ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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24 もてなす準備

 

 

――自分用の服で一番新しい物を荘さんに着せ、後は張さんが来るのを待つだけとなった。

やはり背丈が私よりも小さいので若干サイズが合ってはいなかったが、見かけは特別気になるほどではない。

彼女自身も着てみてさほど気にならなかったようで文句ひとつ言わず着てくれている。

 

その様に少しの安堵を感じつつ、先程まで着ていたボロボロのワンピースを手に取りできるだけ丁寧に畳んでいく。

 

「こちらの服はどうされますか? よろしければ私が処分しますが」

 

「いえ、持って帰って自分で処理します。恩人にごみ処理を任せるなんてしたくないですから」

 

「そこまで気を遣わなくていいんですよ?」

 

「これくらいは当然です」

 

この様子だと、何を言われようと私に処分させる気はないらしい。

 

「……分かりました」

 

彼女の意思を変えることはできないと諦め、ワンピースを持って作業場へ向かう。

常備している紙袋に入れ、ベッドにちょこんと座り大人しく待っている彼女に差し出す。

 

「どうぞ。この方が運びやすいでしょう」

 

「ありがとうございます。何から何まで」

 

「いえいえ」

 

「あ、あの……」

 

「なんですか?」

 

紙袋を受け取ると彼女は何か言いたいことがあるのか、瞳を真っすぐ向けながら声をかけてきた。

 

「お嫌でなければ、ぜひ貴女のお名前を」

 

あ、そういえば名乗っていなかったか。

自身が洋裁屋であることを告げたので既に名前を教えた気になっていた。

別に嫌ではないので彼女の期待の眼差しに答えるべく、こちらも相手の目を見据える。

 

「キキョウといいます」

 

「キキョウ様。……とても良いお名前ですね」

 

荘さんは噛みしめるように呟きながら柔らかい微笑みを浮かべた。

私は彼女から“様”をつけられたことに驚いてしまい、お礼を言う事もなく慌てて言葉を返す。

 

「あの荘さん、様はつけなくても」

 

「もしかしてお嫌でしたか?」

 

「嫌というか……」

 

こちとら様をつけて呼ばれるなんて何かの式典とかくらいしかないのだ。

ましてや、私をそんな風に呼ぶ人間はどこにもいない。

 

あまりにも慣れてなさすぎる呼び方に動揺するのも当然だろう。

 

 

「貴女は恩人です。なのでそう呼ぶのは当然だと思っております。……ダメ、でしょうか?」

 

いや、私としては我がパトロンよりも上の立場にいる人にそんな呼び方をされるのは遠慮したい。

 

そんな悲しそうな眼をされても自身の立場を弁えなければいけないので、ここははっきり言わなければ。

そうしないと後で張さんに何を言われるか分かったもんじゃない。

 

「私はその呼び方に慣れていないので、様は外してくれると嬉し……」

 

呼び方を改めてもらうため正直な気持ちを伝えていると、中途半端なところで途切れた。

 

 

その原因は、表のドアから聞こえてきたノック音。

 

 

 

「――キキョウ」

 

 

 

間が空くことなく聞きなれた低い声が飛んでくる。

できるだけ早くとは言ったが、少しタイミングが悪いと思ってしまった。

 

もしかしたら、私が言うよりも張さんが言ってくれた方が呼び方を改めるかもしれない。

もう後はその可能性に託そうと話を続けることなく自室を出る。

 

 

ドアを開ければ、腹心である二人を後ろに控えている人物の姿が目に入る。

いつもの飄々とした表情ではない彼へ早速言葉をかける。

 

「お待ちしてましたよ」

 

「彼女は?」

 

「自室で待たせています。お呼びしますね」

 

一刻も早く荘さんの無事を確認したいのだろう。

いつもの軽い挨拶をすることなく真っ先に聞いてきた事でそれは手に取るように分かった。

 

 

ならば私の役目は、彼女を張さんの前に早く連れて来ることだ。

 

 

早足に自室へ戻り、いつのまにか紙袋を片手にベッドから腰を上げていた彼女へ声をかける。

 

「お迎えがいらっしゃいましたよ。さ、行きましょう」

 

