ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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久々に、あの人の登場です。







42 友人からのお誘い

 

 

「――よおキキョウ、久々だな。調子はどうだ」

 

「相変わらずかな。レヴィの方は?」

 

「まあまあだ」

 

「ありゃ、意外とそっけないねえレヴィ。もっと喜ぶと思ったんだが」

 

「あ?」

 

「アンタ、キキョウの帰りを誰よりも待ってたじゃねえか。まるで子犬みたいによ」

 

「くだらねえ嘘ついてんじゃねえ、ぶっ殺すぞエダ」

 

リップオフ教会の礼拝堂。

ステンドグラスが輝く空間の中央奥にある教壇には、罰が当たりそうな程大量の酒瓶。

その酒を消費しているのは、目の前でグラス片手に寛いでいるエダとレヴィ。

この二人が教会で酒を飲んでいる光景は見慣れたもので、最早色々言う事もなくなった。

 

 

――数日前、久々にシスターヨランダから服の修繕を頼まれ依頼品を取りに来たのだが、タイミングが悪く彼女は急用とかで出かけてしまった後だった。

代わりに現れたのは、酒の匂いを纏わせたこの二人。

 

二人とは香港から帰ってから会ってなかったので、レヴィの「混ざれよ」という誘いに乗り久々に話をしようと言葉を交わしている最中だ。

 

「嘘なんかついてねえぞお? キキョウ、こいつアンタの帰りが待ち遠しくてアタシに“いつ帰るのか”って何度か話を振ってきたんだぜ」

 

「今すぐ黙れ。じゃねえと顎砕くぞ」

 

「あら怖い。別に恥ずかしがることじゃねえだろお。健気に待ってた子犬の頭でも撫でてやれよキキョウ」

 

「よし、そこ動くなよ」

 

「まあまあ……」

 

ニヤニヤしながらからかっているエダを鋭い視線で睨むレヴィを苦笑しながら宥めつつ、空いている椅子に腰かける。

 

「帰ってから何回かイエローフラッグ行ったんだけど、全然会わなかったね。仕事忙しかったの?」

 

「旦那が留守の間ちょっとした騒ぎがあってな。その後始末ってところだ」

 

「そうだったの。あれ、でも岡島は飲みに来てたけど」

 

「今回に関しちゃアイツは戦力外だったってだけだ。……って、お前ロックに会ったのか」

 

「少しの間しか話せなかったけどね」

 

「いつだ」

 

「え?」

 

「いつ会ったんだ」

 

レヴィが岡島と会った件についてここまで気になっていることに少し驚いた。一体どんな理由があって聞いてきているのかは分からないが、隠すことでもないのでここは素直に答えておく。

 

「ちょうど一週間前だよ」

 

「……あー成程、そういうことか。たく、あの野郎」

 

私の答えを聞いた途端、眉根を寄せ何やら呟いている。

どこか苛立ったような表情を見せるレヴィを無視することはできなかった。

 

「レヴィどうしたの。岡島と何かあった?」

 

「いや、別に大したことじゃねえ。お前が気にするこたねえよ」

 

そう吐き捨てると勢いよくグラスの中の酒を飲み干した。

レヴィがああ言うなら私が気にしたところでどうにもならないのだろう。

何があったのか知らないがなんだかんだお互いを認めている二人の事だ。これからもいつも通り仲良く仕事をこなすはずだ。

 

「へへ、まあ確かに色男の事も気にはなるが――アタシが今一番聞きたいのはアンタの話だ」

 

「……え、私?」

 

しばらく私達の会話を黙って聞いていたエダが、唐突に私の方を指さして話を振ってきた。

 

一体何のことか分からず首を傾げる。

 

 

「勿体ぶってんじゃねえよ。お前、とうとう旦那とヤッたんだろ?」

 

「あ、アタシもそれ気になってた。どうなんだよ実際」

 

「…………」

 

そうだった。彼女はこういう人だった。デリカシーがないというかなんというか……。

 

まあ、この街ではそれが普通なのかもしれないが。

というか、まさかレヴィもこの話に乗ってくるとは意外だ。自分に振られるのは嫌でも他人のこういう話を聞くのは好きらしい。

 

どう答えたものかと悩み、束の間の沈黙の後ゆっくりと口を開く。

 

「そんな気にすること?」

 

「あったりめえだろ! 街中で噂になってるぜ、“やっと張の旦那のオンナになった”てな」

 

「それと、イエローフラッグで着飾って待ってたお前をわざわざ旦那が迎えに行ったこともな」

 

「香港から一緒に帰った後にその話を聞きゃ誰だって気になるもんさ」

 

「……」

 

やっぱりか。

彼がわざわざ迎えに来てくれたとあってはこの街で噂が立たない方がおかしい。

それを重々承知の上であそこで待っていたのだ。

だが、そこで“彼のオンナになった”というおまけまでついてくるとは思わなかった。

 

「一体何をどうしたらそういう噂に……」

 

「いや、自然だろ。これで逆に“抱かれてない”なんて考えるのはヤクで頭が宇宙の彼方に吹っ飛んでる奴しかいねえよ」

 

「レヴィの言う通りだ。で、どうなんだよ」

 

二人はじっ、とこちらを見つめ期待の眼差しを向けてくる。

その視線にため息を吐きたくなる衝動に駆られながら言葉を発する。

 

「彼のオンナになった覚えはないよ」

 

「嘘つけ! ここまできて誤魔化しはきかねえぞ!」

 

「エダの言う通りだ! アタシらの仲だろ!? 隠す必要ねえじゃねえか!」

 

「いや、本当だって」

 

確かに、私はあの日彼に抱かれた。だが、それで“彼のオンナ”になったというのは違うだろう。そういう肩書きを持つのは彼と肩を並べ歩ける女性。つまり、彼を支えられる存在だ。

二人の理屈でいけば、今まで彼に抱かれた女性全員がそうなってしまう。

だが勿論、その女性は間違いなく私ではない。彼を支えることなどできはしないのだから。

 

だから今までの関係が変わるわけじゃない。

これまで通り、パトロンと洋裁屋として付き合っていく。

基本的には今まで通りだ。

 

「あの人との関係は変わらないよ」

 

