魔法少女リリカルなのは「狼少女、はじめました」   作:唐野葉子

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 長くなったので二つに分けて投稿します。
 前篇は少し短いです。


第十話

 

 日曜日、雲ひとつない晴天の今日は父がオーナーとコーチを兼任するサッカーチーム『翠屋JFC』の試合の日で、キーパーの活躍もありなのは達の応援するチームは勝った。

 なのはが魔法に触れてからもうすぐ一週間。回収したジュエルシードは今までで五つにもなり、さすがに疲れたので今日くらいは魔法のことを忘れてゆっくりしようとユーノやレイジングハートとも相談していた。

 その、はずだった。

 

「なの姉、封印お願いします」

 

 妹が差し出す青い宝石を茫然と見つめる。心臓を中心にゆっくりと霜が降りてゆく感覚。

 

「……どうしたの、それ?」

「あのキーパーの男の子が持っていたんです。見間違いかとも思ったのですが、確認してみたところ本物でしたので丁重にO☆HA☆NA☆SI☆した結果、譲ってもらいました」

「そう、なんだ」

 

 無情にも不安は的中する。

 

(やっぱりあれ、ジュエルシードだったんだ……)

 

 彼が青い石をポケットから取り出していたのは、なのはも気づいていた。でも、気のせいだと自分に言い聞かせて無視してしまったのだ。

 この一週間、あんなに頑張ったのだ。今日くらいは魔法のことを忘れてゆっくりしてもいいはずだと。ゆっくり休憩して明日からに備えるべきだと、自分を偽った。

 もしも妹が回収してくれなければ、大惨事につながっていたかもしれない。

 世界が遠い。足元がふわふわする。胸の奥に空いた穴に、体が吸い込まれそうだった。

 

まただ(・・・)。またわたしは役に立てなかった)

 

 アリサやすずかといった友人たちとこれからの予定を談笑していたのがはるか昔の出来事のように感じた。実際は念話でなずなに呼び出されてから十分も経っていないのだが。

 はぐれてしまった心は過去のトラウマを無慈悲に汲み上げる。

 

 

 なのはたちが幼稚園に入る前の年の話である。

 父の士郎が事故に遭って入院した。長年の夫婦の夢であった『駅前の喫茶店』の経営を始めた矢先の出来事だった。

 不幸中の幸いというべきか。本来なら意識不明の昏睡状態に陥ってもおかしくない状況だったらしいが、満足に身体は動かせないものの士郎の意識はしっかりあった。しかしそれでも幼いが聡明ななのはに家族が絶対のものではなくいつかは死ぬ『人間』だということを意識させるのには十分な出来事だった。

 働き手を失った高町家が生活の変更を余儀なくされたことがその認識に拍車をかけた。不変のものなんてありえない。いつかは死ぬ。みんな壊れて消えてしまう。

 怖かった。でも、みんなの前で泣くことはできなかった。

 軌道の安定しない喫茶店を一人で切り盛りしながら、子供たちに心配をかけまいといつもなのはたちの前では笑顔を絶やさなかった母。

 その母を支え、大好きな剣術の練習もせずに家事を手伝い、父不在の間家族を守ろうとした兄。同じく家事を手伝いながら母と共に体の自由の利かない父の世話をしていた姉。

 なのはは何もできなかった。幼い、小さいというのはいいわけにならない。なぜなら彼女の妹たるなずなは家族を立派に手伝っていたのだから。

 家事の手伝いをしていた。なのはが独りで寂しくしていたら一緒に遊んでくれた。絵本を読んでくれた。夜、母と何かを相談していることもあった。家事に時間を取られ、友人との間に軋轢が生まれかけた兄や姉を励ましていた。

 なのはだけだ。なのはだけが役立たずだった。

 

 なのははわるいこ(・・・・)だった。

 

 みんなが誰かのために何かをしているのに、その中で自分のことさえおぼつかない迷惑な存在。

 そんななのはに、母は言ってくれた。寂しい思いをさせてごめんなさいと。わたしなんていない方がよかったんじゃないかという思いにかられるなのはを抱きしめてくれた。

 笑ってくれた。苦しんでいる人に、寂しい思いをしている人に、何もできない無力ななのはの顔を見て。

 兄は言ってくれた。なのはがいるから頑張れるのだと。姉は言ってくれた。なのはが笑ってくれるなら元気百倍だと。妹は言ってくれた。なのねぇの笑顔さえあればほかは何もいらないと。

