ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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17 最後に手向けられたのは… 2

――海の真ん中。私は今、潮風が吹き太陽が照りつけている海上にいる。

正確には、その海上に浮かんでいるラグーン号の船内だが。

 

ラグーン号の中にある密室には私の他に銀髪の女の子グレーテルと岡島もいる。

 

本来であれば私は今頃自分の部屋でゆっくり過ごしているはずなのだが、こうなったのには訳がある。

 

 

 

 

グレーテルに脅されてそのままラグーン商会まで案内したのだが、事務所に着いた途端「場所の案内まで、っていう約束だものね。それに、こっちの方が話が早いわ」と再び銃を向けられた。

 

やられた、と為す術もなくそのまま事務所のドアを叩けば商会のメンバーは動揺を隠せなかったようで、岡島は食べかけのピザを下に落とすし、レヴィはすごい形相で銃をこちらに向けるし、

ダッチさんとベニーに至ってはグレーテルが喋るまで固まっているというカオスな状況に。

 

 

私よりも騒動に巻き込まれているのには慣れているのだからそんなに動揺しなくてもいいのでは?と思ったのは口に出さないでおいた。

 

そんなおかしな状況で、グレーテルが自身の逃がしの依頼と報酬について話すとダッチさんは渋々ではあったがその依頼を引き受けた。

 

 

 

これで解放されると安堵したのも束の間、グレーテルが「お姉さんも途中まで一緒に行きましょ?」と驚いた提案をしてきたのだ。

 

 

 

何故、と問えば「もっとお話がしたい」とのことで、それを聞いた瞬間レヴィが「キキョウ今すぐソイツから離れろ! ダッチ、いっそここで殺しちまおうぜ!」と激昂した。

レヴィの怒鳴り声が響く中、「一緒に来てくれるならもう銃は向けないわ。……約束するから、お願い」と懇願された。

 

 

しばらく考えた末、私はお願いを了承した。

 

 

だが、そこに待ったをかけたのが岡島で「キキョウさんが着いていく理由はないはずでは?」と聞かれたので「これでスムーズに話が進むなら別にいいんじゃないかな」と可もなく不可もない答えを返した。

 

 

ダッチさんは「お前をこのまま見捨てたらバラライカや張に何言われるか分かったもんじゃねえな」とこれもまた渋々といった感じだったが、私が同行することも許してくれた。

レヴィと岡島は納得していない様子だったが、ボスでもあるダッチさんの決定である以上あまり口出しはしないようで二人とも静かになった。

 

 

 

 

――そんな訳で、グレーテルの逃亡劇に付き合わされ、今は二人で話しながら暇を過ごしている。

 

 

 

「キキョウお姉さんってとっても綺麗な瞳してるのね。見てると吸い込まれそう」

 

「そうかな? あまり気にしたことないけど」

 

「いいなあ、私も黒い瞳で生まれたかったわ。黒はとっても純粋な色だから羨ましい」

 

「純粋?」

 

「そ。だって唯一何にも染まらない色だもの。白よりも綺麗だと思うわ、私」

 

グレーテルはそう言いながら私の膝の上にちょこんと座ってきた。

少し驚いたが、あまり重くないのもあってどかそうという気は起きなかった。

 

やがて、こちらを見ながら微笑みを浮かべると「うふふっ」と笑った。

 

「やっぱりお姉さんは不思議な人ね」

 

「え?」

 

「初めて会った時からずっと思ってたのよ。あの街の人たちや私達とも違う。けど、そこにいるお兄さんみたいに全く別の世界の人ってわけでもないって」

 

「……どういうこと?」

 

子供らしくない大人びた発言に驚きながらも、その言葉の意味を聞く。

岡島も気になったようで、口出しはしないがこちらを黙って見ている。

 

「そのままの意味よ。私、いい人と悪い人の見分けは得意なんだけどお姉さんは少し難しいの。優しくて温かいけど、それとは違う何かを漂わせてる」

 

 

私が優しい?見当違いも程があるだろう。

子供からしたら、自身の我儘を聞いた人間は優しいの部類に入るのだろうが。

 

