ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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34 鼠の愚行Ⅱ

「――いつだ」

 

「午後二時まではアタシもこの部屋にいました。その後もう一回この部屋に来た時にはすでに姿は見えず……」

 

「……」

 

「アタシが出て行ってから十分も経っていないんです。ゴミカスクソ野郎はその間にキキョウちゃんを」

 

「そのゴミカス野郎の姿は」

 

「アタシは誰ともすれ違いませんでした」

 

「彪、監視カメラは」

 

「今郭が調べてます。アイツの観察眼ならゴミの見極めはすぐに済みます」

 

キキョウの姿が見えなくなってからリンはすぐさま自身の上司へと電話をかけた。

だが披露宴の最中だったこともありリンからの着信に張も含め側近二人も応答せず、やがて痺れを切らしたリン自ら披露宴の会場に赴いた。

最初は身なりが整っていない女性ということで警戒心を向けられたが張維新の連れということが遅れて発覚し、やっとのことで通された。

 

優雅に酒を飲んでいる上司の元へ足早に向かうとリンの姿に張は驚いた表情を見せる。

挨拶もそこそこに事情を説明すれば張はすぐさま席を立ち、香主と何やら話した後側近二人とリンを連れキキョウがいた部屋へと直行する。

 

 

――キキョウが忽然と姿を消してから、この時点で既に三十分は経過していた。

 

 

「まさか、狙いがキキョウとはな。これでドレスを破ったのも説明がつく」

 

「え?」

 

「職人ってのはどんな奴でも自分の職に誇りを持ってる。謙遜の塊であってもキキョウは一流だ。そんなアイツが自分の腕を見込んでドレスの修繕を頼まれれば断るわけがない。それも、特別な思い入れがあるものなら尚更な」

 

 

張は固い声音で自身の考えを淡々と告げる。リンと彪は黙って話に耳を傾けた。

 

 

「相手はそれを“知っていた”。令爱があのドレスに拘っていたのも、キキョウが一流だと言う事も、職人の気質ってやつも全てな。だからドレスを破り、修繕を終え気が抜けたところを、ってところか。ま、これはあくまで予想にすぎないがな」

 

「だとしても、ホテル全体が気を緩めていたわけじゃないでしょう。怪しいやつがいればすぐにだって」

 

「令爱が攫われた件もあったからな、かつてないほどの厳戒態勢を敷いている。勿論この部屋も例外なくな。だが三合会にとっては令爱と香主を守り、式を無事に挙げることを最優先させなければならん。修繕の間ならまだしも、終わった後では少なからず警戒が薄くなる。……それなりの手練れは置いていたはずなんだが、こんなあっさりと入られるとはな。俺も驚いてるよ」

 

「……意外ですね。貴方はもっと苛立つものだと思ってたんですが」

 

いつもと変わらず冷静に話す彼の様子に、リンもまた冷静に言葉をかける。

 

瞬間、張は口端を上げ「ハッ」と笑った。

 

「寧ろ相手には賞賛の言葉を贈りたいね。二度も俺達の警戒を潜り抜けてきたんだからな。尊敬すら覚えるよ」

 

「口説き続けた女が見知らぬ人間に攫われて出てくる言葉がそれですか。そんなんだからあの子に振られ」

 

「苛立ってんのはお前の方だろ。あと、それ以上軽口を叩くんじゃねえぞリン」

 

リンが眉を潜め話を続けていると第三者の声によって遮られた。

先程までホテルの監視カメラをチェックしていた郭である。

 

郭の言葉に「ちっ」と舌打ちし、彼女はそれ以上何も言わなかった。

 

「大哥、監視カメラの映像をチェックしたところ気になるところが何点か」

 

「仔細を」

 

「は。――十四時ちょうど、この清掃員らしき男がこの部屋付近をうろついております。不審に思った二人の警備担当が声をかけた直後、近くの個室トイレの中で殺害。先程確認したところ、そこに死体が捨てられておりました。そして二人を殺害した十分後に、キキョウを連れ去っています。部屋に訪れたこいつを警戒心が薄れた彼女が疑いもなしに招いた直後、一分もしない内に用具入れにキキョウを詰めこんでこの部屋を出ております」

 

説明しながら内ポケットから男の姿が写っている写真を取り出し、張へ手渡す。

だがその顔はマスクで隠れており全体は見れない。

 

