騒動喫茶ユニオンリバー The novel 異端たる双眸   作:級長

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これは一年前、陽歌とユニオンリバーが邂逅した時の全記録である。


☆異端たる双眸、全貌

 これは、陽歌とユニオンリバーが出会った日、【編集済み】周目の2019年9月28日に起きた出来事の全てである。

 

 全ては二日前、26日の金曜日から始まった。

「ん、ん……」

 北陸にある金湧市、そのアパートの一室で目を覚ました少年がいた。寝具はタオルケット一枚与えられず、床で寝ている彼は右目が桜色、左目が空色のオッドアイをしていたが、その瞳は霞んで黒ずんでいた。まともな睡眠が取れるはずもなく、右目の泣き黒子を隠すほど隈は濃くなっている。

「う、うぅ……」

 曖昧な意識の中、少年は起き上がろうと手足も動かす。だが、力が入らない。両腕はよく出来ているが機械の義手だ。肌色のシリコンカバーはあちこちが裂け、反応も鈍っている。少年は擦り切れた体操服さえ大きく感じるほど小柄でやせ細っており、キャラメル色の髪も伸び放題であった。

太陽(ソーラー)、そろそろ学校よー」

「はーい」

 母親に起こされ、彼とは対象的に身綺麗な少年がランドセルを背負って登校の準備をする。

「お前もとっとと行け!」

「ぐっ……!」

 陽歌を乱暴に蹴り付け、母親は叩き起こす。ダイニングの机には弟たちが食べた朝食の痕跡が残っていたが、彼の分は無い。ふらつきながら玄関に向かい、殆ど原型の残っていない靴を履いて外へ出る。

 

 学校までの道は遠く、バスで行くのが通例となっている。しかし定期券はおろか一回のバス代も持っていない陽歌は残暑が降り注ぎ、アスファルトに照り返す中を歩いていかねばならない。吹き出す汗は無く、立つのもやっとな状態では記憶を頼りにルーチンワーク化して無意識に動くしかない。

(学校は……無理だ……)

 このまま学校へは辿り着けないだろうと陽歌は判断する。反対方向になるが、冷房の効いた図書館で身体を休めた方がいいだろう。彼は向きを変え、行き先を変更した。これが運命の分かれ道だと知らず。

 

   @

 

 この日、名古屋の吹上ホールであるイベントが開催されることになっていた。ユニオンリバーという組織がプラモデルのオフ会をすることになっていたのだ。スタッフはその準備の為、早めに会場を訪れていた。

「しまったな、地下鉄で来ればよかった……」

 大荷物を背負って会場へ来たのは、巫女装束を纏った黒髪の幼女。土地勘のない名古屋で地図を鵜呑みにして行動した結果、思ったより大変な目に遭ってしまった。彼女は攻神七耶、ユニオンリバーのメンバーの一人である。

「付いただけよしとしますに」

 仲間のルナルーシェン・ホワイトファングと共に静かな街を歩く。いくら週末でも早朝では人通りも少ない。名前の仰々しさの割に、七耶と大差ない年頃の猫っぽい髪型をした金髪の少女であった。

「とら」

 本人は虎のつもりらしいが……。

「いやー、今から二次会で飲むの楽しみですなー」

「お前昨日あんだけ飲んだろ……」

 引率と思わしき女性はこの始末。グラマラスな金髪のミステリアス美女、大人の色気にサイドアップの髪が可愛らしさを添えた誰もが振り向く麗しき華、といえば聞こえはいいが、口を開けば残念が流出する。見かけだけ美人ぶりに、七耶も呆れ果てる。

「よし、酔いつぶれたところを逆方面の新幹線でガンガンズダンダンしよう」

 実質的な保護者となっているのは身長だけ見れば七耶とナルより僅かに大きい黒髪の少女。この少女、さなは何かを感じ取ったのか突然狼か狐に見える耳と尻尾を生やした。

「んん?」

「どうした?」

「この匂いは……」

 さなは強い死臭を察知した。生えているのはケモ耳だが、嗅覚や視覚も獣相応に強化される様だ。彼女は走って会場まで向かう。すると、会場の自動ドアの前に、一人の少年が倒れているのを見つけた。

