ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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オリジナルストーリー二話目。
少し長めです。




22 迷い込んだ華の名

――翌日、早朝。

起きた時に昨日のは夢だったのだろうかと一瞬思ったが、ベッドの上で寝ている名も知らない女性を見てそれは崩れ去った。

 

このまま放っておくのもよくないので、そろそろいいだろうとある人物に電話をかけた。

数回コール音が鳴った後、ようやく電話に出た相手はすごく眠そうな声を発していて申し訳ないと思った。が、引くわけにはいかないので遠慮せず用事の内容を伝え、今はその人物がここへ来るのを待っている最中だ。

 

ふと、相も変わらず静かな寝息を立てている女性の顔を見る。特に苦し気な表情を見せることなく、穏やかな眠りについている。

こうして見ると本当に純粋無垢と言うにふさわしい整った容姿だ。だからこそ、こんな女性がこの街に何故連れてこられたのか不思議でならない。

女性に対し改めて強い疑問を感じたところで、表のドアから音が響く。

 

 

 

「――キキョウちゃん」

 

 

 

すぐさまノック音と共に飛んできた聞きなれた声の方へ向かい、待ちに待った人物を迎え入れようとドアを開ける。

目の前に現れたのは片手に大きめのバッグを持ち、黒く長い髪を下ろし白衣に身を包んだ女性。

 

「遅くなってごめんね。色々準備してたもんだから」

 

「むしろ謝るのはこちらの方ですよ。こんな早い時間にすみません。――早速ですがお願いできますか?」

 

「勿論よ」

 

「ではこちらに」

 

そう、私が呼んだのは医師として腕の立つリンさんだ。

眠そうなリンさんに「美少女が家の前で倒れてたので診てください」とお願いすれば、彼女は「すぐに行く」と闇医者ビアンの呼び名にふさわしい反応をしてくれた。

リンさんは三合会の関係者である上に、こういう状態にある人間を任せるのに一番信頼できる。だからこその人選だ。

 

医術のスペシャリストである彼女を奥で眠っている女性の元まで案内する。

リンさんは寝ている女性を目に捉え、躊躇うことなく触れていく。

 

 

「呼吸は乱れてない。脈も正常。……こうなる前に何か痛がってた様子はあった?」

 

「いえ、特に。一言言い残して突然意識を失ったんです」

 

「なるほどなるほど」

 

慣れた手つきで体のあちこちに触れていく。やがて腕に注射を打ち込み始めたが、それでも全く起きる様子を見せない。

やがて彼女の診察が終わったのか、リンさんは微笑みを浮かべこちらに振り向いた。

 

「特に命に関わるような外傷もないから安心していいわ。意識を失ったのは極度の疲労のせいだと思うから、このまま自然と起きるまで寝かせてあげるべきね」

 

「そうですか。……あの、リンさんはこの女性について心当たりとかあったりは?」

 

「え、ないわよ。会ってたら忘れるわけがないもの、こんな可愛い子」

 

「……そうですか」

 

 

まあ、最初の反応でそうだろうとは思った。

だが一応聞いておく必要があると思い淡い期待を込めて尋ねたのだが、やはり知らなかったか。

 

 

「どうしたの急に」

 

「……彼女、倒れる前にこう言ったんです。“助けて、私には帰る場所が”って」

 

「……」

 

「既にお察しかもしれませんが、彼女はどこかから無理やり連れてこられた可能性が高いです」

 

「まあ、両手足の跡とこのナリ。おまけにそんな言葉まで吐いたとあったら確実にそうでしょうね」

 

リンさんはちら、と女性の方へ目を向けた。

 

だが、すぐにこちらに目線を戻し口の端を上げ言葉を続ける。

 

 

「でも、キキョウちゃんのことだから“帰してあげよう”なんてお節介な考えはこれっぽちもないんでしょ?」

 

「流石、よくご存じで」

 

