──アーチャー
──祈りの弓
──シャーウッドの森
これら三つの情報から、敵対サーヴァントの真名がロビンフッドだということは五日目の時点でわかっていた。
そして事ここに至ってもそれを覆すような情報は何も出なかったのだから、もうそれで確定させても問題ないはずだ。
練れるだけの対策は練った。
自分にできる限界までの準備を整えて自分は……いいや、自分たちは初めてとなる決戦場に向かうエレベーターに乗り、ダン・ブラックモアと向き合っていた。
「……」
会話は発生しない。
戦場で敵と話すことはない、軍人たるダン・ブラックモア。
そもそも初めての戦場で緊張している自分。
相手と会話をするような
向こうのアーチャーも、こちらのキャスターのことを警戒しているのか何も話さない。
キャスターも、にこにこと笑うだけで何も語りはしない。
「さあ、行きましょう」
キャスターが口を開いたのは、エレベーターが停止したタイミング。
謳うように、何も知らぬ童女のように、魔術師は謳う。
「彼の夢は、ここで結実することもなく終わるの」
一歩、足を踏み出す。
騎士への憧憬を持つ男、ロビンフッド。
彼の夢が叶うことはない、と無慈悲なまでの宣告を。
「ここで決めるぞ、アーチャー」
「おうよ! つーわけで、
怪物王女……?
それは、キャスターを示す言葉だろうか。
未だ分からぬ彼女の真名に繋がりかねないキーワードに思わず気を取られるが、今は気にする必要はない。
あとで調べればいいのだ。
勝ちさえすれば、調べる時間はあるのだから。
「あら、退場するのはあなたたちの方でしょう? ここは月の舞台。踊るのにふさわしいのは狩人ではないはずよ」
「それを言うなら、怪物でしかないお前もだろうが。ガキの
初動はほぼ同時。
『空気撃ち/一の太刀』によってキャスターに付加された『魔力放出』のスキルが、アーチャーとの距離を埋めるに足る瞬発力を彼女に与える。
軽く、舞うように跳んだ少女は瞬きの間にアーチャーへと近づいていた。
対してアーチャーも、その速度には目を見張りながらも腕は止まることなく、すでに弓から毒矢を放っている。
「んなぁっ!?」
当たるかと思われた毒矢。
自分から見ても絶対に当たるタイミングで放たれた一撃だった。
しかしそれは、少女の姿が掻き消えたことで虚空を打ち抜くにとどまった。
起きた現象、キャスターが無詠唱で起こした現象の名前は転移。
かつて地上に神秘が残っていた時代ですら、高位の魔術師が大掛かりな儀式を使用してようやく使えたような魔術を無詠唱で一呼吸にやってのけた。
イチイの木を使用した結界、それを使用できる程度には魔術をかじっているロビンフッドだからこそ、驚きは強かったのだろう。
それでも一切動きを止めることがないのはさすがと言う他ないが。
ただ、これで彼らにも敏捷値は意味がないということはわかっただろう。
常に剣が届かない距離を保ちながら戦う射手に対しては致命的な相性を持つのだということを。
「無貌の王、参る」
数度の矢を全て躱されて何を思ったのか、アーチャーはその姿を虚空に消す。
──
ロビンフッドの宝具の一つ、彼自身の姿を消失させるもの。
完全なる透明化と背景との同化を為すその宝具は、まさしくアサシンの『気配遮断』の上位互換。
攻撃態勢を取ればランクが下がる『気配遮断』とは違って、そのような弱点はない。
これを解除させるための手段は、もうわかりきっている。
「キャスター、やってくれ!」
「紅蓮の夢で踊りなさい」
──瞬間、世界が赤に包まれた
初めて魂の改竄を行った時に彼女が取り戻したスキル。
試運転をした時には一体のエネミーに絞って放ったからか、それとも実力が足りていないのか、あるいはその両方か、そこまで範囲が広くなることはなかったが、今はガツンと魔力を持って行かれる感覚と共にこの決戦場全体に炎が広がっている。
そして、その上でムーンセルが執り行う聖杯戦争、その基本ルールとしてある『サーヴァント同士の戦い』を行うためにサーヴァントに課せられた『マスターを狙ってはいけない』というルールに従って、自分にもダン・ブラックモアにも一切の被害が出ないように精密にコントロールされている。
これこそが、ロビンフッドが持つ姿隠しの宝具たる”顔のない王”への対策。
いくら隠れたとしても関係がない。
隠れる場所の全てを焼き尽くしてしまえば、どこにいようと攻撃は当たるという理論。
熱気が伝わる。
その充満する煉獄のような熱に汗が吹き出る。
これで終わってくれていると楽なのだが……。
「あら、まだ死んでなかったのね」
キャスターの言葉に正面を見据えれば、そこにはロビンフッドの姿がまだある。