「……おい、おいおいおいおい! まさかホントに何も変わらないってわけじゃねえだろ!?」

 

「そうだぜ! なんたって“あの旦那”だぞ!? ここにきて何もしねえ訳がねえ!」

 

「お、落ち着いて二人とも……」

 

「これはアタイらにとっても大事な情報なんだよ! 旦那のオンナとくりゃ変わってくることもある! そこらへんしっかりしといて貰わねえと困るぜ!」

 

「んな小難しいこと言うんじゃねえよ二挺拳銃! それはアタシらだけが考えりゃいい話なんだから。今聞くべき話はこいつが処女を捨てた時の感想だろ!」

 

「おめえはただ楽しみたいだけだろうが!」

 

私を挟んで言い合いする二人を苦笑しながら眺めていると、気が済んだのか程なくして二人同時に「はあ」とため息を吐き口を閉じた。

 

少しの沈黙の後、サングラスをかけ直しエダが再び話を切り出す。

 

「……キキョウ、アンタさっき“オンナになった覚えはない”って言ったよな? まあ、確かにただ抱かれただけじゃそうとは言い切れないよな。特にアンタはそういう性分だし」

 

「……」

 

「オンナになったかはこの際置いておこう。結局、抱かれたのか抱かれてねえのかどっちだ」

 

「旦那にとっても別に今更話されて困る内容でもねえと思うぞ」

 

さっきとは打って変わって静かな口調で聞いてくる二人の様子に一瞬目を見開く。

この状況だと、恐らく嘘をついても納得はしないだろう。

 

だが、正直あまり言いたくはない。

こういう類の話に慣れてないせいか、はっきり「抱かれました」と誰かに言うのは抵抗がある。

頭の中でどう言おうか考え整理し、こちらを見据えている二人の視線を浴びながら口を開く。

 

「もう一度言うけど、私と彼の関係は何も変わらない。これまで通り洋裁屋とパトロンっていう関係はそのままだよ」

 

「……」

 

「……」

 

「――ただ」

 

 

黙ったままの彼女たちとそれぞれ目線を合わせ、言葉を区切り息を吸う。

 

 

「ただ、私が彼に預けるものと彼との約束が増えた。それだけ言っておくね」

 

 

そうはっきり告げると、二人は大きく目を見開いた。

すぐお互いの顔を見合わせると、エダは「はっ」と息を洩らし、レヴィは頬杖を突き口の端を上げた。

 

「そうかよ。そりゃ、何よりだ」

 

「キキョウ、それほぼ答えだぞ」

 

「レヴィ、こいつこの前まで処女だったんだぜ? そりゃはっきり言うのは恥ずかしいよなあ」

 

「ちょっとエダ、なんで知ってるの」

 

「さあ? 神のお告げ?」

 

冗談めかして言うエダにつられ自身の口の端も上がる。

彼女に私の心情が見抜かれていたことに気恥ずかしさを感じたが、そこは私よりもエダの方が一歩上手だったから仕方ないと思うしかない。

 

「何はともあれ、だ。アンタの処女喪失と旦那の頑張りが報われた記念にぱーっと飲もうじゃねえか」

 

「何か嫌なんだけどそれ。というか、あの人の頑張りってどういう」

 

「まあまあ、こっからは酒がなくちゃ始まらねえよ! レヴィ、グラス!」

 

「私がここでは飲まないって知ってるよね?」

 

「んだよノリ悪いな! ここからが一番盛り上がるってのに!」

 

「じゃあ今からイエローフラッグ行こうぜ! もうすぐ開店時間だし、丁度いいだろ」

 

「それならいいよ」

 

「よっしゃ!」

 

エダとレヴィは何故か上機嫌になり、テンションが高い状態で腰を上げた。

そのまま二人は表の大きなドアに向かって歩き出す。

 

私は、苦笑しながら二人の背中に声をかけようと口を開く。

 

「その前に、ここ片付けてからだよ」

 

そう言葉をかけると、なんだかんだ仲のいい彼女たちは「めんどくさい」と言った表情を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そういやよ、二挺拳銃。ロックがどうとか言ってたが、あの色男と何かあったのか?」

 

「あ?」

 

「教会で話したろ。キキョウにやけにつっかかってたじゃねえか」

 

「……ああ、あれか」

 

夜も更け、大勢の客で賑わっているイエローフラッグのテーブル。

開店してから今まで一緒に飲んでいたキキョウが「明日用事があるから」と先に帰ってしまったのを皮切りに、エダは気になっていた話題をレヴィへと持ち掛けた。

 

「別に大したことじゃねえよ」

 

「おいおい、何のためにキキョウがいなくなったタイミングで話振ったと思ってんだよ。アンタのあの様子じゃキキョウの前で話せない。いや、話したくなかったんだろ?」

 

「……ただ話す必要がなかっただけだ。アイツには関係ねえ」

 

「でもアイツはもういない。なら話してくれたっていいだろお? ダチなんだしさあ」

 

エダがよく見せるニヤリとした表情に、レヴィは眉根を寄せながら酒を呷る。

グラスを置き、多少気心知れる女を一瞥し盛大なため息を吐く。やがて観念したように静かに口を開いた。

 

「キキョウと会ってから何か妙に上の空っつーか、前にも増して辛気臭え顔を見せやがる」

 

「なるほどなるほど。ま、何となくそんな感じじゃねえかと思ってたけどな」

 

「今んとこ仕事に支障はねえし、アタイらに迷惑はかかってねえんだが……なんか嫌な予感がする」

 

「……けどよ、流石のロックも変な気は起こさねえんじゃねえか? 今のキキョウは旦那の妾といっても過言じゃねえ。そんな女に手を出せばどうなるかくらい子供でも分かる。アイツもそろそろ一年経つんだ。んな心配いらねえだろ」

 

「だといいんだがな」

 

レヴィはエダの話を聞いた後、グラスに酒を入れ再び一気に飲み干した。

エダもグラスに口をつけ、少量の酒を喉に通しながらふと一つの出来事を思い返す。

 

――それは数か月前、ロックとキキョウが話している場面に遭遇した時の事。

いつもはレヴィも混ざっているせいか二人きりということが珍しく、面白そうだと自身はしばらく遠目から見ていた。

 

