ある少女の物語〜マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝より〜 作:転寝
数日後の昼休み、 秕は部室に居た。
今は昼食の時間で、皆は給食を食べている。そんな時間にひとりで部室に居るという状況は異質だったが、仕方の無い事だった。
秕は数ヶ月前から給食費を払っていない。施設の方針が「切り詰めるものはとことん切り詰める」というものに変更され、それにより給食費は支給されなかったからだ。どうやら、自分のいる施設は経営難に陥りかけているらしい。
当然、給食費が無ければ給食は食べられない。だからここ数ヶ月間は昼食を抜いていた。一度だけ菓子パンを持っていった事があったが、クラスメイトに見つかり教師にチクられた。教師にこっ酷く怒られた秕は、それ以来昼になると教室を抜け出し、ここで過ごしている。
当然の事ながら音楽室には誰も居ない。秕は文庫本を読んでいたが、空腹の為中々集中する事が出来なかった。
苛立つが、仕方が無い。秕はちいさく溜息をついた。
いつの間にか昼休みになっていたようで、遠くからはざわめきが聞こえてくる。ここには誰も来ないから気楽だ…そう思っていたら音楽室のドアが開いた音がしたので秕は驚いた。
足音が聞こえ、部室の前で止まる。部室といっても打楽器が詰め込まれているだけのスペースだ。一体何の用だろう。
誰かが自分の安息の時間を邪魔しに来たのだろうか…そう思い、わざと内側からドアを開ける。蹴り飛ばすような形で開けた為、ボロボロで鍵の付いていないドアはいとも容易く開いた。
「きゃっ!」
そんな悲鳴と共に、外に居た人物が飛び退いた。驚いた様な顔で此方を見ていたのは、あの女生徒だった。
秕は無言でドアを閉めた。無害そうに見えるが、もしかしたら自分の邪魔をしに来た可能性もある。
すると、ドアがノックされた。煩いなと思ったが、もしこのまま居座られでもしたら面倒だ…仕方ない。
ドアを少し開け、その隙間から顔を覗かせて「なに」と不機嫌そうな声色で言った。
「え、えっと…スティックを取ろうと思って…」
女生徒は上擦った声で言う。練習でもするつもりだろうか。
秕は無言でドアを開けた。
女生徒はオドオドしながら部室に入ってきて、秕の方を見る。まだ何かあるのか。
睨み付けると、女生徒はオドオドとした笑顔を浮かべて口を開いた。
「え、えっと…この前は助けてくれてありがとう」
「別に」
素っ気なく言うと、文庫本に視線を移す。
女生徒の笑みが曖昧なものに変わる。どうすればいいのか迷っている様子だ。
早く出ていって欲しい…そう思った瞬間、お腹が鳴る音が聞こえた。勿論、自分のお腹から出たものだ。
それに気付いたのか、女生徒は秕に訊いた。
「…お腹、空いているの?」
「……………」
秕は無言で女生徒を睨んだ。そんな事訊いてどうするのだ?
それで会話を終わりにしてくれれば良かったものの、女生徒はさらに訊いてくる。
「給食は…?」
「…食べていない。金が無ければ、飯すら食わせてくれないんだからいい所だよ」
秕が唇を吊り上げて皮肉を言うと、女生徒の顔が驚きに染まる。だが直ぐにそれは消え、代わりに何かを決意した様な表情が浮かんだ。
「じゃあ…」
「…?」
「明日、何か作ってくるよ」
予想だにしない言葉に、秕は絶句した。
なんなんだ、コイツ…。
「何を言っているんだ?」
「流石に今日は無理だけど…明日、何か作って持ってくるよ。この前のお礼もしたいし」
女生徒は平然とそんな事を言う。
馬鹿なのか、コイツは…?
