魔法少女リリカルなのは「狼少女、はじめました」 作:唐野葉子
◆
せっかくはやてさんの家にお呼ばれされたわけだけど、言ってしまえばここは戦場。銃弾が飛び交う代わりに言葉が飛び交う戦いの場だ。直接血が流れるわけではないが、ここでの失態は将来の大出血に繋がる。下手を打てばたちまち致命傷。
そんな状況で仲良く談笑しながら食事を楽しめるほど、残念ながらぼくは図太くない。
――そうを思っていた時期が、ぼくにもありました。
「ぷっはー、食った食った。ごちそうさまです」
「お粗末さまです~。そうやって心底嬉しそうに食べてくれるとこっちとしても作ったかいあるわぁ」
頬を染めてはやてさんが食器を下げようとするが、すばやくフェイトが立ち上がり器を重ね始めた。
「はやては座ってて。私がやるから」
「お客様にそんなことさせられへんわ~。フェイトちゃんこそ座っとり~?」
「……じゃあ、二人でやろう」
少し打ち解けてきたとはいえ、やっぱりまだまだフェイトの態度はかたい。表情も戦闘用十歩手前といった感じだ。これはこれでクールビューティーな感じがして好きなんだけど、同い年の女の子に向ける表情としては不適切かなあ。
ただ、肩を並べてダイニングへと向かう二人の姿を見ていると、まだまだ先に期待だけど、逆に言えば将来に期待できる光景だと思う。友達になれたらいいなぁ……。
見送るぼくの向かい側でリーゼ姉妹の片割れが立ち上がり、フェイト達を手伝うために二人の後を追う。あれはアリアの方か。
真っ先に立ちあがって手伝いに行きそうなぼくだけど、今回は役割分担。フェイトがはやてさんの方に行ったのならぼくはこちら。好々爺然とした雰囲気でほほ笑んでいるギル・グレアムとの対決だ。
先制はグレアムからだった。
「ふふ、相変わらず彼女の料理は美味しいね」
「はい、とっても美味しかったです。思わず食べすぎちゃいましたよ」
これは本当だ。今日のメニューは日本食を中心としたもので、海外から来たというぼくらの設定に気を使ってくれたのか魚まるごと尾頭付きなどと言うこともなかった。
白状すると、こっちにきてからフェイトに食べさせた料理もちらほらあったので気持ちは嬉しいけど……などと思っていたのだけど一口食べて後悔した。自分の愚かさ加減に。違う。あれは違う。ぼくがフェイトに食べさせた数々の自称日本食は、ただのモドキだった。本物はこれだ。そうか、はやてさんはこのことをぼくに伝えるために――などと変なものに目覚めかけた。
はやてさん、とっても料理が上手なんだね。九歳であれって、どんな人生おくってきたのさ。家事全般を一人でやらなきゃいけなかったんじゃないのかな? 料理の上達だけに専念するなんて余裕はないと思うんだけど。
人間ってさ、誰かのためだから頑張れるんだと思う。これはこっちに転生してきてからぼくがことあるたびに感じていることだ。ぼくは厳密には人間じゃないけどそれは置いといて。
何が言いたいかというと、食べさせる相手もいないのにここまで料理が上達するなんてことがありうるのか、ということだ。やっぱりこの家、はやてさんの独り暮らしじゃないと思う。家事を担当している誰かが一人以上いる。
ギル・グレアムはどう思っているんだろう。その誰かに繋がりがあって、はやてさんには無関係なのかな。このタイミングで顔を合わせてきたってことは、後ろ暗いところがまったくないってわけではないと思うんだけど。
……うーん、ダメだな。美味しいものでおなかいっぱいになってしあわせ過ぎるせいで、頭が上手く働かない。超高速で回転させてはいるんだけど、半分以上空転している感じだ。
「アルフ君、だったね。彼女から君のことを聞いて、私は本当に嬉しかったよ。やっと彼女にも、家に呼べるだけの友達ができたのだ、とね」
「……失礼ですが、はやてさんのご家族は?」
