魔法少女リリカルなのは「狼少女、はじめました」   作:唐野葉子

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 本編の流れをぶった切って閑話挿入。
 せっかくのネット小説なので、時事ネタを一回やってみたかったんです。

 トリック・オア・トリート!


閑話 狼とチョコレート

 

 それは、秋も深まり肌寒さを感じ始める季節のこと。

 

 

「うー、寒くなってきたな」

 

 一匹の少女(誤字にあらず)が樹の枝にまたがり、木々の隙間からかすかに見える雲をぼんやりと眺めていた。そんな高いところにいるから余計に寒いんじゃないかという突っ込みを入れる存在は今はいない。

 年のころは五歳くらいだろうか。健康的に引き締まった肢体を包む、病院のパジャマにも似たシンプルなワンピース。左腕には三日月型の銀の盾が光っており、オレンジがかった赤毛は余裕で膝まで届く長さでありながら縺れることもなく風にそよいでいた。

 ぴくぴく動く耳と、ゆっくり振られる尻尾が彼女が人でないことを示している。

 アルフ。それがこの少女に与えられた名前だ。

 今、幼い顔立ちにふさわしくない色濃い疲労が彼女の表情にはっきりと表れていた。その目に光がないのは普段通りだが、こころなしいつもより霞が濃い。

 

「実験に協力するのはやぶさかではないよ。むしろ望むところだし。……でも、少しは加減という物を考えてくれないかな。ぼくはまだ一年しか生きていないのに。ねえ、フェイト?」

「っ!?」

 

 超高速で飛び込んできた少女が、アルフの目前でバインドに拘束される。きらきらと輝く金髪が、クモの巣に捕われた蝶の鱗粉みたいで綺麗などとアルフはのんきに考えていた。

 彼女の名前はフェイト・テスタロッサ。今年で八歳ということになっている、アルフの大切なご主人様だ。超高速から【ディレイバインド】で無理やり止めたため、慣性を殺しきれずかふっと息を吐き出す姿を見ると心がしくしく痛むが、そこはぐっと堪える。

 

「ぼくの姿を見つけて、認識範囲外から高速の精密攻撃(シャープショット)で一撃必殺。発想は悪くないよ。でも、木々に覆い隠されたこの位置へ射線が通っているのはたったの二か所。罠を仕掛けるにはうってつけなんだ。次からはもっと曲線的な軌道で来ようね」

「くぅ……!」

 

 このアルトセイムの森はアルフのテリトリーと言って差し支えない。当然、不意打ち、騙し打ち、潜伏、罠の設置に適したところは熟知している。

 魔導師ランクでは大きく劣っているはずのアルフが、このように模擬戦でフェイトと互角に戦えている理由の一つだ。

 懸命にバインドを壊そうとしているフェイトだが、飛び込んでくるアルフの拳の方が速い。二人の姿が交差する瞬間、アルフがふと思いついたかのようにつぶやいた。

 

「そういえば、あっちじゃもうすぐハロウィンか……」

 

 

 ――これは、まだプレシアがアリシア復活のための術式の構築に躍起になり、その被害を受けてアルフの疲労がピークに達しようとしていたころのお話。

 

 

 私の名前はリニス。テスタロッサ家に使えるメイドのようなものです。

 主な仕事内容は家事全般とこの家の娘であるフェイトとその使い魔、アルフの教育係、そして彼女の母であり家長たるプレシアの身の回りのお世話。特に最近、プレシアは気を抜けば研究に没頭して食事を忘れるので注意が必要です。

 もっとも、この家のもう一人の娘、フェイトの姉にあたるアリシアは家族みんなでご飯を食べることにこだわっているし、プレシアは娘たちに頭が上がらないので説得そのものは容易なのですけど。むしろ、研究に没頭しているプレシアを放置すればプレシアがアリシアに叱られ、その後で私がプレシアに怒られます。理不尽です。

 

 

 そんな私は今、フェイトと今日の戦闘訓練の反省会をしていました。フェイトは見るからにショボンと気落ちした様子で、その隣でアルフも疲労のためかぐったりしています。主従そろって鬱陶しいですね。そして可愛いです。

