マヤとセーニャのものがたり   作:だる   

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マヤとセーニャのものがたり 6

「ねえ、お姉ちゃん。魔法をおぼえるのって、どんなかんじなの?」

 すっかり日の暮れたころ、テントのなかで、ベッドに腰かけてランプのあかりで本をめくるセーニャにマヤが声をかけると、セーニャは本から顔をあげて、すこし困ったようすで答えました。

「そうですね……よくたずねられるのですが、なかなか、うまく答えられませんね。例えのお話でも、かまいませんか?」

 マヤがとなりに座って、うん、とうなずくと、セーニャは両手で身ぶりをまじえながら、語りはじめました。

「お料理に似ていると言われた方がおられまして。私もそう思います。マヤさま、クレイモランで私にスープをふるまってくださいましたよね?」

「うん。兄貴におしえてもらいながら、つくったやつだけど」

「とてもおいしかったですよ。あのスープは貝やお魚、それにおイモでしたが、たとえばマヤさま、あのスープをお魚ではなく、お肉で作ることはできますか?」

 マヤは頬杖をついて、うーん、とすこし考えこんでから、首をかたむけてハリネズミに聞きました。

「できる、よね?やりかたはたぶん、だいたいおんなじで。じゅんばんが、ちょっとちがうのかな?

「そうだな。肉の種類によって、ちょっと変わるが。例えばスジ肉だったら、最初に入れてじっくり煮込んでいく感じだ。鶏のももなら、魚とそんなには変わらないな」

「そーなんだ。さっき食べたやつも、うまかったよね。マメとカボチャのやつ。ニクもサカナもなしで、あんなにうまいの、できるんだな」

「ああ。村を出るまえに、作り方を聞いといてくれよ。オレ、豆の使い方はよく知らねえんだ」

 魔法からどんどんはずれていく兄妹のはなしに、セーニャはふふっと笑って、口をはさみました。

「ええと、つまり……スープの作り方は、ひとつ知っていたら、使う食べ物や味を変えたものでも、大きくは変わりませんよね?やり方を教わればできますし、味のほうもなんとなく、思い描けると言いますか」

「うん、そーだね。おしえてもらえば、たぶんつくれるよ」

「魔法にも、それと似たところがありますわ。ひとつ身につけましたら、たぐいのものを学ぶことも、そう難しくはないんです。ですから、先ほどロウさまに見せていただいたときに、なんとなくですが、私にもできそうだと思いました」

 セーニャが語り終えると、マヤはハリネズミといっしょに、へえ、と感心した声をあげました。

「ちょっと、わかった気がする。ありがとね、お姉ちゃん。でもさ、その、スープのはなし。魔法で言うとさ、さいしょに、スープのつくりかたをおぼえるのは、どんなかんじ?おれにも、できるのかな?」

「もちろん、できますよ。よろしければ、私が最初に教わったやり方を、お教えしましょうか」

「えっ、いいの?」

 マヤが目をかがやかせてそう聞くと、セーニャはゆっくりとうなずいて、本をぱたんと閉じました。

 

「マヤさま、魔法と聞いて、まず思い浮かべるものはどんなものですか?」

「うん。お姉ちゃんが、いつもつかってるやつ。ぽっと火をだすやつ」

 マヤがそう答えると、セーニャは右腕をあげてこぶしをつくり、ちいさく手首をふりながら、人さし指をぴんとはじいて、指先にちいさな炎をともしてみせました。

「そう、それ。もっとおおきい、火の玉とかもつくれるの?」

「ええ。危ないので、ここではお見せできませんが。では、まずこの魔法を覚えてみましょうか。マヤさま、右手をお貸しくださいませ」

 マヤが右手をさしだすと、セーニャはマヤの手のひらを両手でそっと包みこみ、マヤの瞳をのぞきこみました。

「よろしいですか?今から、マヤさまの右手に、私の力を吹き込みます。いっしょに目をとじて、手のひらの感覚をすましてみてください」

「わ、わかった」

 セーニャが祈るように目をとじると、マヤも真似をするようにうつむいて、ぎゅっと目をつぶりました。

 マヤがセーニャの手のぬくもりと、心臓から伝わるかすかなふるえをじっと感じていると、やがてセーニャがそっと手をはなしたことに気がついて、顔をあげました。 マヤは、とくに変わったことのない自分の右手を、ふしぎそうに見つめました。

「いかがでしょう?なにか、感じられましたか?」

「うーん……わかんない。なんか、じわっとしたかんじで、あったかかったけど」

「ええ、でしたら大丈夫です。それでは、印の結び方をお教えしますね」

「しるし?ってなに?」

「魔法の力を呼びだすための、おまじないのようなものですわ。言葉で呪文を唱えるかわりに、手の動きで示すんです。いまからお見せしますので、よく見てくださいね」

 セーニャはそう言うと、先ほどと同じようにこぶしを作り、手首をふりながら、人さし指をはじきました。

 おなじ動きを一回、二回、とくりかえし、三回目に立てた指の先から、火の粉がぱっ、と飛び散って、指先にちいさな炎がともりました。

 セーニャがもういちど軽く手をふって指をおろすと、炎はかすかに音をたてて、ふっと消えました。

「いかがでしょう、マヤさま。覚えられましたか?」

「う、うん。えーと……こう、ちいさく手をふって……」

「はい。そうですね、親指と人さし指を火打ち石に見立てて、いち、に、さん、と、かちかちと叩くような感じです。三度目はすこし強く、火の粉が飛びだす姿を思い描いてみてください」

 マヤは手元を見ながら何度か指をはじいて、わかった、とうなずきました。

 セーニャがしたのと同じように、声にださずに、いち、に、とつぶやきながら手をふって、三回目につよく指をはじくと、マヤの指先からちいさな炎がぽっと灯りました。

「おお……できた。す、すごい……」

 マヤはしばらくのあいだ、ぼんやりした表情で炎を見つめていましたが、もういちど手をふって炎を消すと、にっと目をほそめ、牙をむきだしてセーニャに笑顔を見せました。

 うす暗いテントの中で、ランプに照らしだされたマヤの口元をみて、セーニャはぎょっと身をすくめ、苦笑いを浮かべました。

「牙にまだ慣れませんね……びっくりしてしまいます。ですが、うまくいきましたね」

「へへ、ごめんね。うん、うまくできた。もういっかい、やってみる」

 マヤがうれしそうに、なんども指先に炎をともしては消す姿をみて、ハリネズミは感心したようにセーニャに話しかけました。

「すごいな。マヤにもこんなことが出来るとは……これは、誰にでもできるのか?」

「ふふ。これには仕掛けがありまして。魔法の学び方のひとつなのですが……」

 セーニャがなにかを言いかけたところで、マヤが、あれ、と声をあげました。

 マヤは手をふって指をつきだす、おなじしぐさをなんども繰り返していましたが、もう炎はでないようでした。

「なんでだろ……ねえ、お姉ちゃん。どこか、やりかたがまちがってる?」

 マヤがセーニャの顔をみあげて、こまったようにたずねると、セーニャは首をちいさく横にふりました。

「ごめんなさい、マヤさま。実は、私がこっそりお手伝いしていたんですよ」

「なーんだ、そういうことか……そーだよね、こんなにカンタンに、できるはずないよね」

 マヤががっかりしたように、両手をひろげて肩をすくめてみせると、セーニャはマヤの瞳をしっかりと見つめて、まじめな調子で言いました。

「いいえ、このやり方で、本当に出来るようになる方もおられるんです。私のお姉さまがそうでした。マヤさま、魔法とはなんだと思いますか?」

「え……おれには、よくわかんないけど……なんか、すごいチカラ、かな?」

「ふふ。これは、私の考えなのですが。魔法とは、なにかを信じ、思い描く力なのだと思います。指先から炎を出すことも、手をかざして傷を癒すことも、信じて思い描いたものが、じっさいに形として現れるのではないかと」