どんな話かは知らないが、ふとキキョウがロックの話に微笑みを浮かべた。

そのキキョウの顔を見たロックの視線と表情が少し変わったのをエダは見逃さなかった。

どこか嬉しそうに口の端を上げ、キキョウの表情を食い入るように見つめている。

それは、自身やレヴィと話しているときには決して向けないもの。

 

その時、一瞬で理解した。

 

彼はキキョウを“そういう目”で見ているのだと。

 

そして、ロックの傍にいるレヴィはとっくにその事を見抜いているはずだ。

だからこそ誰よりも懸念しているのだろう。

 

エダは口の端を上げたまま、そんな苦労性の“ダチ”へと静かに声をかける。

 

「レヴィ。大好きなキキョウと仲間の事が気がかりなのは分かるけどよ、女一人の為に命を懸けれる男は映画の中だけに存在するもんだぜ」

 

「あ?」

 

「ロックはそんなタマじゃねえ。そして、キキョウは超がつく程鈍感だ。誰も何も言わなけりゃアイツは絶対ロックの気持ちに気づかない。だからそんなに心配する必要はねえだろうさ」

 

「確かにキキョウは気づかねえだろうよ。――だがよエダ。張の旦那は違うだろ」

 

レヴィのいつになく真剣な表情と固い声音。そして発せられた言葉にエダも思わず口の端が下がった。

 

「旦那はそこいらのヤクザより頭が切れる上に人を見る目が確かだ。そんな旦那がロックの視線に気づかない訳がねえ」

 

「……だとしてもだ。もし気づかれても最悪アイツが消されるだけ。Mr.張もラグーン全員に手を出すなんて行き過ぎたことはしねえはずだ」

 

「……」

 

「この世界じゃまず自分の命が最優先だ。そうだろレヴィ」

 

「……分かってるよ。けどよ、このまま放っておくのは良くねえだろ」

 

「アイツのためを思うならよくねえだろうな。ま、それは仲間内でなんとかしな」

 

「お前に言われるまでもねえよ色情魔。……ったく」

 

そう吐き捨てた後、レヴィはグラスの中に残っていた酒を飲み干していく。

雑に酒を注いで飲む彼女の様を見て、エダは口の端を上げいつもの軽い声音を出す。

 

「そう気負い過ぎるなよ相棒。早く老けちまうぜ」

 

「うるせえクソ尼! 余計なお世話だッ」

 

レヴィらしい乱暴な言葉を聞き、エダは愉快そうに高らかに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

陽はとっくに昇り、きつい日差しが照り付ける時間。

 

こんなに天気がいい日であっても普段なら家に籠り依頼をこなすか暇を持て余すかのどちらかなのだが、今日は外に出なくてはいけない理由があるため街中を歩いている。

お昼時だからなのか並んでいる露店には人だかりができ、賑やかな雰囲気を醸し出している。

 

そんな大通りを抜けひたすら歩いていれば段々人通りが少なくなっていく。

 

その理由は、私が向かっている場所にある。

そこは街の人たちならば自ら行こうとは思わない。というより、招かれるか滅多なことがない限り立ち入ることはできない領域。

 

私がそこへ向かっているのはある人から呼び出されたからだ。

電話を貰った時依頼かと思ったのだが、ただ「話をしたい」とだけ言われたので招かれた理由は分からない。

だが特に用事も断る理由もないので、あまり深くは聞かないまま呼び出しに応じた。

まあ、あの人の呼び出しを断れる人間がこの街にいる訳がないのだが。

 

ひたすら寄り道せず歩いて行けば、あっという間に目的地へ辿り着く。

どこか異様な空気を放っているその建物の前には、門番のように武器を持った男性が数人。

そんな彼らに近づけばすぐさまこちらに気づいた。

 

「久々だな洋裁屋」

 

「お久しぶりです」

 

「元気そうで何よりだ」

 

「お陰様で。貴方がたも変わりないようでよかったです」

 

「鍛えてるからな」

 

ここへ何度も来ているおかげか、彼らは敵意を向けることなく気楽に話しかけてくれた。

彼らとこうして挨拶を交わすのも久々でもう少し話したいところだが、呼び出した張本人を待たせるわけにはいかない。

 

「あの、今日は」

 

「ああ、分かってる。首を長くして待っておられるぞ」

 

「いつもの部屋にいるそうだ」

 

「ありがとうございます」

 

恐らく彼らも私と同じことを思っていたのか、それ以上話に花を咲かせることはなかった。

彼らが促すまま建物の中へと入り、途中で目が合った人たちに軽く挨拶しながらとある人物が待っている部屋へと向かう。

そうして辿り着いた部屋の前に立ち、少し息を吐いてからドアをノックし声をかける。

 

「キキョウです」

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

中から聞こえてきた凛とした女性の声を聞きドアを開ける。

 

部屋の奥にあるテーブルには紅茶のセット。

 

 

そして、そのテーブルの前には綺麗なブロンドの髪を持った女性が微笑みを携えこちらを向いていた。

 

「久々ねキキョウ。変わりはなくて?」

 

「ええ、貴女がたのお陰でいつも通りの日々を送れていますよ」

 

「それはよかった」

 

「そんな貴女もお元気そうで何よりです、バラライカさん」

 

右半分が火傷痕で覆われている顔を見据えそう言えば、彼女は「ふふっ」と笑った。

こういう時の彼女は、この街で恐れられている人物とは思えない程穏やかな雰囲気を醸し出している。

 

「さ、こっちにいらっしゃい。紅茶でも飲みながらゆっくり話しましょ」

 

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」

 

そんな彼女の雰囲気に釣られ、微笑みながら促されるまま更に奥へと歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それでどうだったの? あの男との海外旅行は」

 

「まあ、退屈はしませんでした。それなりに充実してましたし」

 

「そう」

 

彼女が用意してくれたロシアンティーを口にしながら話に花を咲かせていると、唐突に話題を変えてきた。

街の人たちでさえ何故か知っていたのだ。バラライカさんが知っているのは当然だろうとあまり驚かなかった。

 

