魔法少女リリカルなのは「狼少女、はじめました」 作:唐野葉子
● アルフ以外の一人称
なお、閑話の時間軸が本編とずれることは多々あると思います。
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ああ、もうだめかもしれないでやんす。
四枚あるうちの三枚の羽が痛い。一本は打ち身、たぶん二本は折れていやす。これじゃあ飛ぶことなんぞできやせんが、這って逃げるにはあっしの足は遅すぎる。
腹立たしい。
あっしを現在進行形でいたぶってやがる熊野郎が腹立たしい。こいつの体格を考えればあっしごとし一匹の鳥なんぞ、腹の足しにもなりゃせんだろうに。
本来コイツはここにいる生き物じゃないのに。勝手に他所からつれてきて、面倒が見切れなくなって捨てやがった人間の身勝手が腹立たしい。
何より、あっけなく死にかけているあっし自身の無力さが腹立たしい。
弱肉強食。自然界に生まれた以上、この法則に異を唱えることもなきゃあ不満もありやせん。ここであっしが食われるのは、あっしが間抜けだっただけ。
それでも、考えてしまう。
――生きたい、と。
「……グルルルル」
「お前か。リニス先輩から聞いた、『風』の【魔力変換資質】を持つクマっていうのは……。毛皮がライムグリーンで腕が六本って、ほんとうにミッドチルダの生物の進化は摩訶不思議だな。どこのモンスターだよ」
突然、熊野郎の注意があっしから外れました。と同時に、腕の一振りと共に声のする方に不可視の刃が放たれやす。これがコイツのやっかいな能力。空を飛べるあっしが逃げ切れなかったわけ。風を生み出せるこいつは、不可視の一撃をかなり遠くまで飛ばせ、また、自分の体を風に乗せることで音もなく高速で移動できるんでやす。
《おっと。……ふう、【魔力変換資質】の参考になるかと思ったけど、【以心伝心】で技術の解析は無理か。やっぱり効果範囲は文字までなのかな?》
見えないはずの攻撃をかわしたらしい声の主の方を、あっしは思わず見てしまいやした。言っている内容が理解できたからでさあ。普通、同族以外に相手の言っていることがわかるなんてありえやせん。せいぜいが、音の並びと相手の言動を関連付けて予測するのが関の山。言ってる内容がそのまま伝わってくるなんて、はじめてでありやした。
そこにいたのは、一匹? 一人? の混ざり物でありやした。仲間から話を聞いたことがありやす。人間の魔導師と呼ばれる力をもった者に、摂理を曲げて作りだされる『使い魔』なる存在のことを。野生を失い、心を縛られ、道理からも外れたハグレモノ。良い印象などあるはずありやせん。
使い魔は不思議な力を得ると聞いたことがありやす。あいつがあっしらの言葉を喋ったのは、その力でやんすか? 間抜けなことに、熊野郎の注意があっしから逸れたっていうのに、ポカンとそんなことを考えていやした。
そんなあっしを取り残して事態は進んでいきやす。一撃、二撃、三連撃……次々に繰り出される熊野郎の攻撃と、それをひらひらと風に舞う落ち葉のような動きでかわす混ざり物。オレンジがかった赤い長髪が翼のようにひるがえって、不覚にも綺麗などと感じてしまいやした。
業を煮やしたのか、いらついたような唸り声をあげ突進した熊野郎を冷静に迎え討つその姿からは焦りも恐怖も見受けられやせん。異種族の表情を正確に読めるわけじゃありやせんが、雰囲気くらいならわかりやす。
ぞっとしやした。あれは生きものが浮かべていい表情じゃありやせん。色に例えるなら透明。一見すべての色に染まるように見えて、その実すべての色を拒絶している。本当の水の色であり、空気の色であるそれ。あっしらが青や緑でしか認識できないはずのそれが、純粋な在り方のまま確かな形をもって表情に宿っていやした。
熊野郎が混ざり物に突進し、こうして距離をとってみるとその縮尺の無謀さがよくわかりやす。まるで巨木と雛鳥。どちらが食べる側で、どちらが食べられる側かなんて一目瞭然。そのはずなのに、押されているのは熊野郎のほうでありやした。
どうして熊野郎が問答無用であの混ざり物に攻撃したのか。ある意味高みの見物状態といえる姿勢だからか、わかりやす。怖かったんでしょう。
