ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

71 / 128
久々に、あの子についてのお話です。










20 眠る貴女に献杯を

「――ダッチ、今帰ったよ。はいこれ、ローワンさんから」

 

「おう、ご苦労さん。どうだった?」

 

「また金額が高くなってるってぼやいてたよ」

 

「いつも通りだな」

 

太陽が高い位置に昇る時間。

一番日照りがきつい中、最早俺とレヴィの担当となりつつある荷物の受け取りをこなしていた。

初めてこの業務を任された時、レヴィとちょっとしたいざこざがあったが今ではお互いの役割を理解し、難なくこなせている。

今日はラチャダストリートのローワンだけだったので、これといって問題もなくすぐに終わった。その他にこなすべき仕事もないようで、ダッチもベニーもクーラーが効いたこの部屋でくつろいでいる。

 

「あっちいい。たく、歩いているだけで溶けそうだったぜ」

 

「ご苦労さん。ほらよ」

 

「サンキュー、ダッチ」

 

冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ダッチがレヴィへ投げ渡す。

見事に受け取りドカッ、と彼女はソファへ身を預けた。そして炭酸が抜ける爽やかな音を鳴らし、豪快に飲み干していく。いい飲みっぷりを横目で見ながら俺もソファへ腰かけると、ダッチが今度は俺の方へ冷えた缶を投げてきた。両手で受け取り、熱く火照った体に心地よい刺激と冷たい液体を染み渡らせる。やはり暑い時と一仕事終えた時のキンキンに冷えたビールは最高だ。

 

「なあダッチ。今日はもう仕事ねえんだよな?」

 

「ああ」

 

「最近しけた仕事しか入ってこねえよな。ここのところ毎日暇だぜ」

 

「まあ確かに平和すぎて落ち着かねえが、たまにはこういうのもいいだろうよ」

 

「あー、暇だ」

 

この街でも好戦的で有名な彼女からしたら、確かにこの何も起きない平和な時間は退屈なのだろう。

だが、俺はこの時間ができるだけ長く続けばいいと心の底から願っている。

多少慣れてきたとはいえ、銃の撃ち合いに巻き込まれるのは真っ平ごめんだ。

 

暇だなあ、とレヴィがわざと大きい声で言った瞬間。事務所内に電話のコール音が鳴り響く。基本こういう時は俺が取るようになっている。予め決めていたとかではなく、自然とそうなった。

ソファから腰を上げ、壁にかかっている受話器を取りいつもの言葉を発する。

 

「はい、ラグーン商会」

 

『その声は岡島、かな?』

 

聞こえてきた声に思わず反応が遅れる。

俺の事を名字で呼ぶ人はこの街で一人しかない。

 

「……キキョウさんですか? 珍しいですね、貴女がここにかけてくるなんて」

 

『ちょっとね。ダッチさんいる?』

 

「ええ、今代わりますね。――ダッチ、キキョウさんから」

 

ソファで雑誌片手に寛いでいたダッチに声をかける。多少気心が知れている彼女からのご指名にダッチは文句ひとつも言わず腰を上げた。そのまま受話器を手渡せば、彼は「ようキキョウ」と軽い挨拶を発する。こうなれば俺の出番はもうないだろう。

ソファに戻り、レヴィがどことなくソワソワしている様を眺めながらビールを少しずつ消費する。

彼女の事だ。キキョウさんが何の用でウチにかけてきたのか気になっているのだろう。

かくいう俺も気になっている一人である。

 

 

 

「――分かった。じゃあ、いつも通りに。……ああ、それじゃ」

 

話が終わったようで、受話器を元に戻すと寛いでいる俺達の方を向いた。

 

「お前ら、急で悪いが俺は今から事務所を空ける。飛び入りの依頼だ」

 

「依頼って、キキョウさんから? 一体どういう」

 

「ダッチ、もしかして“例”のか?」

 

「ビンゴだレヴィ。いつものアレだよ」

 

洋裁屋である彼女は必ずと言っていいほど自分で品の受け渡しを行っている。そんなキキョウさんが俺達に依頼することなんて、正直ないと思っていた。

だから素直に「一体どういう内容なのか」とダッチに問おうとしたが、食い気味に発せられたレヴィの言葉に遮られてしまう。

 

 