だから当たり障りのない返答をすれば、彼女は少しつまらなさそうな表情を浮かべた。

 

「私の“友人”を黙って連れて行ったんだもの。退屈させる真似は許さないわ」

 

「……友人?」

 

「あら、いけなかった?」

 

彼女の口から出た言葉に目を見開く。

バラライカさんは一瞬の間を空けることなく驚いている私に聞き返してきた。

戸惑いながらもなんとか自身の思っていることを素直に口に出す。

 

「いえ、その……まさか貴女がそう言ってくださるとは思ってなくて」

 

「こうして一緒に紅茶を飲んで他愛ない話をする間柄は友人でしょ。それとも、私と友人になるのは嫌かしら?」

 

「そんなことありませんよ。逆に私なんかでいいのかと思ってます」

 

「相変わらずの謙遜癖ね。アナタだからそう言ってるのよ」

 

彼女が本当に私の事を友人だと思っているのかは分からないが、全く嫌な思いはしていない。

私にとってバラライカさんは張さんと同じくらい信用している人物の一人。

そんな人から“友人”だと言われれば、例え嘘だとしても嬉しさを感じないわけがなかった。

 

「なら、これからは“Ms.バラライカとは友人”だと言ってもいいんですか?」

 

Да(勿論)。アナタならその立場を悪いように使わないでしょうから」

 

「当然ですよ。そんなことしたら折角の信頼関係も崩れますしね」

 

「よく分かってるじゃない」

 

バラライカさんはどことなく嬉しそうに微笑み、紅茶に口をつけた。

流れている穏やかな時間に自身も口の端が上がり、ジャムを口に含み温かな紅茶を喉に通す。

 

「では、ここからは友人として話をしましょうかキキョウ。――アナタ、とうとう張の愛人になったの?」

 

「ぶっ……!」

 

単刀直入過ぎる彼女の質問に、思わず紅茶を吹き出しそうになった。

彼女に口に含んでいたものを浴びせる訳にもいかないので何とか抑えたが、無理矢理飲み込んでしまったせいで噎せてしまう。

 

まさかバラライカさんからその質問が飛んでくるとは思わず、再び目を見開きながら言葉を返す。

 

「げほッ……な、なに言ってるんですか?」

 

「あ、ごめんなさい。愛人じゃなくて妾の方が合ってるかしら」

 

「そう言う事じゃなくて、なんでいきなりそんなこと」

 

「だって気になるじゃない。あの男ずっと分かりやすいアプローチをかけてたのにアナタ全く気付かなかったんだもの。そんなアナタが張の里帰りに付き合って、更にこの前のイエローフラッグでのエスコート。何もないって方がおかしいわよ」

 

「よく分からないですけど、なんかいきなり過ぎませんか?」

 

「アナタには回りくどく聞くよりこっちの方が話早いんだもの。……それで、どうなのかしら? 友人としても、ホテル・モスクワの頭としても気になるところなんだけど」

 

いや、レヴィやエダのように興味だけで聞いてくる方がまだ分かる。

だが、彼女は今“ホテル・モスクワの頭としても”と確かにそう言った。

何故その立場で気になるのかがどうしても分からない。

 

百歩譲って私が彼とそういう関係だったとしても、ホテル・モスクワには関係ないのでは。

 

「あのバラライカさん。何故、組織の頭としても聞きたがっているんです? 彼の女性関係も私の男性関係も知ったところで貴女に利益も不利益も生まれないのでは」

 

「張がそこらへんの女とっていうなら私も気にはしない。私にとって“アナタと張が”っていうところがポイントなのよ」

 

「え?」

 

「客観的に考えてみなさい。数年前に私と戦争をした男と、私との信頼を長年崩さなかった何の力もない一人の職人。そんな二人が親密な関係を築いたことをホテル・モスクワの頭目が知らなかった、なんてあまりにも滑稽だわ」

 

「……」

 

「まあ、本音を言うとそんなことどうでもいんだけど」

 

「え?」

 

「男に全く興味がないって感じだったアナタに男ができたなんて、そりゃ気になるじゃない。今回は私個人的に知りたいってだけだから、そんな気負わず話して頂戴な」

 

いや、あんな話聞かされた後で気負わずにって言われても……。

多分、ホテル・モスクワの頭目としての話は建前だったのだろう。その証拠に、目の前の彼女はどことなく期待しているように微笑んでいる。

 

まあ、レヴィやエダには話したので彼女に話さないのは今更だろう。

一呼吸間を空けた後、意を決しバラライカさんを見据えながら口を開く。

 

「私は張さんの愛人とか妾にはなってませんよ。パトロンと職人の関係はこれまで通りです」

 

「……」

 

「ですが、彼と何もなかったというのは嘘になります。彼に腕と命の他にも預けるものができた、とだけ」

 

「その預けるものっていうのは、もしかして体のこと?」

 

「……ご想像にお任せします」

 

「ふうん。ま、今のアナタの態度でなんとなく分かったわ」

 

私の言葉を聞いたバラライカさんは、にっこり、と効果音が付きそうなくらいの笑顔を浮かべた。

 

「でもそれってセフレみたいなものでしょう? そんなの娼婦と客の関係と変わらないじゃない。それでいいの?」

 

「彼も特定の女性一人に縛られるのは嫌でしょうし、いつでも切り捨てれる方が楽でいいんじゃないでしょうか」

 

「それは張の都合でしょう。アナタはどうなの」

 

「私も別にいいですよ。これ以上の関係を求めるのはおこがましいことです。それに、彼の隣に立てる女性は少なくとも私じゃありませんから」

 

「……そう」

 

思っていることを素直に言えば、彼女は一言そう言った後何か考え込んでしまった。

何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げていると、やがて「はあ」とため息を吐き微笑みを浮かべながら徐に口を開く。

 

「アナタがそう言うなら別にいいわ。でも、あの男に泣かされたらいつでも頼りなさいね。この街ではあの男と対等に渡り合えるのは私くらいだから」

 

「ありがとうございます。でもそこまで気にかけていただかなくてもいいんですよ?」

 

「友人が悪い男に痛い目遭わされるのは我慢ならないわよ」

 

「あはは……」

 

