カズマと名乗るのは恐れ多いのでカズヤと名乗ることにした 作:美味しいパンをクレメンス
もう何度目だろうか? この夢を見るのは。
夢を夢だと認識して見ることを、明晰夢と呼ぶ。
一般的に夢を見ている間は、それが夢か現実か区別がつかない場合が多い。たとえそれがどんなに非現実的な内容だとしても。
しかし、今私は、これが夢だと認識していながら、もしかしたら現実なのではないかという漠然とした不安があった。
夢と現実の区別がつかない。
ここは──
「......"向こう側の世界"...」
虚空に溶けていく私の声。
フロンティア事変の際、神獣鏡のシンフォギアを纏って暴走した私を、全身全霊で止めようとしたカズヤさんと共に取り込まれた異世界。
彼が操るアルター能力の、力の源。
視界は虹色に輝く極彩色のみ。それ以外に存在するものはない。自分以外の生き物も、石や土や植物も存在しない。ただ何もない空間が広がっているだけ。
宇宙空間のように無重力である為、上下も分からない。
「...カズヤさん」
私が知る限り最もこの空間について詳しく、頼りになる愛しい男の名を呼ぶ。
だが、いくら待っても応える者は現れない。
故に、胸の内に燻っていた不安が急激に膨れ上がる。
これは夢ではなく現実で、私は知らぬ間に"向こう側"にやって来てしまったのではないか。
もう皆の所には帰れないのではないか。
そんなネガティブな方向に思考が偏っていくのをダメだと理解していながら止められない。
「...嫌だ、嫌だよ! 響、カズヤさん、皆!!」
あらん限りの声で叫んだその時、目の前に光を伴って虹色の粒子が集まり何かが再構成された。
それは人の頭くらいの大きさの、円形の鏡。
思わず手を伸ばし覗き込む。
鏡の中には、当然私がいた。
「えっ!?」
映っているのは間違いなく私だ。今にも泣きそうで情けない顔をしている。泣きそうな気分だったからそれはいい。でも、どうしても解せない点がある。
それは──
「神獣鏡の、シンフォギア...?」
鏡に映る私は神獣鏡のシンフォギアを纏っていた。
視線を鏡から我が身に移す。
確かにシンフォギアだ。あの時、カズヤさんに殴られて消えたはずだったのに。
どうして?
もう一度鏡を見れば、そこに映る私はついさっきとは打って変わって自分とは思えないほど真剣な表情で口を開き、
「─────」
(聞こえない?)
何かを訴えようとしているのは分かる。だが聞こえない。
「─────」
「何を言っているの?」
残念ながら読唇術などは使えない。緒川さんなら理解できるのだろうか?
「───────────」
最後に聞こえない言葉を紡いだところで、私の意識は闇へと落ちた。
目を覚ませばいつもの布団の中。リディアンの学生寮、響と同室で、二段ベッドの上段を響と二人で寝ている状態。
「...ウェヒヒ...未来、カズヤ、さん...大好きぃ」
隣では響が幸せそうに寝言を言う。
彼女の頭を一度優しく撫でてから先程見た夢に思いを馳せ、呟く。
「...もういい加減、夢についてはカズヤさんに相談した方がいいよね」
あの夢を見るのはもう何度目か。フロンティア事変以降、月に一度あるかないか程度の頻度であるが、このまま誰にも相談しない訳にもいかない。"向こう側"関連ならばなおのこと。
それに、夢を見た後は、何故だか無性に彼に会いたくなる。
そう考えると丁度良かったかもしれない。今日は彼と二人で出掛ける予定なのだから。
【胎動】
待ち合わせ場所は寮から歩いて数分のコンビニ。
少し早めに到着するように寮を出たのだが、コンビニの駐車場には彼の愛車『クーガー号』が既に鎮座しており、店外から店内を覗けば雑誌コーナーで立ち読みしている彼の姿が確認できた。
自動ドアを潜り、こっそりとそばまで近寄り手元の雑誌を後ろから覗くと、それは音楽雑誌。ツヴァイウィングとマリアさんのインタビューのページだった。
この三人、マリアさんが活動再開してからいつも一緒に活動している。最近では、こいつらいっつもコラボしてんな、いっそ三人で新しいユニットを組めとファンから言われていたり。
