騒動喫茶ユニオンリバー The novel 異端たる双眸   作:級長

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 ようこそ金湧市へ。この町はかつて炭鉱、金鉱として栄えました。そのため、町が潤っており税金は安く福祉は充実しております。学校のいじめ件数、児童虐待の件数は日本全国で最も少なく、出生率が高いというデータがそれを示しています。
 また元受刑者や非行少年の更生プログラムにも積極的に携わっており、再チャレンジ社会の構築に一役買っています。


☆ファーストエピソード 僕の生まれた日

「でさー、もうすぐリライズ始まるじゃん?」

「全然サーティーミニッツのオプション見ねーな」

「ハイパーファンクションの再販はマジ嬉しいよね」

一人の子供がボンヤリとした意識を徐々に覚醒させる。伸び放題になったキャラメル色の髪は顔の手当てに邪魔だったのか、ヘアピンで留められている。全く知らない単語が湧き出る会話が耳に届く。

「あれ……?」

うっすら開く目は右が桜色、左が空色のオッドアイだった。かなり衰弱しているのか、本来は宝石の様に輝くであろう大きな瞳は曇っていた。

気付けば、見知らぬ天井を眺めながら空調の効いた部屋に寝かされていた。擦り傷には絆創膏、打撲には湿布と適切な処置がしてあり、床に寝かされているものの身体の下に誰かの上着が敷かれ、同じく服で枕やブランケットが構成されていた。

「ここ、どこ……?」

起き上がる力が無く、瞳だけを動かして状況を確認する。小学校低学年くらいの小柄で痩せた子供であったが、意図的に伸ばしたのかわからない髪と体操服という性別を判別出来ない服装のせいで男女は分からない。目の下に浮かんだ隈は深く、右目の泣き黒子も隠れてしまうほどだった。

「でさ、サンドロックなんだけど、バックパックが独自機構なんだわ」

「角度の付いた手首は使いやすいと思うけどなぁ」

相変わらず、回りの大人は意味の分からないことを言っている。とにかく、感覚の無い手を引きずり、立ち上がろうとする。感覚が無いのも無理はない。肌色で爪の造形もあるが、その両手は生身ではなく、義手だった。

「よいしょ……」

外見や動きこそ生身の手と変わらない様に見えるが、分厚いシリコンカバーが関節の駆動を阻害し、長い間メンテナンスを怠った為か殆ど出力も出ない。シリコンも亀裂が入り、それをセロテープでふさいでいる有り様だ。

「あ、起きた起きたー」

「っ……!」

この状況を把握しようとしていると、一人の女性が声を掛けて来た。子供は思わず身構える。女性は鮮やかな金髪をサイドテールに結い、エメラルドグリーンの瞳で彼、もしくは彼女を見つめる。その表情は蠱惑的で、どこか秘密を抱えていそうなものだった。下手な女優やアイドルなんかよりも美人で、白のブラウスという夏服の薄さも相まってグラマラスなスタイルが映える。

「あ、えっと……」

子供は目をあちこちに泳がせ、言葉を詰まらせる。別に、目の前の女性が美女だからではない。大人を、否、他人を前にすると、どうしてもこうなってしまうのだ。

『こんなところで何をしているんだ! 迷惑だぞ!』

『黙っていないで何か言えよ!』

『言い訳ばかり言ってないで!』

頭の中に誰かの大声が反響する。こうなると、何も言う事が出来なくなってしまう。

頭に手を伸ばされると、反射的に身体が固まってしまう。確実に来るであろうダメージに、防御も回避もする力が無いので耐える準備しかできない。

殴られる、反射的にそう感じた彼の予想に反し、目の前の美女が伸ばした手は優しく頭を撫でたのであった。今までされたことの無い行為に、彼はどうしていいのか分からなくなった。

「え……?」

暫く困惑する彼に、その女性は優しく言った。その声は今まで会ったどんな人のモノよりも暖かかった。

「大丈夫だった? アスルトさんのクスリ、効くでしょ。お名前は? 私はミリア」

 どうやら彼女が手当してくれたらしい。空腹感は未だ残っているが、眩暈や疲労が収まってかなり身体が楽だ。名前を聞かれたので、固まった喉を必死に動かしてやっとの思いで名乗る。