ここら一帯の食物連鎖の頂点、絶対的強者として一方的に狩ってきた者ゆえの弱さ。不可視のはずの一撃が見えているかのごとく確信を持ってかわされ、不意に絡みつくオレンジ色の鎖や腕輪が動きを阻害し、雷を宿した拳と砲弾が身体を焼く。それでもでかい図体した熊野郎に対しての決定打には欠けやすし、逆に熊野郎の腕の一発でも当たればたちまち混ざり物は半死半生でしょう。でも当たらない。透明な表情をやどしたアレに、当たるなんて思えない。あっしはそう思いやしたし、はた目から見て互角以上に有利に戦いを進めているのにもかかわらず熊野郎の恐怖がここまで伝わってきやした。
後ろ足で立ち上がり、二対四本の腕が文字通り嵐となって振り下ろされる。それをさばき、いなし、余波で感覚器官が傷つかないように軽く顔をかばう。それでも目は閉じられることは無く、耳は怯えをひとかけらも見せずに凛と立っている。普通におかしい。常時命の危険にさらされて、何故ああもまともな行動が取れるのか。
そうじゃないと生き残れないとか、そんな話じゃないでしょう。あの混ざり物に心は無いんでしょうか。
呆れているのか感心しているのか、少なくとも恐怖はとっくの昔に通り越した感情に頭まで浸かりながら化け物ふたりの戦いを見ていやしたが、案外決着は早く着きやした。
全部が全部目で追えたわけじゃないですが、どのような展開になったかは把握していやす。混ざり物が熊野郎の下半身を重点的に攻撃する。それに耐えきれずに熊野郎が前足を地面に着くと、今度は手の届く範囲に降りてきた頭部をメッタ打ち。動きが鈍くなれば次は目に指を突っ込んで電撃、そしてとどめに開かれた口に腕を奥まで突き込んで、最大級の電撃。……えげつねえ。
脳と内臓を焼かれ、ビクンビクンと痙攣を繰り返す熊野郎の口から、混ざり物がゆっくりとした動きで腕を引き抜きやす。直撃こそ受けていないものの、暴風の余波で服がぼろぼろ。全身が傷だらけで、熊野郎の腕に突っ込んだ左腕は牙で傷つけたのか赤い線が幾筋も走り、血が滴っていやした。
これは後で仕入れた知識でやすが、あの服はバリアジャケットなる防御魔法の一種で、射撃魔法の数発くらいなら防げるシロモノらしいです。それをもってして直撃受けずにあの破損……こえー。
《手加減が出来なかった。正直、今でも
痛そうな表情を微塵も見せず、独白する混ざり物。いや、明らかに狩っていやすよ。熊野郎、泡ふいているじゃありやせんか。心臓が止まるまではあと少しかかるかもしれやせんが、脳はさっきのでイカレていやす。ぶすぶす煙出てるし。
それでも安心できなかったのか、混ざり物は手刀に圧縮した魔力を張ると、首を刎ねやした。実戦で使わなかったのは、展開速度に難があったからでしょう。その程度のことを考えられる程度に周囲で様子を見ていたあっしは冷静。これにて完全な決着。
そのとき、噴きでる血を浴びるその顔に表情は宿っていないはずなのに、何故か途方に暮れているようにあっしには見えやした。
……気に入らないっすね。結果から言えば、あの混ざり物は命の恩人でやんす。しかし、命を奪っておきながらあの態度はいただけない。食べるにしろ、自衛にしろ、相手の命を奪うということは自分の命がその分繋がるということ。喜びこそすれ、後悔するなんて自然界の中じゃやっちゃいけないことでさあ。まあ、摂理から外れた混ざり者じゃあ仕方ないっすかね。
そんなことを、考えていやした。
《すまないが、詫びる気はない》
混ざり物――否、
がつんと頭を殴られたような気がしやした。全身の痛みもこのときばかりは忘れやしたね。
短い言葉の中でなんて矛盾をはらんだ、だなんて考えることができたのはあっしの中のごくほんの一部のみ。あっしの大部分は言霊と呼べるそれにぶるぶる震えて、ただただ、感動に打ち震えていやした。
隔意、嫌悪、恐怖……様々な負の感情を吹き飛ばすその奔流。
彼女は決して強い生きものではない。たとえ自分の数倍はありそうな熊を素手で殴り殺したとしても。心身ともに未熟で、まっすぐ進むことすらできず、悩み、悔やみ、そしてそのまま純粋に歩んでいる。あっしらが当たり前にできていたことを、傷つきながらでないとやれない、それでも歩みを止めない。
あっしらの世界では在りえない存在。絶対に見られない生き方。なのに、こんなにも心震わせる。
生きるっていうのは、こんなにもまぶしいものだったのか。
《ぼくはお前の命を奪ったんだ。そのことを後悔しない。謝らない。これでよかったんだと言ってみせる。そんなのふざけんなってお前は言うだろうけど……いや、死んじゃったら何も言えないな。とにかく、お前は死んで、ぼくは生きる。ここではそれがすべてだ》
