ロアナプラにてドレスコードを決めましょう   作:華原

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47 散りゆく花

 

高級ホテルの食事スペースで、二組の男女が同じテーブルを囲んでいた。

バラライカとボリス、そしてロックとレヴィ。

それぞれ別のモノを口にし朝食を摂っている中、ロシアンティーを飲んでいるバラライカが凛とした声音で話を切り出す。

 

「軍曹、鷲峰組からは何か?」

 

「いえ、まだ検討中かと」

 

「時間の無駄だな。その他の動きは」

 

「香砂会組長と事務所へ機動隊を張り付け襲撃に備える模様。〇六〇〇時に鷲峰組事務所に捜査課の警官が事情聴取へ」

 

「順調そのものだな。予定通り、明日には本隊をマリアザレスカ号に移動させる」

 

「ラプチェフ頭目にこのことは?」

 

「教える必要はない。大頭目にも裁可を取っている。何一つ為せなかった人間にはせめて死に様で役に立ってもらおう、ということだ」

 

新しい葉巻の先端をシガーカッターで切り取りながら冷笑を浮かべ淡々と告げた。

レヴィとロックは二人の会話をただ朝食を口に運びながら黙って聞いている。

 

紫煙を燻らせ、バラライカは話を続ける。

 

 

「“彼”の方は?」

 

「彼自身は昨日帰宅してからは何も。ですが、組員を総動員し縄張りを見張っているようです」

 

「目的は」

 

「現状不明です。恐らくこちらの動きを見定めているのかもしれません」

 

「自分の縄張りが侵されていないか調べているだけ、とも考えられる。まだ彼からコンタクトはこないと見るべきだろう」

 

「そろそろ仕掛けますか」

 

「いや、まだだ。我々もしばらく様子を見る」

 

「了解」

 

どことなく愉しそうな表情を浮かべているバラライカの話をロックはあることを考えながら聞いていた。

 

 

それは、喫茶店で話した少女の事。

もし雪緒が鷲峰組の関係者であるなら、確実にバラライカが引き起こす荒事に巻き込まれる。

 

裏の世界と何も関係がない普通の人間が巻き込まれることに何の感情も湧き出てこない程、ロックはまだ“染まりきっていなかった”。

 

 

 

「……あの、バラライカさん」

 

「あら、なあに?」

 

ロックは自身の気持ちを悟られないよう、必死に冷静を装い意を決してバラライカへ声をかけた。

 

「その、もし鷲峰組が協定を破棄する場合」

 

「ロック、貴方に何か関係が?」

 

「いえ……」

 

「そうよね? 居るべきところを間違えるのはよくないわ」

 

バラライカは淡々とした声音ででロックを突き放す。今自身の雇い主である彼女の様子に、ロックは押し黙った。

 

「つれねえな姐御、いいじゃねえかよ」

 

沈黙が流れかけた瞬間待ったをかけたのは、朝食を頬張っているレヴィだった。

 

「別段秘密の話でもないんだろ? 教えてやんなよ、聞きたいって言ってんだから」

 

「えらく肩を持つじゃない、二挺拳銃。沈黙は金」

 

「そらまあそうだけどよ、ロックは身内だろ。互いの信頼も大事なんじゃねえのか」

 

「口が達者になったわね。まあいいわ」

 

レヴィの言葉に、バラライカは煙を吐き出しながら再びロックの方へ目を向ける。

ごくり、と固唾を飲みながらロックは黙って話の続きを待つ。

 

 

「ロック、この前の会合で私が出した男の名前覚えてる?」

 

「……確か、藤崎仁だと」

 

「その男の事は、この前あなた達も聞いていたわよね」

 

「はい」

 

「ああ」

 

 

 

 

“――我々ホテル・モスクワは、彼を関東和平会の最高権力者とみなしています”

 

 

 

 

ロックは自分が通訳し伝えた言葉を思い出す。

世界にも名を馳せているロシアンマフィアが一目置いている人物が、まさか日本にいるとは思っていなかった。

その人物の名前を出した途端あの場にいた鷲峰組全員が動揺していたことから、その人物は彼ら極道者にとって大物なのだとロックはその時認識した。

 

 