 セーニャがそう言うと、マヤは眉をひそめて、困ったように笑いました。

「あはは。お姉ちゃんの言ってること、むずかしくて、わかんないけど。えーと、ぜったいできる、と思ってやったら、できるってことかな?」

「ええ。あるいはお祈りをするよう、こうなりますように、と強くお願いするような感じでしょうか」

「そっか。とりあえず、おれには、うまくできなかった、ってことだよね」

「大丈夫ですよ、マヤさま。私も炎の魔法は、自分の力ではできませんでした。それに、魔法の学び方は、ほかにもたくさんありますので。ひとつづつ、試していきましょう」

 セーニャがそう言ってほほえむと、マヤは安心したように表情をゆるめました。

「うん。ねえ、おれ、ちょっとさ、思ったんだけど。さっきのやつ、もういっかい、やってもらってもいい?チカラをふきこむ、ってやつ」

「ええ、もちろんですわ。では、もう一度右手を」

 セーニャが隣にすわるマヤの手を両手で包みこみ、祈るように目をとじると、マヤはじぶんの左手をセーニャの手にかさねて、目をつぶりました。

 ふたりはしばらくのあいだそのままでいましたが、やがてセーニャが手を放すと、マヤは目をひらいて、セーニャに言いました。

「ありがと。お姉ちゃん、ちょっと、うしろをむいててくれる?」

 セーニャがうなずいて言われたとおりにすると、マヤは手元をじっと見つめて、思い切ったように小さく手をふりました。

 いち、に、といきおいをつけて、三度目に人さし指をはじくと、指先から、ちいさな火花がぱっと飛び散りました。

 マヤが音をたてないように、そろそろとセーニャをのぞくと、セーニャは背をみせたまま、両手で顔をおおって、目を隠しているのが見えました。

「うーん。ぱちっとでるけど、火はつかないね。やっぱ、ダメかな。できそうな気が、したんだけどな」

「だが、今度はセーニャが手伝ったワケじゃないだろ?ああ、でも力を吹き込むとか言ってたか」

 ハリネズミがそう言うと、セーニャは顔をあげてふりかえり、マヤの顔と手元をかわりばんこにながめました。

「マヤさま、もう一度やっていただいても?」

 マヤがうなずいて、指先からぱちんと火花を出してみせると、セーニャはまあ、と歓声をあげました。

「すごいですわ。それは、マヤさまの力の証です。すこし学べば、すぐに炎も出せるようになりますよ。いつか、ちゃんとお教えしますので」

「え、そうなの。でも、おれ、お姉ちゃんに、ちょっとだけ、てつだってもらったら、できるかなと思って。さっきみたいに、手をこう、やってもらったんだけど」

 マヤがふしぎそうな顔をして自分の手をかさねてみせると、セーニャはマヤに手をかさねて、ふふっとほほえみました。

「私がしたことはこうして、上手く行きますように、とお祈りをしただけですわ。ですから、その火花はマヤさまの思い描く力です」

「あはは。じゃあ、このやりかたって、ぜんぶウソなんだ……ウソだけど、それがホントだって、信じたらできるってことね」

「ええ、だましてしまって、ごめんなさい。ですが、そういうことですわ。ですからこの方法は、すっかり大人になってしまった方には、あまり上手くいかないのだそうです。そういう方は、魔法の成り立ちから学ぶのがよろしいようです」

 マヤは感心したようにふーん、と答えて、もう一度ぱちんと火花を飛ばすと、ししっと笑いました。

「それってさ。おれがコドモだから、カンタンにだまされた、ってことだよね」

「はは。そういう事になりそうだ。まあ、炎は出せなかったんだ、半分くらいだまされたってとこだな」

「ホントのことでも、ハリネズミに言われると、なんかムカつくな」

 マヤがそう言ってハリネズミの鼻に指をぐりぐりと押しつける姿をみて、セーニャは片手で口元をかくして、おかしそうに笑いました。

 

 村に着いた次の日、お日さまがそろそろてっぺんに差し掛かるころに、マヤは木で出来たトレイのような形の浅い箱をかかえて、テントに戻ってきました。 

 マヤはセーニャが本をひらくテーブルのはす向かいに砂の詰まった箱をおろすと、脇に抱えてきた古ぼけた本を、ぱたんと置きました。

 どちらもよく見覚えのあるものらしく、セーニャは一目見るなり、まあ、と声をあげました。

「マヤさま、読み書きのお勉強ですか?」

「そう。エマに、旅がおわったら、手紙をだしてよって、いわれてさ。おれ、読み書きあんましできないって言ったら、かしてくれた」

 マヤはそう言うと、ペンの代わりの小枝をぎこちなくにぎって、箱にしきつめた砂の上に、自分の名前を書いてみせました。

「文字は、もう覚えていらっしゃるんですね。カミュさまとご一緒に?」

「うん。あんまし、書けないけど、読むのはできるよ。兄貴も、たいしてできなかったんだけど。いつのまにか、おぼえてやがって。ちょっと、ムカついたな」

 マヤが口をとがらせると、ハリネズミはなだめるように言いました。

「なにしろ、マヤより五年も長く生きてるからな。読み書きくらい覚えるさ。マヤにも教えてやれるんだから、いいだろ」

「そーだな。セキニンもって、教えてもらわなきゃ。へへ、お姉ちゃんひとりだけ、がんばってもらうのも、いやだしね。おれも、いっしょにベンキョーする」

「それはちょっと違う気もするが……まあ、ちょうどいいか。セーニャ、横でうるさくしても大丈夫か?」

「ええ、ご一緒しましょう。テーブルで他人といっしょになにかを学ぶのは、久しぶりですね。懐かしいですわ」

 セーニャがそう答えると、マヤはたくさんの絵が描かれた本をひらいて、たどたどしい手つきで砂に文字を書き写しはじめました。

 ハリネズミがなにかを教えようと口を開いては、マヤが怒ったように言い返す姿を、セーニャはおかしそうにしばらく眺めていましたが、やがて本に目をもどし、ときおり紙になにかを書きつけながら、ページをめくりました。

 はじめは賑やかになにやら言い合っていた兄妹も、疲れたのかあきらめたのか、ハリネズミの口数がしだいに少なくなり、マヤも退屈そうにあくびをはじめました。

 ふたりのようすをちらちらとうかがっていたセーニャが、そろそろ助け舟をだそうかと思いをめぐらせはじめたころ、胸のまえにトレイをかかげたマルティナがテントに顔をだし、マヤたちに声をかけました。

「こんにちは。まあ、いっしょにお勉強をしているのね。どう?うまく行っているかしら」

「こんにちは、マルティナさま。ええ、そう長くはかからないと思いますわ」

「そう、よかったわ。私には呪文のことはよくわからないけど、ロウ様が無理を押しつけたんじゃないかと思って、心配だったのよ。ねえ、お昼を持ってきたわ、いっしょに食べましょうよ」

 セーニャたちがうなずくと、マルティナはテーブルにトレイを置いて、テントの中をきょろきょろと見まわし、隅に置かれたスツールを見つけると、外でなんどか叩いてホコリを落としてから、セーニャの正面において、腰をおろしました。

 セーニャが焼き物のポットに満たされたスープをお皿に取り分けてならべると、だれが言い出すでもなく、三人は両手を組んで目をとじ、おいのりの言葉をとなえました。

 マルティナがパンを一切れ手にして、スプーンのかわりに豆のスープにひたして食べる姿をみて、マヤは真似をするように口にはこびました。

「うまい。白いパンって、こんなかんじで、たべるんだね。ねえ、黒いパンと、白いパンって、なにがちがうの?」

「私もくわしくないのだけど、使う粉が違うらしいわ。マヤちゃんたちは、いつも黒いパンを食べているの?」

「うーん、パンをあんまし、たべないかな。イモとか、おかゆが多いよね」

「そうだな。同じ北国でも、暮らしのいいヤツは食ってるのかもしれないが。セーニャのとこも、あんまり食わないのか?」

「そうですね、里でパンを焼かれている方を目にしたことがありませんので。黒いパンは、酸っぱくてすこし苦手です」

「そうだったのね。私はパンで育ったものだから。世界中を旅してきたけれど、食べられないときは、ちょっと寂しかったわね。ロウ様も同じだったみたいで、よく一緒に探したわ」

 マヤはふーん、と感心したようにうなると、テーブルの上のりんごをひとつ取りあげて、牙を突き立てて、がりっとかじりました。

 くだけたひとかけらをハリネズミに差しだすと、マヤはなにかを思いだしたようにマルティナを見つめました。

「ねえ、マルティナさんは、おじいちゃんに魔法をおしえてもらったり、したの?」

「うーん、それがね……」

 マルティナは食事の手をとめて腕組みをすると、どことなくおかしそうに言いました。

「私、呪文が使えないらしいのよ。ロウ様も、いろいろ試してくださったのだけど。ダメだったわ。魔法の素質がまったくない人間は、けっこう珍しいとおっしゃっていたわ」

 マヤがそっか、とつぶやいて、気の毒そうな表情をうかべると、マルティナは顔の前でひらひらと手をふりました。

「いいのよ。使えたら便利でしょうねって、思わないわけではないけど。ダメなものは仕方がないわよね。それに、代わりに武術を教わったわ。私には魔法より、そっちのほうが向いていたみたい」

「ブジュツ?ってなに?」

「ふふ、食べ終わったら見せてあげる。マヤちゃん、セロリは苦手?」

「あはは……うん、ヘンな味。これ、セロリっていうんだ」

「ちょっとクセがあるわよね。無理して食べなくていいわよ、こっちにもらえるかしら」

 マルティナはマヤが苦手なものをよけた酢漬けの皿を受けとると、わざとらしく笑顔をつくって、音をたててかじってみせました。

 