「そんなアナタがこの子の何に引っかかってるの?」

 

「彼女、“中国語”であの言葉を残したんです。意識を失う寸前という状態なのに、英語ではなくその言語を使ったのは慣れ親しんだものだからでしょう。……この街で中国語を扱うのはあなた方くらいだと認識してます」

 

 

 

リンさんの表情が真剣なものへと変わる。彼女なら私の言葉の意味が分かるだろう。

 

 

 

「――なるほど。もしこの子が三合会の何かに関りがあるとしたら、黙って世話するのもほっぽり出すのも後々面倒になるわね。キキョウちゃんが気にかけるのも納得だわ」

 

「ええ。しかし、貴女が知らないとなると関りはないということでしょうか。偶然東洋からこの街に」

 

「アタシには組織の情報が全部回ってくるわけじゃないから何とも言えない。だけど、わざとこの街にっていう可能性もある。その可能性が捨てきれない以上、この子を放っておくのはデメリットの方が大きい。なんてったって、中国系の商いはほぼ三合会が握ってるからね」

 

真剣な表情のまま自身の考えを口にした後、何やら考え込み始める。

しばらく沈黙が流れたが、考えが纏まったようで徐に口を開いた。

 

「普通に考えれば、拉致られて売られそうになったところを逃げ出したっていう線が濃厚。だけど、アタシたちの予想の範疇外の何かがあることもある。懸念はないに越したことはないから、今日彪あたりに聞いてみるわ」

 

「よろしくお願いします。忙しいのにお手数をおかけしますが」

 

「こうして診察したアタシも無関係じゃいられないからね。それに、キキョウちゃんが困ってるなら放っておけないし」

 

「ありがとうございます」

 

彼女がいつもの笑顔を浮かべ、ありがたいことを言ってくれた。

それが本心かは分からないが素直にお礼を述べ、つられて自身の口の端があるのを感じる。

 

「じゃあ、アタシはそろそろ行くわ。何かわかったら連絡する」

 

「分かりました。こちらも何かあればすぐ知らせます」

 

そう言って白衣の裾を翻し、表のドアへと向かっていく。

早朝の急な呼び出しに応えてくれた彼女を見送ろうと後を着いていき、ドアを開ける。

 

「じゃあまたねキキョウちゃん。お代は落ち着いた時に貰うわね」

 

「その時はちゃんとした金額を出させてくださいね」

 

「相変わらず真面目さんねえ。ま、一応考えとくわ」

 

片手を軽く掲げひらひらさせながら、彼女は朝日に照らされ始めたばかりの外へ出て行った。

中へ戻り、診察の時から目を開ける様子が一向にない女性を一瞥する。

はたして彼女は今日目覚めるのだろうか。いや、目覚めてくれなければ困る。

だが無理には起こさない方がいいとリンさんにも言われたので、そんなことはしない。

 

私にできるのは、一刻も早く彼女が意識を取り戻すのを願う事だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「――まさか、本当にそんなことが。正直、貴方に聞かされた今でも信じられません」

 

『全く胸糞悪い話だがすべて事実だ。事を起こしやがったのも許せんが……なにより、虫けら共がそのクソに塗れた手で彼女に触れやがった事は万死に値する』

 

キキョウとリンが謎の女性について話を始める数時間前。

張は携帯越しにある人物を言葉を交わしていた。

その表情と声音は、普段の飄々としているものからは明らかにかけ離れている。

彼がそうなる原因の一つには、電話の向こう側にいる相手の不機嫌さが手に取るように分かる事にもあった。

 

 

『張、彼女の所在は今も掴めてないんだな?』

 

「ええ。その虫共が言うには、逃げられたと」

 

『彼女がこの状況でじっとしてる訳がない。何が何でも俺の元に帰ろうとするに決まってる。ウジ虫如きに抑えられるなんざ無理な話だ。まあ、その気概は嬉しいんだが……お前のいるその街でその行動は些か、いや大分まずいな』

