ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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32 一流たる所以

 

かつて、「東洋のカスバ」という異名で名を馳せたスラム街があった。

国の法が一切通用しない無法地帯では売春、麻薬の取引は当たり前。殺人なんて珍しい事ではなかった。

密集していた建物と建物が支えている状況でなんとか保てられていたその場所は今や取り壊され、観光地として様々な人間が往来し以前の狂気さは失われている。

 

 

 

――跡地の一部である優雅な公園を昼間から一人で歩いている男もまた、そのスラム街で生まれ育った一人。

 

 

 

男はベンチに腰かけ、晴れ晴れとした雲一つない空を見上げた。

 

 

 

「これでここも見納めか。いやあ、長かったな」

 

 

男はそう呟きながら、この場所で受けてきた数々の仕打ちを思い返していた。

母は外に男を作り自分を捨て、父は酒と麻薬に溺れ金を湯水の如く使い、金がなくなっては作ってこいと殴られた。

 

そんな親を親と思わなくなるのに時間はかからなかった。

 

殺し殺されるのが許される場所で育った子供が親の血で手を汚すことに躊躇いがあるはずもない。

元より一人で生きていたようなもの。それからは貧しさから逃れられなかったものの、父親の面倒を見ているときより何倍もマシだった。

 

時には麻薬の密売を手伝い、潜り込んでいた警察官に賄賂を渡し罪を逃れ、女だろうが子供だろうがムカつく人間は殺す。

そうやって生きていれば裏家業というものに就くのは自然なことで、17歳になった頃には依頼で人を殺すようになっていた。

 

 

 

死んだように生きていた。

 

 

 

 

――そんな男に半年前、思わぬ転機が訪れた。

 

 

 

よく依頼を持ってくる三合会の幹部の一人の紹介である男と出会った。

世界中を飛び回り、独自の麻薬流通ルートをいくつも持っているという凄腕の密売人だという。

 

その人物は男を見つけては食事に誘い、いろんな話を男に聞かせた。

 

イタリアで流行り、最も危険視されている麻薬を再び世に放ったこと。

アメリカで警察官相手に取引していること。

黒社会であるこの香港で自分の腕を試したくて来たこと。

 

気さくな態度で話されるその内容に、裏社会で生き、ドブネズミと蔑まれた男が興味を惹かれない訳がなかった。

 

そんな密売人と酒の席を共にしている中で「この国を出ないのか」と問われた。

自分のような人間はこの腐った場所で腐るように生きるのが丁度いい。酔った勢いでいつもは言わない弱音に似た言葉を返す。

 

 

それを聞いた密売人は、いつもより真剣な表情で話を始めた。

 

 

『――自分の限界を決めるのは自分だけだ。まだ若いのに勿体ないと思わないのか』

 

『……あのねえ、俺はあんたと違って頭も器量もよくないんすよ。ドブネズミにはドブネズミの生き方が』

 

『俺は鼠と食事や酒を共にする趣味はないぞ』

 

『……え?』

 

『ただのドブネズミがマフィアの幹部によく使われる殺し屋にはなれやしない』

 

『あいつらは切り捨てやすい人間を使っているだけだ』

 

『少なくても俺は、お前の殺しの腕は世界にも名を轟かせられると思っている。それほどお前を評価しているつもりだ』

 

『……冗談止めてくれよ。気色ワリぃ』

 

『気色悪いか。なら回りくどいのはやめにしよう。――自分の腕がどこまで通用するのか試してみたくないか?』

 

『は?』

 

『自分がただのドブネズミではないと。自分を侮辱した人間を見返し、自分は優れていることを見せしめたいと思わないか』

 

『なに、言ってんだ』

 

『自分の生きた証をより多くの人間に刻み、名を聞いただけで恐れられる。これ以上に殺し屋冥利に尽きる事はないだろう』

 

『……』

 

『こんな小さい国でちまちま稼ぎながら大したことのないスリルを味わい続けるより、世界に名を馳せ続けるために生きた方がよっぽど楽しいと思わないか』

 

『……俺は』

 

『己が本当に欲しいものを手に入れろ。お前にはその権利がある。“強者”としての権利がな――』

 

 

次々と投げられる密売人の言葉に、男は心を動かされた。

 

 

 

 

“こんなところで終わる人間ではない”

 

 

 

そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。

 

 

 

少しだけあった憧憬の念が、男の中で盛大に膨れ上がった瞬間だった。

 

 

 

――それから男は密売人に心の底から惚れこみ、行動を共にした。

 