ええい、聞いちゃえ。失敗したらごめんねフェイト! おまけでアリシア。
《なんか今、失礼なこと考えなかった?》
ぷかぷかとアリシアが視界の端をちらつくが無視する。視界の端に女の子の幽霊がって、言葉にしてみるとなかなかホラーだね。
閑話休題。
「三年前に、交通事故でね……。彼女は天涯孤独だよ。だから彼女の父と友人であった私が後見人をやらせてもらうことになった」
静かに語るグレアム。
ふーん、とりあえず独り暮らしって主張するんだ。知らないふりをしているのか、それとも本当に違和感に気づけていないのか、どっちだろう。
後者の場合、そんなハチャメチャな能力持ってんのって、転生者がまず最初に思いつくなぁ。
だいたい、ぼくは憶病だから相手が何を考えているのかぐだぐだ思い悩んでしまうが、別にそれが得意でも好きというわけでもないのだ。腹の探り合いや、相手の言っていることの裏を読んでこっちの望む方向に話を導くだなんて生産的(?)な真似はできない。ぼくの胃は今ストレスでマッハ直前だよ。いっぱい詰め込んだぶん戻しちゃいそうだ。ぜったいやらないけど。食べ物がもったいないし、何よりはやてさんに申し訳が立たない。
あーあ、相手の方から自分の目的を洗いざらい吐いてくれたら楽なんだけど、だなんて何の役にも立たない無駄なことを考える。
〈――というのがこの世界における私の公的な立ち位置なのだが、聞こえているかね?〉
思わず噴き出しそうになった。うわー、マジで【明鏡止水】使いてえ……! 今までのあれやこれやを転生特典で乗り切ってきたツケがこんな形で出るとは。あれ使えば表情が完全に戦闘モードに入っちゃうから交渉事ではまだ使えないのだ。うう、ぼくの大バカ者ぉ!
混乱でキャラがぶれております、だなんてどこか冷静な部分が解説を入れる。やかましいわ。
〈ええ、ちゃんと聞こえていますよ。時空管理局顧問官ギル・グレアムさん?〉
虚勢を掻き集めて『ワタクシ交渉事に慣れた美女でござい』みたいなものを演じてみる。客観的に見たらものすごい痛いものに仕上がっている予感がひしひしとするんだけど、もう止まれない。
〈緊急時にこそ冷静さが最大の友だよ。焦らなくていい、ゆっくり聞きなさい〉
……相手さんに気遣われてしまった。
もーどーにでもなーれっ☆ ……ってやけくそになるにはぼくは憶病で、少しだけ冷静だった。自分のここの失敗はアリシアの未来に直結し、フェイト、リニス先輩、プレシアといったぼくの大切な人たちに影響を及ぼす。
落ち着くのは無理だ。ただ整理しろ。絶対に漏らしてはいけないデットラインはどこまでだ。公開してもいいこちらの情報はどれだ。間違えたらダメだ。下手をすれば相手が何をするまでもなく自滅する。
〈たしかに私の名前も肩書も、君の思っている通りだ。身分を証明するものもあるが、見るかね?〉
〈いいえ。必要ありません〉
どーせ見たところで偽造と見分けつかないしね。
なんとなくだけど、彼は本物という気がする。なんかこう、組織の重鎮みたいなどっしりした、味方ならきっととてつもなく心強く感じるんだろうなというオーラが感じられる。人生(狼生)経験の少ないぼくの印象だから、騙されている可能性は低くないけど。
それに、伝わってくる【念話】はプレッシャーをかけるようなものではなく、とても誠実な口調だ。これも人生経験(以下略)。
〈そうか。私が第一線を退いたきっかけは知っているかね?〉
〈ええ。たしかロストロギア事件で発生した不祥事の責任をとったのでしたっけ〉
不祥事、と一口に言っても人死にが出たひどいものだけど。ギル・グレアムが相手かもしれないとわかった時点で可能な限りで彼の経歴は調べ直している。
〈その通りだ。私がここにいる目的はその第一級ロストロギア、通称『闇の書』を封印するためなのだ〉
〈………………〉
イマ ナント オッシャイマシタ?