 

「ええ、なんせここは“ロアナプラ”ですから。しかし、失礼な話ではありますが遺体となっているなら既に見つけております。見つかっていないということは、どこかで必ず生きていらっしゃるはずです」

 

悪党どもが集う悪徳の都ではそこら辺で歩いている女や子供まで悪に染まる。

そんな街の噂は、ギャングであれば一度は耳にしたことがあるほど世界中に轟いているのだ。

 

 

張と話をしている男もその噂を知っている一人。

 

 

『香港にいる俺にできるのは、現地のお前に頼るしかねえってことか。――すまんが、お前にこっちの尻拭いをさせることになる』

 

「総力を挙げて必ずお探しいたします。貴方がたの晴れ姿を、これ以上先延ばして披露するのはあんまりでしょう」

 

『その気遣い有難く受け取ろう』

 

 

海の向こう側にいる男はそう返答した後、小さく『……はあ』と一つ息を吐いた。

 

 

『こんなに虫の居所が悪いのは久しぶりだ。おかげで控えていた煙草が止まらん』

 

「心中お察しいたします。ですが、こちらに足を運ぶのはもう少々お待ちを。

 

――お迎えに上がるまでの辛抱ですよ、香主(シャンジュ)

 

 

 

 

 

張の言葉に香港三合会香主、(テイ) 劉帆(リュウホ)は『ああ、分かっている』と不機嫌さを隠すことなく呟いた。

 

 

 

 

 

『彼女は俺が迎えに行く。見つけたら俺が来るまで預かっといてくれ』

 

「勿論です。貴方の出迎えなしでは不貞腐れるのが目に見えておりますから」

 

『はは、違いない』

 

気休め程度の冗談に両者は少しだけ口端を上げた。

だが、いつまでも冗談を楽しんでいる訳にもいかず、張はすぐさま言葉を切り出す。

 

「香主、この件について龍頭(ロンタァウ)はなんと?」

 

『“愚者には龍が直々に手を下す”と。……俺と龍頭は、事を起こした張本人はこちらのテリトリーにいる人間だと考えている。でなけりゃ、こんな簡単に遥々海の向こうまで運べるわけがない。己の手の届く範囲なら、龍頭も動かずにはいられないんだろう』

 

香主よりもさらに上。三合会総主、(ツゥン) 戴龍(ダイロン)の言葉を聞き目を見開く。

黒社会の中でも大組織である自分たちの首領が自ら動く。

事態が事態なので予想しなかったわけではないが、それでも驚きを隠せなかった。

だがそれ以上に、トップの二人が動いているという事実がとてつもない頼もしさを感じさせた。

 

 

この二人が動くのであれば、離れた土地にいる人間が余計な手出しをするべきでない。

 

 

「承知いたしました。では馬鹿どもの制裁は貴方がたにお任せし、我々は我々の役目を全ういたします」

 

『ああ。……はは、あの時の龍頭の姿をお前にも見せたかったぞ。笑みを浮かべているというのに、握っている杖からはミシミシと音が聞こえてた。我らが()は相変わらずおっかない』

 

「全く仰る通りで」

 

そう言いながら、張は「想像するだけで背筋が凍りそうだ」と内心で呟いた。

 

 

『――張』

 

 

唐突に、だが静かに己の名が呼ばれる。

たったそれだけだというのに、一瞬にして再び緊張感を帯びざるを得なかった。

香主は一呼吸間を空け、静かな声音のまま言葉を続ける。

 

 

 

 

『俺はお前を信頼しているぞ』

 

 

 

 

自身よりも上の地位にいる人間からの“信頼している”という言葉。

短い一言に込められたその意味を、張は正確に理解し然るべき返答を発する。

 

「必ずや、その信頼に応えた結果を貴方に」

 

『一刻も早い報せを期待している。では、再見』

 

 