と、パタンと雑誌が閉じられ棚に戻される。
「おはようさん」
「おはようございます」
こちらに笑顔を向けカズヤさんが朝の挨拶してくるので返す。
「何か飲み物でも買ってくか」
「奢りですか?」
「自腹でも奢りでも好きな方を選んでいいぜ」
本棚から冷蔵庫前へと移動し中身を漁り、カズヤさんは500mlのミルクティーを手に取り、こちらに寄越してきた。
「じゃあ奢りで」
「へへっ、お嬢様の仰せのままに」
今回のデートは水族館だ。ペンギンが見たい、ということでとある水族館へ向けて車を走らせる。
一般道から高速道路に切り替わり、カズヤさんはアクセルを一気に踏み込み、それに応じてスピードがぐんと上がっていく。
「どのくらいで着きます?」
「ナビ通りなら一時間半くらいじゃねーかな」
一時間半、か。思ったよりも時間が掛かるかな。
「何か流していいですか?」
「どうぞ」
こちらを一瞥することなくカズヤさんが返答するので、勝手にカーナビとスマホを無線接続し、スマホ内に保存された音楽を流す。
車内のスピーカーから流れてくるのは、ツヴァイウィングとマリアさんのコラボの新曲だ。
「おいおい、こんなテンション上がる曲流されたら、クーガー号のリミッターが外れちまうぜ?」
「安全運転でお願いしまーす」
隣でイタズラを思いついた悪ガキみたいな顔をするので釘を刺しておく。
「そういえば、クーガー号とかラディカルグッド・スピードとか車とバイクに変な名前つけてますけど、何か由来でもあるんですか?」
それはふと思いついた、何気ない会話のつもりで振った話であった。
しかし彼は数秒きょとんとした後、サングラス越しに何かを懐かしむように目を細め、肩の力を抜いて一息ついてから微笑んだ。
「変な名前とはひでーなー」
「あ、その、ごめんなさい」
てっきりプンスカ怒るかと思っていたが、予想していたリアクションとは異なる態度に戸惑いつつも謝れば、彼は苦笑してから告げた。
「実はな、こっから先は響達にも話したことはねーんだがな」
「え?」
「クーガー号もラディカルグッド・スピードも、それどころかシェルブリットも、名付け親は俺じゃねー」
「...!!」
「全部もらいもんなんだ......兄貴からの、最速最強のアルター能力者、ストレイト・クーガーからの、な」
私は突然の告白に驚きを隠せなかった。
カズヤさんが響達にも話したことがない話を私にしてくれるということもそうだが、彼に兄がいたこと、彼の口から『最速最強』と謳われる人物が存在すること、そして何より、"向こう側"からやって来たが故に記憶の大半を失っている彼から過去話を聞かせてもらえることを。
ドクンッと、知らず、鼓動が高鳴った。
いや、アルター能力に関することは記憶を失っていないからこそ、その人物についてはしっかりと覚えていたのかもしれないと思い直す。
「兄貴は、俺の能力『シェルブリット』の名付け親だ。シェルブリット第一形態時の技、『衝撃のファーストブリット』は元々兄貴の技で。この車、クーガー号は兄貴の愛車から、バイクのラディカル・グッドスピードは兄貴のアルター能力からそれぞれ名前をもらった。ついでに言えば、俺がフロンティア事変以降に使ってるこのサングラスも、兄貴が常に使ってたもんを真似て作ってもらったんだ。色違いではあるがな」
右手の人差し指でトントンとサングラスのブリッジをつつく。
まさに衝撃の事実。カズヤさんの能力や日常の一部に関することが、彼の兄──ストレイト・クーガーという人物が関わっていたのだ。
「ま、兄貴っつっても血の繋がりはねーし、俺が勝手に兄貴って呼んでるだけなんだがな」
饒舌に語る彼の横顔は楽しそうだ。
兄と呼ぶその人物のことを心から尊敬し、慕っているのがよく分かる。
「どんな人だったんですか?」
「...とにかくキャラが濃い。飯を食う時以外は、何事にもひたすら速さを追求する人だった。アルター能力も、生き方も。速さこそが力、速さこそが文化の基本法則ってのが口癖で、読書が趣味で文化を愛し、誰よりも何よりも最速で駆け抜ける、そんな人だったな」