「はい」

 

素直に私の言葉に従い、作業場の方へと足を動かした。

私はそんな彼女の後ろに静かに付いていく。

 

張さんは自室から出てきた荘さんの姿を捉えると、何も言わずつかつかと彼女に歩み寄る。

 

「令爱、よくご無事で」

 

「張兄さん、ご心配をおかけいたしました。……こうして生きていられるのも、キキョウ様のおかげです」

 

彼の前で様付けは本当にやめていただきたいのだが、それを主張できる雰囲気ではないので黙っておく。

張さんは私の方をちらりと一瞥したが、すぐさま彼女へ目線を戻し口を開いた。

 

「香主がお迎えに上がるまで貴女を保護するよう仰せつかっております。この街では我々が責任もって貴女をお守りいたします」

 

「ありがとうございます。ですが、私は早く劉帆さんの元に」

 

「お気持ちは分かりますが、今はご辛抱を。香主もそれをお望みです」

 

「ですが」

 

「詳しい話はまた後程。――さあ、参りましょう」

 

二人とも間を空けることなく言葉を交わし、やがて張さんは促す様に道を空ける。

それに倣い、後ろの二人も同じように真ん中を空けた。

 

「……ええ」

 

顔は見えないが、荘さんがどんな表情をしているのかは声音で想像できた。

不服そうにしながらも、張さんの言葉に従い彼女はゆっくりと足を動かす。

 

ここでいつまでも押し問答を続けられては困るので、私としてもその行動は有難い。

 

「キキョウ様」

 

 

部屋を出る一歩手前のところで何を思ったのか足を止め、荘さんはこちらを振り向いた。

 

「この度は本当にありがとうございました。この恩は一生忘れません」

 

「……」

 

そういってまた深々と頭を下げられる。なんと返そうか迷っている間に、今度こそ部屋を出て行った。

その後ろを腕の立つ郭さんが護衛としてなのか黙って付いていく。

 

てっきり張さんも何も言わず行くのかと思ったが、こちらを見据えやがて話を切り出す。

 

「今ここで説明したいところだが、今は彼女の傍を離れるわけにいかん。説明はもう少し後でも構わないか?」

 

「勿論ですよ。私よりも彼女の方を優先すべきでしょうから」

 

「相変わらず物分かりがよくて助かる。それと、これも急で悪いが彼女の替えの服を何枚か後で持ってきてもらいたい」

 

「彼女のサイズにピッタリな物はすぐには難しいです。それでもよろしいですか?」

 

「彼女に安物の服を着せるわけにいかないんでな。今はそれでいい。ちゃんとしたものはまた今度仕立ててくれ」

 

「分かりました」

 

安物でも服は服なのだから別にいいのでは? と一瞬思ったが、今から買いに行かせるよりも私に頼んだ方が早いと判断したのだろう。

彼がそれでいいというなら、私から何も言う事はない。

 

「別で車を待たせてある。服が用意出来たら彪に乗せてもらえ」

 

「え、自分で歩いていきますよ?」

 

「早いに越したことはないからな。――それに、何であれお前には大きな借りができた。送迎くらいさせてくれ」

 

私は貸しを作ったなんて全くこれっぽちも思っていないのだが、話し込んでいる場合ではない。

今は何も言わず、また後で話をすればいい。

 

「ではキキョウ、頼んだぞ」

 

「はい」

 

そういってロングコートの裾を翻し颯爽と部屋を出て行った。

いつもより歩くスピードが速かったのは気のせいではないだろう。

 

本当に残された彪さんは、張さんが完全に去ったのを見届けた後こちらに向き直り口を開く。

 

「ぼーっとするなよキキョウ。早く令爱の服見繕ってこい」

 

「はい。あの、彼女はどのくらいこの街に滞在されるご予定で?」

 

「まあ、今の状況じゃ何とも言えないが……最低でも一週間はいるかもな」

 

「分かりました。ではすぐ取ってくるので少しだけ待っててください」

 

「あの部屋までこっから10分くらいあるだろ。車で送った方が早い。行くぞ」

 

「すぐ準備します」

 