 

その時間は人生で一番と言ってもいいくらい充実し、満たされていた。幸福とはこのことかと本気で感じるくらいに。

 

そんな時間をくれた憧れの人物から初めて依頼された。

“期待に応えたい”と思うのは当然で、今まで一番やる気に満ち溢れていた。

 

 

男はポケットから一枚の写真を取り出し、ニヤリと口の端を上げる。

 

 

 

「本当に綺麗だなあ。ああ、早く会いたい」

 

 

 

写真に写る一人の女性を見ながら恍惚な表情を浮かべる。

 

 

「その素晴らしい黒髪も、純粋な黒い瞳も、整った顔も、柔らかい胸も、綺麗な指先も全部可愛がってやる。その後は苦痛で流れる涙を舐めながらゆっくり殺してあげるからな」

 

そう呟いた後、男は舌を出し写真を舐め上げる。

唾液に塗れたその写真を大事そうにポケットへ戻し、軽い足取りでその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「――キキョウちゃん、いい加減仮眠取って」

 

「大丈夫です」

 

「ダメよ、今すぐ寝なさい。2時間経ったら起こすから」

 

「ここで手を休めたら確実に間に合わなくなります」

 

「完成する前にアナタがぶっ倒れるわよ。いいから寝なさい」

 

「修繕が終わったら寝ます。……すみません、お願いですから今は話しかけないでください。集中が切れます」

 

「……はあ」

 

桜綾さんから依頼を請け負ってから2日目。

やはり作業がそう順調に進むはずもなく、睡眠も食事もほぼ取らず動きっぱなしな状況だ。

後から事情を知ったリンさんが今朝私の様子を見に来た途端、「このままじゃドレス仕上がる前にぶっ倒れますよ!」と張さんに激怒していたのは覚えている。

部屋中に響く声で繰り出されている会話を聞いてる余裕はなく、ひたすら手を動かしていたので細かいところは曖昧だ。

 

――そこからリンさんは何回も「寝ろ」と言ってくるが、そのたびに「大丈夫」と言い張り作業を続けている。

正直、このまま動き続けているのは辛い。本音を言えば今すぐ部屋にある柔らかい高級ベッドにダイブして寝てしまいたい。

 

だが、そんな余裕はないし一度寝たらもう終わりだ。

 

桜綾さんに似合う最高のドレスをあと一日と十数時間で完成させなければならない。

 

デザインを考えて考えて考え抜いてやっと納得のできるものを見つけ、簡単な型紙を作り、ひたすら布を切ってはミシンで糸を通し、仮の形に仕立てイメージと違えばまた作り直す。

 

 

つまり、ほぼ一から作っているのと変わらない。

 

ウェディングドレスだけでもこの状態なので、他のドレスについては別の物を用意してもらうことになった。少し申し訳なかったが、これ以上仕事を増やしてしまえば確実に間に合わない。

 

 

なので、かつてないほど作業に全力を注がねばならない。

そのために、パトロンである彼に色々と注文した。

 

人の出入りが少なく作業場となるような広い部屋。

職業用ミシンと私では滅多に手に入れられない高級な布。

念のため持ってきていた私の裁縫道具。

その他諸々の細かい道具と小物。

 

私が依頼をこなすために必要な物をすべて頼んだ。

 

今までこんなに遠慮なく頼ることはなかったため彼も少し驚いていたが、「パトロンとして当然だな」と快く用意してくれた。

 

 

そのおかげでこうして気兼ねなくドレス製作に集中できている。

 

そんな彼の行動に感謝しながら一刻も早く完成させるべく無言でミシンを動かし、布と布と縫い合わせスカートの部分を作る。

上半身は元々形を少しだけ変えるだけだったのでそこまで時間はかからなかった。

後はスカートの部分なのだが、これが思った以上に難しい。

 

私が考えたデザインは、スカートの部分が何よりの決め手となっている。

長さ、緩やかさ、すべてに置いて気が抜けない。

しかも、破られたときに生まれた切れ端と高級な布のバランスも考えなければならない。

 

仮縫いの時点で何回も何回もイメージと違うものとなってしまい、行き詰ってしまっている。

 

心の中で次々と生まれる不安と焦りを感じながら、端まで縫い終わり上半身と合わせようと立ち上がった瞬間。部屋に置いてある時計から十六時を知らせる音が鳴る。

 

 

丁度いいタイミングだと、布から手を離し足を動かす。

 

「ちょっとキキョウちゃん、どこ行くの?」

 

