ある少女の物語〜マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝より〜 作:転寝
プロローグ
間違っているものは正す。正しいことのためならば、どんな手を使っても良いの。それは神様が許してくれます。貴女は正しいことを信じる。そう、自分を信じる。そうでしょう?何が間違っている?
――――森博嗣『目薬αで殺菌します』より
*
傾いた陽の光が射し込む音楽室の中に、二つの影が有った。
一つは燕尾服を纏った少女、そしてもう一つはボロボロの黒いセーラー服に黒いローブの少女で、片手にはダガーを握っている。その先端からは赤い雫が零れ落ちていた。
不気味な程に赤々と染め上げられた音楽室の床を見て、燕尾服の少女がぽつりと呟く。
「…なんで、こんな事をしたの…?」
ローブの少女はそれに答えず、もう片方の手に持っていたものを投げてはキャッチするという動作を繰り返している。
「…ねえ、答えてよ…」
燕尾服の少女が泣きそうな声で言う。
「こんな事、間違ってる…」
「…アンタはさ」
ローブの少女が口を開いた。
「アンタは、何が正しい事なのか分かっていてその言葉を言っているのかい?」
「…それは、どういう…」
「あたしの思う正しさとアンタの思う正しさは違う。それと同じようにあたしの思う間違えとアンタの思う間違えは異なるものだ」
「…何が言いたいの?」
ローブの少女は燕尾服の少女を見て、きっぱりとした口調で言った。
「あたしは自分が信じる正しさに従っただけさ。そこに他人が入る余地なんてない」
「でも、間違ってるよ…!人を殺すなんて…」
「あたしがやったんじゃない。あたしはあの魔女に餌を提供してやっただけさ」
「森岡さんを殺したのは秕ちゃんだよ!」
燕尾服の少女は叫ぶ。ローブの少女は鼻を鳴らして、ソイツはまだ生きているよと面倒臭そうな口調で言った。
「邪魔だったからちょっと傷付けただけで死んじゃいない。まあ、このまま放っておけば失血死するだろうけどね」
燕尾服の少女の脇には、若い男が倒れている。その胸からは血が流れており、床に血溜まりを作っていた。
「……それでも、わたしは秕ちゃんを許せない。魔女がやったとしても、みんなが死ぬきっかけを作ったのは秕ちゃんだから…」
「それじゃどうする、あたしを殺すかい?アンタにそれが出来るとは思えないけれどねぇ」
ローブの少女はニヤリと笑い、再び手に持ったものを高く放り投げる。今度はそれをわざとキャッチせず、行き場を失ったそれは燕尾服の少女の足元まで転がっていく。
少女は反射的に飛び退く事を良しとせず、気力で自分を押さえつける。しかしその目は見開かれ、口からは悲鳴の欠片がか細く漏れた。
少女の足元まで転がった物体―それは、人間の頭部だった。虚ろな目と半開きになった口、そして荒々しく切断されたであろう断面が、少女の網膜に焼き付いていく。
頭部は一つだけではない。至る所に散乱している。壊れた楽器の上や椅子の下、倒れた譜面台の下敷きになっているものもあった。
一時間前までは、こんな状況を誰も予想出来なかった。音楽室に一人の少女が現れた時、全てが始まり―そして呆気なく終わったのだ。
硬直した様に動かない燕尾服の少女を見ながら、ローブの少女は楽しそうな口調で言う。
「アンタはさっき、みんなが死ぬきっかけはあたしだと言ったけど…あたしから見ればコイツらが死ぬきっかけを作ったのはアンタだ」
燕尾服の少女の肩がびくりと跳ねた。
「どうして…」
「あたしがこの部活を去ることになった出来事を覚えているだろう。あの時アンタがあたしを助けてくれていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない」
ま、いつかはやってただろうけどねとローブの少女は気楽な様子で言う。
「それは…」
燕尾服の少女はその言葉を否定する事が出来なかった。ローブの少女が言った事は屁理屈だ。それは分かっている。
