どうする。どうするどうするどうする。
私の頭の中はその言葉で埋め尽くされている。
原因は、当然目の前の椅子に腰かけているこの男だ。
この男は、あろうことか私の家に不法侵入し一時間も居座っていたのだ。
不法侵入も大いに問題だが、今最大級の問題は“この男”と再び会ってしまったことだ。
あともう少しでこの家を離れられたのに。自分の運のなさを呪う。
「何か買い物でも?」
「……糸を買いに」
「そうだったか。なんせ一級品を拵える洋裁屋だ。作業を中断してまで外に出ることは滅多にないかと思ってたものでね、待たせてもらったよ」
「……タイミングが悪かったようで」
色々な意味で。
「いやいや。急に押しかけてきたのは俺だ、仕方ないさ」
そう思うのならとっとと帰ればよかったのではないのか。
見知らぬ人の家でくつろぐよりよっぽどそっちの方がいいだろうに。
一体何を考えているのか。
冬用であろうコートを着ているせいで頭がやられているのか。
カッコつけずにもう少し薄い生地で仕立てられた服を着たらいいものを。
心の中で悪態をつきながら、黙って話の続きを待つ。
何故この男は私の帰りを待っていたのか。
尋ねてみたい気もするが、自分から核心に触れたくもない。
結局私はこの男のペースに合わせるしかないのだ。
「それで、今度は何を作っているのかな?」
「……ブラウスです」
「自分用に? それとも『誰かに渡すため』かな」
「……いえ」
男が言葉を強調する。
まるで警察の尋問みたいだ。受けたことはないが、そんなイメージがある。
マフィアが警察のような尋問をするのかどうかは知らないが。
「では何のために?」
「……なんのためとか、そんな大層な理由はありませんよ。私は作りたいから作ってるだけです」
「人に渡すためでもなく自分で着るためでもないと?」
「はい」
「では、完成したものはどうするんだ。見たところ、どこにも飾ってないようだが」
質問が多い気がする。
そんなこと聞いてどうするというのか。
「……完成したものは燃やして処理しています」
「燃やす?」
「人に着てもらえない服なんて価値がありませんから。それに、今は価値のあるものを渡そうとはしていませんし」
「──なら、どうしてこれは人の手に渡っているのかな?」
男がそう言ってポケットから出したのは、私が子供に渡したあのアマリリスが刺繍された布だった。
「な、んで」
「たまたまこれを持っていた子供と会ってね。あまりにも素晴らしい出来だったものだから譲ってもらったのさ」
「……まさかあの子供を脅したのは」
「俺じゃない。俺以外の誰かに脅されて君に強請ったんだろう。──それ相応の金を渡して譲ってもらったのさ。少々高い買い物だったがね」
一体なんなんだ。
たかが練習で作ったものをあげただけじゃないか。それの何がいけないのかが分からない。
……そう、練習で作ったもの。だからこそ金を払う価値もないはずだ。
価値がないものを渡してはいけないルールとかあるのかここには。
この男の勘違いを少しでも解こうと意を決し自分の考えを口に出す。
「一つだけ言わせていただきますが、その刺繍は練習用で作っただけであってお金を払うほどの価値はありませんよ」
「……やはり、君は何も分かっていないようだ」
男は呆れ気味にそう言うと椅子から腰を上げ、そのままゆっくりとこちらに近づいてきた。
異様な雰囲気に足が勝手に後退る。
コツ、コツと革靴の音を鳴らし近づいてくる。
そして、とうとう壁際に追い詰められ、男は私の顔の横に手をついた。
同時に低く冷たい声音が発せられる。
「俺は言ったはずだ、『腕を見せびらかすならうまくやれ』と。これがどういう過程で作られたとか、そんなことはどうでもいい。問題なのは、“一級品を作る奴の作品がタダで出回っている”ということだ。君はもっと自分の腕の良さを自覚したほうがいい」
「……私には一級品を作れる腕なんて」
「ここまで言ってもそんな言葉が出るとは。いいか、お前がやってることは俺にとって“不可解”そのものだ。
他ならいざ知らず、この街では特にな。俺の縄張りで不可解なことが起きているという事実がタブーなんだよ」
俺の縄張り?
その言い草だと、まるで──
「……あなたは、一体」
「ああ、自己紹介がまだだったな。──三合会の張維新だ。以後お見知りおきを、お嬢さん」