霊核まで焼き尽くされていなくとも、それでも負傷は大きい。
彼のトレードマークでもあった緑の外套はすでに焼け落ち、宝具としての機能を十全に発揮するには及ばない。
肉体にも決して軽くはない火傷が刻まれていて、ダン・ブラックモアが治療のための
それでもなお、ロビンフッドの眼光は鋭く、敗北を認めることもなければ戦いを諦めることもしていない。
英霊という存在を見誤っていたということを実感した。
それは、自分のサーヴァントに対しても同じことが言える。
無論、種類は千差万別だろうが、一握りだろうと本気になれば世界そのものを滅ぼせるのではないかと思えるほどの力を持つなどとは、思ってもみなかった。
けれど、戦いは未だ終わっていない。
自分が彼女のことを甘く見ていたことを謝るのならば、それは戦いが終わった後でいい。
──次は何を仕掛けてくる?
思考を止めるな。
一瞬でも思考を止めたなら、今は有利に運んでいるこの戦況がまるで意味をなさなくなる可能性だってある。
自分の知る限りのアーチャー……ロビンフッドの攻撃手段はそこまで多くはない。
顔のない王による
ただ、顔のない王が今は使用できない状態になっているということ、罠に関しても同時に決戦場に入った以上は仕掛ける時間なんてそこまで多くなかった。
顔のない王を使用している間に仕掛けることはできたかもしれないが、聖都炎上が使用されるまでのラグを考えればそこまで複雑な罠はないと思って問題ないだろう。
──ならば
思考が及んだ途端、アーチャーが新たな行動を行う。
こちらも、それと同時に一つの礼装を握る。
そして最後に、マスターであるダン・ブラックモアがその行動を後押しする。
「援護する、アーチャー」
仕掛けられた魔術はサーヴァントを構成する霊子を崩すことでスタンさせるもの。
それが、アーチャーの行動を阻害させないために放たれる。
次々と放たれる魔術はキャスターに転移という行動を取らせるためのものと、アーチャーに近づけないためのものの二種類。
影から出現する黒い触手がそれを防ぎ、崩し、確実にアーチャーとの距離を詰めるのだが、それでも間に合わない。
そうして行われたアーチャーの次の一手は、こちらの想像通りだった。
「根を張りな! シャーウッドの森よ!」
言葉と同時に展開されたのは初日の結界。
今の彼に残された宝具──祈りの弓。
放たれた無数の矢はどこを狙ったというわけでもない。
キャスターをそもそも狙ってすらいないその一撃では、可憐な少女の体を捉えることなどできはしない。
そんな、弓の腕前を頼りにして英霊となった証である
だが、彼らにとってはこれでいいのだろう。
そもそも普通に狙っても矢はキャスターに当たらない。
ならば、普通ではない手段でキャスターの体にダメージを蓄積させるしかないのだ。
その手段を、自分は1日目の時点で目撃していた。
途端、キャスターとアーチャーが結界の中に閉じ込められる。
この中は毒の結界のはずだ。
握った礼装……『癒しの香木』と呼ばれるそれをキャスターが持つクラススキルである『道具作成』によって改良されたもの。
ネックレス型に改良されたそれに付属する魔術は毒の解除。
結界が毒を与え続ける以上は常にかけ続けないといけないわけだが、それでも相手の宝具の効果がただ単純に『毒の結界を生み出す』だけだとは考えづらい。
弓兵である以上は、その宝具は間違いなく弓にまつわる何かのはずだ。
「あら、なかなか面白い趣向ね」
今回展開されたのは一本の矢を元に構成された木を起点とした結界ではなく、複数の矢を起点として構成された森のような結界。
毒々しい大気の中、されどそれをまるで気にしないのがキャスターのサーヴァント。
毒が解除されているのではなく、そもそも通用すらしていない。
「それで、このあとはどうするの、ロビンフッド?」
返答は、ない。
どこかに隠れて、彼女の隙を狙っているのか。
──森の恵みよ、圧制者への毒となれ
「……いいわ、乗ってあげる」
くすりと微笑んだ姿はあまりにも美を体現している。
されどその口から放たれた言葉は他のサーヴァントやマスターが聞けば頭がおかしいと思うことだろう。
彼女の力があれば即座にこの結界を破壊できるというのに、わざわざ相手に宝具を発動させる隙を与えるとは。
「”
そうして放たれた矢を、キャスターは影の一振りで薙ぎ払う。
何一つとして効果のない姿を目撃して、ロビンフッドは瞠目する。
「おいおい、効いてねえのかよ……」
「むしろ、なんで効果があると思ったのかしら?」
──あなた、私の真名にたどり着いているのでしょう?
