よりも暇を持て余す方の時間が多い。

 

そんな数少ない依頼の中に、“ネクタイを締めた海賊”として名を広げている岡島のYシャツとズボンの作成が入っていた。

彼はこの街にきて半年以上経つというのに、未だに日本の商社マンらしいホワイトカラーを着続けている。

以前レヴィが「似合う服をキキョウに仕立ててもらえ」と進言したそうだが、どうも岡島はその格好が落ち着くようだ。

 

だが日本から同じものを数着持ってきているわけがなく、色々騒動に巻き込まれ服は汚れる一方。彼はそのことを憂いていたが、どこかから私の依頼料は高くつくと聞いてしまい依頼するのを躊躇っていたらしい。

それを見かねたダッチさんが岡島を連れて「ロックの新しい服を何着か仕立ててくれ」と、ちょうど一か月前に依頼に来たのだ。

 

普段から仲良くさせてもらっているダッチさんの依頼を断る理由はない。それに、岡島もいつか依頼したいと思ってくれていたようだったので当然承諾した。

 

 

 

今日その岡島の依頼を終わらせラグーン商会に連絡し、相談の上レヴィと岡島が取りに来ることになった。

二人が来るのを刺繍をしながら待っていると、連絡をしてから10分後には雨が降り、タイミングが悪いなと思いながら腰を上げもてなす準備をする。

コーヒーをいつでも出せるようになった丁度いいタイミングに、表のドアからノックの音と共にレヴィの声が聞こえてきた。

 

 

案の定ずぶ濡れな二人を部屋に入れ、タオルと淹れたてのコーヒーを渡し「雨が止むまでここにいなさい」ともてなしているのが今の状況だ。

 

 

「そんな苛々しないのレヴィ。まあ、気持ちは分かるけどね。おかわりいる?」

 

「いる。これがムカつかずにいられるかってんだ」

 

空になったレヴィのカップを受け取り、そのまま自室へ向かい温かいコーヒーを注ぐ。

 

「だから日を改めるか私が持っていこうかって言ったのに。はい、どうぞ」

 

未だ少しイライラ気味な彼女にカップを渡しながら話をする。

 

「いや、もともとこっちからお願いしたことですし。それに街がこんな状況なのに貴女をわざわざ一人で出歩かせるわけには」

 

「雨が降ってるだけでしょ? 私はそこまで貧弱じゃないよ。あ、でもせっかくの服を濡らしたくはないよね」

 

「え?」

 

「あ?」

 

一体岡島は私をどれだけか弱い人間だと思っているのか。別に雨が降ってるからと言って外に出れない体ではない。

 

 

 

正直にそう伝えると、なぜか二人は怪訝そうな声を出した。

何かおかしなこと言っただろうか?

 

 

 

「キキョウさん、もしかして知らないんですか?」

 

「え、何が?」

 

「何がって……」

 

「あーそうだった。ロック、こいつ基本引きこもりだから外の情報あまり入ってこねえんだよ。この反応だと今回もそうだ」

 

 

引きこもり……。

事実なので否定はできないのだが、なんだろう。

他人から言われると、なんかすごい劣等感を感じる気がする。

ここまではっきり言うのはレヴィくらいだから慣れていないだけかもしれないが。

 

「キキョウさん。あの、本当に知らないんですか?」

 

岡島が念を押すようにもう一度聞いてきた。

さっきの二人の会話からして外で何か起きているようだが、レヴィの言う通り私の耳には何も入ってきていない。

 

強いて言うなら、ここ最近知った情報は張さんが「私の小言がきつくなった」と少し嘆いていたということくらいだ。

 

これを側近である彼らから聞いた時は誰のせいだと思っているんだ、と電話で文句を言おうとも考えたが、張さんは忙しい身なのでつまらないことで時間を取らせるわけにはいかないと我慢した。

 

とにかくそういうわけで、特別気にかけるような街の情報は私の中にない。

 

「恥ずかしい話、レヴィの言う通り何も知らないよ。何かあったの?」

 

「……実は」

 

「殺しだよ、キキョウ」

 

この二人の言い方からして大層すごい事が起きているものかと思ったが、岡島の言葉を遮ったレヴィの言葉に思わず首を傾げる。

 

 

 

 

 

殺しがこの街で起きている?

