「――よお、ご苦労さん」
「ワトサップ、生存者は」
「残念ながら全滅だ。俺たちが駆け付けた時給仕は辛うじて息をしてたんだが、すぐ死んだよ」
「……そうか」
早朝、バラライカはホテル・モスクワの傘下として経営しているカリビアン・バーを訪れていた。
いつもは豪勢でも古臭いでもない普通のバー。
だが、眼前に広がるその店はあまりにも異常な様へと成り果てていた。
窓ガラスは割れ、中には血飛沫が舞った跡や血だまりがこびりつき、大量の薬莢が散らばっている。
この有様は、何者かによる襲撃によって出来上がったものだということは誰の目から見ても明らかだった。
だが、彼女にとって問題なのはバーの荒れ果てた姿などではない。
――昨日、深夜にカリビアン・バーで信頼に足る部下が殺されたのだ。
集金人としてカリビアン・バーに向かわせたのは、遊撃隊であるメニショフとサハロフの二人組。
彼らは昔からバラライカが率いる部隊の一員として数多の戦場を駆け抜け生き延びてきた。
バラライカは二人一組で行動させれば殺されることはないと思っていたからこそ、彼らに通常通りの業務をこなさせていた。
その戦友たちが、一人は腕が切り落とされ絶命。もう一人は遺体が見つからず行方不明という仲間の誰一人として予想していなかった事態となった。
自身が率いる遊撃隊に対し厚い信頼と情を注いでるバラライカは自ら現場へと赴いたのだ。
「今回も特に情報はないのか?」
「これといって目ぼしいものはな。俺たちが見つけたのは穴だらけの死体と妙に小奇麗なハンカチくらいだ」
「ハンカチ?」
「ああ、これがそうだ」
ロアナプラの警察署長であるワトサップがバラライカに差し出したのは、白い布に紫色の花が一輪刺繍されたハンカチ。
血まみれの現場に落ちていたにもかかわらず、汚れ一つもついていない。
バラライカはそのハンカチを受け取り、しばらく眺めてから懐に入れ再び口を開く。
「……ワトサップ、一連の件を中央へは漏らすな。色々と厄介なことになる」
「ああ、分かってるさ。俺もこの街は気に入ってる。それに、俺たちにも賞金は出るんだろ? なら尚更、んな野暮なことはしねえよ」
「……」
バラライカはワトサップの言葉に何も返さず、そのまま現場を後にした。
「――全く、不愉快な男だ。……しかし、酷い失態だ。二人一組で行動させればやられることはないと思い込んでいた」
「どんな不注意であろうと彼らが易々とやられるわけがありません、大尉殿。何か虚を突かれたか、或いは向こうも単独ではないか」
「だとしてもだ。私がもっと細心の注意を払っておけばこうなることはなかっただろう。――これは私の過ちだ」
バラライカは高級車に乗り込み、側近であるボリスと静かに言葉を交わす。
彼女が生み出す葉巻の煙と胸の内にある静かな怒りが車内を包み込んでいる。
「これ以上の犠牲を我が隊から出すわけにはいかん」
「では、モスクワ直下の人間で捜索班を結成させましょう。今はあまりにも情報が少なすぎる」
「ああ。……同志軍曹、これを見て何か思うことはあるか」
懐にしまっていた小奇麗なハンカチを取り出し問いかける。
ボリスはそれを受け取るとまじまじと見つめ考えこみ、やがて徐に口を開く。
「細かい部分まで丁寧に作りこまれておりますな。これはまるで」
「気づいたか軍曹。この街でこんなものを作れる人間は一人しかいない」
「しかし、彼女がこの件に関与しているとはとても」
「ああ。だが、確認しない訳にはいくまいよ」
バラライカは眉間に皺をよせ、深いため息とともに煙を吐き出した。
小さな二人の客人を招いてから一晩が経った。
目覚めてからいつものようにトーストとココアを食し、今日は何をしようかと考えながらゆっくり過ごしている。
自分の時間がたくさん持てるのはいいことだと思うのだが、こう何日も依頼がない日々が続くのも少し考えものだ。
とりあえず作業場に向かおうと腰を上げる。
その時、表のドアからノック音が聞こえてきた。
こんな朝早くに来客なんて珍しいことがあるものだと驚いていると、次の瞬間届いてきた声に更に驚かされた。
「キキョウ、いるなら開けて頂戴」
その女性の声は、得意先でありもしものための保険となってくれているバラライカさんのものだった。
訪れたのが大事な客人であることを理解し、待たせるわけにはいかないと急いでドアを開ける。
そこにはやはり、綺麗なブロンドの髪と顔に火傷跡がある女性と彼女の側近である体格のいい男性が立っていた。