「藤崎組は私達のように外から来た者を好きにさせないよう上手く動いてる。少しの活動拠点は与えるけどそれ以上幅を利かせないよう圧力をかける。だから私達が確固たる拠点を構えるには彼は少し邪魔なのよ。逆に言えば、藤崎組の力さえあれば後はどうにでもなる。本当はラプチェフが彼の協力を取り付ける役割だったんだけど、彼には荷が重すぎた。だから私達が行かざるを得なくなった。一通り暴れれば彼も出てくるはずだとね。何せ彼は自分の縄張りだけはどんな手段を使ってでも守ろうとする人物らしいから」

 

 

葉巻を口に咥え、バラライカは淡々と話を続ける。

 

 

「そして予想通り、私達の動きを聞きつけた藤崎仁が予定よりも早く自分の縄張りに帰ってきた。つまり彼が動き始めようとしている今、もう鷲峰の協力はほぼ必要ない」

 

「え……」

 

「彼らの役目は私達に暴れる理由を与えてくれること、ただそれだけ。その役目を彼らはちゃんと全うしてくれた。だからもう用済みと言っても過言じゃないわ」

 

「それはつまり……鷲峰組と争うってことですか?」

 

「彼らが私達の邪魔をするならそうなるわ。だけど鷲峰組が藤崎組や香砂会に牙を向ける覚悟を決めたなら、しばらく協力関係はそのまま。とどのつまり、向こうの出方次第ってところよ」

 

「……」

 

バラライカの口から告げられた内容に、ロックは思わず眉根を寄せた。

彼女が言っているのは鷲峰組はあくまで目的のための手段。つまり、藤崎仁とやらと連携するための踏み台であるということ。

なら目標を達成した時、鷲峰組はどうなるのか。

 

「バラライカさん。藤崎仁と協力関係にこぎつけた場合、鷲峰組は」

 

「そうねえ。そうなった後は彼の采配に任せるってところかしら。日本人のことは日本人に任せるしかないから」

 

「……」

 

「まあ、でも」

 

 

バラライカはそこで言葉を区切り、ニヤリと口元を歪める。

 

 

 

「これまで歓迎してこなかったよそ者に協力した人間を、彼は許すかしらね」

 

 

 

まるで鷲峰組が決して無事では済まされない事を見抜いているかのような言い方に、ロックの心中は更に穏やかさが無くなっていく。

 

 

 

そして愉し気に言い放った彼女は、やはりロアナプラの支配者の一人なのだと改めて思い知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「――どの国でもこういう場所は辛気臭いな」

 

東京の中心街から少し離れた場所。そこは多くの墓石が並ぶ大きな墓地。

誰一人いない中、雪道を黒髪に茶色の瞳をした高身長の男は歩いていた。

右手には数本の紫の花。左手にはベージュのロングコートのポケットから取り出した一つの紙切れを持っている。男は紙切れと墓石を交互に見ながら、歩みを進めていく。

 

 

 

ひたすら歩き、やがて一つの墓の前で足を止めた。

その墓石には、“重富春太之墓”と刻まれている。

 

そして墓石の前では初老の女性が一人、線香をあげ手を合わせている最中だった。

日本での墓参りのマナーは知識として知っていたお陰で、ヨーロッパ系の顔つきをした男は邪魔をしないでおこうと女性が動き出すまで待つことにした。

 

――数分後、女性はやがて徐に腰を上げ後ろを振り向いた。

気配を感じていなかったのか、黙って突っ立っている男を見て女性は驚いたような表情を見せる。

 

 

一呼吸間を空けた後、男から先に口を開いた。

 

 

「オドロカセてしまいスミマセン。ここは、ハルタ・シゲトミのハカでマチガイナイでショウカ?」

 

「え、ええ。あなた、外人さん?」

 

「ハイ。カレがイタリアにイタトキ、セワにナリマシタ」

 

女性は戸惑いながらも、柔らかい口調で男の質問に答えた。

男も柔和な笑みを浮かべ、片言で女性との話に応じる。

男の答えに「まあ」と女性は嬉しそうな表情を浮かべ、再び口を開く。

 

「そうなの。日本語お上手ねえ」

 

「ソレホドデモ」

 

「あなたも彼の服、着たことあるの?」

 

「エエ。トテモステキナフクをシタテテモライマシた」

 

「あら、じゃあ私達揃って彼のファンってことになるわねえ」

 