この街に“悪くない男”なんて滅多にいないでしょう。

心の中でそう呟きながら苦笑だけ返しておく。

 

「じゃあ、あの男とそこまで親密になってないのなら貴女に頼んでも問題なさそうね」

 

「え?」

 

「キキョウ。あの男との関係についても気になってたけど、今日の本題はまた別なの」

 

「本題?」

 

「そう」

 

バラライカさんは紅茶を置いた後、微笑みを崩すことなく頬杖をつく。

確かに、考えてみれば彼女が呼び出した理由が私と彼の関係を確認するためだけなはずがない。

わざわざ呼び出してまでしたかった話は何なのか、少し身構えながら彼女からの話を待つ。

 

「そんな身構えないでちょうだい。これはあくまでもキキョウ個人へのお願いよ」

 

「え……洋裁屋としてではなく、ですか?」

 

「ええ」

 

当然だが、彼女が私個人へお願いすることはこれまで一度もなかった。

バラライカさんが私に頼むことと言えば服の仕立てぐらいのもの。

洋裁屋ではない私にできることはあまりにも少ない。私にできることでバラライカさんができないことはないと言っても過言じゃない。

 

だからこそ、彼女からの頼みごとが何なのか気にならずにはいられない。

 

一体何を頼まれるのかと固唾を飲んでただ彼女からの話を待つ。

 

「実は仕事でしばらくこの街を離れることになってね。その仕事に私の付き添いとして一緒に来てほしいの」

 

「仕事って……私は洋裁しかできませんよ? 付き添ったところで何も」

 

「アナタだから頼みたいのよ。この街でも信頼しているアナタにね」

 

いや、信頼してくれているのは嬉しいのだが彼女の仕事で私が役に立てるとは到底思えない。

この街での彼女の働きぶりを見ればそんなこと誰でもわかるだろう。

 

「アナタに頼みたいのは、現地の人と私の通訳」

 

「通訳?」

 

「そう。仕事場はアナタの故郷」

 

 

 

バラライカさんの言葉に、思わず息が止まった。

 

 

 

 

――私の故郷。

 

 

 

 

つまり、彼女の仕事先は

 

 

 

「日本、ですか」

 

「アナタは日本人で私と信頼があるから適役でしょ」

 

「……」

 

「本当は私が出向くべきでもなかったはずなんだけど、日本支部がどうにも頼りなくてね。仕方なく私が派遣されることになったのよ」

 

「……」

 

「勿論謝礼はたっぷり出すわ。それと、面倒になる前にあの男には私からも話を通しておいてあげる」

 

「……」

 

「キキョウ、私のお願い聞いてくれる?」

 

「バラライカさん、その話はお断りさせていただきます」

 

一瞬の間を空けずに返ってきた私の言葉にバラライカさんの顔から微笑みが消えた。

彼女はきっと私なら断らないと思っていたのだろう。

 

 

 

だが、こればかりは流石に彼女のお願いでも聞けない。

 

 

 

「どうして?」

 

「貴女の付き添いが嫌とかではないんです。問題なのはその場所です」

 

「……日本で何があったのか知らないけど、アナタの身の安全は私が保証するわ」

 

「ごめんなさい。私はあの国にどうしても行けない……いえ、“行きたくない”んです。例え貴女の付き添いだとしてもあの国だけはダメなんです」

 

「香港へは行ったのに? ――アナタの中であの男と私じゃ信頼の差があるということかしら」

 

「そうじゃありません。あの時は“日本じゃなかったから”行ったんです。例え張さんであっても行先が日本だったなら同じように断っています」

 

「……」

 

あの国にはもう何もない。

帰れる場所も、親しい友人も、愛すべき家族も何もない。

 

もう二度とあの忌々しい国の土地は踏まない。

 

 

この街に来るときそう決めた。

 

 

「日本でなければいくらでも付き添います。中国だろうとロシアだろうとアメリカだろうとどこでも行きます。ですがその国だけはダメなんです」

 

「……」

 

「私の事を信頼して頼んできてくださったのは本当に嬉しかったです。ですがこれだけはどうしても譲れません」

 

「……」

 

「Ms.バラライカ。貴女のその頼みを聞きいれられないこと、どうかお許しください」

 

彼女のブルーグレーの瞳を見据えながら、はっきりと告げる。

 

しばらく沈黙が流れた後、先に口を開いたのは彼女の方だった。

 

「大分前にね、アナタの出自を念のため調べたことがあったのよ。でも、いくら探っても顔写真どころか本名さえ分からなかった。アナタの師であるハルタ・シゲトミについて調べてもその弟子については世界を一緒に回っていたことと数年前に死んでいる情報しか得られなかった。張に聞いても全く同じ成果。――いくらなんでも情報がなさすぎるのよ。まるで存在を消されたようにね」

 

「……」

 

「だから何かあるんじゃないかとは思ってたけど、まさかアナタがそこまで嫌がるなんてね」

 

「……」

 

「キキョウ、アナタ一体あの国で何をしでかしたの」

 

バラライカさんが淡々と話す内容を黙って聞いていると、彼女は鋭い視線を浴びせてきた。

その鋭利な視線から逸らすことなく、少しの間を空けてから返答する。

 

「詳しいことは言えません。ですが、友人として一つだけお教えします」

 

「……」

 

「私は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――意外ですな。彼女が貴女の頼みを断るとは」

 

本題を話し終えしばらく世間話に花を咲かせた後、キキョウはホテル・モスクワの事務所を去り、バラライカは残っていた紅茶を一人で飲んでいた。

無表情で紅茶を啜るバラライカの隣に立ったのは彼女の片腕であるボリス。

長年バラライカを支えてきた彼は、どことなく彼女が不満気にしていることを感じ取り、一瞬躊躇った後声をかけた。

ボリスの言葉にバラライカは残り僅かとなった紅茶を一気に飲み干し、淡々とした声音で話し出す。

 

「非常に残念だが仕方ない。……あの子は一度こうと決めたら誰の言葉であろうと動かない。例え私や張であってもな」

 

「一体なぜ断ったのやら」

 

「さあな。――だが、興味深いことは言われた」

 

「興味深いこと?」

 