「シャワー浴びてきます」

 

「その前に寝た方がいいわよ」

 

「ですからそんな時間ないんです」

 

「シャワー浴びる時間はあるのに?」

 

「体が汚い状態で触るわけにはいかないので、これも仕事の内です。……というか、リンさんまだいたんですね」

 

「いけない?」

 

「そうですね。一人の方が集中できるので」

 

「……」

 

「……すみません、今は気遣える余裕がないんです。なので、私がシャワー浴びてる間に部屋を出てもらえると有難いです」

 

心配してくれている人にこんな言い方普段はしたくないがもうそんな余裕はない。後でいくらでも文句は受け付ける。だから今は勘弁してほしい。

 

その意味も込めて言葉を放つ。

黙ってしまったリンさんを見ることなく、そのままシャワー室へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――本当に根っからの職人って感じね。まあ、それがキキョウちゃんらしいけど」

 

キキョウちゃんがシャワー室へ入ったのを確認し、アタシは洋裁屋の作業場と化している部屋を出た。

この国に来てまで依頼をこなすあの子もそうだが、それ以上に桜綾様のドレスが破かれたという事実に驚きを隠せなかった。

話を聞いた時、周りの人間は何しているのかと呆れたものだ。

 

香主と龍頭が気を抜くことはあり得ないと我らがボスは言っていたが、だとしたら相手が相当上手か、三合会の人間が役立たずかのどちらかだろう。

自身が身を置いている組織がそんな体たらくではないことを心から祈るばかりだ。

 

 

――普通、強引と言ってもいい手段で招かれた挙句、落ち着く暇もなく無理難題を押し付けられたなら嫌味の一つ、文句の二つや三つ言いたくなるものだ。

 

 

だが文句も、泣き言も一切出すことなくすんなり依頼を受けたと聞いた。

 

あの超一流の可愛い洋裁屋は、依頼をこなすためなら自分を追い詰めることを平気でする。

 

いつだったか、依頼がひっきりなしに入っているのを把握してなかった大哥がいつものように一杯誘おうと家に行ったら、やつれた顔のあの子が床に倒れていた。ということがあった。その時の大哥の様子は今思い出しても笑えてくる。

 

……まあとにかく、あのイカれていることで有名な洋裁屋は自分の体がどれほど悲鳴を上げようと、依頼をこなすか倒れるまで動き続ける。

 

アタシからしてみれば気が気じゃないのだが、本人がそれで死んでも別にいいと思っているので色々な意味で何も言えない。

 

そんなあの子がすんなり休んでくれるわけもなく、それどころか忠告するアタシに向かって「邪魔だから出て行け」とまで言ってくる始末。

普段どんな相手であっても温厚に、柔軟に対応するあの子がそんなことを言うとは思わず驚いたが、それほどまでに切羽詰まっているのだと改めて理解した。

 

 

 

――だが、あの様子ではいつ倒れてもおかしくない。

 

職業柄家に籠りがちなあの子は全くと言っていいほど体力がなく、走ったり階段の上り下りをすれば息切れを起こし、熱を出そうものなら必ず三日は寝たきりの状態になる。

 

そんな、ザ・インドアな人間が昨日から口にしているのは少量の水のみ。それに加え一睡もしてない状況で休まず動き続けているのは非常にまずい。

 

人間は二日寝ていない状態が続けば、死にはしないが正常な判断が難しくなり、記憶障害や精神パニックを起こしやすくなる。その上に一日で最低限必要な水分も摂っていないとなると尚更だ。

 

あの子の様子を知っていたはずの大哥や彪、郭のクソ野郎は人間はその程度では死なないと本気で思い込んでる節がある。

あの顔色の悪さを見てアタシに何も言ってこなかったのはそのせいだろう。

 

ヒトは小さな傷口から入った細菌一つ、小さな石ころ一つ、ちょっとしたストレスで死ぬ脆い生き物。

それを彼らは全く理解していない。

鉄火場を生き抜いてきた人間のそういうところが嫌いだ。

アイツら全員一回病気で死にかけてみればいいと思ったのは言わないでおく。

 

 

まあ、馬鹿な男たちの事はこの際どうでもいい。

アタシとしては、あの可愛い女の子が無理をして倒れるのをどうにかしたい。

あのままじゃあの子が一番成し遂げたいことを為す前に倒れてしまう。

それはあの子は勿論、ひいては香主や桜綾様、大哥にとってもよろしくないことだ。

 

医者として、あの子の付き添いとしてこの状況を見過ごすわけにもいかない。

 