かろうじて念話を漏らすようなみっともない真似は避けたよ。え、何? 目的をあっさり語ってくれた!?
〈父さまっ!?〉
おー、リーゼさんたちにはここで情報を公開することは言っていなかったのか。ぼくの次くらいに狼狽していらっしゃる。なんだか取り乱している他人を見ていると、急速に頭が冷えた。
何でこんな急展開になったのだろう。ぼくが何かしたのだろうか?
混乱から醒めたばかりの頭で、ぼくはギル・グレアムが好々爺然とした表情のまま念話でつらつらと闇の書について語るのを聞くはめになった。
うー、本当に何がどうしてこうなった?
◇
海鳴臨海公園。
原作アニメでは四月二十七日午後六時二十四分にバリアを張るジュエルシードの異相体が現れ、なのはとフェイトが共同戦線を張って撃破した舞台である。もっとも、この世界ではその約二週間前に公園に訪れたなずなが発動前のジュエルシードの存在に気づき、レイハから手渡された簡易ストレージデバイスの中に格納してしまったが。
ちなみに当のレイハはここにはいない。なのはの要望に応え、ユーノと共に魔法の特訓中だ。
なずなでは封印のための魔力の絶対量が足りないので後でなのはに封印し直してもらう必要があるが、こうして原作の流れはまた一つ変わってしまった。
しかしそんなことはなずなにはまるで関係のない話である。そもそもなずなが公園に来た理由はジュエルシードの探索ではなく、ある人物との待ち合わせなのだから。
待つこと十数分、日が暮れはじめ
「よお、まさかお前に呼び出されるとは思わなかったな」
「お久しぶりですね。と言っても、いちおうは同じ学校に登校しているので時折顔は会わせているのですが」
「まあ、そうだな。で、何の用だ?」
「立ち話もなんですし、座って話しましょう」
なずなはベンチに腰掛けると、両手に持っていた缶コーヒーの一つの相手に向けて放った。これで相手の頭にぶつかりでもすればかなり危険だが、そんなコントな空気になることもなく相手は危なげなく受け止める。コンビニで購入したそれは、待たされた時間を主張するように少しぬるくなっていた。
「おごりです。親からの小遣いに頼る小学生の財力ですので、それが限界ですが。……毒など入れていませんが、不安なら交換しますよ?」
「いいや、ありがたくいただくよ」
相手は自然な動作でプルタブを引き起こすと一口飲んだ。なずなも満足げな笑みを一瞬浮かべてコーヒーに口を付ける。これはお互いにお互いのことを信用しているという儀式のようなもの。転生特典ならば、密閉された缶の中に毒物を入れることなど容易なのだから。
適度な苦みが舌の上に残るのを感じながらなずなは一息つくと、さっそく今日の本題に入った。急ぎ過ぎのような気がしないでもないが門限のある身の上、無駄なことに使える時間は少ない。
「あなたたち海鳴市に住む転生者がどのような人たちなのか、まるで知らないことに遅まきながら気づきまして。確認しておきたいのです」
なずなはほほ笑みながら隣に座る少年の目を凝視した。肉食獣を前にしたかのように彼の顔が引きつる。
彼の名前は
「まず、素直に呼び出しに応じてくれたことに礼を言います。自分でもあなたたち七人と距離があることは自覚していたので」
「まあな。でもあれは仕方のないことだろ。俺はあの時のこと、恨んでないぜ?」
思いがけない言葉になずなは少し目を見開いた。言われてみれば顔を合わせたその時から彼は怯えはしていたものの、敵意や怒り、憎悪といったものを感じなかった。
「なぜですか? たしかにあの時のあなた方の対応は殺意を抱くほど腹立たしいものでした。まるで人をゲームの商品のように扱って、勝手に奪い合って。でも私の対応も褒められたものではなかったでしょう」
「あー、改めて人の口から
白鷲は痛そうに苦笑する。