その時、初めてバラライカの口の端が上がった。

ボリスは咄嗟に聞き返し、彼女の話の続きを待つ。

 

「ああ。軍曹、私が“あの国で一体何をしでかしたのか”と聞いた時、あの子は何て言ったと思う」

 

「は?」

 

「“一人の男を最後まで否定しただけ”だと。――これはあくまでも私の勘だが、その男があのイカれた女を作った張本人かもしれんな。その場合、国に帰れない理由がその男にあるとなればただの一般人ではまずない」

 

「調べますか」

 

「いや、放っておけ。これまで我々と張が動いたにも関わらず何の情報も得られなかった。だとすれば今度も成果は得られない。それに、そんなことしなくても既に私とあの子の間には信頼が築かれている。なら尚更そんな無駄な労力をかける必要はない」

 

「了解」

 

バラライカの言葉にボリスは異を唱えることなく返事をする。

キキョウと自身の上司の間に長年の付き合いで培われた信頼は厚いことをよく知っている。

 

現にこうしてバラライカが己の領域に踏み入れることを許し、尚且つ自身が紅茶でもてなす人間など彼女くらいのもの。

今更キキョウの出自を詳しく知ろうと、バラライカにとって何も意味を為さない。

知ったところで何かが変わる訳もないのだから。

 

「さて、あの子に断られたとあってはすぐ代わりを立てねばならん。……となると、やはり彼しかいないか」

 

「どうされますか」

 

「数少ない人材だ。代わりとしては最適だろう。――軍曹、至急連絡を取ってくれ」

 

「は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

――バラライカさんからの思いもよらない誘いを断った後。

私が日本へ行くつもりが全くないことを察したのか、渋々ではあったが最終的に引いてくれた。

「土産はSAKEがいいかしら?」と話題を変え、そこからは彼女から日本について聞かれながら楽しいひと時を過ごした。

彼女と友人だとまだはっきり明言はできないが、あの時は友人らしい会話ができた。と思う。

 

そんな彼女から後日「近々服の依頼に行かせる」と連絡が来た。

どうやら私の代わりに付き添いを頼んだ人物が見つかったようで、その人物の服を仕立ててほしいということだった。

 

連絡を貰ってからそう時間が経たない内に、服を着る本人が私の家に訪れた。

その人から過去に何回も依頼を受けたことがあった上に、仕立てる服がスーツというのもあって依頼をこなすには苦労しなかった。

 

そして依頼を受けて丁度二週間の今日。依頼品が完成したので後は本人に渡すのみとなった。

私が届けに行こうかと提案したのだが、「自分が取りに行く」と言われたので今は本人の到着を待っている。

 

コーヒーをいつでも出せるようもてなす準備をしていると、奥からドアをノックする音が響いた。

 

「キキョウさん、お待たせしました」

 

すぐさま聞こえてきた声に少し早足でドアに向かい躊躇いなく開ける。

 

「ようキキョウ」

 

「遅くなりすみません」

 

「そんなに待ってないから大丈夫だよ。どうぞ」

 

そこにいたのは、ラグーン商会の岡島とレヴィといういつもの二人組。

二人は私の促しに部屋の中へと入っていく。

 

「コーヒーあるけど飲む?」

 

「飲む」

 

「岡島は?」

 

「……いや、俺は結構です」

 

いつもなら岡島も飲むのだが、どうやら今日は気分じゃないらしい。

来客用の椅子を出しながら言葉を交わし、レヴィの注文通りコーヒーを出そうと動く。

 

自室でカップに注ぎ、ほろ苦い香りを漂わせながら待っている客人へ渡す。

 

 

「はい、レヴィ」

 

「サンキュ」

 

素直にお礼を言った後、レヴィはすぐさまコーヒーへ口をつける。

すぐさま傍に置いていた紙袋を黙って待っている岡島へ差し出す。

 

「はい岡島。これが君のスーツだよ」

 

「ありがとうございます」

 

「何か不備があったらすぐ言ってね。彼女の付き添いの前に直したいから」

 

「はい」

 

そう、バラライカさんが私の代わりに通訳として頼んだのは岡島だった。

確かに私と同じ日本人だし英語も堪能。代わりとしては最適な人材だろう。

 

ヤクザ者である彼女の仕事に付き合うからにはそれなりに身なりも気を遣わなければいけない。

流石にスーツ一式は持っていなかったようで、バラライカさんを通して私に依頼してきたのだ。

彼の依頼料は彼女が“必要経費”として出すらしく、後日渡してくれることになっている。

 

受け取った様を見て、今回も問題なく依頼をこなせたと微笑む。

だが、紙袋の中身ではなくこちらをじっと見続ける岡島の視線に、段々と口の端が下がっていく。

 

「あの岡島、一応中身を確認してほしいんだけど……」

 

「……ええ」

 

私の言葉に岡島はようやく紙袋の中身へと視線を移した。

どことなくいつもより表情が暗い気がするが、多分気のせいだろう。

そんな彼を見つつ、静かにコーヒーを飲んでいるレヴィへも声をかける。

 

「レヴィも岡島について行くんでしょ? 服はどうするの」

 

「向こうで適当に買う。お前のコレクションは全部夏物だからな」

 

「いや、でも一応バラライカさんと一緒の場に行くなら」

 

「アタシはあくまでもこいつの護衛としていくんだ。姐御はこいつの身なりさえなんとかなりゃそれでいい。それに、今からお前に頼んだって間に合うか分からねえだろ」

 

「……頑張ればなんとかなる、と思う」

 

「無理すんなよ。お前に無茶させたら姐御や旦那に何言われるか分かったもんじゃねえ」

 

レヴィはそう言ってずずっ、と再びコーヒーを啜った。

 

彼女も岡島の護衛として日本へ一緒に行くと聞いたのは数日前。

その時も服を仕立てようかと言ってみたのだが、「ロックの方を優先しろ」と彼女なりの気遣いでやんわりと断られた。

 

まさかレヴィまで一緒に行くとは思ってなかったのだが、きっと相棒である岡島の事が心配になったのだろう。

口では決してそんなことは言わないが、ここ最近のレヴィと岡島の関係を見ていればなんとなく分かる。

 

「……キキョウさん」

 

「確認した?」

 