「ソウデスネ。ホントウに、ナクナラレタのがザンネンです」

 

「……そうね」

 

眉を下げ、寂しそうに男は微笑んだ。

その表情に釣られ、女性も一呼吸間をおいて言葉を発した。

 

少しの沈黙の後、女性は墓を見ながらぽつぽつと喋りだす。

 

「彼はとても素晴らしい仕立て屋さんだったわ。人柄の良さなのか、皆彼の事が大好きで。亡くなった今でも色んな人が墓参りに来るのよ」

 

「……」

 

「特にたった一人のお弟子さんはものすごく彼を尊敬しててね。だから彼が亡くなった時、誰よりもショックを受けてしばらく引き籠っちゃって……。だけどね、何か月かした後その子が重富の看板を掲げてまた商売を始めたの。それを聞いた時、私も含めて沢山の人が喜んだわ」

 

「……」

 

「でもまさか、あんな事が起こるなんて思わなかったわね」

 

「……アンナコト?」

 

男はしばらく黙って聞いていたが、衝動的に疑問を口にする。

女性は男の期待に応えるように話を続ける。

 

「お弟子さん、商売を再開して数か月後に亡くなったのよ。それも、父親と無理心中したって」

 

「……オヤと、シンジュウ?」

 

知らない。そんな情報どこにもなかった。

これまでいくら調べても重富春太の弟子について何も出てこない。

何の手がかりもないのかと諦めていた。

 

だが、目の前の女性は自身が知ることができなかった貴重な情報を持っている。

これは絶好のチャンスだと男は心の中でほくそ笑んだ。心の内を悟られないよう、真剣な表情を浮かべる。

 

 

「ドウシて、ソンナことシタンデショウか」

 

「お弟子さんとお父さん、何年も会ってなかったらしいの。自分の子供に会えなくて自暴自棄になった父親が無理矢理……って聞いたわ」

 

「ソンなハナシ、ハジメテキキマしタ」

 

「無理心中の話は当時すごいニュースになってたけど、その子が重富さんのお弟子さんっていうのはあまり知られてないの。彼もお弟子さんもあまり外に出たがらなかった上にしばらく海外へ行っていたから」

 

「……ナラ、ドウシテあなたはそのジョウホウをシッテイルノですか?」

 

「私は重富さんが洋裁屋を始めた時からの知人だったの。そのお弟子さんとも少し仲良かったのよ」

 

彼女の言葉に思わず目を見開く。

そして、緊張で心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。

目の前の女性は自分が一番知りたい情報を確実に持っている。

 

ここで逃がしたらもう二度と手に入らない。

久々に味わう失敗できないという緊張感の中唾を飲み込み、徐に言葉を発する。

 

「ゼヒ、ソノオデシサンのオハカにもオジャマシタイデス。オデシサンのオナマエをオシエテクダサイ」

 

「……遠路遥々、外国からこっちに来たんだものね。アナタになら教えても大丈夫でしょう」

 

女性は微笑みを浮かべ、再び柔らかな声音を出した。

男は無意識に花を持っている手に力を入れ、彼女からの答えを待つ。

 

「あの子の名前はね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちょっとした報告をするつもりで来ただけだったんだが、まさかこんなところで貴重な情報を手に入れられるとは。二時間以上かけて来た甲斐があった」

 

女性とひとしきり喋った後も、男は一人墓の前に立っていた。人一人いない中、イタリア語で墓に語りかけている。

 

「あんたの弟子、ホント不幸な体質だよな。何があったのかは知らねえが、親と無理心中っていう汚名を着せられている上にあの街に住んでるんだからよ」

 

一切光が入っていない底の深い暗さを持った瞳で墓を見据え、冷笑を浮かべる。

 

「知ってるか? あんたの弟子、今は“キキョウ”って名乗って世界中の悪党どもが集う街で身一つで洋裁屋営んでんだ。しかもマフィアに媚び売って、今じゃ香港マフィア野郎の妾になってる。……可哀想だなあ、たった一人の弟子がそんな売女に成り下がっちまって」

 

 

鼻で笑い、憐れむような目線を墓に注ぐ。

 

 

 

