ある少女の物語〜マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝より〜 作:転寝
―その日、ふたりの間に埋められない溝が出来た。
「あんなヤツらと合奏をやりたくはない。どーせアイツら妬みとか悪口しか向けてこないし。ならやらない方がいいよ」
「それは…みんな仲間でしょ?一緒に…」
「仲間?あんなのが?咲にとって仲間ってのはああいったヤツらの事を言うわけ?」
「………」
「答えられない?まあ咲は優しいからね。どっちも傷付けたくないんでしょ?」
「それは…」
「…いや、どっちも傷付けたくないんじゃなくて自分が傷付きたくないだけか。答えればどちらかを敵に回す事になるからね。所詮仲間なんてその程度のもの…か」
その溝は拡がっていき、やがてふたりの関係を修復不可能なまでに破壊していった。
そして…そこから全てが狂い始めた。
*
三年生の先輩が県のコンクールで引退し、季節が一巡りした頃。
二年生になった秕達は、全国吹奏楽コンクールに挑もうとしていた。
様々な偶然も手伝い、辿り着いた場所…夢の終着点を遥かに超えた、現実味の無い場所。そんな中でコンクールに挑もうとする部員達の緊張は最高潮に達していた。中にはプレッシャーで青ざめ、今にも倒れそうなヤツまでいる。それほどまでに、この舞台が醸し出す雰囲気は圧倒的なものだった。
咲も、その雰囲気に呑まれた一人だった。先程から震えが止まらない。ミスをしたらどうしよう…そんな言葉が、頭の中でぐるぐる回っている。
逆に、その隣にいる秕は全く気圧されていなかった。いつも通りやればいいだけなのに、どうしてそんなに怯えているのかが理解出来なかった。
今は他の学校の演奏を見ている。確かにレベルは高いが、それだけだ。こちらも全国に行く程の実力はあるのだから、いつも通りやれば結果は着いてくるだろう。…最も、秕は結果なんてどうでも良かったのだが。
隣に座る咲を見る。彼女は少し表情を引き攣らせていた。確かに、咲はこういった場には弱い気もする。
以前に咲とちょっとしたトラブルを起こして以来、秕と咲の関係には少し溝が出来ていた。だが、放っておく訳にもいかない。話をすれば少し気が紛れるだろうと思い、秕は咲に声を掛けた。
「咲」
咲は此方を向いた。その顔はやはり不安そうだ。
「なあに?」
「アンタ、怯えてんの?」
咲は不安そうに頷いた。
「…だって、こんな舞台初めてだし…」
「そんなの、いつも通りやればいいだけでしょ。逆になんで気圧されてるのか理解できないね」
慰めるつもりが、ついいつもの様にぶっきらぼうに言ってしまった。だが、その言葉を聞いた咲は秕を尊敬する様な目で見て、口を開いた。
「秕ちゃんは、凄いよ」
咲の純粋な想いが、秕を包み込む。
「わたしは今にも倒れそうなくらいなのに秕ちゃんは冷静で…本当に凄い」
秕は視線を逸らした。他の人に言われてもなんとも思わないのに、咲に言われると何故か照れくさい。
「別に…慣れてるし。ま、全力で演奏すればいいんじゃないの。もしミスをしたとしても、それはもう起こった事なんだから気にせずやればいいんじゃない?」
秕の言葉に、咲はまた表情を曇らせた。彼女はそう簡単に割り切れる性格ではないのだろう。人一倍真面目で、それ故に失敗を恐れている…そんな風に、秕には見えた。
暫くの沈黙が続き、やがて咲がぽつりと呟いた。
「…もし、さ」
「ん」
「もし、何か重大なミスをしてしまって、それで起こった事をやり直せる機会があったとしたら…そのチャンスを使うべきかな」
秕は少し思案した後、おもむろに言った。
「その機会が全員に与えられたものなら、それを行使するべきだろ。でも、それが誰かひとりにだけ与えられたものなら…使うべきじゃないんじゃないか?フェアじゃないし、何よりそれは使い方を間違えれば今まで積み上げできたものを否定しかねないしね。ミスを受け入れて前に進むってのも一つの手段だろうし」