 無力な自分は、何もできない自分は、決していらない子などではなかった。

 だから決心した。笑っていようと。家族が悲しむならその悲しみはだめな自分にはどうしようもないけど、それでも悲しみを乗り越えたときに少しでも早く笑えるように自分はバカみたいに笑っていようと。

 

 いいこ(・・・)でいよう。いいこでなくちゃいけない。大好きで大切な家族みんなが大好きで大切と言ってくれる『高町なのは』はそうあるべきだ。

 

 怖かった。悔しかった。だから、ひとりのときに泣いていた。

 

 

 ユーノに助けてと言われたとき、なのはは助けたいと思った。こんな無力でだめで何もできない自分でも、何かの役に立てるならと。

 自分に魔法の才能がある。なずなにはない、膨大な魔法資質がある。自分だからこの町の平和が守れると言われた時は泣きそうになるくらい嬉しかった。ようやく自分はやってもらうだけの迷惑な存在から、誰かに何かをしてあげられるだけの立場に立てるのだと信じた。

 

(でも、だめだった)

 

 蓋を開けてみれば、今までと何も変わらない。

 なのはが初めて魔法と出会い、レイジングハートを起動させるまでの間、バケモノの前に立ちふさがり時間を稼いでくれたのは妹のなずなだった。

 ジュエルシードの封印が終わった後に破壊された周囲をごまかすため月村家に連絡を入れたのもなずなで、実際に隠蔽工作をしてくれたのはなのはの親友の一人、月村すずかの姉にあたる月村忍。

 なずなが押し切ったおかげで魔法のことを家族に打ち明けることになった。その結果、高町家および月村家の面々は全面的にジュエルシード回収に協力してくれることになった。もっとも、封印処置は魔力量的になのはかユーノにしか出来ないので、情報収集がメインだが。

 活躍しているのは常になのは以外の誰か。いつもなのはの前には妹であるはずのなずなの背中がある。

 嫉妬がないわけではない。劣等感がないわけでも、もちろんない。しかし――。

 

「なの姉?」

「あ、ごめん……。レイジングハート、セットアップ。リリカル・マジカル――」

 

 なずなに怪訝な表情をされ、あわててなのははジュエルシードの封印を始める。

 なのはのなかに今にも溢れんばかりに渦巻いているものの正体、それはまたできなかったという罪悪感。

 

(わたしなりに、努力してきたつもりだった。でも、それじゃダメなんだ。私にできる範囲でじゃなくて、ほんとうの全力全開で……)

 

 できていないから、できるようにならなきゃいけない。それは当たり前のことだから。それは当然のことだから。普通にやってできないのなら、できるところまで無理をしてでも。

 次こそは、と心に誓う。

 当たり前のことが当たり前にできている『具体例』が目の前にある以上、なのはに踏みとどまる理由はなかった。

 

 

 ――時は少し飛ぶ。

 

「お姉ちゃん、恭也さんと付き合い始めてから幸せそう」

「うちのお兄ちゃんも、すこしやさしくなったかな?」

「たしかあの二人、なずなたちを通して知り合ったんだったわよね」

「ええ、私やすずかくらい運動ができる子は稀ですから。その縁で忍さんともお知り合いになって、兄さんを紹介することになって」

 

 翌週の日曜日。四人の少女たちが友人とのお茶会を満喫していた。

 

「ていうか二人とも、本当に人間かどうか時々疑わしくなるレベルなんだけど。ドッチボールって空中でやる球技じゃないでしょ!」

 

 快活な金髪の少女、アリサがツッコミを入れる。体育の時間、重力と人間の限界を振りきった動きを見せる妹ともう一人の友人、すずかの挙動になのはは苦笑するしかなかった。

 

「あ、あはは……。そもそも、人間の球技に空中でやるのって無かったような」

 

 一応なずなはあれでもクラスメイトと常識に気を使った動きであり、兄や姉と道場で鍛錬をしている時はさらにその上があるのだが、プンスカとわざとらしく憤慨して見せている常識の体現者たるアリサに言いだすことはできない。

 彼女も彼女で学校のテストは百点が当たり前という普通とはかけ離れた少女ではあるのだが。

 

「些細な問題でッ――ごほっ、ごほっ」

「だ、大丈夫、なずなちゃん?」

 

 平然としたしぐさでカップに口を付けるものの、急にむせるなずな。そして、体育の時の暴走振りをおくびも出さず大和撫子然とした雰囲気を身にまとい彼女を気遣う紫紺の髪をした少女、すずか。