「十四時二十分、スタッフ用の出入り口から抜け出しこの小型トラックでホテルを去っています。ナンバーも把握済みです」

 

引き続きそのトラックが写っている写真を手渡す。

張はしっかりと目に映し、すぐさまポケットへしまう。

 

「上出来だ。後はこのトラックの行先だがこいつはすぐに足がつくだろう。――だが妙だな」

 

「ええ、なので念のためドレスが破られた日まで巻き戻し、桜綾様の部屋周りもチェックしました。……四日前の深夜、この男とはまた別に黒いジャージ姿の男がホテル周りをうろついていました」

 

「……」

 

「うろついていた時間はドレスが破られたと発覚する一時間前。しばらくうろついた後に姿を消し、そこからはドレスが破られるまでの間、ホテル内外どちらの監視カメラにも映っておりませんでした。しかし、早朝五時半頃に高級スーツに身を包んだこの男がホテルの正面口から外へでています。ですが、ホテルマンの話によればこの日はそのような時間帯に出入りする客の記録は残されていないとのこと」

 

今度は二枚の写真を同時に取り出し、再び張に手渡しながら郭は話を続ける。

 

「また、服装は異なりますがジャージ男と背格好はほぼ一致しており、桜綾様の控室の方から出てきたことから同一人物である可能性が。……残念ながら顔をマスクで隠しており、分かっているのは高身長だという事だけです」

 

 

郭はそこで言葉を切り、一つ息を吐いて再び口を開いた。

 

 

「こんな慎重に事を起こした人間がここにて来て監視カメラに自身の犯行現場を、ましてや車のナンバーを映す訳がありません。キキョウを攫った男はあくまで実行犯と考えるのが妥当かと」

 

「なるほど、令爱を攫った時と手段は全く一緒だな。自分は準備を整える脇役とし動いているように見せかけ主役はお前だと唆す。だが実のところ、相手を貶めることしか考えていない奴の手口だ。――まったく見下げ果てたクズ野郎だな。俺達の相手にふさわしいじゃないか」

 

ニヤリと口元を歪め、張は愉快そうに言い放つ。

だがその声音は、ただ楽しんでいるだけのものではないとその場の誰もが理解していた。

 

「ひとまず龍頭に報告しに行くぞ。動くのはそれからだ」

 

これからの行動を口にし、颯爽と足を動かす。

その後に、側近二人とリンは静かについて行く。

 

「ああ、そうだ。言い忘れていたがなリン」

 

ふと立ち止まり、眉を顰めたままのリンに張は呼び掛ける。

 

「俺はまだ振られていない。決めつけるのはよくないぞ」

 

「……それは失礼いたしました」

 

 

 

まだ、ねえ……。

 

リンは心の中で呟き、ため息を吐きたくなるのを我慢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

――体が重い。

 

 

 

 

 

鉛のように重く、動かす気力が起きない。それに加え頭が働かない。

 

 

 

 

 

そういえば、私は今まで何をしていたんだったか。暗い視界の中でゆっくり思い返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

……ああそうだ。

 

 

 

確か桜綾さんのドレスを仕立てあげて、リンさんの診察を終えてそれから……?

 

 

 

何故かリンさんが出て行ってからの記憶が曖昧で思い出すことができない。

 

 

 

 

あ、そういえば披露宴は無事に終わったのだろうか。

 

 

 

桜綾さんから話がしたいと言われてたのを思い出し、そろそろ起きた方がいいだろうと重い瞼をゆっくり開ける。

 

 

 

 

 

 

 

「お、起きた。もう少しかかるかと思ったけどな」

 

 

 

 

 

 

瞬間、見知らぬ男の声が飛んできた。

 

 

 

同時に、曖昧だった記憶が蘇る。

 

 

 

 

 

――そうだ、急に口元に布か何かを当てられて意識を失ったんだ。

 

 

 

 

思い出したことで意識がはっきりし、体を起こそうと力を入れる。

 

が、両手足首に何かが掴まれていて思うように動けなかった。

 

先程までぼやけていた視界が鮮明になり、目に映ったのは薄暗いボロボロの部屋。

その光景に自分が今いるのは見知らぬ場所だと理解する。

 

「おはよう。気持ちよく寝てたみたいだけど、気分はどう?」

 

