魔法少女リリカルなのは「狼少女、はじめました」   作:唐野葉子

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 ついに短編からの脱却。

 個人的には新章突入!


 ところで、長編版は短編で書かれたことをほぼすべて内包しているわけですが、短編版は削除したほうがいいのでしょうか……?
 もちろん、その場合には活動報告でお知らせするつもりですが。短編版のみお気に入り登録している方もいらっしゃるみたいですし。


第六話

 

 

 

 ふと思う。人間、死んでしまえばそこで終わりだ。転生したぼくでも、いや、転生したぼくだからこそそう感じる。

 前世のぼくは、消えてなくなってしまった。ここにいるのは前世の情報(きおく)を受け継いだだけの、狼少女(アルフ)だ。その情報(きおく)がいくら人格構成に影響を及ぼしていようと、別人であることに変わりはない。その事実にぼくが耐えることが出来たのは、フェイトが側にいてくれたから。

 それが今現在のぼくの実感。だからこそ、生きているっているのはかけがえがなくて素晴らしいものなんじゃないかと思う。月並みな言葉ではあるけれど、大事なことって月並みな言葉以外で表すのは意外と難しい。愛しているよ、とかね。

 高天原(たかまがはら)神治(しんじ)

 ぼくが初めて名前を知った転生者。彼は確かにぼくにとって害悪だった。無粋な感情を強制的に植え付ける病原菌に等しい存在だった。しかしそんな彼でも人である以上家族がいて、誰かしらには愛されているのではないだろうか。

 常に善人である人間も、常に悪人である人間も存在しない。誰かにとっての善人で、誰かにとっての悪人がいるだけだ。

 いきなり先制攻撃をしてきたのにも等しい彼はぼくにとって悪人だっただけで、しかしそれはこれからも悪人であり続けるという証明にはなりはしない。話し合えばわかりあえるかもしれない。意外と友人になってみればいいやつかもしれない。

 

《――識別名■■■が識別名■■■ ■■を撃破しました。法則(ルール)に基づき、識別名■■■には識別名■■■ ■■の転生特典の一部が譲渡されます――》

 

 ……言葉だけなら、いくらでも並べ立てることができるのにね。

 そういえばこの“声”、どこまで聞こえているんだろう。明らかに身体を通じて聞こえているわけではないから、もしかするとすべての転生者に聞こえているのかもしれない。だとすると他の転生者に警戒心を抱かせてしまう可能性があるわけで。……早まったかな? 【明鏡止水】の効果は冷静な思考回路が得られるだけで、知能が上昇するわけじゃないからなあ。

 ――ああ、まただ。ぼくはむやみやたらに他の転生者に情報を与えてしまったかもしれない結果を悔やんでも、人ひとり殺したことについては全くと言っていいほど後悔していない。あれだけロジックを並べ立ててみたのに、まるで内側に響かない。

 ぼくってこんなやつだっけ?

 相手を殺してもまったく心が揺るがないのは転生特典だけではないだろう。もしそうだとしたら、【明鏡止水】の使用を取りやめた後で取り乱したりするはずだし。肉食獣(たべるがわ)の本能なのか。

 それとも、神がゲームを面白くするため、転生者同士の殺し合いに対する罪悪感を麻痺させているのか。能力の吸収を前提にルールが組まれている節がある以上、あり得ない話ではない。

 ……いや、さすがに現状では、都合の悪いことを神に押し付けて言い訳しているだけ、か。

 相手を追跡し、【シンバル】射程距離に入ったら瞬時に結界を展開、目標の頭部を破砕し、今に至る。そのすべてをぼくの意志でしたことだ。そのすべての責任をぼくが背負わなければ、さすがに相手が報われない。他者(かみ)に都合の悪いことをすべて押し付けるようなみっともない生き方はしたくない。

 

《――法則(ルール)に基づき、ランダムに転生特典の一部を譲渡、もしくは既存の欠片(フラグメント)の強化が選択できます。識別名■■■は選択を行ってください――》

《――なお、撃破された識別名■■■ ■■は世界の矯正力(パンタ・レイ)の影響により、消滅します――》

 

 ん、なんだ? 前と違う?

