ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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23 迷い込んだ華の名Ⅱ

――洋裁屋キキョウの家でそのような会話が繰り広げられている一方。

熱河電影公司の最上階にある社長室前には、今まさにドアを叩くリンの姿があった。

 

 

「張大哥、リンです」

 

「入れ」

 

 

礼儀がなっていないと郭にどやされている彼女だが、流石に雇い主がいる部屋にノックもせず入るような無礼はしない。

返ってきた声に「失礼します」と一言告げてからドアを開ける。

 

「珍しいですね、貴方がアタシをわざわざここへ呼び出すなんて。遂にご自身の健康状態に不安を感じたので?」

 

「はっ、それは気にしたってしょうがねえだろうな」

 

一番奥にある椅子に腰かけ優雅に紫煙を燻らせている人物。張維新はリンの冗談を軽く受け流す。

 

彼の背後に立っている腹心の部下である彪と郭は黙って二人の会話を聞いている。

 

「しかし、本当にどうされたんですか? ……アタシとしては、そこで控えているクソ野郎の顔をこれ以上見たくないんですが」

 

「それはこっちのセリフだクソ女」

 

罵倒を浴びせられた郭は鋭い視線をリンへ向けた。その郭を睨み返すリン。両者とも雇い主を挟んでいることはお構いなしに睨み合いを続ける。

 

挟まれている当の本人は眉一つ動かさずただ煙草を吸っている。

 

 

「相変わらずだなお前たちは。仲睦まじいようで何よりだが――今は世間話をする時間も惜しい。挨拶はそこら辺にしろ」

 

「……失礼しました」

 

 

張の言葉に郭はすぐさま謝罪を述べ、リンは真剣な表情へと切り替える。

こうして優雅に寛いでいるように見える三合会タイ支部のボスが、時間がないと言うほどに切羽詰まっている。

 

 

ここにいる人間の中でその意味が分からない馬鹿はいない。

 

 

「……どうやら、アタシの予想以上の事が起きているようで」

 

「ああ。なんせ、今回は本国も動いているからな。――問題なのは、それ程の事がこの街にも関わっていることだ」

 

 

告げられた内容に思わず目を見開く。

彼がそんな冗談を言わないことはリンもよく知っている。が、俄かに信じられない話であった。

 

世界に名を馳せる我が組織の本部が動くほどの大問題が起きている。

それが遠い海の向こう側に位置するこの街にも関係しているなど。

 

 

張はそんなリンの様子を目に留めながら話を続ける。

 

 

「順を追って話そうか。――お前、龍頭に娘御がいるのは知っているか?」

 

「……噂は聞いてます。総主の一人娘で、確か数年前に十歳以上年上の香主とご婚約されたとか」

 

「そうだ。一人娘が故に龍頭に可愛がられながらも立派に育ち、今や香主と肩を並べて歩いているお方だ。お前らにとっては雲の上の存在といったところか」

 

煙を吐きデスクの上に足を乗せる。

リンは「何故今その話を?」と疑問を感じたが、黙って話の続きを待つ。

 

令爱(お嬢)が大学を卒業後にすぐご結婚される予定だったんだが、色々と邪魔が入り先延ばしになっていた。それが今やっとあの二人の晴れ姿を披露する準備が進み、二か月後に本国で盛大な式を挙げられる」

 

「それはおめでたい話ですね」

 

「ああ、なんせ令爱の長年の想いが叶う時でもあるからな。幼い頃を知っている俺としても喜ばしい。――だが」

 

 

 

比較的いつもの調子で喋っていた張の声音が、途端に低いものへと変わる。

 

 

 

「何故か彼女は、どこぞのクソ虫共のおかげでこの街にいる。そして今、一人でどこかを彷徨っている」

 

 

 

その言葉にリンは今日一番に驚いた。そして、話を聞いて感じた最大の疑念を遠慮せずぶつける。

 

 

 

「連れさられたというならそのクソ虫共のところにいるのでは? どういうお方かは存じませんが、腕が立たない女性であれば逃げ出せるとはとても」

 

「令爱は“こういう時”のための術は叩き込まれてる。尚且つ、彼女の香主の元へ帰ろうとする執念は凄まじいからな。……虫共は令爱のその執念深さを侮っていた。だから逃げられた」

 

「その馬鹿どもは?」

 

