ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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41 変わりゆく日常 Ⅲ

「――はあ」

 

「……」

 

「……はあ」

 

「…………」

 

「………………はあ」

 

「うるせえええええ! おいロック!」

 

「うわっ! な、なんだよ急に!」

 

「それ以上アタシの目の前でため息吐いてみろ! チーズみたいに穴空けた後外のネズミに食わせてやるぞ!!」

 

「え、俺そんなに吐いてたか?」

 

「ああ。ったく、うぜえったらありゃしねえ」

 

ラグーン商会事務所。

ダッチとベニーは船と設備のメンテナンスで出払っており、特に用事もない俺とレヴィで留守番を任されている。

 

レヴィがソファでくつろいでいるのを横目に、俺は早く片付けてしまいたい会計処理を終わらせようと作業していた。

だがここ最近、胸の内にすっきりとしない、しこりのように残っている何かのせいで集中が続かない。

今日も今日とて処理作業がスムーズに進まない事は自覚していたが、ため息をついていたのは無意識だった。

 

レヴィは短気過ぎる性格だ。そんな彼女がため息を何度も目の前で吐かれて我慢できる訳もない。

だからと言って、急に怒鳴りつけるのはどうなのか。

 

「ごめん、無意識だったよ」

 

そう思っていても不機嫌な彼女を前に言えるわけもなく、とりあえず謝っておこう。

ソードカトラスで穴あきチーズにされるのは御免だ。

 

「ヘイ、ロック。お前最近ずっとその調子じゃねえか。しっかりしろよベイビー、そんなんじゃ足元掬われるぜ」

 

「……ああ」

 

「ま、お前がなんでそうなってんのか大体分かってるけどな」

 

「え?」

 

「どうせアイツの事だろ? アイツが帰ってきてからたまに上の空になる時がある」

 

「……アイツって、誰の事だよ」

 

「とぼけんなよ。あんなあからさまな態度出しといて誤魔化しはきかねえぞ」

 

煙草を吹かしながら淡々と投げられる言葉に思わず目を逸らす。

 

 

――レヴィが言っている“アイツ”というのは、十中八九あの人のことだ。

 

前々からあの人については気になっていた。

見た目は普通の女性。だがこの街で武器も持っていないにもかかわらず、凛とした姿でこの街で生きている。

初めて会った時から感じていたあの異質さに、興味を引かれないわけがなかった。

そして、この街にいればその人と街の支配者の一人との話は嫌でも耳に入ってくる。

 

この街で有名なあの二人は男と女の関係ではない。だが、ただのパトロンと職人の関係性でもない。

一体どういう関係なのかと、多くの人間が興味を示していると分かった。当然俺もその一人となるのにそう時間はかからなかった。

 

そんな時、いつも通りイエローフラッグで飲んでいるあの人にレヴィが世間話のように「そういう関係になったのか」と聞いた。

隣で飲んでいた俺は話には入らず、ただ耳を傾けた。

酔っぱらった勢いで聞いてきたレヴィのその問いに、あの人は「そういうのはないよ」と呆れながら答えた。

 

その答えに、「ああ、この人は誰にもその姿勢を崩さないし、崩されたりしないんだ」と安堵したのを覚えている。

 

この街のどす黒い空気を忘れさせるほどの清らかさ。穏やかな微笑み。そして何より、あの綺麗で真っすぐな瞳。

 

それら全てを、誰かに奪ってほしくない。

何故だか心の底からそう思った。

 

だから約三週間前、とある噂についてレヴィから聞いた時正直面白くなかった。

 

たかが噂と高を括れば痛い目に遭う。それがこの街だ。

だが、どうしても信じたくなかった。

 

その噂が本当なのか、俺に確かめる術はない。

本人に聞くのが一番手っ取り早いのだが、そんなことできるわけがない。

 