「陽歌、です……」

 この子供、陽歌は何故自分がここにいるのか分からなかった。すっかり途中の記憶が抜けている。やけに人が多い場所だが、彼らは一様に机へ乗せられた何かを見て会話をしている。陽歌から見れば異様な光景ではあったが、彼らからは今まで出会って来た人から感じた刺々しいものが見えない。

「陽歌くんっていうんだー。とりあえず、どこか痛いとことか無いかな?」

ミリアと名乗った女性は、彼が起き上がれる様に義手の手を握って引き起こす。

「あ……」

 義手には触覚が無いのだが、手を握られた瞬間に陽歌の胸の奥で熱が沸き上がった。義手になってからというもの、クラスメイトは落とし物一つ触られるのを嫌がり、身体が触れようものなら大騒ぎ。生身の腕が残っていた頃も、誰かに手を繋いでもらったことなど無かった。

 小柄で痩せている陽歌の身体を起こすのは女性のミリアでもかなり簡単なことであった。僅かに力を込めて引っ張るだけで、起き上がることが出来る。が、なんと義手が外れてすっぽ抜けてしまったのだ。

「あ」

 これはミリアにも予想外だった。だが、倒れかけた陽歌の身体を支えた人物がいた。紺色の髪を伸ばした、彼と同い年くらいの少女だ。右目は前髪で隠れていて見えないが、瞳の色はミリアと同じグリーンであった。そして、驚くべきことに彼女の頭には狼か狐の様な耳が生えている。オーバーサイズの白いハイネックをそのまま着込んだ様なワンピースの短い裾からは、先端が白く髪色と同じ色のもふもふした尻尾が覗いている。

「……?」

 この様子を見て、陽歌は自分が死んであの世に行ったのかと思ってしまった。明らかに現実のそれではない容姿の少女、そして都合のいいまでに優しい人々、これが現実とは到底思えなかった。

「気を付けてよねー。これ結構外れやすいみたいだから」

「はーい」

 ケモミミの少女に指摘され、ミリアはそうだったと言わんばかりにとぼけた表情をする。黙っていればミステリアスな美女なのだが、口を開くと案外おちゃらけているのだろうか一気に砕けた印象を受ける。

「とりあえず付け直すよ。私はさな。よろしく」

 ケモミミの少女はさなと名乗った。彼女は擦り切れてよれた陽歌の体操服の袖を肩まで捲ると義手の再装着を試みる。陽歌自身も直視したくなく、また多くの人も見たがらない切断の痕にもさなとミリアは眉一つ動かさずに作業する。

「うわ、これ結構頼りない接続なのね……」

「完全な状態でも結構外れやすいんじゃないの?」

 彼女達が苦言を呈したのは義手の接続方法であった。陽歌の義手は本体から続いているシリコンカバーの縮む力に頼った固定であり、肩口近くまで欠損している彼ではどうしても浅い接続になってしまう。加えて、同じ理由から義手の比重が大きく抜けやすさを助長する。申し訳程度に固定用のベルトがあるのだが、一人で付け外しするには難のある代物だ。完全な状態でもこの有様なのに、カバーやベルトが劣化しているため更に外れやすい。

「うーん、このまま付けても外れちゃう……」

 ミリアとさなが困っていると、猫の耳みたいな髪型をした金髪の女の子が何かを持ってやってきた。こちらは髪型がそれっぽいだけで、さなと違いケモミミではない。

「ジャンク交換の箱から使えそうなもの持ってきましたにー」

「お、ナルちゃん助かるよー」

 その女の子、ナルはキャラでも作っているのか外見も相まって猫の様な印象を受ける。彼女が持っていたのは、黒色をした球体関節人形の腕みたいなものだった。大きさは明らかに成人女性相当のものであった上、肉体と繋ぐための部品も存在しない。これをどうしようというのか。

「なるほど、この義手はマインド接続みたいだね」

「なにそれ?」

 さなが陽歌のうなじを見て義手の機能を判別する。ミリアは知らない様だが、陽歌も自分のことながら知識が無かった。なのでさなが簡単に説明する。

「脊髄に埋め込んだチップから神経信号を飛ばして義手を動かしているんだよ。あんまり良質じゃないけど、発信源が搭載されているなら話は早いね」

この技術は生身の手足が如く動かせて便利だが、円熟した技術とは言い難く非常に不安定だ。無線であることのデメリットが全面に出ている。

「んじゃ、このチップを軸に接続するね。これをこうして……」

さなは空中を指で叩いて何かを操作する。その瞬間、元々対して動かないとはいえ義手が陽歌の意識で動かせなくなったのだ。

「一回接続をリセット、そっちの腕に繋ぐよ」

次は不思議なことに、ナルの持っている腕が動き 出す。陽歌の意思によって、である。

「え? ええ?」

「規格が違うから結構無理やりだけど、その場凌ぎには十分かな?」

その腕を切断部に持っていくと、腕から黒い包帯の様な帯が飛び出して巻き付く。しっかり固定されているのに締め付けを感じない、不思議な感触であった。さらに、明らかに大きかったサイズも自動で調整され、重さも重すぎず軽すぎずという落ちつきを見せている。