 相手の死体が白い炎に包まれてきれいさっぱり消え去ったのは同じだ。と、同時に自分の中で作用していた不愉快な力がひとつ消え去った感覚がある。使用者が死ねば能力の効果も消えるのか。それがどこまで作用するのかわからない。さすがに転生者に能力で殺された死者が、修正力で蘇ったりはしない……よな? だけど『植え付けられた恋愛感情は消える』というのはこれからの目安になるはず。

 ……『これから』って、ぼくはいったい何を前提に考えているんだ。胃が内側から爛れていくような不快感。それを助長するかのように不愉快な選択肢が脳裏に現れる。

 

《――どちらかを選択してください――》

《――ランダムに新規の能力を取得 / 既存の欠片(フラグメント)の強化――》

 

 視界に発生しているわけではないので目を閉じたところで消えない、意識の端でずっとちらついて神経を逆撫でする表示。他の魔導師に気づかれる危険性を考えると、ずっと結界を張りっぱなしというわけにもいかないし、どうせあの汚辱間を味わうならどちらを選んでも最悪だ。深く考える時間も労力も惜しく、欠片(フラグメント)の強化を選択した。あの使えない能力が少しでもマシになればという思いがないわけじゃないけれど、さ。

 

《――欠片(フラグメント)の強化――》

《――対象を選択してください――》

《――【神喰らいの魔眼】 この能力でよろしいですか?――》

《――処理中……しばらくお待ちください……――》

「……っ! ぐうぅ……うえ……おぇ……」

 

 覚悟していたとはいえ、陵辱されるこの感覚は何度経験しても慣れない。慣れたいとも思わないが。気合で声を上げるのだけは我慢したけど、嗚咽は噛み殺しきれなかった。平衡感覚が失われ、立っていることができず四つん這いになる。

 

 ▽

 能力名:【神喰らいの魔眼】

 タイプ:アクティブ/フラグメント(2/3)

 分類:法則改変

 効果:他者の転生特典を打ち消す。

 △

 

 

 脳裏に展開される情報。前回よりも少し長く感じた汚辱感は前回同様あっさり消え、後には炎天下に長距離を走破したかのごとく汗みずくになって息を荒げるぼくが取り残された。コンクリートの地面が頬に痛い。バリアジャケットを展開したままでいなければ、もだえ苦しんだ時に腕や足に傷を負っていたかもしれない。

 とりあえず立ち上がり、呼吸を整えながら転生特典の確認をする。誕生時に持っていた三つに変化はなし。前の時は能力の発動がめちゃくちゃになったが、今回はそんなこともなさそう。周囲の結界に関しては自身状態が不安定になることが予測できたので、事前に術式をいじって一定時間なら自動で維持が可能にしている。ゆえにこれも問題なし。

 問題は【神喰らいの魔眼】の方。いやな予想が当たってしまったと考えていいのだろうか、これは? 八神さ……じゃなかった、はやてさんを待たせている以上、そんなに時間をかけられないので能力のテストは後回しにするとして、表示を信用するなら何らかの強化が施されたと考えていいだろう。

 ――想像してみる。生まれたときから人にはない三つの異能を与えられ、自分の思うがままに生きていける、それが可能な人生という物を。途中で邪魔な相手が現れるが、そいつを排除するとこに対して罪悪感は生まれない。むしろ倒してしまえばその経験値で自分がどんどん強くなる。

 まるでゲームのようだ。能力の表示のされかたを見たとき最初にそう感じたけど、もしかして本当にそれを狙ったものだったのかな。こんな役割を演じる遊び(ロールプレイングゲーム)のような人生を与えられて、まともに生きていけるわけがない。自分が世界の主人公であるかのような錯覚にとらわれ、周囲を蹂躙するとこをためらわなくなるのではないだろうか。

 本人の資質どうこう以前に、環境がおかしすぎる。他人の家に問答無用で押し入って箪笥や壺の中を調べ、めぼしいものを持ち去る生き方が肯定されてしまえば、まともに努力しようだなんて誰が考えるだろう。努力とか、そこらへんの物が多少なりとも尊ばれるのはそれが人にとって不愉快でやりたくないものだという事実の裏返しなのだから。

 かくいうぼくも、侵され始めてはいるのだろう。【明鏡止水】の効果で、他人事のようにそう考えた。ぼくが生まれる前から世界は在って、ぼくが死んでからも世界は続いていく。ただ、ぼくが死ねばきっと悲しむ人たちがいるから、その人たちのために出来る限りは死なないようにする。前世からそう考えているけど、転生特典という毒はあまりにも甘美過ぎる。使い過ぎない方がいいのだろうか。でも、これからの人生で転生者が多発する可能性を考えると使いこなさないことには抵抗できない気がする。

 使いこなす、ね。使いこなして、能力を強化して、それでどうするのさ? その先には何がある?