「...速さにこだわりがある人なんですね」
「能力は何でも速くできること。アルター能力者としては珍しく具現化型と融合装着型の二種類の使い手で、具現化型として車に使えば車を超高速走行が可能なスポーツカーに。融合装着型として俺みたいに自分の肉体に使えば音速を超える速度で移動できる。はっきり言って超強かったぜ。走るだけでソニックブームが発生しやがるし、シェルブリットバースト撃とうとしてもその前に衝撃のファーストブリットで潰されちまう...誰も兄貴には追いつけねーよ」
......カズヤさんにここまで言わせるなんて相当だ。『最速最強』の名は伊達ではないらしい。
「強くて速くて頼れる人格者な兄貴分だったが、気に入った相手の名前を故意に間違えて呼んでからかう、っていう悪癖があってな。切歌に初めて会った時に、『
くくくくっ、と笑いを堪えるカズヤさん。
私はそんな風に熱く語る彼の横顔にドキドキしっぱなしだ。
普段は飄々としている彼が、夢中になって話している。
この人は本当にコロコロと子どものように表情が変わるし、その時々によって別人かと思うほどギャップも凄い。
果敢に戦う姿は格好良くて、黙って立っていれば凛々しくて、喋り出したり笑顔や寝顔を晒せば子どものように可愛らしくて。
どうしてこの人はこうも女心をくすぐるのか、母性本能を刺激するのか。
きっと私だけじゃなく、響達もこれにやられたんだろうなぁ、と頭の片隅で考える。
それから暫くの間、兄と慕う人物について上機嫌に語る彼の横顔に、私は胸を焦がされるのであった。
水族館に到着し、車を駐車場に停めて受付でチケットを購入し入場する。
土日ということもあって人は多い。私達のようなカップル、子ども連れの家族が大半だ。
はぐれないようにと手を繋いできたカズヤさんの手は、温かい。
「薄暗いからグラサン外しても大丈夫だよな?」
おっかなびっくりそう言って、カズヤさんは繋いでいない方の手でサングラスのつるを上げて館内を見回す。
「何処から見てく?」
「クラゲと深海コーナーから見に行きませんか? パンフの紹介曰く、とっても幻想的で綺麗だとか」
「いいぜ。ならその後はペンギン見てからイルカとアシカのショーだな」
館内をどのように巡るか相談し、ゆっくりと歩き出した。
水槽の中で泳ぐ海の生き物達。それらに視線を奪われ興味深そうにキョロキョロとしている彼の様子が微笑ましくて、隣を見ているだけでもなんだか楽しい。
「カズヤさんって、結構動物好きですよね」
「ああ、なんか興味を引かれるんだよな。モフモフしてるやつとかは特に」
「だからキツネ村でいつもよりテンション高かったんですね」
「...ちょいと未来さんや、恥ずかしいからその話やめてくれよ」
翼さんと共同で制作しているツーリング動画において、キツネ村と呼ばれる施設に赴いた時のことである。普段は撮影係に徹しているカズヤさんなのだが、この時は可愛いキツネ達とじゃれ合っている姿を翼さんに撮影されており、それがネットにアップされることはなかったが、その日の内に私達の間でデータ共有され、毛だらけになって喜んでいる姿を皆にしっかり見られていたのだ。
「あれ、本当に迂闊だった」
「今日は私がカズヤさんの迂闊な姿を見てあげますよ」
「見てもいいけど撮るなよ」
「え~、どうしようかな~?」
「勘弁してくれ」
数十分後。
「未来、未来、見てみろよ! ペンギンがすっげー集まってきたぞ!!」
「はいはい見てますよー」
ペンギンの水槽の前に張り付いて無邪気にはしゃぐカズヤさんを、横からスマホのカメラを向けて撮影しておく。
小さい子ども達に混じって喜ぶこの男が、世界を二度も救った英雄だということを、"シェルブリットのカズヤ"だということをこの場にいる他の客達は一体何人気づくだろうか。
周囲を見渡してみるが、それらしい素振りを見せるものはいない。
幸いなことに誰にも気づかれていないようだ。
もし気づかれたらきっと、
『世界を救った英雄、フンボルトペンギンに釘付け』とか、
