我が嫁吹雪ちゃんのお話を思いついたので、筆に任せて書いた次第です。
――一つの言葉を、探しています。
「こ……こ……」
わたしは「吹雪」という名前を与えられています。吹雪とは、強い風に煽られて、雪が舞い乱れる様子を表す言葉、だそうです。艦娘になって、わたしが初めて調べた言葉でもあります。
言葉というのは、実に複雑です。人の姿を得て、言葉というものを解するようになったとは言っても、艦娘であるわたしには、まだまだ慣れないことが多い。言葉は無数にあります。まだ知らない言葉があります。けど、星の数ほど膨大なそれらを、わたしたちはまだ、うまく使いこなせていません。
だから、艦娘はよく、辞書を引くんです。暇さえあれば辞書を読む。まだ知らない言葉を獲得するために。誰にも伝えられなかった感情を、いつか誰かに伝えられるように。
……そうは言っても、言葉の難しいところは、そこにあると言っても過言ではありません。特に感情を表す言葉は、尚更。辞書に乗っているのは言葉の定義だけで、わたしには結局、それがどういう感情なのかがわかりません。
まあでも、とにかく。言葉を知っているというのは大事なことだと思うのです。その時は理解できていなくても、ふとした時に理解できることがある。途端、それまで褪せた壁の向こうにあった言葉が、鮮やかな色に染め上げられていくんです。
ですから今日も、わたしは、辞書を引きます。鎮守府内に設けられた図書資料室。その傍ら、辞書コーナーとして設けられた場所には、艦娘たちの要望で集められた辞書たちが並んでいます。数も種類もいろいろです。中には古語辞典とか、大和言葉字引とか、外国語の辞書なんかも網羅されています。
そのうちの一つを、わたしは手に取っていました。普通の本より厚手の辞書は、想像以上にすんなりと本棚から抜けます。その辞書を持って、机の並ぶスペースへ移動しました。
カーテンで遮られた秋の日が射す資料室。夏の残像を仄かに残した温もりが満ちる部屋。紙の香り、本の虫の匂い。茜の中でわたしは辞書を読み耽ります。
手にした辞書を、右端を目で追いながらめくっていきます。か行の後ろの方を開き、目当ての語句へ。目分量で開いたところは、少し後ろすぎました。「こさ」のページから前へ。「ここ」、「こく」、「こか」。
「……あった」
目当ての言葉は、「こ」の最初の方のページに載っていました。
言葉を見つけた時には、何ものにも代えがたい高揚感がします。言葉は宝石なんです。辞書という宝箱の中は、いつ見ても輝かしい宝珠で満ちています。
指でページをなぞります。言葉一つ、たった三行程度の説明文です。読むのに十秒もかかりません。
言葉の意味を噛み締めて、天井を仰ぎます。目を閉じて、少し時間をかけ、咀嚼するように。言葉は繊細で難しい。早とちりはよくない、ですから。それはいらない誤解を招くことになります。
ただ――今日に関しては、調べた言葉の意味が、わたしの中で消化しきれません。曖昧な話ですけど、言葉としての理解に、感覚としての理解が伴われていないんです。なんだかずれている。こういう感覚を、首をひねる、と言うんでしょうか。
「……うーん」
困ってあげた唸り声が、閑散とした資料室に響きました。夕食前のこの時間に、わざわざ資料室を訪れる艦娘はいません。今日に関しては、わたしがわざとそういう時間を選んだわけですけど。
「結局、どういうことなんだろう……」
調べた言葉は、ここ一週間ほど、ずっといろんな辞書で調べている言葉です。でも一向に、その意味は掴めません。何度読んでも、何度調べても、何度噛み締めても、言葉はわたしの中に入って来てくれないんです。
もはや唸るしかできないわたしは、ダメもとでもう一度、辞書の説明文をなぞります。
「吹雪?」
その時、わたしの名前を呼ぶ声がしました。辞書に集中していた私は、突然のことに肩を跳ねさせます。声の方を見ると、今ちょうど資料室へ入ろうとしている、司令官が立っていました。抱えた段ボールの中身は、ここから持ち出した資料たちでしょうか。
「いいのかい?もうすぐ夕食だよ」