ま、あたしが言う事じゃないだろうけどさ。…そう言って秕は薄く笑った。
なんで説教してるんだと内心では思いつつ、表面では咲を慰める為に言葉を紡いでいる。
「そんな物が仮にあるとして…使い方はその時に決めればいい。今はアンタはアンタの出来ることを精一杯やりな」
「…うん、ありがとう」
秕の言葉に、咲は微笑んだ。
少しは気が紛れただろうか。まあ自分から言える事なんてこのくらいである。後は、咲次第だ。
秕は再び前を向き、ぼんやりと演奏を聞く事にした。
*
出番の少し前になり、秕達はバックヤードで楽器搬送をしていた。
秕はグロッケンを搬送している。これは所謂鉄琴だが、音さえ出なければ搬送は余裕だった。
横目で咲の方を伺う。彼女はティンパニの搬送に苦労している様だった。オンボロなティンパニなので、何もしなくても音が変わる事がある。その為咲は時折音をチェックしていた。
最初にティンパニを演奏するのは咲だが、曲の中盤〜終盤にかけて演奏するのは秕だ。だからグロッケンを設置し終えたらティンパニのチェックを咲とする手筈になっている。まあ咲は手馴れているし、自分は要らないだろうが。
咲はまだ緊張している様子だったが、それでも先程と比べれば大分マシだった。最も、それは他の連中も同じ事だったが…。
まあ誰が緊張していようが秕には関係無い。自分はやる事をやるだけだ。
ステージに着くと、秕はグロッケンを所定の位置にセッティングした。楽器が動かない様にストッパーを留め、準備は完了。予行練習よりも遥かに早いスピードだといえる。
咲の方を見てみると、ひとりで上手くティンパニのチェックをしていた。流石に手馴れたものだ。これなら大丈夫だろうと思い、秕はグロッケンの前に居た。
だが、それは大きな間違いだった。
全員の準備が終わると顧問がOKサインを出す。
アナウンスの後、顧問が観客席の方を向いて一礼してから指揮棒を構える。
そして、ティンパニの音が会場に響き渡った。
普段の音とは違う、ズレた音が―。
秕は耳を疑う。
咲は、何をやっている?
確認したいが、この場を動く訳にもいかない。
秕は事務的にグロッケンを演奏する。
どうやら、音がズレているのは四つのティンパニのうちひとつだけのようだ。
だが、それでも影響は大きい。
中盤、咲と交代する。
彼女の顔は幽鬼の様で。
その表情は絶望に満ちていた。
秕はティンパニを叩く。
やはり、音がズレている。
咲は失敗したのだ。
ズレた音が、秩序の保たれた音を打ち砕く。
(咲…)
演奏中、ずっと咲の事が頭から離れなかった。
彼女の絶望に満ちた表情が、秕の脳裏に焼き付いていた。
*
全てが終わった後、咲はロビーで泣き崩れた。
周りの部員はそんな彼女に声を掛けているが、秕は何も言えなかった。
何と言ったらいいのか分からなかったし、声を掛けない方がいい気がした。
秕に出来る事は、黙ってその場を離れる事だけだった。
*
観客席に戻ると、名前を呼ばれた。
顔を上げると、そこには何人かの部員が居た。ソイツらは秕に「話があるから、ちょっと来て」と刺々しい口調で言った。
秕は無視する。どうせまた、秕の所為にするつもりなのだろう。
それに苛立った部員達は強引に秕の腕を掴み、会場から連れ出す。抵抗するのも面倒だったので、されるがままに会場を出た。
会場を出て直ぐ、彼女達の「お説教」は始まった。
「アンタ何してるの?」
「琴音があんな事になってるのに、自分はすぐに逃げてさぁ。自分は悪くないとか思ってる訳?」
「…言っている意味が分からない」
秕が言うと、周りのヤツらは益々いきり立って、
「だからさぁ…あんたが琴音のフォローに回らなかったのが悪いんだよ。そこ、理解してる?」
「………」
答えるのも面倒だったので、ぼんやりと宙を見つめる。
「ちょっと、聞いてんのぉ!?」
「あんたがグロッケン運び終えてぼーっとしてなきゃ琴音はあんなミスしなかったんじゃないの?そうでしょ!?」
何を言っている?