あの人が帰ってきたと聞いた時から、何もできないもどかしさが酷くなる一方だ。

それでも俺なりに仕事に支障を来さないよう振舞ってきたつもりだが、レヴィにそれを見抜かれていたらしい。

 

「ロック、ダッチも言っていたがアイツに手を出すのだけはやめておけよ」

 

「だから、俺は別に何も」

 

「何も考えてねえ奴があんな態度出すかよ。“面白くねえ”って空気ダダ漏れだったぜ」

 

「……誰だって、普段よくしてもらっている人が根も葉もない噂を立てられるのは面白くないだろ」

 

「ハッ。だが、今回は根っこの部分はちゃんとあるかもしれねえ話だ」

 

レヴィは俺の言葉を鼻で笑い、吸い殻を灰皿へ押し付けた。

そのまま新しい煙草を取り出し、火を点け乍ら再び話を始める。

 

「考えてもみろ。いつも立場がどうとか言っている“あの旦那”が、普段から部屋に連れ込んでる女を故郷に連れ帰って何もねえって方がおかしい。香港の夜景を見ながら酒を飲んではいおしまい、なんて伊達男の名が泣くに決まってらあ」

 

「……でも、今までは部屋に連れ込んでも何もしなかったんだろ。じゃあ今回だって」

 

「それも旦那の計算だったりするかもな。お堅いアイツを口説き落とすための」

 

「そんな回りくどいやり方、彼がするとは思えないけど」

 

「さあ? まあ、ともかく。旦那が本気で落としにかかったら、流石のアイツも骨抜きにされるかもな。なんたってアイツも割と旦那に拘ってるからな」

 

「――え?」

 

あの人が、マフィアの男に拘っている?

そんなそぶり、今まで見たことがない。

 

どちらかというと、彼が彼女に詰め寄っているというイメージだ。

 

「これはあくまでもアタシの勘だが、アイツは旦那に殺されたがってる」

 

「……は?」

 

「これだとちっと語弊があるかもしれねえがな。……アイツはいつも後悔しないためなら死んでもいいだとか、馬鹿げたこと抜かしてる。そんな街でも一等の死にたがりが自ら“命を預けた”。それは、あの旦那に命の天秤を委ねたいって思ったからだろ。そして、それで死んだとしても後悔はないってことだ」

 

「……」

 

「おい、本気にとんなよロック。これはあくまでアタシの憶測にしか過ぎねえんだからよ」

 

「あ、ああ」

 

「まあなんであれ、あの二人はただの男女って枠に収まる関係じゃねえってこった」

 

「……」

 

ただの男女関係ではない。

それは何となく分かっている。

パトロンと職人の関係にしても、それ以上の信頼を築いているだろうということは俺でも分かった。

 

きっと、長年付き合ってきた結果なのだろう。

 

――だが、どこか腑に落ちない。

話を聞いて、胸の中のしこりが余計に重くなったような気がした。

 

「ロック、お前が何を考えてんのかは知らねえ。――だが、これだけは一言言っておくぞ」

 

レヴィが唐突に真剣な声音で話しかけてきた。

なんだ、と顔を見ると、その瞳はこちらを真っすぐ見据えていた。

 

「アイツに余計な手を出したら、牙をむくのは旦那の銃だけじゃねえと思え」

 

「え」

 

「それを忘れるなよ」

 

「……ああ、分かった」

 

レヴィの有無を言わせない雰囲気に、俺は一言そう返すしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「――こちらが今月分の資料です。ご確認を」

 

「ああ」

 

「あと、例のモノは先日貴方が送ってきた男で試しました。一週間様子を見ましたが特に問題ありません。いつでも実用可能です」

 

「そうか。それで、ブツはどれくらい用意できるんだ」

 

「一週間いただければ二十人以上沈められる分は」

 

「上出来だ」

 