 

 

「私は優しくないよ。ちっともね」

 

「少なくても私はこんなに甘やかされたことはないわ。――我儘なんて、何一つ言えなかったもの」

 

「……」

 

そう言ったグレーテルは、どこか寂し気な雰囲気を纏っていた。

この歳で我儘の一つも言えないなんて、相当酷い環境で育ったのかもしれない。

人殺しを楽しむような人格になってしまったのも、その環境のせいなのだろうか。

 

だが、気になってはいてもこの子とはすぐお別れするのだ。

彼女の過去を知ったところでどうしようもない。

 

 

 

「私達ね」

 

 

 

そう思い黙っていたのだが、グレーテルはやがてぽつぽつと語りだした。

 

「灰色の空と壁ばかり見つめて育ったわ。とっても寂しくて、暗いところ。……そんな場所で、唯一綺麗な色をしていたのがリリアックなの。咲いたら花を摘んで、甘い匂いに囲まれながら兄様と一緒に歌を歌うことが私達の楽しみだったわ」

 

 

膝の上で話す彼女の声音に、聞いているだけで寂しさを感じさせた。

 

 

「そんな日々が、ずっと続いてほしいって二人で神様にお願いしてたわ。でも、おじさま達に引き取られてから、血と闇しか見ることができなくなった。殴られて、蹴られて、その度に泣いていたらまた殴られて。そんな毎日だったわ」

 

 

 

彼女が語る内容にあまり驚きはなかった。

だけど、少しだけ手に力が入る。

 

 

 

「“どうして私たちがこんな目に”って何度も思ったわ。そんな時にね、『耐えればいつかこんな日々も終わる。だから頑張ろう』って、一緒にいた子が励ましてくれたの。兄様も私も、その言葉を信じてその子と一緒に耐え続けたわ。――でもね、気づいたの。」

 

 

 

グレーテルは膝から降りて、私と向かい合って言葉を続ける。

 

 

 

「その子が私たちの前に連れてこられて、道具で殴り続けて殺したその時にね。この世界で生きるということは、誰かの命を奪う事なんだって。それが“世界の仕組みだ”って気づいた時兄様も私も笑ったわ」

 

 

何かがあってこの子がこんな風になってしまったことなんて予想できていた。

聞かされたところでどうしようもないことも理解できている。

 

それでも告げられた内容に更に手に力が入る。

 

 

 

「殺し殺され、また殺して。そうやって世界は回っている。耐えたって何にもならないの」

 

「……そのためにお兄さんが死んで、悲しくないのかい?」

 

 

今まで黙っていた岡島が耐えかねたように聞いてきた。

その質問にきょとん、とした顔をした後頭に手を添え動かす。

 

 

 

 

「何言ってるの? 僕はちゃんとここにいる。僕たちはいつだって一緒なんだ」

 

 

 

長髪のウィッグを取り現れたのは、グレーテルが兄様と呼んでいたあの男の子。

先程までの女の子の声から一変、男の子の声でその子は岡島に答える。

 

その様を目の当たりにし、今度は目を見開いた。

それと同時に困惑する。

 

 

 

 

この子は、グレーテル?いや、兄様の方?

常に入れ替わっていたのだろうか。

 

 

 

 

頭が混乱している中、その子はまた静かに語り始めた。

 

 

 

 

「だって僕たちはいっぱい人を殺してきたんだ。殺した分だけ命は増える。そしてこれからも増やし続ける。だから死なない。……でも、誰も分かってくれないんだ。“それは狂った考えだ”って」

 

岡島にそれだけ言うと、再びこちらを向いて目の前まで歩みを進めながら言葉を続ける。

 

「ねえ、僕たち間違ってないよね? 優しいお姉さんなら、分かってくれるよね?」

 

そういう男の子の顔に浮かんでいたのは、どこか不安そうな、それでいて歪な笑顔。

その表情を見て、男の子が手にしているウィッグを優しく取る。

 

 

