雪が降りしきる中、山手線のホームには多くの人が遅延している電車を今か今かと待っている。
俺もその一人で、電車が来るまでの間丁度いいと公衆電話の前に立ちある番号へかけていた。
『やあロック、調子はどうだい』
「まあまあさ、ベニー」
程なくして、海の向こう側にいる同僚が通話に応じた。
その声を聴くのが久々だと感じたのが自分で可笑しくなり、自然と口の端が上がる。
「必要な物はだいたい揃えたよ。他に何か足りないものは?」
『ありがとう、助かったよ。泥棒市場に足を運ぶのはちょっと遠慮したいからね』
「確かに、俺もあそこはあまり馴染めないな」
今自身が立っている地よりも遥かに遠い場所を思い返し言葉を交わす。
故郷である日本よりも物騒で、いつも死が隣り合わせな悪徳の都。
普通ならこのまま日本に居座るのだろうが、俺の中で何故かその選択肢は残っていない。
その理由は明確には分からないが、あの街が魅せる闇に少しだけ心が惹かれているのもまた事実。
きっと、それがこの国に留まらない理由の一つとなっているのだろう。
「そうだベニー、レヴィから頼まれものが」
『なんだい?』
あの街の雰囲気を思い返すのもそこそこに、次の硬貨を入れる羽目になる前に本題を切り出す。
「“ソード・カトラス”を送ってくれと。ブーゲンビリアに渡しておけば、海兵隊特急便でここに着くはずだ」
『穏やかじゃないな。嵐が吹きそうか?』
「まだ、分からない。そうでなきゃいんだけど」
『同感だね。とりあえず手配しとくよ。じゃあまたね』
ベニーは早々に話を切り上げ、通話が終了した音が流れる。
自身も受話器を置き、ベニーからの頼まれものを手に取ったのと同時に、ホーム全体にアナウンスが流れ始めた。
『……線をご利用のお客様にお知らせいたします。現在ポイント故障のため上下線共に運転を見合わせており――』
「…………はあ、参ったな」
白い息と共にため息を吐き、寝泊りしているホテルへどう移動するか思案する。
「こんな雪じゃ車もダメっぽいし……だけど、歩いていくのもなあ」
とりあえずここを出よう。
この調子だと運転再開の見込みはしばらくかかりそうだ。
足を動かし改札へ戻ろうとホームの出口へ向かう。
その時、見覚えのある顔がこちらへ向かってくるのに気づいた。どこで会ったかと、必死に思い返す。
俺の視線に気づいたのか、相手と目が合った。
お互い目の前で止まり、そこでやっと思い出す。
「あ、この間の」
長い黒髪で眼鏡をかけた女の子と言葉が被る。
その子は、高市で会った女子高生だった。
「――こんなに雪を見たのは久しぶりだよ」
「タイにおられたんですもんね。滅多に雪は降らないでしょう」
先程駅のホームで再開した女の子と話の流れでしばらく近くの喫茶店で過ごすことになった。
お互い適当に注文し、暖かい店の中で和やかな雰囲気で言葉を交わす。
こんな風に“普通の人”と話すのも久々だ。
「日本はお久しぶりなんでしょう? ……ええと」
「あ、そうか。まだ名前教えてなかったね。僕は岡島、岡島緑郎です」
「岡島さんはご実家には帰られたんですか?」
「……実家には、戻ってないんだ。あんまり会いたくなくてね」
日本に帰ってから一度も実家に行っていない。
どうしても帰る気になれず、足がそこへ向かわないのだ。
「一年も音沙汰なかったんだ。今更どんな顔して行ったら、てなものさ」
「でも、顔を見ればきっと喜ぶと思いますよ」
「どうかな。きっと厄介払いされるのがオチさ」
日本にいた頃仲が良かったわけでもない上に、期待に応えられなかった出来の悪い息子。
そんな俺が実家に顔を出したところで恐らく歓迎はされないだろう。
それに縁日の時レヴィから話を持ち掛けられるまで一瞬でも家族の事を思い浮かべなかった。
真っ先に思い浮かんだのはあの街での荒々しく、生と死が満ちている生活。
そして、凛と生きている彼女の事。
結局、俺は家族よりもあの街での生活や住人の方を優先しているのだ。
自嘲気味に笑い、届いたコーヒーに口をつける。
そんな俺に彼女――雪緒ちゃんは静かに言葉を発した。
「岡島さん、家が嫌いなんですね」
「そうかも。いや、最早嫌いとかも思わないかな。もう、どうでもいいんだ」
「どうでもいい?」
「ああ。だから会ったところで何の意味もない、かな」
「……そうですか」
彼女はオレンジジュースをちびちびと飲んだ後、やがて再び口を開く。