だが、そんな事よりも目の前で繰り出される二人の会話の方が気になった。

 

 

「いつもの?」

 

「ん? ああ、ロックはまだ知らねえか。アイツは毎年この時期になるとウチに依頼すんだよ」

 

「何かを運ぶのか? 正直、彼女の職業柄ウチに頼むようなことはないと思うんだけど」

 

「これは洋裁屋の仕事とは関係ねえよ。完全なプライベートさ」

 

不思議がる俺の質問に答え、レヴィはビールを一気に煽る。空になったであろう缶をテーブルに置き腰を上げた。

 

「来る気満々だな、レヴィ」

 

「暇だしな。キキョウも何にも言わねえだろ」

 

「着いてきても暇なのは変わらねえだろ」

 

「ここでじっとするよりアイツのクルージングに付き合う方がマシってだけだ」

 

詳しくは分からないが、クルージングということは船を出すようだ。

それも、レヴィの言い草だとキキョウさん自身も船に乗り合わせることが窺える。

 

「僕はここに残るよ。誰かは留守番しといた方がいいだろう?」

 

「助かるぜベニーボーイ」

 

キキョウさんからの依頼、一体どういうものなのか。

この街でも異彩を放っている彼女の依頼に、俺の好奇心がそそられない訳がなかった。

 

「――ダッチ。彼女のクルージング、俺も同行していいか?」

 

意を決して、船長である彼に同行の許しを請う。たった一言なのに、少しだけ緊張してしまった。

 

「……言っとくが、俺達は何もしねえぞ?」

 

「ダメか?」

 

「まあ俺は別に構わねえが、最終的に決めるのはキキョウだ。それを忘れるなよ?」

 

「ああ、ありがとう」

 

クルージングの船員を決めるのはあくまで依頼人である彼女。それは重々承知の上だ。

だが、彼女と共に行動できるかもしれないという期待に胸を膨らまさずにはいられなかった。

 

「さて、一仕事といこうかね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なあレヴィ」

 

「なんだよ」

 

「彼女の依頼って、大海原の真ん中で酒を飲むことだったのか?」

 

「ああ」

 

「ええ……」

 

ロアナプラから1時間以上船を走らせやっと着いたのは、周りに何もない海の上。

海の表面が太陽の光が反射してキラキラと輝いている。

ラグーン号の船首には、グラス片手に潮風に当たっているキキョウさんの姿。

 

 

 

――電話をもらって数十分後、彼女は紙袋を持って俺たちの元へやって来た。

手ぶらにも等しい格好に違和感を覚えたが、ひとまず俺とレヴィが乗り合わせてもいいか尋ねることを優先した。キキョウさんは躊躇いもなく、「面白いものはないけどそれでもいいなら」とすんなり許可してくれた。

 

そのままベニーを事務所へ置いて、大海原へと船を出す。

船に揺られている間暇を潰す様にレヴィ、キキョウさん、俺の三人で目的地まで他愛ない話をした。おしゃべりが好きというイメージがあまりないレヴィもキキョウさん相手だと心なしか楽し気に会話しているようだった。

 

 

そうして話に花を咲かせていれば、時間はあっという間に過ぎる。

ダッチが目的地に着いたことを知らせると、キキョウさんはすぐさま外に出て行った。

 

船首に座り、紙袋から透明の酒が入った瓶とグラスを取り出す。そのまま酒を注ぎ、高らかに掲げ「乾杯」と発し無言で酒を呷り始めた。

 

恐らく、この前のような余程の事がない限りウチに依頼することがないであろう彼女が、まさかただ酒を飲むために海の真ん中に来るなんて予想していなかった。

 

「……レヴィ、確か彼女は毎年ここに来るんだよな?」

 

「ああ」

 

「何か、思い入れでもあるのかな」

 

「なかったら引きこもりのアイツがわざわざ来るわけねえだろ」

 

「レヴィは知ってるのか? その理由」

 

俺と同じようにキキョウさんの方を見つめていたレヴィに尋ねてみた。俺よりも彼女の方がキキョウさんと付き合いが長いし気心も知れている。

だから、あまり外に出ないキキョウさんが毎年わざわざ来る理由も知っているはずだと思った。

そんな俺の期待に応えるかのように、レヴィは煙草に火を点け口を開く。

 