「あんたもそっちで何時までも一人じゃ寂しいだろ? 哀れな弟子で喜ぶかは分からねえが、俺が直にそっちに送ってやる。まあ、行先が地獄なのか天国なのかは知らねえがな。あ、言っとくが殺さないって選択肢はねえぞ。“あの人”を追いやった罪は、命で償ってもらわねえとな」

 

 

 

くくっ、と一つ笑い、男は持っていた花束の包装を丁寧に外す。続いてポケットからライターを取り出し火を点けた。

 

 

 

 

 

「本当、ここに来れてよかったよ」

 

 

 

 

嬉しそうな表情を浮かべそう呟いたのと同時に、ライターの火へ花を近づける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして、すぐさますべての花に火が移る。

男は見せつけるように花を前に突き出し、燃えている様を眺めた。

 

やがて手元に火が来る前に雪が積もっている地面に落とす。火が小さくなったのを見やり、男は追い打ちをかけるように花を踏みつぶした。

 

 

 

 

 

 

綺麗に咲いていた桔梗の花の残骸を残し、男は口元を歪めながらその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

鷲峰組本邸で雪緒や銀次と夕食を摂った後、坂東は一人雪道をひたすら歩いていた。

白い息を吐きながら、亡き組長の一人娘と若頭代行との先程の会話を思い返す。

 

『――あたしは反対だ。お嬢にゃ何の関係もねえ話だ』

 

『銀公、お嬢はなんのかのいうても親父の直系や。身の振り考えていただく猶予は必要やろ』

 

『冗談じゃねえ。親父の命に逆らうんですか』

 

『銀さん、関係なくはないんです。……私はこの家で育った、鷲峰龍三の娘です。関係ないなんて、言えないんですよ』

 

そう言い放った彼女の表情はどこか戸惑いが滲んでいたのを坂東は分かっていた。

だが、それでも話を聞かせないわけにはいかなかった。

 

『実を言うと、親父が忌んで最初の総会でほぼ鷲峰組を解体するっつう方針になりかけとったんです。上納金もろくに納められん組を存続させる理由はない言うて、香砂は強引に解体にこぎつけようとしとった。――そこに待ったをかけてくれたのが藤崎の親っさんだった』

 

『藤崎……』

 

『親父の葬儀ん時に香砂政巳や他の組長達が頭を下げていたご老人、覚えておりやせんか?』

 

『……あの人が?』

 

『関東和平会を立ち上げた大物ですわ。親父もあん人には世話になったとよう話を聞かせてくれた。とにかく、そん人が総会ん時なんとか解体を免れるよう納めてくれたんやが、あの香砂が素直に首を縦に振るわけがなかった。組を解体しない条件として、直系が組長を継げと言ってきやがった』

 

『それじゃあ』

 

『そう、直系だ。そりゃお嬢しかいねえんです』

 

『藤崎の親っさんもそれはあまりにも横暴だと言ってくれたんやが、いくらあん人でも親と子の関係にそこまで強く口出しはできへん。ならせめて代行を送るっちゅう事で話はついた。今の鷲峰組は、親っさんのおかげで首の皮一枚繋がっとる』

 

『だが、その代行もろくなもんじゃなかった。うちの縄張りを内側から狭めて、尚且つ盃の格を下げる。じわじわ首を締めにきやがる』

 

『だから、和平会と何の関係もないロシア人と手を組んだんですか』

 

『ええ。もうこれ以上、親っさんの脛をかじって生き永らえるわけにはいかねえんです。自分らの組の事は自分らで立て直さなあかんでしょう――』

 

そう。自分たちの事は自分たちで何とかしなければならない。

だからこそ、関東和平会の枠組みに当てはまらないよそ者と手を組んだ。

だが、こちらのルールを一切無視し、何もかも荒そうとすることまで予想ができなかった。

 

それが自分の最大の過ちだったことを、坂東は雪緒に話を聞かせている間改めて自覚した。

 

己のせいで組にとって大恩ある人物に火の粉が降りかかろうとしている。

その火の粉がかかったら最後。組員だけでなくもしかしたら雪緒まで巻き込んでしまうかもしれない。

 

さく、さくと雪道に足跡をつけながら、坂東は灰色の空を見上げ盛大に息を洩らす。

 

やがて意を決したように、コートのポケットから携帯電話を取り出した。

ある番号の一桁目を押した瞬間、数歩先に一台の車が停まっているのが目に入る。

その銀色の車の前には、黒髪のオールバックに眼鏡をかけた男が煙草を吸いながら立っていた。

 