 テーブルの上がすっかりきれいになると、マルティナはふう、と息をついて立ち上がり、大きく伸びをして、マヤたちといっしょにテントの外にでました。

 マルティナはあたりをうかがって、まわりに人の姿のないことをたしかめると、マヤを正面にたたせて、手足をかるく振りました。

「じゃあ、ちょっと見せてあげる。マヤちゃん、じっとしていてね。動くと危ないわよ」

「う、うん」

 緊張した面持ちで体をこわばらせるマヤにむかって、マルティナは体の向きを変え、腰をおとして、肩ごしにじっとにらみつけました。

 マルティナは風を切る音をひびかせながら、マヤの顔にむかって、右腕で勢いよく突きをはなちました。

 マヤがうわっと悲鳴をあげて目をつぶると、マルティナはマヤの肩をぽんと叩いて、やさしく声をかけました。

「大丈夫よ、当てないから。目をとじないで、よく見ていてね」

 マヤがちいさくうなずくと、マルティナはすこし間合いをはなして、リズムを取るように体をゆらしながら、マヤに向かってするどい突きや蹴りをなんども放ちました。

 最後におもいきり踏みこみ、マヤのこめかみに向かって足先をとばすと、ゆっくりと脚をおろして姿勢をただし、両手をあわせてぺこりとおじぎをしました。

「ふう。武術ってこういうことよ。手足を武器にして戦う手段ね。どうだったかしら?」

「こ、こわかった……でも、すごいね。ニンゲンの足って、そんなに高くあがるんだ……」

 マヤはそう言うと、マルティナの真似をして右足を蹴り上げてみましたが、伸びきらない脚は腰よりすこし上までしかとどかず、姿勢をくずしてよろめきました。

 マルティナはあわててマヤの体をささえると、ふふっと笑いました。

「いきなりは出来ないわよ。でも、魔法と違って、時間をかければ誰でもかならず出来るようになるわ。良かったら、ちょっといっしょにやってみましょうか」

「うん、おもしろそう。おしえてもらっても、いい?」

「ええ、いろいろ教えるわ。ねえ、マヤちゃんを借りても大丈夫かしら?」

 セーニャがもちろんです、と言ってうなずくと、マルティナはマヤの肩にのるハリネズミの背中をつんつんとつついて、マヤの目をのぞきました。

「マヤちゃん、体を動かすのに、お兄ちゃんはちょっと危ないかもね。セーニャに預けておいたらどうかしら」

「あっ、そーだね。お姉ちゃん、兄貴をみといてくれる?」

「ええ。しっかりとお預かりしておきますわ」

 マヤがハリネズミをセーニャの両手にそっと乗せると、マルティナはセーニャに向かって、なにやら目くばせをして、マヤの手をとりました。

 マヤたちが足早に歩きだし、すっかり背中が見えなくなると、ハリネズミはセーニャの手のひらのうえで、呆れたように言いました。

「まさか、マルティナさんにまで気を回されちまうとは……いや、マヤがそばにいると、うるさくてジャマだろうと思ったのかな」

「気を回される、とはどういうことですか?」

 セーニャがふしぎそうにたずねると、ハリネズミはすこしあせったように、ははっと笑いました。

「いや、なんでもないんだ。静かになって良かった。邪魔しちまって、悪かったな」「いいえ、おふたりといっしょで、私は楽しかったですよ。では、続きをしましょうか」

 セーニャはテントの中へもどり、テーブルにつくと、本をひらく手元のそばに、ハリネズミをそっとおろして、背中をなでました。

 だまったままページをめくるセーニャの顔と手元を、ハリネズミは交互にちらちらとながめていましたが、やがておずおずと口を開きました。

「ただ見てるだけってのも、なんか居心地が悪いな。なあ、なにかオレに出来ることはないか?まあ、ないよな……」

「そうですね……私がなまけてしまわないように、見張っていていただけますか?」「わかった。ずいぶんとヒマな仕事になりそうだ」

 ハリネズミが冗談めかしてそう答えると、セーニャは顔をあげて、申し訳なさそうに言いました。

「すみません。それでは、カミュさまが退屈してしまいますね。でしたら……マヤさまの代わりに、私となにかおしゃべりをしましょうか」

「い、いや。そういうことじゃないんだ。オレのことは良い、気にしないでくれ」

 セーニャはふたたび本に目を落とし、手をとめたまましばらく考えこむと、くすっと笑って切り出しました。

「マヤさまは、小さなころからずっと、カミュさまを兄貴と呼ばれているのですか?」

「はは。はじめはお兄ちゃんだったな。いつから兄貴になったのか、もうよく覚えてないんだが。なにしろ言葉の荒い連中に囲まれて育ったから、恥ずかしくなったのかもな」

「そうでしたか。呼び方が変わったとき、どう思われました?」

「そうだな……もう、よく覚えてないな。まあ、すぐに慣れたんだろうな。オレとしては、呼び方なんてどっちだっていいしな。でも、これは覚えてる。マヤのやつ、しばらく兄貴とお兄ちゃんが混ざってたんだよ。あれは笑えたな」

 カミュがそう言うと、セーニャはおかしそうに口元をかくし、目を細めました。

「ふふ。すみません、笑ってはいけませんね。私はずっと、誰からも、ただセーニャと呼ばれておりましたので……マヤさまが、お姉ちゃんと呼んでくださることに、まだ、すこし慣れませんわ。なんだか、くすぐったい気持ちになります」

「ああ、そうだよな。上のきょうだいの呼び方は色々あるが、下はほとんど名前だけなんだよな。ベロニカも、ただセーニャと呼んでいたよな」

「ええ。なんだか……すこしだけ、お姉さまの気持ちがわかったような、そんな気持ちになっています。呼び方もですが」

 セーニャは深く息をついて、テーブルの上で両腕を組み、あごをのせて、ハリネズミを目の前に見つめました。

「マヤさまといっしょにおりますと、私はお姉さまから、こんなふうに見えていたのかなと……そんな事を考えます」

「ベロニカから?うーん、マヤとセーニャはまったく似てないと思うが……」

「性格や気性のお話ではなく、なんと言いますか……いえ、すみません、カミュさまにお話するようなことでは、ありませんでした」

「いや、その話、気になるな。続けてくれないか?」

 セーニャは目をそらして、テーブルにつき伏したまま、しばらくのあいだ悩んでいましたが、やがてぽつりと口を開きました。

「どうか、笑っていただきたいのですが。私、お姉さまをうたがったことがなかったんです。強い心をお持ちで、落ちこむことなどなく、私が頼れば、どこまでも手を引いてくださる……私にとって、お姉さまはそんな存在でした」

 ハリネズミから目をそらしたまま、セーニャは続けました。

「マヤさまのおそばにいると、思うんです。マヤさまが私を信じてくださるすがたは、お姉さまがそばにいてくださったころの、私自身のすがただと。それが、なんだか……たまらなくて」

 ハリネズミはなにか言葉をかえそうとして、そうか、とつぶやきましたが、それきりなにも言えなくなってしまいました。

 セーニャはだまりこんでしまったハリネズミを、指でそっとなでて、ふたたび話をはじめました。

「ですが……ひとつわかりました。自分をどこまでも信じて、頼ってくださる存在が、どれほど人を強くするものか。私は、自分がずっと、お姉さまの足をただ引っ張っているのだと、思い続けていましたが……これは、うぬぼれかもしれませんが、そばに私のいたことが、お姉さまの強さの理由のひとつだったのかもしれないと……マヤさまのおかげで、今ではそんなことを考えています」

 セーニャがそう言ってほほえむと、ハリネズミは困ったようすで、声をしぼりだしました。

「そうか……オレにも、すこしわかる気がする。その話、マヤに聞かせてやりたいな……いや、本人が聞いても、きっと落ち込むだけだな」

「ええ。以前の私が聞いても、きっと落ち込むでしょう。すみません、おかしな話を聞かせてしまって」

「いいや。マヤが……はは、オレもだな。セーニャに頼っちまって、心苦しかったんだが。すこし、気持ちが軽くなった。ありがとな」

 ハリネズミが照れたようにそう言うと、セーニャはハリネズミに顔をよせて、鼻をつっつきました。

「不思議なものですね。頼られてみれば、信頼を寄せてくださる方の大切さがわかりますのに……それでも、他人を頼るのは心苦しいのですよね。どうしてなのでしょう」

「なかなかな。頼る、甘える、利用する……自分の中で線を引くってのは、難しいもんだ。相手からどう思われてるかなんて、わかりゃしないからな。自分の力が足りないことに、引け目もあるのかもしれないな」

 ハリネズミとセーニャがそんな話をつづけていると、不意に外から力強い足音がちかづいてきて、入るぞ、という太い声がひびき、だれかが腰をかがめてテントの中に入ってきました。