相手が通話を切ったことを確認し、後ろで一部始終を聞いていた彪に携帯を返す。

受け取りながら、彪は確認するように声をかけた。

 

 

「すぐに動きますか、大哥」

 

「ああ、だがいつも以上に慎重にな。でなければここの連中は彼女に何をしでかすか分からんぞ」

 

「しかし、わざわざ香港からこっちに運んできたとは。一体何が目的で」

 

「まあ、こんな事をしでかす虫けらが考えることは決まってつまらないもんだ。

……何にせよいい迷惑だ。俺にとっても、香主にとってもな」

 

煙草を取り出し口に咥えれば、慣れた手つきで彪が火を点ける。

煙を吐き出し、張は思考を巡らせた。

 

事を起こした犯人がどんな目的を持っているかはこの際どうでもいいことだ。

むしろ問題なのは、香港から連れ出した彼女の安否にある。

 

 

信頼に応えると告げた以上、“彼女を五体満足で香主の元に帰す”という最良の結果を届けなければならない。

この街で数時間も見つからない状況は非常に好ましくないが、やれるだけやるしかないのだ。

 

 

「しかし、香主のことだ。彼女の周りには相当な手練れを付けてたはずなんだが……相手はそれを掻い潜ってここまで来た、ということか」

 

「こっちでも探りをいれますか?」

 

「いや、そっちは本国が対応する。ひとまず俺達は俺達の役目をこなすことだけ考えてりゃいい」

 

一気に煙を吸い、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

 

「こりゃ、久々に骨が折れる大仕事だな」

 

ガラス越しに街のネオンの光を眺め、肺にある煙をすべて吐き出し低い声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

リンさんが出て行ってから数時間が経った。

もうすでに陽が高く昇ったというのに、目覚める気配が全くない。

だが無理に起こすことはせず、いつものように端切れに刺繍を入れていく。

 

今日は真っ赤な牡丹の花。

豪華絢爛さが表れている柄によく見かけるものだ。

私自身すごく派手な物が好きとかではないのだが、ふと頭をよぎったのがこの花だった。

 

派手と言えば、この前レヴィが「張の旦那の銃、今度ちゃんと見てみろよ。ドラゴンが彫ってあるんだぜ」と酔いながら言っていた。

そんな派手な銃を持っていることをあまり本気で信じてはいない。だがもし本当に彫られているのなら、彼のセンスはまるで中学……。

 

 

これ以上言うのはやめておこう。好みのセンスは人それぞれだ、うん。

 

 

 

そんな事を考え一息つこうと手を止める。ふと時計を見やると、既に11時を過ぎようとしている頃だった。

少し早いが、手を止めた丁度いいタイミングなので昼食を摂ろうと腰を上げる。

 

自室に入り、適当にサンドウィッチを作ろうと冷蔵庫を開けた。

 

 

「……ん……」

 

 

瞬間、隣から自分以外の声が聞こえた。

勢いよく声のした方を向くと、今まで身じろぎ一つもしなかった女性が少しだが明らかに反応を示していた。

すぐさまベッドの傍に椅子を置き、彼女が完全に目を開けるまで待つことにした。

 

 

 

――そうして待つこと10分。やがて女性の目がゆっくりと開かれる。

 

 

 

「起きましたか。私の声が聞こえますか?」

 

「あ……」

 

私の声に反応し女性の目がこちらに向いた。だが、まだ少々不安なので同じ問いかけをする。

 

「私の声が聞こえますか?」

 

「……」

 

今度は声をかけても何も反応しなかった。

目ははっきり開いているし、昨日のように焦点が定まっていない様子もなく目線もこちらをしっかり捉えている。

なのになぜ反応を示さないのか。

 

考えられる可能性としては、こう見えても意識がまだはっきりしていないのか或いは……。

短い時間で思考を巡らし、物は試しだと再び口を開く。

 

能听到我的声音吗?(私の声が聞こえますか?)

