一回戦の翌日、携帯端末から鳴り響く無慈悲なまでの電子音で目を覚ました。
与えられたマイルームで過ごす一時は唯一心を休めることができる瞬間なのだが、その音が否応なく未だ自分が戦いの中にいることを思い出させる。
……慎二の死。
目撃したわけではないからこそ、実は嘘だったのではないかと思いたくなるが、そんなに甘いわけがない。
その事実をきっと、この二回戦で知ることになるのだろう。
それを知るのが自分の死によってなのか、それとも相手を殺すことによってなのかまでは、まだわからないが。
「大丈夫。そんなに恐れなくても問題ないわ。あなたは絶対に負けないもの。だから、願いを叶えられないかもしれないなんて心配しないで」
手が震えていたのがバレたのか、キャスターはそんなことを言う。
……一回戦の七日間で少しだけ彼女についてわかった気がする。
彼女は、人の心を慮るということができない。
俺の手が震えているのを、次は自分がああなるかもしれないという恐怖によるものだけだと考えている。
『何も覚悟を持たない人間が人を殺して悩む』という当然であるはずの思考にまで、思い至っていない。
ただ、それでも。
彼女は彼女なりにこちらのことを思っている。
こちらの不安を取り除こうと思っている。
その事実だけは確かにある。
ならば、覚悟を決められずとも先に進まなければならない。
彼女の献身に対して応えなければならない。
この先にあるのが地獄だけだとわかっていても、もう立ち止まるわけにはいかない。
──マスター:ダン・ブラックモア
掲示板に向かえば、そこに書かれていたのはそんな名前。
聞いたことのない人物だ。
遠坂に聞きに行けば多少はわかったりするだろうか?
「……ふむ。君か、岸波白野というのは」
そんな声が聞こえて、隣を見れば、そこに立っていたのは老人だった。
髪の色はすでに白く、顔にも体にも老いの色が深い。
だが、この人物からは衰えらしきものが感じられない。
それはきっと、揺るがぬ芯があるから。
迷ってばかりの自分とは違う、何があろうと変わらないたった一つの願いがあるから。
「若いな。実戦の経験も無いに等しい」
「何を、根拠に……」
「相手の風貌に臆するその様が何よりの証拠だ」
こちらの全てを暴く、というような不可思議な目では無い。
ただ純粋に鍛え上げられた観察眼だけでこちらのことを見据えている。
その事実が恐ろしい。
特殊な能力だというのならまだ、救いはあった。
だが、これが歴戦の戦士故のものだというのなら、数多の経験によって積み上げられたものだというのなら、記憶すらないこちらがその観察眼に及ぶことはない。
「それに君の目……迷っているな」
「っ」
「案山子以前だ。そのような状態で戦場に赴くとは……不幸なことだ」
こちらに対して憐れむような瞳を向けて、ダン・ブラックモアは去っていく。
彼には油断も慢心もない。
慎二のようにはいかないだろう。
「あのマスター、とっても強そうね。でも、サーヴァントはどうなのかしら? マスターがいくら強くたって、サーヴァントが勝利できないと意味がないもの」
ダン・ブラックモアを見送ると、途端キャスターが霊体化を解除した。
その瞳は言葉とは裏腹に、ダン・ブラックモアをそもそも認識すらしていないような気配すらある。
「まあ、あなたには良い薬になるのではないかしら? 彼、覚悟に関しては決まってそうだし、そんな彼を超えたならきっと貴方の不安も晴れるはずよ」
……確かに、彼には迷いはなかった。
他の祈りを無下にしてまで貫くことができる願いが、彼にはある。
未熟な自分が勝てるとするのなら、きっとその願いの強度だけ。
まだ未熟なその願い、その強度、それを七日目までに勝利に足るものへと磨く何かを、彼から自分は得られるのだろうか。
答えはわからない。
けれど、探さなければ見つからない。
ならばまずは彼という人物について教えてくれる人物のところに行くべきだろう。
幸いにも、教えてくれそうな人物には心当たりがある。
今日も、あそこにいればいいのだが──
「聞いたわよ、貴方の二回戦の対戦相手」
いた。
屋上に行けば、そこに今日も今日とて遠坂凛がいた。
そう、彼女こそが教えてくれそうな人物。