ならアタシがするべきことは、比較的あの子が言う事を聞く人物に一刻も早く報告し、対処してもらうこと。

 

昨日から自宅ではなくこのホテルの一室に泊っている我がボスに会いに行こうと足早に廊下を歩く。

その部屋まであと少し。

 

 

――というところで、やはり警備に当たっていた“アイツ”と目が合った。

 

「リン、まさかまだキキョウのところにいたのか」

 

「うっせえクソ野郎。アタシの前にその顔見せんな」

 

「お前からやってきたんだろうがクソ女」

 

「……チッ」

 

ああもう、彼の周りには必ずこいつがいるからあまり行きたくないのに。

いつもより苛立っているせいもあり、言葉遣いが荒くなる。

腐れ縁であるこのクソ野郎はアタシの言葉に眼光を鋭くさせてきたので、舌打ちだけ返してやった。

 

「いつもより機嫌悪いじゃねえか。ま、大方キキョウが言うこと聞かなかったんだろうが」

 

「あ?」

 

「お前は昔から上手くいかないときはそういう口調になる」

 

「ならさっさとそこをどけクソ野郎。ここにアタシが来た理由くらいその空っぽな脳みそでも分かるだろうが」

 

「一言余計だクソ女。……大哥の前ではその口調控えろよ」

 

一応直属の上司である彼にこんな言葉遣いはしないわ馬鹿野郎。

 

そう反論するのもよかったがこいつにいつまでも構っていられない。

郭がドアの前から退いたと同時にノックをする。

 

「大哥、リンです。少しお話ししたいことが」

 

そう投げかければすぐさま「入れ」と声が返ってきた。

許可の言葉を聞いた瞬間、一言断りを入れながら中へと入る。

 

珍しく少し髪を乱れさせ、ソファに腰かけながら紫煙を燻らしている人物へ歩み寄る。

 

「束の間の休息中失礼します。アタシの話はお分かりでしょう?」

 

「キキョウの事だろう。どうだアイツの様子は」

 

「はっきり言って無茶です。あれじゃドレスが出来上がる前に倒れます。というか、もう倒れてもおかしくありませんよ。今動けている方がおかしいです」

 

「……で?」

 

だからなんだ。と言いたげな口調に苛立ったが平静を保ちつつ話を続ける。

 

「大哥、非常に残念ですがアタシの言葉じゃあの子を動かすことはできません。三時間、いやせめて二時間だけでも寝るように貴方から言って」

 

「分かってねえな、お前」

 

「は?」

 

「今のアイツがたかが言葉一つで手を休めると思うのか?」

 

何言ってんだこのグラサン野郎。

 

アタシだってあの子を見てきたひとりだ。

アタシの言葉よりあんたの言葉の方があの子にとって重要なのだと分かっている。

 

 

だからこうして話をしてるんだろうが。

 

 

「……貴方の言葉はあの子によく効くんですよ。それは貴方が一番分かって」

 

「俺の言う事なら何でも聞くと? それならどんなによかったかねえ」

 

目の前のマフィア野郎が何を言いたいのか分からない。

優雅に次の一本を吸おうとしている行動も相まって更に苛立ちが募る。

 

「アイツがこういう時俺の言葉を素直に聞いたことは滅多にないんだぜ。そしてアイツは“死んでも仕事を為す”つもりだ」

 

「死んだら仕事もクソもないでしょう。ドレスを完成させることができるのはあの洋裁屋だけ。その洋裁屋が仕事を為せなかった時はアンタも無事じゃすまない。なんたってアンタはあの子の飼い主に他ならないですからね」

 

「まあ、お前の懸念はごもっともだ。……ハッ」

 

 

 

……この男、今鼻で笑ったか?

 

 

たった一つの些細な事。

だがアタシの言葉を“馬鹿らしい”と言わんばかりのその態度に忍耐力が限界を迎えそうだった。

 

「確かにアイツはこれまで何度も自分の限界を超え、その度お前の世話になった。それは事実」

 

「……」

 

「だが、アイツは仕事の途中で倒れたことは一度もない。そうだろ?」

 

その言葉に目を見開く。

 

――確かに、考えてみればあの子は全て仕事を終わらせてから倒れていた。

仕事を途中で投げ出すような真似は一切見たことがない。

 

どんなに大量の依頼を抱えていても、どんなに難しいものであっても、依頼人が届けてほしい日までには必ず間に合わせる。

 

 

 