 口の中に苦いねばつきがこみあげてきた。結界の中とはいえ道路に吐き出すことはためらわれ、むりやりゆっくりと飲み下す。胃の中に不快感が絡みつき、格好をつけるんじゃなかったと後悔した。

 

 

 リカバリィを使い身だしなみを整え、結界を解いてはやてさんのところに走って帰ると、泣いていた。

 ものすごくびっくりした。

 ……いや、もっと他に感じるべきことがあったんじゃないかと後になって思う。でも、その時のぼくは小さな女の子が泣いているという事実が、完全に用量オーバーだったんだ。はやてさんがしっかりした雰囲気で、人にあまり弱みを見せないタイプなんじゃないかと勝手に思っていたことがそれに拍車をかけた。

 言葉を失い呆然とするぼくに対し、はやてさんは肩を震わせながらも笑顔を作ろうとする。痛々しくて見れたものじゃなかったけれど、顔をそらすなどという真似もできない。

 

「ご、ごめんなあ……なんか知らんけどあふれてしもうて……ぐす、な、何があったんやろ、自分でもわからんくて……」

 

 こころにあながあいたみたいや、というかすれたつぶやきに何があったのか察した。高天原が死んだ影響で、はやてさんの中にあった恋慕が消えたのだろう。通常ではありえないその心の動きがどのように感じられたのか、ぼくにはわからない。恋心を異常事態を判断してすみやかに排除したぼくと違い、彼女のそれはそれなりに長い時間彼女の中にあったものだろうから。擬似的な失恋みたいなものなのかと想像してみても、所詮は想像の範疇を出ない。そもそも失恋したことないし。その前提となる恋がないから。

 ごめんさないと謝りそうになった。いったい、何を謝るというのか。高天原神治を殺したこと? 確かに人を殺すのは悪いことだ。悪いことをしたから『ごめんなさい』は間違っていないだろう。でも、違う。それじゃない。ぼくが謝りたいのはそれじゃなくて……。でもそれは謝っちゃいけない。ぼくが加害者なんだから。不注意でも事故でもなく、意図的に選択した現状である以上、胸を張ってすべてを受け止めなきゃいけない。ぼくがしたのはそれだけのことなんだから。

 【明鏡止水】発動。落ち着け。面の前ではやてさんが泣いている、ただそれだけだ。覚悟が足りていなかったのか。ああ、そうかもしれない。でも、いまするべきことは謝罪でも後悔でもないだろう。そろそろ夕方に移ろうかという時間帯。人通りは多くないが少なくもない。きっと今から増えてくる。よそ者(ストレンジャー)であるぼくはともかく、子供かつ車椅子であるはやてさんはここが生活圏内のはず。変なうわさが広がる土壌は作るべきではない。

 

「とりあえず、移動しましょうか」

 

 なぐさめのひとつも口にできない自分が情けない。でも、体を動かしながら誠心誠意言葉を紡ぐことが出来るほど器用でもないのだ。

 土地勘のない場所。でも路上でじっとしていることは論外で、ただ動物の勘に任せてはやてさんの車椅子を押して歩きだした。

 

 移動中、はやてさんの震えは徐々に治まっていった。途中で自分がハンカチを持っていたことを思い出し、はやてさんに渡したのだけど、その時はきちんとお礼も言ってくれた。コミュニケーションが取れるくらいには落ち着いたのかと思ったけど、よく考えてみればはやてさんは最初からぼくに気を使えるくらいの余裕(?)はあった。おちつけ、ぼく。

 【明鏡止水】は表情が目立つので一度精神を立て直したらご退場いただく。道行く人々からちらちら見てくるのでどの程度効果があるのかは微妙だけど。魔法で誤魔化すことは技術的には可能なのかもしれないが、危機的状況以外での結界外の魔法使用は大半が禁止されている。管理局の法の下で活動している現状、それなりのメリットが見込めない以上は違法行為は避けるべきだ。