「ええ、いつもありがとうございます」

 

「仕事だからね」

 

中身の確認が終わったのか、岡島が恐る恐る声をかけてきた。

短く言葉を交わした後、何故かまた岡島はこちらをずっと見つめてくる。

 

首を傾げていると一瞬だけ目を逸らした後、すぐさま真っすぐ瞳を向け再び口を開く。

 

「キキョウさん。一つ聞いてもいいですか」

 

「何?」

 

「何故、バラライカさんの頼みを断ったんですか」

 

その言葉を放った岡島の表情と声音はあまりにも真剣で少し驚いた。

レヴィも唐突のことで目を見開いていたが、何も言わずただ岡島を見つめている。

 

何故彼が気になっているかは知らないが、黙っているわけにもいかないので徐に言葉を返す。

 

「どうしたの、急に」

 

「バラライカさんから聞きました。最初は貴女に頼んだが断られたと。――断った時の言い訳も」

 

「……なら、もう理由は知ってるよね? 行きたくないから断った。ただそれだけだよ」

 

「何故行きたくないんですか」

 

「え?」

 

「何故、日本へ帰ろうとしないんです」

 

まあ彼女に隠しておいてほしいとは言わなかったし、岡島に伝わるのも仕方ない。

だが、ここまで質問攻めされるのは正直いい気分はしない。

 

彼の真っすぐな視線を真っ向から浴びながら口を開く。

 

「あの国が嫌いだから。それ以上もそれ以下もないよ。バラライカさんの頼みを断ったのは私の我儘ってだけで」

 

「世話になっているバラライカさんの頼みを貴女が好き嫌いで断るはずがないんだ。彼女や張さんと長年信頼を築いてきた貴女が“そんなことで”断るわけがない」

 

「……」

 

一体、彼は何が言いたいのだろうか。それにここまで聞いてくる理由も分からない。

真意が読めず、どこか緊張しているような面持ちの岡島をただ黙って見据える。

 

 

 

「――キキョウさん、俺と一緒に日本へ行きませんか」

 

「……え?」

 

「お、おいロック!?」

 

岡島が発した言葉に耳を疑った。

 

 

 

今、彼は“一緒に行こう”とそう言ったのか?

 

 

 

何故、急にそんなことを。

 

 

あまりにも唐突の事で頭の思考が停止した。

レヴィも同じようで、驚いたように岡島へ声をかける。

 

「ロック、勝手なこと言うんじゃねえ。第一こいつは姉御の誘いを断ってんだ。お前の誘いに乗るなんてこと」

 

「キキョウさん、貴女はとても優しい人間だ。そんな貴女はこの街にとても似合わない」

 

「……は?」

 

「お、おい!」

 

レヴィはどこか焦ったような声音を出しながら勢いよく立ち上がり、岡島の傍へと近寄った。岡島は彼女の制止を聞かず、肩を掴もうとする手を跳ねのける。

 

私は彼が発している言葉が理解できず目を見開くことしかできない。

そんな何もできない私に彼はずかずかと目の前へと歩み寄ってくる。

 

「貴女は、日本へ帰るべきです。貴女の帰りを待ってる人がきっといるはずだ」

 

「……」

 

「キキョウさん、どうか一緒に」

 

「岡島」

 

彼の言葉を遮り、名を呼び掛けた。

そこでようやく意味が分からない言葉の羅列が止まる。

思ったより低い声音になってしまったが、気にすることなく言葉を続ける。

 

「岡島。君が何を考えてそんなことを言ってるのか知らないけど、改めて言っておくね。――私は日本へ戻れないし、戻りたくないの」

 

「……なぜ」

 

「そこまで言う必要はないでしょ。とにかく、私には日本に戻る必要も理由もないの」

 

あの国に私の帰りを待ってる人間なんていない。

 

ただ一人恩人はいるが、その人からも“二度と会わないことを祈る”と言われたのだ。

 

 

なら尚更、戻る理由はこれっぽちもない。

例え一時的な帰国だとしても、一瞬でもあの国へ立ち入ることはしたくない。

 

「私はこの街にいたい。だから帰らない」

 

「――それは、あの男がいるからですか?」

 

「え?」

 

「あのマフィアがここにいるから……この街にいたいと、言ってるんですか」

 

岡島は眉間に皺を寄せて、どこか苛立ちを含んだ声音で静かにそう言った。

岡島が言った“あのマフィア”というのは多分張さんだろう。

 

何故ここで彼が出てくるのか分からないが、あの人以外に思い当たる人物がない。

 

一体何を勘違いしているのやら。

ため息を吐きたくなる衝動を抑え、彼にはっきりと告げる。

 

「張さんは何も関係ない。張さんがもしこの街からいなくなったとしても、私はここに居続ける」

 

「え……」

 

「ここが悪徳の都である限り、私はこの街を離れない」

 

確かに、張さんのお陰で私はこの街で生きていけている。

だが私の根本には後悔せずに。ただの洋裁屋として死ねればそれでいいという思いがある。

 

――それが叶うこの街を離れるわけにはいかない。離れたくない。

 

「……とりあえず、それだけ。他に言う事は何もないよ」

 

「で、ですが」

 

「ロック、その辺にしろ。……すまねえキキョウ」

 

「いいよ。今日は岡島の調子がよくなかったってことにしとく」

 

「そうしてくれるとありがてえ」

 

まだ何か言いたげな岡島の言葉をレヴィが真剣な声音と表情で遮ってきた。

これ以上何か言われるのは流石に遠慮したいところだったので本当にありがたい。

 

しつこく聞かれていい気はしなかったが、普段仲良くさせてもらっている仲だ。

今回はあまり責めるようなことはしないでおこう。

 

「ほらロック、帰るぞ」

 

「……」

 

「ロック」

 

 

レヴィの呼びかけに岡島は納得していない表情だったが、徐に距離を空け口を開く。

 

 

「キキョウさん。その、俺……」

 

「何があったのか知らないけど、こういうのは勘弁してほしいかな」

 

「……すみません」

 

「レヴィに免じて今回は大目に見てあげる。レヴィもあまり怒らないであげてね」

 

「なんでだよ」

 