 セーニャがあわててテーブルから体を起こすと、目のまえでは、グレイグがすこしはにかんだようすでセーニャを見下ろしていました。

「セーニャ、邪魔してすまないな。はかどっているか?」

「はい、おかげさまで、なんとかなりそうですわ。あの、よろしければ、おかけになってください」

「いや、たいした用事ではないのだ。姫様を見かけなかったか?」

「マルティナさんなら、マヤと遊んでくれてますよ。どこにいったのかは、ちょっとわかんないっすけど」

 ハリネズミがそう答えると、グレイグはあごひげに手をあてて、首をひねりました。

「ふむ、そうだったか。それでは、俺が水を差すのはまずかろうな……」

「いえ、マルティナさまは、マヤさまに武術を教えてくださるとおっしゃっていましたわ。グレイグさまも、兵士のみなさまに教えていらっしゃるのですよね?」

「おお、そうであったか。うむ、それなら俺も力になれそうだ。ありがとう。セーニャよ、なにか困ったことがあれば、気軽に俺に言ってくれ」

 そういって拳で胸をどんと叩くグレイグに、セーニャがうなずいてお礼を言うと、グレイグはいかめしい顔をゆるめて、足早にテントを出て行きました。

 グレイグのすがたを見送ると、ハリネズミは声をふるわせて、こらえるように言いました。

「はは。なんだろうな……グレイグさんとマルティナさん。見てるぶんには笑えるが、ロウさんの気持ち、よくわかるぜ。ガラじゃねえが、オレたちで気を回してやったほうがいいのかな……」

「カミュさま、なんども言われていますが、気を回すとは、いったいどのようなことでしょう?」

「そうだな。セーニャのように言うなら、あの二人、お互いに"お慕い申しております"ってやつだろ。どうして、あそこから話が進まないんだか」

 ハリネズミがそう言うと、セーニャはまあ、と驚いて、目を丸くしました。

「それは……気がつきませんでした。お姫様と、寄りそう騎士さまのお姿かと……カミュさま、どうして気がつかれたのですか?」

 セーニャが胸のまえで両手をあわせて、わくわくしたようにそうたずねると、ハリネズミはみじかい両腕を広げて、肩をすくめるしぐさをして見せました。

 

 谷間のかげにすっかりと陽が落ちて、赤らむ世界のなかで、セーニャがそろそろ明かりをともそうと、ランプの手入れをはじめたころ、マルティナとグレイグに連れられて、マヤがテントに戻ってきました。

 元気よくテントに飛び込んできたマヤは、ちいさな子供のように無邪気にはしゃいだようすで、三人がすっかり打ち解けたことをしめしているようでした。

「ただいま。お姉ちゃん、ごめんね、おれだけあそんじゃって。でも、いろいろおしえてもらって、たのしかったな。剣とかヤリとかも、さわらせてもらったよ」

「いいえ、せっかくの旅なのですから。うまくできましたか?」

「うーん、わかんない。でも、剣はムリそうだったかな。剣ってあんなに、重たいものなんだね。ヤリは、ちょっとできるかも。ねえ、お姉ちゃんがヤリもできるって、ほんと?」

「ええ。マルティナさまほど得意ではないですが 一通りは身につけましたよ。カミュさまも、剣がお得意なんですよ」

「えっ、そうなの。兄貴、剣なんて、どこでおぼえたの」

「いや……オレのは、ちゃんと教わったわけじゃねえから。オレの剣を見ると、グレイグさん、いっつも渋い顔するんだぜ。相当でたらめなんだろうな」

 マヤがグレイグを見上げて、そーなの、とたずねると、グレイグは胸をはって、大声で笑いました。

「ああ。まったくのでたらめ、奇怪な太刀筋だ。だが、人間を相手にするのと、魔物を相手にするのとでは、勝手が違うからな。マヤの兄上の剣は、頼もしかったぞ」

「ふふ、そうね。だけど、やっぱり兄妹なのね。マヤちゃんも、カミュと似て身のこなしが軽いのよね。体を動かすのも好きみたいだし。強くなるわよ、きっと」

 ふたりにほめられて、すっかり照れてしまった兄妹をみて、セーニャはふふっとほほえみました。

「良かったですね、マヤさま。私のほうも、だいぶはかどっていますので。明日か、遅くともあさってには」

「そっか、よかった。兄貴は、お姉ちゃんのジャマ、しなかった?」

「ええ。私がなまけないように、ちゃんと見張っていてくださいました。助かりましたわ」

 セーニャがそう言うと、マルティナは眉をひそめて、すこし困ったように笑いました。

「うーん、いまひとつ……まあ、いいわね。それでね、私たち、お城のほうと行ったり来たりしているのよ。この村も、がんばって直しているんだけど。なにしろ、人が多すぎるから、あっちにも人が暮らせるようにしないといけなくて」

「ああ、そうなのだ。明日はまた向こうに戻らねばならん。ゆえに、稽古をつけてはやれんが、折を見ながらな。マヤよ、ゆっくり休んでおくのだぞ」

「うん。またおしえてね、おっちゃん。マルティナさんも、ありがと」

「いいのよ。私たちも楽しかったわ。じゃあ、またね。セーニャも、無理はしないようにね」

 セーニャが立ちあがってあいさつをしようとすると、マルティナたちは気づかいはいらないと言うように手をふり、背を向けてテントから出て行きました。

 マヤはまたね、と手をふりかえすと、満足そうな顔でテーブルについて、ふう、と息をつきました。

「マヤさま、夕食はとられましたか?汗をかかれていましたら、お湯をいただいてきましょうか」

「あっ、だいじょぶ。いっしょにご飯たべて、体もふいたよ。お姉ちゃんは?」

「ええ、私も済ませましたので、大丈夫ですわ。お疲れでしたら、すぐにお休みになられてもよろしいですよ」

 セーニャがやさしくたずねると、マヤはすこし気まずそうに、頭をかきました。

「へへ。ごめんね。あそんじゃって悪いから、もうちょっとおきてる。読み書きでも、やろっかな」

「ああ。グレイグさん、ああ見えて頭もいいんだぞ。文武両道、とか言ってたな。力の強いものは、賢くなけりゃならないんだと」

「へー。おっちゃん、むつかしいコトバ、つかうもんな。お姉ちゃんも、アタマいいのに、ヤリもするんでしょ。おれも、がんばらないとね」

 マヤはそう言って本をテーブルにひらき、砂にぐりぐりと文字を書き写しはじめました。

 はじめのうちは、セーニャとハリネズミに、今日あったことをたのしそうに報告していましたが、すぐに口数がすくなくなり、あくびをしながら、目をこすりはじめました。

 セーニャはときおり本から顔をあげて、ようすをうかがっていましたが、まぶたの落ちかけたマヤの顔をみて、心配そうに声をかけました。

「マヤさま、眠たいときは、頭も動きませんので……もう、お休みください」

「うん……ちょっとだけ、ねる……」

 マヤはねぼけたようにそう言うと、本をわきにはらって、テーブルの上で組んだ両手をまくらにして、つき伏しました。

 しばらくのあいだ、楽な姿勢をさぐるように、体をもぞもぞと動かしていましたが、やがて、すうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきました。

「まったく、素直に寝りゃいいのに……おい、マヤ。ここじゃなく、ちゃんとベッドで寝ろよ」

 ハリネズミがマヤの耳もとで声をかけ、背中のハリを押しつけようとすると、セーニャは腕をのばしてハリネズミの動きをそっとさえぎり、立ち上がりました。

 セーニャはマヤの背にまわると、肩を引いて体をおこし、よいしょ、と掛け声をかけて、両腕で抱きかかえました。

 すこしよろめく足どりでマヤをベッドにおろすと、そっと毛布をかけて、やさしく頭をなでました。

 セーニャが物音をたてないようにしずかにテーブルにもどると、ハリネズミはちいさな声で、感心したように言いました。

「悪いな。それにしても、力があるよな、セーニャ。いや、マヤが軽いのか」

「ええ、まだ小柄ですから。ですが、来年にはもう、できなくなっているかもしれませんね」

「そうだな、まだまだ背が伸びそうだ。オレより大きくなられちまったら、イヤだな」

「マルティナさまのようにですか……」

 セーニャはとつぜん、ふふっと吹きだすと、両手で顔をおさえて、肩をふるわせて笑い、目元をこすりながら言いました。

「すみません……マヤさまと同じ格好をされたマルティナさまが思い浮かんでしまって……おふたりに悪いですね」

「はは。笑えるが……なにか、考えちゃいけない気がする。なんでだろうな」

 セーニャとハリネズミはたのしそうに言葉をかわし、やがて夜はふけていきました。

 