地上での記憶が一切ない自分にとって、唯一頼りになりそうな人物だった。
生き残ったんだから色々と情報をあげた私に挨拶に来ないなんて、と少しの愚痴を見せたが、すぐに彼女は冷静になってそんなことを口にした。
「彼は名のある軍人よ」
尋ねれば、あっさりと教えてくれた。
曰く、匍匐前進で1キロ以上進んで敵の司令官を狙撃することすら日常茶飯事。
そんな、超人的な精神力の持ち主。
相手が軍人である以上は、学園にいる間だったとしても油断すれば背後から撃ち殺される可能性もある、と。
「勝利への執念は目的から生まれるもの。ただでさえ弱いのに、記憶が戻ってないってハンデは結構大きいわよー」
「ハン、デ……?」
聖杯戦争は個人の願いを叶えるための戦い。
記憶の有無は正直、そこまで影響するとは思えないのだが……。
「いや、関係あるに決まってるじゃない。勝利への執念は『何が何でも勝つ』って気迫なんだから、それはそのまま集中力に直結するものよ。貴方にはそのどちらもが不足している。一回戦を勝ち抜けたのにまだふわふわしているのはそういうことよ」
「あら、確かに私のマスターはふわふわしてるかもしれないけれど、そもそも一回戦に関しては相手が暗号鍵を取れなかったんだからしょうがないじゃない。そもそも勝ち抜いたって前提が間違ってるわよ」
「……ふうん。あいつ、あんなに自信満々なことを言っといて、最低限の条件すら満たせなかったんだ」
キャスターが出現して内容を訂正したところで、遠坂の中で自分と慎二の株が下がったような気配を感じた。
それは視線からも、少女が多少こちらを蔑視していることからもわかる。
「ま、いいわ。それならなおさらよ。たとえ貴方のサーヴァントの宝具がどれだけ強くても、このままならサー・ダンにあっさり殺されるだけでしょうね」
宝具……?
「って、何鳩が豆鉄砲を食らったような顔してるのよ、宝具よ宝具」
ああ、そうか。
そういえば、キャスターも無論サーヴァントなのだから、英霊を英霊たらしめる武器……彼女の逸話があるはずだ。
確かに、これまで一切会話に出なかったから忘れていたが、……そもそも宝具を持っていない、なんてことはないと思う。
「……宝具を使ってない? それって、サーヴァントの力完全に使ってないってわけ? その状況で七日間生き残ったってこと? あんなのでも、慎二は一応優秀な魔術師だったのに?」
そういうことになるだろう。
こちらは確かに宝具を解禁していない。
そもそも彼女がそれを持っていることすら認識していなかった。
自分の態度からそれを見て取ったのか、遠坂は少し意外そうな顔をしていた。
「へえ……少し見直したかも。私は貴方のサーヴァントの宝具が桁違いに強いから猶予期間の勝負でも耐え忍べたものだと思ったもの。……まあ、それはそれとして貴方のパーソナルデータの問題が増えただけなんだけど」
宝具が使えないことと記憶が戻っていないこと。
それら二つが問題なのだ、と。
ただ、会話はそこで止まる。
携帯端末に、第一暗号鍵が生成されたという連絡がやってきたからだ。
なので、ちょうどいい区切りではあったので遠坂と別れることにした。
目的であったダン・ブラックモアという人物についての情報は得られたのだから。
「マスター、アリーナに行く前に購買部に寄っておきましょう。マスター達に合わせてエネミーのプログラムが複雑になっている可能性もあるし、ね」
屋上を出たところで、キャスターは霊体化を再度解除してそんなことを言ってきた。
確かに、ずっと同じエネミーを続けていても強化が見込めないことはムーンセルにだってわかっているはずだ。
それを考えれば、回復用の道具などの購入をしておくのも必要なことだろう。
……そして、それはともかくとして。
「どうしたのかしら?」
こてん、と首をかしげる彼女に聞きたいことがある。
先ほどの遠坂との会話の中でも出てきた単語。
彼女の”宝具”について。
「私の宝具? そんなに気になるの?」
「それは、まあ当然……」
むしろ、気にならないはずがない。
「そうね……貴方がそこまでいうなら教えてあげたいところだけど、まだ内緒。使わなかったら勝てないっていうようなタイミングなら使うけど、今はまだそんなタイミングでもないでしょ?」
