「なんだ、それは……」
とある日の休日。いつも通り中野家にお邪魔し、いつも通り授業を始めようとした矢先に風太郎は己の眼を疑いたくなる光景を目の当たりにした。
リビングで姉妹五人が揃っている。それはいい。最近は仕事が忙しくて個別に授業をしている一花も今日は珍しく顔を見せているのは大変喜ばしい事である。やはり彼女達は五人揃ってこそだ。普段なら素直に喜べたし、授業も一段と気合いを入れただろう。
問題はその手だ。五人全員が何やら左手に奇妙なものを嵌めているのである。
「見て分からないかしら」
可愛らしくこてんと首を傾げる二乃にそうじゃないとツッコミを入れたい。それが何かを聞いた訳ではないのだ。
彼女達が手に嵌めているもの。所謂パペット人形という奴だ。親指と小指で両手を、残りの指で口を開閉して動かす人形である。昔、幼いらいはを相手にこれで遊んであげた事もあり勉強以外は色々と疎い風太郎でもそれくらいは知っていた。
パペット人形は分かる。だが、何故中野姉妹が揃いも揃ってパペット人形なんてものを手に嵌めているのか理解できないし、何よりも……。
「二乃が作ったのか? それ」
「当然よ。可愛いでしょ?」
「い、一応聞くが何のキャラクターだ?」
「分からない?」
「……残念ながらある程度は見当が付いている」
「ふふ、ならお察しのとおり……フー君よ! 名付けてフー君パペットッ!!」
「……」
どや顔で『フー君パペット』なる物を見せつける二乃に風太郎は頭痛がした。
本人の許可なく勝手に製作された己の人形をこうも堂々と自慢されては取り付く島もない。
「今度は人形かよ……」
しかもこれが一度目ではないのだ。以前にも二乃はそのずば抜けた女子力を余すところなく活用し通称『フー君抱き枕カバー』を自作していた事があった。あの時は言葉を失ってその場で立ち尽くしたのを覚えている。
いくら真正面から好意をぶつけてくると言ってもここまで来ると気恥ずかしさよりも恐ろしさが先に来るというものだ。仮にそれを作ったとしても、せめて自分の見えない範囲でやって欲しい。何故本人の目の前で勝手に作成されたグッズを堂々と発表するのだろうか。しかも今度は二乃だけではなく、何故か他の姉妹まで所持している。無許可で製作どころか量産までされているフー君グッズに恐怖しか感じない。
「……とりあえず人形はしまえ。勉強を始めるぞ」
「ねえ、フータロー」
どうせ抗議したところで無駄だと前回の枕カバーの時に分かっているのでここは諦めるしかない。フー君パペットを華麗にスルーして授業に取り掛かろうとしたが、風太郎の袖口に三玖の持つフー君パペットがガブリと噛みついてきた。
「……なんだ、三玖」
「少しだけ待って」
「どうした?」
「勉強前にフータローにフー君パペットの吹き替えをお願いしたい」
「…………」
何かの聞き間違いだろうか。三玖の口から理解に苦しむ言葉が吐き出された気がしなくもないが、きっと気のせいだろう。そのまま無視して教科書を開こうとした。
しかし、えいっ、と三玖はフー君パペットを巧みに使い今度はハムハムと袖を咀嚼してきたので流石に無視できず風太郎は大きく嘆息した。
「……離してくれ三玖。勉強ができないだろ」
「吹き替えをお願いしたい」
「だから、勉強をだな」
「お願いしたい」
「……」
この三女、どうやら譲る気はないようだ。これで中々強情なのが中野三玖という少女である。このままでは授業もままならない。
仕方ないともう一度鼻息を鳴らしながら、かぶりつくフー君パペットと向き合った。
「……で、何をすればいい?」
「やった」
「いいから早く言ってくれ」
「じゃあ、フータロー。まずはこれを──」
「はい、フータロー君。これ使って」
己のフー君パペットを渡そうとする三玖を遮って何故か一花が自分の人形を渡してきた。
三玖は不服そうに頬を膨らまし、風太郎は怪訝そうに眉を顰めたがさっさと授業をしたいので黙ってそれを受け取る。
手に嵌めてみるとさっきまで一花が嵌めてたせいか、妙に生温かくて何とも言えない気分だ。
「なんだこれ」
そして気付いたが、どうにも一花の使っていたフー君パペットは少し汚れているようで、口元に染みが付いていた。
あの汚部屋で保管されていた影響だろうかと思って他の姉妹のパペットと見比べてみたが、不思議と他のも同じように口元に染みが付いている。
元々そういったデザインなんだろうかと首を傾げつつ、吹き替えとやらを済ます事にした。何故勉強を教えに来たのに人形劇なんぞしなければならないのかと愚痴りたいのは山々だがそれを口にするほど愚かではない。
「装着したが、次は何だ? ワンとでも鳴けばいいのか?」
「違いますよ、上杉さん。台詞はもう決まっているんです」
今度はニコニコとデカリボンを揺らしながらパペットの口を開閉させる四葉が隣にやって来て腰を下ろした。
ただし彼女の持つパペットは風太郎が手にしているフー君パペットではない。キョンシーに見立てたような人形だ。それも見覚えのある顔とリボンをした。
「……お人形劇をやれってか?」
「ふふふ、違いますよ上杉君。今日が何の日か分かりませんか?」
「今日……?」
アホ毛の生えたジャックオーランタンのパペットの口をパクパクとさせながら自身のアホ毛も揺らす五月の言葉にようやく合点がいった。
なるほど。ハロウィンか。全く縁がなかったとは言え、どういった催しの日かくらいは風太郎でも知っている。この人形を彼女達は使って例のやり取りをしたいのだろう。
仮装ではなく、パペットを使ったのは五つ子なりの捻りがあったのだろうか。そこは疑問であるが、その程度なら付き合ってやってもいい。
「だいたい分かったよ」
「察しが良くて助かります。では、みんな、ご一緒に」
『ト リ ッ ク オ ア ト リ ー ト』
ゾンビだの魔女だの吸血鬼だの、とそれぞれ姉妹の特徴が施されたパペットが一斉に口をパクパクと動かしながらフー君パペットを囲った。
勿論、風太郎はお菓子など持ち歩いていないのでトリックが確定となる。彼女達に合わせてフー君パペットの口を動かす。
「残念ながらお菓子はない」
それを待ってましたと言わんばかりにフー君パペットが姉妹達のパペットにパクパクとかじられ始めた。
少しこそばゆいが、人形で代用する事で本人への悪戯を軽減しているのだろうか。まあ、勉強の羽目外しとしては悪くないか。
……そう思って眺めていたのだが、どうにも様子がおかしい。
何故か未だにパクパクとフー君パペットは全身を貪られ続けているのだ。そろそろ離してもいいのではないだろうか。
何か、嫌な予感がする。
「お、おい。もういいだろ」
しかしパペットたちはフー君パペットを貪るのを辞めない。パクパクとパクパクとパクパクと……。
気付けばフー君パペットを剥がれ、素手になっていた。
「お、おい……」
だが彼女達の手は止まらない。今度は風太郎自身の体をパペット達がかじりついてきたのだ。
パクパクとモグモグと。
「や、やめ……」
そしてついにはパペットという建前を放り出して五つ子達は直にフー君にパクついた。