それが、洋裁屋キキョウが悪徳の都で数々の信頼を得ている所以の一つ。

 

 

「それは今回も変わらない。――アイツは必ずやり遂げる。必ずな」

 

「……」

 

「俺達にできるのはな、リン。キキョウの仕事の邪魔をしないこと。そして、大仕事を終えた暁にはたっぷり甘やかしてやることだけさ」

 

堂々と言ってのけるその様に、何も言えなかった。

やはりこの男があの子の手綱を握っているのだと嫌でも思い知らされる。

 

そう思いながら、これ以上の話は無意味なので「そうですか。では失礼します」と短く返答する。

 

 

 

――ああ、そのクソむかつくドヤ顔を一発殴ってやりたい。

 

 

 

そう心の中で呟き、足早に部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

――リンが苛立ったような表情でこの部屋を出て行ってから数十分後。

少し乱れていた髪を整え、黒いジャケットを羽織り自身も部屋を後にする。

 

向かうのは、数分前に俺の携帯にかけてきた人物の元。

この時期にまた問題を起こされた、起こしてしまった事実に一番苛立っている人物。

正直あの方の今の状態を目の当たりにしたくはないが、呼び出しに応じないわけにもいかない。

 

十分もしない内にたどり着くその部屋からは、心なしかどす黒い空気が流れているような気がした。

ノックするのを躊躇うほど嫌な雰囲気を感じながらドアを叩き、一言断りを入れてから中へと入る。

 

「龍頭、お待たせしました」

 

「ああ。そこに座れ」

 

「は」

 

杖をついている老人とはいえ、大組織のボスが漂わせる威厳は衰えていない。

そんな人物が静かな怒りを携えている時の威圧感は凄まじいもの。

 

たった一言だろうと、体全体が重くなった感覚に陥る。

 

「やれやれ困ったものだ。鼠を捕まえたと思ったのも束の間、また別の鼠が我々のテリトリーを食い荒らす」

 

「……」

 

「それだけでなく、その食い荒らされた尻拭いを恩人に頼む始末。この体たらく、この間抜けな現状をお前はどう思う」

 

「……その鼠は尻尾を隠すのが非常にうまく、尚且つ餌にもかからない。今までのやり方では捕まえるのは少々難しいかと」

 

香主が令爱の傍につきっきりで自由に動けない代わりに、龍頭が鼠狩りに参じている。

彼が重い腰を上げたこの意味を三合会の中で分からない人間はいないはずだ。

もし意味も分からず優雅にこの国を闊歩しているのであれば、そいつは我が組織で長く生きられないだろう。

 

勿論俺も優雅に寛ぐわけにはいかず、昨日から彼の狩りに参加し動いている。

 

 

――だが、一向に獲物が見つかる気配がない。

 

 

この現状を一番に憂いているのは紛れもなく、目の前で酷く冷めた笑みを浮かべている彼だ。

 

「獲物が好みそうな餌を満遍なく、これ以上にないくらいまき散らした。それに噛みつかないとなるとよっぽど我慢強いと見える。……だが、ここまでくると何が目的なのかが見えてこん」

 

「今回の事を起こした犯人は令爱を攫った人間でしょう。真の目的は何なのかは測りかねますが、その“目的を果たすための手段”として式の中断を目論んでいる、と考えるのが妥当かと」

 

「……」

 

「――ですが、それにしては回りくどすぎる」

 

相手が本気で式の中断を目的とするなら、ドレスという替えの利くモノを3日前なんて多少でも余裕のある時に壊すわけがない。当日、せめて前日という余裕が全くない状況でやるのが普通だ。

 

それに、余程の馬鹿でない限り保険もかねてドレス以外にも何かしら壊すはず。

 

 

 

だが、相手はドレスのみを傷つけた。

しかも常に警戒していた部屋の奥にあるものを敢えて狙ったのだ。

 

 

あれだけの厳戒態勢を掻い潜れるほどの手腕を持っている人間であれば、式の中断のためだけに何の保険もなくこんな回りくどい真似をするわけがない。

 

「俺は、向こうは式の中断以外の何かを目的として動いていると考えます。その目的が何かまでは分かりかねますが、確実に別の狙いがあるはずです」

 

「そのために必要な手段が“ドレスの破壊”だったわけか。桜綾を攫った理由と動機はあからさまだったが、今回は全く読めんな」

 

「ええ。ただの嫌がらせにしては相手にもリスクが高い。ですがその高いリスクを払ってでも為すべきことが、向こうにはあるのかもしれません」

 