そう言って、少女は軽い足取りで階段を降りて行く。
まるで妖精か何かのような軽やかさで踊りを披露した少女は途中で霊体化した。
直前に『そろそろ始めましょう』なんて言葉を残して。
それは、アリーナに入った直後のこと。
入る直前にダン・ブラックモアとそのサーヴァントである緑衣の青年の会話を見ていたこともあって、遠坂から聞いた『学園内でも背後からズドン』なんて言葉も頭の中をよぎっていたのですぐに気がついた。
纏わりつくような空気が脳に危機感を告げていることに。
──立ち止まるな
脳裏を過ぎたのはその一言。
止まれば死ぬ、その単純な事実がこのアリーナを包む理。
早く逃げなければならないと本能は叫び、心も同じように早く逃げろと叫んでいる。
「動ける?」
「……うん、大丈夫」
足は動く。
手も動く。
ならば、進むことができないはずがない。
「このアリーナ全体を包んでるみたいね。この規模だったら議論するまでもなく宝具よ。……こういう結界系統は、確か起点があるのだったかしら? それにしても悪趣味ね。どうせ用意するなら入った瞬間溶かすぐらいの勢いは欲しいものなのだけれど」
呼吸をするたびに体を蝕む毒の世界。
ただそこに存在するだけで命を削られるような空間で、まともに探索などできるはずもない。
だから、早く起点を見つけなければ。
だが、焦り過ぎてもいけない。
今のように、目の前の通路で会話しているダン・ブラックモアとサーヴァントを見つけたからと言って、毒をどうにかするためにこの場で倒すことを決意して戦いに挑むような、そんな愚行はしてはいけないのだ。
息を潜めて会話を聞いていれば、どうやらダン・ブラックモアと相手のサーヴァントはそこまで仲が良くないようだ。
それでも一回戦を勝ち残ったという事実が、彼らの戦闘能力を保証しているのだが。
……先に進もう。
こんなことを考えていても、何も変わらない。
変わることがあるのなら、自分がこの毒……彼らの言葉を信じるならば『イチイの毒』によって死ぬまでのタイムリミットだけだ、それも減る一方に。
少なくとも、彼らが退出したことでこちらのアリーナ探索の邪魔をする人物はいなくなった。
刻一刻とこちらの命を削る毒の結界は如何ともしがたいが、その起点を発見したところで背後から狙い撃ち、なんて事態は今日に限っては避けられるはずだ。
そうして走っている中で、半透明な通路の先にはおそらくは結界の起点と思われる、この電子の空間には似つかわしくない木が存在しているのを発見した。
「とりあえず、破壊しちゃいましょう」
その言葉とともに、キャスターが影を蠢かせる。
結界の起点となる樹、その中心たる矢を影に吸収して、その場には一切の痕跡を残さない。
そしてそれに伴うようにして、身体を支配していた重圧と、蝕む痛みから解放された。
「身体、大丈夫? 暗号鍵を取得できるのは今日だけじゃないんだから、今日はもう帰ってしまうのも手よ」
「……うん、そうしようか」
痛みから解放されたとはいえ、すでに蝕まれた部分に関してはどうしようもない。
今日無茶をして翌日以降に響いてもしょうがない。
今日の探索はここまでにしておいて一旦戻るとしよう。
二日目の探索は、前日の途中終了を挽回するように隅々まで行われた。
それは暗号鍵を見つけた後もなお、止まることなどはなく。
というのも、ここに来る前にラニという少女に出会ったのだ。
キャスター曰くホムンクルスだという彼女は、ダン・ブラックモアのサーヴァントの遺物を持ってきて欲しいのだ、と言った。
それによって占星術を行い、彼のサーヴァントの真名に近づくことができる。
そうして探索した中で、鏃と
「振り向いちゃダメよ、マスター。こっちが気がついたことを向こうに気がつかれたら攻撃されるわ」
それは三日目、アリーナに向かうために一階に降り立った瞬間のことだった。
通電するかのように体を走った悪寒が間違っていないことは、霊体化したままのキャスターがそんな言葉を口にしたことが何よりの証拠。
この場で戦うのは自分たちの状況を考えて不利と言わざるを得ない。
ここで戦ってこちらの力を他の人間に見られかねないということも、戦闘禁止エリアで戦闘を行ったことによるペナルティも、どちらも自分たちにとっては重たすぎる罰則だ。