 次の日の朝、マヤはすっかり昇りきった朝日のまぶしさに目をさますと、ベッドの枕元にハリネズミがいないことに気がついて、きょろきょろとあたりを見まわしました。

 テーブルにつき伏して眠るセーニャに気がつくと、マヤはセーニャのそばで丸まって眠るハリネズミを見つけて、ほっと胸をなでおろしました。

 鼻先をつんつんとつつくと、ハリネズミはぱちっと目をひらき、体をのばしてマヤを見上げました。

「兄貴、おはよ。おれ、いつのまに寝ちゃったんだろ。覚えてねえや」

「おはよう、マヤ。テーブルで寝てたんで、セーニャがベッドに寝かせてくれたんだ」

「そっか。お姉ちゃん、ずっとおきてたの?」

「ああ。寝たのは、空が明るくなりだしてからだ」

「なんだよ。兄貴もおきてたんだろ?お姉ちゃんにムリさせたら、ダメじゃねえか」

「そうなんだが……すまん、何度も言ったのに、聞かなかったんだ」

 マヤがセーニャの肩に手をかけて、起こそうとすると、ハリネズミがあわてて言いました。

「このまま寝かせてやってくれ。起こすときっと、また無理しちまうから」

「ダメ。テーブルで寝てちゃ、つかれるだけだろ。ベッドで寝てもらおうよ」

 マヤがセーニャをゆさゆさと揺り動かすと、セーニャはゆっくりと体を起こし、ほとんど開いていない目で、ぼんやりとマヤを見つめました。

「あら……おはようございます……すみません、私、いつのまにか眠っていたんですね……」

「お姉ちゃん、ムリしちゃだめだよ。いそぐわけじゃ、ないんだし。ベッドで寝てよ」

「いえ……私はだいじょうぶです……起こしてくださって、ありがとうございます……」

 セーニャは寝ぼけたようすで目をこすり、本を手に取ろうとしましたが、マヤは腕をつよく引っ張って、むりやり立たせました。

 背中を押してベッドに横たわらせ、毛布をかけると、セーニャはすぐに夢の世界へもどっていったようでした。

 マヤがちいさくあくびをして、テーブルにつくと、ハリネズミはちょこちょことマヤのそばによって、声をかけました。

「すまんな、マヤ。助かった」

「まあ、ハリネズミじゃ、しょうがねえよな。ムリヤリってわけに、いかねえし」

「ああ。しかし、よく寝てたな、マヤ。疲れてたんだな」

「そーみたいだね。でも、もう元気。ちょっとハラへったけど、朝メシのジカンは、もうおわっちゃったよね」

「たぶんな。でも、人に聞けば、食いものはなにかあるんじゃねえか。果物とか」

 マヤがそーだね、とうなずいて立ち上がり、ハリネズミを肩にのせると、テントの外で、マヤのほうへと向かってくるエマと目が合いました。

 ふたりがあいさつを交わすよりさきに、ルキが勢いよくマヤの元へと駆け寄ってきて、なでてくれとばかりに、体をおしつけました。

「ルキ、おはよう。ごめんな、お姉ちゃんが寝てんだ、そとにでてくれよ」

 マヤがそう言ってかるく頭をなでて、外にでると、ルキもしっぽを振りながらあとをつづきました。

「マヤ、おはよう。よく眠れた?」

「エマ、おはよ。うん、今おきたとこ。ちょっと、寝すぎちゃって、朝メシを食べそこねちゃった」

 マヤがそう言うと、エマはくすくすと笑って、ポケットから緑がかった小ぶりのりんごを取りだし、マヤに手渡しました。

「ちょっと、酸っぱいやつだけど。食べて」

「あっ、ありがと。へへ……でも、ちょっとね、ヒトのいるとこだと、ダメなんだ」

 マヤが目をほそめながら、口元を隠すマフラーを指さしてみせると、エマは心配そうにたずねました。

「それ、どうしたの?歯が抜けちゃったとか?」

「うーん。その逆っていうか……ねえ、ヒトにみられないとこって、ある?」

「うん。えっとね、神の岩ってところがあるんだけど。そっちのほうなら、人は来ないよ。行こう」

 マヤはエマに案内されて、村の奥へとすすみ、登り坂になっているうねうねとした谷間をしばらく歩くと、やがて目の前に青々とした草原につつまれた峰が、姿をみせました。

 峰の上からあたりをみまわすと、どちらの側にもつらなる山々がはるかに見渡せ、峰のてっぺんには、ふしぎな模様が白く染めぬかれた、見上げるような岩山がそびえていました。

 エマといっしょに木のかげに腰をおろすと、マヤはかなたを見つめながら、ため息をもらしました。

「すごいね。おれ、ずいぶん、山のうえのほうまで、きてたんだなあ。谷のなかからだと、わかんないんだね」

「うん。あそこの、神の岩のてっぺんからだと、海も見えるよ」

「そーなんだ。大樹もきれいにみえるね。おれ、あの大樹の、すぐそばからきたんだ。ここからだと、ずいぶんちっちゃいね」

 マヤが北側の青空に浮かぶ、命の大樹を指さすと、エマはルキの頭をなでながら、さびしそうに言いました。

「いいな。私、村から外に出たこともないのよ」

「おれもね、いまの旅をするまで、町からでたこと、なかったから。なあ、ナイショにするって、ヤクソクできる?」

「うん、できるけど……なに?」

 エマがふしぎそうな顔で見つめると、マヤはハリネズミをひざにおろして、首元に巻きつけたマフラーをするするとほどきました。

 首に巻かれた赤いチョーカーと口元をあらわにすると、にっと笑って、牙をむきだして見せました。

 エマがえっ、と声をあげて目を丸くすると、マヤはエマにもらったりんごを、牙を突き立ててかじってみせました。

「え、そのキバ……村に来たときは、なかったよね?どうしちゃったの?」

「へへ。これね、呪いなんだ。この、クビのやつ、ひっぱってみて」

 エマはおそるおそる手をのばして、マヤの首元のチョーカーの金具に指をひっかけて引っぱってみましたが、まるで肌に張り付いたかのように、びくともしませんでした。

「ほんとだ。ぜんぜん取れそうにないね……平気なの?」

「うん。よわい呪いなんだって。だから、とれないけど、キバがはえるだけ」

 マヤがそう言って、牙をむきだして笑顔を見せると、エマも表情をゆるめて、くすくすと笑いました。

「そうなんだ。びっくりしちゃった。なんだか、首輪もつけて、ルキみたい。ちょっと怖いね」

「あはは。それ、ほかのヒトにも言われたな。イヌみたいって。おれ、カッコいいと思うんだけどなあ」

「マヤって、ヘンな子だよね。でも、呪いって、どうして?ずっと村にいたよね?」「うん、それがね……なあ、ナイショにできる?」

「なに?ほかにも、なにかあるの?できるけど……」

 エマが困ったように答えると、マヤはハリネズミを抱きかかえて、手のひらの上で立たせました。

「兄貴、なんかしゃべって」

「なんかって、お前……まあ、いいか。えーと……こんちは、エマ。マヤと仲良くしてくれて、ありがとな」

 エマがええ~、と大声をあげると、ルキが驚いてわんわんと吠えだし、ハリネズミもびっくりして、くるんと丸くなりました。

 マヤがししっと笑って、なだめるようにルキの頭をなでると、エマは混乱したようすで口を開きました。

「しゃ、しゃべるんだ……しゃべるハリネズミ……」

「えっとね、これも呪いで。これ、おれの兄貴なんだけど……元はちゃんと、ニンゲンで。おれたち、元にもどすために、旅してんだ」

「……そうなんだ……えーと、エリックって言ってたっけ……」

 エマがハリネズミをじっと見つめて声をかけると、ハリネズミは丸めた体をゆっくりと開いて、エマを見上げました。

「うーん……好きに呼んでもらっていいか。まあ、そんなワケなんだ」

「こ、こんにちは。マヤのお兄さんって、本当のお話なの……?」

「ああ。信じられないと思うが、オレだって信じられないからな……すまん、その犬、大きくて怖いんだ。ちょっと、遠ざけてもらえるか」

 エマはハリネズミに顔をちかづけて、くんくんと鼻を鳴らすルキの首輪に手をかけ、マヤたちの反対側にすわらせると、ルキがしたのとおなじように、ハリネズミに顔をよせました。

「ごめんね、エリック。そっか……本当なら、大変だね。元に戻れるといいね」

「ありがとな。なんだか、ハリネズミにもすっかり慣れちまってな」

「へへ。そう、おれも、なれちゃった」

「慣れるものなんだ……でも、なんだか……マヤとお兄さん、物語に出てくる人たちみたい。遠い世界のお話っていうか」

 エマはハリネズミの背中を指でそっとなでると、ひざを抱えて目をふせました。

「私もね……ねえ、ナイショにできる?」

「できるよ。指きりしよう」

 マヤがひざを抱えるエマの片手をとって、小指をからませると、エマはすこし表情をゆるめたようでした。

 エマは思いをめぐらせるように彼方にうかぶ大樹を見つめていましたが、やがて、思い切ったように切り出しました。

「ねえ、マヤたちって、お城の人じゃないんだよね?」

「うん。おれたち、とおくから来たって、言ったよね」

「そうだよね。それで……悪魔の子、って聞いたことある?」

「ああ。勇者のことだろ」

 ハリネズミが答えると、エマはちらりとハリネズミをのぞきましたが、すぐにまた目をふせました。

「そう。私ね、あの子といっしょに生まれて、あの子といっしょに育ったの。でもね、ある日、あの子は勇者になっちゃって。どこか、遠いところに行ってしまったの」

 エマがひざを抱えたまま、ふるえる声でそう言うと、マヤとハリネズミは顔を見合わせました。

「村がこうなっちゃってから、何度か戻ってきてくれたんだけど……お城の人たちが話してるのを聞いたわ。あの子、この世界には、もういないのね」

「うん……おれも、兄貴たちからきいた。なあ、エマはしってる?兄貴、勇者といっしょに、旅をしてたんだ」

 マヤがそう言うと、エマは驚いたようすでハリネズミをじっと見つめて、言葉を待っていました。

 ハリネズミはエマの瞳をのぞきこみ、重々しい口調で口をひらきました。

「オレはな……アイツがこの世界から旅立つところを、見送ったんだ」

「そう……なんだ。それまでは、ずっと一緒だったの?」

「ああ。オレは、アイツの旅の最初の仲間だったんだ。だから、旅のほとんどを知ってると思う。悪魔の子と呼ばれていたことも、どうして旅立っちまったのかも。聞きたいなら話すが……」