「その殺意ってやつだ。俺はあのときまで、どこかこの世界をゲームみたいにみていたんだよ。両親も、友達も、
原作知識持ちの転生者はとても不幸で不便な存在だ、と白鷲はさっぱりした口調で語った。彼なりに自分の中でそのことは整理がついているようだ。
彼が原作知識持ちの転生者のことを語る口調は自嘲を帯びていて、なずなのことを含んでいないように感じる。
「私に原作知識がないことは知っているのですね?」
「まあな、生き方を見ていたらわかる」
どこがどう違うというのだろう。なずなは黙って先を促した。
「創作物としてな、この世界を楽しんだ記憶があんだよ。
「……ぞっとしない話ですね、それは」
人を腐らせるのには最高の環境と言えるだろう。人は昔から、自分が選ばれし存在であると思いたがる。味もろくにわからない百万はくだらないワインを購入し、VIP専用ルームを貸し切るのに湯水のように金を使う。自分が人とは違う高級感を味わうためだけに。
生まれたときから、その選ばれし環境が用意されているのだ。神様と出会い、対話し、転生特典を得る。生まれた世界がもともと創作物だった記憶のあるおまけつきで。
「下手に力がある分、子供のようなわがままが通っちまう。対等な関係が結べないからコミュニケーションがいつまでたっても下手で、感情の発達も未熟。だから極端な形でしか自己表現が出来ず、怒りは殺意にあっさり繋がっちまうわけだ。要は嫌なものを遠ざけるガキのヒステリーとなんら変わりねえ」
少なくとも小学校一年生の頃の自分はそんな人間であったと白鷲は自覚している。殺すということがどういうことなのかまるで理解できず、ただ感情の発露の延長線上として自分の力をいたずらに振り回していた。原作知識のある他の転生者も似たり寄ったりだっただろう。
「だからあの時のお前には感謝……は無理だな。ああ、さすがに無理だ」
「すみませんねえ」
「いや、それでもあれがあってよかったと思っている。あれがなければ、今でも俺はあのままだったかもしれん。俺と同じように感じている転生者もいるはずさ」
「でも、さすがに全員が同じように感じたわけではないのでしょう? 彼らが復讐を企てたことはなかったのですか?」
なずな的には復讐など考えただけで拒絶反応がでるくらい徹底的にやったつもりである。白鷲の反応をみる限り、それは成功している。だが、これからさき状況が変化する中でいつまでも過去に刺した楔が機能すると楽観することはできない。もしも以前からそのような予兆があったのなら把握しておきたかった。
だが、質問を聞いた白鷲は呆れたような苦笑を浮かべた。
「知らぬは本人ばかり、か」
「どういう意味です?」
「この町の転生者はな。高町なずな、お前を
またもや自分の知らない事実になずなは困惑を押し殺した。いままで自分がどれだけ狭い世界の中で平和ボケしていたのかを痛感する。もしも自分のミスが原因で家族が襲われていたらと思うと、肝が冷えた。暖をとろうとコーヒー缶を抱き込むが、すでにぬるくなったそれでは目的を果たせない。
そんななずなに気づかず、白鷲は淡々と説明を続ける。その表情は自分の黒歴史をさらすかのように力のない穏やかさに満ちていた。
「これも原作知識ってやつだ。戦闘民族と言われる高町家の血筋に、転生特典が加わった最強の存在。あの時に御神流をお前が習得していることは全員が身に沁みて痛感したからな。さらに言えば、お前と敵対すれば未来の魔王様を含めた戦闘民族が敵にまわるってことだ。もはやお前に目を付けられた時点で詰みゲー。『ペンペン草には触れるな』が俺たち海鳴市に住む転生者の合言葉だったんだぜ? 下手に動いてお前ににらまれたらヤバいから、刺激するような行為はお互いの戦闘を含め禁止したんだ」
死にたくねーからな、と白鷲は言葉を結ぶ。ちなみにペンペン草は、植物のナズナの別名である。