 

 

 

「そんなのいつもの事でしょ。この街で死体が上がらない日があったら、その日は記念日に認定するべきだよ」

 

 

 

冗談ではなく本当に。

 

 

 

「は、“ロアナプラ平和記念日”ってか?それはそれで面白えが、今回はちと笑い話にならねえヤツでな。――なんせ、ホテル・モスクワに的が絞られてんだからよ」

 

「……は?」

 

「この一か月ですでにロシア絡みの死体が6つ上がってるそうです」

 

「……」

 

聞かされた話に思わず耳を疑った。

 

だがこんな事この二人が冗談で話すわけがない。だから十中八九本当の事だ。

殺し殺されが日常のロアナプラであっても、あのバラライカさんを敵に回す行為をするなんて異常だ。

 

ということは

 

「バラライカさんはもう彼ら(遊撃隊)を動かしてるの?」

 

「いや、それはまだだ。だが、今の状況が続けばいずれ動かすだろうぜ。なんせ姐御は戦争マニアだ、放っとくわけがねえ」

 

「そう……。それにしても、よりにもよってバラライカさんを相手にするなんて。犯人は分かっててやってるのかな」

 

この街の人たちは、好き好んでホテル・モスクワという強大な組織を敵に回すようなことはしない。

なぜなら絶対に勝てるわけがないと理解しているからだ。

 

バラライカさんが統率するホテル・モスクワはこの街で一等暴力に特化している組織。だからこそ恐れられている。

あの冷酷非情と謳われる女性を、犯人はどういう思惑で相手取る気でいるのか。

 

この街の力関係を理解している上で取っている行動なのであれば、犯人は相当な命知らずだ。

 

 

「さあな。だが、あえて狙ってるのは確かだろうぜ。どこの誰かは分からねえが、この街で超ド級の花火を打ち上げようとしてる。――血を見ねえではすまねえかもな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

――どこぞの愚か者が我が組織に牙を向けている。

 

そうバラライカが確信したのは四人目のホテル・モスクワ関係者が殺されてからだった。

 

無数に撃ち込まれた跡。

体の一部が切断。

鋭い刃物でつけられた深い切り傷。

 

これらが今までの死体に全て共通していることから、同一人物の犯行。そしてホテルモスクワを狙っていると断定し即座に動いたが、未だに手がかり一つも見当たらない。

 

一方的にただ蹂躙されているこの状況を彼女が面白いわけもなく、嗜好品である葉巻の吸い殻と眉間に皺を寄せることが多くなる一方である。

 

 

 

六人目が殺された今、自身の私兵を動かすべきかと考えていたバラライカに一つの連絡が入った。

 

 

相互利益の為に協調体制をとっている組織の連絡会を行うというものだ。

言わずもがな一連の事件についてであることは明白で、そうでなくても悪徳の都を支配する一人として参加しなくてはならない。

 

 

バラライカは重い腰を上げ告げられた場所へ時刻通り赴けば、そこには既に連絡会に名を連ねる組織のトップたちが集っていた。

 

 

 

雨のせいなのか元々の雰囲気のせいか暗い内装を感じさせる寂れたバーは、更に重々しい空気に満ち溢れている。

バラライカはため息を吐きそうになりながらも、コツコツとハイヒールの音を高らかに響かせその中心に向かう。

 

 

「よう火傷顔(フライフェイス)、随分遅い到着だな。ロシア人は相当ノロマらしい」

 