「何であろうとこれ以上邪魔をさせるわけにはいかん。――あの二人の親としてなんとしてでも無事に式を挙げさせる。どんな犠牲を払ってでも」

 

 

その一言で、部屋中が最大の緊張感で満たされる。

おまけに目の前で杖をミシミシと音を立てておられる状況にストレスで胃に穴が空きそうだと本気で思った。

 

 

 

「たかが鼠とタカを括ったツケが回ってきたか。本当、俺も衰えたものだ」

 

 

 

龍頭は眉間を指で押さえ、滅多に出さない疲弊した声音でそう呟いた。

 

「今の貴方を衰えたと評価する愚か者はおりません。――我らが龍は、何一つお変わりない」

 

どこまでも恐ろしく、鋭利で、底の知れなさはまさに“龍”。

誰もが畏怖するこの人物だからこそ、何千人ものヤクザ者がついていくのだ。

 

俺の言葉に龍頭は何も言わず、またあの冷めた笑みを浮かべる。

その笑みの裏にある感情が俺如きに分かるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

桜綾さんの依頼に取り掛かってから二日と数時間。

あともう少し調整をすれば、このドレスは完成する。

 

完成まであと間近。それでも気を抜くことは許されず、これまで以上に慎重に、尚且つ急がねばならない。

 

なんといっても今日が結婚式当日。

本当にあと数時間で完成させなければならない。

 

目をつぶれば一瞬で寝てしまいそうな状態の中、手を一切休ませず動かし続ける。

 

――この三日間、まともな食事と睡眠を摂っていない。いや、摂れなかったと言った方が正しい。それでもまだ動き続けていられるのは、リンさんが全面的にサポートしてくれているからに他ならない。

 

昨日シャワーを浴びた後いなくなった彼女が、しばらくすると真剣な表情を携え戻ってきてすぐさま話を切り出された。

 

『――キキョウちゃん、アナタの気持ちは分かった。だからもう寝ろなんて言わない。だけどね、このままだと依頼をこなす前に確実に倒れるわよ』

 

『ですが休むわけには』

 

『だからアナタの仕事が終わるまでアタシが全力でサポートする。ここまで来たら何が何でもやり遂げるわよ』

 

『……どうしたんですか、急に』

 

『可愛い女の子が倒れるのを黙って見るのは我慢ならない。だからアタシにしかできないことをするだけよ』

 

そう話すリンさんはどこか苛立ったような声音だった気がするが、そこはあまり覚えていない。

一体何を思ったのかは知らないが、腕のいい医者がサポートすると言ってくれた。

知らない間柄ではないし、信用もできるのでその申し出を有難く受け入れる。

 

そこからはリンさんが持ってきてくれる薬やゼリー飲料、眠気覚ましの漢方薬、何かが混ざっている水などを口にしながら作業を進めている。

 

リンさんから聞いた話では、寝ずに動き続けるにはその分栄養を取らなければ非常に危険だという。

この対処法はその必要最低限な栄養を急速に摂る方法で、結婚式が始まるまでは辛うじて動けるが、後になったら必ず無理をした“ツケ”が回ってくるとのこと。

それだけは覚悟しなさい、と固い声音で忠告された。

 

 

――だが、それで十分。

 

 

桜綾さんが苦渋の決断を下しやっとの気持ちで私に依頼してきた。

その依頼を引き受けた以上、途中で投げ出すことは洋裁屋としての死だ。

後になって倒れようがなんだろうが、洋裁屋として最高の依頼をこなし、依頼人に満足してもらえた上で死ねるなら何も後悔はない。

 

そんな私の無茶に付き合って昨日は一睡していないようで、目に隈を作ったリンさんが部屋の奥からこちらを見据えている。

腕のいい医者からここまでサポートしてもらっているのであれば、尚更ここで止まるわけにはいかない。

 

静かに真っすぐ向けられる視線を浴びながら作業を進めていると、やがて午前3時を告げる音が部屋中に鳴り響く。

 

「キキョウちゃん、時間よ。はいこれ飲んで」

 

「……」

 

そうやって差し出された薬と水を手に取りすぐさま口に含む。

 

渇いていた喉が潤い、体全体に水の冷たさが沁みていく。

 

ペットボトル一本分の水を飲み干し短く「ありがとうございます」と礼を告げ、躊躇うことなく元の位置に戻る。

 

――結婚式まであと数時間。

かつてないほどの疲労と焦燥感を携えながら、再び手を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝日が昇り始める前の早朝五時。

