「……」
それは、聖杯戦争の本戦が始まってから七日目の夜のこと。
すなわち、一回戦が終わり半数が”死”という形を以てこの世界から
そして、自分が生き残っているということはつまり、対戦相手が……予選で友人という役割を与えられていた間桐慎二という男が死んだということ。
自分が
その結果、慎二は消滅──死を迎えた。
……本当に?
そんな疑問が湧いて出てくるのは、どうにも実感がないからだ。
本当に命が一つ、永久に消え去ったのだろうか。
決戦の場に辿り着く資格を得られなかっただけのことで?
何の説明もなく、何も価値を得られることもなく。
それは、ある種の現実逃避の色を含んだ思考。
彼は、実力不足で
明確に、こちらの妨害によって死を迎えたのだ。
それを思えばこそ、意気消沈してしまうのは隠すことができない。
「彼のことを悼んでいるのね」
そして、それを成した者こそ自分のサーヴァント。
正面からの戦闘を不得手とする
そのクラスを思えば、確かにあの手段はおかしなことではないのかもしれない。
だが、頭で理解はできても、心が納得はしていなかった。
さらにそこに”自分を勝利させるため”、つまり自分を死なせないためということも合わされば余計に思考が混沌としてくる。
気がつけば、彼女に膝枕をされるような形で横になっていた。
この七日間で彼女の持つ摩訶不思議な様々な能力は見せてもらったからこの行為にも、されたことに対しての驚きはあれど、まあ彼女ならできてもおかしくはないなという納得もあった。
「戦場でその優しさは重荷にしかならないわ。特に、生きたいと願ったあなたは、最後までその願いを抱き続ける必要があるの。それを捨ててしまえば最後、あなたはあの時の自分を裏切ることになる」
「……うん、わかってる」
この聖杯戦争に参加した自分以外のマスターとは違って、自分には誇れるような願いなんて存在しない。
勝利に足る強い意志が、自分の中には存在しない。
覚悟以前の問題だ。
生き残りたいという願いはあれど、それは流されるままに生死をかけた戦いに参戦した結果でしかない。
自分がすがるべきものが、あまりにも脆弱なものでしかないのだ。
だが、それでも──
「……勝たないと」
──負けることは許されない。
だって、間桐慎二という友人を覚えているのは自分だけしかいないのだ。
レオも、確かに間桐慎二という人間との間に偽りの友人関係を築いていた。
だが、それは西欧財閥の御曹司として過ごしてきた十数年に及ぶようなものではなく、彼にとって間桐慎二という人間は大して価値はない。
自分のように、あの偽りの人間関係が全てではないのだ。
だから、忘れないことにしよう。
間桐慎二という人間と過ごしたわずかな時を。
たった七日間しかなかった、本当の意味で自分と彼の関係が築かれた時間のことを。
そこで見出した、彼という人間についてを。
聖杯戦争本戦開始。
それを知ったのは、保健室で目を覚ました時のことだ。
あの謎の声を聞き届け、目覚めたのは保健室。
そこで改めて、聖杯戦争という代物についての説明をしてもらえた。
一瞬、倒れて運ばれてきただけであの空間、そしてそこで起きた出来事は全て夢だったのかと思ったが、それは聖杯戦争について説明してくれた相手……少し後にキャスターというクラス名を名乗ることになる少女の存在が、それを否定した。
──聖杯戦争
それはあらゆる願いを叶える万能の願望機、聖杯を求める数多の魔術師たちによる闘争。
マスターと呼ばれる存在は、その聖杯を求めて聖杯戦争に参戦した
無論、魔術師たちがただ競い合うだけではマスター個人の戦闘能力で全てが決まってしまう。
無論、例外となりうる存在は多々いるだろうが、それでは始まった時点でほとんど勝者が決まっているようなものだ。
ゆえに、この聖杯戦争に参戦するにはとある特殊な使い魔を使役することになる。
それこそが”サーヴァント”。
この手に刻まれた三画の令呪とつながりがある、あの時に自分を助けてくれた少女のような存在を示す言葉。
あらゆる時間の軛を超えて、後の世で信仰されることになった英雄英傑。
信仰対象となった彼らは精霊の一種──英霊と呼ばれる存在となり、聖杯戦争のルールに従って現界するにあたり、七つのクラスのどれかに割り振られることになる。
聖杯戦争とはこの七つのクラスに分けられた英霊たちに魔術師の代理戦争をさせること。
自分以外の全ての魔術師を殺し終え頂点に立つ者となった暁に、聖杯をその手中に納めることになる。
そういう魔術儀式に、記憶を失う前の自分は参戦することを選んだのだと、そこで初めて知ったのだ。
「あ、ちなみに聖杯は『願いを叶える』って言っても、その叶え方は千差万別よ。それこそ『お金持ちになりたい』って願ったら『自分よりもお金を持ってる人間を皆殺しにする』なんて叶え方をするものもあるらしいわ」
──そんなことも教えてくれた。
そうしてある程度の知識を得られたところで、この保健室のNPCである間桐桜がやってきた。
彼女からは端末を受け取り、次に何をするべきかを教えてもらえた。
──あ、それから岸波さん。言峰神父に会っておいてくださいね。
やるべきことが何一つとしてわかっていない以上、それに従うしかなかった。
とは言っても、言峰神父という人物がどこにいるのか、どういう姿をした人物だったのかはまるでわからなかったので校内の全てを回る羽目になったのだが。
神父のくせに教会にいないとはどういうことなのだろうか?