戦闘民族と揶揄された自分の家族をなずなは思い浮かべてみた。たしかに、なずなの両親は信じられないほど若く見える。そして兄と二人の姉の戦闘力もかなりのものだ。……たかだか転生者程度なら蹴散らせる気がした。
「つまり、これから先も私に危害を加えるような転生者はいないと?」
「それはわかんねえ。これまではそうだった。だが、どうやら死亡した転生者は転生者以外の人間の記憶から――いや、この世界の記憶から消えるらしいからな。バカなことを考えるやつがいるかもしれん。
四辻冥路。過去に血祭りにあげた七人の転生者のうちの一人。彼らの中での紅一点だった。なずな争奪戦に最初からいたわけではなく、乱闘になってから飛び込んできた記憶がある。転生特典は殺傷力の高いものばかりだったことからも鑑みて、一種の戦闘狂なのかも知れない。
ふと白鷲は表情を引き締めた。ぴん、と空気が緊張する。
「単刀直入に聞くが、
「まさか。そんなことしませんよ。私は人間ですから」
なずなはきっぱり否定した。そんな容疑を掛けられるのは不愉快だが、相手は自分のひととなりを何も知らないのだから仕方ない。
白鷲がほっと息をついたのがわかった。
「そうか。よかったよ。原作開始にはしゃいだバカがやらかして、お前がすべての転生者の排除に乗り出したんじゃないかって実は少し疑っていた」
「だったら何故、素直に呼び出しに応じたのです? 死にたくないのでしょう?」
「そんなことしねーと思うが、それは転生者の排除にも言えることだからな。周囲を巻き込まれるくらいなら一騎打ちを頼もうかと思っていた。ゆりちゃんを殺されるわけにはいかねー」
「誰です?」
「彼女だ。同じクラスのな」
「……ロリコン?」
「バカを言うな。ただの光源氏だ。こんな俺でも好きと言ってくれたんでな」
「子供の言うことですよ?」
「お前は子供の時、自分が子供だからと適当に生きていたのか? そうじゃないだろう。五歳児は五歳児なりに、九歳児は九歳児なりに精一杯考えて真剣に生きているんだ。なら俺も、精一杯考えて本気で応えなきゃいけねえ。最近、やっとそのことがわかってきたんだ」
ふっと男くさい笑みを浮かべる白鷲。やはりこれにも、彼なりの哲学があるのだろう。いい話っぽくて、実質やっていることはゆりちゃん(九歳)との交際なのだが。
「……まあ、私もあなたも小学校三年生のガキですからね」
なずなは割り切ることにした。きっと間違ったことは言っていないはずだ……たぶん。考えれば考えるだけ自信がなくなってくる。なずなは話を逸らす、もとい進めることにした。
「彼を殺したのはおそらく、新たに魔法世界からやってきた勢力です。赤毛の犬耳の女性が転生者でした。何かご存じないですか?」
レイハの見立てである。転生特典の有無を調べたときに、赤髪の犬耳転生者は第三世代の転生者であり、なおかつ二人殺した分の転生特典を追加で持っていたらしい。
「うえっ、アルフが憑依転生者なのかよ!? そりゃあ、フェイト側は魔改造されていると見るべきか? 俺はもう原作に関わる気はないから、がんばってくれや。むこうからやってくれば対応くらいはするけどな」
「アルフにフェイト、ですか?」
「ああ、知らないんだったな。フェイト・テスタロッサにその使い魔のアルフだ。無印からのメインヒロインの一人で――」
転生者たちに『無印』と呼ばれている一連の事件の概要を聞きながら、なずなはレイハの言っていた名前の正体を知った。ディスティニーもフェイトも意味合いは多少違うが両方英語で『運命』を意味する。テスタロッサはイタリア語で『赤い頭』だ。なぜそこまで思い出しておきながら本名を思い出せなかったのか理解に苦しむ。