「……ッ!」

 

「ああ、ごめん。今は念のため口抑えてるんだ。もう少ししたら外してあげるからさ」

 

軽い口調で発せられる声の方を見ると、そこには腕にフードを被った髑髏の刺青を入れた短髪の男が笑顔でこちらを見つめていた。

どういう状況か未だ読み込めず混乱している私に男は歩み寄りその顔を近づけた。

 

「本当はもっといいベッドを用意したかったんだけど時間がなくてさ。あ、だけどこれからアンタの血で汚れるからそこは気にしなくていっか」

 

その言葉に、思わず息が止まる。

争いごとに巻き込まれるのも痛い目に合うのも多少慣れているとはいえ、こんな状況はいくらなんでも受け入れ難い。

 

 

だが、これだけは分かる。

一刻も早くここから逃げなければ自分にとって良くないことが起こる。

 

反射的に体を動かそうとしたが、やはり思うように動かない。

もがく度にベッドの軋む音だけが響く。

 

「暴れても無駄だよ。どうせここから逃げられやしない」

 

「ンーッ! ……フ……ッ!」

 

「あー。たく、しょうがねえな」

 

必死に逃げようともがき続ける私の上に、男は笑顔を携えたまま乗っかってきた。

そして、両手を掴まれた上にゆっくりと体重をかけられ次第に動けなくなる。

 

「ッ……」

 

「今は怪我をさせたくない。――綺麗な姿のまま可愛がりたいんだ。暴れないでくれよ」

 

 

愉快そうに言う男の声音と言葉に悪寒が走った。

体が密着しているこの状態から早く抜け出したい気持ちに駆られる。

 

 

更に近づいてくる男を顔を逸らしながら睨みつける。

 

 

「いいねえその表情。やっぱ写真よりも本物の方が何倍も綺麗だ」

 

 

一体何をしようとしているのか分からないが、この男の思い通りには絶対動くものかと心に決める。

 

 

「写真で見た時からずっと会いたかったんだ。……この黒髪も、肌も、胸も全部触れるのを夢にまで見た。特に、この瞳を間近で拝みたかったんだ」

 

 

この男の言葉に気色悪さを覚える。

逸らしていた顔を無理やり元の位置に戻されると、ゆっくり頬を撫でてきた。

 

 

「ッ!!」

 

「本当に綺麗だ、キキョウさん」

 

 

あの人とは違う手の感触と名を呼ばれたことに心なしか吐き気がこみ上げてくる。

今すぐにでも振り払ってしまいたいのに、自分の力ではそれは叶わない。

手に力を込め、吐きたくなるのを我慢し思いっきり顔を逸らす。

 

 

私の行動に男は尚も笑顔のまま。

 

 

「もうこれ外すか。そろそろ君の声が聞きたい」

 

 

そう言って、男は口元を押さえていた布を外す。

 

 

「……ゲスが」

 

「開口一番それか。もっと綺麗な言葉を聞かせてくれよ」

 

「誰がアンタの言う事なんざ聞くか」

 

「おいおい、自分の置かれている状況が分かってないのか?」

 

「そんなこと知るか。何であろうとアンタの言う事は絶対聞かない」

 

「短時間で随分嫌われちまったな。ま、それはいいとして」

 

 

男は口元をニヤリと歪め、上機嫌に話を続ける。

 

 

「状況が分かっていないようだから教えてやるよ。――アンタは今から俺に犯される。その後無残に殺されるんだ。これだけ言えばわかるか?」

 

心底愉しそうに言い放つ男に更に拳に力が入った。

 

「随分女に飢えてるんだな。こんな地味な女を攫ってまでやることがそんなことなんて」

 

「地味? アンタが? は、そんな見た目しててよく言うぜ」

 

「は?」

 

「顔が整ってる上に、服で隠してるがスタイルもいい。そして綺麗な瞳をしてると来た。こんないい女、男だったら一度は抱いてみたいって思うさ」

 

「……生憎、私にそんな魅力はない。もっと他の女性に目を向けたらどうだ」

 

 

女として何の魅力もない私を抱き、殺すことのどこにメリットがあると言うのか。

 

 

この男の本当の目的が見えてこない。

 

 