 この四人は普段から深い交友関係がある友達グループだった。全員周囲よりも精神年齢が高すぎて浮いているとも言う。

 彼女たちに周囲より秀でたところがなければ、あるいは一人ならばいじめの対象にもなっただろう。しかし彼女たちは四人組であり、容姿、成績、身体能力、いずれかに置いて周囲を超越していた。結果、小学校三年生にしてすでに彼女たちは高根の花と見られつつある。

 

「え、ええ。少し気管に入りました」

〈……レイハ、言い訳があるなら聞きますよ?〉

〈あ、ありのまま今起こったことを話すぜ。金髪の彼女の声を聞いていたら脳髄に電流が走り、気がつけば『くぎゅ~~!』と奇声を上げていた。何を言っているかわかんねえと思うがあたしも何が起きたのかわかんねえ。頭がどうにかなりそうだった〉

〈あなたに頭ってありましたっけ?〉

〈前世の記憶だとか転生特典だとかそんなチャチなもんじゃ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……〉

〈言い残すことはそれだけですかこの()バイス。念話で私だけにしか聞こえなかったことは最期に褒めてあげましょう〉

〈ちょ、まっ! らめぇ、中身でちゃう! 待って待ってWait! あたしでも時々わけわかんないうちに体が勝手に動くんだよ、勘弁して~〉

〈何を記憶喪失な中二小説の主人公みたいなことを言っているのです。美味しいお茶を吹き出しかけた恨み、思い知りなさい〉

〈未遂じゃないかぁ! コアは、コアは洒落にならないからやめて、再生できなくなるぅ! 助け、たすけてなのはちゃんへ~る~ぷ~み~!!〉

〈れ、レイジングハート? 何でなずちゃんの手の中でギシギシいってるの? というかいつの間に?〉

〈さっきスリ取りました〉

〈なずちゃん!?〉

〈――なのは~、なずなさんっ……! さっきから猫に追いかけまわされている僕のこと無視しないでっ〉

 

 各自がいろんな形でお茶会を満喫していた。

 しかしその時はやってくる。リンカーコアを持つ者にしか感じることのできない、膨大な魔力の波動が奏でる不協和音。

 予測していなかった一人と一匹はまさかこんなところでとビクリと顔を上げ、待ち受けていた一人と一機は緊張を静かに飲み下す。

 

〈え、これって――え……?〉

〈この気配、広域結界!? 僕となのは以外にも魔導師が?〉

 

 発動したジュエルシードの禍々しい気配は、突如として現れた薄い膜のようなものに覆われて消える。

 【広域結界】。周辺の空域を付近の空間から切り離し、相互干渉をできなくする魔法だ。これで万が一ジュエルシードの暴走で被害が出ても、月村家に被害は及ばない。それ自体は喜ばしいことである。

 しかし、それはなのは達以外にもこの海鳴市に魔導師が存在する何よりの証拠。加えてユーノはジュエルシード発動の気配から結界発生までのタイムラグがかなり短いことに驚いていた。対応を決めかねていたものの数分の間の出来事だ。

 封印状態ならともかく、起動したジュエルシードの波動は独特かつかなりの広域に届く。察知するだけなら近くにいなくても可能だろう。しかし、結界の展開はどうしても術者が付近にいることが必要になる。あるいは管理局の巡航船クラスのバックアップがあるなら話はまた別だが。

 

〈ユーノくん、これってどういうことなの?〉

〈わからない。……でも、僕たち以外にもジュエルシードを集める魔導師がこの町に存在していることは確かだ〉

 

 つまり、偶然でもない限り相手はジュエルシードが発動したらすぐさま駆けつけるか、遠距離から結界を展開できる装備を整えていたことになる。まず間違いなくジュエルシードの収集を目的として準備を重ねてきたのだろう。

 

〈それってお手伝いしてくれているってこと?〉

〈……いや、管理局が動くまではまだ時間がかかるはずだ。ロストロギアはその膨大な力から、次元犯罪者に狙われることが多い。……もしかしたら危ないかもしれない。行こう!〉

「なのは? おーい」

「ふぇ、な、なにかな?」

 

 念話に集中し過ぎた結果として、なのははアリサとすずかの注目を集めてしまっていた。怪訝というには負の感情は無く、ただ不思議そうな目が向けられる。マルチタスクを使えばよかったのだろうが、まだ魔導師として未熟ななのはは素質があってもとっさの対応が追い付かない。

 ちなみになずなは持ち前の並列思考で念話、肉声どちらの会話も聞いていながらうわの空な姉を放置していた。このような失敗ならフォローするより経験させた方が将来的に身になると判断したためである。

 