あっしの考えを裏付けるかのように、無表情のまま言葉を紡ぐ彼女。
熊野郎を倒したということは、このあたりで彼女に敵う動物はまずいないということでさあ。でも、もうすでに動かない熊野郎の亡骸に話しかけ続けるその姿は表情は変わらないはずなのに弱々しくて、だめだめで、無様。そしてとても可愛らしい。
少し強くて、とても弱い、名前も知らない狼少女にその日あっしは惚れやした。その生き方に、その存在に。
《あ、あのっ!》
動かない体を無理やり動かして、彼女の足元へと這い寄る。
《ん、なんだ? ……鳥?》
《不可視の攻撃を巧みにかわすその強さ、冷静さ、何より、あっしはたった今、あんたに命を救われやした。尊敬します、姐御とお呼びしてもよろしいでしょうか!》
《え、不可視? ……思いっきり緑色に見たんだけど。【以心伝心】の効果って言葉の翻訳じゃないのかな?》
巧遅よりも拙速。善は急げとばかりにあっしは彼女――姐御に話しかけやした。なにやらぶつぶつ言っていやすが、ファーストコンタクトで悪印象は与えていないはず。
彼女に近づきたい、彼女と仲良くしたい。本来なら自然界では生き残れない弱々しさと、食物連鎖の頂点を殴り倒す猛々しさを両立させたこの存在に対して、ふつふつと温かい感情が湧きできやした。
まずはお近づきになった印に、尊敬していることを示す呼称を使うっす。
――まさか、こっそりその様子を遠目に見ていた動物一同が全く同じ感情を抱いたなんて、知った時には苦笑しか浮かびやせんでしたが。
●
月日は流れ――。
《姐御ー、なにやってるっすか》
《ん、ああ、お前か》
初めてみたあの時から背丈がだいぶ伸びた狼少女は、今ではもうあの時のような無茶をすることはなくなりやした。ある時、大怪我を負いかねない無茶を目の前でやらかしてリニスさんとフェイト嬢ちゃんにこってりしぼられたらしいです。もっとも、精神がきちんと成熟したかと言えば微妙っすけど。
根本的なところでは、魔力変換資質のお手本を見たい、命懸けで戦えば習得できるんじゃなかろうか、なんて理由で自分の倍はありそうな熊に特攻したあの時と変わっていない気がしやす。
《ちょっと外の世界に出かけることになった。しばらく帰ってこれそうにないからね。綺麗にしておこうかと》
姐御の前には、粗末ではあるものの丁寧に手入れされた塚がありやした。土が盛られ、大きめの石が一つ置かれ、周囲に花が植えられた簡単な供養塔。自己満足だと吐き捨てながら、それでも一人で黙々と作ったものっす。
一瞬あっしの方を見た姐御の視線が、ごく自然な流れで自身の左手に向かう。おそらくは本人は気づいていない癖。ネガティブなことを考えている時、姐御は自分の左手を透かすように眺めることが多いでやんす。
あれからも姐御は多くの命を奪いやした。時に食べるために、時に強さを求めて。
その生き方は、まるですべてを一人で出来るようになりたがっているみたいに見えやした。誰にも頼らずに生きられるように。誰かに助けを求めることを怖がっているみたいに、不安から逃げるように。
早く気付いてもらえないでしょうかね。姐御は自分で思っているほど強くも万能でもないし、自分で思っているよりもずっとみんなから大切にされているということを。
たぶん、これはいくら言葉を紡いだところで伝わらないでしょう。だからあっしらは想いを込めて、不器用で憶病な狼少女をこう呼ぶことしかできやせん。
姐御、と。
あっしら一同は姐御の強さじゃなくて、弱くてだめだめなところにキュンときたんすよ。言ってしまえばファンなんです。弱いからこそ尊敬しているっすよ。
《外の世界っすか?》
《うん、詳しいことは話せないけど、数か月、下手したら半年は帰ってこれないかな。……どうしよう》
途方に暮れたように供養塔を見つめる姐御。半年も手入れしなきゃ雑草だらけになるでしょうからねえ。言いたい、ものすごく言いたい。ここにあっしがいるじゃないですか。一言お願いしてくれるだけでいいんです。『ぼくが留守の間、頼めないかな?』とでも言ってくれたら、雑草の一本だって生えさせませんぜ。
だけど姐御はうんうん唸っているだけ。魔法でどうのこうのとぶつぶつ言っている。あっしじゃなくてもリニスさんにでも頼めばいいのに。気のいいあの人なら快く引き受けてくれるでしょうに。