 要するに、ぼくのせいで泣いている女の子をこちらの都合で見捨てているわけである。最悪だ。

 自己嫌悪で胃の調子がますます悪くなるが、勘および手足の方は健在で人気のない公園につくことが出来た。そのことに少し安心しながら中ほどまで進み、車椅子を止める。

 ……どうするべきなのだろう。正面にまわりこもうかと思ったが、泣き顔を見知らぬ人間に見られたいとは思わないだろう。顔を直視するのはこちらとしてもつらい。目を見て罪を糾弾されたいなんて感じるのは、明らかにこちらのわがままだ。

 でも、背後でぼーっとこのまま立ちつくしているのも変だ。無駄にこの体は背が高いから威圧感とかあるんじゃないかと思う。何を言えばいいんだろう。そもそも話題をこちらから提供するべきなのだろうか。見て見ぬふりした方が親切なのでは? いや、でも、泣いている女の子を放置するのは大人としてどうかと……。

 公園の発見で少し回復したはずの胃に、またぐるぐると気持ち悪さが渦巻いてゆく。

 

「――アルフさん」

「ひゃ、あ、えと、はい!」

 

 てんぱりすぎだ、ぼく。声が裏返っている、情けない。

 はやてさんの声の震えは止まっていた。声をかけられたのでとりあえず、顔が見える位置まで移動する。はやてさんは相手の目を見て話す人だし。それにしても年下の女の子に会話の主導権をゆだねるぼくってどれだけ……。

 

「ハンカチ、ありがとうございました。洗ってお返しいたします」

「い、いえ、別にそこまで気を使っていただかなくても。そもそもハンカチは汚れるためにあるわけですし、彼もはやてさんの役に立てたなら本望でしょう」

「……殉職ですか? おしいひとを失くしたもんですなー」

「ふ、あれが最後のハンカチとは限りません。いずれ第二、第三の彼が……」

 

 笑うはやてさんの表情は、すこしだけ、安心して見れるものだった。赤くなった目と頬は相変わらず痛々しかったけれど。

 やや和やかになった空気の中で、はやてさんがぼくの渡したハンカチを掲げる。いまさら気づいたけれど、花柄のかなりファンシーなものだ。どう思われただろう?

 

「冗談はさておき、このままではわたしの気が済まへんので、どうか洗濯させてください。アルフさんはしばらくこのへんに滞在なされるんでしょう?」

「そうですね……。そこまで言われるのでしたら、お願いします。ぼくは最低でも一カ月は海鳴市に滞在すると思いますので。どうやって連絡をとりましょうか。ぼくは携帯電話を持っていないので」

 

 うーん、基本的に連絡を取り合う相手はフェイトかアリシアだと思っていたから用意していなかったんだよね。現地の人と縁が出来ることが完全に視界の外だった。コミュニケーション能力の欠如を事あるごとに思い知らされる。

 

「そうなんですかー。うーん、どないしよ……。まさかお礼なのに(ウチ)に取りに来てもらうわけにもいかへんし」

「こちらの電話番号をお教えしますので、準備が出来たら連絡をもらうというのはどうでしょう?」

 

 個人的には家に取りに行くのは全然苦にならない。強いて言えば過剰にお礼をされているのが心苦しいという程度。でも、ここは年長者として、見知らぬ他人として、むやみやたらに相手のプライベートな情報を得ないようにするべきだろう。それを言うならこちらも同様に電話番号を教えるべきではないのかもしれないけれど、その提案はするりとぼくの中から出てきた。

 不思議なご縁だと思う。ただ単に図書館であっただけの、年齢も社会的立ち位置も、実は種族さえ違う関係。なのになりゆきで一緒に買い物に出かけるし、こうやって次に会う約束もしている。もはやはるか記憶の彼方だけど、友達が出来るのってこういう感じだったかもしれない。

 

「そうさせてもらってもいいですかー? せっかくやしその時に、妹さんとかも――」

 

 その後話を詰め、数日後、八神家にフェイト、アリシア同伴でお呼ばれすることになった。やっぱりはやてさんは話すのが上手い。気がつけばあちらの要求をこちらが受け入れていて、そしてそれが不愉快ではない。