「私の耳や尻尾を作ってるのと同じナノマシンの技術だよ。応急だけど地球のものよりは使いやすいんじゃないかな?」

「すごい……」

陽歌は謎の技術に感嘆するばかりであった。さすがに触覚までは取り戻せなかったが、以前の義手より言うことを聞く。もう片方の腕もこの新しい義手に取り換え、当面の問題は解決された。

 

 腕も無事復旧したところで、ミリアは陽歌に事情を聞いた。

「一体どうしたの? 吹上ホールの前で倒れてたけど……」

「ふきあげ……?」

 全く聞いたことのない地名であった。そもそも、ここに来た経緯も全く思い出せない。陽歌は記憶を辿ってみることにした。たしか、あれは金曜日のことだったはずだ。

「えっと……図書館に行ったら怒られて仕方なく帰ろうとして……そこから何も覚えてなくて……」

「ええ? 図書館に行って怒る大人っている?」

 さなの反応は考えてみれば自然なものであった。しかし、日時を考えれば怒られても仕方ないと陽歌は思っていたのでその部分については非常に言いにくかった。

「仕方ないよ……僕が悪いし……」

「図書館行って悪いこと無いよー。休みの日に勉強して偉いじゃん」

「お姉さんは毎日日曜日なのに遊んでばっかだもんね」

 ミリアとさなは一体何をしている人なのか分からないが、ごく普通の事を言って励ましてくれる。その時、ナルが近くに置いてあったトートバックを拾ってきた。ボロボロで隅には穴が開いている。生地からして随分と安っぽく、何かのオマケに配布された程度のものと思われる。

「もしかしたら何か手がかりがあるかもしれませんに」

「あ、僕の……」

 そのトートバックは陽歌のものだった。中にはくしゃくしゃになった教科書と数本の短い鉛筆と欠片の様な消しゴム、図書館で借りた本が入っていた。

「教科書はどこが何使ってるか分からないけど……四年生なのかな?」

 さなは教科書から彼の学年を判別する。背の順で並べば最前列という小ささなので見た目ではそうも思えまい。図書館の本には『金湧市立図書館』と書かれており、陽歌がどこから来たのかの手がかりになった。

「金湧市ね……えーっと」

 ミリアがスマホでその場所を調べる。すると、名古屋である吹上から距離の離れた、北陸に位置する都市であることがわかった。

「こんな遠くから?」

「しかし小学生で図書館に教科書持ち込んで勉強とは熱心で関心ですに……」

 ナルは教科書を開いて、中を見た瞬間即座に閉じた。その理由は陽歌には分かっている。中にはとても見るに堪えない罵詈雑言が書かれている。

「ま、まぁともかく、誰かさんに爪の垢でも煎じて飲ませたいですに……」

 何とも言えなかったナルに対し、さなはこれで大体の事情を察した。

「あー、最近学校が嫌なら図書館においでって活動してるもんね。それで図書館に行ったと……あれ? でも今日日曜日……?」

 しかしながら、自分で言いつつ矛盾に気づいた。学校に行きたくなくて図書館に行ったのなら、平日であるはずだ。陽歌も日曜日という言葉に驚愕する。

「日曜? だって今日は金曜……平日に学校サボったから怒られたんだし」

「つまり丸っと二日分の記憶が抜けてるってこと?」

 話を纏めると、さなは陽歌が二日も放浪した末ここに辿り着いた可能性に辿り着いた。

「大変! だったらすぐ帰らないと……!」

 事態を把握した陽歌は帰路に着こうとする。だが、立ち上がる力は残っていない。二日もぶっ通しで歩けば当然である。

「まぁ落ち着いて。まずは身体を休めることが重要だよ」

 ミリアは陽歌を留め、休息を取る様に言う。しかし、早く家に帰らないと怒られるという焦りが生まれており休むに休めないのが本音であった。そこに、さらに新たな人物が顔を出す。