――街全体が夕陽に包まれる時間。

街全体を見下ろす熱河電影公司ビルの社長室には、リンからの報告を受ける張の姿があった。

リンは淡々と言葉を交わしながら、紫煙を燻らし優雅に佇む上司を見据える。一見いつも通りに見えるが、彼女の瞳には少しだけ彼の機嫌がいいように映った。

 

「随分機嫌がいいようで」

 

「そう見えるか?」

 

「ええ。浮かれていると言った方が正しいかもしれませんが」

 

「はっ。まあ確かにそうかもしれんなあ」

 

張は煙草の灰を灰皿に落とし、口の端を上げた。

 

「今夜は狙い続けた獲物が手に入るからな。浮かれねえ方がおかしいだろう」

 

「……」

 

リンは思わず眉間に皺を寄せた。

彼が発したその言葉の意味は手に取るように理解していた。

 

「その獲物が逃げ出すということは考えないので?」

 

「それはあり得ねえ話だ。あれは必ず自らの意思で俺の前に現れる、必ずな」

 

「大層な自信ですね。――この前は逃げられたというのに」

 

リンは面白くないと言わんばかりの表情を浮かべていた。

そんな彼女の様子に張が方眉を上げる。

 

だが、躊躇うことなくリンは話を続ける。

 

「何故急に手を出したんです? 何年も耐えてた貴方らしくもない」

 

「下卑た鼠に手を出されたままで我慢できると思うのか」

 

「にしては性急すぎましたね。……あの子の事です。信頼している貴方から急に押し倒されたら、怖がって混乱するに決まっているでしょう」

 

「……」

 

「“恩があるから仕方なく抱かれる”、なんてあの子が思う訳がありません。例え貴方が相手であっても無理矢理押し倒しされたのに自ら抱かれに行くなんて」

 

「そこまでにしておけリン」

 

少し苛立ったように話すリンの言葉を遮ったのは、張の有無を言わせない低い声。

 

「最近少し調子に乗ってるようだな。今お前と話しているのは誰だ」

 

「……」

 

「俺がこうしてお前のつまらないごっご遊びに付き合ってやっているのは、お前がウチにとって“今は”有益だからだ。――そしてお前は俺に大きな借りがある。アイツと俺の関係に口出せる身分か?」

 

「……ごっご遊び?」

 

「お前がアイツの事で俺につっかかるのは、重ねてみているからだろう」

 

張は短くなった煙草を灰皿に押し付け、肺に残った煙を吐き出す。

 

「――アイツはお前の妹じゃない。お前のくだらない家族ごっこに俺とアイツを巻き込むな」

 

その言葉を吐いた瞬間、リンの目が一瞬大きく見開かれた。

次第に明らかな怒気を孕んだ表情を浮かべる。

 

サングラスの奥から感情を殺したような瞳を向け、目の前の女を見据える。

 

「今一度、お前はどういう立場なのかよく考えろ」

 

「……」

 

張が纏っている重々しい空気と底の冷えそうな声音に、リンは出かかっていた言葉を飲み込んだ。

そして静かに目を伏せ、自身のボスである彼に忠誠を示すように頭を下げた。

 

「…………過ぎた真似をし大変失礼いたしました。いかようにもご処分を」

 

少しの間のあと捻りだされたその声音は冷徹そのもの。

感情を殺し淡々と謝罪の言葉を述べる。

 

その姿勢を張は冷めた目で見据えた。

 

「分かったならいい。下がれ」

 

「は。失礼します」

 

短く言葉を交わし、リンは足早に部屋を出て行った。

一人残された張は「やれやれ」と椅子の背もたれに体を預け、デスクの上に足を乗せた。

 

懐から新しい煙草を取り出し口にくわえる。

火を点け、煙を思い切り吸い込んだ。

 

煙を吐き出した後、徐に右手にある腕時計を一瞥する。

 

「あと三時間か」

 

ガラス張りの向こうにある夕陽を眺めながら、ニヤリと口角を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

「――はい、これでお終い。相変わらず化粧すると段違いに美人さんになるわね」

 

