「いやぁ、ははは。あぁ、疲れた。久しぶりだよ、こんなに体を動かしたのは。……でも、お嬢ちゃんがはじめに言った通りだね。健康のためには運動だ、ってさ。おじさん、はじめはお嬢ちゃんがあんまり怖い顔で追いかけてくるから、逃げるのに必死だったんだけどもね。途中からなんだか気分が良くなってきたんだ。重たいものがどんどん落ちていく感じでさ」
ねぇスーさん。夕陽ってどうしてこうも綺麗なのかしら。こんな鬱病のおじさんと隣り合って眺めてるのに、焼ける川面の綺麗さときたら。こんな、鬱病のおじさんと一緒なのに綺麗なんだもん。きっと夕陽には、ほんとうになにかがあるのかも。
「ふふん。だから言ったじゃない。運動よ、運動。健康のためには運動がいちばんなのよ!」
「ああ、ほんとうだね。お嬢ちゃんのおかげで、今ならなんでもできそうだよ! ありがとうね、お嬢ちゃん」
「どうってことないわ! 私は薬売りだもん。病気を治すなんて、わけないのよ!」
ふふ、おじさんったらもうすっかり元気ね。えーりん先生は私が薬売りをやるのはまだ早い、なんて心配してたけど、全然。もう立派に薬売りね。だっておじさん、こんなに元気そうだもの。もう完全に治っちゃったわね、鬱なんて!
「うん、ほんとうだね。ほんとうにお嬢ちゃんのおかげだよ、もうすっかり元気さ。そうだ! お礼にお嬢ちゃんに絵を描いてあげよう。お嬢ちゃんの絵だよ。もうしばらく描けていなかったけれど、今なら良く描けそうだ」
「ほんと! 私の絵って、私を描いてくれるの! えへへ、別に、そこまでしてくれなくてもいいんだけど。まぁ、おじさんがどうしても描きたいっていうなら、仕方ないわね。えへへ」
な、なによスーさん。そりゃ、嬉しいに決まってるじゃない。だって私の絵よ? 自分を描いてもらうのなんて初めてなんだもん。えーりん先生には、お客さんからあんまり物とか貰っちゃダメ、って言われてるけど、これは仕方ないわよ。おじさんが描きたいって言うんだもの。
「ああ! そうと決まれば早速帰って描かなきゃね! や、ほんとうにありがとうお嬢ちゃん。全部君のおかげだよ、それじゃあ!」
あーおじさんったら、笑いながら走って行っちゃったわ。ふふ、なんだか子供みたい。
じゃあ、私達も帰りましょうか。ちょっと遅くなっちゃったけど、ひとりの人間の病気を治したんだもん。えーりん先生だって、褒めてくれるに違いないわ。
ああほんと、夕陽って、どうしてこんなに綺麗なのかしらね。
永遠亭に着いて、うさぎさん達に挨拶しながら廊下を抜けると、すぐに医務室の扉が見えてくる。
ああどうしよう。きっと先生に褒められちゃうのよ。それはもう、たくさん! なんだかワクワクしちゃう。
「先生ただいま! ねぇ聞いてよ先生! 私、今日がはじめてのお仕事だったのに、おじさんの病気治しちゃったの!」
「うん、本当! おじさんったら別れ際、もうすっごく元気でね。うん、うん。私の絵を描いてくれるんだって、うん。約束したんだから! おじさん、ずっと絵を描けなかったって言ってたのに、私と話したあと、今なら良く描けそうだ、って、なんでもできそうだ、って言ってたわ! ね? 言ったでしょ、先生。私だって、もう立派にお仕事できるんだから!」
……。
…………。
私がそう言うと、先生は血相変えて出て行っちゃった。きっとおじさんのところに向かったんだろうけど、どうしてかな。私、なにか間違えちゃったのかな。でも、もしそうなら、なにか言ってから行ってほしかったな。あんなふうに血相変えて、急を要するー、みたいな感じで出ていかれたら、私だってすこし、不安になっちゃうもん。
追いかけようと思って急いで廊下を走ったら、玄関で靴紐を結んでる先生がいた。ねえスーさん、なんて声かければいいのかな。
「先生、あの……」
私が言い淀んでいると、振り返って私を見やる先生も言葉を詰まらせた。言葉が詰まるってことは、言いたいことがたくさんあるってことよね。
「……優曇華の様子を見ていてちょうだい」
でも、先生はそれだけ行って、急いで出て行っちゃった。
それしか言わなかったのは、急いでいたからなのかな。それとも、私が子供だから? さっきまであんなに、褒められるんじゃないかって、楽しみだったのに。なんだかちょっと落ち込んじゃう。
うん。薬売り先輩のとこ、行かなきゃね。
薬売り先輩の部屋に入ると、先輩はむしろ慰めてくれたの。自分のほうがよっぽど大変なのに、私を気遣ってくれるなんて。先輩のそういう優しいところ、好きだな、私。
おじさんのことを話したら、先輩はちょっと悲しそうに微笑んで、病気について少しだけ教えてくれた。
急に元気になったときが、一番危ないんだって。
頭の中で、おじさんが楽しそうに私の絵を描いてるところを想像しようとしてみたけど、不思議と、浮かぶのは出会ったときとおんなじ、暗いおじさんの姿だった。
なんでかしらね、不思議よね。スーさん。
だって、さっきまで、あんなに元気だったじゃない!.