 

 

「――5年前、キキョウが着飾らせた上にわざわざ棺桶に入れて弔った女がいたんだよ。その女がこの海底に眠ってる」

 

「……え」

 

「あの女が死んだこの時期になると、律儀にアイツは墓参りにやってくるのさ」

 

「あの人、そういう事もやっているのか?」

 

「キキョウ曰く“最期の依頼だったから”らしいぜ。まあ、それも建前だろうけどな」

 

レヴィは面白くないと言わんばかりに無表情だった。その視線は、酒を呷っている彼女の背を見つめたまま。

 

「……たく、いつまであのクソ娼婦に拘ってんだか」

 

「え、なに?」

 

レヴィが何か呟いた気がした。だが、音量が小さかったのと波の音で聞き取れない。

 

「いや、何でもねえ。……先に中に戻ってるぜ。お前もやることないんだ。アイツの気が済むまで涼しい部屋で気長に待とうや」

 

そう言って吸い殻を落とし足早に船内へ戻っていった。レヴィの背が見えなくなり、再び船首の方へ目を向ける。

空になるまで飲むつもりなのか、酒を呷り注ぎ足す行動は止まらない。

休まず飲み続けているからか、十数分しか経っていないはずなのにボトルには透明な液体がもう半分しか残っていない。彼女の酒豪ぶりは健在のようだ。

 

しばらく見届け中に戻ろうかとも思ったが、すごいペースで飲み干していく彼女がなんだか気になってしまう。

意を決し、足を船首の方へ動かす。

 

 

 

「一人で寂しくないですか」

 

 

 

俺よりも一回り小さい背中に向かって声をかけてみる。

振り向きこそしなかったが、呷っている手を止め俺の声に明らかな反応を示す。

 

「寂しそうに見えた?」

 

「少しだけ」

 

「そっか。――そんな寂しく飲んでる女の話し相手になりに来たの?」

 

「そのつもりです、と言ったら?」

 

「……お隣どうぞ」

 

キキョウさんは躊躇うことなく答えた俺を一瞥し、やがて一呼吸空けて促した。その言葉に甘え、彼女のすぐ隣に腰を下ろす。

酒場のカウンターで何回か隣に座ることはあったが、ここまで距離が近いのは初めてで心なしか体に緊張が帯びている気がした。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

沈黙が落ちる。

 

ああ、何やってんだ俺は。隣に座ったはいいが何を肝心の話の切り出しが出てこない。

あんなカッコつけた感じで声をかけたというのに、なんだこの体たらくは。

 

何か話さなければ。

胸の内の焦りを出さないよう頭を回転させる。

 

 

 

頑張れ岡島緑郎。サラリーマン時代に培った接待スキルを今こそ生かす時だ。

 

 

 

そんな俺の内心を知ってか知らずか、キキョウさんは再びグラスの酒を飲み干した。

話しかける絶好のタイミングを逃すまいと、すかさず口を開く。

 

「注ぎますよ」

 

「私にそんな気遣いしなくていいんだよ。日本にいた頃の癖でやってるなら」

 

「それもありますけど俺がやりたくてやるんです。――お酌、させてください」

 

一人で飲んでいたところに俺がお邪魔したようなものだ。だからせめて、これくらいの事はさせてほしい。

向けられている黒い瞳を見据え答えると、彼女は徐に半分以下に減ったボトルを差し出してきた。その行動の意味を汲み取り、目の前にある瓶を受け取る。

 

中身が満たされるのを待っている空のグラスに透明の酒を注いでいく。

 

「ありがとう」

 

短いお礼を告げると、今度は一気にではなくちびちびと飲み始めた。

 

その様に、彼女から話題を出すことは期待できないと確信する。

飲んでいる様子をじろじろと見るわけにもいかず、とりあえず手に持っているボトルに目を向ける。

 

そこにはデカデカと青い文字で『Absolut Vodka』と酒の名前が書かれていた。

確か、スウェーデン発祥のウォッカでストレートだと味はあんまり感じられない酒だ。

そのせいか、人によっては苦いと感じることもあるとかないとか。

 

味がはっきりしているあのウィスキーを好んでいる彼女がこの酒を進んで飲むとは。

 

「岡島、その酒飲みたいの?」

 