「…お前、馬鹿なのか?それが教師にバレたらどうなるのかは分かっているだろう?」
「だからって、放っておけないよ」
女生徒はそう言って、柔らかい笑みを浮かべた。
「………」
秕が黙った瞬間、チャイムが鳴った。女生徒はぺこりと頭を下げると踵を返す。
変なヤツだ、と思った。自分を相手にあんな事を言ってくるヤツは初めて見た。
…まあ、期待はしていない。明日になれば忘れているだろう。
秕は立ち上がり、教室に戻った。
またお腹が鳴った。
*
その日の部活はサボった。
施設に戻り、自室のベッドに寝転がる。
『明日、何か作ってくるよ』
何故か、女生徒の言葉と柔らかい笑みが、頭から離れなかった。
*
次の日。
昼休みに部室で文庫本を読んでいると、音楽室に誰かが入ってきて部室のドアをノックした。
ドアを開けると、あの女生徒が立っていた。彼女は「こんにちは」と言うと部室の中に入り、ドアを閉める。
それから秕に近付くと、それを差し出した。
「はい、これ」
「これは…クッキー?」
女生徒から渡されたのは、可愛らしい袋に入ったクッキーだった。まさか本当に持ってくるとは思わなかったので、秕は思わず訊いてしまう。
「本当にいいのか?」
「うん。その為に作ったし…初めてだから、失敗してるかもしれないけど…」
女生徒は恥ずかしそうに言った。
秕はクッキーの包みをしげしげと眺めた後、袋を開けて一つ取り出し、口に入れた。
(甘い…それに、美味しい)
少し形が歪ではあるが、とても美味しかった。
「美味しい?」
秕は頷く。
「良かった…!」
女生徒は笑顔になった。心底安堵したといった様子だ。
秕は二枚三枚と、次々にクッキーを食べていく。女生徒はそんな秕を見てにこにこと嬉しそうに笑っている。
その顔を見ると、何故かくすぐったいような気持ちを覚えた。秕は無表情を保ってクッキーを食べていたが、その心中はとても穏やかだった。
秕がクッキーを全て食べ終わる頃、チャイムが鳴った。
「もし良ければ、また作ってくるけれど…」
秕は頷く。それを見て、女生徒は安心した様に笑みを浮かべた。
「じゃあ、明日も昼休みにここに来るね」
秕は頷いてから、無意識に女生徒に訊いていた。
「…アンタ、名前なんていったっけ」
「名前?」
女生徒は驚いた様な表情を浮かべたが、秕も心中では同じ顔をしていた。
まさか、自分が他人と関わろうとするなんて…。
そんな秕の心中を知ってか知らずか、女生徒は顔を綻ばせると、名乗った。
「琴音咲だよ」
「琴音咲、か…」
秕はその名前を呟く。
ことねさき。何となく、いい響きだと思った。
女生徒―琴音咲は時計を見ると、秕に言った。
「じゃあ、またね…吹綿さん」
「………秕でいい」
思わず、そう言っていた。
「え?」
「名前。あたしも咲って呼ぶから」
咲は一瞬だけ固まった後、嬉しそうに笑みを浮かべる。秕が見た中では今日一番の笑みだった。
「…分かった」
「それじゃ」
「うん、またね…秕ちゃん」
咲は音楽室を後にする。彼女の背中を見ながら、秕は暫くぼんやりしていた。
なんだろう、この気持ちは…。
あたたかくて。
気持ちよくて。
嬉しくて。
こんな気持ち、初めてだ…。
自然と、秕はちいさな笑みを浮かべていた。
とても、気分が良かった。
*
それから、咲は秕に何かを作って持ってきてくれるようになった。
どうしても都合が悪くて作れない日もあるが、そういう時は学校をこっそり抜け出して菓子パンを買いに行った。少ない自分の小遣いで買う事にはなったが、元々使い道なんてものはないので別に構わない。
そんな事を繰り返しているうちに、秕と咲は友達になった。クラスは違うが咲が秕のクラスを訪れて他愛もない話をしたり、試験期間になると一緒に勉強したりもした。学校帰りに駄菓子屋で買い食い(本当は禁止されているのだが)した事もある。
咲の隣にいると自分はよく笑う様になった。相変わらず咲以外の人間とは波長が合わないままだったが、それで良かった。咲さえ隣に居てくれれば、自分はそれでいいのだ。
自分を孤独から連れ出してくれた友達。
自分にとって、初めての友達。
咲が居れば、自分は…。
…だが、その考えは間違いだった。
友達になってから少し経った時…咲は、自分を裏切ったのだ。
それで、秕は人を信用する事をやめ、咲を憎む様になった。
咲と過ごした日々は、今となっては不愉快な思い出でしかない。
ふたりに何が起きたのか。
それは、全国吹奏楽コンクールでの事だった…。