私は中々寝付くことができず、浅い眠りから目を覚ました。

 

今日は待ちに待った彼との結婚式。

幼い頃からずっと好いていた殿方と一生を添い遂げるための儀式に、落ち着けるはずもなかった。

 

だが、眠れなかったのはそれだけではない。

 

一か月前、何者かの差し金で唐突に見知らぬ土地に連れてこられた。

昔から誘拐されたときの対処を学んでいたおかげで逃げ出すことはできたものの、頼りもいない場所で何も持たない女がどうにかできる訳もない。

 

逃げて逃げて、逃げ続けることしかできなかった。

 

とうとう体力の限界を迎え倒れた時、父にも、家族同然の三合会の人たちとももう会えない。そして、彼の元へ帰れることはないだろうと諦めかけていた。

 

 

このまま死ぬのだと、心の底から絶望した。

 

 

 

 

――そこに救いの手を差し伸べ、私を彼らの元へ帰してくれたのが他ならぬキキョウさん。

 

 

 

彼女は気にしなくていいと今でも言っているが、私にとってあの時の事は一生かけても返せない程の大恩。

そんな恩人を式に招き、盛大にもてなすつもりだった。

 

 

 

それが、こんなことになるなんて思ってもみなかった。

 

 

 

母の形見であるウィディングドレスが破られ、一刻も早く直そうと三合会とつながりのあるテーラーに片っ端から声をかけた。

最初は意気揚々とドレスの状態を見ていた彼らは、次第に真顔で“無理だ”と口を揃え去っていった。

 

あのドレスは、十数年前に母が式を挙げた時着ていたもの。

 

まだ杖をついていなかった父の隣を歩いていたあの時の幸せそうな顔。

美しく、可憐で、柔らかな表情を携えた母のその姿に憧れ、このドレスを着て劉帆さんと式を挙げることが夢だった。

 

 

それが無残な姿に変貌し、直す術も絶たれた。

絶望を抱きながら新しいものを用意するかしないかを話し合っていた時、近くに掛けていた“ある物”が目に入った。

 

 

 

 

――それは、彼女に仕立ててもらった白いワンピース。

 

 

 

 

瞬時に張兄さんから言われていた言葉を思い出す。

 

“洋裁屋キキョウは超一流ですよ”

 

 

 

私も彼女の服に身を包んだ一人。

彼のその言葉が過大評価ではないことは実感している。

 

だから彼女ならもしかしたら、と馬鹿な考えが頭をよぎった。

大恩人にこれ以上迷惑をかけるなんて許されるはずがない。

 

だが、夢をあきらめたくもない。

 

私一人で決めることではないと、思い切って劉帆さんと父に相談した。

 

二人とも最初は渋ってはいたが私の思いを聞き、やがて「無理だと言われたら諦める」ことを約束し恥を忍んで彼女へ頼んだ。

 

正直、たくさん文句を言われるものだとばかり思っていた。そして、言われるのも仕方ないことだと覚悟もした。

招いた当の本人が、厚顔無恥にも程がある行為をしているのだから。

 

それでもキキョウさんは頭ごなしに「無理」とは言わず、代替案をだしてくれた。

 

 

 

『ボロボロになったドレスを基に新しく作り直す』

 

 

 

それは、母が着ていたものと全く同じドレスを着ることは叶わない。

だけど決して無駄になるわけじゃない。

 

頭では理解していたが、未熟な私は十年以上憧れていた思いをすんなり切り替えることがでなかった。

張兄さんや父の促しにも首を縦にふれなかった私を、劉帆さんが「世界一のドレスを着た君を見たい」と決めの一手となる言葉を言ってくれた。

 

覚悟を決め依頼する旨を伝えれば、文句ひとつ言わず受けてくれた。

 

 

 

――そんな優しく、一流の洋裁屋に頼んで三日。

あれから彼女はろくに食事も睡眠も摂っていないと聞いた。

その話を聞いて昨日彼女の元を訪れたが、先にこっそり様子を見に来ていた張兄さんに「今は集中させてやってください」と言われてしまい、結局その姿を見ていない。

 

それほどまで自分を追い詰めながら依頼をこなしているのだと思うと、胸が痛くなる。

頼んだ分際でふざけるなと言われるだろうが、あの街でよくしてくれた恩人をここまで追い詰めてしまったことに心の底から申し訳なく思う。

 

 

だが、それはすべて私が決めたこと。

 

 

申し訳ないと思う気持ちはあれど、頼まなければよかったなどとは微塵も思わない。

逆に、ここまでしてくれる方にそんな思いを抱く方が失礼千万。

 