そんな彼女を余裕たっぷりの笑みを浮かべ嫌味を言い放ったのは、コーサノストラのヴェロッキオだ。

高身長で大柄であるヴェロッキオは、自身よりも少し背の低いバラライカを見下ろす。

 

「言動も行動も軽いイタ公よりマシだわ。ま、毎回つっかからないと気が済まないお子様には何を言っても無駄でしょうけど」

 

「口には気いつけろよ。女王様気取りのクソイワンが」

 

「二人とも口を慎め。我々がここにいるのは罵詈雑言を浴びせるためじゃないだろう」

 

 

 

横から二人の会話を諫めたのは、三合会の張維新。

張の抑止の声に、バラライカとヴェロッキオは睨み合いながらも口を閉じる。

 

 

 

「さて、本題に入ろう。今回の議題は言わなくても分かるな?」

 

一瞬の沈黙が下りたところで張は集ったボスたちに問いかける。

 

「こちらはまた一人殺された。今度は会計士よ。――ここが私の知らない間に紛争地帯になっているとは思わなかった」

 

その問いかけにいち早く反応したのはバラライカ。

戦争狂で知られる彼女の意味深な発言にすかさず張が言葉を返す。

 

「そうならないために我々はこうして共存の時代を歩んでいる。流血と銃弾の果てにようやく手にした均衡は大事にしたい。そうだろうMs.バラライカ?」

 

「あら、貴方には私が血も武器も惜しむような人間に見えているのねMr.張」

 

「少なくとも仲間の血を流すことは好まないはずだ」

 

 

 

バラライカは口元に弧を描きサングラスに隠れた瞳を見る。

張は彼女の視線を受けると煙を吐き、灰を地面へ落としゆっくりと口を開く。

 

 

 

 

「それは俺も一緒だよ。こっちの手の者もやられたと知ったときはガラにもなく驚いたものだ」

 

「……なに?」

 

「今朝方の話だ。14K(サブセイケイ)の系列組員と直属の幹部が一名、ラチャダストリートの売春窟で物言わぬ人形になって見つかった。手口はお宅と全く一緒だよ」

 

「……」

 

 

 

張の言葉にバラライカは眉間に皺を寄せる。

 

 

 

 

ホテルモスクワ関連の人間だけが被害に遭っているのなら、組織を良く思っていない人物が事を起こしたという単純な答えに行き着く。

今回もそれを前提としてバラライカは組員を動かしていた。

 

 

 

だが、他の組織も狙われているとなると話は違ってくる。

 

 

 

 

 

バラライカは一つの考えに至り、鋭い眼光を携える。

 

「天秤を動かそうとしている奴がいる。――私を見ろアブレーゴ」

 

恫喝にも等しい声音で自身からずっと目を合わせなかった褐色の男、マニサレラ・カルテルのボスであるアブレーゴに呼び掛ける。

 

「冗談はよしてくれバラライカ。確かに俺たちはアンタと揉めたことはあるが手打ちは済んでる。誰が好き好んで兵隊も揃わねえ中ドンパチなんざぶり返すかってんだ」

 

「……では、アブレーゴ。真犯人についてヴェロッキオに質問を」

 

「ざけんじゃねえ火傷顔。こっちだって手配師が一人やられてんだ」

 

「……」

 

おかしい。

こいつらの言っていることが正しければ、連絡会に名を連ねる組織の犯行ではないということになる。

張が言った“仲間の血を流すことを好まない”のはここにいる者全員そうだ。

 

だが、何故だ。そうであるなら何故“未だに情報が出てこない”。

よそ者の仕業ならすぐに分かるというのに。

 

 

 

 

 

 

バラライカは彼らの言葉に違和感を覚え、思えば以前もこういう事があったと考えを巡らす。

この連絡会というシステムが出来上がった直後に起こったあの大量殺人。

情けなくも、その時は犯人からヒントを与えられるまで何の情報も得られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の不快感も、あの時と全く同じもの。

 

 

 

 

 

 

 

