「頼みがある…いえ、あります」
「あら珍しいわね。まさか君が私に頼みごとをするなんて。しかも、慣れない言葉を使ってまで」
ギリィ…
ああ、やはり私はこの人が嫌いだ。私を見透かすような視線で、猫がネズミを玩具にするように私を面白がるその笑顔が気に入らない。でも、それでも、私にはこいつの力に頼らざるを得ない。それが更に気に入たない。
しばらく私を見つめていた上司の口が開いた。
「それでお願いって何かしら?」
「一人、戸籍を用意しr…してほしい…です」
「そう」
目の前いる上司の眉が少し動く。正直、上司とはいえこいつに頼ることは好きではない。悔しいが、色々な意味で私はこいつに勝つことが出来ない。
機械との混じり物とはいえ、私を圧倒するその力と世界に影響を与えるほどの権力。存在しない私がいられるのも、特殊な事情で運営されている組織のおかげだ。怒らせれば、私など簡単に葬られるだろう。
そして最も気に入らないのが2つある。1つはその…恵まれた身体…だ。高身長とその美貌。機械交じりのせいで本当にそうなのかも知らないがな。う、うらやましくないぞ若作りばばぁ。
そしてもう一つが、私に対して時にいやらしい目で見ることだ。私にちょっかいをかけてきたアバズレを思い出してほしい。あいつのご主人様がこの上司。つまり、そういう間柄でありそういう思考なのだ。
「対価は?」
「仕事2カ月」
「いいでしょう」
その言葉に私は感謝として頭を下げ、すぐさま部屋を出ていった。
「マドカ、貴女は変わりましたね」
だからだろう、その言葉を聞くことが出来なかった。
画面越しに浮かぶ映像。私がどういう存在か?という答えを思い知らされる光景。既に終わったことなのに、こびり付いた汚泥のように、皮膚に刻まれた火傷のように、私の一部となってしまった
メアリー・シェリー著『フランケンシュタイン』。主人公であるヴィクター・フランケンシュタインが死体と錬金術で『理想の人間』を生み出した結果から起きる、哀しい物語。古典においては有名な作品で、大半の人が名前を聞いたことがあるだろう。もっともフランケンシュタインが怪物の名前と勘違いされてることもあるが。この理想の人間を生み出すというのは、多くの作品においては使い古された題材だろう。そして大半の結末が悲劇的なものになるのは面白い話でもある。結局は人の理を越える存在に待ち受けるのは哀しい結末なんだろうな。一方で、人間の欲望というのは度し難く、興味があれば人は理性を投げ捨ててしまう皮肉さもある。
さて前置きはここまでにしようか。誰が言い出したか知らないが、
笑ってしまうものだ。トチ狂った妄想の為に勝手に生み出しておいて、私に失敗作の札を付けた研究者たち。まるで容姿が醜いからだと勝手に絶望したヴィクターのようだ。怪物は怪物で、数日で多くの言語を理解できてしまうほど知的だったというのに。
私の存在意義も同じく、他の人間よりも優れていると自負しているが、織斑千冬のスペアにもなれなかった時点で彼らからしたら既に意味を失っていたんだろう。もっとも、人でなしどもの
その後は今の組織に確保され、今もその一員として働いている。組織の中の私は、ただ命令を実行するだけだった。何も考えたくなかったのもあったが、他人に対して気にも留めなかったからだ。いや違うな。むしろ私の方が気にしていたのかもしれない。
なぜ貴様らと一緒にいなればならない。なぜ私がお前らごときと仕事をしなければ!優れた私が!下等なお前らが!
何もなかったからこそ、私は私の価値に固執していたんだろうな。理想の人間という私に固執し、私は他者を拒絶していたんだろう。そうしなければ消えてしまうと怖かったんだろう。
そして私は
お前さえいなければ私は唯一になれたのに! お前さえいなければ私は孤独じゃなかったのに!
でもあの雨の日、私はあいつを拾った時、私はあいつを殺せなかった。ボロボロのあいつを見た時、記憶のなくなってしまったあいつを見た時、空っぽになってしまったあいつを見た時、私は思ってしまったんだ。
傷の舐め合いなのだろうか、同病相憐れむなのかは知らない。でも私は、あいつを………一夏を誰にも渡したくなくなった。これが私の気持ちだ。
もうオリジナルには渡さない。捨てたアイツがいまさら取り戻そうとしてももう遅い。一夏は私のものだ。一夏は私だけのものだ!何度も一夏と肌を重ね!一夏の体温を感じ!一夏の体中に
私はオリジナルへと言葉を吐き出す。燻ぶっていた怒りを、汚泥のような憎しみを溢れさせる。
お前に捨てられた私の哀しみも、お前への怒りも、お前は知らないだろう。知るはずもないだろう。貴様は私たちを捨て、自分の道を行ってしまったのだから。おいて行かれた者たちの言葉など、お前には届かないだろう。
そして私は口元を歪める。でも今は、そんなお前に私は感謝している。
ガサガサと、スーパーのビニール袋のこすれる音。古いビルや建物の通りを歩く中、白黒だった世界は今では多少なりと明るく見えるようになった。タンタンとコンクリートの階段を上る。
何もかも捨てしまったお前は気付かない。置いて行ってしまったからこそ気付けない。いったいお前が、その偽りの安らぎと引き換えに何を犠牲にしてしまったのかを。
ガチャリと扉を開ければ、入り口から感じる味噌の香り。台所から響いてくる足音、「お帰り」という言葉を聞きながら、私は「ただいま」と口にする。
ああ、私はやっと手に入れた。お前が求めていたものを。私はお前にはならない。偽物に惹かれてしまったお前は、もう私には映ることはない。
ありがとう、一夏と出会わせてくれて。
そして……さよならだ。