「ごめんなさいね、こんな朝早くから」
「大丈夫ですよ。ここではなんですからどうぞ中に」
いつものように招き入れれば躊躇うことなくバラライカさんとボリスさんは中へ入ってきた。
来客用の椅子を一つ出し、彼女が腰かけたのを見て自身も向き合うように座る。
ボリスさんの分を出さなかったのは、彼が無言で椅子を出すのを手で制止したからだ。
これもいつもの事なので特に気にしていない。
「貴女が自らここに来るのは久しぶりですね」
「そうね。ここ最近はアナタに来てもらうことが多かったから」
「では、久々にコーヒーをお淹れしましょうか?」
「ぜひいただくわ。――と言いたいところだけど、今日は世間話をしに来たわけじゃないの。だから結構よ」
そう言うバラライカさんがいつになく硬い表情をしていることに気づき、一瞬にして体に緊張が走る。
彼女がわざわざここに来た理由は分からないが、その表情にお茶会をする雰囲気ではないことは嫌でも理解できた。
「早速だけど本題に入りましょうか。キキョウ、アナタこれに見覚えは?」
向こうから話を切り出すのを待っていると、バラライカさんは懐から何やら白い布を取り出し私に差し出してきた。
「少し見せてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
バラライカさんの手から受け取り、丁寧にたたまれたそれを広げ確かめる。
目に入ってきたものを見て、私は思わず目を見開いた。
「これは」
「その反応だと、やはりアナタが作ったものなのね」
「……ええ。なぜこれが貴女の手にあるのか、聞いてもよろしいでしょうか?」
今私が手にしているのは、昨日男の子にあげたはずの紫色のライラックが刺繍されたハンカチ。
どうしてこれがバラライカさんの手元にあるのか。
そしてなぜ彼女がこのハンカチをここへ届けに来たのか。
この人がわざわざ落とし物を届けにくる訳がない。
私の頭の中は一瞬にして数々の疑問で埋め尽くされたが、ひとまず一番気になることを聞いた。
その疑問を聞いて口を開いたのは、バラライカさんの後ろに立っているボリスさんだった。
「今朝、我々の同志であるメニショフ伍長が殺された」
「……え?」
「その現場に落ちていたのが、そのハンカチだ」
「この意味が分からないわけじゃないでしょう」
メニショフさんは遊撃隊の一人で、バラライカさんが信頼している部下。
その彼が殺された現場に私の作ったハンカチが落ちていた。
こんなことを目の前の女ボスが冗談で言うはずもなく、本当の事なのだと瞬時に理解する。
そして、バラライカさんがここへ来る動機は充分揃っている事も。
「キキョウ、これを一体どこの誰に作ったの?」
「……」
彼女の鋭い眼光を真っ向から浴びる。
私はこういう時、どういう対応をとるべきか知っている。
そしてバラライカさんも、私が知っていることを知っているはず。
暴力を用いて吐かせられるものを、こうして彼女にしては手緩い尋問で済ませてくれようとしていることが何よりの証拠だ。
そんな彼女とここ数年で築き上げてきた大切な信頼と一度会っただけの子供たちの情報。
天秤にかけるまでもない。
「――昨日の夕方の事です。私は収納部屋の様子を見るため外に出ていました」
冷たく鋭利な眼光から目を逸らさず、徐に口を開き静かに話を始める。
「帰る時にはすでに暗くなり始めていたので急いで帰ろうとしていました。……“あの子たち”と会ったのはその時です」
「あの子たち?」
強調したその言葉に、バラライカさんは片眉を上げて聞き返す。
「ええ。恐らく十代前半…もしかしたら十代に満たないかもしれません。顔が瓜二つの男女の双子で二人とも銀髪でした。男の子は短髪、女の子は腰までの長髪です」
「……」
流石の彼女も、まさか相手が子供だとは思ってなかったらしい。
ブルーグレーの瞳が少し揺らいだ気がしたが、それには触れず話を続ける。
「黒い服を着ていて、女の子は何か長い棒状のようなものを持ち歩いてました。それが何なのかは分かりません。あと、お互いを兄様、姉様と呼び合っていましたね」
「名前は?」
「聞きそびれてしまって……。すみません」
「……そう。容姿については十分分かった。他に何か気になったことは?」
子供が自分の部下を殺したなんて普通は冗談を言うなと激昂されそうなものだが、有難いことにひとまず私の話を信用したようだ。
だが、これだけでは何も分からないのだろう。