「そうだね、君たちは間違ってないよ」

 

「キキョウさん……!?」

 

 

岡島は私が肯定するとは思ってなかったのか驚いた声を出す。

手に取ったウィッグを男の子の頭に戻し、そのまま手を乗せ撫でる。

 

 

 

「よく、ここまでこれたね」

 

「……お姉さん?」

 

 

 

目の前に立っているその子はグレーテルの声音に戻り、私の言葉と行動にすこし困惑したような表情を浮かべた。

 

 

「君たちは、“そうするしかなかった”んだよね」

 

 

この子たちは自分たちの考えを正しいと思い込んで、人を殺さないと生きられなかった。

暴力に支配された何の力もない子供が生きるには、その世界に順応するしかない。

 

それを嫌というほど思い知っている私が、『間違っている』なんて言えるはずもない。

 

 

 

 

「――ああ、そっか。やっと分かったわ」

 

 

グレーテルは微笑み、何か納得したような声音を出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お姉さんも、“そうだった”のね。生きるために命を紡いだ、違う?」

 

 

 

 

 

 

グレーテルの言葉に一瞬手を止める。

 

 

「……私の場合は、“紡がれた”っていう方が正しいかな」

 

呟くと、意味が分からなかったのか不思議そうに首を傾げていた。

 

 

「私と君は少しだけ違う、っていう話だよ」

 

 

 

私と彼女たちとの違いは、“その世界から逃がしてくれる人と巡り会えたかどうか”だけ。

 

でなければ、私は今ここにはいない。

私はその運に恵まれて、この子たちは恵まれなかった。

 

たったそれだけだ。

 

頭を撫で続けていると、グレーテルが「やっぱり、お姉さんは優しいわね」と少し嬉しそうに微笑んだ。

 

 

その時、密室のドアからノック音が響いた直後「お話し中ごめんよ」とベニーが出てきた。

 

「キキョウ、君にある人から連絡がきてる。ちょっと来てもらっていいかい?」

 

「私に?」

 

私がラグーン号に乗っていることを知っているのは、商会のメンバーだけだ。

あの街で知っているのは誰もいないはず。

 

――いや、よく考えてみればいるじゃないか。

 

 

あの街の大体の情報を掴むことができて、尚且つグレーテルを殺そうと血眼になって探している人物。

その人物が彼女の行方を突き止めるのは容易い事で、私の行動を知られることも時間の問題だったということだ。

 

 

少し息を吐き、グレーテルに一言上からどいてもらうようお願いし意を決して立ち上がる。

 

 

「少しお話してくるね」

 

「ええ、待ってるわ」

 

グレーテルと軽く言葉を交わし、そのままベニーの後を着いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベニーに連れてこられたのは、初めて立ち入る操縦室だった。

そこには船を操作しているダッチさんの姿もあった。

 

「お前さんにだとよ。今繋がっているからそのまま話せ。……うまくやれよ」

 

少し意味ありげな事を言いながら、ダッチさんは連絡用に使っているであろうイヤホンマイクを差し出してきた。

それを受け取り、耳に当て口を開く。

 

 

「代わりました」

 

『何の用か分かるわね? キキョウ』

 

 

聞こえてきた声に、やっぱりかと予想通りの相手からだということを確信する。

 

 

 

「私がラグーン商会にあの子を案内したことが不可解なのでしょう?」

 

 

 

その問いに一瞬の間を空けることなく返答する。

バラライカさんは私の言葉を聞き、イヤホン越しでも分かるほど冷たい声音で話し出す。

 

 

『ダッチたちは自分たちの仕事をこなしているだけ。それは理解できる。だけど、“あなたが”ガキを手助けしようとした行動は理解できない上に許容の範囲外。……なぜそんなことを?』

 

「脅されたんです。だから、仕方ありませんでした」

 

『あなたが自分の命の心配? ハッ、ありえないわね』

 

「……」

 

 

彼女は私の言葉を信じていないのか鼻で笑った。

 

 

 

『キキョウ、自分が何をしたのか分かっているの?』

 