「聞きたい」

 エマはハリネズミの言葉をさえぎるように、きっぱりと告げました。

 

 てっぺんを回ったお日さまが、村をかこむ谷のかげに隠れてしまったころ、テントの中で本をひらくセーニャの元に、マヤがエマを連れてもどってきました。

 エマがテントの入り口でルキを待たせて中に入ると、セーニャはすぐに顔をあげて、おだやかにほほえみました。

「マヤさま、おかえりなさい。エマさま、こんにちは。すみません、すっかり眠ってしまって。おふたりで、ご一緒に出かけられていたんですね」

「うん。ねえ、お姉ちゃん……エマにさ、勇者のハナシ、きかせてあげてくれない?」

「勇者さまの、ですか?」

 セーニャがふたりの暗い表情をみて、首をかしげると、ハリネズミがふたりの代わりに答えました。

「ああ。この子、勇者の幼なじみらしいんだ。アイツの旅のこと、なにも知らないらしくてな……」

「まあ……そうでしたか。わかりました、なんでもお話いたしますわ。どうぞこちらへ」

 セーニャがイスを引いてエマを座らせると、マヤはハリネズミを肩からテーブルにそっとおろして、エマの肩をぽんぽんと叩きました。

「おれ、外でルキをみてるから。ゆっくり、話してね」

「うん。マヤ、ありがとう」

 テントの外から中をのぞきこむルキに、マヤはゆっくりと歩みより、やさしく頭をなでました。

「ルキ、おれといっしょに待ってよ。こっちだよ」

 マヤがそう呼びかけると、ルキはしっぽをぱたぱたと振って、テントのそばに腰をおろしたマヤのとなりに、ぺたんと座りました。

 首元に腕をまわして抱きよせると、ルキのほうもマヤに身をよせて、肩のあたりにあごをのせました。

「おまえのトモダチ、かわいそうなんだ。ハナシがおわったらさ、こんなふうに、なぐさめてやってくれよな……」

 マヤはちいさくつぶやいて、ルキのぬくもりを感じながらぎゅっと抱きしめ、背中をなでました。

 すこしづつ夕陽にそまっていく村で、エマを待つあいだ、マヤが木の枝を投げてルキと遊んでいると、ルキがとつぜん、マヤをすり抜けて、背中のほうへと駆けてゆきました。

 振りむくと、エマが腰をかがめて、ルキを抱きしめるすがたがありました。

 エマに歩みよったマヤが、かける言葉が見つからずに立ちつくしていると、エマは体をおこしてマヤの瞳をじっと見つめ、ふるえる声で言いました。

「ごめん……今は、なにも話したくないの」

「うん。いいんだ」

 ふたりはおたがいに、なにか言葉をかけようと見つめあっていましたが、やがてエマが、またね、と一言だけ口にすると、マヤに背をむけて、重たい足どりで去っていきました。

 

 あくる日、マヤとセーニャはおなじテーブルで本をひろげ、呪文と読み書きをそれぞれに学んでいました。

 はじめのころよりすこし慣れた手つきで文字を書くマヤが、いつもの調子でハリネズミとおしゃべりをしていると、不意にセーニャが両手でぱたんと本をとじて、立ち上がりました。

「マヤさま、すこしよろしいですか?呪文を試してみようかと思います」

「あっ、できた?うん、おねがい」

 マヤがマフラーをほどいて立ち上がり、背中をのばすと、セーニャは目をかたく閉じて、深く息をつきました。

 ひらいた右手をマヤの首元によせて、おごそかな口調で、シャナク、と唱えると、

チョーカーがにぶい光につつまれ、しだいにかがやきを増していきました。

 やがてマヤの細い首筋があらわになり、チョーカーについていた丸いかたちの金具が、ことんと小さな音をたてて、床に落ちました。

 マヤは両手でじぶんの首をさわり、すごい、と歓声をあげました。

「きれいに消えちゃった……あっ、キバはどうなったかな?どうなってる?」

 マヤはいそいでテントのすみの机に走り、手のひらほどの銅の鏡をのぞきこんで、歯を食いしばってみました。

 鏡には、すっかり元のすがたにもどった歯並びが、にぶく映し出されていました。「うん、元にもどった。なんか、クチがすっきりした……でも、ちょっとざんねん」

「ふふ。ずっとそのままのほうが、よろしかったでしょうか」

 マヤは口に指をつっこんで、前歯にふれてたしかめてから、ししっと笑いました。「おじいちゃん、またつくってくれるかな?でも、すごいね、お姉ちゃん。これなら、兄貴の呪いも、とけるんじゃないかな」

「うまく行くとよろしいですね。どうなるかわかりませんが、ロウさまと、みなさまにも見ていただくことにしましょうか」

「ああ、オレには呪文のことはわからないが、念のためな。セーニャ、ありがとな」「お礼にはまだ早いですわ、カミュさま。では、まいりましょうか」

 マヤたちがテントを出て、ロウの元をたずねると、マルティナといっしょにベッドに腰かけて、なごやかになにかを話しているようでした。

 ふたりはすぐにマヤたちに気がつき、そばにすわるようにと、手招きをしました。「こんにちは、セーニャ。マヤちゃんも。どう?上手くいってる?」

「はい。ちょっと、こちらを見てください」

 セーニャがそう言って目くばせすると、マヤはハリネズミをひざにのせてマフラーをほどき、ふたりに細い首元をみせました。

 片手で首筋をなでてみせると、ロウとマルティナは声をあげて、笑顔をうかべました。

「おお、上手くいったか。良かったのう。もう少しかかると思っていたのだが。がんばったんじゃな」

「すごいわね、セーニャ。ねえ、カミュにも試してみた?」

「いえ、これからですわ。上手くいきますか、まだわかりませんが、みなさまに見ていただこうと思いまして」

「うむ、そうじゃな。姫や、グレイグとシルビアを呼んできてもらえるか」

 ロウがそう言うと、マルティナはかるくうなずいて、外へと駆けだしていきました。

 マルティナを見送ると、ロウはおだやかにほほえんで、ひげをなでながらマヤを見つめました。

「のう、マヤよ。姫とグレイグ、ふたりと仲良くしてくれて、ありがとうな。おヌシたちがやって来てから、すこし明るくなったようじゃ」

「へへ。ふたりとも、いそがしそうなのに。いろいろ教えてくれて、おれも、うれしいから。でも、あかるくなったって、なにかイヤなことでも、あったの?」

「ほほ。まあ、たいしたことではないんじゃ。カミュとセーニャも、気を回してくれたそうじゃな。ありがとうよ」

 ロウがそう言うと、ハリネズミはおかしそうに、ははっと笑って、つぶらな瞳でロウの顔を見上げました。

「オレも、ロウさんと同じ気持ちになったんで……一緒に旅をしてたころから、なんにも変わってないんすね、あのふたり。グレイグさんは、まあわかるんすけど。マルティナさんのほうも、意外と……」