「ありがとうございます、何から何まで」

 

「今日は貴女にとってビッグイベントだもの。ちゃんと着飾らないとね」

 

夕日が沈みかけ、そろそろ夜の闇が覆う頃。

スローピー・スウィングの一部屋で私は普段なら絶対着ないであろうパーティドレスに身を包み、顔には化粧を施している。

何らかの理由で着飾ることがこれまでも数回あったが、その度にリンさんかマダムに頼むのが恒例となっていた。

 

今回も例に漏れずマダムに頼み込み、着飾る手伝いをしてもらっている。

 

「アナタもありがとね、仕事前に」

 

「マダムの頼みだもの、お安い御用よ。それにMs.キキョウが着飾った姿なんて滅多に見れないから」

 

「年に一回あるかないかだものねえ。その顔もっと活かしたらいいのに」

 

「あはは……」

 

マダムの隣で笑って話しているのは、娼館で働いている女性の一人。

人手がいるだろうとマダムが呼び出したのだ。

 

その女性の服も一度仕立てたことがあり、初対面というわけではないが親しいわけでもない。

だというのに、私の準備の手伝いをマダムがお願いした時文句ひとつ言わずに引き受けてくれた。

勿論タダではなく、マダムからのお小遣いと私が服を仕立てるという条件付きでだが。

 

「じゃ、アタシはもう行くわ。Ms.キキョウ、熱い夜を楽しんでね」

 

「え」

 

「お駄賃は仕事終わったら取りに来てチョーダイね」

 

「はーい」

 

女性は仕事の準備があるのか、さっさと部屋を出て行ってしまった。

その時、ウィンクで何やら意味深な言葉を残していった。

 

首を傾げていると、マダムが「フフッ」と笑みを漏らした。

 

「アナタが男と会うことあの子も気づいてるのよ」

 

「何も言ってないのに分かるものなんですか?」

 

「そりゃそうよ。普段おしゃれを全くしない女が急に着飾るってなったら、普通は男と会うもんだって勘づくものよ」

 

「……この街の女性は勘が鋭すぎませんか」

 

「アナタが鈍すぎるのよ」

 

マダムの言葉に思わず苦笑する。

だが、すぐに口の端が下がる。

 

 

 

――そう、今日があの人と約束の日。

 

多少の不安を抱えながらも、私はイエローフラッグに行くことを決めた。

 

彼の問いに答えるため。

そして、私のどうしようもない不安を打ち消すために。

 

迫ってくる時間に、心なしか緊張が走る。

そのせいか、思わずため息を吐いてしまう。

 

「緊張してるの?」

 

「まあ、少しだけ」

 

「いいわねえ。初心な女はここじゃ珍しいから新鮮だわあ」

 

「からかってます?」

 

「まさか。可愛らしいと思ってるだけよお」

 

ニッコリと笑うマダムに釣られ、再び口の端が上がる。

 

「そうそう、そんな風に笑ってなさい。女の一番の化粧は笑顔なんだから」

 

「……その時になったら、上手く笑える自信がありませんけどね」

 

「アナタ不器用だものねえ。ま、それも含めてアナタらしいから気にしなくていいかもね」

 

「あはは……」

 

どう返答していいか分からず、とりあえず笑って誤魔化した。

ちら、と時計を一瞥すると、針が午後六時を指していた。

 

一時間後には、彼と会うことになる。

 

心なしか鼓動が早くなった気がした。

 

「今はまだ早いからあと少ししたら下に行きなさい。バオにはカウンター席空けておくよう言ってあるから」

 

「ありがとうございます。今度ちゃんとお礼させてください」

 

「お礼は今夜の話を聞かせてくれればそれでいいわ。どういう結果になったのか知りたいもの」

 

「あまり、詳しいことは言えないかもしれないですが」

 

「それでもいいわよ。……フフッ、アナタから男の話を聞くのが楽しみだわあ」

 