 

「フェイト、今回の模擬戦は『いつも万全の状態で戦えるとは限らない』というコンセプトでアルフに『こいぬフォームのままでいる』というハンデをつけました。それなのにあなたは負けた。なぜかわかりますか?」

 

 フェイトはびくっと肩をすくめた後、しばらく考え込んで首を横に振りました。

 

「……わかんない。最初は私が弱かったからだと思った。でも、アルフは強いけどこいぬフォームなら総合的なスペックでは私のほうが上だし、『どこがどう弱くて』アルフに負けたのか……」

「はい。自分がわからないことを自覚するのはいいことです」

 

 やっぱりこの子は聡明だ。普通の人間が何年もかかる魔導師までの道程をわずか一年で駆け抜けただけある。将来この子は超一流の魔導師になるだろうし、実際すでに一流の領域に片足を踏み入れている。だからこそ、これは今覚えておくべきことだった。

 

「今回の模擬戦には二つの意図がありました。一つはあらかじめ言ったようにアルフに万全ではない状態での戦闘を経験してもらうこと。もう一つは腹をくくった弱者との戦い方をフェイト、あなたに学んでもらうことです」

「弱者との、たたかいかた?」

「ええ。アルフ、あなたにはわかりますか?」

 

 私はフェイトの隣で膝を抱えて空を見上げていたアルフに話を振った。彼女のぼんやりした目がこちらを向く。人によって感じ方は違うでしょうが、魚が数匹くらい棲んでいる濁った沼のような彼女の目はあまり嫌いではありません。

 

「ええ、たぶん。ぼくはこのコンディションでその条件を聞いたとき、まともに戦うという選択肢を完全に捨てました。そのことをフェイトが予測できていれば、もっと上手く立ち回ることができたでしょう」

「正解です」

 

 私生活でもそうですが、フェイトには狡さが足りないように感じます。もっともアルフのような目になられたら泣いちゃいますし、その前にプレシアから制裁があるでしょうけど。

 純粋無垢なフェイトの性格はとても好きですけど、それはそれとして。これは、これからの彼女に必要なことです。

 

「フェイト、あなたは強い。そしてこれからももっと強くなるでしょう。いずれ、純粋な実力であなたに脅威を及ぼせる存在は魔法世界においてほんの一握りになります。そのことをまず念頭に置いておいてください」

 

 上には上がいる。でも、下にはもっとたくさんいる。フェイトがいるのはそんな位置だ。

 

「その上で、相手はあなたに勝つために全身全霊をかけて向かってきます。そして実力差が歴然としている場合、それはどうしても搦め手に頼らざるを得なくなるのです」

 

 誰かしら何かを背負って生きている。その背負ったものがどうしても譲れなくて、起こるのが戦いだ。負けてもいいだなんて気持ちで戦場にいる者などそういない。

 どんな手を使ってでも、たとえ卑怯と謗られようとも、岩に齧りついてでも、それでも通さなきゃいけない想いがある。だからといってそれが通るとは限らないのですけどね。

 今回、アルフはバリアジャケットさえ展開していませんでした。一撃でもまともに入れば勝負はついていたでしょう。アルフもそう思わせることを狙っていたのだと思います。魔力の総量という問題もあったのでしょうけど。

 

「弱者はその実力では脅威足りえません。だからこそ実力以外でその差を埋めようとしてくる。そのことを覚えておいてください」

 

 フェイトは真剣な表情で聞いていました。私の言っていることを自分の中で吟味して、己の血肉にしようという熱意が伝わってきます。最近の彼女のモチベーションは高いですね。教師役としては嬉しい限りです。さて、それでは練習問題といきましょうか。

 

「それではフェイト。今回のあなたの問題点と、あのような状況下であなたが取るべきだった行動を一つ例に挙げてください」

「問題点は油断したこと。一撃入れたら勝負が決まるあの状況下で、攻撃に意識を集中しすぎた。アルフに誘導されちゃったんだと思う」

「はい。相手がどのような行動をとってくるかなど、私達は想像することしかできません。だからこそ行動を起こして相手の思考を誘導し、選択肢を狭めるのです。あのときのアルフの行動はその例ですね。防御を捨て、フェイトの攻撃を誘導しました」