『"シェルブリットのカズヤ"が水族館で大興奮』とか、
『【速報】Kさんペンギンがお気に入り』とかネットで言われるんだろうなと想像した。
それはそれでちょっと面白いと思うのだが、本人は自分が赤の他人から一方的に知られるのは気持ち悪い、と断言しているので、その辺りの感覚は一般人的なものなのだろうと推察する。
私は響の家のことをよく知る人間として、不特定多数の人間から個人情報を知られることに関する怖さは理解しているつもりなので、悪ノリするつもりは一切ないが。
あっ、でも動物好きなことはもう知れ渡っているっけ。翼さんのツーリング動画に声だけ出てるから。
「カズヤさん、ペンギンが可愛いのは分かりましたけど、そろそろイルカとアシカのショーが始まりますよ」
「何!? もうそんな時間か!」
迂闊だったと叫ぶカズヤさん。こういう手間が掛かるところとか、ちょっと抜けてるところとか、何事にも全力で楽しもうとする姿勢は響に似てるなぁ。
館内は混んでいるので走れない。だから人の群れをかき分けながらの急ぎ足。
急げ急げと逸る気持ちを抑えてイルカとアシカのショーを行う会場に辿り着けば、そこは人の山、山、山。
「見えるか? 俺は背伸びすればギリギリ見えるが」
「無理です」
見えるのはイルカやアシカではなく人々の後頭部と背中だ。
完全に出遅れた。カズヤさんがペンギンに夢中になってるから! と文句を言っても仕方がないので溜め息を吐くと、
「よし、ならあそこの壁際で肩車するか」
「は!?」
妙なことを思いついたのか、手を引っ張られて壁際まで着くと、彼は私の後ろに回り込んで屈み、何の断りもなく股下に頭を突っ込ませそのまま立ち上がる。その際、こちらの脛をしっかり掴むのを忘れない。
体のバランスが不安定になって、咄嗟に彼の頭に両手を載せ、太ももで思いっきり挟んでしまう。
いきなりの行動に、つい慌てて抗議の声を上げた私は悪くない。
「きょ、今日はその、結構タイトな、ミニスカートなんですけど!?」
「いいねミニスカート、大好きだ。魅力三割増しだぜ」
「バカ! 見られちゃうかもじゃないですか!?」
「大丈夫だって。俺の頭あるし、何の為に後ろの壁際に来たんだっつの。それに皆ショーに釘付けでこっちなんて見てねーよ。ほら、前見てみろって」
一気に高くなった視点から見下ろすショーは、丁度今、イルカが水中から大きなジャンプをし、空中で回転しながら飼育員さんが投げたボールを尾ひれでキックした瞬間だった。
歓声と拍手が沸き上がる。
「...わぁ」
思わず感嘆の声が漏れた。
太ももの間からは口笛が聞こえてくるので、とりあえずコツンと拳骨を落としておく。
「いてー」
「この程度じゃ済みません。後で美味しいランチご馳走してもらいますから! 肩車されるのって、結構恥ずかしいんですよ!?」
「そうか? 前に訓練の休憩中に皆にやったらスゲー喜ばれたぜ。響とか切歌とかは特に」
「訓練の休憩中に肩車するとか、それ遊んでるだけですよね!?」
「...」
「...何黙ってるんですか」
「いや、何度も膝枕とかしてもらったけど、やっぱ元陸上部だからか、弾力あって柔らかい感触が心地良いなと改めて思ってていってぇぇぇ!?」
「.........スケベ......そういうのは、後でにしてください......後で、いくらでもやってあげますから」
頬が熱くなるのを感じながら、追加で二回ほど拳骨を落とした。
...もう、本当にバカ。
................................................って、ああああああああああああああああああああああ!!!???
この男、訓練の休憩中に皆に肩車をしたって言った!?
ギアを纏った、あの格好の皆に!?
「...皆に肩車した話、後で詳しく聞かせてもらいますからね...!!」
「え? なんで怒ってんの?」
むしろなんで誰も教えてくれなかったのかが知りたい!
...............こうなったら私も負けてられない! 帰ったら学校指定のあの競泳っぽい水着で代用するしか...!!!
