「ユリウス……」
五回戦で戦った、友人になれた一人の男の名前を呟く。
そう、今はもう七日目の夜。
五回戦で戦った相手の名前は、ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ。
敵であり、幾度もぶつかり、そして最後には友人になることができた相手。
慎二のように偽りの友情を与えられたわけではなく、遠坂のように対等な相棒というわけでもない。
自分が、自分の意思で友達になることができた相手。
そんな彼のことを思い出していた。
「悼んでいるのね」
そう言って、自分の横で姿を現した少女……
彼女という英霊についても思い出す。
「キャスター」
「もう、こういう場でぐらい名前で呼んでくれてもいいのよ」
沙条愛歌。
英雄という存在では決してない、ただの少女。
されど、恋のために世界を滅ぼそうとしたことがあって、『英雄に殺された』という事実が逆説的に彼女を
その宝具は世界を滅ぼそうとした時のことを、その時に使用した存在を召喚することらしいのだが、流石にそんなものを使わせるわけにもいかないので、宝具に関しては目下封印中。
そんな、調べた限りでは彼女が人理定礎を破壊するために参加した聖杯戦争においても自分が戦ってきた強大なサーヴァントを数多追い詰めた、ある意味ではこの聖杯戦争で出会ったありとあらゆる存在を上回る危険度を誇る
ユリウス・ベルキスク・ハーウェイとそのサーヴァントことアサシン、李書文。
その脅威を知ることになったのは五回戦の初日だった。
「あの時は大変だったわよね」
キャスターの言葉に頷く。
あの時、姿をたった一人で見せたユリウスはサーヴァントを連れてはいなくて、サーヴァントは……その当時はクラスまではわかっていなかったがアサシンは、突如の出現とともにキャスターの心血とやらを撃ち抜いていた。
結局それはアサシン曰く「決定的な瞬間だけはうまく避けた」とのことらしいのだが、真名を知った今となっては肉体的にはただの少女でしかないキャスターがどうやってそんなことを実行できたのかということが気にならないわけがなかったが──
「どうかしたのかしら?」
「いや、なんでも……」
答えてくれそうな感じではない。
にこりと笑って拒絶するキャスターの姿を見てそう感じたので、聞くことに関しては諦めている。
そして、同じように聞くことを諦めていることがもう一つ。
一日目に心血を打ち抜かれ、魔術回路をめちゃくちゃにされたことで魔力供給の経路がしっかりと機能していない状態になったキャスター。
二日目に彼女を助けるための策を遠坂が練ってくれたことによって活路は見い出せたのが、その時はユリウスとそのサーヴァントに見つかって結構ギリギリだったと言える。
そして、三日目。
この時の出来事が、どうしても気にはなっているのだが、同時に聞こうとすると怖い笑顔で拒絶されるので聞くことを諦めていることである。
魔術回路を乱され、魔力供給をできなくなってしまったキャスターに対して、遠坂が
ただ、そのための経路を結ぶ際に『見るんじゃない』と常の遠坂を考えれば妙なほど力強く念押しされたので、気になっているのだ。
まあ、答えてくれそうにないので、無理に聞き出して関係を悪くする必要はないと思っているのだが。
「それで正解よ。もしも聞き出そうとしていたら……」
「していたら?」
ふふふと笑うキャスター。
少し……いや、かなり怖い。
頬がほんのりと赤く染まっているような気がするのは気のせいだと断じて、とりあえず三日目の他の出来事を思い出す。
……確か、あの日はキャスターの魔力供給問題が終わった直後にユリウスと出会った覚えがある。
その時に、相手のサーヴァントが扱った技がわかった。
打撃の瞬間に、拳に乗せた自分の魔力を相手の体内に巡らせて全身の陽気と陰気を逆転させる発勁の奥義。
天地万物と武を同一と見る中国拳法が、彼の使用した技。
そしてその直後に、アサシン自身から『二の打ちいらず』というキーワードを引き出すことにも成功した。