私にできることは、信じて待つこと。ただそれだけ。

 

 

 

それだけなのだが……

 

 

 

「桜綾、早いな。もう起きたのか」

 

「おはようございます劉帆さん」

 

「おはよう。まだ少し時間がある。それまで寝て」

 

「いえ、このまま起きてます。……なんだか眠れなくて」

 

「そうか」

 

隣で寝ていた劉帆さんが身を起こし、沈黙が落ちる中こちらを見てきた。

 

「不安か?」

 

「不安じゃない、と言えば嘘になります。だけど私には信じて待つことしかできませんから。……でも」

 

「でも?」

 

「恩人に無理をさせてしまっている状況で貴方との結婚を素直に喜んでいいものか、悩んでいます」

 

「……」

 

「ごめんなさい、劉帆さん」

 

隠し事はなるべくしたくない。

だが、長い間慎重に準備を進めてきてくれた彼にこんなこと言っていいはずがない。

 

「謝らなくていい。恩ある御仁に無理を頼んだことに不甲斐なさを感じているのは俺もそうだ。――だが、何よりも為さねばならないのは君があのドレスを着て“式を無事に終わらせること”。それが龍頭、ひいては今も無理をしているあの恩人への最低限の礼儀だ。それができなければ本当に顔向けができん。そこに俺達の感情は必要ない」

 

「……」

 

「どうしても頭を下げたいなら勿論俺も一緒だ。だがそれは式が終わってからだ。喜ぶべきか嘆くべきか今考えたところでどうしようもない」

 

 

ああ、彼はどうしてこんなに――

 

 

 

「フフッ」

 

「桜綾?」

 

「いえ、やっぱり私は幸せ者ですね。こんなに優しい殿方と結婚できるなんて」

 

「……ここは普通“ひどい人間だ”と責めるところだと思うんだが」

 

「組織だけでなく私の事まで考えてそう厳しく仰ってくださっているんですもの。それが貴方の優しさだと言うことを私はよく知っていますから」

 

香主の妻として為すべきこと為せ。嘆き、謝罪するのはその後いくらでもすればいい。

 

 

他の人からすればきっと冷酷だと勘違いされるだろう。

だが裏返せば、私を妻として認めてくれている。そしてやるべきことを果たした時に、我慢したものを吐き出せばいい。そう言う意味だ。

 

それに、自分の感情に翻弄され一つの事も成し遂げられない様では長たる彼の傍になんていてはいけない。三合会の皆さんも決してそんな女が彼の隣に立つことは許さない。

私がこれから立つのは、そういう場所だ。

 

それを敢えて厳しい言葉を使い、改めて認識させてくれた。

酷い人などと思うわけがない。

 

「先ほどは失礼しました。どうか忘れてくださいませ」

 

「……全く。いつの間にこんなご立派になられたのやら」

 

劉帆さんは口の端を上げ、困ったような、嬉しいような表情を浮かべた。

徐に彼の手が伸び自然と抱き寄せられる。逞しい腕と嗅ぎなれた匂いに包まれ、自身も彼の背中に手を回す。

 

お互いの体温を感じながら、やがて視線を合わせる。

 

彼の顔が近づき、やがて数えきれないほど味わった感触が唇に落ちる。

甘んじてそれを受け入れ、しばらくするとゆっくりと離れた。

 

再びお互い顔を見据え、堪らなくなって同時に微笑む。

 

 

 

 

――その時、唐突に部屋中で機械音が鳴り響く。

 

 

 

サイドテーブルの上にある固定電話から発せられるその音に、劉帆さんは真剣な面持ちで受話器を手に取った。

 

 

「俺だ。どうした? ……ああ、大丈夫だ。……そうか。して、彼女の様子は? ……それはよかった。……分かった、すぐ行く。ではまた後程」

 

口早に電話の相手との話を切り上げると、すぐさまこちらを見据え口を開く。

 

「桜綾、今から出るぞ。準備を」

 

「どうされましたか?」

 

急に呼び出されるなんて、まさかまた何かあったのだろうか……。

その不安を気取られないようにしたつもりだったのだが、彼にはお見通しらしく少しだけ口の端を上げた。

 

「安心しろ。今あった電話はいい報せだったぞ」

 

「いい報せ?」

 

「ああ。――超一流の洋裁屋が世界一のドレスを仕立て上げたそうだ。式の前に試着してほしいと、キキョウさんからのお呼び出しだ」










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