男の姿をはっきり目に映すと、携帯電話をポケットの中に戻し真剣な面持ちで近づいていく。男は近づいてくる坂東に気づくと煙草を携帯用灰皿に入れ、眼鏡の奥から坂東を見据え口を開いた。

 

「よう坂東、久しぶりだな」

 

「お久しぶりですな、佐伯さん」

 

「散歩か?」

 

「いや、今から帰るとこですわ。佐伯さんはどうしてここにいらっしゃるんで?」

 

「親父の使いでな。――自ら手を組んだロシア人の事で手をこまねいているはずの男を迎えに行けとな」

 

「……」

 

佐伯の言葉に坂東は目を見開いた。

やがて納得したように徐に目を閉じ、深く息を吸って吐いた。

 

「藤崎組の若頭に迎えに来てもらえるとは、こりゃ贅沢ですな」

 

「軽口を叩くくらいには元気そうでよかったよ。……覚悟はできてんだろうな」

 

「親を刺そうとした時からとっくに決めとりますよ」

 

「そうか。じゃ、早速このまま向かうぞ。乗れ」

 

「へい」

 

佐伯はそう言うとすぐさま助手席へ乗る。運転席には佐伯と行動をほぼ共にしている高橋が座っていた。

坂東は一呼吸間を空けた後、後部座席へ乗り込んだ。

バックミラー越しに高橋が見据える中、坂東は徐に彼にも声をかける。

 

「すんませんなあ、高橋さん。あんたにも迎えに来ていただいて」

 

「……敬語はやめてくださいよ坂東さん。俺はあんたよりも遅くこの世界に入ったんだから」

 

「そういう訳にはいかんでしょうや」

 

ほんの少し口の端を上げている坂東とは対照的に高橋は無表情で言葉を交わす。

 

「出せ、高橋」

 

エンジン音が響き、ゆっくりと車が動き始める。

目的地に着くまで誰一人言葉を発さず、ただ殺伐とした空気が充満していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐伯と高橋に車で連れられた先は、鷲峰組本家よりも遥かに広い日本家屋。

若頭である佐伯に着いて行き大きな門を潜る。廊下を歩いていくと、これもまた広い庭園が見えてくる。

砂利が敷き詰められたその庭には、葉一つない寂れた桜の木が一本聳えている。

桜の木を一瞥し、数か月後には満開に咲くであろう様を思い浮かべた後すぐさま視線を再び佐伯の背へと向けながら歩みを進める。

 

しばらく歩いていれば、ふと佐伯が一つの部屋の前で足を止め部屋の向こうに声をかける。

 

「親父、連れてきました」

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

部屋の中から聞こえてきた声に、坂東は一気に凄まじい緊張に覆われた。

その心情を知ってか知らずか、佐伯は躊躇いなく襖を開ける。

 

 

 

広い畳の部屋の奥には、悠然と居座っている老人が一人。

 

 

 

「よう坂東、久しぶりだな」

 

「お久しぶりです、藤崎の親っさん」

 

「立ち話もなんだ。まあ座れ」

 

「失礼しやす」

 

坂東にとって普通ならこうして会うことも言葉を交わすことも叶わない人物。

極道者の頂点として名高い藤崎組組長の視線は、真っすぐ坂東を射貫いていた。

 

だが、極道者の端くれとして。一つの組を背負うものとして怖気づくわけにはいかなかった。

しっかりとした足取りで中に入り、藤崎仁と向かい合わせるかのように置かれている座布団の上に正座する。

 

「佐伯、表に出てろ。二人きりで話がしたい」

 

「は」

 

短くそう告げると、佐伯は言葉通り颯爽と部屋を出た。ぱたん、と襖が閉まる音が静けさが落ちている部屋に響く。

藤崎と坂東はお互い見据えたまま、一向に口を開かない。

 

坂東は心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、ただ相手からの言葉を待つ。

 

この場で先に口を出せる権利など己にはない。

それほどの事をしでかした。当然のことだ。

 

自身にそう言い聞かせながら、己を見据える瞳から逃げないよう真っ向から見つめ返す。

 

 

 

 

――しばらくした後、やがて先に動いたのは仁の方だった。

 

 

 