その場であわや戦闘か、というような事態にも陥ったのだが、そこは言峰神父がやってきたことによって戦いは行われることはなかった。
だが、アリーナに行って、魔力供給の問題も終わったからまともな戦いになると思ったのに、実際にはまともな戦いにはなることはなかった。
五日目にわかったそのスキルの名前は圏境。
気を使い、周囲の状況を感知し、また、自らの存在を消失させる技法。
極めたものは天地と合一し、その姿を自然に溶け込ませることが可能となる技。
そして、彼はその『極めたもの』という領域に入っていた。
それがわかる前日、つまりは四日目に自分がそもそも地上に肉体なんてないことを遠坂から教えてもらえた。
……もっと、驚いたりわめいたりするのかとも思ったのだが、実際にはそんなことはなかった。
もしかしたら、どこかでそうなのかもしれないと思っていたのかもしれない。
ありすの言葉も、自分を
自分はそういう存在なのだと、ようやく理解できた。
「それで、あの時はまだ願いはわからなかったみたいだけど、今は何かあったりするの?」
その言葉に、曖昧に頷く。
データに過ぎない仮想の命。
それに従ってくれているキャスターがいて、ならば自分には何もないわけではない。
今はまだはっきりとした願いは思いつかないけれど、……ああ、今の自分には命がないのだから命を手に入れるなんて願いなら叶えてもいいかもしれない。
きっと、どんなところだってキャスターがいたならば面白くなりそうだ。
ただ、それはもちろん自分の願いだというだけであって、キャスターが嫌ならばそれは連れて行く理由にはなりはしない。
ああ、遠坂も地上に返さないといけない、ということも忘れてはいけない。
……そして何よりも、慎二のような『命を失うことをただの脅し文句だと思って聖杯戦争に参加する』なんて人間がいないように、この聖杯を閉じる必要がある、ということだけは何よりも一番上に。
「そう……つまり、あなたは”死にたくない”じゃなくて、”生きたい”って思ってるのね」
そういうことかもしれない。
明日にでも遠坂に『自分は新しい命が欲しいのだ』ということを伝えてみようか。
彼女はどんな反応をするのだろう。
もしかしたら、『地上に来るなら色々と案内をしてあげる』なんて口にするかもしれない。
面倒見のいい彼女のことだから、普通にありえそうだ。
まあ、それに関しても五日目のような無茶を彼女がしなければの話にはなるだろうが。
五日目……というより作戦そのものは四日目の時点から開始していたか。
相手がいかにして透明化を行なっているのか、その時点ではまるでわからなかったために推測を立ててそれをどうにかするしかなかった。
その時点で考えられたのは三つ。
二回戦のロビンフッドのように身につけた宝具、あるいは装身具で透明化をしている可能性、魔術で透明化を行なっている可能性、そして、精神的なもの……気功などで透明化をしている可能性。
四日目に
そのために遠坂を危険に合わせるのはためらったのだが、それでも彼女の強引なところに押し通された。
そうして実行された作戦は、最終的には一番最後に仕掛けていた対精神トラップによってアサシンの圏境が破られるという結末に終わった。
取り逃がしたのか、それとも見逃されたのか、どちらであったのかはわからない結末に終わったが、それでも相手に攻撃が通用するようになったという事実が大きかった。
「それにしても」
「うん?」
「あなた、あんな風に情熱的に女の子を抱きしめたりできるのね」
ジト目のキャスター。
一体なんのことだろう、と思ったが、思い出してみれば確かに彼女が言った通りだ。
情熱的に、というところには意見が分かれるだろうが、彼女が口にしているのは五日目、遠坂が自分を囮にしてユリウスをアリーナ内部に叩き込むと宣言した時のこと。
確かにあの時、遠坂のことを抱きしめた。