「飯も食えん家に帰ってどうすんだ?」

 さなやナルに輪を掛けて小柄な長い黒髪の少女であった。何故か巫女の様な衣装を纏っており、その割に靴はブーツとよくわからない組み合わせであった。

「七耶ちゃん、頼んだもの買ってきてくれましたかに?」

「おう、バッチリだぞねこ」

「とら」

 ナルをねこ呼ばわりしたその少女は七耶というらしい。小さい体格に似合わず尊大な態度をしていて、陽歌は少し警戒した。手にはコンビニのビニール袋を持っており、その中の一つを渡す。それは随分分厚いサンドイッチであった。

「見ろ! 人気の具材が全部入ったスーパーサンドイッチだ!」

「何で全部乗せ買って来てるんですかに消化の良いものにして下さいに」

「全部乗せは万病に効く薬なんだよ!」

 謎理論であったが、とにかく自分に食べさせるためにこれを買って来てくれたという事実が陽歌には驚きであった。自分にここまで何かをしてくれる人がいるということ自体、初めてのことだったのでどう反応していいのか分からなかった。

「で、この小僧についてなんかわかったことはあるか?」

「遠くから二日も掛けて歩いてきたけど、その間の記憶が無いみたい」

「マジか……大丈夫なのか?」

 ミリアからの報告を受けた七耶は驚いたが、陽歌にとってはここまで事態が大きくなるのは初めてだが基本的なことは経験が無いわけではなかった。なので、普通に問題ないと答える。

「大丈夫……昔からの癖で、寝てる時にフラフラ歩いたりするみたい……」

「お前それ夢遊病ぢゃねーか」

「ハイジが山に帰れないストレスでなるやつですに」

 それはどうも彼女達にとって深刻な問題だったようだ。さなも心配なことがあるのか、質問を投げかける。

「最後にご飯食べたのいつ?」

「えっと……木曜の給食……は食べてないから水曜かな?」

 陽歌は記憶を辿って最後の食事を思い出す。もはや脳トレで質問される範囲である。

「水曜日の晩御飯?」

「晩御飯はお母さんが箱でカップ麺用意してくれるんだけど……最近、食べても吐いちゃって……」

「今すぐ食え! 死ぬぞ!」

 話を聞いた七耶はサンドイッチの包みを破って中身を陽歌の口に突っ込む。給食費を払っていないことで食べるなと言われたことはあっても、食えと言われたことは無かったので彼は反応に困りつつも素直に食べた。

「で、他に手がかりは……」

「借りてた本ですに」

 ナルは七耶に陽歌が借りていた本を見せる。数冊の厚いハードカバーで、児童向けでないことは初見で分かる。

「クライヴ・R・オブライエン著、『暴かれた深淵』、西城究著『機械仕掛けの友情』か……それに『仮面ライダーという名の仮面』までも。いいセンスだ」

 小学生とは思えない選書に七耶は一種の可能性を感じていた。

「あの、やっぱり帰ります……僕がいても迷惑だし……」

 当の陽歌は妙に優しい人々に居心地の悪さを感じ、帰ろうとする。とはいえ、この状態の子供を一人で交通手段や帰る方法も分からないのに見送るという選択は常識的に彼女達の中には無かった。

「そんなかっちりした場じゃないから休んでけって」

「ここは……?」

 陽歌は七耶に引き留められ、初めてここが何をしている場なのかという疑問が沸いた。やはりここは現実ではないのではないか、そう思った瞬間、衣服に沁み込んだ汗が蒸発して身体が冷える。反射的にくしゃみが出る。逆に言えば、くしゃみ出来るほどに回復したということだ。

「すまんな、着替えまではないからこれで我慢してくれ」

 七耶は陽歌に被せてあったパーカーを彼に着せる。我慢してくれだなんてとんでもなかった。寒くても雨で濡れても服が限られている陽歌には、上に羽織るもの一枚でもありがたかった。流石に大人のものなのでサイズは大きく、袖が余る。ただ、それさえもあまり見せたくない義手を隠すには丁度良かった。