 

「自分の立場は理解してるようだな。それだけは褒めてやる」

 

「……」

 

「さて、言い訳を聞かせてもらおうか? 他でもないお前の口からな」

 

「……はい」

 

一言一言が全て重い。

その重さに押しつぶされそうになりながらも、坂東は何とか言葉を紡ぎ続ける。

 

 

 

 

 

代行人を抑えるのは限界であること。

自分たちの組の事は自分たちで何とかしなければならない。故に行動を起こしたこと。

ロシア人なら和平会に囚われることなく動いてくれると考え手を組んだこと。

藤崎仁にこれ以上甘えるわけにはいかないこと。

 

 

 

――それら全てを吐き出した。

 

 

 

 

仁は坂東の話に呆れることも嘲笑するでもなく、ひたすら真剣な表情で耳を傾けた。

 

話を終え、拳を握り眉根を寄せている坂東を見据え徐に口を開く。

 

「全くお前は。どうしてそう切羽詰まる前に儂に……いや、もう儂には頼りたくないんだったな」

 

「……」

 

「まあ、それはもういい。起きちまったことは変わらん。今は先の話をしようか」

 

鋭い視線を向け、低い声音へと変わる。

 

「お前、儂が外のモンからの圧力を抑えるために動いていたのは知ってたはずだよな?

そんなお前が自ら露助を手引きした。そのおかげで、儂のこれまでの行動全てが水の泡となってもおかしくない状況になっている」

 

「……」

 

「お前、この落とし前どうつけるつもりだ」

 

その言葉に更に拳を握る力を強めながら、坂東は自身の考えを言葉にする。

 

「ロシア人のボスと話をつけます。何があろうと、これ以上親っさんに迷惑は」

 

「あの暴風雨のような露助に話が通じると思ってんのか? ラプチェフが相手ならまだしも、武力に特化したマフィアなら話が違ってくる。東京でも力がある香砂でさえ抑えられてねえ相手をお前ひとりでどうにかできるなんてのは甘い考えだ」

 

「……」

 

「それとも、刺し違えようって考えだったか?」

 

瞬間、飛んできた言葉に思わず目を見開いた。

その表情を見逃すわけがなく、仁は「図星か」と呆れたように呟く。

 

「そうしたところでお前が死ぬだけで、向こうはただ好きに暴れるのは変わらんぞ」

 

「な……」

 

「そうだろうが。相手は一等暴力に長けた人間だぞ? その頭となれば一筋縄じゃいかねえ。お前がそれを一番理解してんじゃねえのか」

 

「……」

 

「それで、そうなっちまったら残りの鷲峰組の連中はどうするんだ。お前が死んだ後、あいつらがそのまま引っ込むと思うのか」

 

「……」

 

「あいつらも極道者だ。自分たちの頭がロシア人に殺されて黙ってるわけがない」

 

自分の命で事足りるならそれでよかった。

 

しかし、それでは終わらないと目の前の大物は断言している。

 

――だが、それでも坂東には引くわけにはいかない理由があった。

 

「だとしても、これは儂が招いた結果や。なら儂が先にけじめをつけるのが極道の筋ってもんでしょう」

 

組の頭として。一人の極道者として筋を通し死ぬ。

それでしかけじめをつけられないところまで来ていることを坂東は理解していた。

 

「アンタも言ったようにアイツらも極道や。儂が死んだあと、ロシア人と決するゆうならそれも覚悟の上でしょうや」

 

「……」

 

「儂らはアンタも認めた鷲峰龍三の息子や。命の一つや二つ、いつでも捨てる覚悟はできてるさかい」

 

微動だにせず自身を見据える坂東の視線を藤崎は真っ向から浴びる。

覚悟を決めた男の目を、藤崎もまた同じように見つめながら低い声音で言葉を返す。

 

「そう、儂らはそういう生き物だ。筋だ仁義だと言いながら死ぬのが本望。お前らがそう思うのも自然だろうさ。――だが、龍三の娘は違うだろ」

 

「……ッ!」

 

「お前らが居なくなった後、あの娘はどうするんだ」

 

「それ、は」

 

「香砂がそこにつけこまない訳がない」

 

「……お嬢は堅気だ。アイツらもそうそう手出しは」

 

「香砂だけじゃない。ロシア人だって狙いをつけるぞ。人質に取るくらい簡単にできるだろうよ」

 

坂東は藤崎の口から出た人物に思わず動揺する。

先代組長が遺したたった一人の忘れ形見。

彼が心の底からこの世界とは違う平和な人生を歩んでほしいと願った一人娘。

 

 

もし自分たちが居なくなった後、誰が彼女を守ってくれる?