「そういう気分って誰でもあるでしょ」

 

「あたっていい相手がいるだろうが。ったく」

 

そう言うレヴィは苛々している時に割と誰彼構わずぶつけていると思うのだが、口にするのはやめておこう。

いつもの調子で喋っていれば、どことなく緊張を帯びていた雰囲気が和らいでいく。

 

「ロック、帰るぞ」

 

「ああ」

 

「キキョウ、土産楽しみにしてろよ」

 

「期待して待っとく。二人とも気を付けてね」

 

「おう」

 

「ええ」

 

そう言葉をかければ二人とも短く答えてくれた。

二人はそのままドアの方へと向かい、その後は何も言わず外へと出て行った。

ドアが閉まる前に岡島がこちらを見た気がしたが、一瞬の事だったので気にかける間がなかった。

 

 

二人が居なくなり、静まり返る部屋の中で先程岡島に言われた言葉を思い返す。

 

 

 

“貴女はこの街に似合わない”

 

 

 

まさか、そんなことを言われるとは。

 

 

よりにもよって、“あの”岡島に。

 

 

 

……いや、彼だからこそそう言ってきたのかもしれない。

 

私の事をよく知りもしない、付き合いもそこまで長くない彼だからこそ言える台詞なのだろう。

 

私からしてみれば、彼の方がこの街に似合わない。

 

そう思えば少し苛立ちにも似た感情が湧き上がるが、どうこう言ったところで何の意味もない。

ため息を吐き、依頼料についてバラライカさんと話そうと携帯を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

「おい、ロック」

 

「どうしたレヴィ」

 

「どうしたもこうしたもねえ。お前なんのつもりだ」

 

「何のことだ」

 

「こういう時誤魔化されんのは嫌いだ。――お前、なんでキキョウにあんなこと言ったんだ」

 

キキョウの家を出た後、ロックとレヴィはラグーン商会事務所までの道をしばらく無言で歩いていた。

レヴィから時折向けられる視線に気づいてはいたが、ロックは言葉を交わす気分にならなかった。何度も目が合っているにもかかわらず口を開かない様子にレヴィがとうとう痺れを切らし、浮かない表情をしているロックへと真剣な声音で話しかけた。

 

“なんのつもりか”と問えば、彼がすっとぼけるような真似をしたせいでレヴィの苛立ちは増していく。

それでも彼女がまだロックの胸倉を掴んでいないのは、キキョウの“あまり怒らないで”という言葉があるからである。

 

忘れられない多大な恩が彼女にあるが、本人から恩着せがましい態度を取られたことは一度もない。

そんなキキョウは、レヴィにとって今では仲間以外に心を許せる数少ない一人。

だからこそ、キキョウが詮索されるのを黙って見ていられなかった。

詮索されるのが嫌いなはずなのに、ロックからしつこく聞かれたにもかかわらず、自身に“怒るな”と言った。

 

 

それを聞かずロックを殴ってしまえば彼女の気遣いを無駄にすることになる。

 

 

そんなことはしたくないと、今“だけ”拳を振りかぶるのを我慢する。

 

「ヘイロック。お前が何を考えてんのかは知らねえ。だけどな、勝手な真似すんのは許さねえぞ」

 

「……」

 

「相手がキキョウだったからよかった。甘ちゃんで、銃もロクに撃てないアイツだったからあんなことしてもこうして生きてる。――けどなロック」

 

瞬間ギロ、と怒気を孕んだ鋭い視線を向ける。

その事実にロックは息が一瞬止まり、背筋が凍るのを感じた。

 

「今度アタシの前であんなことしてみろ。今度は説教だけじゃすまさねえからな」

 

「……ああ、悪かった」

 

特に言い訳するでもなく素直に謝罪するロックの姿勢に一つ息を吐いた。

煙草を取り出しながら、気を取り直したようにいつもの雰囲気で再び話しかける。

 

「で、なんでいきなりあんなこと言ったんだ。まさか、本気でアイツがお前の誘いには乗ると思ってたのか?」

 

「別に……ただ」

 

「ただ?」

 

「あの人がいるべきなのはここじゃない。そう思ったんだ」

 

「……」

 

浮かない表情のままロックが放った言葉に、レヴィは一瞬目を見開いた。

そしてすぐさま無表情に切り替え、煙を肺に入れる。

 

彼がどうしてそう思うのか全く分からない訳ではない。

血の匂いを漂わておらず、一人でも生きていけるであろう職人の腕とあの人当たりの良さ。

かつて、自身もキキョウがこの街に留まる意味が分からなかったし、馴染めないだろうと思っていた。

 

 

 

だが、その考えは次第に無くなった。

 

 

 

自分と自分にとって利益のある人間が生きていればそれでいい。

自分さえよければなんでもいい。

 

 

あの女は心の底からそう思っている。

 

 

長い付き合いの中で、この街の人間らしい淡白さが彼女にもあると知った。

そして何より、自分の利益のためなら自分の命を賭けることさえ厭わないイカレ具合。

それが土壇場だけならいざ知らず、常にそう思っているのは異常としか思えない。

だからこそ、キキョウという洋裁屋はこのイカれた街に馴染んでいる。

 

彼女のこと知れば知るほど、表では生きづらかったということが分かる。

 

 

 

――そう思えないロックは、まだまだ彼女の本質に触れていないのだ。

 

 

 

「ま、だからと言って日本に一緒についてこいっていうのはちと違うと思うけどな」

 

「……」

 

「とりあえず、このことはバラライカの姉御には言うなよ。面倒は御免だ」

 

「ああ」

 

淡々と言葉を交わしながら、ひたすら帰路を辿る。

レヴィははあ、とため息と共に煙を吐き出し、短くなった煙草を捨てた。

 









やっぱりキキョウさんは男女関係についてピュアというか知らないことが多すぎるので、ああいう反応になっちゃうっていう。



さて、いよいよ次話から日本編になります。
ですが、話の通りキキョウさんは日本には行きません。

なのでしばらく出番はないものと思ってください(主人公なのに)。

代わり(?)に日本編では、キキョウさんと関りが深い人物が出ます。
そこでキキョウさんの過去についても今まで以上に曝け出していく感じになるかと。
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