「ええ。貴女の不利益になりかねないことをしているのは重々承知です」

 

『ならばなぜ? ――私がそれを許すとでも思っているのか』

 

なったバラライカさんの口調が変わる。

彼女に敵意を向けられたのは久しぶりだ。

 

それに怖気づくことなく、今までと変わらず冷静に言葉を返す。

 

「そんなことは微塵も思っていません。だからこそですよ」

 

『なに……?』

 

「貴女はそういう類の人間を許す訳がない。敵と認識した相手には一切の躊躇なく、徹底的に殲滅する。私は貴女がそういう人だということを知っています」

 

そう、彼女が自身の敵を逃がすなんてありえない。

それはこの数年の付き合いでよく知っていることだ。

 

「私一人があの子を逃がそうと本気で画策したとしても、貴女の武力の前では何の意味も為さない。これは貴女のやり方と武力を信じているからこその行動です」

 

『……』

 

「それに、あの子にあのまま殺されるのは御免だと思いました。どうせ結果は変わらないのなら、せめて殺される相手は選びたい。そう思ったんです」

 

『つまり、ガキへの情けではないと』

 

「ええ」

 

 

今言った言葉はすべて本音だ。

あの子への情けではなく、すべて私の為に起こした行動。

 

殺されるとしても、自分なりに納得のいく行動をしたのだ。

後悔はない。

 

 

 

全て覚悟の上だ。

 

 

 

 

『……そうね。そうだったわ。貴女はただの死にたがりではないことを忘れかけてた。』

 

「思い出していただけたようで何よりです」

 

『全く。――私は貴女に借りがある。今回はその借りを返すってことでチャラでいいわ』

 

「ありがとうございます」

 

ひとまず私の言葉を信じてくれたようだ。おまけに寛大な心で許してくれるらしい。

そのことに素直にお礼の言葉を伝える。

 

『張にはなんて言うつもりなの? あの男もこの事はすでに知ってるわよ』

 

「貴女に伝えた通りに」

 

『それで納得するかしらね』

 

「納得されずに殺されるとしても構いませんよ。例え理不尽だとしても、彼が相手なら後悔はないですから」

 

『そう、なら好きになさい。――ではキキョウ、健闘を』

 

「ええ、貴女も」

 

その言葉を最後に、彼女との会話が終わった。

傍で私たちの会話を聞いていたダッチさんにイヤホンを返す。

 

 

 

「全く、聞いてるこっちがヒヤヒヤしたぜキキョウ。ほんとお前はこういう時程どうしようもないイカれ具合を発揮するな」

 

「イカれてるつもりはないんですけどね」

 

ダッチさんの言葉に苦笑する。

私は私の思っていることを言っただけなのだが、彼にはあまり理解されなかったようだ。

 

 

まあ、そんなことはもはや慣れっこだ。

 

 

「もうそろそろ目的地に着く。すまねえが、もう少しだけガキの相手をしててくれ」

 

「分かりました。では、失礼します」

 

一言そう言って、操縦室を後にする。

 

密室に向かいながら、溜まっていた息を盛大に吐き出した。

彼女とは短くない付き合いとはいえ、ああいう会話はやはり遠慮したいものだ。

 

「どうしたキキョウ。ガキのお守りに飽きたってなら後はロックに任せたらどうだ? あいつはそういうのに慣れてるからよ」

 

「……そんなんじゃないよ。レヴィこそ、たまにはお守りしてみたら? いい経験になると思うよ」

 

「そんな経験いらねえ」

 

今は岡島とグレーテルがいる密室の前に、見張りとしてやってきたのかレヴィが立っていた。

それに気づかず盛大なため息を聞かれたことに少し気恥ずかしさを感じながら返答する。

 

「キキョウ、お前本当にあのガキに対して何にも思ってねえのか?」

 

「思ってないよ。思ってたとしても何の意味もない。もう二度と会えないんだから。」

 

「……そうかい。すまねえ、余計なこと聞いた。お前は何かと他人に甘い部分があるから少し気になっちまった」

 