「うえッ! な、なんですか!?」

 

「そんなに驚かなくても……。ずっと瓶を見つめてるから飲みたいのかなって」

 

「いやその、えっと……キキョウさんがこの酒を飲んでるの意外だと思いまして」

 

向こうから声をかけられるとは露ほども思っていなかったので変な声を出してしまった。それが妙に恥ずかしくてしどろもどろになりながらの返答になる。

 

ああ、みっともないにも程があるだろう俺。

 

「まあ、確かに普段は飲まないね。でも、ここに来るときはこの酒を飲むって決めてるの」

 

「何か拘りが?」

 

「それなりにはあるよ」

 

キキョウさんは再びグラスに口をつけ酒を喉に通す。

 

 

 

「――この酒はね、ある女の子が好きだった酒なの」

 

 

一口飲み、水平線の向こうを眺めながら彼女が静かに口を開いた。

 

 

「その女の子は街でも割と有名な娼婦だったんだけど、年相応に子供らしいところもあってね。嫌なことがあると不貞腐れたり、新しい服作ってあげると無邪気に喜んでくれたり。同じ酒しか飲まない私を見かねて、よく『これも飲んでみて』ってアブソルート勧められてたなあ」

 

口ぶりから察するに、昔を懐かしんでいるのだろう。

遠くを見つめている横顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。

 

「イエローフラッグでレヴィと鉢合わせては私を挟んで口論して、飲み比べして、同時に潰れて。今思えば、その様子を見るのも一つの楽しみだったんだろうなって思うよ」

 

「その女の子の事、キキョウさんは大事に思ってるんですね」

 

「そう思う? 実はそうでもないんだよ岡島」

 

「え?」

 

「……5年前、ある事がきっかけでその女の子は殺された」

 

唐突に告げられた内容に、一気に空気が変わる。

 

「私と女の子を殺したその男にはちょっとした因縁があってね。男は私に服を作ってもらいたかったらしいんだけど、色々事情があってソイツには作らないって決めてた。それが気に入らなくて、男は麻薬をバラまいて大量殺人を起こした。犯人があの男だって張さん達が気づいたのは女の子がきっかけで、自分の犯行だとバレた原因であるその子を腹いせで殺したの」

 

恐らく、彼女が言っているのはレヴィが言っていた『クソ紳士の暴走』の話だろう。

コーサ・ノストラの幹部が組織を裏切り、キキョウさんを手に入れるため引き起こした事件。

当時はマフィア達による統治が始まったばかりで情勢も落ち着いていなかった。

そんな中で起きた大量殺人のおかげで、情報網やマフィア達の連携がより強固になったと聞いた。

 

「なのに、その男は私にこう言ったの。“あの娼婦は君が頑固な態度を取ったせいで殺されたんだよ”って」

 

「……それは、キキョウさんのせいじゃ」

 

「そう、女の子は男の欲望に巻き込まれて殺されただけ。――でも、殺された要因の一つは私にもある。どんな言い訳を並べようと、それが事実」

 

今までの話からキキョウさんは女の子に対し、少なからず特別な思いがあるというのは読み取れた。

その女の子の死に自分が関わっているなんて受け入れたくない事実のはずなのに、淡々と無表情に話していた。

彼女は今、どういう気持ちで話してくれているのだろうか。

 

「でもね、私は全く後悔してないの。あの男に服を作らなかったこと」

 

「え……?」

 

「私はあの男に服を作るなら死んだ方がマシだと心の底から思ってた。だから、あの子が死ぬと分かっていたとしても同じ行動を取ると思う。……死んだって聞いた時、最初に思ったのは“仕方ない”だったの。誰かに恨まれるような事もしてた女の子が死ぬのはあの街じゃ日常の一つで、嘆いたり涙を流したり、あの子を思って謝罪しても何にもならない。私にできたのは、最期の依頼だったエンディングドレスを仕立てて着せて、静かな海底に沈めることだけ。でも、それだってあの子から依頼がなきゃ絶対しなかったんだよ」

 

キキョウさんはそこまで話すと、ゆっくりと顔をこちらに向けた。

 

「こんな私があの子を大事に思ってるなんて、お笑い種だよ」

 

彼女の顔には、自嘲したような微笑が浮かんでいた。

その表情に思わず息を飲む。

 