 少し落ち着いたことで、改めて周囲の状況を確認する。数人の大人達が心配そうに陽歌の方を見たりしていた。彼にとってそんな眼で見られるのは初めてのことだった。

「おいおい」

「あいつ大丈夫か……?」

 着ている服のデザインが奇抜だったり、小人か妖精の様な小さい女の子を肩などに乗せているなど変なところはあったが、自分に危害を加える気が無いという何とも変な集団に陽歌は困惑する。

「ほう、義手萌え袖ですか……」

 そこに義手について言及する人物が現れた。ガスマスクの特殊部隊みたいな恰好という奇怪な格好をしていた。今まで好意的に捉えられたことが無かった部分なだけに、相手の妖しさもあって彼は胸の前で指を絡めて不安を露わにする。

「大したものですね」

 が、どんな罵声が飛んでくるかと思えば反応に困る言葉であった。が、続けて放たれるセリフで更に困惑へ叩き込まれる。

「義手も萌え袖も一般的な萌え要素だが、組み合わさった途端にマイナージャンルとなってしまう。ですがメカニカルなマニュピレーターが見せる人間特有の柔らかい動きというギャップを萌え袖が最大限に引き出すためハマった場合は抜け出せなくなる人も多いんですよ」

 正直何を言っているか分からないが、少なくとも否定的な意見ではないことはわかる。というかそれくらいしか分からない。

「なんでもいいけどよぉ」

「これは三次元なんだぜ?」

「肌荒れや髪の痛みは見られますが、手入れすればかなりのものになります。フェミニンな顔立ちにオッドアイも添えてバランスもいい」

 周囲からは『不気味だ』、『気持ち悪い』と言われていたオッドアイにかつてない評価が下され、陽歌はますます混乱する。変な会話が続く中、七耶は咳払いして話を切り替える。

「ここはプラモ関係のオフ会だな」

「プラモ?」

この場の説明をする七耶。一つひとつの単語が陽歌にとって縁遠いものであったため、何のことだかさっぱりである。

「あー、そこからか。まぁ知らん奴はとことん知らんこと出しな……。そうだな」

彼女は大量の箱が積まれた机に向かうと、適当な物を一つ手に取って持ってくる。その箱を開けると、中には枠で繋がった大量のパーツがぎっしり入っていた。

「プラモデルってのはこの状態のものを組み立てて、この完成図と同じものを作る玩具だ。説明書通りに組めば、簡単に完成させられるぞ」

「あれが全部……プラモデル?」

陽歌は机に並べられたロボットや女の子のフィギュアを見て呟いた。それらが全て、あの枠にはまったパーツを切り出して作り出されたというのか。

「で、オフ会ってのはネットで繋がった人間がリアルで集まるイベントだ」

「そう、なんだ……」

コンピューターに触れる機会の無い陽歌にとっては馴染みのない文化だが、どういうわけかそのオフ会をする集団に助けられたのは事実らしい。

「ま、お前もせっかく来たんならプラモデルが何なのか体験してけ」

「え……?」

七耶は唐突に提案する。陽歌はあんな難しそうなもの、例え生身の腕が残っていても出来るのか不安になった。随分マシになったとはいえ、触覚を持たない義手であるなら尚更だ。

「ほら、ちょうど簡単そうなものがあるぞ」

箱の山から七耶が持ってきたのは、小さい箱に入った丸いマスコットを作ると思われるプラモデルであった。

「こいつは道具がいらないんだ。とりあえずやってみろ」

「あ、うん……」

彼女の勢いに圧され、陽歌はその箱を開けてプラモデル作りに挑むことにした。中にはビニールに包まれた主に紺色のパーツが入っており、先ほど見たものより量は少なそうだ。説明書も紙一枚のみで工程も少ない。

「まずは中身が全部あるか確認するんだ」

言われた通りに、袋を開封し、説明書のパーツ一覧と照らし合わせる陽歌。新しい義手はビニール袋を開けるのもスムーズだった。よく見ると、指などには細かく指紋らしき模様が刻まれている。これがちょうどいい滑り止めになってくれているらしい。以前のものはシリコンカバーの摩擦で止めていたので、力を籠めるとカバーそのものが磨耗してしまった。

「よし、中身は全部あるな。ランナーとポリキャップ、そんでシールだ」

パーツの収まった枠のことはランナーと呼ぶらしい。後は説明書の指示通りに、組み立てるだけだ。

「普通はニッパーがいるんだが、このハロは手でパーツが取れるんだ」

 ランナーからパーツを外すのに道具は必要無かった。説明書に書かれたアルファベットと番号のパーツを手でもぎ取り、図と同じ様に組み立てていく。僅か数工程で丸いマスコット、ハロが完成する。色は紺色で、目は黄色だ。