 

もし英語が分からないのなら、中国語ならどうだろうか。

まだ完全に喋れるわけではないが、ちゃんと伝わるはずだ。

 

 

女性は驚いたのか微かに目を見開き、やがて徐に口を動かす。

 

 

「……聞こえ、ます」

 

「よかった。起き上がれそうですか?」

 

「……ええ」

 

色々と困惑している様ではあるが、ひとまず体を動かせるくらいには回復したようだ。

声を聞く限り喉が渇いているようで掠れていた。もそもそと動き始める彼女を横目に、水分を摂ってもらおうとコップに水を注いでいく。

相手が何者だろうと、これくらいの事は許されるだろう。

 

「飲めますか?」

 

「……ありがとう、ございます」

 

上半身を起き上がらせた女性にコップを差し出せば、彼女は恐る恐るといった様子で受け取った。

 

「それ、ちゃんと飲んでくださいね」

 

受け取ったまま口をつけようとしない彼女に一言言い残し、リンさんに連絡を取ろうと作業場に戻る。

台の上にある携帯を手に取り、真っ先にリンさんの番号へかければ2コールもしない内に出てくれた。

 

『はい、こちら闇医者ビアンことリンさんのお電話です』

 

「……リンさん。いつから自分でそう名乗るようになったんですか」

 

『あら、キキョウちゃん。さっきぶり。どうしたの? もしかしてあの女の子に何か?』

 

「ええ、女性が先程目覚めました。なので連絡しておこうと思って」

 

『そうなのね、よかった。ならすぐそっちに行きたいんだけど……ああ、もう。なんでこのタイミングなのかしら』

 

 

どこか苛立ったように呟いている。

 

この言い草だと、よほど何か重要な仕事が入ったのだろうか。

 

「リンさん、もしかして今お忙しいんですか?」

 

『忙しいっていうか……なんでか知らないけど、ついさっき大哥に呼ばれちゃってね。今からビルに向かうとこだったの』

 

「そうでしたか。なら、終わってからでもいいので来てくださると」

 

『勿論よ。行くついでに大哥にもその子の事聞いとく。とりあえず、アタシが来るまで水以外何も与えちゃダメよ。お腹空いて愚図るようだったら“医者が来るまで待ちなさい”って言い聞かせなさい』

 

「分かりました。ではよろしくお願いします」

 

『ええ。じゃあまた後で』

 

リンさんは忙しなく駆け足で会話を終わらせると、すぐに電話を切った。

やはり雇い主である彼に呼ばれたとなればゆっくりしている暇はないのだろう。

通話が切れた音を止め、携帯を片手に持ったまま自室へ戻る。

 

どこかぼうっとしている女性は戻ってきた私の姿を捉え、茶色の瞳をこちらに向ける。

ふと、彼女の手にあるコップの中身が既に空になっていた事に気づく。

 

「水、ちゃんと飲んだんですね。よかった」

 

「あ、あの……」

 

彼女は戸惑ったような表情を浮かべ不安そうに口を開いたが、続きの言葉が出ることはなかった。

この様子だと、聞きたいことが山ほどあるのだろう。だが何から聞けばいいのか分からず混乱しているのかもしれない。

 

このまま無言の状態を続けてもいいが、こちらも確認しなければいけないことがある。

再びベッドの傍に置いてある椅子に腰かけ、未だ沈黙している女性にこちらから声をかける。

 

「貴女が何を聞きたいのか何となく分かっています。ですがその状態では質問はいつまでも出ないでしょう。なので、先にこちらの質問に答えてください。いいですね?」

 

「……はい」

 

混乱している状態でも分かるようできるだけゆっくりと話す。そのおかげか、彼女は少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。

こちらからの質問が終わる頃には、きっと今より冷静になっているはずだ。

 

 

その時にでも彼女からの問いに答えればいい。

 

 