「ああ。困ったことに、そうなんじゃ。わしからもふたりに、なにかと水を向けておるのだが。上手くいかんのう」

「あの、おふたりに、そのままお伝えしてはいけないのですか?その……ご結婚のことなど」

 セーニャがすこし照れたようすでそう言うと、ロウたちはあっけにとられたような顔を見せてから、おおきな声で笑いました。

「うーん……そういうことじゃねえんだ。まあ、セーニャにも、いつかわかるよ」

「うむ、わしもな、そうしてやりたい気持ちでいっぱいなんじゃが。人の心は難しいのう」

「あはは。おれにも、そういうの、よくわかんねーけどさ。みんな、たいへんなんだな」

 マヤたちがたのしそうにふたりのことを話していると、やがてマルティナが、グレイグとシルビアを連れて、テントに戻ってきました。

 シルビアはすこし身をかがめてテントに入ると、セーニャと目をあわせて、ウインクをして見せました。

「セーニャちゃん、聞いたわよ。がんばったじゃない。カミュちゃんの呪いも、きっとさっぱり解けちゃうわ。マヤちゃんも、よかったわね」

「ありがとうございます、シルビアさま。ですが、こればかりは、試してみないとわかりませんので。上手くいきますよう、お祈りください」

「もちろんよ。ごめんなさいね、アタシはなにも力になれなくて。ちょっと、グレイグたちのお手伝いをしていたのよ」

「うむ。ゴリアテは、上手く兵らを鼓舞してくれるのでな。助かっている。そういうところは、俺に欠けた部分だな」

「ゴリアテ?って、シルビアさんのこと?」

 ふしぎそうにたずねるマヤに、シルビアはにっこりとほほえんで見せました。

「ええ、そうなのだけど、あまり気にしないでちょうだい。古いあだ名みたいなものよ。ねえ、そんなことより、カミュちゃんを助けてあげましょうよ」

「そうですね。マヤさま、よろしいですか?」

 マヤは返事をしてうなずくと、ハリネズミを手につたわせて、胸のまえでかかげました。

 セーニャはマヤの正面に立ってかたく目をとじて、なんどか深く息をして、ハリネズミをじっと見すえました。

 右腕をゆっくりと伸ばして手のひらを向けると、つよい調子で、シャナク、と呪文をとなえると、ハリネズミのからだが、あわい光につつまれました。

 光はハリネズミからマヤの両手につたわって、マヤのすがたを覆うようにゆっくりとひろがり、すこしづつかがやきを増していきましたが、やがて音もたてずに、ふっと消えてしまいました。

 セーニャは腕をおろすと、眉をひそめて、困ったようすでロウにたずねました。

「呪いは解けませんでしたね……ロウさま、私の呪文はどこか失敗していましたか?」

 ロウはゆっくりと首を横にふって、セーニャを見あげると、やさしい声を作ってこたえました。

「いいや、見事じゃった。おなじ呪文でも、わしのものとは比べ物にならんな。ふうむ、しかしダメだったか。だが、安心してくれ。次の手は、ちゃんと用意してあるぞ。次はな……」

「ちょっと待って」

 マルティナは話をさえぎるようにそう言って、ロウの正面にかがみこむと、にらみつけるように、じっと瞳をのぞきました。

「ロウ様?ちょっと、切り替えが早すぎませんか?上手くいかなかったから、次はって。まるで、最初から上手くいかないことを知っていたみたいに。なにか、隠していませんか?」

「そ、そんなことはないぞ。姫や、そんな目でわしをにらまないでおくれ」

「本当に?私の目を見て、誓えますか?」

 ロウはたじろいでマルティナから目をそらし、言い訳をするようにあわてて言いました。

「ち、違う。わしだって、呪いのことは気の毒に思っておるんじゃ。なあ、次こそ、次こそは大丈夫。姫や、信じておくれ。後生だ」

 マルティナはなにも言わずにロウをじっとにらみつけていましたが、気の毒におもったのか、シルビアが明るい調子でふたりのあいだに割って入りました。

「ねえ、マルティナちゃん。考えがあるって言っているんだから、聞いてみましょうよ。ロウちゃんがアタシたちにヒドイことなんて、するはずないでしょう?きっと、なにか考えがあるのよ」

「そ、そうじゃ。シルビアの言うとおりじゃ。なあ、とにかく話を聞いてくれんか」 シルビアになだめられて、マルティナがちいさくため息をつきながら立ちあがり、腕組みをすると、ロウはうなだれて、ふう、と深く息をつきました。

 ロウはすぐに体をおこして、ひげをなでながらグレイグを見上げて名前を呼びかけると、グレイグはロウのそばで、視線をあわせるようにひざまづきました。

「グレイグよ、ドゥルダ郷のことを覚えているかな?」

「は。たしか、ドゥーランダ山の中腹でしたか。あの、不思議な様式の建物ですよね?頭を丸めた僧侶たちのおられる」

「うむ、そうじゃ。皆をな、あの場所へ案内してもらいたい。頼めるかな?」

「むろん、それは構いませんが。いったい、あの場所でなにを?」

 ロウがおおきくせきばらいをしてセーニャを見上げると、セーニャはきょとんとした顔をして、ふしぎそうにたずねました。

「ロウさま、なんでしょう?」

「うむ、実はな。ドゥルダ郷と言う、かつてわしが修行をしていた場所があってな。セーニャが身につけた解呪の呪文の力を、さらに高められるものがあるんじゃ。それを使えば、きっとカミュの呪いも解くことができるじゃろう」

「まあ。そういうことでしたら、ぜひ。ただ、私は行ったことのないところですので……」

 セーニャがそう言うと、グレイグは右手でこぶしをつくり、自分の胸を、どんと強くたたきました。

「心配いらんぞ、セーニャ。俺が案内できる。そうだな、三日はかからん程度の道行きだ。明日には発てるぞ」

「グレイグさま、よろしいのですか?」

「ああ。言っただろう、カミュには大きな借りがあるのだ。役に立たせてくれ」

 グレイグがはにかんで見せると、シルビアもふたりのそばによって、笑顔を見せました。

「もちろんアタシも行くわよ。さっそく準備しなくちゃね。マルティナちゃんはどう?村でのお仕事があるかしら?」

「いいえ。私も行くわ。ロウ様のおっしゃることが、すこし心配だし。いいですね、ロウ様?

 マルティナがそう言ってロウをにらむと、ロウは顔じゅうにしわをよせて笑顔を作り、うなずきました。

「うむ、もちろんじゃ。まあ、長い旅にはならんはずだ、村の事はみなに任せておけばいいだろう。カミュたちを助けてやってくれ」

「わかりました。じゃあ……よろしくね、セーニャ、マヤちゃん」

「うん。マルティナさん、ありがとね。でも……ねえ、あしたにはもう、旅にでるの?」

「ええ、私とグレイグは問題ないわ。シルビアは?」

「アタシも平気よ。だけどマヤちゃん、もうすこし村で過ごしたいんじゃないかしら。何日かゆっくりしても、大丈夫よ」

 シルビアが心配そうにたずねると、マヤは悩むようにすこしうつむいて、なにかを考えこんでから、首を横にふりました。

「へーき。でも、ごめん。おれ、旅にでるまえに、エマと話さなきゃいけないこと、あるんだ。なあ、行ってきてもいい?」

「もちろんよ。旅のことはアタシたちに任せてちょうだい。セーニャちゃん、良いわよね?」

「はい。マヤさま、私たちのことは気になさらず、ゆっくりお話してきてください」

「ありがと。お姉ちゃん、ハリネズミ、すこしあずかってもらっていい?

「ええ。大事におあずかりしますわ」

 マヤはハリネズミをセーニャにそっと手渡すと、勢いよくテントから駆け出しました。

 

 ふだんと変わらない、どこかのんびりした空気につつまれたお昼下がりの村のなかを、マヤはよくめだつ赤いバンダナを目印にしてエマを見つけようと、歩き回っていました。

 頭といっしょにながい三つ編みを振って、きょろきょろとあちこちを見まわしながら、小川にかかる石橋にさしかかると、川のむこうでぱちゃぱちゃと水遊びをするルキと、だれかといっしょに洗濯をしているエマが目に入りました。

 マヤが橋からおりて歩みよると、ルキはすぐにマヤをみつけて、しっぽをふりながら飛びつきました。

「うわっ。びちょびちょだね、ルキ。服、ぬれちゃうから、いまはダメ」

 エマは両手でルキを押しのけようとするマヤに気がつくと、あわてて駆けよりました。

「マヤ、探してくれたの?ルキ、こっちおいで。ごめんね、ルキは水遊びが大好きで。ぬれちゃった?」

 マヤはちいさく首を横にふると、まじめな顔をしてエマを見つめて、口をひらきました。

「だいじょぶ。なあ、おれさ、あしたになったら、また旅にでるんだ。それで、ちょっと話したいこと、あって……あんまし、ヒトに聞かれたくないんだ」

「……ちょっと待ってね」

 エマはいっしょに洗濯をしていた女たちのそばへ行って、ひとしきりなにかを話して手を振りあうと、ルキといっしょにマヤのもとに戻ってきました。

「おまたせ。ゆっくり話しておいでって。昨日のとこ、行こっか。あれ、キバはもう、なくなったんだね。じゃあ、お兄ちゃんも?」

「兄貴はね、ダメだったんだ。それで、旅にでるの。あるきながら、話すよ」

 

 マヤたちは、村の中を抜けて神の岩のふもとまで並んで歩き、昨日とおなじ木のかげに腰をおろしました。

 あたりをいくつかの岩山にかこまれた峰から、抜けるような青空をみわたすと、おおきな雲のあいまから、大樹がはんぶんだけ顔をだしていました。

 ふたりはしばらくだまったまま、あたりの景色をぼんやりとながめていましたが、やがてエマが、おずおずと切り出しました。

「話って、なに?」

「……じつは、おれね。きのう、兄貴が勇者のハナシ、してたでしょ」

「うん。あの子、ずいぶんすごい旅をしてたんだね」

「そーだね。おれも、ほとんどしらなかった。それでね……兄貴が話さなかったこと、いっこあるんだ。おれね、勇者に、たすけてもらったんだ」

「マヤが?会ったことないって、言ってなかったっけ?」

「へへ。ちょっと、ながい話になるんだけど……」

 マヤは背中をまるめてひざを抱え、ときおりエマの表情をうかがいながら、自分のことについて、語りはじめました。

 生い立ちのこと、両親をしらないこと、苦しい生活や、飢えと寒さが辛かったこと、自由にあこがれていたこと、カミュが支えになっていたこと。

 自分のことばで、自分のことを他人に話すのがはじめてだったので、何度も考えこみながら、ぽつりぽつりと口にするマヤの話を、エマはだまってうなずきながら、ただ聞いていました。