館内レストランはとてつもなく混んでいたので、一度水族館を出る。チケットの半券があれば当日は再入場可能というので大助かりだ。
ネットで調べると、水族館から数キロ離れた場所に美味しくて空いてるレストランがあるとのことで、多少手間だが混んでるよりはマシ、と車に乗って移動。
到着したのは、個人経営の小さなレストラン。いかにも地元の人が愛する『町の洋食屋さん』という感じで、暖かい雰囲気が漂うお店だ。
ランチタイムだからか、そこそこな混みようだったけど、待ち時間はないに等しく、店員さんの対応も丁寧で、メニューも豊富。
私はカズヤさんとメニューを見ながら、これ食べてみたい、これ美味しそう、ケーキセットは絶対食べましょう、これ大盛にできんのかな? と話し合う。
やがて何を食べるのか決まり、店員さんを呼んで注文を終えて待つのみとなった。
雑談をしながら料理を待ちつつ、私はどのタイミングで夢の話をしようか考える。
......やはり真面目にならざるを得ない内容かもしれないので、食後の方がいいだろう。そう結論付けて、夢の話は一旦頭の隅に追いやった。
今はカズヤさんとのランチに集中して、楽しもう。そう判断して。
「カズヤさん」
「ん?」
「実は、相談したいことがあります」
「相談?」
食後のデザートが食べ終わり、コーヒーを飲みつつまったりしていたタイミングで、私は勇気を振り絞って全てを話す。
最初は驚いた表情を見せていたカズヤさんだったが、その後すぐに真剣な顔で耳を傾けてくれた。
「...私は、アルター能力に目覚めたんでしょうか?」
「...」
声を震わせた私の問いに、カズヤさんは即答しない。腕を組み、背もたれに体重を預け、瞼を閉じて思案するように眉を顰めた後、ゆっくりと目を開く。
「その可能性は、否定できねー」
静かに、厳かに紡がれた言葉に私は否応なく恐怖を覚えた。
「アルター能力を後天的に手にする方法は、ほぼないと言っていい。生まれる前から"向こう側"を認識していたからこそ、"向こう側"へのアクセス方法を無意識に理解しているのが能力者だ。重要なのは『無意識』にアクセス方法を理解していること。これは理屈じゃねーし、説明できるもんでもねー...だがな」
一度そこで区切り、カズヤさんは目を細めた。
「あの時に未来が"向こう側"に行ったことで、あの世界を認識し、無意識にアクセス方法を理解したのなら、可能性は存在する」
「...そう、ですか」
「それともう一つ、神獣鏡だ」
「...」
「あの時、神獣鏡は消滅したんじゃなくて、分解された後に"向こう側"で未来の一部として再構成、つまり、アルター能力として未来の中に存在しているのなら、夢の中で神獣鏡を纏っていたことにも説明がつく」
「私の中に、神獣鏡がシンフォギアとしてではなく、アルター能力として存在してる......?」
あの力が?
私の中に?
響を、カズヤさんを、皆を傷つけた強大な力が?
そんなものが、まだ私の中に存在しているの!?
もしそれが本当だとしたら、私は──
「大丈夫」
優しく、安心させるような声と共に、テーブルの上に置かれた私の両手をカズヤさんの温かな両手が包み込む。
それだけで、私の感情はダムが決壊したように吹き出す。
「カ、カズヤさん...私、怖いんです...あの時私は、大好きな親友を攻撃することに躊躇しなかった...頭の中はあなたを力ずくでも屈服させて皆から奪うことしかなかった...こんな私が、またあんな力を手にしたら、前みたいなことになるんじゃないかって思うと、凄く怖くて...」
涙が溢れて頬を伝い、視界が滲んでカズヤさんの顔がまともに見えなくなってしまう。
「大丈夫」
それでも彼は繰り返しそう言うと、不意に腰を上げてこちらに身を乗り出し、唇と唇が触れる程度のキスをしてくれた。
現金なもので、たった一度の口付けで私の涙はあっさり止まり、胸の中に蟠っていた恐怖は容易く霧散する。
ズボンのポケットから取り出したハンカチで顔を丁寧に拭われて...すっきりとした視界には、腰を落ち着けてニッと笑う彼の姿があった。
「アルター能力によって再構成されたものは、能力者のエゴを具現化したもの。これは前に言ったよな?」
唐突に再開されるアルター能力の話に、彼の意図が分からないまま頷く。
「じゃあ、そもそもエゴって何だ?」
続く質問に考えてみる。
エゴとは自我、自尊心などを意味する言葉。そしてエゴイストであればあるほど、アルター能力者として高い能力を持つと聞いた。
「俺は、アルター能力におけるエゴってのは、もっと広い意味があると思う。能力者の理想や願いそのもの、もしくはそれらを実現する為の手段、そして能力者の魂が形になったもう一人の自分自身、ってな」
「...理想や願いそのもの、それらを実現する為の手段、魂が形になったもう一人の自分自身...」
彼の言葉を反芻する。