彼を探して屋上にまで行くことになった時にはどうしたものかと思ったものだが、そこで遠坂凛と出会えたことだけは良かったというべきか。
彼女から色々な情報をもらうことに成功したので、自分が置かれている状況、自分がいる世界、そういったものへの理解が深まったのだから。
そうして色々と基礎知識を得て時間を潰すことも功を奏したのか、言峰神父もその後すぐに見つかった。
──本戦、出場おめでとう。
……とても胡散臭い人物ではあったが。
彼からは本戦におけるルールを教わることになった。
百二十八人によるトーナメント。
六日間の
マイルームの存在。
アリーナの存在。
聖杯戦争の運営側でなければ渡せないルール説明の数々。
未だ一回戦の相手の通達が来ていなかったことだけは疑問だったが、それも尋ねれば翌日までには決めておいてくれるとのこと。
彼に促されるようにして、アリーナへと足を運んだ。
「今日のところは、行けるところまで行ってみましょう。初陣ってこともあるから、私がもうこれ以上はダメって判断したらちゃんと聞いてね?」
アリーナに入った直後のキャスターの言葉がそれ。
結局、その日のうちにアリーナを踏破して、翌日に暗号鍵という名称を知ることになる謎の物質も手に入れたのだが。
「なんだか、使える
それほどの大立ち回りを広げておいて口にした言葉が上述のもの。
直前まで『二人の愛の巣ね』なんて言葉を放っていた姿を見て苦笑していたのに、その言葉でいきなり現実に戻された。
しかも、ほとんど世間話のノリで放つのだから一瞬聞き逃しそうになってしまった。
申し訳ない気持ちになりながらも彼女に促されるようにして、その日は眠りについたのだが、彼女が弱くなってしまっていたという事実が大きな障害だということに気がついたのは翌日のこと。
──マスター:間桐慎二
それが、示されていた対戦相手の名前。
記憶のない自分にとって、唯一の友人であった一人の男の名前だった。
彼との最初の戦いは、その日のうちに発生する。
暗号鍵が生成された、という言葉が携帯端末に表記されたのだが、その時点での自分には暗号鍵なんて何かわからない。
言峰神父に聴きに行けば、暗号鍵というものの役割について教えてもらえて、そして同時に、本来ならば前日には生成されていないはずの暗号鍵を自分がすでに取得していたということまで発覚した。
言峰神父が頭を悩ませている姿はなかなかにシュールだったのだが、それはそれで別にいい。
とりあえず、自分にできることはアリーナに行くことだけ。
慎二の名前を見つけ、慎二と出会ったことで、彼が『友人と戦わなければならない』という現実に酔いしれていたのはわかった。
言葉を尽くしても意味などないのだろう。
アリーナに入った時点で戦わないといけないのかもしれないという可能性は理解していた。
少しだけ、キャスターが霊体化を解除するのが遅かったのが疑問だったが、その疑問を抱き続けていられないぐらい、その日は大変だった。
「な、岸波! もう来たのか。こっちはまだ暗号鍵を見つけてないってのに。……いや、別に問題なんてないか。どうせ勝てないんだから、僕のサーヴァントを見せてあげるよ」
アリーナで出会った慎二はそう言って、自らのサーヴァントを出現させた。
それは赤い髪をした女。
クラシカルな銃を持つ、慎二みたいな小悪党にはよく似合う姉御肌なサーヴァントだった。
「僕ですら暗号鍵を手に入れられないんだ。君みたいな凡俗が暗号鍵を手に入れられるはずもないからさ。ここでゲームオーバーになったとしても同じことだろう? さあ、やっちゃってよ!」
「うん、おしゃべりはもういいのかい? もったいないねぇ。なかなか聞き応えはあったのに」
そんな時だった。
そういうことなら、もう少し聞き応えのある
ぼそりとキャスターが呟いた声が聞こえたのは。
「あら、まだ手に入れてなかったの? こっちはもう昨日のうちに手に入れてしまったというのに」
止める間も無くキャスターの煽りが慎二相手に炸裂する。
それを聞いた慎二は顔を真っ赤にしてチートだの何だのと喚き始め、未熟者でもできるレベルのハッキングなのにあなたはできないのね、とさらにキャスターによって煽られることになった。