彼女の言い分は、『自分は女の子に対して特別な感情は持っておらず、ただ依頼をこなしただけ。それ以外何もない』。

 

どことなく帯びている緊張に押しつぶされないよう息を吸い込む。

 

 

 

「――なら、なぜ貴女はここでこの酒を飲むんですか?」

 

「……え?」

 

「何も思ってないなら例え依頼だろうとわざわざ弔ったり、遠い海の真ん中に毎年来ることはしないはずです。少なくともあの街にそんなことする人間がいないことくらい、俺にだって分かります」

 

「……」

 

「やっぱり貴女は、とても優しい人間だ。――だからこそ、何故あの街にいるのかが分からない」

 

そう言い放つと、彼女は驚いたのか少し目を見開いた。

間を空けず、自然と手に力が入るのを感じながら言葉を続ける。

 

「ずっと気になってるんです。この前の双子の時……いや初めて会った時からずっと。何故貴女があの街に拘っているのか」

 

彼女に対し感じていた疑問をここぞとばかりにぶつける。

以前、イエローフラッグで日本に帰らないのかと聞いた時、深入りしようとする俺に彼女が言った。

 

『――ただの顔見知りに深入りされるのは好きじゃない』

 

その言葉を思い返しながら、意を決して再び口を開く。

 

 

 

 

「キキョウさん、貴女にとって俺はまだ“ただの顔見知り”でしょうか?」

 

 

 

 

知りたい。彼女がこの街に拘り居続けるその理由を。

 

質問をぶつけられたキキョウさんは、しばらく俺を見続けた後グラスに残っていた酒を一気に飲み干した。そして少しの間を空け「はあ」とあからさまなため息をつく。

 

「あまり言いたくはないけど、長々とつまらない話に付き合わせちゃったからね。……そのお礼じゃないけど、少しだけ教えてあげる」

 

あの引き込まれそうな黒い瞳がこちらに向けられた。

ずっと気になっていた疑問の答えが、今返ってくる。

そう思うと、期待と緊張で鼓動がうるさくなった。

 

力んでいた拳に更に力が入るのを感じながら静かに彼女の言葉を待つ。

 

「―――私があの街に拘るのは、“あの街だからこそ”理想の自分として生きていけるから」

 

「……あの、街でしか?」

 

「そう。国際的な犯罪者が集まる悪徳の都だからこそ、日本じゃ手に入らなかったものを私は手に入れた。だからあの街にいるんだよ」

 

彼女の人との関わり方や容姿。ましてや一流の洋裁の腕があれば手に入らないものなんて殆どないように思える。

だが彼女は、平和な日本ではなく無頼者なら一度は聞いたことがあるロアナプラで手にできたのだと、今確かにそう言った。

 

「日本で手に入らなかったものって、一体」

 

「教えられるのはここまで。これ以上は言いたくない」

 

「でも」

 

「詮索されるのは嫌い。例え顔見知り以上だとしてもね」

 

「……ッ!」

 

結局、新しい疑問が増えただけだった。知れば知るほど謎が深まるばかり。

それがやるせなくて俯いてしまう。

 

「……岡島、君がなんでそこまで詮索するのか知らないけどさ」

 

意気消沈にも似た雰囲気を纏っているであろう俺を横に、キキョウさんは続けて言葉を投げかけてきた。

徐に目線を上げ、再び黒い瞳を見つめる。

 

「他の人だったら問答無用で殺されてる。今後は気を付けた方がいいよ」

 

詮索屋は嫌われる。それは十分理解している。聞いたって意味がないことも分かってる。

だから普段は他人にここまで深入りしようだなんて思ったことはない。

 

だけど、彼女を前にするとそれら全てが頭から抜ける。

俺がここまで詮索しようとする相手はこの街で彼女だけだ。他の人にはしない。

 

――そう思っていても、本人に伝えるのはどこか気恥ずかしく口には出せない。

 

 

「……忠告、ありがとうございます。これからは、気を付けます」

 

だから、俺が返せるのはこんなありきたりの言葉だけ。

 

キキョウさんは特に何も言わず、俺が持っていたボトルに手を伸ばす。

抗うことなく引き渡すと、彼女は徐に腰を上げる。

 

