魔法少女リリカルなのは「狼少女、はじめました」   作:唐野葉子

18 / 21
 思うように話が進まないような、そうでもないような……。
 これでいいのか? わからないからとりあえず突っ走ります。
 Bダッシュ!!


第十四話

 

 

 車椅子に座っていると首から上が出る程度だが、じゅうぶんバリアフリーがいきとどいているキッチンの流し場でフェイトは食器を洗っていた。フェイトがスポンジで汚れを落とし、はやてが水で洗い流すという簡単な役割分担。洗い終わった分はリーゼアリアが手際よく拭いて片付けていく。

 手を動かしながらフェイトはちらりとはやての横顔を盗み見た。

 可愛い子だと思う。優しい子だと思う。料理も上手。頭の回転も速い。気配りもできる。軽く会話した程度だし、比較対象となる人物は極端に少ないが、それでもいい子だと思う。

 そして、アルフの初めての友達。

 アルフがフェイトに、はやてと仲良くなって欲しいと思っていることは知っていた。だけれども、なんだか……もやもやする。

 いい子なのはわかっている。仲良くなれたら嬉しいとも思う。なのにはやてと屈託なく笑いあっている自分の姿という物が、フェイトにはどうしても想像できない。

 それが主成分は愛情であるが詳細は自分でもまだ未分化のアルフに向けている感情の裏返しだということに、フェイトはまだ気づいていない。

 

「フェイトちゃん、じょうずやな~。なんか手慣れとる感じがするわ」

「ひととおりはリニスに教えてもらったから。はやても料理、美味しかったよ。私なんかじゃ敵わないくらい」

「お~きに。そう言ってもらえたら作ったかいがあったちゅうもんや。リニスさんってフェイトちゃんのお姉さん?」

「ううん、えーと……」

 

 さすがに母の使い魔とは言えない。戦闘の時とはかけ離れたおだやかな頭の回転でフェイトは適切な回答を模索した。

 答えにくいことを聞いてしまったわけではなく、単純に適切な言葉を探しているだけだと見てはやてもほほ笑みながらフェイトの回答を待つ。対人経験の少ないフェイトはここで言葉を挟まれると適当に回答を微妙に濁して気まずい空気になっていただろうから、適切な対応と言えるだろう。

 はやての生来の温かな雰囲気と年不相応の対人経験の影響で、フェイトの態度も徐々に柔らかくなっていくが、フェイト本人はまるで気づいていなかった。

 

 

 そんな主人の変化を見れば感涙にむせただろうが、残念ながら彼女の使い魔は突如として目の前に現れた理解不能かつ巨大な問題に対処することに精一杯だった。

 それは、大きな転機。今はまだ誰も知らない、未来が大きく別れるターニングポイント。

 原作というべきものが破綻をしたというのなら、それはこの時点からだった。

 疑問に感じたことは無いだろうか。過去に多くの転生者がいるのなら、その全員が多かれ少なかれ原作介入したのなら、とっくの昔にこの世界は原作からは乖離しているはずである。

 しかし、多少のずれはあれど、現状は原作からはそこまで外れていない。レイジングハートたち第一世代は少なくとも三百年前には存在していたというのに、だ。

 その謎の答えは意外と簡単で――。

 

 まだ原作の流れが一つもなかった黎明期に、原作の流れを創ろうと思いついた、一人の転生者がいたというだけの話である。

 

 

 ふうん、闇の書、か……。

 それがギル・グレアムがこの世界に来た目的。はやてさんの体を蝕む原因。

 なんでグレアムはそんな話をぼくにとか疑問は山ほどあるけど…………やっぱりなにか(・・・)いるな(・・・)、ここ。

 たまたま事故に遭ったロストロギアが、たまたま一つの市に合計二十一個もあるのにもかかわらず収まりきるように落下し、さらにその市にはたまたまロストロギアを封印できるだけの天才的素質をもった現地の少女がいて、さらに別口でたまたま別のロストロギアに憑かれた少女が同じ都市に住んでいる。しかもたまたま彼女は現地協力者の少女と同年代。そんでもって別の目的でジュエルシードを回収しに来たフェイトも彼女たちと同年代。

 どんな偶然だよ?