「皆境遇は違うからそんなに強くは言えませんけど……自分で選択したことならそれでもいいと思います。でも、なんであっても育ててくれた家があったから自分がこうしていられる」
「……」
「私は父が死んでからそう気づいたんです。自分の帰るべきところはそこなんだって。だから私は父の事も家の事も今は愛してますよ」
「……しっかりしてるな、君は」
自分よりも年下の女の子に説教をされてしまった。
彼女の言う通り、俺がここまで生きてこれたのは両親のおかげだ。だから顔を見せるべきだという言い分も理解できる。
が、それでも家族に会いたいという気持ちは湧かない。
彼女の言い分を理解しながらも納得できていない事実に苦笑を洩らしながら呟く。
それと同時に、彼女の通学カバンから携帯の着信音が鳴り響いた。
「あ、ちょっと待って下さいね」
一言そう断ってから、雪緒ちゃんはいそいそと通話に応じる。
「はい、雪緒です。……なんだ、銀さんか。知ってるよ、銀さん心配性なんだから。……今は岡島さんて方と一緒に雪宿り中です。ほら、この間の高市でお会いした」
話の内容から察するに、相手は恐らく縁日の時一緒にいたサングラスをかけた男だろう。
確か、“父親の弟子みたいな立場の人”とか言っていた。
そう思い返しながら、すっかり湯気も立たなくなったコーヒーを片手に彼女の言葉を右から左へと聞き流す。
「え、坂東さんがいらっしゃってるの? じゃあ早く帰らないと」
――その時、聞き流すことができない名前が彼女の口から発せられた。
瞬時に俺の中には一つの可能性が浮かぶ。
……いや、偶然同じ苗字ということもある。それにこんな普通の女の子が関わっているはずがない。
妙な胸騒ぎに冷や汗が背を伝う。
「すみません、岡島さん。じゃ、私これで」
「雪緒ちゃん」
「はい?」
彼女の濁っていない澄んだ瞳から目を逸らし名を呼び掛ける。
「あの、さ……君の苗字、まだ聞いてなかったかもね。何ていったっけ?」
動揺を悟られないよう、なんとか疑問を口にする。
心の中で、どうか違ってくれと願いながら。
「はい、鷲峰です。いかめしい苗字でしょ? だから名前は女の子らしくしたって父が言ってました」
そうにこやかに話す彼女の口からでた苗字に、密かに眉根を寄せた。
「――美味い」
雪緒が席を立つ少し前。ロック達が座っている場所の斜め後ろの席に、一人の老人が小さな抹茶パフェを一人堪能していた。
少しの砂糖で作られたメレンゲとほんのり広がる苦みで丁度いい甘さとなり、自分好みの味に満足気に次々と頬張っていく。
焦げ茶色の着物に身を包み、傍らに杖を置いている老人は最後の一口を口に運ぶ。
「どうぞ」
「……おや? これは頼んでないが」
食べ終わるのを見計らったのか、メニューに載っている350円のコーヒーをウェイトレスが老人の席に運ぶ。老人は柔和な笑みを浮かべながら、素直に自分の注文ではないことを伝える。
その言葉にウェイトレスは営業スマイルを浮かべながら返す。
「店長からです。サービスさせてほしいと」
「そうか。では有難くいただこう」
老人は柔和な笑みを崩さず、納得した声音を出しコーヒーを受け取った。
ウェイトレスは代わりに中身がないパフェの容器を持ち、そのままその場から足を動かす。
普段は緑茶を好んでいるが、たまにはこの苦さも悪くないと老人は心の中で呟きながらサービスされたコーヒーに口をつける。
そのまま黙って飲み続け、ようやくカップの中身が空になった。
ふと、左腕につけている時計を見やり「おっと」と反射的に声を出す。
「ゆっくりしすぎたな。アイツらの機嫌を悪くしちまう」
苦笑いを浮かべそう呟きながらゆっくりと腰を上げた。杖を手に、レジに向かいながら右袖に入れてある財布を取り出す。
同時に、白い何かが老人の袖から落ちた。
雪緒が店を出た後、一人項垂れていたロックは目の端でそれを捉えていた。
老人の方はそれに気づくことなくすたすたと歩いていく。
落とし物は届けるべきという日本人の常識が働いたのか、ロックは座ったまま落ちた何かを拾い上げ、すぐさま落とし主に声をかける。
「あの、すみません」
「おや。何か用かな、青年」
「これ、落としましたよ」
「なんと……すまないな。ありがとう」
「いえいえ」
突然声をかけられた老人は後ろを振り向き、ロックの手にある物を見るとすぐさま柔和な笑みを浮かべ礼の言葉を口にする。
ロックは少し口の端を上げ、手にしている白いそれを差し出す。