「おお……」

 あの平らなパーツが固まって丸いものになったという事実に陽歌は胸の奥が熱くなる感覚を覚えた。この心の動きは何だろうか、彼には表現出来なかった。

何と見えなくなる中のメカも再現され、シールを貼らなくてもパーツの組み合わせで目の色を再現している。使わない手足のパーツも台座の下に仕舞って置ける便利仕様だ。

「おお、やるじゃないか。慣れてない奴はこれでも手こずるものだぞ?」

「ぁ……うん……」

 七耶は世辞なのか本心なのか分からないが、褒めてくれた。こんな風に誰かに褒められたことが無いので、陽歌は反応が出来なかった。

「慣れればここにある様なものも作れる様になるぞ」

 彼女は陽歌を様々な作品が並べられているところに連れていく。様々なロボットが置いてあり、これも同じプラモデルなのかと疑問が出てくるほどだ。ただ、よく見ると表面の質感が今作ったハロと違う。

 

   @

 

 しばらく陽歌はのんびり休んでいた。かなり体調もよくなってきた。

「さぁプレゼント交換会を始めるぞー!」

 七耶は集まった集団の前に出て、何かのイベントを始めようとしていた。どうやら、ホワイトボードの前に集まったプラモデルやらなんやらを融通するらしい。

「調子はどう?」

「あ……はい、大丈夫……です」

 ミリアに状態を聞かれ、反射的に大丈夫と答える陽歌。とはいえ、まだ身体の節々にある傷が痛む。

「湿布温まってきちゃったんじゃない? お姉さん替え持って来て」

「はーい」

 さながミリアに頼み事をする。彼女が立ち上がり、荷物の中から湿布を取り出そうとしようとするが急に何かに押しつぶされたかの様に地面へへばりつく。

「へぶ!」

「な、なにが……ぐっ……!」

 さなも足に力が入らないのか膝を付く。他の参加者やナル、七耶も同じ様な状態になっていた。陽歌だけが異常のない状態だ。

「え? 何これ?」

「何か重いモノが乗ってる?」

 陽歌は原因を探すため、あちこちを見渡した。すると、ぼんやりと風景が歪んで見えた。これはどうしたことか。さな曰く、何かが乗っかっているらしいが、彼女達の背を見てもその正体は掴めない。異変は空間の歪みだけだった。

「あれは!」

 歪みを陽歌が凝視していると、それは姿を現した。本やゲームソフトの箱、プラモデルやフィギュアの箱などが積み重なった塔の様な姿をした存在で、空中に浮かんでいる。そして塔の壁を作っている箱が一面だけ一部に穴が開き、そこから瞳の様なものが出現した。

「妖怪?」

『サァ、オ前ノ詰ミヲ数エロ!』

 妖怪は機械の様な声で一言だけ発する。それで七耶はピンときた様だ。

「なるほど、こいつは『詰み』の怨霊か! そいつが詰んだ分の重みを味あわせているんだ!」

「え?」

 怨霊、魑魅魍魎の類なのは確かなようだが、陽歌には『詰み』という概念が理解出来なかった。そこでさなは、なぜこの怨霊が発生したのかの経緯を説明しつつ詰みというものを陽歌に語った。

「モデラー、いや……あらゆる趣味を持つ人間は往々にして買った本を読まない、ゲームを遊ばない、プラモを組まない、フィギュアを箱から出さない。それを繰り返して詰んでいき、『詰み』と呼ばれるものを作る……!」

「なんで買ったものを使わないんです?」

 純粋な疑問として陽歌は聞いた。彼の様に恵まれない環境で育った人物だけでなく、普通の人も大体はこんな疑問を抱くだろう。七耶は重さに耐えながら心情を吐露する。

「買うペースに遊ぶペースが追い付かないんだ……。プラモやフィギュアは発売からすぐ買わないと店頭から消え、再販されない……。すぐに入手するのが確実だが、そのペースで増やしていけば当然作れない……そして詰みあがる!」