「さっき兄貴、ストレイト・クーガーのこと話したろ。速さを信条としたあの人は、誰よりも何よりも速いことを望んだ。だから手にした能力はラディカルグッド・スピード、最速になる為の力だ」
...カズヤさんの言いたいことが少しずつ分かってきた気がする。
「アルター能力は確かに強力だ。だが、戦闘に特化したものだけじゃねー。千里眼みてーな知覚能力だったり、対象のアルター能力を増大したり、触れたものを水に変えたり、何かと組み合わせたり使い方によっちゃぁ絶大な力を発揮するかもだが、それ単体じゃ直接的な戦闘力にはならないもんもあった」
「...」
「だいたい、力を持ってるからって必ず誰かを傷つけることにはなんねーだろ。こんなもん、包丁と一緒だ、包丁と。美味い料理を作る為の調理器具も使う人間次第で人を殺す凶器になり得る。この辺りに関しては、シンフォギアもアルターと大して変わんねーよ。困ってる誰かを助ける為の力は、一つ間違えれば破滅を生む兵器になる。規模がでかいか小さいか、違うのはそれだけだ」
ここまで言われて、ハッと気づく。
「カズヤさんは、私がアルター能力に目覚めていたとしても、気にしないんですか?」
彼の言い方だと、アルター能力を手にしようが気にするなと言外に言われてるような気分になる。
私がシンフォギアを纏うことをあれほど嫌がってたのに。
「もし未来がアルターに目覚めたとしても、俺にはそれを止めることも、否定も拒絶もできねーよ。ただ、先輩として間違えないように道を示してやる程度だ...あの時の、シンフォギア装者になろうとしてた時とは違う」
「どうして...あっ!」
何故という疑問は、既に答えが出ていたことに気づいて消え去った。
アルター能力は、能力者の理想や願いそのもの、もしくはそれらを実現する為の手段。そして能力者の魂が形になったもう一人の自分自身だと、カズヤさんは言ってくれたじゃないか。
私はやっと理解する。
シンフォギアとアルター能力の決定的な違いはこれだ。
装者の心象が歌となるシンフォギアと、能力者の心をそのまま顕現するアルター。文字にすると似ているように感じるが、全く違う。
あくまでも物理的な『道具』でしかないシンフォギアと異なり、アルターは能力者の精神を具現化した存在。アルター能力を否定することは、その能力者の理想を、願いを、手段を、魂を否定することに直結する。
装者になることとアルター能力者になることは全くの別物。
だからカズヤさんは、私がシンフォギア装者になるって言い出した時とは態度が違うんだ。
「アルター能力者は、決して自分のアルターを自分で否定しちゃダメだ。それは自分自身を否定することになる」
カズヤさんの手が私の手を握る力を少し強めた。
「だから未来。もしお前が本当にアルター能力に目覚めたなら、お前は自分自身がなりたいと思う自分を思い描くんだ」
「私がなりたい自分を...」
「そう。そうすればきっと、いざって時にお前のアルターはお前の助けになる...必ずだ...!!」
心の何処かで欲しかった言葉を、言ってもらえたような気がする。
力を持つこと、それ自体は悪いことではない。
力を以て何を為すのか。
そして、自分がどんな自分になりたいのか。
答えは、私の中にある。
何だ...こんなに簡単なことだったんだ。
力に怯えることや、誰かを傷つけることを恐れる前に、自分自身としっかり向き合う。
そして、私は私の中にあるものを認めるだけで良かったんだ。
「...カズヤさん、ありがとうございます。やっぱりあなたに相談して、良かった。こんなことならもっと早く相談してればって、若干後悔してます」
「どういたしまして」
礼を述べる私に、彼は気にするなと言わんばかりに手をヒラヒラさせる。
「それから、相談ついでにお願いなんですけど」
「何だ?」
「この話、私とカズヤさんの、二人だけの秘密にしませんか?」
「どうして?」
「だって...あれは実はただの夢で、私にアルターなんて本当はなかったら恥ずかしいじゃないですか...」
顔を赤くしながら蚊の鳴くような小さな声で告げると、カズヤさんは盛大に笑った。
お会計の際に、店員さんから「熱々なのね」と言われ、キスされたのを見られていたことが発覚し、返答に困った私はカズヤさんの背を押して慌てて店を出る。
その後、再び車に乗って水族館へ戻り再入場を果たし、午前中に回れなかった場所を巡り、最後にお土産コーナーに行き着く。
カズヤさんは自分用のお土産として、大きなサメのクッションぬいぐるみとペンギンのクッションぬいぐるみを前に、十分程度どっちにしようか悩んだ末、ペンギンを購入していたのが印象深い。
「サメも好きなんですね」
「ああ...苦渋の決断の末、昼寝のお供はこいつにするぜ」
ペンギンのクッションぬいぐるみを抱き締めてご満悦の彼の横顔が微笑ましい。
「あ、未来にもなんか買ってやるよ。何がいい? サメか? サメだろ? サメにしようぜ」