迎撃という選択肢が元より無いらしいのはきっと、キャスターの方がそのことを良くわかっているからだろう。
彼女の指示に合わせて呼吸を小さく、できる限り気取られないように息を合わせて。
どこか楽しそうなキャスターに合わせて、アリーナに向けて一気に駆け出した。
アリーナに入ってもなおその殺気は途切れることなく、こちらは体力の限界まで走らされる。
そうして走り、たどり着いたのはとある広場。
そこに入った瞬間を狙った矢は──
「哀れね。そんな分かり易すぎる死角からの攻撃なんて、防げるに決まってるじゃない。あまりにも考え足らずじゃないかしら?」
矢を撃ち落とす形ではなく、こちらの身に攻防一体となる彼女の影が纏わり付いたことで防がれた。
全身が覆われているにもかかわらず視界が確保されたその影は、アーチャーのサーヴァント──ここまで正確無比な狙撃をしている以上まず間違いない──が放った矢がその影に沈み込んでいく様をはっきりと見せてくれた。
いかなる理由によるものなのか、彼女の考えはわからないが、彼女が必要と感じたことなのだろう。
ならばこちらもその判断を信じるだけだ。
「今のうちかしら。逃げるわよ、マスター。さすがにあのアーチャーがいるところで潰している間にあなたがエネミーに襲われたら困るもの」
驚きによるものか、こちらの身を苛んでいた彼からの殺気は縮れている。
確かに逃げるなら今のうちだ。もう、ここから出口までは
あとは、こちらが辿り着くのが早いか、向こうが立ち直り第二射を放つのが早いかの勝負。
そして、その勝負には勝つことができた。
こちらは何も問題なく、出口にまで辿り着くことができたのだ。
無論、相手がこちらを油断させるための演技だったという可能性も捨てきれないのでマイルームに入るまでは警戒していたのだが。
「それにしても、校舎の中なのに狙ってくるなんてひどいことをするのね。一応明日、
マイルームでの会話。
彼女の言に従って翌日に言峰神父を探していたら、ダン・ブラックモアと出会ってしまった。
──イチイの矢の元になった宝具を破却した。
そして、そこで信じられない発言を耳にすることになった。
──令呪を以って命じる
三回限りの絶対命令権の使用。
それそのものは別におかしなことではない。
三回目が死亡につながるとはいえ、二回までなら使用できるのだから。
ただ──
──学園サイドでの敵マスターへの”
それを、相手に有利になるような行動のために使用するなんて、きっと誰も考えなかっただろう。
「ふうん」
ぞくりとするような一言。
これまで聞いたことがないような冷たい声。
それが隣にいるキャスターから漏れた。
「ああいう輩って、ちょっと厄介なのよね。きっちりと潰さないとダメ。森に隠れるなら森に火を放てばいいし、街に隠れるなら街ごと海に沈めないと」
携帯端末が第二暗号鍵の生成を告げるまで、そんな空恐ろしい言葉の羅列が止むことはなかった。
五日目、ラニの星詠みが始まった。
集めた遺物を彼女に渡せば、あの英霊がどういう気質なのかはだいたい理解できたようで。
アリーナの奥で出会ったアーチャーから、さらなる情報を引き出すことにも成功した。
──シャーウッドの森
真正面から戦ったアーチャーは、ペナルティの影響もあって確かに弱くなっているはずなのだが、それを感じさせないぐらいに戦がうまかった。
無論、アーチャーとしての本領を発揮する暇もないぐらいの近接戦ではあったのだが、これまでに得られた様々な情報から得られる真名を考えれば、その戦上手もそうおかしなことではないのかもしれない。
もう、これ以上真名を割り出すために労力をかける必要はない。
純粋に自らの強化、相手の毒への対策に時間を使うことができるのだ。
よって、六日目は朝からアリーナにこもりエネミーから魔力リソースを得られるだけ得ていた。
時間の許す限りの強化はできた。
やれるだけのことはやったのだから、後は明日の決戦でそれを出し切れるかだけ。
……あの高潔な人を相手に、自らの全てを見せられないという事態だけはあってはいけない。
そして、七日目の決戦がやってくる。
次回でようやく、愛歌ちゃん様がまともに戦闘する……