その言葉に沈黙を以って返答とするアーチャー。
”祈りの弓”は、標的がその体の内側に溜め込んでいる毒や病などの不浄を瞬間的に増幅・流出させる力を持ち、対象が毒を帯びていると、その毒を火薬のように爆発させる効果がある。
そして、『矢が対象に命中する』事は毒を爆発させるトリガーでしかないため、かすり傷どころか、先ほどのキャスターのように矢を弾いたり受けたりして防いだとしても効果は発動する。
これをどうにかする手段は大まかに二つ。
そもそも矢を受けないということ。
当たることがトリガーなのだから、当たらなければ問題はない。
そしてもう一つが、体内に毒を持たないこと。
ただしこちらは本当に難しい。
何せ、ロビンフッドはイチイの毒を使用するため、彼が宝具を使わなければならない事態になれば相手にはすでに毒が行使されているのだから。
耐毒スキルを持つようなサーヴァントならば話は別だが、このキャスターはそんなものを持っていない。
ただ、それでも彼女がそれを防げるのはおかしくはないとアーチャーは知っている。
「根源接続者、だったか」
「ええ」
それは、月の聖杯戦争でのみサーヴァントとして呼び出される可能性のある存在。
願望機ではなく観測機としての機能があるために召喚される可能性が生まれた存在。
他の聖杯戦争では決して呼び出すことができないその少女の名は沙条愛歌。
『世界を滅ぼそうとした怪物』としての属性を持って反英霊として登録された少女。
西欧財閥が聖杯戦争に参加するに当たって万全を期すために月から持ち帰った情報、その中にとある世界の東京で行われた聖杯戦争が存在した。
それがいかなる理由によるものか流出したことで、恐ろしくあやふやな存在ながらも彼女は、月の聖杯に英霊として認識されたのだ。
「あなたの毒はもう全部見たもの。それなら、後はその対抗策を用意しておくだけでしょう? いくら毒の規模を大きくしたところで、結局使ってるものは同じなんだもの」
とはいえ、それをマスターである白野は知らない。
愛歌は教えることを忘れていた。
一応、状況そのものはわかっていなくても、契約の
「もう、あなたの毒は見飽きたわ」
手元で広がる炎。
それは神罰の業火。
溢れ出る業火は少女の身を美しく彩りながら、この
「……っ! させるかよ!」
彼の言葉、そこに含まれた感情は憤怒の色を持つ。
この森はロビンフッドの戦場にして住処。
彼にとって誇れるものではないとしても、英雄として駆け抜けた戦場の具現。
そこを焼き払おうとする行為をそうやすやすと見逃すわけにはいかなかった。
だが、無意味。
「ちぃっ……」
炎を前に全てが焼き払われていく。
その炎を見るに、まず間違いなく先ほどの一撃よりも威力は上。
あれ以上の温度を出せばたとえ触れることなくともマスターの命が危ないと判断して、威力が抑えられていたがこの結界の中であるならばそれを気にする必要はない。
生前もその全能を十全に振るいながらも、今とは違って
だが、今はそれを気にする必要はない。
彼女の見立てでは、彼女のマスターには魔力量での制限がない。
ゆえに、その炎は森を、命を呑み尽くすまで止まることを知らない。
アーチャーが敗北するのは、時間の問題だった。
そして、その時は訪れる。
結界が解除されたのだ。
中にいるキャスターにコードキャストが通用しなかったために、その瞬間を緊張とともに見届ける。