他に気になったこと……。
彼女の期待に答えようと必死に頭を巡らす。
ふと、手に持っていたハンカチの柄が目に入る。
そういえば、あの男の子は聞きなれない名前でこの花を呼んでいた。
その呼び名は確か――
「……リリアック」
「何?」
「この花の名前、一般的にはライラックと呼ばれているんです。ですが、男の子はこれを“リリアック”と呼んでいました」
「その呼び名に心当たりは?」
「ありません。少なくとも私は聞いたことがない呼び名です。これは憶測ですが、もしかしたら彼らの出身地特有の呼び方かもしれませんね」
ハンカチに刺繍された紫色の花を見せながら、少ししかない知識と憶測を述べる。
「あと、これを渡した時に小さくメルシーとか、出て行った時にチャオとか英語ではない言葉が出てきました。どこの言葉かは分かりません。……私が知っているのはこれが全部です。あまりお力になれないかもしれませんが」
あの子たちの情報、気になったことはこれで全部だ。
伝えそびれたことも嘘も何一つない。
相変わらず冷めている目を真っすぐ見つめ、これ以上話せるものがない事を言葉と目で訴える。
「いいえ、英語圏出身ではないことと詳しい容姿が分かっただけでも十分よ」
その訴えに偽りがないことを感じ取ってくれたのか、それ以上何か聞いてくることはなかった。
「邪魔したわね。この礼は、すべてが終わった後に」
「私の事はお気になさらず。これはお返ししたほうが?」
「もう必要ないわ。アナタの好きに処分なさい」
「分かりました。……バラライカさん」
もうここにいる理由がなくなりすぐさま腰を上げ立ち去ろうとしたバラライカさんを引き留める。
「メニショフさんのこと、心からご冥福をお祈りいたします。彼とはもっと話がしたかった。本当に、残念です」
メニショフさんはホテル・モスクワの事務所へ服を届ける時、いつも気軽に話しかけてくれた。そのたびに他愛のない世間話をし、楽しいひと時を過ごさせて貰った。
だがもう、その穏やかな時間を彼と過ごせることは永遠にない。
「……ありがとうキキョウ。この街で我々以外にそう言ってくれるのは、アナタだけよ」
私の言葉にゆっくりと振り向き、バラライカさんはそう言い残してボリスさんと共に今度こそ出て行った。
――お礼を言った時、彼女のブルーグレーの瞳が僅かに揺らいだのが今度ははっきり見えた。
「――あの子は私の信頼と期待をいつも裏切らない。本当に有難いことだ」
「そうですな大尉殿」
キキョウの家を出た後、バラライカとボリスは再び車に乗り込みホテル・モスクワの事務所へ向かっていた。
一流と謳われる洋裁屋がもたらした情報はバラライカにとって有益すぎるものだった。
バラライカはこの数年の付き合いで、ある種イカレているあの女が真っすぐな目を向けて話す時に嘘をつかないこと。そして、子供の命よりも自身との信頼を優先することを理解している。
だからこそ、今回も嘘偽りのない情報だと疑う余地がなかった。
「しかし、まさか子供が刺客だとは。バンジシールを思い出させる」
「そうだな軍曹。――魂にも脂肪はつくものだ。それは我々の魂も例外ではない」
「その通りであります大尉殿。以後気を引き締めます」
バラライカが葉巻を口にするとボリスがすかさず火を着ける。
煙を燻らせ、車内を高級葉巻の匂いで包み込む。
「……あの共同墓地から戦死はこれで8名だ。何人死なせても馴染みはせん」
「あの日から戦死は覚悟の上であります。それはメニショフ伍長も同じだった事でしょう」
「もう殺らせはせん。殺らせてなるものか」
バラライカは、怒気を孕んだ声音ではっきりと言葉を口にする。
「同志メニショフの命は、ガキ共の命と血をもって贖わせる」
その鋭い眼光が見据えるは、自身の敵。
「――憎悪を込めて殺してやる」
彼女の誓いにも似た言葉は、酷く冷めていた。
ぬいぐるみは戻ってきましたが、ハンカチは再び彼の手に戻るのか。
==質問コーナー==
張さんへ質問です。
スーツに何度も煙草の跡を残してしまうのって、スーツの着心地が良すぎて自分がスーツ姿だと忘れてしまうからですか?
張「全くその通りだ。と言いたいところだが、資料とか見てるとつい灰を落とすのを忘れちまってな。だが、着たまま寝れるくらいに着心地がいいのは確かだぞ」
キ「その言い草だと一回寝ましたね張さん」
張「はっはっは」
キ「(笑ってごまかそうとしてるこの人)」
<華原は、張さんがそういうところはだらしない人だと思ってます>