だがあれは、無茶をしないでほしいやら、自分が死ぬだけだと言った彼女が心配になったやら、自分でも言葉にし尽くせないほどの感情に襲われたから行ったのであって、普段ならば決してしないことを主張する。
「何を言ってもやったことに変わりはないわよ」
……それでも。翌日の会話からして嫌がられたわけではなさそうだった、と言い訳になりそうもない言い訳を行う。
もちろん、彼女が納得するわけもないのだが。
「それでも、よ」
こんなことを言っているキャスターだが、それでもこちらのことは信頼してくれているのだろう。
そうでもないと、六日目に真名と宝具を教えてくれるなんてことにはならなかったはずだ。
そうして、七日目。
「ハッ──!」
決戦の幕が上がると同時、アサシンがキャスターへと突っ込んでくる。
五体という絶殺の武器を持って迫るそちらに注意を割きたい気持ちは無論あるが、こと今回に至ってはそんな余裕など一切ない。
「ユリウス……」
そう、今回の相手はユリウス・ベルキスク・ハーウェイ。
これまで幾度となく
一体、誰がそんな相手から注意を外すことなどできるだろう。
そんなことをすれば、次の瞬間には心臓に刃を突き立てられていてもおかしくはないのに。
「岸波、お前の存在だけは認めるわけにはいかない。お前だけは──」
──レオと戦わせるわけにはいかない!
叫んで、ユリウスはこちらに迫る。
当然だ。
そもそも、これは魔術師同士の闘争をサーヴァントに代理してもらっているに過ぎない。
ならば大元の、願いを持ってこの月の舞台に上がった魔術師が戦わないなどと、口が裂けても言えない。
その手には
「っ──」
こちらも、
あれに当たれば一貫の終わりだと全身が叫んでいる以上、当たってやるわけにはいかない。
視界の端にあるキャスターとアサシンの戦闘は頭の中から追い出す。
自らの肉体を強化して、並行してユリウスの進撃を食い止めるための魔術を放つ。
対サーヴァント用の礼装から放たれる魔術は、やはりこちらも
それを余分な動きなど一切なく躱し、手元の
「終われ」
神速の突き。
されど強化された肉体ならば、サーヴァントならざる人間の攻撃などギリギリで避けることができる程度のものにしかならない。
避けろ、避けろ、避けろ。
反撃などもう考える暇もない。
一撃でも当たれば終わりな以上、近づかれた今は避けることにのみ専念するほかない。
決戦場は、今もなお推移を続けている。
ただの海底らしき場所から、キャスターが作り変えている。
ならば、まずはそこまで耐えるのが彼女のマスターとして当然のこと。
「なぜだ」
だが、ユリウスは一度動きを止めた。
それがあまりにも不可解で。
こちらも、相手が動いたタイミングで動けるようにしながら、相手の言葉に耳を傾ける。
「お前は何も持っていない。人間ですらない。ただの情報体、SE.RA.PHでのみ存在できる仮初の命だ」
なぜ、それをユリウスが知っているのか、なんてわからない。
驚きはあれど、それは足を止める理由にはならない。
ユリウスがいつ動き出すのかがわからない以上、その疑問は後に置いておけばいい。
「だからこそ、お前には倒されない。他のマスターに負けたとしても、お前にだけは負けるわけにはいかない。他のマスター達はまだこの世界を生きている。滅びであれ、生存であれ、それを選ぶ権利は確かにある。だが──」
聞いてはいけない/聞かなければ。
ここで聞かない限り、自分の正体をはっきりと知覚する機会は、二度と現れないような気がする。
「お前のような過去の人間が、現代に意見することは許されない!」
……そうか。
自分は、
そして何よりも、今の世界に自分の居場所はない。
だが、それでも。
悩むことはない。
もうすでに自分のアイデンティティーに関しては盛大に悩んだ。
その果てに出した答えは、新しい情報ひとつで簡単に揺らいではいけない。
それは、今の自分を形作ってくれた皆に顔向けできない。
そして、彼がこちらに対して憤激する理由もそれ。
彼の言葉を信じるのならば、それ以上の理由はないはずなのだが。
……本当に?