柔和な笑みを浮かべているマダムに、苦笑だけ返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

――陽が沈み、街が夜の闇に包まれる時間。

人工的な光に照らされている道のりをロックは歩いていた。

普段はレヴィを連れているが、今夜は何故か一人である。

 

そんな彼が目指すのは、この街でも一等悪党が集うと噂される酒場イエローフラッグ。

ロアナプラに来てからもうそろそろ一年が経っているというのもり、すっかりあの騒がしい雰囲気にも慣れていた。そのおかげか、足を運ぶのに躊躇うことはなくなった。

 

ただひたすらまっすぐ歩いて行けば、すぐさま目的地へとたどり着く。

そのまま躊躇いなくOPENという表が下がっているドアを押す。

 

瞬間、広がったのはいつも通り騒がしさで満ち溢れている風景。

 

 

 

――ではなかった。

 

 

決して静かではない。だが、どこかいつもと何かが違う。

 

妙な雰囲気に首を傾げつつ店内を見渡すと、ふと一つのものが目に映った。

 

店内の奥に位置するカウンター席。

 

その一つに、この酒場では滅多にお目にかかれない容姿の女性が座っていた。

その女性は黒い短髪で、グリーンのパーティドレスに身に包み、何やら店主と話し込んでいる。

 

あまりにも場違いな服装でたった一人、この酒場で酒を飲むなんて物好きな女性だ。と、ロックはやや驚いたが動揺することはなかった。

周りの客がカウンター席の方を向きながらヒソヒソと話している異様な雰囲気を感じ取りつつ歩みを進める。

 

「やあバオ」

 

「よう、珍しく一人なんだな」

 

「ああ、レヴィは用事があるとか言って来なかったんだよ。まあ、たまには一人で飲みたかったし」

 

「そうかよ」

 

ちら、とカウンターに座っている女性を見やる。

妙に落ち着いた女性の雰囲気はやはり場違いではないかと思わされた。

顔は見ずに、そのままカウンターに座る。

 

「一人で飲むようになったんだ。この街に馴染んできた証拠だね」

 

「はは。まあそろそろ一年経ちますしそりゃ嫌で、も……」

 

ロックはどこからか飛んできた声に何の疑問もなく返答した。

だが、瞬時に一つの違和感を感じ取る。

 

今自然と答えたが、一体自分は誰の言葉に反応したのか。

 

ロックは驚きながら、声が飛んできた方向へ素早く顔を向ける。

 

 

――その時初めて、二席分向こうのカウンターに腰かけている女性の顔を拝んだ。

 

短い黒髪。グロスが塗られた艶やかな唇。ほんのり赤く染まった頬。

 

目に映るその顔は化粧が施されていても、見間違えるはずがない。

だが、いつもと違いすぎる雰囲気に思わず目を見開いた。

しばらくじっと顔を見た後、ロックはやっとのことで声を絞り出す。

 

「……キキョウさん?」

 

「久しぶり岡島。元気そうでよかった」

 

「え、ええ……お陰様で」

 

いつもの化粧っけのない、素朴ながらも魅力がある出で立ちとはまるで真逆。

今まで見たことない彼女の女としての魅力が曝け出されている。

 

息を飲むほどの変わりように、ロックが動揺するのは無理もなかった。

 

「あの……その格好は」

 

「あまり着飾るとかしないんだけどね。でも、今日はそういう約束だからしてるってだけ。あまり気にしないで」

 

「はあ……」

 

気にしないでって言われても……と、ロックは内心呟いた。

これまで一回も彼女が化粧どころか黒いTシャツ以外に着ているところを見たことがなかったのだ。

唐突に変貌を遂げた女性を前に気にしないというのは、ロックにとって無理があった。

 

「キキョウさんがそういう格好をするの、初めて見ました」

 

「おかしいよね。だからあまり人に見せたくなかったんだけど」

 