「――は、成程な」

 

 

 

そう思い至り、目を伏せ息を吐き呟く。

 

 

 

「バラライカ?」

 

 

 

彼女の呟きに、張は怪訝そうに声をかける。

 

「いえ、少し思い出してね。そういえば、あの時もこんな不快感を抱いたものだと」

 

「あの時?」

 

「アブレーゴ、まさか忘れた訳はないでしょう。――五年前、一人のクソガキが引き起こした“あの事件”を」

 

 

 

 

 

 

その一言に一同は顔を強張らせた。

バラライカはそのことを意に介さず言葉を続ける。

 

「張、貴方の言うことも確かに一理ある。だが、今回の連絡会は何も意味は為さないぞ」

 

「つまり、俺たちの誰かがやっていると信じて疑わないってか。仲間犠牲にしてメリットがあるって?」

 

「イタ公は言うことが一緒なのね。身内から死人が出れば立派なアリバイが作れる。作ってしまえば周りから疑われることもない。――それを証明、実行したのは他でもないお前の元右腕だ。忘れたとは言わせんぞヴェロッキオ」

 

「――今日は一段と上から目線だな。イワンの女狐風情が」

 

 

再び二人は鋭い視線を交わす。

ボスの後ろに控えているそれぞれの部下たちは、凍てつく空気に直立の姿勢を崩すことができない。

 

 

 

 

「Ms.バラライカ」

 

 

 

 

しばしの沈黙を破り、張は煙草を地面に落とし徐に自身の考えを述べる。

 

「それを言ってしまえば元も子もない。あの時と状況は違うんだ、そう断定するのは些か性急過ぎる」

 

「張の言う通りだ。この街の仕組みを知らねえ奴の仕業っつうこともあり得る」

 

「だから協力して犯人を炙りだそうと言いたいのか? くだらない茶番だな」

 

「んだとてめえ!」

 

バラライカの発言に更に不機嫌になったヴェロッキオは怒気を孕んだ声を発する。

張もまた、片眉を上げ言い返す。

 

「そう思うのは勝手だ。だが、この街ごと吹っ飛ばすのは誰の本意でもない。君もそうだろう」

 

「私は親睦会をするためにここに来たわけではない。そのつもりならお前たちだけでポーカーを楽しむといい。――一つ言っておくぞ」

 

彼女は冷たく鋭い視線を彼らに向け、少しの間を置き宣言する。

 

「我々ホテル・モスクワは、道を阻むものを容赦なく殲滅する。親兄弟、必要であれば飼い犬までな」

 

 

 

もう用はないと言わんばかりの雰囲気を纏う彼女に従い、ボリスが入り口のドアを開ける。

雨の音が響く中、バラライカは自身を見続ける彼らに凛々しく言い放つ。

 

 

 

 

 

 

 

「我々に牙を向けたその意味を存分に思い知らせてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

レヴィと岡島から話を聞いてから数日経った。

しかし、ホテル・モスクワを狙っている犯人は悪運が強いのかまだ捕まっていないらしい。

 

分かっているのは事件が起きるのは決まって夜だという事。

 

だから昼間は比較的安全。

 

 

と言っても、絶対安心できるわけではないし大した用もないのでいつも通り家に籠り、ハンカチに紫と白のライラックを一輪ずつ布に咲かせようと刺繍をしている。

 

今やっと紫の一輪が完成し、今から白の二輪目に入ろうとしているところだ。

 

一息つき、ふと時計を見るともう午後の3時を指していた。

 

元々今日は一週間ぶりに収納場所へ行こうと決めていたので、そろそろ向かおうと手を止める。

まだハンカチは完成していないが、帰った後にまた続きをすれば問題ない。

どうせやることもなく暇なのだから。

 

 

腰を上げ、家の鍵をかけてから収納場所へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――しまった。全く何をしているんだ私は。

 