「ああ、その通りだ。ハーウェイも、聖杯もどうでもいい。今の俺にあるのは、幼い頃の約束ひとつだけ。弟を守れと口にしたあの女のためにも──」
同時に、ユリウスの周囲の揺らぎが大きくなる。
動く──そう確信した時点で、体は迫り来る死から遠ざかるために動き出していた。
「──ここで死んでくれ!」
──間に合わない。
確信は遅く。
走馬灯が流れるように、スローモーションとなったユリウス。
ただ、自分の時間感覚が長くなっているだけなのだろうが、だからこそ間に合わないと理解した。
そしてその瞬間、世界は泥に包まれた。
「っ!?」
キャスターの行為だとわかっていても、驚きは消えない。
ユリウスも目を見開いていて。
自分とユリウスの間にその泥の津波が襲いかかり、世界は闇に閉ざされた。
キャスターから聞いた、彼女が持ち込んだ、持ち主の厚顔で自分勝手な願いを叶える負の聖杯。
その本領はビーストの召喚にあるのだが、己のマスターは世界を滅ぼしかねないビーストの存在を認めなかったために、今回の聖杯戦争では本領を発揮することはない。
だが、それは別に杯の力を一切使えないことを意味するわけではない。
彼女が今回行ったのは聖杯の中にある『負の魔力』を無尽蔵に引きずり出すこと。
まともな英霊であれば、触れただけで地獄を見ることになる。
「ようこそ、私の世界に」
固有結界とはまた似て非なる空間。
泥に満ち溢れ、自分もユリウスも既にまともに動けない。
アサシンも、その足場が泥に満ちていく以上、ほどなくしてその泥に汚染されて死ぬだろう。
つまり、ここで詰んだのだ。
泥は常に広がり続け、アサシンはその泥に触れれば一貫の終わり。
そして、キャスターのことを守るようにして泥が周囲に海となっていて、アサシンが一息に飛び出したとしても泥に触れるよりも先に、少女の細い体を折ることは不可能。
彼にできるのは泥によって沈むよりも先に自害するか、あるいは──
「呵呵────!」
こうして、泥によって汚染されるよりも先にたどり着くことを信じて飛び出すしかない。
「意味はないわ」
そして、その無謀を、キャスターは全てを焼き尽くす炎によって終わらせた。
「俺は、負けたのか」
既にアサシンはその姿を残していない。
霊核ごと全てを焼き尽くされたアサシンは消え、壁の向こう側にただ一人、ユリウスが残っているだけだ。
「不思議だ。俺はあれほど負けられないと思っていたはずなのに、彼女の願いを叶える自分にしか意義を見出せなかったはずなのに、なぜかこうして負けた途端、それがどうでもよく感じる」
そして、その顔は。
これまでに見てきた彼の、どんな姿よりも和らいでいて。
「俺も、お前も、その起点は過去にある。お前は過去に記憶を求め、俺は過去の約束に意義を求めた。なのに、お前は未来を見据えていた。そこが憎くもあり、羨ましいとも感じたのかもしれん」
令呪が。
ユリウスの令呪が、赤く輝いている。
もう、消えるしかないはずの令呪が。
「餞別だ、くれてやる。俺にはもう無用な代物だからな。俺と同じように過去に”何か”を求めながら、それでも
三画残っていた令呪が、二つ消滅し、そして最後に残った一つがさらに消滅。
そして、自分の左手に焼けるような痛みが。
これは、確か──。
「できることなら、未来を見て歩いてほしい。それは俺にはできなかったことだからな。そのための力になるなら、それはそれで面白そうだ。面倒な男に付き合わせた詫びでもある」
そう言って、ユリウスは消滅し。
そして左手の、自分の左手の完全ではなくなっていたはずの令呪が、完全な状態になって。
そうして、五回戦は終了した。