果たしてどちらが立っているのか、と。
「キャスター!」
「アーチャー」
ダン・ブラックモアも、そのような姿を見せなかったが、どうやら自分と同じような心境だったのだろう。
二人揃って自分のサーヴァントの名前を呼んだ。
そして、内側から姿を見せた二人は全く真逆の姿で──
「私たちの勝ちよ」
まるでダメージを負った様子もなく、ただ足取り軽く少女はこちらの元へと戻り。
「すまねえ、旦那……」
緑衣の弓兵は、その体に火傷のない場所など一切ないような姿で、それでもなお膝をつくことはなく立っていた。
その決着をどこか驚きを含んだ面持ちで見ていたのはダン・ブラックモアだ。
彼はどこか天啓を得たかのような表情で、その場に立ち尽くす。
キャスターがとある部分を踏み越えた途端、こちらとあちらの陣営を分ける壁が出現した。
それに、思わず目を開いた。
「おや、一回戦を超えたというのにこれを見るのは初めてかな?」
すでに体は末端から消滅を始めていた。
……これが、電脳死。
慎二の時には見ることのなかった、聖杯戦争で敗北した者の末路。
「……しかし、意外だ。初めて見た時には君は迷っていた、いいや、この決戦場に入る前、昇降機に乗っている時ですら。だが、戦いが始まった時にはその動きに迷いはなかった。──言葉にできずとも、譲れぬ何かがあったのだろう」
老騎士からはすでにこれまでの苛烈さが消えている。
こちらに向ける視線はつい先ほどまで殺しあっていたとは思えないほどに穏やかで、祖父が孫に向ける視線というのはこういうものなのだろうかと幻視してしまう。
「迷いながらも進むがいい、若人よ。その迷いが、いずれ敵を穿つための意思となるのだから」
アーチャーとダン・ブラックモアの会話は聞かない。
聞いてはいけない。
これは彼らの間の会話であって、こちらが口を挟んではいけないものだ。
本来ならば、聞くことすら許されない。
それでも勝者として彼らの言葉を聞かざるを得ない。
「最後に、年寄りの戯言を聞いてほしい」
だから、アーチャーが消滅した後、ダン・ブラックモアがこちらに話しかけてくるなんて思ってもみなかった。
それでも、戯言と呼ぶにはあまりにも彼の姿勢は誠実だ。
「これから先、誰と戦うことになったとしても、誰を殺すことになったとしても──その結果だけは受け入れてほしい。迷いも悔いも、消えないのならば消す必要はない。ただし、結果だけは拒んではならない。そこで得た全てを糧として進む。それが覚悟というものだ。そのことを忘れて進めば、君は未練を残してしまう」
頷く。
彼の言葉は金言だ。
未だ覚悟も何もない自分、ただ生きたいと願うだけの自分の戦いに色をつける言葉だ。
色をつける下地すらない自分に、これから先の戦いで忘れてはいけない言葉。
彼はそんな言葉を残して、最後に誰か女性の名前を呟いて消滅した。
「ほら、戻りましょうマスター。もうこれ以上ここに留まっていてもしょうがないわ」
消滅したダン・ブラックモアがいた場所を見つめていた自分に声をかけてきたキャスター。
そこに彼らへの興味は感じられない。
『怪物王女』と彼女のことをロビンフッドが呼んでいたことを思い出す。
お姫様のような少女は、自らが興味を抱いたもの以外の存在をまともに認識していない。
そこになぜか、危うさのようなものを感じて、自分たちの二回戦は終了した。
別にこの危うさが何かしたりするわけではない(何もないとは言ってない)