だが、そんな会話をしていても、現実は何も変わらない。
舌戦ではこちらが……キャスターが上でも事実として魔術師としての力量は慎二がこちらをはるかに上回っている。
たった数十秒の戦闘なのに、こちらは防戦一方で。
戦いが終わった時点でこちらとあちらの戦力差はかけ離れていることが露骨に出ていた。
その事実に慎二は気を良くしたのかすぐに帰っていったことだけが唯一の救いだった。
「うん、そうね」
そしてそれを見送るしかなかった自分は、キャスターに縋るような視線を向けることしかできなかった。
「さっき、あのサーヴァントは飛び道具を使っていたでしょう? ああいうところからアーチャーなんじゃないかって考えたりするのが、この聖杯戦争で重要なことよ。まあ、アサシンとして召喚されるハサン=サッバーハは
ピン、と指を一本立ててレクチャー。
どうやらキャスターはここで敗北したことについてはそこまで問題視していないようだ。
「今日のところは相手も帰ったみたいだし、どうする? このままアリーナで戦うのもいいし、もう戻ってしまってもいいわよ」
彼女の、判断を促す言葉に少しだけ考えて、帰るという選択肢を取ることにした。
相手の情報を得られたのは良かったのだが、それでもこのままでは勝ち目はない。
相手の真名がわかっていても、それを役立てることができるだけの実力がなければ……。
そして、その足りない分の実力を補ってくれるものの情報が三日目に得られた。
”魂の改竄”と言うらしいそれは、サーヴァントの魂と
マスターの魂の位階が上がれば、それだけ強く連結することもできる。
どう連結させるかを決めて、直接魂にハッキングする……らしいのだが、自分にはよくわからないことだ、ということだけがわかった。
まあ、要するに、教会でキャスターの本来の能力を取り戻すことができるらしい。
今重要なのは、その事実だった。
特に、直前に廊下で慎二が遠坂相手に大量の情報を漏らしていたので、それを役立てることができるだけの力が欲しかった。
”無敵艦隊が敵なのではないか”というアナライズを遠坂は出していた。
無論、それを鵜呑みにするわけにはいかないが、慎二のあの慌てっぷりを見るに、そこまで的外れということではないのだろう。
「つまり、あなた好みに育ててもらえるってことね。それなら、弱くなったことも悪いことばかりじゃないのかしら?」
そんな軽口をキャスターは口にしていた。
結局その日は、彼女が取り戻したというスキルなどの試運転をするに留めておいた。
力の一部を取り戻したとは言っても、それは彼女に無茶をさせる理由にはならない。
改竄前と後では彼女の能力に明確な違いが見えて、これなら多少は戦えるようになったのではないか、とそう思えるような変化だったが、逆に言えば戦えるかもしれない、という程度だ。
スキルを使用したこともあって、魔力を吸われたことによる多少の疲弊が自分にはあった。
そのため、結構早めに戻ったのだ。
そして、その魂の改竄の成果が見えたのは四日目のことだった。
その日、予選の最中に転校生という枠にいたレオと出会ったのだが、彼は自らのサーヴァントの真名を普通にバラしていた。
その真名をガウェイン。
偉大なるアーサー王伝説に登場する円卓の騎士が一人、太陽の騎士。
勝ち進めばいずれ戦うことになるかもしれない相手でもある。
図書室で調べておこう、という考えに至るのは当然のことであり、慎二のサーヴァントについても情報をもう少し得られたならば調べられるかもしれない、という思考に至るのも当然のことだった。
更に言えば、前日にキャスターが取得したスキル……『
そこから、彼女の真名について近づければと思ったのだが、そちらに関しては失敗だったと言える。
だが、図書室ではそれらを探すよりも先に慎二に出会ってしまった。
そこで気がついたのだが、慎二はちょっとおバカだったのかもしれない。
こっちに対してバラした情報は『銃を使う』『無敵艦隊と関わりがある……かもしれない』程度のはずなのに、明確に『自分のサーヴァントに関する本のみを隠した』と、それも『アリーナの第二層に隠した』なんてはっきりと言ってくれたのだから。
そして同時に、このタイミングでの第二暗号鍵の生成の報告。