「どうしたのよ、急にぼーとして。あ、ユーノ。どこ行くのー?」

「ユーノくん? あっ、アリサちゃん。わたしユーノくんが心配だから見てくるね!」

「え、ちょっと、なのは。……いっちゃった。最近、付き合い悪いわよね。人助けだっていうし、まあしょうがないのかもしれないけど」

「今日はゆっくりできるって言ってたのに、残念だね。あれ、なずなちゃんも行くの?」

「ええ、なの姉が心配ですから」

「いくら広いと言ってもここはすずかの家よ。必要ないんじゃ……」

「アリサ、あなたはわかっていない。相手はあの高町なのはですよ?」

「……ごめん、あたしが間違ってたわ。あたしのぶんまで見てきてあげて」

「承りました」

 

 なのはが慌ただしくばたばたと消え、そのあとをなずなが余裕たっぷりに追いかける。二人を見送ったアリサはつまらなそうにため息をついた。

 

「あーあ、二人ともいなくなちゃった。どうしよっか?」

「とりあえず待ってみよう。きっとすぐ帰ってくるよ。あ、ファリンお茶おかわり」

 

 すずかの言葉を聞いて、何故か二人とも帰ってこない気がしたアリサだった。

 

 

 一般市民が殺意を抱くくらい広い庭を一人の少女が駆け抜ける。家の裏にまわったのにまだ全体が見えないと言えばどれほど広い庭なのか把握できるだろうか。

 

〈まったく、自分の相棒(デバイス)を忘れていくなんてうちの姉はアホの子ですか?〉

〈でも、案外いまはそれが吉になったかも。なずなちゃん一人じゃあの結界は越えられないよ〉

 

 なずなとレイハは念話で意思疎通をしていた。単純に常人をはるかに超えた思考速度でやり取りをしているため、肉声では追いつかないのだ。その結果として、鈍足の姉に追いつくまでの短い時間にじゅうぶんな会話が可能となる。

 

〈この向こうに、転生者が待ち受けているかもしれないのですね〉

 

 魔力資質がF相当のなずなには、かろうじて何かあるような気がするくらいだ。レイジングハートは自前のリンカーコアを持っていないため、なずなからの魔力の供給に頼らざるをえないのだが、結界に割り込むだけの魔力を蓄積するには当然それなりの時間がかかる。

 せいぜいが三十秒ほどの時が、これほど遅く感じるのは久しぶりだった。

 

〈今のうちに転生者の脅威についておさらいしておこうか? その一、何と言っても転生特典〉

〈私も恩恵をこうむっていますからそれはわかります。戦闘系の転生特典を習得していないことを少し後悔しているところです〉

 

 なずなが転生特典の選択を後悔するのはこれで二度目だ。一度目は父、士朗が大怪我をして入院した時。自分が怪我を直す転生特典を持っていればと歯噛みした。

 自分の中に意識を向けると、浮かび上がってくる情報。

 

 ▽

 能力名:【星の願い】

 タイプ:パッシブ

 分類:祝福

 効果:大切な人に幸運をもたらす。

 

 能力名:【月の導き】

 タイプ:アクティブ

 分類:法則改変

 効果:能力の効果を他者と共有する。

 

 能力名:【太陽の息吹】

 タイプ:パッシブ

 分類:加護

 効果:病を排除する。

 △

 

 【星の願い】の効果で多少の幸運は働いたのかもしれないが、それでもあの出来事が姉の心に浅くない傷跡を残していることをなずなは知っている。

 

〈別になずなちゃんはそれでいいんじゃないな。最悪、増やそうと思えば増やせるわけだし〉

〈何度聞いてもふざけたシステムですね、それ〉

 

 転生者は他の転生者を殺すことによってその転生特典を奪うことが出来る。最初に聞いたとき、なずなは生まれて初めて神に対して殺意がわいた。

 しかもこのシステム、根が深い。

 

〈第三世代の私は生まれつき三つの転生特典を持っている。ただし、成長は遅く三人殺さないと一つ分の転生特典を得られない、でしたっけ?〉

〈うん、その通り。逆に第一世代のあたしは生まれた時は一つの転生特典しか持ってないけど、一人殺せば一つの転生特典が得られる。まあ、当時が戦乱の時代だったっていうのが大きいのかもしれないけど〉

 

 レイハの経験と転生特典によって発覚した事実。このふざけたゲームは何度も、何百年にもわたって行われているのだ。

 なずなの代で三回目。何人参加しているのか、何が目的なのかすらわからない、いたずらに死を振りまく醜悪な神の遊戯。ちなみに前の二回はどのような結末を迎えたのか、一回目の途中で封印されてつい最近まで眠っていたレイハは知らないし、彼女の転生特典でもわからなかった。