「なんでサメ一択なんですか。それ、カズヤさんが欲しいだけでしょ」
「ゲセヌ、ゲセヌ(裏声)」
「ちょ、やめ、やめなさい! サメの鼻を人のほっぺに押し付けるのをやめなさい! 子どもじゃないんだから!! まったくもう...」
ということで、私の顔にサメをグイグイ押し付けながら勧めてきたので全力で拒否しつつ、小さい子に叱るようなことをさせられてから、同じペンギンを選択し購入してもらう。二人でお揃いのクッションぬいぐるみを抱えて水族館を後にした。
行きとは異なり帰りは後部座席に二匹のペンギンを座らせ(大きいのでシートベルト装着済み)、家路に着く。
「夕飯どうする?」
「ふらわーでお好み焼きにしましょう」
「...まーたおばちゃんに嫌味言われるー」
「いつものことじゃないですか」
「いつものことだけどさー」
ぶーたれながらも嫌とは言わないので、今日の夕飯はふらわーに決定した。
高速道路を滑るように進む車内で、お気に入りの曲を聞きながら、ふと、聞き忘れていたことがあったのを思い出す。
「そういえば」
「ん?」
「カズヤさんのシェルブリットは、どんなエゴが形になったものなんですか?」
「何を今更。分かってんだろ」
「それでも聞いてみたいんです!」
私だけじゃなく、皆もなんとなく分かっているだろうけど、やはり彼の口から直接聞きたかった。
すると彼は諦めたように肩を竦めて溜め息を吐くと、チラリとこちらに視線を合わせてから前へと向き直る。
「俺のエゴは、ひたすら前に進むこと。俺が選んだ、俺だけの道を、行けるとこまでとことん突き進む。そんでもって邪魔なもんは全部ぶっ倒す。シェルブリットはその為の、前に進む為の力だ」
断固たる決意を感じさせる眼差しで前を見据え、そう告げた男を目の当たりして、心臓がエンジンのようにドクドクと激しく脈打ち、体が勝手に熱くなっていく。
...やっぱりあなたは眩しくて、素敵です。
あの日から、私はあなたが放つ光から、
その輝きから目を離すことができません。
この男の放つ光と輝きをすぐそばでずっと見ていたい、そんな想いが膨れ上がる。
だから──
「...はい。何処までもお供します」
私は気づけばそんなことを口走っていた。
まるで己の魂に刻むように。
また、夢を見る。"向こう側の世界"にいる夢を。
だけど私の中には既に不安もなければ恐怖もない。
やがて目の前に虹の粒子が集まり、光を放ちながら円形の鏡が現れた。
覗き込めば私がいる。神獣鏡のシンフォギア──のようなものを纏った私が。
以前と違う点を挙げれば、鏡の中の私は──自画自賛するつもりはないが──我ながら花が咲いたような可憐な、満面の笑みを浮かべている。
「私はあなた」
鏡の中の私が告げる。
これまで聞こえなかったはずの声が今度はちゃんと聞こえた。
「あなたは私」
続けて紡がれた言葉に私は大きく頷く。
そして、次に言われた内容に、私は心の底から納得した。
「私はあなたの
オマケ
訓練の休憩中、唐突に切歌が言い始めたことが切っ掛けとなる。
「カズヤ、肩車やって欲しいデス」
「は? 肩車?」
「ということでやるデス!」
彼女はカズヤの後ろに回り込むと、了承を得る前に勝手に跳びついて乗っかった。
「今度は何の影響だよ? マンガか? アニメか? ゲームか? それともおっさんのオススメ映画か!?」
「変形合体! イガリマ・オン・ザ・シェルブリットデース!!」
「...聞いてねー」
ジャキーンッ、と頭上でアームドギアの鎌を構える切歌。
切歌が何かに影響されて脈絡もなく突飛なことをし出すのはいつものことだ。それに付き合わされるのもいつものことで、カズヤも深く追及はしない。
満足したら勝手に降りるだろ、そう思っていたが、今回はいつもと若干違った。
「おい、あんま鎌振り回すな。目の前で刃が行き交って地味にこえー」
「肩車の状態で飛べないデスか?」
「回転翼がお前に当たって無理だと思うぜ」
「...本当デース。位置的にこれでプロペラ回ったらお尻が血塗れになるかもデース...」
カズヤの背後を確認し、切歌は残念と唸る。
「でも、普段より高い視点はなんか新鮮で楽しいデス! マリア達のつむじがこの位置なら丸見えデスよ!!」
いつも見下ろされている立場が見下ろす側になり、上機嫌にフフフと笑う。
「切ちゃん、次私」
切歌がやるなら私もやりたい、そんな調が小さくピョンピョンしながらせがんでくる。
で、そんな風にしてると続いてやってくるのは、大抵響だ。
「カズヤさん! 私も肩車してもらっていいですか!?」
そして、こうなってしまうと、こいつがやるならあたしも、アタシも、私も、といった感じでいつの間にか肩車してもらう為の列ができていたりする。
最初に切歌にやってあげた以上──半ば強制だったが──ダメとは言えない雰囲気だった。
「カズヤ」
「何スか調さん」
「つむじが自爆スイッチになってたりしない?」
グリッ!