「今は文字通り虫の息ってやつだ」

 

 

リンはようやく事の重大さに気づく。

自身が直接お目にかかることはないであろう人物たちの大事なお嬢様が、たった一人この街に放り出されている。

 

 

本国が動くのも、直属のボスである彼が焦るのも納得の大問題だ。

 

 

「たった一人の女性を複数でなんて、これだから男は。――それで、ただの闇医者であるアタシにどうしろと?」

 

「お前はウチでも一人での行動がしやすい。それに、美人には特に目がないお前なら目敏く見つけられるかもしれんしな」

 

「いくらアタシでも顔が分からないんじゃ見つけようがありませんよ」

 

「分かっている。……彪」

 

 

命令に従い、静かに立っていた彪がリンに近づく。

そして、懐から一枚の写真を取り出した。

 

 

「俺達は、その女性を香港に五体満足で送り返さねばならん。なんとしてもだ」

 

 

張の言葉を聞きながら、差し出された写真を受け取る。

 

 

――そこに写っていたのは、長い黒髪に茶色い瞳の綺麗な女性が笑顔を浮かべている姿。

 

 

 

写真を見た瞬間、リンは再び目を見開いた。

 

「え、この子って……」

 

 

小さく呟いたその瞬間、唐突に社長室にコール音が鳴り響く。

張はデスクの上で震えている携帯を一瞥し、やがて徐に手に取り耳に当てる。

 

 

その様を他の三人はただ黙って見届けている。

 

 

 

 

 

 

『――キキョウです。お忙しいところ失礼します』

 

 

 

 

 

 

聞こえてきた声と言葉に張は一瞬目を見開いたがすぐさま口を開く。

 

 

「ようキキョウ。今はお前に何も頼んでいないはずだが……とうとうお前から一杯誘ってくれる気になったのか?」

 

『私から気軽に誘えないことは貴方が一番ご存じでしょう』

 

この部屋にいる人間で、張から出た名前を知らない者はいない。

自分たちのボスが目をかけている洋裁屋がこんな時に何の用かと、張を始め郭と彪は勘繰った。

 

ただ一人、リンは思考を巡らせ「まさか?」と一つの予想を頭の中で浮かべている。

 

 

「なら、なんだ? 生憎、今こっちも暇じゃないんでな。急ぎじゃないなら後でもいいか?」

 

『お時間はとらせません。どうしても今すぐ確認したいことがあって』

 

「――珍しいな、お前がそこまで急いでいるとは。どうした」

 

 

出会ってから今までほぼ「依頼品が完成した」という連絡しか寄こさない彼女が、自身に確認したいこととは何なのか。張は違和感を覚えながら尋ねた。

 

 

『実は、こちらに貴方のお客人が来てまして』

 

「……俺の客?」

 

一体何のことだと、キキョウの言葉に疑問が浮かぶ。

訝し気に聞き返すと一切の間を空けず返答が来た。

 

 

『ええ。張さん、“(ツゥン) 桜綾(ヨウリン)”という女性はご存じですか?』

 

 

 

短くなった煙草を灰皿に押し付けていた手が止まった。

 

少しの間を空け、再びゆっくりと言葉を発する。

 

 

 

「……今、なんと言った?」

 

『“荘 桜綾”という女性はご存じですか?』

 

先程と一言一句違わない言葉が返ってくる。

 

 

「何故その名前を」

 

『その反応だと、やはりお知り合いのようで』

 

「答えろキキョウ。なぜお前からその名前が出る」

 

 

 

張の声音に一瞬にして最大の緊張感が部屋の空気を包む。

その雰囲気は携帯越しであろうとキキョウにも十分伝わっていた。

 

 

彼女も戸惑っているのか沈黙が落ちる。

返事がないことに張が眉を寄せた途端、やがて静かに声が返ってきた。

 

 

『……それについては、ご本人から説明するとのことです。代わってもよろしいでしょうか?』

 

どういうことだ。彼女がキキョウと一緒にいる?