(なーにが『ディスティニー・レッドキャップ』ですか。彼女とは一度、腰を据えてO☆HA☆NA☆SI☆する必要がありそうですね)
相手の素性はだいたいわかった。しかし、原作の流れとはかなり違うようだ。出会った状況からして違うし、あの金髪の少女の目は母親に言われるままに行動する人形などではない。あれは確固たる覚悟を持ち、自分の意志で突き進む戦士の目だ。人形と言うならば、むしろアルフの方が近い気がする。
原作ではそのアルフも、頭はよくないが竹を割ったようなさっぱりした性格の面白い奴だったらしい。もはや見る影もないとなずなはこっそり嘆息した。
「ありがとうございます。ただ、あまり参考にはなりそうにないですね」
「そうか。俺たちがいることでだいぶ変わってきているのかもしれないな。お互い、死なないように注意しようぜ」
「ええ、ありがとうございます」
にっこり。その擬態語がぴったりな素直な笑みをなずなは浮かべる。自分と同じ立場の相手に下心なく励まされるというのは久しぶりの経験であり、リップサービスだとしても単純に嬉しかった。
一瞬見とれた白鷲が、危ない危ないと首を振って正気に戻ろうとしているが華麗にスルーする。
最後に、なずなは重要ではないがとても気になっていたことを聞いてみた。
「
幸い、【なでポ・にこポ】は恋の病という裁定なのか病気属性と判断されたらしくなずなの【太陽の息吹】で無効化が可能だったし、それを【月の導き】で共有するとこにより最終的な被害者はゼロに抑えることが出来た。
実はそれが『なずなは転生特典を無効化する転生特典を持っている』と転生者たちに錯覚させ、なずなが抑止力として働く要因の一つとなったのだが、ここでそのことが語られることは無い。
「俺か? ……実は俺も、あまり悲しいとは思えない。たしかにいけ好かないやつではあったさ。協定で聖祥の中では大人しくしていたが、学校の外では【なでポ・にこポ】で好き勝手してたって風の噂で聞いたしな。でも、ここまで悲しくないのは異常だな」
転生者は転生者を傷つけることに罪悪感を覚えることが出来ない。レイハから聞いてはいたが、自分で体験するのはまた違う。
白鷲はしわが顔の皮膚に刻まれるのではないかと思うようなしかめっ面をしていた。おそらく自分も似たような表情をしているのだろうとなずなは思う。
「転生者の特性の一つらしいですよ」
「マジか。だからっつって、あいつがいなくなってよかったと思っている自分の心を認めるのはきちーな」
「まったくです」
死んだことに対してはまったく悲しみも嫌悪も覚えない。ただ、人間が一人殺されたのに打算で物事を考えられる自分がひどく悲しく、嫌悪を感じる。
残り少なくなった缶の中身を一気に飲み干すと、なずなは円筒形の底辺を挟み込むようにして缶を持った。そのまま八つ当たり気味に力を込め、ぐしゃんと押しつぶす。スチール製のはずのそれは、コップクラスターのようにぺしゃんこになった。
「……本当に人間か、お前?」
「失礼な。人間です、これでも」
気も使わず、純粋な身体能力だけでさっきのような芸当が出来る自分の体になずなも我ながら呆れたりしているのだが、それをおくびも出さずに平然と返す。
白鷲は表情筋をあからさまにひきつらせながら、過去の自分たちの選択が間違っていなかったと心の底から確信した。黙っているとなんだか怖くなってくるので、何とか話題を探し話を続ける。
「ごほん……
「そう、ですね……」
粘度のように空き缶の成れの果てをボール状にまるめる。白鷲の顔がますます引きつりどこのオーガだ、と声が聞こえたが無視して目を閉じた。なずなの背中に鬼の顔など無い。そもそもこの世界の補正なのか暗殺者めいた御神流の鍛錬の影響なのか知らないが、なのはとなずなの身体能力は天と地ほども差があるのにもかかわらず、外見はほとんど変わらない。一糸まとわぬ姿の二人を見比べて、かろうじてなずなの方が筋肉がついているかどうかと思える程度である。