 

 油断すれば足元をすくわれます。油断していなければ油断させるのが巧みな弱者というものです。そして相手の隙を見たとき、自分が優位に立ったとき、どうしても緩んでしまうのが人心というもの。そのことを常に自覚しておくことが重要です。そう言うと、フェイトは素直に頷きました。

 アルフも話を聞いてはいるのですが、どこか集中しきれないようで首を回しています。肩がこっているのでしょうか。あの外見で? う~ん、プレシアにアルフの休暇を申し出てみましょうか。

 次にフェイトは取るべきだった行動を挙げようとしましたが、今度はすぐには出てこないようでした。まあ、アルフは予測不可能なところがありますからねえ。何をしてもあまり有効打になる気がしないのは仕方のないことです。

 

「……罠があることを予想して、砲撃であの場所から移動させた後、近接で、叩く?」

「そうですね。ある程度実力差がはっきりしている時は性能(スペック)差を前面に出してごり押しというのも効果的です。何も考え付かないときはそれがベストでしょう。ただあの場合は結界内でもありますし、森はアルフのテリトリーですから森ごと焼き払ったほうがいいでしょうね」

 

 そう言うとアルフがものすごく嫌そうな顔をした。フェイトは驚いているが、あのときの二人にはそれをしてもなおフェイトに有利なほど魔力量に差があったのだ。有効であることが理解できているからこそアルフはあの表情なのだろう。

 実力差の正確な把握は生き残る上で重要な要素の一つである。無駄遣いに思える行動もゴール地点をはっきり定めていればベターな選択肢であることもあるのだ。フェイトにはそういった経験をどんどん積んでいって欲しい。

 ふと、アルフの視線がそっぽを向いた。それと同時に彼女が感覚共有の術式を起動させるのを感じる。

 

「……アリシア? もうそんな時間?」

《やっほー。うん、今日も楽しい実験のお時間がやってきましたよ~》

 

 アルフの視界を経由して、半透明のフェイトにそっくりな女の子が宙に浮かんでいるのが見えました。

 アリシア・テスタロッサ。少し複雑な事情がある子ですが、立派なテスタロッサ家の一員です。今日の戦闘訓練はおしまいのようですね。

 毎日、アルフは彼女の復活のためプレシアの実験につき合わされます。時間は決まっているので日常生活を送るのに差し支えはないのですが……いえ、着実に蓄積されていくアルフの疲労を見ると、何らかの手を打ったほうがよさそうですね。

 

「じゃあ、フェイト、リニス先輩、ぼくはこれで」

《れっつご~!》

 

 アリシアを認識できるのは現在のところアルフだけです。アルフいわく転生特典なる特殊能力の恩恵だそうですが、レアスキルなどとは根底から違うその力の解析はプレシアをもってしてもまったく進んでいません。

 アリシアが言うには一部の動物にもアリシアを認識できる固体は存在するそうなので、今度能力使用時のアルフと彼らの共通点を見出し、解析してデータ化するのだとプレシアが息巻いていました。アルフの話では神様の力だそうですが、あのプレシアの勢いを見ているとそれさえいつか解析してしまいそうです。

 まあいつか解析されてしまうとしても、現状はアリシアとコミュニケーションが取れるのはアルフと、彼女と感覚共有をしている者のみ。アルフの魔力の限界という制限が掛けられた親子の触れ合いの時間、今日の分のお話タイムがこれから来るのですから、アリシアのあのはしゃぎようも無理もないのかもしれません。

 アルフの手を引かんばかりに先導するアリシアの姿を見ているとそう思います。すると、その視線に気づいたかのようにアリシアが私たちの方を振り返り、ついっとお辞儀をしました。……何気にそつがないですね、あの子。

 

「では最後に。搦め手のパターンを覚えることももちろん重要ですが、今のフェイトのスペックを十全に生かしたいのならアルフを頼ってください。あの子は臆病な分、相手の搦め手にも気づきやすいですから。……フェイト?」

 

 視線を戻した先のフェイトは、アルフが消えていったほうを見て何かを考えているようでした。使い魔をとられてやきもちを焼いている――というのとは少し違うみたいですね。

 