「いえ、そんなこと。……とても、綺麗です」

 

「……ありがとう」

 

苦笑しながらそう言うキキョウに、ロックは一瞬躊躇った後素直な感想を口にする。

その言葉を本気にしているか分からないような声音でキキョウは一言返した。

 

途端、ロックの中には一つの疑問が浮かぶ。

 

普段着飾ることをしない人が、何故急に酒場でその姿で現れたのか。

本人もあまり人に見せたくなかった、と言っている。

なら何故尚更人目につくこの場所をわざわざ選んだのか。

 

一体何のために。

 

まさか……とロックは短い時間で思考を巡らせ、一つの可能性を導き出す。

そして、その答えを確かめようと意を決して口を開く。

 

「あのキキョウさん」

 

「なに?」

 

「その格好は、誰の為にしているんですか」

 

ロックの質問に、キキョウは少しだけ目を見開いた。

 

すぐさま目を逸らされ、少し間を空けた後徐に返答する。

 

「……言いたくない、かな」

 

「……」

 

「でも、その答えは多分すぐ分かると思うよ」

 

「え?」

 

その瞬間、店のドアが静かに開かれた。

直後現れた人物に、店内に動揺の波が広がっていく。

 

革靴の音を高らかに鳴り響かせながら、その人物は真っすぐ歩みを進める。

 

その事にロックは気づかず、再びキキョウに声をかけようとした。

 

「すぐ分かるって、どういう」

 

「なってねえなロック。そんな余裕のねえ面じゃどの女も引っかからねえぞ」

 

ロックの言葉を遮ったのは、街の支配者の一人であるマフィアの低い声。

唐突に現れたその人物に驚くのは無理もなく、すぐさま後ろを振り返り動揺しながら名を口にする。

 

「ちゃ、張さん……」

 

「ま、こんな美人をナンパするとなれば流石に緊張はするかもしれねえな」

 

「お、俺は別にそんな……!」

 

「そんな動揺すんな、冗談だ」

 

余裕そうな笑みを浮かべロックをからかった後、張は未だにこちらを振り向かないキキョウを見やる。

 

動揺しているロックを放置し、表情を変えずに「はは」と笑った。

 

「懐かしいもんだ。お前はあの時もこうやって男に絡まれていたな」

 

「そんな言い方しないでください。彼には貴方が来るまでの間、少しだけ話に付き合ってもらっただけです」

 

「随分こいつに甘いな。思わず嫉妬しちまいそうだ」

 

「御冗談を」

 

「冗談じゃねえさ」

 

二人の淡々と聞こえる会話。

だが、どこか妙な雰囲気を帯びておりロックに入り込む隙などなかった。

 

「……」

 

「……」

 

誰も何も話さない。

張の登場により、店内にいる誰もが彼に目線を集中させ事の顛末を見守っている。

そのせいか、店内はかつてない程の静けさが落ちていた。

 

しばらくした後、張は先程とは違う真剣な表情と声音で話しかける。

 

「――キキョウ。それがお前の答えだと、受け取っていいな?」

 

その問いの意味を知る者は、この場においてただ一人。

 

「……ええ」

 

キキョウは質問の意味を理解した上で、はっきりと肯定の言葉を返した。

 

「てなわけで、こいつは俺が先約だロック。悪いが今日は引いてくれるな?」

 

「え……」

 

「では行こうか、Ms.キキョウ」

 

ロックが答える間を与えずキキョウの名を呼ぶ。

張の声掛けに抗うことなく、キキョウは席を立った。

 

「じゃあバオさん、また来ます」

 

「おう」

 

「岡島、話に付き合ってくれてありがと。またね」

 

「あ……」

 

ロックが何か言いたげな表情を浮かべているのに気づかず、キキョウは張の元へと向かっていく。

キキョウの背中を見つめていると、サングラスで隠れている張の瞳と視線が合わさった。

張はロックを見て何を思ったのか、ニヤリと口端を上げ何やら勝ち誇ったような表情を見せる。

 