 原作がアニメとかそういう問題じゃない。それで納得できるほど素直な性分じゃないんだ。何かの意志が働いていると考えた方がよっぽどしっくりくる。だいたい、時空間で事故に遭ったのに一つの世界の一つの都市に丁度収まるように落下するなんて、きな臭いと思っていたんだ。

 誰かが意図的にこの町にばら撒いたと考えた方が自然。でも、何のために?

 うーん、原作知識があればとこんな時心底思う。一人で考えるのも限界が近い。フェイトやアリシアは陰謀向きじゃないからなぁ。それに自称保護者としては、こんな血生臭い喜劇に彼女たちを関わらせたくない。

 たとえばシリアスな顔をして氷漬けにして封印をとか言っているグレアム氏には悪いんだけど、闇の書の転生機能も、はやてさんの蝕む呪いも、極端な話これが原作で出てきた物語の一環だとするならそれに対応できる転生特典を持って生まれた転生者がいてもおかしくない。転生特典で一発解決の可能性がある。

 もっとも、一番その力を持っている可能性が高い転生者(高天原)はぼくが殺しちゃったんだけどね、てへぺろ☆

 ……いいかげん、思い出しても罪悪感が湧かないのはキツイなあ。不利益が生じたことに対する後悔はあっても、一人の命を奪った痛みや苦しみがまったく感じられない。傷口が壊死してるみたいだ。

 

「そんな顔をするのも無理はない。非常識なことをいきなり話している自覚はこちらにもある」

 

 どんなことを考えていると思われたんだろう。向こうの想像と違うことは確かだろうけど。

 

「しかし、信じられない、そのようなことはないんじゃないかね?」

「そう思う、根拠は?」

 

 肯定も同然の問い返し。目上の相手に質問を質問で返すなんて失礼だなんて、どうでもいいことが脳裏によぎる。何気ににらみつけてくるロッテさんの視線にビビっていることは秘密だ。

 

「君がここにいる。それが理由だよ」

「父さま、どういうこと?」

 

 何を言われているのか意味がわからなかった。リーゼロッテも同じだったのか、彼女の視線がぼくから外れる。

 グレアム氏は深々とため息をついた。疲れた老人、そんなタイトルを付けて額縁に飾ればさぞかし絵になるだろう。

 

「ロッテ、例えばの話だ。小学校一年生、年齢にして六歳の女の子が交通事故で家族を失った。しかしその子は親戚や施設に引き取られることを良しとせず、最後に家族で過ごした家で一人で暮らしたいと主張する。ロッテはそれを受け入れるかね?」

「それは……いくらなんでも無理。いくらミッドでは九歳から就職できるといっても保護者の許可が必要だし、その保護者がいないんじゃ……」

「その通りだ。しかし私たちは受け入れた。彼女には下半身の麻痺というディスアドバンテージまであるというのにだ。八神はやてはもう二年間も一人でこの家に暮らしている」

「え……あ……!?」

 

 なに、その、今気づいたみたいな反応は? そっち側が何かして作り上げた状況じゃなかったの?

 グレアム氏はカード型の待機状態のデバイスを一瞬起動させ、中から分厚い黒い背表紙のハードカバーを一冊取り出した。

 

「アルフ君、これを読んでほしい。栞の挟んである部分だ」

 

 受け取って開いてみた。ぼくの知らない言葉ですな……。【以心伝心】発動。これはボケ? それとも嫌がらせ? 精神安定のために信頼と捉えておくとしよう。渡されたのはどうやら日記であるらしい。複数挟んである日記の一番古いページを開いて見る。

 

「今まで気づかなかったわけではない。周囲が彼女を放置していたわけでもない。この二年間で私がこのことを疑問に感じたのは合計六回、彼女の住居に誰かが同居したのは計二回。しかし、そのどれも三日と続いていない」

 

 グレアム氏の言うとおりだった。流し読みではあるが日記には現在の状況が異常であることへの驚愕や、彼女に家に同居人ができ、彼女を封印する時に余分な犠牲が出ることを嘆く記述がある。しかし、長くても三日後、早ければ翌日にはまるで何もなかったかのように一人の少女を生贄に闇の書を封印することへの苦悩が綴られている。

 

