9月下旬、鈴虫が鳴かなければ夏だと勘違いさせてしまうほどに熱い夜、少しばかりの潮風が吹く港町の海沿いの道でなければ暑さにやられて倒れて、翌朝にはミイラとして発見されるかもしれない等とバカげたことを空想しながら佐久間裕司は自転車を押し歩いていた。
佐久間裕司は警官で、警察学校を卒業して、この小さな町を守るべく署に配属になったのだが、まぁ、田舎町のためか事件らしい事件に遭遇しないのだ。
数か月前には牛の出産の手伝いを行い、数日前は自転車のパンクを専門でないのに任されて出来ないと言うと小言を言われて、極めつけは今回の深夜パトロールである。
提案者は町の長老会の方々なのだが「町の安全向上のために深夜も不審人物が出歩いていないかパトロールを実施しよう」と唐突に提案したのであるが、深夜のパトロールは老人には辛いので警察の方々にお願いしたいと押し付けてきたのだ。
署長は酒の席だったためか潔くOKをしたらしいが酔いが覚めた翌朝にそんな話になっているのだから言い逃れ出来ずに署で一番若い佐久間に白羽の矢、というか、また押し付けたのである。
もう一人、上条さんという佐久間と4つ歳の離れた先輩も同行させるはずだったらしいが、約束の時間になっても起きないため迎えに行くと、案の定、忘れて自分の長屋で眠っていて出てこなかったため、仕方なく一人でパトロールをすることになり、真面目にやる気も起きないため涼しい海沿いの道を一回りしてから帰ろうと考えていた。
結婚もして子供も生まれたのだからもう少し家族に時間を割きたいものだと、またしても愚痴をこぼしてしまう。
この前、息子の大輝にちゃんと11歳の誕生日は休みを取ってどこかに出かけようと約束したのだが牛の出産の手伝いに駆り出されて結局行けずじまいとなり「お父さんの嘘つき!」と言われたときは親心に来るものがあり、これからは家族の時間を大切にしようと誓ったのだがその誓いも果たせずじまいになっているのが現状なのである。
ふと、頭の中に、俺が本当に憧れていたものってなんだっけという言葉が過るが波が防波堤に当たる音が沈んでいく自分の心を一瞬で冷静に戻してくれた。
その時だった。
波の音や鈴虫の鳴く声、潮風の音に紛れて、小さいながらも聞こえてくる音
港町ならよく聞くような個人漁船のモーターの音と船の船体が波を切って進む音
だが、いつも聞く個人漁船の小さな音ではない、馬力というか、根本的に運んでいる船の大きさが違うように感じさせてくるそんな音に佐久間は不信感を覚えた。
確かに深夜に個人漁船を出して沖に釣りに行くような人はいるが、何かが違うと佐久間の本能というか直感がそう告げていたのだ。
取り合えず、上条さんが起きるまで電話を掛け続けて、眠そうなジャージ姿の上条さんを同行させ、船着き場に向かうと一番大きな船着き場の駐車場にはこんな真夜中には不自然な大型の貨物トラックがあり、5~6人の男達が船から明らかに魚が入った入れ物ではないような大小様々な大きさの荷物をトラックに運びこんでいた。
こんな事例を警察学校などでも聞かされた覚えがある、そう、密輸犯の現行犯だった。
隣で目を凝らしていた上条さんも本物を見るのは初めてのことのようで少しばかり震え、眠気も吹き飛んでいたようだ。
「自分が注意を引き付けますから、上条先輩は本部に応援要請をお願いします」
佐久間は膝が震えている上条に無線機を渡しては、無謀だと知りながらもトラックの方へと音もなく近づいていった。
佐久間はまず半開きだったトラックに乗り込みキーを抜き取ってから内ポケットにしまい、トラックの影から顔を少し出して正確な人数を数え、本部から応援が来るまでの十分間、どうやって時間を稼ぐかその場で考え始めた。
相手は5人、もし武装していたとしても拳銃やナイフなどの懐から出せるようなものしか装備していないだろうと考えると圧倒的に不利という訳ではないが、正直な所、勝算はないに近い
でも、時間さえ稼げればいいんだ。そう心の中で唱えては影から姿を現して警官に配備されている拳銃を構える
「止まれ!ゆっくりと両手を頭の後ろにつけるんだ」
警官人生の中でこのセリフを実際に言うことになるとはなんて考えながらも、銃口を向けられた5人はこちらを見てはびっくりしたように案外あっさり両手を頭の後ろに着けた。
その瞬間に5人の中の一人が「あ・・」と言った瞬間に何かがバシャーンッと水面に叩きつけられて、しばらくするとぶくぶくぶくと沈んでいく音が聞こえた。
すると5人の中でも一番大柄な男が「何やってんだ!東条!大事な荷物落としやがって!」と落としてしまった小柄で少し小太りな男に怒鳴った。
「へ、へい!すいやせん!」と小太りの男は小心者なのかどことなく裏返ったような声で答えて銃口が向いているのをもう一度見ると「ひぃっ」と鳴き声を上げて手を頭の後ろに組んで震えていた。
しばらく重苦しい沈黙が続いて大柄の男が口を開き「なあ、警官の兄ちゃんよぉ」と佐久間に話しかけて来た
「あの荷物は俺たちにとっても、あんたらにとっても、落としたままにしとくとマズいもんなんだわ、だから、探させに行く時間をくれないか、もちろん、探して見つかったらあんたらに引き渡す、どうだ?悪かねぇだろ?」
物語などで登場するテンプレートな悪役かのようにその男は佐久間に提案を持ち掛けた、だが、佐久間とて警官だ、悪人の提案に「はい、そうですか」と頷く事もできない。
「その提案には承認できない、お前らには悪いが、お前らが逮捕されてからじっくり捜索させてもらうよ」
佐久間自身もなかなかに気障なセリフだなと少し恥ずかしく思いながらもそう言うと
「いや、時間はかけない方がいい、見つからなくなるからな」と大柄の男は返した
なぜ、こんなにも急いでいるのか引っかかったが「それでも、お前らに探させることはできない」と佐久間が言うと割り入るように小太りの男が「いいから!早く探さないと溶けて動く出しちまうん」とすべて言い終わらない時に区切るように「喋るんじゃねぇ!東条!」と大柄の男が叫んだ。
その数秒後、パトカーがサイレンを鳴らしながら現場に到着した。
5人の男達は応援に来た他の警官に連れていかれ、そんな中で大柄の男は佐久間の方を一度振り向き「早いところ見つけてしまわねぇと、とんでもない目に合うぜ」と叫んではパトカーの中へと詰め込まれて行った。
その後は応援に来た刑事に事情説明と先ほど言っていた落ちた荷物の事が気になり、刑事達に落ちていった荷物の捜索を依頼すると翌日の朝から捜索を開始するということで「こんな夜遅くまでご苦労だった」と刑事に言われて佐久間は家路につくことにした。
家に着くと、息子と妻はもうすでに眠っており、二人の寝顔をやさしく撫でてはシャワーを浴び、疲れ切っていたのか泥のように眠りに付いていた。