(むかし、何かの本で筋肉は横断面積一平方センチにつき四キログラムの重量のものを持ちあげることが出来る。つまり、筋肉の横断面積と筋力は比例すると読んだことがある気がするんですけどねえ……)
気にしたら負けなのかもしれない。だから死んだ転生者のことを考えることにした。
神治が死んだことが悲しいとも思えない。その死に感じるのは、ただ彼を殺した転生者に対する警戒と、彼の能力への対処をもう考えずに済む安堵だ。でも、今だけは黙祷を捧げてもいいのではないだろうか。
同じ世界からはみ出た、神の犠牲者の一人として。
――高天原神治という少年がいた。
彼がいたという事実は、もはや彼の両親すら思い出せない。
彼のことを記憶にとどめているのは転生者たちのみ。この世界から、半分足を踏みはずしている者のみが、彼がいたということを憶えている。
しかし、彼らでも一人を除いて知らないことがある。
例えば、彼はかなりの単純バカだったということ。
なずなが彼の【なでポ・にこポ】を無効化したとき、多くの転生者は彼女が転生特典の無効化能力を持っているのだと判断した。
しかし、神治はこう考えた。
『ちぃ、これが原作キャラになでポ・にこポが効かないよくあるパターンか!』
痛いのも怖いのも嫌いな彼はトラウマレベルで刻み込まれたなずなへの恐怖のため学校で能力を使用するのは避けていたが、実験として彼は学校を休学したはやてに能力を使用してみた。結果としてははやては見事に惚れてしまったのだが、彼女はかなりしっかりした少女。いくら恋心を抱いたところで相手の言うことに唯々諾々と従うわけではない。かなり偏った恋愛観を持つ神治は、結局最後まで彼女が自分に惚れていることに気づかなかった。そして、その考えを確信に変えた。
いわゆるギャルゲーの主人公にありがちな鈍感を、彼は標準装備してしまっていたのである。
アルフに【なでポ・にこポ】を使用した時に彼が驚いたのは、アルフが自分に惚れなかったからではない。原作キャラには何の効果もないと思っていたのに、気まぐれで使用した能力に顕著な反応があったから驚いたのだ。
彼はバカではあったが、純朴な少年の素質も持っていた。なずなに痛い目を見せられて以来それなりに学習し、徐々にだが相手の心を思いやるようになったし、それに伴い転生特典の使用回数も減っていった。
それでもそうなるまでは可愛い女の子を能力で無理やり惚れさせ、飽きたら解除する。ほとんど罪悪感もなくそんな暴力をふるい続けた彼だ。アルフに殺されてしまったのは、ある意味では自業自得なのかもしれない。
彼は死んでしまい、彼の行いも、彼の被害者たる少女たちが抱いていた恋心もみんな消えてしまった。贖罪はおろか、彼の罪ごと無かったことになってしまった。
だからこの世界の誰も憶えていない。彼が、自分が惚れさせた女の子のところを一人一人巡り、土下座して謝っていた事実を。はやてが自分に惚れているとは思っていなかったので、彼女については放置したままだったが。
はやても忘れてしまった。彼が彼なりにはやてのことを大切な友人として扱っていたことを。なれなれしく、距離が近いので苦手だったが、彼が家の掃除を手伝いに来てくれるのが決していやではなかった想い出を。
誰にも見えない。誰にも触れられない。だから償うこともできない。それでも永久に消えずにそこにある罪だ。とある転生者を通じて彼の痕跡を知った一匹の狼少女が彼の死をそう受け止め、一生背負い続ける覚悟を決めるのはもう少し先の話となる。
急展開、なのでしょうか?
賛否両論ありそうですね。
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