「ねえ、リニス。アルフ、毎日大変そうだね」

「ええ、そうですね?」

「ハロウィン、って何なのかリニスは知ってる?」

 

 やがて、彼女から出てきたのはそんなセリフでした。

 

 

 最近疲れているアルフを労ってあげたい。

 アルフがこぼしたという『ハロウィン』という言葉。文脈から判断するに、アルフの前世の世界で存在したお祭りなのだと思う。

 アルフには秘密でハロウィンなるものを再現し、彼女に労いと日ごろの感謝を伝えられないだろうか。フェイトが言ったのはそんな内容でした。

 

 そう言われて、燃え上がらなかったら使い魔じゃありません。しっかり調べ上げましたとも。

 

 前世のアルフがいたのは第九十七管理外世界『地球』。その中でも極東に位置する日本という国だと以前に彼女の口から聞いたことがありました。魔法世界に地球出身の魔導師は幾人か存在しますし、彼らが持ち込んだ文化もいくつかは根付いています。

 しかし、第九十七管理外世界の住人は基本的にリンカーコアを持ちません。突然変異的に高い魔力資質を持ったものがごくまれに存在するだけです。その中でも魔法世界に入った日本出身の魔導師となると数えられるほどしかいません。当然、流れ込んでくる文化も限られたものになります。

 私たちは今、おおっぴらにできない研究に打ち込んでいる身。あまり外との交流は持てません。その中で『日本のハロウィン』の情報を集めるのは困難を極めましたが、つらくはありませんでした。

 可愛い子供たちのためと思うと、むしろ楽しくて仕方ありません。楽しんでいるうちに必要と思われる情報は集め終えていました。

 アルフに日ごろの感謝を伝えたいと思っているのは私とフェイトだけではないはず、そう思った私はプレシアとアリシアも話に巻き込むことにしました。プレシアは私から話を持っていけばよかったのですが、問題はアリシアです。アルフがいなければ意思疎通が取れない彼女と話をしようと思えば、必然的にアルフを同席させなければなりません。それではサプライズにしたいというフェイトの要望を諦めてもらうことになります。それに、アルフのための祭りの段取りをアルフの前でするというのも興醒めです。

 解決案を出したのはプレシアでした。さすが私のご主人様(マイマスター)。頭は良いんですよね、頭は。

 

「確かに意思疎通はできないわね。なら、一方的に意思を伝えるのを交互に繰り返せばいいじゃない。私たち側からは置手紙という形で計画を伝えて、アリシア側からは暗号にしてアルフ同席時に返事をもらいましょう。その後は待ち合わせ場所と時間さえ合わせれば、こちらからの伝達はかなりスムーズにできるはずよ。あとそれからリニス、何か余計なことを考えなかったかしら?」

「いいえ、まさか」

 

 能力は本当に優秀ですね。何はともあれ作戦は功を奏し、私たち四人の計画は着実に進んでいきました。私、フェイト、プレシアの三人とアリシアの活動はズレざるを得ませんでしたが、それが逆に私たちが準備をしている間にアリシアがアルフを誘導するなどの役割分担につながり、決行日までの短い時間は順調に消費されていきます。

 

 

 短いようで長かった二週間が過ぎ、ついに異世界のお祭り、ハロウィン当日がやってきました。

 当日、私たちの努力を祝福するかのように空は青く澄み渡り、せっかくだからと私たちは時の庭園ではなくアルトセイムの草原で準備をします。アリシアは後からアルフを連れてくる係りです。

 なんだがわくわくしますね。隣でフェイトも頬を紅潮させて支度を進めています。ね、プレシア? あなたはだいぶごねていましたが、今日は研究を休みにして良かったでしょう? この子たちのこんな可愛らしい姿が見れたのですから。

 と見てみれば、デバイスを起動させてせっせとフェイトの笑顔を記録していました。映像は後で私も鑑賞するとして、ちゃんと手も動かしてくださいね。

 支度をすべて終えてからアルフの到着を待つ十数分、心臓は高鳴りっぱなしです。お祭りは準備を終えてから始まるのを待つまでがいちばん楽しいとどこかで聞いたことがありますけど、案外本当なのかもしれません。

 というか、今気づきましたけど私たちってプレシア以外、お祭りって初体験じゃありませんか?