一体何がどうなっている。

数々の疑問が一瞬にして募ったがそれらすべてを押し込み、張は最優先するべき行動を取るべく口を開く。

 

「そこに、彼女がいるんだな?」

 

『ええ』

 

「代わってくれ」

 

『はい。……どうぞ』

 

 

キキョウの声が少し遠くなり、やがて少しの間を空け別の声が飛んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『――張兄さん』

 

 

 

 

 

 

自身を親しみを込められたその呼び名で呼ぶ女性はたった一人。

それは、今まさに自分たちが必死に探していた人物に他ならない。

 

 

 

「桜綾令爱」

 

 

 

久々に聞く声に張は驚きと安堵を感じながら、彼女の名前を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「――お久しぶりです。……ええ、大丈夫です……はい、そうです……ええ」

 

張さんに連絡を取り、彼女の名前を出すと彼は携帯越しでも緊張感を帯びさせる硬い声音を発してきた。

正直彼がそこまでなるとは思わず驚いていると、いつのまにか自室から出てきていた彼女が「私が彼と直接お話をします」と提案してきた。

いつもより必死になっている様子な彼には長々とした説明は逆効果だろう。

そう判断し、彼女の言葉に甘え電話を替わってもらった。

 

彼女の“張兄さん”と親しみを込めた呼びかけから会話が始まり、私はその様をただ静かに見守っている最中だ。

 

張さんをあんな風に呼ぶなんて、本当に一体何者なのだろうか。

もしかしたら、彼女は予想以上に三合会と深く関りがある人物なのか?

 

疑問が募るばかりだが、私の本来の目的は彼女をどう扱うか見極めること。

もし張さんや彼女自身から聞けなくても、それさえ分かれば何も問題はない。

 

 

 

「……それは私自身が伝えます。……はい……分かりました」

 

 

改めてそう認識した途端、彼女は携帯を耳から離しこちらを向いた。

 

「あの、張に……張さんが貴女に代わってほしいと」

 

そう言って携帯を差し出される。

何を言われるのか内心ドキドキしながら手に取り、呼び掛ける。

 

 

「代わりました」

 

『お前には色々と聞きたいことが山ほどあるんだが、それはまた後だ。――急で悪いが今から俺がそっちに行く。すまんが、もう少しだけ彼女を預かってもらえると有難い』

 

「その彼女は何者なのか、というのも今は聞かない方がよろしいですか?」

 

『それは彼女からきちんと言いたいんだそうだ。俺が来る間にでも本人に聞いてくれ』

 

「分かりました。……彼女のためにも、なるべく早くお迎えに来てあげてくださいね」

 

『言われなくてもそのつもりだ。では、また後程』

 

 

 

口早にそう言い終えるとすぐ通話が切れた。

一体何が起きているのか理解できていないが、彼が今からここへ来るのだけは確かなようだ。

 

携帯を台の上に置き、こちらを見ている彼女へ向き直る。

ちょっとした沈黙が落ちた後、やがて先に口を開いたのは彼女の方だった。

 

 

「改めて名乗らせていただきます」

 

 

その声音は、先程とは少し違う凛としたもの。おかげで彼女の一言で妙な緊張感が部屋に広がった。

 

 

「――私、香港三合会龍頭の荘 戴龍が娘。荘 桜綾と申します」

 

 

 

ロンタァウ?

 

この口ぶりからして三合会のお偉いさんというのは分かるのだが、一体どこらへんの立場なのか分からない。

張さんやその他の人たちからは組織について教えてもらってないのもあり、この街以外の三合会についてはあまり知らないのだ。

 

私がよく分かっていないのを感じ取ったのか、彼女……荘さんが付け加えるように言葉を続けた。

 

「龍頭は三合会の一番上の立場にあたります。“首領”と言った方が分かりやすいでしょうか」

 

 

 

……いやいやいや、ちょっと待て。

 

 

荘さんが言っているのは、つまり彼女は我がパトロンよりも上の立場にいる人間の家族ということだ。

張さんの焦っている様子からしてそれは事実なのだろう。

 

だとしたら、そんな人物がこんなところにいるのはおかしい話ではないのか。

三合会本部の実情は知らないが、こんな易々と海の向こう側に連れてこられるものとは考えられない。

それも、張さんが支配しているこの街に。

 

「父の立場上、私が狙われるのはいつもの事なんです。恨みを買いやすい三合会のトップの一人娘。それだけで攫う価値があるのでしょうね」

 

ああ成程。だからさっき心当たりはないけどある、みたいな返答になったのか。

だが、いつもの事であるのなら尚更ここにいるのはおかしいのでは?