二つの必須の物がそこに揃っているのならば行かない理由もない。
そうして行ったアリーナの第二層で、『
けれど、一番重要だったのはそれらではなく。
相手のサーヴァントのクラスがライダーだとわかったことでもなく。
相手の真名についてほとんど確定したということでもなく。
遭遇しての戦いで一歩も引くことなく戦えたという事実である。
ここまで来て、ようやく真名などの情報が役に立ってくる。
向こうの情報がわかっていても、それを役立てることができないのであればある意味がない。
集めた情報が無駄にならないという事実は、それだけで嬉しくなるものだった。
ただ、ここで止まるわけには行かない。
自分が教会で初めて魂の改竄をした時、教会の前には慎二がいた。
彼ももしかしたら魂の改竄をするのかもしれない。
そう思えば、こちらも出来る限りの事はしておきたい。
そのため、四日目もアリーナでエネミーを倒して魔力リソースを回収することにしたのだ。
そして、それは五日目に起きたことを考えると正解だったと言えた。
五日目、アリーナの入り口が慎二の手によって封鎖されていた。
その封鎖自体はたった二つの
結構な距離を走り回り、アリーナに入る頃には体力を使い果たしてしまっていたのだ。
結果として、すぐに帰宅することにした。
腕が鈍らないように最低限だけ戦って、慎二とは出会うことなく帰ったのだ。
猶予期間の最終日、そこで慎二と戦いではない形で激突することになったので、その判断は功を奏した。
行った戦いの名前はハンティング。
慎二がどうやらムーンセルをハッキングしたらしく、そこに用意された五つの財宝を奪い合うという戦い。
こちらも向こうも動きを早くする系統の魔術は組んでいなかったので、純粋にどちらの足が速いかの勝負になった。
そうなると、しっかりとアリーナの構造を理解している自分と、財宝を出現させた張本人であるためにどこに用意したのかわかっている慎二ではほとんど互角。
ギリギリでこちらが三つ目を取ったことでその勝負は終了した。
そして、決心がつかないまま迎えた
「間桐慎二は暗号鍵を揃えることができなかったため、ここで敗退だ」
その時がやってくるまで教室で心落ち着けていた自分の元に現れた言峰神父から告げられたのは、そんな一言。
一瞬、言葉を失ったのは仕方がないことだと言えるだろう。
「それと、君のサーヴァントによく言い聞かせておくといい」
「何を、ですか」
「ふむ……気がついていないのかな? 間桐慎二が暗号鍵を手に入れられなかったのは、君のサーヴァントが彼の分の暗号鍵を破壊してしまったからだ」
「え……」
あまりにも予想外の言葉。
思考は停止しながらも、それでも言峰神父の言葉は止まらない。
「二回戦からは、暗号鍵を破壊した時点でペナルティが入る上、破壊した直後から新しい暗号鍵がランダムにその階層に配置されることになる。そのことをよく覚えておきたまえ」
全ての参加者が公平でなければならないから、とアリーナは解放しておいてくれたが、正直に言えば自分がどのようにして今日を過ごしたのかは覚えていない。
マイルームで一応行った相手の真名看破、キャスターもあっているだろうとお墨付きをくれた。
結局、慎二と本当の関係性を築くことができたのはこの七日間だけ。
それも敵というものでしかない。
死に際すら看取ることができなかった彼のことを思えば涙が出そうだ。
「辛いなら、眠ってしまえばいいわ」
そして、するりと入り込んできたキャスターの言葉に意識が落ちて──
「眠ったみたいね」
キャスターのサーヴァント、沙条愛歌は岸波白野の頭を自らの膝の上に乗せて、その頭を撫でる。
その目は愛おしいものを見るような目であり、同じ人間を見る目ではなく、何か空恐ろしいものを感じさせる。
「今は泣くといいわ。存分に、心が落ち着くまで」
──でも
「狂うことも投げ出すことも、許さない。これを乗り越えて、ようやくあなたは私の王子様に近づくんだから」
クスクスと笑う少女の姿。
それはどこか。
恐ろしい、見てはいけない未来を、見ているような……
あ、ちなみに今度からは多分1〜6日目までと7日目で二回に分けて書くと思うよ……多分