「いっっってぇぇぇぇつむじ潰れるからやめろアホ!? 自爆スイッチなんてある訳ねぇだろ! あってたまるかそんなもん!! もし俺がロボットで自爆機能があったとしても誰がお前に教えるかバカ野郎!!」
「何だ、つまんない」
「お前実は俺のこと嫌いだろ!?」
「フィーネから、年増の行き遅れって言われた仕返ししてくれって頼まれたから」
「何ヵ月前の話だよ、あのことまだ根に持ってたのか了子さん...」
次に調に肩車をしたらこれである。
しかし、その後は一人ずつ普通に肩車をしてあげるだけで終わった。
なお、小さい頃に父親にやってもらったことを思い出して懐かしくて楽しい、とコメントしたのは響、奏、クリス、マリア、セレナで、それを聞いて涙がちょちょ切れそうになってしまう。
意外にも翼は切歌と同じようなリアクション。つまり肩車をやってもらったことがない、もしくは覚えてる範囲ではないということで、それはそれで涙を誘う。
肩車くらいならいくらでもやってあげよう、そう思うカズヤだった。
別に下心があった訳ではない...断じて!
オマケその二
水族館のお土産に買って帰ったクッションぬいぐるみのペンギンを抱きかかえ、これからカズヤは昼寝をしようとしていた。
「春眠、暁を覚えずってやつだぜ」
ソファーに寝っ転がり、瞼を閉じる。
やってくる睡魔に身を任せつつ、ペンギンをギュッと抱き締めて寝た。
目を覚ますと、
「...あれ?」
腕の中にはペンギンではなく、スヤスヤと安らかに眠るクリスがいる。
「は? なんでクリスが? ペンギンは?」
ペンギンは視界の端──フローリングの上で寂しげに鎮座していた。
別の日。
「やっぱ昼飯食った後の昼寝は最高だぜ」
ペンギンを抱えてソファーに横になり、瞼を閉じて寝た。
目を覚ますと、腕の中にはスヤスヤと安らかに眠る奏がいた。
「は? なんで奏が? ペンギンは?」
ペンギンは視界の端──フローリングの上で悲しげに鎮座していた。
また別の日。
「...」
昼寝から目を覚ますと腕の中にはペンギンではなく響がいた。
またまた別の日。
「...」
──ペンギンではなく翼が。
またしても別の日。
「...」
──ペンギンではなく未来が。
またもや別の日。
「...」
──ペンギンではなくマリアが。
まーた別の日。
「...」
──ペンギンではなくセレナが。
そしてついに、
「...奪われた」
目を覚ませばカズヤはフローリングの上で横たわっていて、ソファーに座るペンギンを挟んで寄りかかって眠る切歌と調がいる。
ペンギンは、なんとなく嬉しそうに見えた。
この前、ニコニコ動画で凄く格好良いスクライドのMADを見つけました。使用曲は『涼宮ハルヒの憂鬱』で有名な『god knows』を遠藤正明が歌っているもので、映像と歌詞がとてつもなく合っていて即マイリスト入りに。投稿されたのはかなり昔なので、既にご存知の方も多いかもしれません。知らなくて興味がある方は是非、グーグル先生で、
スクライド god knows
と検索してみてください。