「やっぱりレヴィとしてはムカつくかな?」

 

「いや、そんなアンタだからアタシは助けられたんだ。だから文句もなにもねえよ」

 

「ならよかった」

 

口の端を上げているレヴィにつられ、自身も微笑みながら言葉を返す。

レヴィは煙草を咥え、火を着けて煙を吐き出した。

 

「アタシはそこで見張ってるから何かあったらすぐ言えよ? そん時はぶん殴って黙らせてやるから」

 

「分かった」

 

彼女の物騒な言葉に苦笑しながら、あの子が待っている部屋に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――どこかの街の港。

名前も分からないその場所に、どうやら逃がし屋がいるようだ。

 

着いたところで、グレーテルが自分の荷物を手に外へ出た。

私も最後なのでお見送りくらいしようと、レヴィの誘導に従い青空の下に出る。

 

「ダッチ、久しぶりだな」

 

「ああ、しばらくだ」

 

桟橋の向こうからやってきたサングラスをかけアロハシャツを着ている男性にダッチさんが軽い挨拶をしているのが見えた。きっとあの男性が逃がし屋なのだろう。

 

二人が何かを話している中、グレーテルは軽々と船から桟橋へ降りた。

 

「キキョウお姉さん!」

 

私の名を呼びながら、大きな黒い帽子から笑顔を覗かせる。

 

「またいつか、必ず会いましょ! それまで元気でね!」

 

 

ハンカチを渡した時のような可愛らしい笑顔で話す彼女に、どういう顔をしたらいいか分からなくなった。

 

 

またいつか、か。

 

 

目を瞑り、すぐに微笑みを浮かべ口を開く。

 

「……ええ、君も元気で」

 

 

 

 

 

 

 

――――バンッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間、その場に銃声が響く。

 

同時に、グレーテルの頭から血が流れ彼女は地に膝をついた。

 

 

 

その様に一瞬目を見開いたが、取り乱すことはなかった。

 

 

 

 

 

『またいつか』

 

 

 

 

 

そんなものは私と彼女の間に存在しないことは分かりきっていた。

 

バラライカさんは、必ずどこかで彼女を殺す。

だからまた会えるなんてあり得ないことなのだ。

 

 

 

グレーテルは頭から血を流し、空を見上げる。

 

 

 

灰色の瞳に映るのは、とても美しい晴天の色。

 

 

 

 

 

 

「――空。こんなに、綺麗……だった、のね」

 

 

 

 

 

彼女はその言葉を最期に空を仰ぐようにして倒れた。

 

 

 

 

 

彼女の最期を見届け、先に密室に戻ろうと足を動かすとポケットから何かが落ちた。

落とした物を手に取ってみると、それは完成させた紫と白のライラックが一輪ずつ刺繍されたハンカチ。

 

グレーテルに脅された時から入れっぱなしだったのをすっかり忘れていた。

 

 

そういえば、元々これはあの男の子にあげたもの。

だから私の手に戻ってきても、厳密にいえばこれは私の物ではない。

 

だが、あげた本人はここにはいない。

 

 

 

 

 

――姉弟である彼女になら、いいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ハンカチをしっかりと持ち、意を決して船から降りる。

 

「キキョウ?」

 

ダッチさんが急に降りてきた私に訝し気に声をかける。

その呼びかけに答えることなく、安らかに眠る彼女に近づく。

 

「おい、死体には触るなよ」

 

ダッチさんの忠告に無言で頷き、彼女の傍で立ち止まる。

 

 

 

 

そして、そっと胸元にハンカチを置いた。

 

 

 

 

同情でも情けでもない。

ただ、持ち主の元に返しただけ。それ以外何もない。

 

 

少しの間彼女を見続け、何も声をかけずそのまま黙って船上に戻る。

 

 

 

 

 

 

――彼女の胸元に置かれたハンカチの花模様が、まるで手向けの花のように思えたのはここだけの話。








ライラックの花言葉:思い出






この後はエピローグ的な話を投稿予定です。
もう少しだけお付き合いください。

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