あの場所の居心地が良すぎてつい時間を忘れてしまい、気が付けば外はそろそろ陽が沈んで暗くなろうとしている時間だった。

こうなる前に帰ろうと思っていたのにとんだ不注意だ。

 

こんな街の端っこに犯人が現れるとは思えないが、警戒することに越したことはない。

 

早く帰らなければ、といつもより早歩きで帰路を辿る。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ姉様、この通り何もないよ」

 

「ここが街の一番端っこなのかもしれないわね」

 

「こんなところ歩いても楽しくないよ」

 

「あらそう? 冒険って感じがしていいじゃない兄様」

 

 

 

 

 

 

そんな時、すぐ横から誰かが話している声が聞こえてきた。

 

驚いて声の方を向くと、そこには黒い服に銀髪の男の子と女の子が楽しそうに歩いていた。

 

 

どうしてこんなところに子供がいるのか。それもこれから暗くなるというのに。

…だが、私には関係ないことだ。だから声をかける必要も理由もない。

 

 

 

二人の背中から目線を外そうとした瞬間、女の子が持っていた長い棒状の荷物から何かが落ちていくのが見えた。

 

本人はそれに気づくことなくどんどん歩いていく。

 

数歩歩けば届く距離だったので気になってしまい、家路から少し足をずらし地面に落ちたものを手に取る。

 

 

 

 

それは、私の手の平に収まるサイズの青いクマのぬいぐるみ。

腕と足の付け根が片方ずつ千切れかけ、ところどころ糸が解れて綿がはみ出している状態だ。

 

 

 

 

ここまでボロボロになっても手放さないということは、よほど大事な物なのだろうか。

 

 

再び落とした本人の方を見ると、やはり気づいている様子はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああもう。

 

 

 

 

 

拾ってしまったものはしょうがない。

落とし物を子供に届けるだけ、だからきっと何も問題はないはずだ。

 

それに子供がここまで大事にしている物をまた地面に落とすのは忍びない。

 

幸いまだ声をかければ届く距離。

 

 

 

意を決して息を吸い口を開く。

 

 

 

 

「ねえちょっと! そこの女の子!」

 

 

 

 

呼び掛けると、女の子と隣にいる男の子は足を止めこちらに振り向いてくれた。

気づいてくれるか不安だったがどうやらちゃんと聞こえたらしい。

 

やはり知らない大人から声をかけられたからか、不思議そうな目でこちらを見ている。

 

私は怖がらせないようゆっくり歩く。

二人の前に辿り着き、しゃがんで女の子と目線を合わせてからできるだけ柔らかい声音で話しかける。

 

「ごめんね、急に呼び止めて」

 

「びっくりしちゃった。まさかこんなところに人がいるなんて」

 

女の子はそう言うと可愛らしい微笑みを浮かべた。

隣にいる男の子にも目をやると、女の子と顔が瓜二つだということに気が付いた。

この子たち、もしかして双子なのだろうか。

 

 

 

「それでどうしたのお姉さん。私に何か用があるの?」

 

 

 

そう考えていると、女の子が微笑みを崩すことなく声をかけてくる。

ハッとし、考えるのをやめ本題に入ろうと口を開く。

 

「ああ、ごめん。これ、君のじゃない? さっき落としてたのが目に入って」

 

先程拾ったボロボロのぬいぐるみを差し出すと、女の子は驚いた顔をして自身の荷物を見る。

 

「あら、気づかなかったわ。ありがとうお姉さん」

 

「どういたしまして。今度からちゃんと持っておかないとね。また落としたら大変だから」

 

「ええ。でも、ここまでボロボロになっちゃったらもう捨てるしかないわね」

 

「……でも、大事な物なんでしょ。捨てるのはもったいないんじゃない?」

 

「私お裁縫得意じゃないから直すことできないわ。だからしょうがないの。いらなくなったものは捨てるしかないでしょう?」

 

 

 

それはそうなのだが、このぬいぐるみの状態は直せない程酷いものではない。

だから今捨てるのはとても勿体ない気がする。お気に入りのものであるなら尚更。

 

 

 

「誰かに頼むとかしないの?」

 

「頼んだことあるんだけど断られちゃったの。そんなもの必要ないだろって」

 

いや、必要であるかどうかはこの子が決めるのであってその人ではないのでは?