明らかに自身へ向けられたその表情に、思わずロックは顔を引き攣らせた。

 

そんなロックを鼻で笑い、張は隣に来たキキョウと共にそのまま出入口の方へと向かう。

その時ロックの瞳に映ったキキョウの顔は、どこか固い表情だった。

 

やがて二人は店内から姿を消し、しばらくすると店内には次第にいつもの騒がしさが戻っていく。

 

 

――そんな中、ロックは先ほどの張の笑みを思い返し「……クソっ」と小さく吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

――陽が沈み、イエローフラッグに客が出入りし始める時間。

騒がしい雰囲気の中、滅多に着ないパーティドレスに身を包みカウンターに座っていれば嫌でも背中越しに視線が刺さる。

その視線に何とか耐えていた時、救世主とばかりに岡島がやってきた。

 

いつもみたいに声をかけてみたのだが、やはり岡島も私が着飾っていることに相当驚いていたようで少しだけ様子がおかしかった。

 

 

私としてはバオさん以外に話せる人がいるだけでも気がまぎれるので、彼が来るまで話し相手となってもらった。

今度お礼に酒でも奢ろうかな、と思った時。

 

 

――三日前の約束通り、彼が現れた。

店内のざわめきが少し変わったのを感じ取り、本当に来たのだと一気に最大の緊張感に包まれる。

 

それでもなんとか冷静にいつも通りの会話をしていると、唐突に真剣な声音で質問された。

 

『それが答えだと受け取っていいんだな』

 

その問いに今更「なんのことか」ととぼける真似は許されない。

あまりの緊張に振り向くことができないまま、だがはっきりと肯定の言葉を返し彼に誘導されるがまま、二人でイエローフラッグを後にした。

 

外で待たせていたであろう黒塗りの高級車に乗せられ、どこへ連れていかれるかも言われないまま車が動き出す。

車内で誰も言葉を発さず、そして何故かヘビースモーカーである彼が一本も煙草を吸わなかった。そのおかげか、ただエンジン音と車が走る音だけが耳に響く。

それがさらに自身の緊張感を煽り、隣にいる彼の顔を一度も見ることができなかった。

 

 

しばらく車に揺られ、着いた先は今まで何度も訪れた高層ビル。

 

履き慣れないヒールで彼の後を黙って着いて行く。

途中で何度か三合会の人たちと目が合ったが、いつものように声をかけられることはなく上司である彼にお辞儀だけしてすぐさま目を逸らされた。

 

エレベーターに乗り最上階へと昇れば、すぐさま見慣れたドアが見えてくる。

 

いつもと同じドア。だが、開けて入ったらもう後戻りはできない。

そして、きっと逃げることも許されないだろう。

 

私の心中を知ってか知らずか彼は当然躊躇うことなくドアを開け、先に中へ入るよう促される。

「失礼します」と小声になりながらも断りを入れ、ゆっくりとした足取りで部屋へと踏み入る。

 

そのまま社長室の奥にある彼の自室へと流れるように誘導され、これもまた先に中へと歩みを進める。

 

月明かりだけが照らしている薄暗い部屋。

これまで何度も目の前のソファで酒を酌み交わし、他愛ない話をしてきたいつもの部屋。

 

だが今日は、何もかもが違う。

 

後ろでドアが閉まる音が響き息が一瞬止まる。

緊張で振り向くことができないでいると、こちらに段々足音が近づいてきた。

 

すぐ後ろに彼がいることを気配で感じる。

 

こういうとき、一体どんな顔をすればいいのか。

それが分からず、今もまだ振り向けずにいる。

 

 

「キキョウ」

 

 

そんな私に痺れを切らしたのか、彼の低い声音が響いた。

 

 

「いい加減その顔を見せちゃくれねえか?」

 

「……」

 