だが…。
(わたしは、それを否定する事が出来ない…)
心の何処かでは、それを認めてしまっている。ローブの少女を解き放ってしまったのは自分かもしれないと思ってしまう。
燕尾服の少女は肩を震わせ、俯く。ローブの少女は更に追い打ちをかけるように言った。
「あともう一つ。今、神浜はどうなっていると思う?」
「どうって…いつも通りの筈…」
何か、嫌な予感がした。わざわざ神浜市の話題を出すという事は、彼処で何かが起こっている事の証左だからだ。
「あたしにくっついてる黒羽根共を彼処に置いてきたんだけどね…いい機会だからソイツらに神浜の魔法少女を襲わせているんだよ」
「なんで…神浜の魔法少女は関係ないでしょ!?」
「彼処はあたしの活動場所だ。だけどマギアユニオンの所為で行動が制限されてて鬱陶しかったんだよ。それに黒羽根共も邪魔だったしね、一石二鳥さ」
それを聞いて、燕尾服の少女はローブの少女に掴みかかった。然しヒラリと躱され、カウンターで放たれた蹴りが腹部を直撃し、苦しげに呻きながらその場に蹲る。
「アンタ如きがあたしを倒せるわけないだろ」
ローブの少女は燕尾服の少女を睨み付けると、また口元を歪める。
「…まあ、そういう事だ。あたしから見りゃ、アンタの所為で神浜は危険に晒されているんだよ」
ローブの少女は燕尾服の少女に近付き、その首に手をかける。
「恨むなら、自分を恨みな…」
ローブの少女は手に力を込めながら、燕尾服の少女の耳朶を食む様に唇を近づけ、悪意のある声で囁いた。
―そして、好きなだけ絶望して…死ね。
*
夜の帳が降りた神浜市。
そこでは、少女達が命を懸けて戦っていた。
「はっ!」
環いろははクロスボウを構え、飛び掛る影に向かって矢を射る。それは見事に直撃し、影…黒羽根は動きを止めた。
然し喜ぶ暇も無く、右から別の黒羽根が襲いかかってくる。その攻撃を辛うじて躱し、思いっきり蹴りを入れてから距離をとる。
すかさず先程矢で動きを止めた筈の黒羽根が接近してきた。鎌のような刃物の一撃を咄嗟にクロスボウで受け止める。みしりと嫌な音がした。
考えるよりも早く、無意識で動いていた。
副武装のナイフを取り出し、それで黒羽根の腕を浅く斬りつける。血飛沫が舞うが黒羽根は微動だにせず、そのまま力で押し潰そうとするかのように刃物を押し込んだ。
このままでは埒があかないと判断し、無理やりゼロ距離から矢を放つ。これは流石に効いたのか、黒羽根は勢いよく吹っ飛んでいった。
息を整えようとしたその瞬間、後ろから羽交い締めにされる。
「放してっ!」
藻掻くが、凄い力で押さえつけているらしく、中々振り解けない。
そうこうしている間に、前方から何かが迫り、構えられた刃物が勢い良く腹部を貫いた。
「………!」
軽減されているとはいえ、かなりの痛みに声にならない悲鳴を上げる。
(…嘘でしょ…全力で撃ったのに…!)
先程ゼロ距離射撃を食らわせた黒羽根が、何事も無かったかのように自分の腹部を突き刺しているのを見て悪寒が走る。
ローブの下の無機質な視線が自分のソウルジェムに注がれるのを見て、殺されると思った。
何故自分がこんな状況に置かれているのか―それすらも分からずに殺されるのか。
突然黒羽根が襲いかかってきて、その混乱の中で仲間とも分断されてしまった。全ては唐突に起きた事であり、その原因が分からずに終わるのは嫌だった。
「どうして…こんな事を…」
掠れた声で問う。それに対し黒羽根は一言、予想だにしないことを言った。
「琴音咲」
「…え?」
「原因は、琴音咲にある」
どういう事だと訊こうとした瞬間、黒羽根がソウルジェムに手を伸ばした。
頭の芯が凍りつく様な錯覚。
自分の死というこれから起こるであろう事実を受け入れた意識が静かに落ちていき、視界が暗くなる。
最後に見たのは…黒羽根のローブの下、光を喪った目だった。
何故、こんな事になってしまったのか。
…琴音咲の因縁が彼女自身とその周りに災禍を齎すまでの過程は、以下の通りである。