「では、まず一つ目。昨日貴女が意識を失う前、私に言った言葉を覚えていますか?」

 

「……はっきり覚えているのは倒れて、誰かに声をかけられたところまで、です。そこからは曖昧で」

 

まあ、意識を失う寸前だったのだ。曖昧だったとしても仕方がない。

ということは、彼女は私に助けを求めたということを知らない状態。

話をできるだけスムーズに進めるためにも状況を説明してあげよう。彼女が持っているであろう疑問も少しは晴らされるはずだ。

 

「そうですか。……私は、貴女が家の前で倒れていたので声をかけました。その時貴女は助けを求めたんです。“帰る場所がある”と」

 

「……」

 

「そこで二つ目の質問です。貴女はその帰る場所からこの街に無理やり連れてこられた。そういう認識でいいですか?」

 

「……はい。外を歩いていたところに、知らない男達に急に囲まれて……それで」

 

「あ、そこら辺の詳しい説明は大丈夫です。連れてこられた、ということが分かれば十分なので」

 

説明されても特に意味はない。それに、普通の女性からしたらあまり思い出したくないだろう。

 

彼女が普通なのかは知らないが、必要のない情報まで喋らせる必要はどこにもない。

なので、次の疑問をぶつけようと言葉を続ける。

 

「それで、貴女はどこに帰ろうとしてるんですか?」

 

「……香港、です」

 

一呼吸間を空けて告げられたその場所に驚きを隠せなかった。

 

 

――確かに中華圏から来たということは予想していたが、まさかの香港。

 

 

香港は彼らの本拠地だ。そこから連れ出された美女となると、三合会と繋がっている可能性が各段に跳ね上がる。

ここからは更に慎重に話を進める必要がありそうだ。

 

「貴女はこの街について何か知っていますか?」

 

「何も。ですが街を見る限りタイなのかな、と。タイ語らしき看板が多かったので」

 

「では、この街の名前もご存じないと」

 

「はい」

 

彼女の予想は見事に的中している。逃げながらもここがどこなのか自分なりに把握しようとしたのだろう。逃げてきたことといい、見た目に反して割と行動力がある女性らしい。

そんな彼女の不安そうに揺れている瞳を見つめ再び口を開く。

 

「貴女の考えている通りここはタイのはずれの港町です。街の名前は、ロアナプラ」

 

「……ロアナプラ?」

 

「小さな街ですから知らないのも当然です。ですが住み心地はいいですよ」

 

まあ、そう思うまでには少々時間が必要なのだが。

 

この情報は彼女を更に不安にさせるだけなので今はあえて伏せておく。

街の名前を聞いて、彼女は何か考え込むように黙ってしまった。一体何を考えているのか知らないがまだ最大の疑問が残っている。今はそれを解消しなければならない。

 

「続いての質問です。……貴女は一体何をしでかしてこの街に連れ出される羽目に?」

 

これは割と核心をつく質問だ。返答によっては、これで彼女が関りがあるかどうか見極められるはず。正直彼女自身が何かしでかしたというのは想像できないが、人は見かけによらず……ということを何度も実感している。

 

素直に答えてくれるかは分からないが、聞かないよりはマシだ。

 

「……私自身が何かしたとか、そういうのはありません」

 

「では連れ去られる心当たりはない、と」

 

「……」

 

今までなんとか私の質問に答えてくれたのが、今度は何も反応してくれなかった。

 

顔を逸らし、瞳が微かに揺れている。

その様は、どこか答えるのを躊躇っているようにも見える。

 

 

ないならないとはっきりそう言えばいい。だが、そうしないということは彼女の中で少なからず心当たりがあるということだ。

無理に聞き出すのはあまりしたくないが、このまま何も分からず預かっているわけにもいかない。

 

どうしたものかと思考を巡らせていると、女性が「……あの」と恐る恐る声をかけてきた。

 

「ここって“ロアナプラ”なんですよね?」

 