人に頼ることを思いつかないというか、誰かの迷惑になることを極端に恐れているというか……。もどかしい。今ここで口に出せばこの場だけは姐御はあっしに頼るでしょうが、それじゃあ意味がない。結局根本的なところじゃ何も変わらない。
世界のすべてが姐御と同じくらい優しかったらこの世はもっと平和になるんでしょうが、生憎そうじゃない。世界は厳しくて、意地悪で、残酷で。姐御なりに適応しようとしているのはひしひしと伝わってくるんですが、このままじゃ長生きできやせんぜ。あっしの勘がそう告げている。
姐御には長生きしてほしい。幸せになってほしい。あっしらはそう望んでいるのに、姐御はどうもそう思っていない節がありやすね。
なんでそんなに自分が嫌いなんですか? 極端に自分の評価が低いのも、それを補おうとして致命的な無茶をするのも、人に頼るのを怖がることも、元をたどればそこにつながっている気がしやす。
「アルフ、ここにいたんだ」
「ん、フェイト? どうしたの」
「母さんが、アリシアの準備を手伝えって、アルフに……」
ひゅん、と風を切る音がして輝く金色が空から降り立ってきやした。日光を反射する豊かな金髪。フェイト嬢ちゃんでやんす。アルトセイムのヒエラルキー上位に食い込む実力者ではあるんですが、どこか抜けたところのある姐御のご主人様。いろんな意味でいいコンビだと思いやす。
「準備って、アリシアまとめる荷物とかないじゃん。着の身着のまま通り越して全裸だし……。アリシアと接する時間を少しでも多くしたいのかな、あの人は」
「あはは……たぶんそうかも。でも、しばらく付き合ってあげてくれないかな」
「フェイトが言うならそうするけど」
二人で苦笑していやすが、流れる空気はあくまでも穏やかっすね。言っている内容は能力の使用が切られたため理解はできないっすが、『アリシア』の名前は聞き取れたっす。うーん、あっしは見たことないっすが、幽霊なんて本当にいるんすね。何という摩訶不思議。死んだ者がみんな幽霊になるなら今頃この世は幽霊だらけだと思うんすけど。だいたい、食う物食わないでどうやって存在を維持するエネルギーを得ているんすかね。不条理極まりない。
鳥だって哲学くらいはするんでさあ。姐御の大切な人って言うなら文句を言うつもりはさらさらありやせんが。
「……あれ、アルフ、これ何?」
フェイト嬢ちゃんが慰霊塔の存在に気づきやした。一瞬、姐御からあわてた気配が伝わってくるものの、きまり悪そうに説明し出しやす。尻尾が落ちつかなさそうにそわそわ揺れていやすね。
「えーと、お墓、かな?」
「お墓? 誰の?」
「……ぼくがここにきてから、奪った命、の」
姐御が一番見栄を張りたがるのはフェイト嬢ちゃんに対してでさあ。でも、矛盾するようですが、一番弱みを見せるのもやっぱりフェイト嬢ちゃん。
内容は理解できないまでも、供養塔を作った経緯、テスタロッサ家の面々に内緒にしてやってきた無茶の数々を短いやり取りですべてを告白したとは思えやせん。でも、フェイト嬢ちゃんの表情を見ていると重要なことは把握した様子。
「母さんから頼まれた用事で、第九十七管理外世界にいくんだよ。しばらく帰ってこれない。このお墓はどうするの?」
「えーと、どうしようかなって、今悩んでたとこ……」
「……しょうがないな、アルフは。私が一緒にリニスに頼んであげるよ。いない間、手入れをお願いしますって」
「あ、そんな手が、あったのか……」
あっしがその場しのぎで手助けを言いだすのとは違う、隣に立って、共に一歩歩きだすことを自然に言える関係。二人の関係は、きっとそんなモノなんでしょう。
笑いながら姐御の手をとるフェイト嬢ちゃんと、不安そうながらも手を引かれて自分の足で歩いていく姐御。お互い一人では積極的とは言い難い性格でやんすが、二人でいるときはどちらかが相手の手を引いて進んでいく。本当に、いいコンビっす。
姐御の隣のポジションは、早い者勝ち。つまり、一番最初に姐御を見出したフェイト嬢ちゃんのもの。そのことはアルトセイムに住む動物一同納得していやす。
だからこれから旅立つ彼女たちに、贈る言葉は一つだけ。
姐御のことを末永く頼みますぜ!
遅くなりました。
プライベートで色々あったのと、原作確認作業で前回の投稿からだいぶ間が空いてしまいました。
……しかも短いですし。
出来れば今日中に次も投稿して、ひとまず短編に追いつこうと思います。
誤字脱字、感想などあればお願いします。