張さんの言葉に促されるまま、無言で後ろを振り向く。

一瞬だけ顔を見たが、どうしても直視できずすぐさま俯いてしまう。

 

「キキョウ」

 

再び私の名を呼ぶと、彼の武骨な手が頬へと触れた。

その感触に思わず体を震わせたが、抵抗することなく受け入れる。

 

とっくに慣れた癖のはずなのに、今は全く違う。

 

「もう後には引けねえぞ」

 

「……」

 

「分かっているんだな?」

 

「……はい」

 

震える声で、なんとか短く言葉を返す。

 

もう後戻りはできない。

逃げることも許されない。

 

 

「――張さん」

 

「ん?」

 

「その前に少しだけ……私の話を、聞いてくださいますか?」

 

「……なんだ」

 

今この時でさえ、どうしようもない不安が胸に募る。

 

彼に身を委ねた後、切り捨てられないか。

 

本当に後悔しないか。

 

 

 

――だがそんなことはいくら考えたってわからない。

 

 

 

「私はまだ、貴方に身を預けるのが……正直怖いです」

 

「……」

 

「これから起こることに後悔しないかも、後悔していいのかさえ分からないまま、ここにいます」

 

「キキョウ、それは」

 

「貴方の言葉が偽りでないことは分かってます。でも、頭では分かっていてもどうしようもなく、不安なんです」

 

声の震えが止まらないまま、言葉を続ける。

心なしか手まで震えている気がする。

 

だが、これだけはどうしても彼に話しておきたい。

 

「張さん。貴方がご存じの通り、私はどんなことであっても後悔したくありません。貴方が相手であろうと、それは変わらない」

 

「……」

 

「だから一つだけ……私の我儘を聞いてください」

 

そこで言葉を区切り息を吐く。

心臓の音が脳にまで響き、眩暈を起こしそうになる。

 

 

「もし、本当にこんな醜い体でも欲しいと。私を、抱きたいというのなら」

 

 

 

――震える両手で頬にある彼の手に触れる。

 

 

手の冷たさを感じながら、ゆっくりと顔を上げる。

 

 

いつのまにかサングラスが外され露になった瞳を真っすぐ見据え、意を決して口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

「――どうか、後悔だけはさせないでください」

 

 

 

 

 

 

 

こんなとんでもない我儘、聞いてくれる訳がない。

 

 

上から目線だということも分かってる。

 

だけどもし、この我儘を聞いてくれるなら。

この場で約束してくれるなら、胸の内の不安が多少マシになるはずだから。

 

私の言葉を聞いた張さんは驚いたように目を見開いた。

やがて口の端を上げ、「はっ」と息を洩らす。

 

 

「たくお前は。ここでその瞳を見せるか」

 

 

その声音はいつもの愉しそうな、だがどこか安心したようなもの。

すると、すぐさま空いているもう一方の手が腰へと回る。

 

香港で彼の自宅でされたときと同じように、彼の腕に包まれる。

 

驚きながらも今度は視線を合わせたまま言葉の続きを待つ。

 

 

 

 

「――按您希望的那样、可爱的花(お望みのままに、可愛い花)

 

 

 

 

 

中国語で囁かれたその言葉がはっきりと耳に響く。

 

彼らしい気障な言葉遣いと胸の内に生まれた安堵感に自然と口の端が上がる。

 

 

 

 

もうこれ以上、言葉はいらない。

 

 

 

きっと彼もそう思っているのだろう。

 

 

それ以上何かを言ってくることはなかった。

 

 

 

 

やがて彼の口角が下がり、ゆっくりと顔が近づいてきた。

 

相変わらずうるさい心臓の音を聞きながら、顔を上げたまま目を瞑る。

 

 

 

 

 

――そのままもたらされた彼の口づけを、ただ黙って受け入れた。

 

 

 

 

 









R18版の方も更新しております。
興味ある方はぜひ。
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