そう言いつつ、司令官は入り口側の本棚に、段ボールの中身を移していきます。いつもの癖で、わたしは立ち上がり、司令官の隣で本を戻すのを手伝います。ありがとう、と司令官は笑いました。
「吹雪は?また辞書を見てたのかな?」
「は、はい」
何気ない質問にぎくりとしてしまいます。机の上には辞書が開かれたままです。
「うん、いいことだ。言葉を知ることは、世界を知ることだからね。君たちがいろんなことに興味を持つのは、とてもいい」
司令官の答えはいつも同じです。司令官は、わたしたちが言葉を知ることを、とても快く、肯定してくれます。それはいいことなのだと、受け入れてくれます。兵器として生まれたわたしたちに、人としての知識が備わることを、よしとしてくれます。だからここの艦娘は、皆辞書を読むんです。
「今日は何を調べていたんだい?」
本を片付ける手を止めて、わたしはちらりと、机の方を見遣ります。自分の中で消化できない言葉。司令官に訊いてみるのは……一つ、いい方法かもしれません。司令官なら、言葉を理解するのに、いい手掛かりをくれるかもしれません。
でも……今日のこの件を司令官に尋ねるのは、なんだか躊躇されたんです。自分でもよくわかりません。だからこそ、この感覚のずれに、わたしは首を傾げています。
ううん、気のせいです、きっと。わたしはいつもそうしているように、司令官に質問を投げかけます。
「司令官は、『恋』ってご存じですか?」
それが今日の、わたしの疑問です。ここのところ、ずっと理解しようと、調べ続けたものです。
この疑問に、司令官はどんな手掛かりをくれるのでしょうか。
わたしの質問を受けた司令官は、きょとんと、狐に摘ままれたような表情で、こちらを見ました。パチパチと瞬きをした司令官は、やがて小さな笑いを浮かべながらかぶりを振ります。
「ごめんごめん。ちょっと驚いてしまってね。――そうか、吹雪は『恋』を調べてたんだね」
何かを納得したのでしょうか、二、三と首肯する司令官。わたしにはその仕草の意味が分からず、やっぱり首を傾げてしまいます。
「はい。――誰かを好きになること。その人と、いつだって会いたい、一緒にいたいと思うこと。辞書には、そう書いてありました」
本を戻しながら、わたしは話を続けます。司令官も手を止めることはせず、頷きながら話を聞いてくれています。
「恋の定義は、わかりました。でも……うまく、掴めないんです」
ことりことり。本棚に本が収まる音の合間に、わたしの言葉と、司令官の相槌が混じります。
誰かを好きになる、ということ。恋の定義に大前提としてある感情については、理解できたつもりです。では、恋とは何ですか。好きとはどう違うんですか。好きな人には、恋をするんですか。
「司令官は、恋をしたことがありますか」
最後の一冊を仕舞い終わり、わたしは司令官の方へ向き直ります。段ボールを畳んだ司令官は、穏やかな夕陽の中で、こくりと一度頷きました。
「うん。随分と昔の思い出だけどね」
「どんな感情、なんですか」
「概ね、吹雪の言った通りかな」
答えた司令官は、腕組みをして考えています。言葉を選んでいるのだと、わたしは知っています。いつも慎重に、わたしたちの疑問に向き合ってくれているのだと。
「いつだって会いたい、いつだって一緒にいたい。うん、全くもってその通りだと思う。――それはつまりね、どんな時でも、相手が心の片隅にいる、ということだと思うんだ」
司令官の言葉は、殊更ゆっくりです。わたしが言葉を噛み砕く時間を、待ってくれています。
「心の片隅に、いつでも……」
「おいしいものを食べた時、きれいな景色を見た時、新しい発見をした時。そういうちょっとした幸せを、一緒に分かち合いたいと思えたなら、それは恋と呼んで差し支えないんじゃないかな」
司令官のヒントは、辞書よりもかなり具体的で、でも決して、答えではありません。具体的な言葉を並べて、逆に答えを曖昧にしている、と言いますか。結局のところ、言葉を理解するのは、わたし自身です。あくまで司令官は、ヒントを出してくれるだけ。恋の答えは、わたしが出すものです。
ただ――もし、司令官のヒントの通りだとして。わたしの心の片隅には……わたしの好きな人が、いるのでしょうか。