そんな何回も攫われるような真似は許さないと思うのだが。

 

若干混乱しそうになっている私に構わず、荘さんは話を続ける。

 

「ですが、まさかこんな時に攫われるなんて思ってませんでした」

 

「こんな時?」

 

「ええ。――実は私、もうすぐ結婚するんです」

 

 

なんと。これはまた驚くべき事実を聞かされた。

そんなめでたい時に攫われるとは。

それだけでも災難なのに、連れてこられたのがロアナプラというのもまた酷い話だ。

相手は結婚するというタイミングを狙ったのか、またはただの偶然か。

 

 

……まあ、こんな事を考えたところで私にはどうしようもないか。

それに、彼女の事に関しては彼らの仕事だろう。

 

 

今は色々考えるのをやめて、とりあえず荘さんの話に付き合おう。

 

「それは、おめでとうございます」

 

「ありがとうございます。……もっと早く式を挙げる予定だったんですけど、色々あって随分伸びてしまって。父や婚約者が必死になって整えてくれて、私の周りをいつも以上に警戒してくれていました。なのに、一瞬の隙をつかれてまんまと……自分の力のなさをこれほど悔やんだことはありません」

 

荘さんは拳に力を入れ俯いた。

私からすれば、逆にこの街で一人で逃げ切ったことだけでもすごいと思う。

何も分からないまま、ただひたすら戻りたい一心でここまで来たことは賞賛に値するレベルだ。

 

やがて顔を上げ、茶色の瞳でこちらを見据え再び口を開いた。

 

 

「貴女が手を伸ばしてくださらなければ、きっと私はあの人の元に帰れることなく一生を終えていたでしょう」

 

 

 

そう言葉を発する彼女の瞳には、少しだけ涙が溜まっていた。

その様に何も言えず、黙って話に耳を傾ける。

 

 

「貴女は私の。私たちの恩人です」

 

「……そんな畏まらないでください。私はただ、自分のために貴女を家に招いただけですよ」

 

「え?」

 

「自分の家の前に死人が転がっていたら、誰だって仕事どころじゃなくなるでしょう?」

 

彼女の為に助けた訳じゃない。全て自分の為にやったことだ。

だから、恩人と言われる筋合いはどこにもない。

 

「ですから、恩人だなんて」

 

「そのお仕事の邪魔をしてしまった私を、こうしてベッドを貸していただいただけでなく、私が自然と起き上がるまで待っててくださいました。そして、わざわざ張兄さんに連絡も取ってくださいました。どんな理由があろうと、貴女の行動に私は救われたんです」

 

 

荘さんは凛とした声音で私の言葉を遮った。

未だ瞳をこちらに真っすぐ向けたまま、話を続ける。

 

 

 

「改めて、お礼をお申し上げます。本当にありがとうございます。このお礼は必ず」

 

「……」

 

 

そう言って再び深々と頭を下げた。

ここまで真っすぐ、礼儀正しくお礼を言われてしまっては無下にすることもできず、彼女の真剣な様子に何も言えなくなってしまう。

 

だが、いつまでも頭を下げさせる訳にもいかない。

彼女の畏まった姿勢を崩す何かを見つけようと思考を巡らせ、やがてしばらく続いた沈黙を破るため口を開く。

 

 

「頭を上げてください。……とりあえず、張さんが来るまでにその服着替えませんか?」

 

「え?」

 

「彼の客人である貴女に、そんな恰好をいつまでもさせているわけにはいかないですし」

 

「しかし」

 

「このままにしておくと、私が彼に叱られてしまいます。それは少し嫌なので協力してくださいませんか?」

 

私としては、張さん自ら迎えに来るほどの人物をこんな姿のまま送るのは気が引ける。

今から収納場所に向かう時間はないので、私のおさがりを着せてしまうことになるが今の服よりマシだろう。

 

荘さんは戸惑いながらも、少し間を空けて「では、お言葉に甘えて」と申し訳なさそうに返答してくれた。

 

「では少し待っててください」

 

「は、はい」

 

すぐに用意できるのは、外に出ても恥ずかしくはない無難なTシャツとイージーパンツ。

サイズが合うかは微妙なところだがそこは仕方ない。

 

新しい物はどれだったかと、タンスの中を探り始めた。

 













桜綾は子供時代に三合会入りたての張さんによく遊び相手になってもらってた、という設定です。
羨ま……

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