アレはただの事故だ。自分が居た所で止められる訳が無い。
「黙り?なんも言う気ないの?あんたがしっかりしてれば、あたし達は金賞取れたのかもしれないのにさぁ!」
「他の皆の手伝いもしないでぼーっとしてるなんてさぁ、あんたが協調性ないのは嫌でも分かってるけど流石に空気読まないとまずいとか思わないの?だから嫌われんだよ!」
…五月蝿いヤツらだ。
アレはどう見ても咲が悪いし、上手くいった所で金賞を取れる訳が無いじゃないか。ティンパニの件が無かったとしても、他の学校より劣っている演奏だったのに。
「大体さ、よくそんなんで部活にい続けられるよね?皆から嫌われてるっての理解してる?あんたいつも琴音にくっ付いてるけどさ、どうせ迷惑ばかりかけてんだろ?琴音の気持ちももう少し考えたらァ?」
「…………」
ぼんやりしている秕に痺れを切らしたのか、取り囲む部員の一人がいきなり秕を強く突き飛ばした。
秕はよろめく。瞬間、聞き慣れた声が耳に届いた。
「秕ちゃん!」
声をした方向を向くと、咲が此方に駆け寄ろうとしていた。だが何人かの部員が行く手を阻み、意地が悪い声で咲に言う。
「琴音、あんなやつに同情なんてしない方がいい。じゃないとあんたが潰れるよ」
「そんな事は…」
「ない、なんて言いきれないだろ?あたし達はあんたを助けようとしてるんだ。あいつのせいで、あんたはあんなミスをしたんだろ?あいつが助けてくれなかったから、あのまま始めざるを得なかったんだろ?」
「それは違う…」
「何が違うんだよ。あんたは優しいから口には出さないけど、本当はそう思ってるんじゃないの?」
「わたし、は…」
咲が虚ろな表情になる。
ぶつぶつと、意味を成さない言葉の欠片がその口から漏れる。
そして、咲は…ふらふらとその場から歩き去っていった。
秕は絶句した。
咲は、認めたのか。
アイツらの言葉を…信じたのか。
友達でも無いヤツらの事を信じて、
「…なんで」
思わず、声が漏れる。
信じていたのに。
友達だと思っていたのに。
咲は、自分に全てを押し付けた。
…ああ、そうだ。
アイツにとってあたしは、その程度のものなのだ。
咲も、他の連中と同じだった。
自分の事しか考えない、利己的な人間。
普段は友達面しているけれど、いざとなったら切り捨てる。
咲にとって秕は、その程度の存在だったのだ。
「は、はは…」
虚ろな笑い声が漏れる。
周りが何かを言っている。
煩い。
「…アハハハハハハハハハハハハハハッ!」
…もう、いいや。
友達なんて要らない。
クソみたいな感情に振り回されるくらいなら、最初から無い方がいい。
全てがどうでもよくなった。
…それでも、赦せないヤツはいる。
琴音咲…アイツだけは赦さない。
アイツさえ居なければ、希望を知る事も無かった。
こんな気持ちになる事も無かった。
全部、アイツのせいだ。
「…殺してやる」
自然と、その言葉が出た。
怒りと絶望が湧き上がってくる。
濁流の如く押し寄せるそれに身を任せ、秕は笑った。
涙を零しながら、笑っていた。
*
どれくらいそうしていただろうか。
周りに居たヤツらはいつの間にか居なくなっていた。
だが、その代わりに妙なモノが居た。
「―キミは、自分の願いを叶えたいかい?」
白い、耳長の動物が自分の前に立っていた。狐の様な、四本足の生物だ。
ビー玉の様に無機質な瞳が、秕を捉えていた。
ソイツは表情を変えず、口も動かさずに言った。
「キミが願いを叶えたいのなら―ボクにそれを言うといい。キミにはその資格がある」
「…何だ、コイツ」
遂に幻覚が見える様になったかと思った。
然し、ソイツは秕の考えを読んだかのように首を振って、
「ボクは幻覚じゃない。確かにこの場に存在している」
確かな口調でそう言った。口は動いていないが、ソイツの言葉が脳内に響いてくるのだ。
「…願いを言って、それでどうするんだよ」
秕は呟く様に言った。コイツが何なのかは分からない。だが何となく気になったのだ。
ソイツはその言葉を待っていたかのように、ニコリと笑った様な表情を作って言った。
「吹綿秕、キミの願いをひとつだけ叶えてあげる。その代わり…キミには魔法少女になってほしいんだ!」