例えば、間宮さんのカレーがおいしかった時。ホットケーキが上手く焼けた時。わたしは何を思ったでしょうか。
例えば、夕焼けオレンジの海を見つめた時。雨上がりの水溜りに青空が映った時。わたしは何を思ったでしょうか。
例えば、新しい言葉の意味を見つけた時。この世界の美しさを知った時。わたしは何を思ったでしょうか。
わたしは――
「司令官」
廊下を歩く、わたしと司令官。陽はすでに沈んで、東の方から夜が訪れます。瞬く星々、白銀の月。青を下地にして黒を塗りたくった空のスクリーンに、太陽よりもずっと儚い光たちが並びます。ほんの一時、安らぎの時間。誰かと距離が近くなって、誰かの温もりが近くなって――そんな時間です。
「どうした?」
司令官はいつもと変わらず微笑みます。小首を傾げ、私の言葉を待っていました。
「わたしは――司令官のことを、尊敬しています」
それはいつも、わたしが司令官に言っている言葉です。尊敬、という言葉を使うのなら、きっと司令官が一番相応しい。わたしはそう思っています。
でも、今日は、もう一つ。
「司令官のことが、好きです。――多分、恋を、しています」
好き。そして、いまだ感覚の掴めない、恋。新しい言葉を、司令官と並べてみます。たったそれだけのことです。なのに何だか、胸の奥が熱くなって、ほわほわします。せっかく色んな言葉を知っていても、喉が詰まりそうで、出てきてくれない。
ですから、二つ、新しい言葉を使うだけで精一杯でした。
「好き。恋、してます」
司令官は、真ん丸に目を見開いていました。今まで見たこともない表情です。それは、多分、驚いているんだと、思います。
「――そっか。ありがとう」
何に対するお礼なのかはわかりませんでしたが、返す言葉が出てこなくて、わたしは頷く他ありませんでした。
「多分、ってことは、まだ確証はないんだね」
優しいいつもの声音に、頷きます。ようやく解消されつつある、喉の詰まり。なんとか口をこじ開けて、わたしは言葉を続けました。
「恋は、まだ、わかりません。でも、おいしいご飯も、きれいな景色も、新しい発見も――司令官と一緒が、いいんです」
この感情は、恋ですか。
いいえ、その質問は、わたしが、わたし自身にするものです。いつだって、言葉の意味と答え合わせは、自分でしなくてはいけません。
それがいつになるのかは、今のところ、不明ですけれど。
「――ありがとう。そう思ってもらえて、光栄だ」
そう言った司令官が、ポンと、わたしの頭を撫でました。ほんの少しくすぐったい感覚。まだわずかに残る夕焼けのせいか、司令官の頬は朱に染まっていました。そんな風に微笑む表情を、わたしは見たことがありません。
「私も吹雪が大好きだよ。どうかそれだけは、忘れないでおくれ」
司令官はそう言い残して、手を放しました。離れた温もりを、少し寂しく思うのは、訪れた夜のせいでしょうか。
誰かから言われた、初めての好き。司令官のそれは、恋なのでしょうか。そこを答えてくれなかったのは、きっとわたしが、まだ恋の意味を見つけていないから。
でも――今はそれで十分でした。
「――はいっ」
どういう訳か高まる鼓動をそのままに、わたしは力一杯返事をします。
司令官が、好き、と言ってくれたから。
わたしもあなたが好き。けれど恋かはわからない。
あなたと一緒にいたい。いつでもあなたに会いたい。湯気香る夕ご飯も、陽光輝く蒼海も、心躍動する言の葉も、全てあなたに伝えたい。
それを――この感情を、恋と、呼べたのなら。
わたしは、今度こそあなたに、恋をしよう。
結構吹雪ちゃんのお話書いてたつもりだったのですが……よく考えたら、ネットに公開するのすごく久しぶりだったという……コミケとかでは出してたんですよ?ほんとですよ??
えっと、一応断っておきますと。以前書いていた、吹雪と司令官の小説とは全く別のお話です。
思いつくままに書いていたので定期で更新するつもりはないですが。いくつか考えているお話はありますので、気まぐれに投稿していこうと思いますー。感想をもらえるとやる気が十倍くらいになります()
(以下追記)
以前書いたお話、「桜吹雪の季節に」、「吹雪と司令官と」が気になる方は、是非読んでみてくださいね☆(露骨な宣伝)