 むしろ、楽しみだったりする。フェイトは生まれてこのかた友達と言える相手はおろか、同年代の相手に接する機会すら絶無だった。でも、フェイトがなにかしでかしてもコミュニケーション能力の高いはやてさんなら上手に対応してくれるだろうし、友達になれたらもっといいと思う。ジュエルシード探索も大事なことだけど、フェイトの社会進出もとても大切だ。

 アリシアの存在はさすがにはやてさんにばらすことは出来ないが、紹介そのものはするつもりだ。方法も考えてある。

 

「ふう、こんなもんやろか。それにしてもご迷惑をおかけいたしました。なぜか突然涙がでてきてしもうて」

「気にしないでください。若いんだから、そんなこともありますよ」

「あはは、若いせいなんやろか。……独りで暮らしているせいかもしれへんな」

「………………」

 

 ふっとはやてさんの表情が暗くなって、そんな言葉が聞こえた。

 反応にものすごく困る。小声だったし、使い魔の鋭敏な感覚がなければ聞き逃していたかもしれない音量。でも、普通の人間でも聞き取れなくはない大きさだった。

 はやてさんはぼくに伝えたかったのだろうか。それなら反応してあげるべきなのかな。でも、コミュニケーション障害を患っているぼくでもその先が地雷原だというのがひしひしと感じられるんだけど。少なくとも出会ってから一時間も経っていない相手とする話の内容じゃないよね?

 だいたい、はやてさんの年齢で独り暮らしって法律的に可能だっけ? 可能だとしてもまずやらないよなー。年齢から言っても身体的な問題から言っても、独り暮らしをさせるには無茶がある。これは案外、この国の法律や文化を調べ直す必要があるかもしれない。倫理道徳、常識がぼくの知っているそれとはズレている可能性がある。

 うーん、現実逃避していないで、いいかげん何か言おうよ、ぼく。

 

 

 アルフが困っている雰囲気が伝わってきて、はやては内心でこっそり苦笑した。

 何を甘えているんだろうと思う。相手は知りあって間もない旅行者だ。自分の孤独を共に背負ってくれる相手ではない。否、背負わせるべきではない、と判断できるだけの判断力をすでに身につけてしまっていることが彼女の不幸かもしれなかった。

 はやては賢い。自分がこの社会で弱者だということを理解しているし、弱者が獲物になりうることも知っている。ゆえに社交的な性格を生まれ持つ彼女だが、人との距離を詰めることにはかなり慎重だった。

 にもかかわらず、あっさりと距離を詰めてきた目の前の少女がはやてには少しまぶしい。

 

 第一印象はあまりいいものではなかった。

 ワイルドな系統で統一した服と抜群のスタイル。何より人目を引きつけるオレンジがかった長い赤毛と同じ色の、犬耳と尻尾のアクセサリ。サングラス越しにこちらを見やるその雰囲気は、まるで物珍しいものを観察しているようですこし腹が立った。

 だからだろうか。普段は無視するはずの視線に苦情を申し立ててしまったのは。ぶしつけな視線には慣れていたはずだったのだが、明らかにこのあたりの人間ではない雰囲気に関係がこじれたところでどこかに消える、そんな思いが働いたのかもしれない。

 しかし返ってきた反応は予想外のもの。あまりに意表を突かれて笑ってしまったはやてを、彼女は気に障った様子もなく受け入れてくれた。

 攻撃的、挑発的な外見と相反するかのように、穏やかで、優しくて、憶病の一歩手前の気遣いで構成された対応。優しさと柔らかさが断たれることがないと書いて優柔不断と読むのだが、彼女の様子を見ているとさもありなんと感じる。

 過剰な気遣いは気に障るのが常なのだが、彼女の場合、はやてに不快感を与えないように心を砕いていることがサングラス越しでも対人経験豊かなはやてには読み取れて、好感の方が勝った。自分がどうこうではなく、あくまで彼女の気遣いの対象ははやてがどう感じるかなのだ。

 