「え……なにこれ……おかしいのに、おかしいはずなのに……」

「異常と言ってはいるがね、アルフ君。信じられるかね? 私たちは客観的事実としてこの現状がおかしいことは理解できても、感覚はなお違和感を覚えることができないのだよ。むしろ悲しむ人間が減って不幸中の幸いだとすら感じている。そして今理解している異常さえ、時の流れと共に気にするほどのものでもないと意識の底に埋もれてしまうのだ。どのような処置をとろうがね」

 

 グレアム氏は自嘲を顔に浮かべた。隣ではリーゼロッテが頭を抱えてうめいている。

 鳥肌が立った。この症状は転生特典に似ている。この荒唐無稽なご都合主義観満載はまさにそれだ。

 なのに、このおぞましさはいったいなんだろう。感覚が、常識が、世界が、ごちゃまぜにされて台無しにされたような。

 新たな特典習得時の感覚に似てる、か……?

 

「このままではいずれ、今回も私は何事もなかったかのように彼女を影から見守る生活に戻ってしまうだろう。私たちの見立てでは彼女の誕生日、六月四日に闇の書は起動し、守護騎士たちが表に出る。やがて彼等は蒐集を終え闇の書を完成させる。封印が可能なのは闇の書と主が融合した直後の短い時間だけ。その期にデュランダルで封印を施す――それが私たちの計画だった」

 

 しかし、これは違うだろう。グレアム氏はそう言って首を横に振った。静かな、深い怒りと悔しさをにじませた言葉が彼からこぼれ出す。

 

「褒められた行為でないことは理解している。すべてが終われば裁かれる覚悟もできていた。しかし、すべては私の意志だ。誰かの水槽の中で鑑賞されるために始めたことではない。しかし、もはや私の力ではどうにもできない。過去の六回、すべて失敗した記憶は消えたわけではないのだからそう結論づけることは可能だ。はやて君はまるで何かに守られているかのように私たちの常識から隔離されている。彼女に近づくことさえ容易ではない。だから君に賭けたいのだ。彼女の友人として、私たちの前に現れた君に」

 

 買いかぶりですよ。そう言えたらどんなに楽だろう。

 撤退するべきだ。本能がそう喚きたてる。今回の計画の最終目標は、家族みんなで幸せになることだ。犯罪スレスレとはいえリスクを乗り越えてリターンを得られると思ったからジュエルシードの回収を始めたのだ。

 何がいるのかわからないが、この町はやばすぎる。かなり広大な範囲で誰かが何かの舞台を創り上げた痕跡がある。このまま進めば怪我では済まない可能性が高い。何も莫大な魔力が必要なだけで、ジュエルシードに固執する必要はまったくないのだ。アリシアが復活できるチャンスを今回は逃すことにはなるが、また次の機会を待てるということでもある。

 でも、逃げ切れるのか? フェイトも原作キャラの一人だっていうのに。ここまでお膳立てされた状況にフェイトがいるのは、もう偶然とは思えない。むしろ逃げようとすればこの状況を創り上げた『なにか』はフェイトを用意した舞台に引きずり出すために理不尽なアクションを起こすかもしれない。

 だとすれば、戦うことを選ぶのなら――。

 一人じゃ無理だ。確実にこれは転生者が絡んでいる。このルールを無視した理不尽さは間違いない。しかも想定していたレベルをはるかに超えて敵は大きい。だから、こっちも転生者でチームを組む。

 敵対してしまったが信頼できそうな少女。転生者が多数存在する可能性が高いこの海鳴市。経験、実力ともに信頼できるギル・グレアム一派が協力を要請している。今この時が動き出すには最適なのかもしれない。

 なんでここにいるのがぼくなんだろう。ちょっぴり泣きそうになるけど。

 でも、フェイトが誰かの好きなようにされそうだというときに、何もできないのはもっといやだから、感謝するべきなのかもしれない。すごくいやだけど。

 覚悟を決めて、了承の言葉を吐きだした。

 

「はやてさんを助ける方向性で動きますけど、よろしいですね?」

 

 それに、はやてさんはこっちで生まれて初めてできた友達だしね……たぶん、だけど。向こうがどう思っているかは知らないけど。

 