「それが怨霊になって……!」

 要するに放置された恨みが固まってしまったというのか。しかし、こんな超常現象をどう収めるべきか。

「お前らは避難しろ……」

 ガスマスクの人物が立ち上がり、ある装置の近くに行ってロボットのプラモデルを置いた。七耶はその様子を見て言った。

「お前……GPDの機械なんか使って何を……」

「俺は、ガンダムでいく!」

 機械を作動させ、青いロボット、ガンダムを発進させる。白と青のツートンにバイザーの顔が生える、剣を持ったロボだ。

「プラモデルが動いた!」

 陽歌は自分の作ったハロを思い出したが、動力などは入っていなかったはずだ。それがまるで本物かの様に緑の粒子を放って動いている。

「あれはガンプラデュエル……作ったプラモデルでバトルする為の機械だ。表面にナノマシンを塗布して動いているよ。あれで倒すつもり?」

 さなはガスマスクの人物がしようとしていることを予想した。

「行くぞアストレア!」

だが、何かが彼を押し潰す方が早く、ガンダムはコントロールを失う。

「グワーッ!」

「早えよ! 私達でも動けるのにお前は何を詰んでんだ!」

 七耶に聞かれたのでガスマスクは素直に答えた。

「マグアナック三十六機セットと幹部セットとサンドロックとフルドド四つにアドバンスドヘイズルと……」

「おいおいあいつ死ぬわ」

 三十を超えた時点で七耶は諦め、よくわからない陽歌もその危険性を何となく察する。

「何とかして対抗しますに!」

 ナルは敵を倒すべく、重さを背負って立ち上がる。立てなくなるほどの重さを外から加えられているというのは、かなり危険な状態だ。一刻も早く何とかしなければならない。

「必殺!」

「おお……」

 ナルは虎の様なオーラを纏い、何か技を出そうとしていた。陽歌も何とかなりそうだと期待する。

「タイガー魔法瓶!」

 叫びながら彼女が出したのは、一つの水筒だった。蓋がコップになっているタイプで、中には熱いお茶が注がれていた。それを飲んでナルは一服する。

「ふー……」

 その行為が怨霊の怒りを招いたのかは知らないが、ナルは見えない重量に潰される。

「にー!」

「何で回復技出した!」

 七耶の言うことも尤もである。今は攻撃が最優先だ。

「だったら私が……!」

 ミリアが今度は立ち上がる。そして、あるものを被って高らかに技名を叫ぶ。

「コットンガード! ミリアの ぼうぎょが ぐぐーんとあがった!」

 そんなものをなぜ用意していたのか、羊の毛を模した着ぐるみを着込んで防御を固める作戦に出た。正体の掴めない攻撃相手に、とても効果があるとは思えないが赤い上昇エフェクトが出たので多分何らかの恩恵はあるんだろうと陽歌は思った。

「お、重さが……増えた!」

 が、何故か増える重量に耐えきれずミリアは床に押し付けられた。さなには理由が分かったらしい。

「おねえさん、コットンガードは積み技だから『詰み』が増えるよ?」

「だれがわかるんだそんなもん」

 話を聞いた七耶はそう思うしかなかったらしい。まさに初見殺し。

「というかどいつもこいつも補助技ばっか使ってないで攻撃せんか!」

 回復したり防御したりしていては埒が明かない。攻撃しなければ。だが、さなはその試みすら無駄であると悟っていた。

「出来たらやってるよ。こいつ、実体がない」

「そうか……よく考えたら詰みの怨霊だからな……」

 正攻法では攻略不能。こうなっては打つ手なしかと思われたが、七耶が何かを思い出した。

「詰み……そうか! プレゼント交換会を続けるぞ!」

 こんな緊急事態に何を言っているのか、陽歌は全く分からなかった。立ち向かえないから逃げる、そうして生きて来た彼はどうにかここにいる人を逃がす方法を考えるので精一杯だった。

「ど、どういうこと?」

「いいか? このプレゼント交換会に出されたモンは買ったはいいが作らなかったプラモ、つまり詰みだ! この場で詰みが誰かの手に渡って詰みでなくなった瞬間、こいつの未練は消えるかもしれん!」

 つまりは、除霊ということだ。だが、問題があった。

「本当はみんなでじゃんけんをしないといけないんだが……私は詰みの重さで立ち上がることすらできん! お前だけが頼りだ! 逃げることもままならないみんなを救えるのはお前だけだ!」

 ここまで誰かに懇願されたことなど無かった陽歌は、頭の中が真っ白になる。それでも構わずに七耶はルールを説明していく。

「景品を持って、それが欲しい奴が立ち上がる! そしてそいつらとじゃんけんだ! あいこは負け、勝った奴だけが残る! それを繰り返して最後まで残った奴に景品を渡す。これを繰り返すんだ!」