すると、まだ酒が残っているにも関わらずそのボトルを海へ投げ捨てた。

 

驚いて目を見開いたが少しだけ考えて、海底に眠っている女の子へのおすそ分けなのだろうと勝手に解釈する。

 

「じゃ、そろそろ戻ろうか。話に付き合ってくれてありがとう」

 

「いえ、こちらこそ付き合っていただきありがとうございました」

 

彼女について少しだけでも知れてよかった。それに、顔見知り以上の関係だと認めてもらえた。今はそのことを嬉しく思うだけでいい。

 

そう結論付け、船内へと戻る彼女の後に着いていった。

 

 

 

――街へ着いた後、キキョウさんが急な依頼に応えてくれたお礼として、依頼料とは別にイエローフラッグでラグーン商会全員分の飲み代を奢ると言ってきた。

その言葉に甘え、5人で朝まで飲み続けバオに「とっとと帰れ」と追い出される羽目になるのは数時間後の話。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そりゃ災難だったな。アンタも割と巻き込まれ体質らしい」

 

「本当なんでだろうね。結構地味に暮らしてるつもりなんだけど」

 

「マフィアをパトロンにしながら正真正銘の一級品を拵えてて、尚且つ街でも顔が利くアンタが地味? 面白いジョークだな」

 

ステンドグラスが光り輝く広間の一番奥。いつものようにそこに位置する教壇を挟んで、エダと話をしている。

 

ここに来たのはシスターヨランダに依頼品を届けるためだったのだが、生憎今日は帰ってこないらしい。済ませるべき用事がなくなったことで、暇を持て余しているエダの話し相手として付き合わされている。

エダもこの街では情報通のようで、私が街を騒がせた双子を逃がそうとしたことを知っていた。彼女は実際どうだったのか気になっていたようで、その時の事を根掘り葉掘り質問された。

隠したところで意味はないので自身が体験したありのままを伝えた。

 

私はこの街で特に派手なことをしたことも、目立つようなを事した心当たりはないのだが、エダは私の事を地味だとは思っていないようだ。

周りと私の認識の齟齬があるのは前からなのであまり気にしていない。いや、正確には考えるのを諦めたと言った方が正しいのかもしれないが。

 

「冗談のつもりで言ったわけじゃないよ」

 

「そう不貞腐れるなよ。美人が台無しだぜえ?」

 

「美人じゃないし不貞腐れてない」

 

「相変わらずの謙遜っぷりだなあ。――で、そんなアンタはわざわざ出迎えてくれたパトロン様と何か進展あったのか?」

 

……またか。

毎回そういう質問をしないと気が済まないのかこのシスターは。

ため息が出そうになるのを何とか我慢し、一呼吸空けて口を開く。

 

「エダ、欲求不満なら私じゃなくて男の人を相手にして欲しいんだけど」

 

「つれねえなあ。言っとくけど、アンタと張の旦那の関係が気になってんのはアタシだけじゃねえんだぞ?」

 

「は?」

 

「周りから見てもあの旦那は普段からアンタに特別目をかけてる。マフィアのボスが空いた時間ができる度部屋に呼び出してるなんざ、例え専属の洋裁屋だろうと普通はあり得ねえ話だ」

 

いやいやいや、何を言ってるんだ。

 

「それは勘違いにもほどがあるよ。あの人にとって私はただの洋裁屋であって特別なんてこと」

 

「いんや。どっからどうみてもアンタ達の関係はただの仕事上の付き合いには見えねえんだよ。――この街の人間が、そんな街の支配者とイカれた女の関係が気にならない訳ねえだろ?」

 

なんだろう。話を聞いているだけなのに心なしか頭が痛くなってきた。

確かに私は彼に命と腕を捧げた。だから普通ではないと思われるのもまあ仕方ないだろう。そこは理解できる。

だが、何故私と張さんが体の関係を持っているという考えに至るのかは全く持って理解できない。

 

とうとう我慢することができず、盛大なため息を吐き出す。

 

「はあ……。この際だからはっきり言わせてもらうけど、確かにただの付き合いじゃない自覚はある。だけど、私と彼には一切そういう関係はない。お互い自分の利益の為に今の関係を築いたの。それ以上もそれ以下もない。――それに彼が私をそういう目で見ることは絶対にないよ」