「……ええ、そうですけど」

 

再確認と言わんばかりに聞かれた質問に一呼吸間を空けて答える。

すると何を思ったのか、彼女は意を決したようにこちらを見据え口を開く。

 

「ここに、三ご……熱河電影公司という会社はありますか?」

 

「……」

 

思わず耳を疑った。なぜ彼女からその会社の名前が出るのか。

唐突の質問に驚きで反応が遅れたが黙っているわけにもいかないので、落ち着いてから話をしようと深く息を吸う。

 

「……ありますよ。いくつか建っている高層ビルの一つが本社ビルです」

 

「やっぱり……あの、どうかそこに案内」

 

「残念ですが、このまま案内するわけにはいきません」

 

何が目的か知らないが、見知らぬ人間を訳も分からず連れて行くのは御免だ。

彼女の言葉を遮りそのまま話を続ける。

 

「キツイことを言うようですが、私は慈善家じゃありません。たった一人の女性の為に、そこまで動く義理はありません」

 

「……」

 

「それに、あそこはそう気軽に入っていい場所じゃありませんよ」

 

あのビルにはこの街の支配者であり、国際的なマフィア組織の一部を任されている程の人物が住んでいるのだ。三合会と何らかの関りを持っていたとしても、彼らが正体も分からない女性を快く出迎えてくれるはずもない。

少々キツイ言葉を投げてしまったが、これくらいは言わなければ。

 

 

「……そう、ですね。貴女の言う通りです」

 

 

一呼吸間を空け、彼女は目を伏せたまま呟いた。やがて息を吐き、なんと頭を下げてきた。

 

 

 

 

「――助けていただいたというのに図々しい真似を致しました。このご無礼、どうかお許しください」

 

 

 

 

先程までの戸惑った様子はどこへいったのか、礼儀正しい姿勢と言葉に思わず呆気にとられる。

 

 

「見ず知らずの私に手を差し伸べ、尚且つ看病までしてくださり本当にありがとうございます。遅くなりましたが、貴女に心からの感謝を」

 

 

ここまで丁寧な言葉遣いを耳にしたのが久しぶり過ぎて、今度はこっちが戸惑ってしまう。

こういう時どう返答するのが正解だったか。

 

「えっと……と、とりあえず頭を上げてください。これじゃ落ち着いて話もできませんし」

 

「……」

 

困惑しながらそう提案すれば彼女はゆっくりと頭を上げる。

こちらを真っすぐ見据える瞳はもう揺れてはいなかった。

 

「その様子だと、大分冷静になったようで」

 

「はい」

 

「では、ひとまずこれが最後です。この質問が終わったら、次は私が貴女からの疑問に答えます」

 

私が一番気になっていること。今までの話の流れからしてほぼ確定だが、本人にちゃんと確認しておきたい。

 

 

 

「貴女は、香港三合会と何らかの関りがあるんですね?」

 

 

 

街の名前を聞いた時の反応と熱河電影公司と言う前に三合会と言いかけたこと。

そして、香港から連れ去られたという情報。これで何にも関りがないという方がおかしい。

 

私の質問に彼女は何か意を決したような表情を浮かべ、一呼吸間を空けて口を開く。

 

 

 

「――はい」

 

 

 

肯定の言葉に少なからず安堵する。

一体どういう関りがあるかは分からないが、彼女が香港三合会と無関係ではないことが分かっただけでも大きな収穫だ。

もし彼女が嘘をついていたとしても、彼らから制裁が下るだけなので私にとって問題はない、はず。

 

「分かりました。――私の質問はひとまず終わりです。今度は貴女からの質問に答えます。何かありますか?」

 

「……あの、貴女はこの街の三合会と何か関りは?」

 

私と三合会の関係か。

何故そこが気になったのかは置いといて、質問に答えると言ったのでとりあえず返答する。

 