 

〈第二に、転生者は他の転生者を攻撃したり殺したりすることに罪悪感を抱くことが出来ない。これが一番厄介かも〉

〈同感です……〉

 

 なずなも身に覚えがあった。

 小学校一年生になったばかりのころ、彼女は言い寄ってきた同級生数名を血祭りに上げてしまったことがある。被害者側が複数で全員男子、加害者がたった一人の少女という状況。さすがに小学校一年生でその方面の事件の可能性を疑う大人はいなかったが、やはり外聞は悪く子供同士の喧嘩として処理された事件。

 当時は制服、加えて双子を強調するように同じ髪型にしていたなずなを、彼らは姉と誤解して近づいて来たのであった。なのはではなくなずなに全員が引き寄せられたのは、なのはに幸運が働いたからか。

 たしかに彼らの態度は不愉快ではあった。しかし、身につけた力を振うべき状況、その必要性があったのかというと答えは否だ。深く、静かに怒っていた父の顔をなずなは一生忘れることは無いだろう。

 知識を得た今ならわかる。彼らは転生者だったのだ。知らなかった当時は自分が得体の知れない化け物になったような気がして吐いたり寝込んだりしたものだが。そして知った今でも気分爽快からは程遠い。

 ――人は自分に近いものを傷つけるという行為に、本来なら膨大なエネルギーを必要とする。

 自分に近いものというのは何も同じ人間である必要はない。例えばそれは犬であったり、虫であったり、時には道具などであったりと様々だ。ただ共通しているのは、自分に近しいそれらを傷つけるという認識は人の心を蝕むということ。

 それを防ぐために、心が削りきられないように、人はエネルギーを身にまとう。怒り、悲しみ、狂気、愉悦……なんでもいい。ただ、自分の心を自分の行いから遠ざけるクッションが必要なのだ。

 なずなも剣術を学ぶ際、相手を傷つける術を学ぶという事実に慣れるまで苦労した。それらのエネルギーなしで呼吸をするように人を傷つけるためには、慣れで心を鈍化させるか、心そのものを削りきるかのいずれかが必要となる。なずなは歳月を経て前者を修めた。

 しかし転生者は同類に対し、一足飛びにその境地に至ることが出来る。

 心が欠落しているのだ。

 ゲームを円滑に進めるためのシステムの一環。相手を傷つけることをためらえない、元からそのように構成されたこれらを、はたして人間と呼んでよいのだろうか?

 

〈もうすぐ結界内に入るよ。転生者に喰われないように気をつけて〉

 

 物思いに沈みかけていたなずなの意識はその一言で引き戻された。含みを感じる言葉だ。

 

〈大丈夫ですよ。喰われたりなんかしません〉

 

(私は、人間です。そしてなの姉の妹である高町なずな。転生者なんかに負けない。一人だって殺してやるものか。私は人間であり続ける。なの姉の隣にいたいから)

 

 覚悟を固めるなずなの視界が一瞬漂白される。

 視界が開けたとき、目の前には墜落する最愛の姉と、それを無表情に見下ろすオレンジがかった長い赤毛の少女という光景が展開されていた。少女の左腕に展開された三日月型の盾が銀色に輝く。

 姉はバリアジャケットを身にまとっている。かろうじてデバイスなしで展開したらしいが、意識はすでに無いようだ。

 相手は犬のような耳を頭部につけ、ちらりとズボンから覗く尻尾。明らかに人外。月村家やすずかという前例があるので、その点においてはなずなは耐性があった。春先にしては露出の高すぎる格好も機動重視のバリアジャケットと思えば納得だ。しかし――。

 錆つき、ぼろぼろに風化した硬貨のような目がこちらを見た。

 全身の血の気が引く。出血などしていないのだから総量は変わらないはずなのに、なずなは自分の赤い血が地面に流れ出てゆくのが下を見れば見える気がした。

 

(なんですかこれは)

 

 こんな生きものがこの世にいるのか。そもそも生きものなのか、これは。

 敵意は無い、悪意もない、害意もない、そもそも興味すらない。

 ただ、地に伏した姉という結果だけが残る。

 それを認識した瞬間、自分の中の何かが切り替わる音がたしかに聞こえた。

 

 




 ようやく長編版で書きたかった部分に入ってきました。
 長かった……。

 残りも今日中に投稿するつもりです。
 二つに分けたら前篇にアルフ視点が無かった不思議。

 誤字・脱字等あればお願いします。

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