 意外な事実に愕然としている中、ついにアルフが誰かに手を引かれるように前屈みな体勢でふらふらやってきました。

 

「あれ? みなさんおそろいで。何かあるんですか?」

 

 おっと、いけませんね。出遅れるところでした。フェイト、プレシア、たぶんアリシアがいる空間に順番に視線をめぐらせ、息をそろえて言葉を吐き出します。

 

『とりっく・おあ・とりーと!』

「え? え? なに?」

 

 アルフはおろおろと周囲を見渡していました。きちんとハロウィンの飾りつけはしているのですし、気づいてもよさそうなものなのですけど。

 普段は飄々としているように見えて、自分のテリトリーを逸脱すると途端に弱くなりますね、アルフは。今後の課題です。

 狼狽から脱しきれないアルフの前に、フェイトが代表して進み出ます。提案者の特権というやつです。

 フェイトは輝くような笑顔でチョコレートをアルフに差し出しました。

 

「アルフ、いつもありがとう。アルフの生まれた世界にはハロウィンっていう文化があるんだよね」

「う、うん……これはハロウィンなんだ?」

「うん! いつもお世話になっている人にチョコレートを渡すか、心を込めていたずらするんでしょう? とりっく・おあ・とりーと!」

「………………」

 

 ――ソレナンテデンゴンゲーム?

 

 アルフがそう、唇をほとんど動かさずに呟いたのが使い魔の聴覚をもってしてかろうじて聞き取れました。どういう意味でしょう?

 硬直して動かないアルフの前で、フェイトが笑顔を消して不安そうにうつむいてしまいます。プレシア、まだ彼女たちが話している最中ですからデバイスを構えようとしないでください。

 

「アルフ、気に入らなかった?」

「いや、えーと、そうじゃなくて……」

「それとも……いたずらのほうが、よかった?」

 

 …………っ!

 っは!? 危うく意識を持っていかれるところでした。真っ赤な顔のフェイトの上目遣い、殺傷力高すぎです。

 

「フェイトにあんなこと言われるなんて……羨ましい妬ましいパルパル……」

 

 プレシア、少し黙っていてください。あなた最近本能で生きすぎです。

 至近距離であの破壊力を受けてしまったアルフはぼふんと毛を逆立てた後、機械的な動作でチョコレートを受け取りました。

 

「あ、ありがとう。ぼくにはチョコレートでじゅーぶんです。じゅうぶんすぎるほどですはい」

 

 残像が見えそうな速度で振られる耳、反対に爆発したまま硬直した尻尾。気持ちはわかります。

 そのまま機械的な動作でチョコレートの包装紙を剥いたアルフでしたが、口にする直前に何かを思い出すかのように目を細めました。

 

「いただきます」

 

 食べ物に、命に感謝するという彼女の前世から受け継がれた独特な祈り。いま、あの子は何を考えているのでしょうか。

 そんな些細な考察はチョコレートを一口齧ったアルフの表情の前に、文字通り吹き飛んでしまいました。下手をすると先ほどのフェイトの上目遣いよりも衝撃のほどは強いかもしれません。

 プレシアもフェイトも、きっとアリシアも呆然としている雰囲気が伝わってきます。

 

「……ん、あまい」

 

 アルフの目が光っているところ、初めて見ましたよ……。

 あのこ、あんな笑い方もできたんですねぇ…………。

 

 

 アリシアに手を引かれて連れて来られたのは、赤い提灯とカボチャのランタンがピンクのリボンで交互に吊るされた不思議空間だった。……いつからアリシアは時計を持ったウサギにクラスチェンジしたんだろう?

 混乱する中にかけられたトリック・オア・トリートの声。フェイトの説明を聞いて思わず呟いてしまったぼくは悪くないと思うんだ。

 混ざりすぎでしょ。ソレなんて伝言ゲーム?