次の瞬間、さっきは慌てていたせいか見えていなかったものが自身の目に映る。
ロックの目に映ったのは、藤の花が刺繍されている小奇麗なハンカチの端にあるマーク。
三日月のような円の中に桔梗の花が一輪。
それは、今自分が着ているスーツに刺繍されているものと全く同じ。
――悪徳の都で一流と謳われている洋裁屋が、自身の手掛けた服に欠かさず入れる印。
あの街の住民にとってブランド品の証であるそのマークを見た途端、ロックは息が詰まるような感覚に陥った。
洋裁屋としての癖であること。
このマークを入れるようになったのはこの街に来てからであること。
そして、日本にいた頃は恩師のマークしか入れてないこと。
かつて、本人からそう聞いていた。
だが、ならば何故目の前の老人がこのマークが入った代物を手にしている。
ロックが息の仕方を忘れたかのように止まっている間に、老人はロックの目の前まで戻り差し出されたハンカチを受け取る。
「やれやれ、落とし物に気づかなかったとは。つくづく自分は年寄りだと思い知らされるなあ。困ったものだ」
「……素敵な、ハンカチですね」
「お目が高いな青年。儂もこのハンカチは気に入っていてね。拾ってくれてありがとう」
「いえいえ……あの、それはどちらで」
「はは、これは親友の娘が数年前作ってくれてなあ。綺麗だろう」
「ええ、とっても。……ここまで綺麗な物を作れるなら、きっと素晴らしい職人さんなのでしょうね」
自分に目利きの才能はない。
彼女の作品か否かを見極めることはできない。
だが、ロックの中で確信にも似た勘が働いていた。
“これは洋裁屋キキョウの作品”だと。
ロックは短い時間で思考をフル回転させる。
親友の娘が作ったと目の前の老人は今はっきりそう言った。もし本当にこれがあの洋裁屋の作品であるならば、この老人は確実に彼女と親しい人物のはず。
「ああ。あの子は親友に似て針仕事が得意だったからな」
「なら、僕もその人が作ったものを買いに行きたいなあ……なんて」
「ほう。お前さん、若いのにこういうのに興味あるのか?」
「ええ、それなりに」
ロックはこの機を逃すまいと小さな嘘をつく。見抜かれないよう、口の端を上げたまま返答する。
老人も「ほう」とロックに興味を示し、微笑みを携えたまま話を続ける。
「はは、それは嬉しいことを言ってくれる。死んだ親友もあの世で喜ぶだろう。だが、残念ながらそれは叶わないぞ」
「……何故ですか?」
「今は遠いところにいるからな。心苦しいが、諦めてくれ」
老人の柔和な笑みが、その時ほんの少しだけ何かが変わったのをロックは見逃さなかった。
その表情に何も言い返せないでいると、老人は大事そうにハンカチを袖へ戻す。
「すまないが、儂はこの後用事があるんでな。もう少し話していたいがこれで失礼する。それとこれはほんのお礼だ。釣りは取っておきなさい」
老人はそう言いながらテーブルの上に何かを置いた。目の前に置かれた一万円札にロックは目を見開き、咄嗟に声を上げる。
「え、こんなに!? いやいや、大丈夫ですよ!」
「大事な物を拾ってくれたのと、老人の話に付き合ってくれたお礼だ」
「でも」
「老人の厚意は素直に受け取っておくものだ、青年。じゃあな」
「あ、あの……!」
ロックの声を聞きいれることはなく、老人は真っすぐレジへと向かっていった。
手早く会計を済ませると、今度はハンカチを落とすことなく外へ出て行った。
その様を呆然と眺め、老人の姿が見えなくなると困ったように眉を寄せ「……はあ」とため息を吐く。
ロックの中には、大きな魚を取り逃がしたような悔しさ。そして先程の老人に対しての疑念が残っていた。
その思いを、声音に乗せて呟く。
「……折角のチャンスだったのにな」
雪緒の苗字が鷲峰だと言う衝撃は、もう彼の中から消えていた。
喫茶店を出ると、老人は停まっている車の前まで杖をつきながら歩みを進める。
助手席に座っていた黒髪をオールバックにし眼鏡をかけた男は、老人が近づいてきたのを目に留め外へ出る。
老人が車の前まで近づくと、オールバックの男は後部座席のドアを開けた。
「待たせたな」
「随分遅かったですね。何かあったんで?」
「なに、ちょっとばかし青年と話をしていただけだ」
「青年?」
「ただの堅気だ。そう眉間に皺を寄せるな」
言葉を交わしながら車へ乗り込んだのを確認しドアを閉めた。
そのまま助手席へ戻りシートベルトを締めると、運転手に「出せ」と声をかける。