彪さんはそう言って、車を置いてあるであろう方向へ足を動かし始める。

彼に置いていかれないよう、急いで数枚の紙袋とサイズを測るためのメジャー、そして鍵を持ち出す。

 

ドアに鍵をかけ、少し先を歩いている彪さんの背を走って追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

数枚のTシャツとズボン、ワンピースを収納場所から持ち出し、彪さんに荘さんがいる場所へと送ってもらった。

てっきりビルの方へ向かうものと思っていたが、まったく違う場所へと向かっていると気づいたのは数分経ってからだ。

 

 

そうしてしばらく車に揺られること数十分。車が停まったのは見覚えがある場所。

 

 

 

そこは、私も数年前お邪魔したあの広々とした隠れ家。

ここに訪れるのはあの時以来で、なんだか懐かしい気持ちになった。

 

 

家の入口には三合会の組員らしき黒いスーツに身を包んだ人たちが数名立っていた。

彪さんが先導して歩いてくれているのもあり、警護として立たされている彼らから「よう洋裁屋」と軽い挨拶をされただけで、何も言われることなくすんなり中へ通された。

 

その後彪さんから「先に服を届けてこい」と言われ、荘さんがいる部屋を教えてもらった。

先に張さんへ挨拶しに行こうか迷っていたが、彼の腹心である彪さんからそう言われたのであればそうするのが先決だろう。

 

教えてもらった部屋へ向かい、大きな扉の前に立つ。

一つ息を吐いてから、ノックし声をかける。

 

「キキョウです。服を届けに参りました」

 

「――どうぞ」

 

中から返ってきた声を聞き、「失礼します」と一言断りを入れながら扉を開ける。

 

広々とした綺麗な部屋の奥にはソファに腰かけている荘さんと、彼女の腕に包帯を巻いているリンさんの姿があった。

 

「キキョウ様、申し訳ありません。お出迎えもせずに」

 

「桜綾様、まだ動かないでください。もう少しで終わりますから」

 

すぐさま立ち上がろうとした荘さんを私よりも先にリンさんが諫める。

その言葉に眉尻を下げ、まるで叱られた子供のような表情を見せた。

それが少し可愛らしいと思ったのは今は言わないでおこう。

 

「……はい、終わりましたよ。激しい運動を控えめになされば、すぐに痕も引くでしょう」

 

「ありがとうございます。流石、張兄さんが見込んだお医者様ですね。とても早い処置で驚きました」

 

「有難きお言葉です。貴女のような女性にそんな痕は似合いませんから」

 

……なんだろう。

こんな落ち着いたリンさんを見たのは初めてな気がする。

彼女の全てを知っているわけではないが、私の中ではリンさんが女性と話すときはいつもテンションが高いイメージだ。

加えて直属の上司である張さんに対してもここまで丁寧な姿勢は取らない。

だから、彼女の腰の低い様を見たのは初めてで少し驚いた。

まあ、荘さんが相手なら三合会の人間は皆そうなるのかもしれないが。

 

物珍しくじっと見ていると、荘さんが私の目線に気づいたのか腰を上げパタパタと小走りで近づいてきた。

 

「わざわざありがとうございます。本来ならこちらから受け取りに行くべきだったのですが……」

 

「これが私の仕事なので。ですからそこまで畏まらないでください」

 

また頭を下げられそうな勢いだったので、そうなる前に気にしないでほしい事を伝える。

こんなやり取りが続く前にやるべきことを済ませるべく、間を空けずに言葉を続ける。

 

「ひとまず、2、3日分の服を適当にこちらで見繕ってきました。どれほど滞在されるか不明瞭とのことなので、足りない際にはまた追加でお持ちいたします。急でしたので今はあり合わせの物しかご用意できませんが、今度は貴女のサイズに合ったものをお届けできればと。……貴女の好みではない服かもしれませんが」

 

「お気遣いありがとうございます。ですが、服に関してはこの街でキキョウ様の右に出る者はいないとお聞きしました。そんな方が用意してくださった服を着れることに嬉しさはあれど、不満なんてあるはずがありませんよ。それに、貸していただいたこの服もサイズが気にならない程着やすいです」

 

「……ありがとうございます」

 