 説明を聞く限り、この大人数の前に立ってじゃんけんをすることになるらしい。ただでさえ人の前に出たくない陽歌が、そんなこと出来るのか。彼は恐怖で震えた。歯の根が合わず、生身ではない腕で細い身体を抱きしめる。

「っ……」

 侮蔑の目で見られ、拳や石が飛んで来る。すっかり当たり前で慣れてしまった為何とも思わなくなっていたが、どうやら恐怖は深く刻まれていた様だ。自分が何とかしないといけない、そうは分かっていても身体が言うことを聞かないのだ。さなは口にしないそんな恐怖を分かってくれていた。

「七耶ちゃん、無理だよ。この子には荷が重すぎる」

 ただ、陽歌の中には恐怖とは異なる感情がもう一つ沸き上がっていた。自分に初めて優しくしてくれたみんなを助けたい。何とかしたいという思いがあった。

「僕は……」

 陽歌はゆっくりと参加者の前に足を向ける。時々恐怖に負けそうになるが、その度に頭を振ったり顔を叩いたりして恐れを振り払い、自分を奮い立たせる。

「……僕は……」

「小僧……」

 迷いのある陽歌に、七耶が声を掛ける。

「お前の中には本当の勇気がある。恐怖を知り、乗り越えようとする心が!」

 その言葉に押され、彼の足は強く歩みを刻む。誰かが、自分を励まして支えてくれる。それがとても暖かく、助けになった。

「僕が、みんなを助ける……!」

 陽歌は恐怖を跳ね除け、戦いの舞台へ向かった。

 

   @

 

 結論から言って、あの怨霊は七耶の予想通りプレゼント交換が進む度に力を失って参加者を縛る重力も弱まっていった。本当に詰みの怨霊だったらしく、部屋で埃を被っていた詰みが誰かに歓迎され、欲されることで未練が無くなっていったのだ。

「……」

 じゃんけんを主導した陽歌は精根尽き果て、パイプ椅子に座っていた。景品の量がとても多く、一時間以上に渡って本能的な恐怖を抑え続けるのはかなりの気力を費やした。

「ありがとう。君のおかげでみんなが助かったよ」

 ミリアが飲み物を持って来て彼を労う。不慣れな義手では開けるのが困難であると見越して、小さなペットボトルのオレンジジュースは既に蓋が開いている。

「あ、ありがとう……」

 自分が誰かにお礼を言える様なことをしてもらえるとは思ってなかったので、助けてくれたことも含めて陽歌はたどたどしく礼を言う。ゆっくり飲んだジュースの甘みが、疲れた心を癒してくれた。

(夢みたいな日だったな……)

 一回も痛い目に遭わず、お腹もいっぱいでまだこれが現実なのか曖昧な気分だった。少し瞼が重くなっても我慢する。今眠ってしまうと、この夢が覚めてしまいそうな気がしたのだ。

「で、どうする? 大体の住所は分かったが家の場所が分からないぞ?」

「というか今から北陸行く気ですかに?」

 ぼんやりした思考で陽歌は七耶とナルの会話を聞いていた。何かを相談している様だが、この話を聞いているとこれが現実なんだと思い知らされる。家に帰り、日常へ戻らないといけない。

「行けたとしても帰せるか? こんな状態になるまで放っておくような連中のとこに」

「それもそうですに」

 どうやら二人は何か考えているが、どんな理由があれど明日には学校があるので帰る必要が陽歌にはあった。ふらりと立ち上がると、彼は帰る為に歩き出す。

「今日は、ありがとうございました……僕、帰らなきゃ……」

「お、おい……」

 手段も道も分からない中、家へ帰ろうとする陽歌を七耶は止めようとする。そこにさなが割って入る。

「いい方法があるよ」

 そう言って、彼女は陽歌の前に立ちはだかる。そして瞬きほどの短い間に接近し、何かをした。

「お前も『家族』だ」

 そこから陽歌の意識は途切れた。

 

   @

 

 これは、傷を負った少年がホビーで心を取り戻す物語である。

 




 謎の集団に連れ去られた陽歌の運命はいかに?
 そして裏で動く大海都知事の陰謀とは?
 GBN、オリンピックを巻き込んだ騒動が今、巻き起こる!

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