 

 

頼りがない状況で、一体誰が。

 

 

けじめをつけることしか頭になかったせいで、雪緒を蔑ろにしていたことを坂東は今思い知った。

俯きひたすらどうすればいいか頭を回転させていると、藤崎は一呼吸間を空け更に言葉を続ける。

 

 

「それに、お前がけじめをつけるべきものはもう一つある」

 

 

唐突に出された話に、坂東は思わず顔を上げた。仁は着物の袖から数枚の写真を出し話を再開する。

 

「これに写ってる男。お前んとこのもんで間違いねえか?」

 

「……ええ。確かにこいつはウチの若いモンです。こいつが何か?」

 

「やっぱ知らなかったんだな。たく、若いモンの管理もできなかったほど余裕がなかったのか」

 

はあ、とあからさまなため息を吐かれ坂東は眉根を寄せる。一体何の話だと、藤崎からの言葉を待った。

 

「そいつはな、藤崎組(うち)縄張り(シマ)でヤクをバラまいてやがった。しかも、日本じゃ確認されなかった新しいモンだそうだ。警察から色々聞かれたが、儂がその商売を好まんことは奴さんも知っているからな。そこまで大事にはならなかった」

 

「なっ……!」

 

「こいつがロシア人とは別の外人と手を組んで銀座で商売をしてやがった。大元の売人はこのいけ好かない西洋人だが、少なくてもお前んとこの若いモンがヤクを広めたのは確かだ」

 

坂東は仁から聞かされた話に驚きを隠せなかった。

ロシア人絡みでも何でもない部分で、自分の組がすでに藤崎組に喧嘩を売っていたことなど考えもしなかった。

正直今でも信じられない。

 

だが差し出されている数枚の写真には、外人と仲良さげに喋っている自分の組員の姿が写っている。

そして何より、目の前の人物の表情がそれら全てが本当の事なのだと物語っていた。

 

「ロシア人の事だけならまだマシだった。儂の組には今のところ被害も損もなかったからな。だからお前の好きにけじめをつけさせようと思っていた。――だが、これに関しちゃ話は別だ」

 

坂東は頭を押さえつけたくなる感覚に襲われた。

ロシア人や雪緒の事だけでも手一杯だというのに、こんな予想だにしない異常事態にどう対応すればいい。

 

最早思考を動かすことさえ億劫になる。

 

「どちらかと言えばこっちの方をどうにかしてもらいたいんだが……余裕のねえお前にこれ以上求めても何も出ねえだろうな」

 

「……親っさん、そいつについてはロシア人の前に早急に儂らが片をつける。だから」

 

「いや、ここまで事を起こしやがったお前らにはもう何も期待していない。“何もな”」

 

「ッ……!」

 

恩ある御仁にここまで言われてしまえば、もうこちらの言い分は何も通用しないだろう。

けじめをつけようにも、それさえも求められていない。

坂東はあまりにも滑稽な様に、自分で笑いそうになった。

 

何も言い返せないまま黙っている坂東を目に映し、仁は再び口を開く。

 

「だから、お前のけじめのつけ方は儂が決めさせてもらう。それで文句はねえな?」

 

「……え」

 

「あるとは言わせねえぞ。もうお前にはその道しかねえんだ、腹括れ」

 

「……」

 

坂東は仁の言葉に再び目を見開いた。

自分が考えたけじめはつけさせてはくれない。

だが、どんな形であろうと己にけじめをつけさせようとしてくれる彼の裁量に坂東は心の中で感謝した。

 

ここまで来てしまえば、確かに他の道はない。

 

 

 

坂東は一つ息を吐き、やがて床に手をつき頭を下げた。

 

 

 

 

「この坂東次男、どんなけじめも受け入れやす」

 

 

「いい覚悟だ。――極道者らしいじゃねえか、坂東」

 

 

 

 

坂東の上から降り注いだ声には、どこか嬉しそうなものが滲んでいた。







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