「ああ、かまわない。私の常識では測りきれないことが起きている。君には理解できるのかね?」

「ええ、物的証拠はありませんが、経験から出せる予測なら。長くなりますけど、説明しますね」

 

 こうなってくるとフェイトやアリシアには帰ってほしいけど……最近、ようやく自分が一人で抱え込んで自滅するタイプらしいってことがわかってきたんだよね。

 ぶっちゃけて相談してヘルプを頼んで方針を決めよう。ぼく一人じゃこの問題は大きすぎる。転生者の血生臭いルールもぼくがすでに二人手にかけていることも白状することになるかな。……怒られるんだろうな、いやだなぁ。

 

 

 当面の方針は、とりあえずジュエルシードの回収は二の次だ。

 第一目標は仲間を集めて現在確認できている最大の脅威、闇の書を起動する前に破壊すること。起動前を目標に定めるのは闇の書が目覚めた時点で、はやてさんは魔法の世界に巻きこまれてしまうから。

 こんなに美味しい料理を作ってくれる彼女だもの。一流のコックとしてこの世界にその名を轟かせてほしいと願うのも無理はないよね。

 闇の書というわかりやすい脅威、団結するにはもってこいだ。はやてさんを中心にわけのわからない歪みが生じている以上、闇の書を破壊しようとすればなんらかのリアクションは見せるだろうし。

 わけのわからない歪み。ジュエルシード運送中の事故、はやてさんの独り暮らし、現地の天才魔導師の少女、フェイトがここにいること、何のどこまで影響を及ぼしているのかわからないけど、その尻尾を掴んでからがぼくにとっての本番になるだろう。

 

 

「人間であることって、けっこう疲れるよね」

 

 四辻(よつじ)冥路(めいろ)はがつんと後頭部を強打された気がした。

 がくがくと手足が震える。足腰が立たない。それほどの衝撃だった。

 電撃を浴びせられたかのように言うことを聞かない体をそれでも無理やり動かして、背後からに辻斬りのような一言を投下してくれた相手を見定めようとする。

 

「疲れるってことは、そこに無理があるってことだよね。もうそろそろ、人間を演じる(がんばる)のにも飽きてきたころじゃない? そろそろ人間やめてみようか。でも、やめたらきっと戻ってこれないし、やっぱりそれもやめておこう」

 

 容赦ない追撃。視界が明滅する。今にも倒れてしまいそうだ。むしろはやく気絶して楽になりたかった。でも、そんなこと出来ない。

 そんな勿体ない事出来るわけがない。やっと出会えたのだ。自分の心の底でくすぶっていた想いを、あまさずくみ取ってくれる相手に。

 暴れ出しそうな期待と、それを上回る恐怖、微量の不安を込めて送った視線の先には私立聖祥大付属小学校の白い制服に身を包んだ冥路と同い年くらいの少年が立っていた。美少年ではあるが、銀髪オッドアイなどのわかりやすい異常性があるわけではない。冥路のようにひと房白いメッシュが入っているというわけでもない、単純な黒髪に黒い瞳。比較的美系の多いこの世界なら簡単にその他大勢に埋もれてしまうそうだ。

 冥路の見知った顔。そして、ここにいるはずのない顔だ。なぜなら、彼は死んだのだから。そして世界から忘れさられた。もはや覚えているのは、自分たち転生者、世界から半分はみ出した者たちのみ。

 口を開いてから、迷う。何を言えばいいのかわからない。聞きたいことが多すぎて思考は飽和状態。言葉にすることが出来ず、冥路はバカみたいに口を開閉した。

 

「あなた、だれ?」

 

 結局、出てきたのはその一言。言い終わったとたんに、否、言い終わる前から冥路を激しい後悔が襲う。なんてつまらないことを聞いてしまったのだろう。たしかに相手の正体は不明だ。誰か尋ねるのは不自然なことではない。不自然でないのと同じくらい、芸がない。

 彼に呆れられていないだろうか。つまらない奴だと見限られてしまわないだろうか。かつてない不安が冥路をさいなむ。

 ――嫌われたくない。自分に興味を持ってほしい。

 初めて体験するその感情に、冥路はまだ自分で気づけていない。

 名前も知らない少年はニコリとほほ笑んだ。彼が笑ったことに安堵する自分がいることに気づき、ようやく困惑する冥路。自分はいったいどうしてしまったのだろうか。気にはなるが、彼が何か言う気配を見せるとどうでもよくなった。