 絶賛空転中の脳みそはフェイトの上目遣い&いたずら宣言で強制的にフリーズさせられる。反射的にチョコレートに逃げてしまったけれど、いたずらを選んでいたらどうなっていたんだろう?

 …………べつに残念なんかじゃないんだからね! ……やめよう、不毛だ。

 ぼくにはチョコレートでじゅーぶんである。これくらいで調度いい。尻尾も耳も、内心を表現するためにフル稼働中だ。

 凍りついた脳のまま、ギコギコと音がしそうな動作で包装紙を剥いたのはいいんだけれど、かじりつく前にふと昔のことを思い出した。

 

「いただきます」

 

 小さい頃――前世で小さい頃の話だ。チョコレートは『おとなのたべもの』だった。鼻血が出るからといってあまりたくさん食べさせてもらえなかったのだ。

 親の目を盗んでこっそり食べられるほどファイトに溢れたお子様でもなかったし、友達の家で機会に恵まれたとしてもブロックの二列も食べたら満腹になってしまった。

 憧れたものだ。大きくなったら板チョコを一枚、まるまる全部食べてやるのだと。当時は大真面目だった。

 少し大きくなってお小遣いがもらえるようになったとき、自分の意思でチョコレートを買えるようになったのが嬉しいことの一つだったっけ? バイトを始めて経済力がついたとき、板チョコをその気になればダース単位で買えることが何故か不思議だった記憶がある。

 そしてそのうちにチョコレートを食べることに何の感慨も抱かなくなった。カフェインと糖分を一緒に補給できる、便利なアイテムではあったけど。

 今のぼくはどうなんだろう?

 おとな、なのかな?

 たぶん、この身体なら一枚丸々食べることは余裕だろうけど、さ。

 いろいろ考えながら一口。芳醇な甘味が口の中いっぱいに広がる。

 

「……ん、あまい」

 

 とろりと舌に絡みつくように溶けてゆく甘さ。懐かしい。そして、昔よりもちょっぴり美味しい。顔がほころぶのを感じる。

 苦さと酸味は、なんでかあまり感じなかった。

 ……どうしたんだろう。フェイトが愕然とした表情で固まっているんだけど。

 

 

 ――なぜかはわからないあの日以来、時の庭園にはチョコレートが常備されるようになった。一応ミッドチルダでも定着しているお菓子だから入手が困難とかそういうことはないらしい。

 フェイトがあーんと食べさせてくれるのは幸せだから別にかまわないのだけど。とても幸せだから別にかまわないのだけど。大事なことだから何度言っても足りないくらい。

 

 いまのぼくは、チョコレートが好きだしね。

 ……それにしても、好きなものがチョコレートとカレー(タマネギたっぷり)って、狼の体にケンカ売ってる好物だよねぇ。




 ラストのシーンは初めていただいた応援イラストを元にしております。プロットを考えているときにあのイラストを見て
「よし、話のオチはこれにしよう!」
 と思い立ち書き始めました。

 ……あれ、ハロウィンをテーマで書き始めたはずなのに、添え物にしかなっていない気が。

 誤字・脱字の報告等あればお願いします。

 感想で意外に多かったので少し追記。
 チョコレートは有害です。いい読者も悪い読者も決して犬には与えないでください。そもそも、人間の食べるものは味が濃すぎて全般的にペットには有害です。餌をあげるときはきちんと最新の図鑑やそのペットにあった入門書で何を食べるのか調べてあげてください。古い本だと間違いが乗っている場合があります。

 自分の使い魔のイメージは『動物としての特性は劣化するが、動物の欠点がほぼ無効化される』です。言い換えれば『人間に動物への変身能力と特長をプラスした生き物』というところでしょうか。厳密には動物時が本性なのですがそれは置いておいて。
 ゆえに肉体は人間より強靭ですし、感覚は鋭敏ですし、カレーやチョコを食べられますし、色も識別しています(犬は色盲)。一人称で書いていく上で、そこら辺がずれていたら不便かなと思ったからこのような設定にしたのですが、今思えば感覚の齟齬に苦しむというのもそれはそれでアリですね。
 次別の作品で機会があれば、動物図鑑を片手に人間との感覚の差異を描写してみるのもありかもしれません。

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