そこまで期待されても困るのだが、なんと返していいか分からなかったのでとりあえずお礼を言っておく。

 

まったく、なんでそんなことを彼女に言ったのか。

これで彼女の期待通りにいかず、私が仕立てた服に心底がっかりされたらどうしてくれるんだ。

荘さんに似合うように作っていないので好みに合っていないのは仕方ない。

だが、勝手に期待を煽られるような真似はされたくない。

 

誰から聞いたのかは何となく予想はついているのだが、ここで問い詰めたところで時間が無駄に過ぎるだけだ。

 

「では、私はこれから張さんに挨拶に行かなければならないので、ひとまずこれで失礼します。服に関して何かあればいつでも言ってください」

 

「はい」

 

「桜綾様、アタシもこれで失礼いたします。お怪我が治るまで何回か様子を見に来ることになるでしょう。治りを早くするためにも、激しい運動は控えめに」

 

「ええ」

 

「では、失礼いたします。キキョウちゃん、行きましょ」

 

声をかけられ、颯爽と立ち去ろうとするリンさんの後についていく。

出る前に軽く会釈しドアを閉め部屋を後にする。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 

広い廊下をしばらく無言で歩き荘さんの部屋から遠ざかる。

あの大きなドアが視界に入らなくなり、ちょっとした緊張感から解放され息を吐いた瞬間。

 

 

隣で一言も発しなかったリンさんが急に勢いよく肩を掴んできた。

 

 

「リ、リンさん?」

 

「……き……た」

 

「え、なんですか?」

 

 

一体何事かと、驚きながら尋ねてみる。

下を向き、何やら呟いているリンさんを訝しみながらもう一度言葉を投げかけた。

 

 

 

 

「きんっちょうしたああ! キキョウちゃんが早く来てくれて本当によかったわ!」

 

「ぐえッ」

 

「まさかあの子が龍頭の娘さんなんて思わないじゃない! こんな街でお目にかかれるなんて予想できる!?」

 

「ちょ、リンさん……くるし」

 

「大哥に一応様子見てたこと報告したら『もっと早く言え』って言われるし! しかもその時すんごい睨んできたのよ!? 彼女が桜綾令爱だって知ってたらとっくに言ってるっての!」

 

「わ、分かりました。分かりましたから落ち着いてください」

 

ぶつぶつと喋っていたかと思いきや、いつものテンションの高い喋り方に戻った。

思い切り抱きしめられ呻き声を上げた私を気遣う余裕はないのか、力を緩める気配はない。

 

よほど張さんとの話が気に食わなかったようで、溜まったストレスを吐き出すように話している。

 

吐き出して大分落ち着いたのか、声をかけると離れるまではしないが少し力を緩めてくれた。

というより、力が抜けたと言った方が正しい。

 

私の左肩に頭を乗せ、心の底から疲れたと言わんばかりのため息を吐く。

 

「はあ。ほんと、なんでこんなところにいるんだか」

 

「……珍しいですね。貴女が美人さんと話して“そう”なるなんて」

 

リンさんの事だからてっきり『あんな可愛い子と話せるなんて!』と喜ぶものと思っていた。

 

だが、今の彼女は嬉しさよりもどこか迷惑がっているような様子だ。

 

 

「そりゃこうなるわよ。もし彼女に何かあったらアタシたち全員家畜の餌にされてもおかしくないのよ。龍頭が娘を溺愛してるって噂では聞いてたけど、大哥のあの様子なら本当っぽいし」

 

「……」

 

「キキョウちゃんが拾わなかったらって考えると冷や汗が止まらない。それは全員が思ってることよ。――特に大哥は安堵してると思うわ」

 

「私は自分の事しか考えなかっただけですよ」

 

「だとしてもよ。……ま、そこら辺についても大哥から話があると思うわ。行きましょ」

 

肩に乗せていた頭を上げゆっくりと離れる。

微笑を浮かべ、先程までの疲れた様を見せず軽快な足取りで前を行く。

 

相変わらず切り替えが早いと感心しつつ、置いていかれないよう少し早足で背中を追った。

 

 

 

 

 








溺愛してる娘が誘拐されたらお父さんが激怒して、組織使ってまで探すのは当然ですよね。

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