 アルフ・テスタロッサ。

 年上にこんなことを感じるのは失礼なのかもしれないが、とても可愛い人だ。世間一般で言うギャップ萌えとはこういうのを言うのかもしれないと、バカなことも考えたりした。

 その場で別れるのが名残惜しくて、言いくるめて一緒に商店街に買い物に行くことにしたのだが、そのことに関してははやて本人も少し驚いている。去年の秋、足が悪化し車椅子が手放せなくなってからは商店街ではなく近所にできたスーパーの方に買い物に出かけることが多かった。距離的な問題もあるが、商店街の人々の気遣いが苦しかったのだ。

 自分を心配してくれている人々の心遣いを、疎ましく感じていることを自覚できるだけの客観的視点をはやては持っており、それがますます彼女を商店街から遠ざけた。それに比べ全国チェーンのスーパーのアルバイト店員は、言葉を喋りこそすれ自分の仕事をこなす機械と大差ない。ドライな関係であれば、自己嫌悪にさいなまれることも無い。

 久しぶりに顔を見せる自分に、商店街の人々がどのように声をかけてくるのかという不安は確かにある。しかし、それもアルフと一緒ならばなんとか乗り越えられる気がするのだ。

 不思議な出会いだと思う。上手く噛みあった、というわけなのだろうか。はやてが張り巡らせている見えない壁を、アルフは奇天烈な対応であっさり越えてしまったのだ。一度壁を越えてしまえば親しく接するというのも、はやてのもうひとつの一面だった。

 確かにアルフは人に慣れていない感がある。時折見せるつたない反応はともすれば年下のようにさえ感じる。しかし、頭は悪くないし回転も速いので話していると面白い。日本語に慣れていないと当人は言っていたが、会話の合間に冗談から言葉遊びまでこなしておいてそれは無いだろう。

 敬語を話すのは大きく分けて二つの状況が考えられる。一つは文字通り相手に敬意を払っている時、もう一つは相手との距離を測る場合。おそらく、いや、確実に後者。完全に気を許されていないと思うといささか寂しいが、出会って一時間もしていないのに打ち解ける性格には思えないから仕方ないと言えば仕方ない。

 

「すみません、ちょっとトイレに……」

 

 アルフの困った顔を堪能するのもここまでにして、はやては話を一度中断した。目元がひりひりと痛み始めている。腫れないうちに一度水で洗い流したかった。そのあとで本の話題でも振れば、彼女はきっと乗ってきてくれるだろう。

 なんで泣いてしまったのかは自分でもよくわかっていない。アルフを困らせてしまったことは純粋に申し訳なく感じている。出来るなら忘れてほしい。

 何か大切なものを失くしてしまった気がしたのだ。取り返しがつかないものが消えてしまったと感じたのだ。すこし時間をおき落ち着いた今となっては、錯覚だったような気がするが。

 

「あ、一緒にいきます」

 

 出来れば顔を洗うところなど見てほしくなかったのだが、断ることもできない。仕方がないので車椅子を押してもらいながら公衆トイレに向かったが、入口のところでアルフがついてきた理由を唐突に悟った。

 バリアフリーがうたわれ始めて数年が経過しようとしているが、町すべてにいきとどいているわけではないのは生活しているはやてが身に沁みて理解している。ここのトイレの入り口の段差も、一人で超えるのは骨が折れただろう。

 

「よっと」

 

 筋肉隆々というわけではないがそれなりに力があるらしいアルフに押されて越えるとうっかり見過ごしそうになるが。こう言うところでは相手が年上なのだと感じる。見ていないようでいて、周囲のことをしっかり見ているのだ。

 はやてがトイレに来た目的も悟っているようで、あっさり彼女を置いて個室に入っていった。気づいていないふりをされたのだから、お礼は別の形で一気にしようと心に決める。

 話によると、アルフには年の離れた妹がいるらしい。はやては顔も見たこともない彼女がとてもうらやましくなった。あんな姉がいるのだ。きっとその子は孤独を感じることなどないのだろう。

 もちろん、甘やかさせるばかりではないだろう。怒った時に見せた無表情な笑顔は背筋に震えが走るほど迫力があった。もっとも、こうやって過去の出来事として思い出してみればそれはそれで風情があっていい――などと考えてしまう自分はいいかげんもうダメなのかもしれない、とはやては洗面所の鏡を覗き込みながら苦笑した。

 

 

 




 PT事件のはずがジュエルシードはおろか、なのはさえ登場しない不思議。

 誤字脱字、感想などあればお願いします。

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