 

「なんでそう言い切れる」

 

「あの人がもし私をそういう目で見てたらとっくにそうなってるはずだから。だけど、現時点でないってことはそういうことだよ」

 

「……分かってないねえ、アンタは」

 

エダは目の前に置かれていたグラスを振り、氷がぶつかる音を奏でた。

酒と氷が揺れる様を眺めながら言葉を続ける。

 

「キキョウ、他の連中は外に一歩でりゃクソ以下だと評価されるような人間ばかり。そんなクソ共と長年銃を使わず渡り合ってきたアンタは、この街の誰よりも他人との距離感ってのに敏感だ。だからこそ、アンタと付き合いのある人間はほぼ全員信頼を寄せている」

 

「……何が言いたいの」

 

「だけど、アンタは全くと言っていいほど自分の事を理解していない」

 

揺らしていたグラスの動きを止め、一口飲むと教壇の上に再び置いた。

サングラスで瞳は隠れているが、こちらを真っすぐ見ているのは感じ取れる。

 

「謙遜ってのは、自分の“本当の価値”ってもんを理解していないからするもんだ。日本人の癖だとは知っているが、それにしてもアンタの謙遜癖は度を越えすぎてる。――だから、女として向けられる好意には絶対気づかない」

 

「……つまり、私が鈍感すぎるから彼がそういう目で見てるってことを理解してない。そう言いたいわけ?」

 

「ご名答」

 

「――エダ。百歩譲って彼が私に好意があったとして、そういう行為に及んだと仮定しよう」

 

彼女の話に鼻で笑いそうになる。

私が鈍感? 違う。

周りの人間が私の全てを知らないからそういう事が言える。

私の事は私が一番理解している。

 

「だけど、彼が抱くことは絶対にない。その理由はただ一つ」

 

「……」

 

「私が女性として男性を満足させてあげることはできない。それが嫌でも分かってしまう。だから、男性が私と体の関係を持とうなんて考えはすぐなくなる。それが変わらない事実」

 

「はあああ……やっぱりアンタは男ってもんを分かってない。分かってなさすぎる」

 

エダは盛大なため息をつき、やれやれと言った感じで眉間を押さえていた。

ため息をつきたいのはこっちの方だ。今度シスターヨランダにここで酒飲んでたこと言いつけてやる。

 

「まあ今のアンタには何言っても無駄だろうけどさ。ひとつだけ確かな事を教えといてやる」

 

残っていたグラスの酒を一気に飲み干し、いつものにやり顔を見せる。

 

「男女の事で“絶対”なんてもんはねえんだぜ。……それこそ、もうじきやってくるかもしれねえぞ? アンタが言い切るその絶対を覆すきっかけが、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――おいどこ行った!」

 

「まだ近くにいるはずだ! 片っ端から探せ!」

 

「超貴重な人質だぞ! これで取り逃がしたら俺達がヤバい!」

 

「やっとここまで来たってのに……! このままじゃ全部パアだぞ!」

 

「クソッ……。なんとしてでも見つけてやる!」

 

街の海沿いに存在する倉庫街。

そこには誰にも使われていない古びた倉庫が存在し、人知れず無断で誰かが使っていることもある。

そんな複数ある無人倉庫の一つに、今日も今日とて誰の許可も借りず勝手に出入りしている男たちがいた。

 

数人の男達は大声を発しながら、大慌てで外に飛び出して行く。

 

 

 

 

 

――その騒ぎを遠くで聞く女が一人。

 

 

 

 

「アンタたちなんかの、出迎えなんて御免よ。……それにしても、ここどこなの……」

 

女は見知らぬ土地に立っている事実にしゃがみこんで震えていたい気持ちだったが、頭を振り胸の内にある不安をなんとか打ち消す。

 

「……劉帆(りゅうほ)さん、絶対貴方の元に帰ります」

 

左手の薬指にある指輪の跡を撫でながら呟いた後、女はその場から足を動かした。

 










この話を書いてるとき「そっか、もういないのか」とちょっと切なくなったり。
私もキキョウさんも、今でもあの子が大好きです。着飾り野郎許すまじ←

あと、頑張れロック。




そして、次からオリジナルのお話になります。
果たして、謎の女性がエダの言う「きっかけ」になるのか。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。