まあ、今それを追及したところでどうにもならないので口にはしないが。

 

「ねえ、どうしてお姉さんはそこまで気に掛けるの? 初めて会ったばかりなのに」

 

そう問いかけてきたのは女の子ではなく今まで黙って聞いていた男の子。

急な質問に少し驚いたが、不思議だと言わんばかりの表情をしている男の子に言葉を返す。

 

「これ、確かにいい状態じゃないけどすぐ直せるよ。だから本当に捨てるのは勿体ないと思って」

 

「もう腕も足も千切れかけてるのに?」

 

「少し綿を追加して縫い付ければ問題ないよ。それに丁度いいサイズだから手間取る事ないだろうし。だから」

 

「ねえねえ、もしかしてお姉さんってお裁縫好きなの?」

 

だから捨てるのはやめといたら?

 

と言葉を続けようとしたのだが、それは女の子の明るい声に遮られた。

 

「……そうだよ。よく分かったね」

 

「だって話してるときとても楽しそうだもの」

 

「そ、そう?」

 

無意識に子供にも分かるほどはしゃいでしまっていたのか。

大の大人が何をやっているんだ。

 

「ごめんね、恥ずかしいところを見せて」

 

「謝ることじゃないわ。私も見ていて悪い気はしなかったもの」

 

「でも、僕はみっともないところ見せられたお詫びしてほしいな」

 

 

 

 

今まで黙っていた男の子の一言に思わず驚く。

 

確かに嫌な気分にさせてしまったのは申し訳ないが、男の子が詫びを求めるとは思ってなかった。どちらかというと女の子の方が求めるものだとばかり。

 

男の子の言葉に女の子は何か閃いた顔をする。

 

 

 

「そうねえ。考えてみれば確かにお詫びが欲しいわ」

 

「……一応、聞いておこうか。君たちが私に望んでるものは?」

 

 

 

まあ、この話の流れで大方予想はつくのだが全く別の事を言われる可能性もある。

だから、念のためこの子たちが私に何を求めているのか聞いておく。

 

 

 

「このぬいぐるみを直してほしいわ。すぐ直せるんでしょう?」

 

「すぐって言っても一時間はかかるよ。でももう暗くなるし、また明日ここに来てもらって」

 

「僕たちはまたこの後行くところがあるんだ。今はその暇つぶしで散歩してただけ。だから時間は大丈夫だよ」

 

「いや、でも」

 

「お詫び、してくれないの?」

 

 

 

女の子と男の子が期待している目でこちらを見ている。

 

 

 

私としてはこのまま帰らせたいところなのだが、この感じだとどうも諦めてくれそうにない。

それにこの子たちへのお詫びという事なら強く跳ね返すこともできない。

 

少し考えて、息を吐く。

しゃがんだまま、二人と視線を交わしつつ徐に口を開く。

 

「私の家すぐそこなの。少し狭くてもいいなら歓迎するよ」

 

「あら、お家に上がっていいの?」

 

「夜に依頼人をほったらかしにするのは趣味じゃないから」

 

「優しいのね、お姉さん。いいわよね、兄様?」

 

「勿論さ姉様」

 

二人は私の返答を聞いて嬉しそうに微笑んだ。

 

 

 

 

「じゃあ早速行こうか。こっちだよ」

 

しゃがんでいる態勢を崩し腰を伸ばす。そして、そのまま背後に小さな二人の客人を連れて仕事場でもある家に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、本当に私は子供に甘い。

 

 

 

 

 




とうとう始まりました。

はてさて、どうなることやら…。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。