 さいごに、カミュにもらった首飾りと、自分の身にふりかかった呪いのこと、そして勇者たちに助けられたことを語りおえると、マヤは大きくため息をついて、肩ごしにエマを見つめました。

「……だいたい、そんなカンジ。だれかに、きいてもらうの、はじめてだったんだ。うまく、はなせたかな」

「うん……話してくれて、ありがとう。大変だったんだね、マヤ」

 エマがあわれみの色を込めて答えると、マヤはちいさく首を横にふりました。

「だからさ……おれ、勇者がいなかったら、ここでさ、エマとはなすことも、なかったんだ。だから、カンシャしてる。それで、勇者もさ……おれと、兄貴みたいに。うまく、いえないけど……エマに、ありがとうって、おもってるんじゃないかな」

 そう話しおえて、マヤが顔をのぞくと、エマはひざを抱えたまま、なにも言わずに遠くを見つめていました。

 マヤはひざにあごをのせてじっと考え込み、目をおとしたまま、エマに語りかけました。

「なにも、言わなくていいし。怒るかも、しれないけど……おれ、じぶんでも、こんなことしか、言えないのかって、おもうけど。わるいこととか、イヤなこととか、いっぱいあるけどさ……いいことだって、あるよ、きっと。おれにだって、あったんだから……エマにだって、きっと……」

 マヤが声をしぼりだしてそう言うと、エマはとつぜん立ちあがって、スカートをはたいてほこりを落とし、マヤににっこりと笑いかけました。

「ねえ、マヤ。あの岩……神の岩、いっしょに登ってくれない?」

「あの岩って、のぼれるの?」

「うん。ちゃんと道がついてるから、すぐだよ。行こ」

 ルキとならんで歩きだすエマを見て、マヤもすぐに立ち上がって、あとを追いかけました。

 

 マヤたちが神の岩のふもとにぽっかりとひらいた穴ぼこに足を踏み入れると、中はうねうねと登っていく、ひろい洞窟になっているようでした。

 あちこちにかかる木で作られた橋のひとつを、足元に気を付けながら渡り切ると、マヤはししっ、とたのしそうに笑いました。

「中は、こんなふうになってたんだね。おれ、ずっと、こういうカンジのとこを、冒険してみたかったんだ」

「ふふ。あんまり長くはないんだけどね。ルキ、遠くにいっちゃダメよ」

 先を歩いて、急かすようにうしろを振りかえるルキを追いかけて、ふたりは洞窟をすすみました。

 やがて空が見えて、岩のまわりを沿うように伸びる切りたったガケをのぼりきると、ふたたび岩山が口をあけていました。

 みじかい洞窟を通りぬけると、あたりはちいさな広場のようになっており、どうやらてっぺんにたどりついたようでした。

 あたりにはさえぎるものが何もなく、はてしなく続く山々のかなたをのぞむと、水平線がかすかに顔をだしていました。

「すごい。おれ、山にのぼったこと、あるんだけど。こんなふうに、ずっと遠くまでみえるのは、はじめて」

 片手でひさしをつくって、あたりを見わたすマヤのそばに、エマは腰をおろしました。

 マヤはあたりを歩きまわり、崖っぷちにかがみこんでふもとをたしかめると、満足したようすでエマのとなりに座りました。

 エマは肩ごしにマヤを見つめて、さびしそうに言いました。

「私ね、はじめてここに登ったとき、あの子と一緒だったの。だけど、次の日には、もう遠いところに行っちゃった」

「そっか……じゃあ、ここのながめ、なんだか、かなしい思い出なんだね」

「そうだね。ねえ、マヤ……」

 マヤが、うん、と返事をして、つづく言葉を待つように見つめかえすと、エマはゆっくりと立ち上がって、マヤの手を引きました。

「さっきのお話、ほかの人には話したことないって、言ってたよね」

「うん。おれから話したのは、エマがはじめて。あはは、でも、兄貴が、おんなじハナシ、みんなにしてたみたいだ」

「ふふ。でも、いいや。私もマヤに、他の人に言ったことない話、するね」

 マヤがうなずくと、エマはかなたにひろがる空をじっと見つめて、吐き出すように言いました。

「私、うらやましかった。マヤのお兄さんのお話、うらやましいと思いながら聞いてたの。どうして私じゃないんだろうって……私、あの子といっしょに旅をしたかった」

 エマは両手をおおきくひろげて、空をみつめたまま、声をふりしぼりました。

「私、セーニャさんがうらやましかった。同じ女の子だもの。だけど、あの人は私とはぜんぜん違う。私は、なんにもできない。村から出たこともない、つまらない女の子。だけど、私だってセーニャさんと同じように、あの子と旅をしたかった」

 マヤは心配そうにエマの顔をのぞきましたが、エマはマヤが目に入らないかのように、大声で叫びました。

「私、ベロニカさんがうらやましかった。だって、あの子、ベロニカさんのために、遠い世界に行っちゃったんでしょう。私じゃなくて、違う女の子のために。私には、なんにも言わずに。さよならの一言だって言わないで……」

 エマはぼろぼろと涙を流しながら体をふるわせて、マヤをぎゅっと抱きしめました。

「私、自分がイヤ。こんなことを考える自分がイヤ。自分より小さな子の前で、こんなことを言う自分がイヤ。だけど……だけど、私には……なんにもないの……」

 ちいさな子供のように嗚咽をもらす背中に、マヤが両腕をまわしてつよく抱きしめると、エマはふるえる声で、苦しそうに言葉をつむぎました。

「それでも、私……あの子のこと、好きだったんだ……」

 マヤはなにも言えないまま、肩をゆらして泣きじゃくるエマと、ながいあいだ、ただ抱きあっていました。

 

 村のテントの中で、セーニャがハリネズミとおしゃべりをしながら荷造りをしていると、すっかり肩を落としたマヤが、とぼとぼとした足どりで、ふたりの前に戻ってきました。

 セーニャはうつろな目をして自分を見上げるマヤに、心配するように声をかけました。

「マヤさま、おかえりなさい……どうされました……?」

 セーニャがたずねると、マヤは涙をうかべて、なにも言わずにセーニャの胸に顔をうずめました。

 体をふるわせ、声をあげてすすり泣くマヤを、セーニャは両腕でやさしく抱いて、背中をなでました。

 やがて、マヤが腕の中ですっかり泣き疲れてしまうと、セーニャはマヤをベッドに寝かせて、毛布をかけました。

 

 つぎの日の朝早く、まだ空の赤みが抜けないうちに、マヤとセーニャは荷物をまとめて、テントをあとにしました。

 村は、日のあるあいだのにぎやかさが信じられないほどに、静まりかえっていました。

 ゆっくりと歩いて、村の入り口にさしかかると、いくつかの人影が、ふたりに向けて手を振っていました。

「おはよう、マヤちゃん、セーニャちゃん」

 マヤたちに声をかけるシルビアのとなりでは、マルティナとグレイグが、おおきな荷袋をかついで、出発を待っているようでした。

 ふたりは小走りに近づいて、シルビアたちに向かって、ちいさく頭をさげました。

「おはようございます。すみません、私たちが最後だったのですね」

「いいのよ、アタシたちが早起きしすぎちゃったのね。ふたりとも、ゆうべは、よく眠れたかしら?」

「うん。おれ、外があかるいときから、ずっと寝てたみたい」

「あら、ずいぶん疲れていたのね、マヤちゃん。だけど、よく休めたなら良かったわ。それじゃあ、行きましょうか」

「ちょっと待って。ねえ、マヤちゃん。あの子」

 マルティナはそう言って、村の奥に向かって、片腕を高くあげました。

 マヤが振りむくと、まだうす暗い村のなか、マヤたちからだいぶ離れたところで、ルキを連れたエマが、ひろげた両手をおおきく振っているすがたが見えました。

 マヤと目が合ったことに気がつくと、エマは両手をおろして、おおきな声で叫びました。

「マヤ!ありがとう!また会おうね!」

 マヤは歯をむき出して笑顔を浮かべ、両手をぶんぶんとふりまわして、エマに負けないくらいの大声で叫びました。

「エマ!また会おうね!」

 エマはもういちど手をふると、マヤたちに背をむけて、ルキといっしょに村の奥へと歩いてゆきました。

 エマの後ろ姿が見えなくなると、マヤたちは入り口のほうへ振りかえり、村をあとにしました。

 

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