 というより、彼の言葉を雑念を抱きながら聞き流すだなんてあり得ない。

 

「僕? 強いて言うなら八神さんちのお手伝い妖精(ブラウニー)。大切なお友達が死んだから、彼の姿をとって死を悼んでいるんだ。嘘だよ。なんとなく姿を借りていただけ。でも、初対面の君には失礼だったかな。しょせんは死者の顔だしね。これじゃダメだ(かくあるべし)

 

 少年の姿が変わった。まるで外見なんて取るに足りない瑣末な事柄だと言わんばかりにあっさりと。

 黒かった髪は色が抜け、細く長い亜麻色の髪へと。瞳は黒いまま、まるで空間に二つの穴を穿ったごとく光を完全に失う。繊細ではあるが特徴がなく、男女の区別すら付かない顔立ち。今度の姿は冥路よりだいぶ年上に見えたが、発達不良なのか背丈はあまり変わらなかった。吹けば飛びそうな矮躯は、日本ではまず浮く奇抜な民族衣装に包まれている。

 重厚だが格式ばったところのない不思議な品のあるその服は、古代ベルカの王侯貴族が普段着として好んだものの一つに酷似していると、冥路に知識があれば気づけたかもしれない。

 彼――便宜上こう表記する――はポケットから紫紺色のリボンを取り出すと、長くなった頭髪を頭頂部で一つ括りにしてまとめた。まとめそこなった髪がさらさらと指の間から液体めいた滑らかさでこぼれおちる。ちょんまげのようなクジラの噴水のようなどこか間抜けな髪型は、彼にとてもよく似合っていた。打ち捨てられた道化師人形のように狂気めいた、廃退的な滑稽さが際立っている。

 

「僕が誰かだなんて、とても哲学的な質問だね。そもそもいったい何を持って『僕』とするのかな? (がいけん)? どこまでが僕の肉体? 内臓、筋肉、骨、血液、脳みそ、皮膚、髪。細胞なんて一年間に何回総入れ替えするか知ってる? そのたびに僕は別人になっているのかな。そうじゃないとすればいったい何を持って共通とみなすんだ? (なかみ)? 記憶があればいいのかい。いったいそれは誰のどんな記憶? それを自分さえ覚えていれば僕は僕たりえるのかい。記憶違いなんていくらでもあるだろうに。記憶なんて外部的な要因でどうとでも変わる。事故による記憶喪失なんかが考えられるね。SFなら記憶の転写とか。この世界ならプロジェクトFもそうかな。じゃあ他人、多くの不特定多数の人間が僕について記憶していればいいのかい? それをもってして僕は僕でいるのかな。でもやっぱり不特定多数の勘違いもないわけじゃないよね。誰かと僕を間違える可能性だって十分ある。そもそも昨日までの記憶だと思っていたのが、実はさっきまで見ていた夢じゃないとどうやって判断すればいいのさ?」

 

 言葉の濁流。そのすべてがどこから借りてきたかのような圧倒的空虚に満ちていて、しかし軽くはなく腐敗した海藻のように冥路の心にまとわりつき絡め取る。

 ぞくぞくした。

 ――今まで、死にたいと思ったことは数え切れないほどある。

 冥路は前世を含む昔から、人間であることに違和感を覚えていた。罪悪感と言い換えてもいい。サイズのちがう靴を履いているかのようなズレが常にある。人は独りでは生きていけない。そんなことは百も承知だが周囲といることが時折抑えきれないほど苦痛になる。これで自分は人とは違うんだなどと中二病方面に弾けることが出来れば少しは楽だっただろう。事実、そんな時に彼女は暴れるという行為で違和感を誤魔化した。自分は人とは違う優越感に浸っているのだと自分で言い聞かせた。