エンジン音がかかり、ゆっくりと雪道を進んでいく。
「それで、例の件はどうだ」
「まだ手を切る動きは見られません。やはり忠告したほうが良かったのでは」
「今はまだ様子見だ。儂らが手を出すには早い」
「ですが」
「向こうの出方を探るのも一つの手だ。焦る気持ちは分かるが、ちったあ落ち着け佐伯」
「……すんません」
佐伯と呼ばれた男は座ったまま頭を下げた。
「もう一方は」
「そっちに関してはもう証拠を掴んでます。予想通りあそこの下っ端が出処でした。自分の組が慌ただしい時に乗じてってところかと」
「どこにでもいるもんだな。そういう馬鹿な野郎ってのは」
老人は呆れたような表情で小さく息を吐いた。
佐伯はどことなく苛立っているような空気を感じ取りながら、恐る恐る言葉をかける。
「それも含めて今はまだ様子見を?」
「いや、先にそっちを片付ける。本題に持ち込むための材料でもあるからな。早く揃えるに越したことはない。すぐ動けるようにしとけと全員に伝えろ」
「は」
佐伯は老人の言葉を聞き、短く返答する。
二人の会話を傍から聞いていた運転手は「それにしても」と真剣な表情で話し出す。
「ウチの
「いや、あれは多分単独だろう。組絡みで動いてるってんならもうちっと上手くやるはずだからな」
「出処の野郎は外人と一緒にいたんですよ? 組がロシア人と手を結んでる時点で黒に近いと思いますが」
「高橋、憶測で物を言うなと言っているだろう。ま、そう考えるのが妥当だろうがな」
「じゃあ」
「それも含めてアイツに話を持ち掛ける。そん時にその怒りを爆発させろ。今は抑えんか」
「……はい」
老人のその言葉に、運転手――高橋のハンドルを握る力が少し弱まった。
前にいる二人の様子を後ろで眺め、口の端を上げながら言葉をかける。
「お前達には先頭に立って暴れてもらう。相手は取るに足らないチンピラだ。血気盛んなお前らには役不足かもしれんが」
「相手がどんな奴だろうとツケは払ってもらわないとでしょう。まあ、チンピラだろうとぶん殴れば少しは気が晴れる」
「というより、気が晴れるまで相手をしてもらうつもりですけどね」
「はっはっは、相変わらずだなお前達は。こりゃ、しばらく儂の出番はなさそうだ」
「残念そうにしないでください。チンピラの相手は俺達に任せて、いざって時に腰を上げてください。親父」
佐伯の言葉に老人――藤崎 仁は苦笑を浮かべ杖を撫でる。
「儂もまだまだ動けるんだがなあ」
そう残念そうに呟かれた言葉に、前の二人は同時にため息を吐きそうになった。
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喫茶店を出て、雪緒は真っすぐ帰路に着いていた。
雪が積もっている道を数十分歩けば、見慣れた家が見てくる。
“鷲峰”と書かれた表札が下がっている大きな家屋。
どこか厳かな雰囲気も漂っている玄関へ躊躇いもなく入っていく。
綺麗に並べられた靴が一つ置いてあり、雪緒はその靴の主が誰なのか一瞬で理解する。
広い廊下を進んでいくと、客人と自身を守ってくれている男の話声が聞こえてきた。
「……それは本当ですかい」
「ああ、そうや……思ったより早い帰り……」
「親っさんのことだ……ずっとこっちの情報を把握して」
話し声のする部屋へ近づいて行けば、段々話の内容がはっきりと耳に入る。
「香砂と儂らだけの喧嘩ならまだ手切れ金で片がついた。だが、もしロシア人共があの組のシマ荒してみい。関東から追い出されるだけマシ。下手したら儂ら全員首を吊ることになるで」
「それだけはなんとしてでも止めなきゃならねえ」
「ああ。だからあん人が帰ってきたっちゅうなら話をせんといかん。ロシア人に手を出される前にな」
雪緒は部屋の前で立ち止まり、黙って話を聞いている。
一瞬躊躇った後、意を決して戸襖に手を伸ばす。
部屋の中には、夕食が並んでいる座卓を囲んでいる坂東と銀次の姿があった。
「お嬢、帰っておられたんでっか」
「気づきませんでとんだ失礼を」
「……坂東さん。今のお話、詳しく聞かせていただけますか」
雪緒は真剣な表情で目の前の二人を見据え声をかける。その表情に、二人はお互い目を合わせ少し眉を寄せた。
極道が出てくる話では、すごい貫禄あるご老人が割と好きです。
普段穏やかなおじいちゃんなのに、実はすごい人だったというパターンも好物。
趣味全開ッ!!