「面白え冗談を言うんだな。まさか今まで一度も言い寄られたことがない、なんて言うつもりかよ。だとしたら周りの男の目は節穴だ。俺だったら一目見てすぐ動くけどな」

 

「……」

 

「まあ、そんなことはどうでもいい。それに――もう、我慢できねえ」

 

「なッ……!」

 

 

 

男は低い声音で呟いた後、私の首筋を舐めてきた。

 

 

生まれて初めて感じる感触に、全身に鳥肌が立つ。

 

 

 

「離せッ! 気色悪い!!」

 

「暴れるなよ。これじゃ可愛がれないだろ?」

 

「ふざけるな!」

 

かつてないほどの悪寒に先程よりも激しく抵抗する。

もう目的が何だとかそんなことどうでもいい。そんなこと考える暇があるなら悪足掻きでもなんでもいいから動け。

拘束されているのもお構いなしに、この男から離れようと全力で暴れる。

 

「意外と初心なのか? この程度なんでもないだろ、処女じゃあるまいし」

 

「ッ!」

 

 

 

その言葉に、思わず動きが止まる。

 

 

 

「……あれ、もしかして本当に処女なのか?」

 

「ッうるさい! いい加減離れろ!」

 

処女だろうがなんだろうが知らない男に触れられたら誰だって抵抗するだろう。

私の反応に男はさらにニヤリと口の端を上げた。

 

 

「――へえ、これは思わぬ吉報だな。そうか、処女なのか。ハッ、嬉しいねえ。アンタの最初で最後の相手が俺なんて」

 

 

男は私の耳元でうっとりとしたような声音で呟いた。

 

 

 

この男の言葉も行動も何もかもが気持ち悪い。

 

 

無理だ、受け入れられない。

 

 

拒否反応のように吐き気が再びこみ上げる。

 

 

 

「それじゃ、とびっきり楽しませてやらないとな」

 

 

 

何を思ったのか、男は鼻歌を歌いながらベッドから腰を上げ近くの棚を探り始めた。

 

そして、何かを手に取りすぐさまこちらに戻ってきた。

 

「あの人から貰っといて正解だったな」

 

「なに、を」

 

「いい気分になれるお薬だよ」

 

男の手には、注射器と液体が入っている小瓶。

短く答えながら慣れた手つきで液体を注射器に入れていく。

 

「処女でも効果覿面らしいから安心しろよ。すぐよがり狂うようになるさ」

 

「何言って……ッ」

 

必死の抵抗も虚しく、すんなりと腕に注射器の針が刺さる。

 

「血管に直接注入したから即効性だ。すぐ良くなるぜ」

 

「何を」

 

「だからいい気分に……ああ、処女だから分かんねえか」

 

 

注射器を床に捨て、気色悪い笑みを浮かべながら再び顔を近づけてきた。

 

 

「媚薬だよ。どんな女でも男が欲しくてたまらなくなって、早く子宮に精子を注いでくれって懇願するようになる。ちょっとした痛みもすぐ快楽に変わるらしいから、処女なら尚更気持ちよくなるかもな」

 

「……ッ」

 

「あと二、三分で効果が出始めるはずだ」

 

 

媚薬なんてもの摂取したことはない。

だからどんな効果をもたらすのかははっきり言って分からない。

 

だが、どんなことがあってもこの男に抱いてほしいなどと思う訳がない。思ってたまるか。

 

「そう怖い顔すんなよ。効果が出るまで、その体全部触ってリラックスさせてやるからさ」

 

「触るな、気色悪い……ッ。離せ!!」

 

「嫌だね。ぜってえ離してやらねえ」

 

「やめ……!」

 

「さ、楽しもうぜキキョウさん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「――鼠の行方は」

 

「捜索中です。ナンバーも分かっているのですぐ見つかるでしょう」

 

「そうか」

 

キキョウが姿を消し、張はすぐさま披露宴に出ていた龍頭に「話がある」と呼び出し事の顛末を報告していた。

話を聞いた龍頭は真剣な表情を携え、冷えた声音をだした。

張に着いてきた三人は一気に最大の緊張感に見舞われる。

 

「にしても、狙いが彼女だったとは。まさか、洋裁屋一人攫うのにここまで大事にするとは思わなんだ」

 

大組織のボスは淡々と言葉を並べる。

 

「最早何の目的があってなどと考えまい。そんなもの今となってはどうでもいい。――そうだろう、張」

 