 ――死ぬべきだと感じたことも同じくらいある。

 べつに、争い事は好きではない。むしろそれがルールを逸脱した行為であるという良識、あるいは常識を冥路は持ち合わせている。だからこそ血を流した。ルールを逸脱している間は、ルール違反者という立場で自分はたしかにそこにいたから。いっそ人間以外に転生できるように転生特典習得時に望んでおけば少しは楽だったのかもしれないが、あの状況で冷静な判断力を働かせろというのは酷だろう。こんな迷惑な存在は一刻も早く排除されるべきだと常に思っていた。

 ――でも、死んでもいいと思ったのは今日この時が初めてだった。

 

「唐突に過去の罪を告白してみようか。すこし気になっていたあの子が学校を三日続けて休んだ時のことです。僕は溜めていたお小遣いをはたいて綺麗な花束を買いました。はやくあの子が学校に来れるよう願いを込めて、とっておきの花瓶に入れた花束を、あの子の机の上に供えました。結果、その子は登校拒否になりましたとさ」

 

 まるで脈絡のない話題転換。彼は会話しているのではない。自分の言いたいことを好き勝手に吐き出しているだけだ。極端な話、ここに冥路がいなくとも彼はあまり困らないだろう。

 会話のキャッチボールではなくて、会話のドッジボール。一方的にぶつけ合うだけ。同じ人間と話している気がしない。その認識が冥路をこの上なく安心させる。

 

「前世のころの話だけどね。この世界の僕が学校に行くべき時代は絶賛戦乱中で学校に通う暇なんて無かったし。倫理道徳を学ぶ時間があるなら人の殴り方を教わるような時代だったよ。嘘です。前世でもそんな事実はありませんでした。単なる戯言だから聞き流していいよ」

 

 にこにこと『笑う』それ(・・)。ここまで空々しい表情筋の活動は前世を通して生まれて初めてみた。平面に丸と棒を配置するだけで笑っている顔や怒っている顔と認識する人の脳なのに、なぜこうも笑うという特徴を満たした顔の動かし方で相手に強烈な違和感を覚えさせることができるのか。冥路はいっそ感動すら覚える。

 これは人間ではない。人の形をした『なにか』だ。人でないモノが気まぐれで人の姿を真似て、色々間違えてしまったもの。

 人間の、なりそこないだ。

 

「何が目的でここにいるの?」

 

 周囲に人の気配がしないことなど冥路はとっくの昔に気づいていた。目の前のこれが特殊能力を使ったのか、はたまた生物の本能がこの場所に近づくことを避けさせているのか。

 どちらにせよ、彼女に用事があって彼はここまで来たのだろう。そうだと思いたい。

 

「さっきから質問ばかりだね。自分で少しは考えないとろくな大人になれないよゆとり世代。それはそれとして何が目的って言われると、幸せになるためとしか答えられないな。僕はずっと昔から、それだけを望んで生きてきたんだから」

「しあわせに……?」

「うん、君も一緒にどう? 一人はもう疲れたろう。僕が君のすべてを背負ってあげよう。ぜんぶ神様が悪いんだ。君は悪くないし、僕も悪くない。いや、半分くらいは悪いかも」

 

 思考が白濁し、何を言われているのかさっぱり理解できない。ただ、差しのべられた手は強烈に意識に焼きついた。

 少女の選択の結果は、月さえ照らさない闇の中で街灯だけが見ていた。

 

今日(一期)明日(二期)明後日(三期)がいっぺんに来ればいいと思わないかな。僕はもう待ちくたびれたよ。十年くらい誤差の範囲だよね? とりあえず今から、闇の書事件の開始をここに宣言するとしよう。タイムリミットは六月四日。これを過ぎたら責任感の強いあの子は血と硝煙に彩られた魔法の世界から逃れられなくなるからね。はじまったときがすでに投了でございます」

 

 楽しげでどこか投げやりな声を合図に、物語は加速する。

 

 

 




 誤字・脱字などあればお願いします。

 ふう、PT事件が終わる前に闇の書事件の開始。
 原作の流れを把握している転生者が複数いれば、十分ありうる流れだと個人的には思います。
 はやてさんが魔法世界に入らないと、後の流れが大きく変わってしまいますが……。
 個人的には見てみたいんですよね。コックのはやてさんとか、専業主婦のはやてさんとか。そしてそれは闇の書が起動した時点で、情の厚く責任感の強い彼女には不可能となる未来でしょう。
 さてはて、どうなることやら……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。