「彼らには普段からお世話になっている身です。私はこの街で洋裁屋を営むため、三合会のある方に長年パトロンとなってもらっています。所謂ビジネスパートナーです」

 

「マフィアをパトロンに、洋裁屋を?」

 

彼女は信じられないといった表情だった。ずっとこの反応をされてきたので最早慣れっこだ。

 

「ええ」

 

「なぜそんな真似を」

 

「私に利益をもたらしてくれているからです。この街で三合会ほど頼りになるパトロンはいないでしょうし、これからも良好な関係を続けていきたいと思ってますよ」

 

「……そう、ですか」

 

 

まだ驚いた様子ではあるが、彼女はどこか納得したように呟いた。

 

 

「そんなこと言う人を見たのは、初めてです。マフィアとこれからも付き合っていきたいなんて」

 

「まあ、中々いないでしょうね。ですが嘘偽りない気持ちですよ」

 

「そうですか。……フフッ」

 

私の言葉を聞いた彼女は、初めて笑みを見せた。

なぜここでその表情になるのか不思議だが、追及したところで意味はない。

 

「あと一つだけ、聞いてもよろしいですか?」

 

「なんでしょう」

 

「『ある方をパトロンに』と仰っていましたが、それはもしかして張維新という人物で?」

 

「……張さんをご存じなんですか?」

 

まさかここで彼の名前が出るとは。

いや、関りがあるなら知っていても不思議じゃないのだが、それでも驚かざるを得なかった。

 

「ええ。私も彼にはよくお世話になっていましたから」

 

「……そうでしたか」

 

本当に、彼女は何者なのだろうか。聞けば聞くほど疑問が深まっていく。

 

疑問が募るばかりだが、今はそれを解消するよりやるべきことがある。

 

 

「貴女が彼らと無関係でないことは分かりました。ですが、それでもこのまま貴女を案内するわけにはいきません」

 

「……信じてもらえないのは、仕方ありません。なら、せめて場所だけでも」

 

「急ぐ気持ちも分かりますが、最後まで話を聞いてください」

 

 

彼女は本当に香港へ帰りたいのだろう。

不安と焦燥が混じった顔を浮かべ懇願してきた。

 

だが、こんなボロボロな姿の女性を悪徳の都に放り出してしまえば今度こそ死んでしまう。

今の時点でそれは避けなければならない。

 

「私としては、三合会と関りのある貴女をこのままこの街にまた放り出すのは忍びないんです」

 

 

 

なら、私が速やかに取るべき行動は一つ。

 

 

 

「なので、今から張さんに連絡を取ります。それで貴女を案内するべきかどうか判断させてください。いいですね?」

 

 

 

また不安で揺れていた目が大きく見開かれた。

そして、少しの間を空けて真剣な表情で言葉が返ってくる。

 

「はい、ぜひお願いします」

 

まるで問題ないと言わんばかりの口ぶりが、さらに信憑性を増していた。

まあ、ここで拒否されたとしても問答無用で連絡するつもりではいたが。

 

「では、連絡するにあたって聞きたいことが」

 

「なんでしょうか?」

 

「貴女のお名前を教えてください」

 

聞く必要があるのか分からなかったため聞いていなかった。

だが、彼に連絡するのであれば名前を控えておく必要がある。

 

彼女はハッとし、「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね」と呟いた。

 

 

 

(ツゥン) 桜綾(ヨウリン)と申します。――この名前を出せば彼も分かってくれるはずです」

 

 

「……では、少しだけ待っててください」

 

その容姿に見合う綺麗な名前だと思った。名は体を表すとはよく言ったものだ。

一言言い残し、作業場に置いてある携帯を取りに腰を上げた。










桜綾の見た目は、ザ・お嬢様をイメージしてます。
小説のトリシアとはまた少し違う感じ。
そんな女性がロアナプラに連れてこられたなんて、流石のキキョウさんも何かあるだろうと思っちゃいますよね。




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