「ええ、龍頭。鼠どもには我々による制裁を」

 

「全力で叩き潰せ。肉片一つ、骨の一本も残してはならん」

 

鋭い目線と芯まで凍りそうな冷えた声音を向けられ、張は一瞬の間を空けず再び口を開く。

 

「彼女を連れ去った鼠の処分は全てお前に任せよう。親玉についてはこっちが動く。情報を掴み次第すぐ報せろ」

 

「……よろしいのですか?」

 

「己の顔を今すぐ鏡で見てこい。“やりたくて仕方ねえ”ってツラしてるぞ」

 

瞬時に返された言葉に張は苦笑を洩らした。

すぐさま気を取り直し、再び真剣な表情へと戻す。

 

「龍頭、このことを令爱には」

 

「言う必要はないだろう。言ったところで何の意味も」

 

 

その時、唐突にバンッとドアが乱暴に開かれた。

 

部屋にいる全員が目を向けた先には、紫のドレスに身を包み、真剣な表情を浮かべた桜綾が二人を見据えていた。その後ろでは、護衛たちが困惑した顔で立っている。

 

「令爱、なぜここに。まだ披露宴は」

 

「張兄さん、今の話本当ですか」

 

「……令爱が気になさることでは」

 

「答えてください。キキョウさんが攫われたというのは本当なんですか」

 

あまりにも真っすぐすぎる質問に張は眉尻を下げ、返答に困ってしまう。

しばらくし、やがてゆっくりと再び口を開いた。

 

「ええ、全て事実です」

 

「……そうですか」

 

「桜綾、今すぐ戻りなさい。主役がいなくなっては」

 

「今は衣装替えで席を外してるだけ。まだ時間があるからお父さんも呼ぼうと思って来てみたら話が聞こえてきたの。――私に言う意味がないって、どういうこと」

 

静かな怒りを声に乗せ、桜綾はつかつかと龍頭と張に歩み寄る。

 

「お前が気にしたところで状況は変わらないんだ。それにこれは我々の問題だ、お前には関係ない」

 

「キキョウさんは私と劉帆さんが招待したお客人です。関係ないなんて例え龍頭である貴方でも決めることではありません。――それに私はもう香主、鄭劉帆の妻。誰かが殺されようと自分が為すべきことを必ず為します。その覚悟は、もう決めています」

 

「……」

 

その場にいる全員が何も言わなかった。言えなかった。

凛と言い放つその姿は、もうかつての泣き虫で我儘なお嬢様ではない。

 

 

「ですが、彼女には大きすぎる恩があります。その恩を返す前に殺された、なんてあまりにも無様な結果は私と劉帆さんはもちろん、誰一人望んでいません」

 

 

 

 

香港三合会の未来を担う御仁の妻たる姿が、そこにはあった。

 

 

 

「張兄さん。――いえ、張白紙扇」

 

 

 

綺麗な瞳で張を射貫きながら、静かに言い放つ。

 

 

「どうか彼女を、なんとしてでも私の元に連れ戻してくださいませ」

 

「――仰せのままに、“大姐”」

 

本当、ご立派になられたもんだ。

そう心の中で呟き、彼女の命に応えるべく張は部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――大哥、鼠の居所を掴みました。人員の手配も完了。いつでも動けます」

 

「ああ」

 

「……大哥、アタシもついて行ってよろしいですか」

 

「何故?」

 

「あの子にもしものことがあったらすぐ対処が必要でしょう?」

 

香主の妻より命を受けてから十数分後。

ホテルの外には張を始め、何十人もの三合会の組員が今か今かと敵の情報を待っていた。

煙草をふかし彪からの報告を聞いている張に、リンが医療バッグを片手に話しかける。

 

 

リンの言葉に張は口の端を上げ、「ハッ」と笑う。

 

 

「お前の出番がないに越したことないんだがな。まあ念には念を、だ。お前は郭と行動しろ。いざという時お前たちは息を合わせるのが得意だからな」

 

 

その言葉にリンは苦虫を潰したような表情を見せたが、張はそれに構うことなく吸い殻を地面に捨てる。

 

 

 

「――さて、俺の花をそろそろ返してもらおうかね」
















いやほんと、知らない人に首舐められたら普通気色悪さと怒りで爆発すると思います。
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