 そして、その傍に立つ黒い人影も。その人物は黒づくめの恰好で、仮面を身に着けているため素顔は分からない。

「おい、大丈夫か!」

 追ってきた七耶が慌てて少年に駆け寄る。人影は影となって虚空へかき消えてしまった。少年はこの人物の手に掛かったのだろうか。

胸に手を当て、呼吸も確認したが、両方無い。

「死んでる……」

「いや、これがありますに」

 少年の死を確認した七耶。だが、ナルがポケットからある液体が詰まった瓶を取り出した。

「お母さんの作ったラストエリクサー! 一か八か……」

「おお、なんか結局使わないで十年強保存されていたという……」

 瓶の中には何か鳥の羽らしきものも付け込まれていた。それを豪快に少年へぶっかける。

「そおい!」

「いや飲ますんと違うんかー!」

 思いの外雑な治療に七耶は思わず突っ込んだ。とはいえ息絶えた人間に薬を飲ませるのは困難である。とりあえず光り輝いて回復したっぽい音がしているので大丈夫だろう。

「げほっ……げほ……」

「あ、効いてるみたいだ」

 少年がせき込んで呼吸を取り戻す。意識は失ったままだが、命の危機は脱したらしい。

 

 後ほど合流したスタッフ、オメガボックス氏が介護職ということもあり適切な手当を一先ずすることが出来た。病院に行こうか考えたが、エリクサーのことを説明するのが面倒なのでやめることにした。明らかに死んでた人間が生き返ったので検査されたらもう目が当てられない。

「これでよし」

 手持ちの衣服を枕にしたり、クーラーで身体を冷やさない様にかけてあげたりして看護する。怪我は古い痣や擦り傷が多く、直近に負った重傷とは思えなかった。日常的な暴行が積み重なって息絶えたとみるのが正しいだろう。

「かなりやせ細ってるね。いきなり固形物は受け付けないだろうから、飲み物やゼリーを用意したよ」

「助かる。しかしどこから来たんだ?」

 オメガボックスから栄養補給用の物資を受け取り、七耶は少年の様子を見る。容態は安定しているが、何かにうなされているのか寝苦しそうだ。腕も切断されており、精神的に重い傷を抱えている可能性が高い。

「お前、一体どこから来たんだ……?」

 七耶は答えを帰さない少年に、独白に近い問いかけをする。手当てに邪魔だった髪をヘアピンで留めているが、長髪であることも相まって女の子にも見える。この年頃ではあまり性別の差などないだろうが。

 かつて、長い時を戦い抜いた兵器である七耶は知っている。自分の子供一人を守るために三つの文明を巻き込んだ戦いを起こした人間のことを。真相を知った時、ミイラ一体の為に多くのモノを失った者の叫びを。

 厄災を引き起こすほど愛される子供がいる一方、遠くの宇宙では誰にも助けられず死を迎えた子供がいる。それはなんと理不尽な差だろうか。

「私も全てを救えるなどど傲慢な考えはもっていないさ……」

 如何にこの地球を超越した三つの文明が結託して生み出した存在とはいえ、七耶、サーディオンはあくまで兵器でしかない。あらゆる宇宙にいる者を救うことは当然不可能だが、こうして出会ったこの少年くらいは助けたいと思うのであった。

 

   @

 

「でさー、もうすぐリライズ始まるじゃん?」

「全然サーティーミニッツのオプション見ねーな」

「ハイパーファンクションの再販はマジ嬉しいよね」

陽歌がボンヤリとした意識を徐々に覚醒させる。全く知らない単語が湧き出る会話が耳に届く。会話の意味は分からないが、楽しそうなことだけは感じることが出来た。

「あれ……?」

うっすら目を開く。太陽の光ではなく、蛍光灯の光がまず飛び込んでくる。

気付けば、見知らぬ天井を眺めながら空調の効いた部屋に寝かされていた。擦り傷には絆創膏、打撲には湿布と適切な処置がしてあり、床に寝かされているものの身体の下に誰かの上着が敷かれ、同じく服で枕やブランケットが構成されていた。

「ここ、どこ……?」

起き上がる力が無く、瞳だけを動かして状況を確認する。

「でさ、サンドロックなんだけど、バックパックが独自機構なんだわ」

「角度の付いた手首は使いやすいと思うけどなぁ」

相変わらず、回りの大人は意味の分からないことを言っている。とにかく、感覚の無い手を引きずり、立ち上がろうとする。感覚が無いのも無理はない。肌色で爪の造形もあるが、その両手は生身ではなく、義手なのだ。

「よいしょ……」

外見や動きこそ生身の手と変わらない様に見えるが、分厚いシリコンカバーが関節の駆動を阻害し、長い間メンテナンスを怠った為か殆ど出力も出ない上、反応も鈍い。シリコンも亀裂が入り、それをセロテープでふさいでいる有り様だ。

「あ、起きた起きたー」

「っ……!」

この状況を把握しようとしていると、ミリアが声を掛けて来た。陽歌は思わず身構える。ミリアはエメラルドグリーンの瞳で彼を見つめる。その表情は蠱惑的で、どこか秘密を抱えていそうながら柔らかな母性を湛えた暖かさもある。下手な女優やアイドルなんかよりも美人で、白のブラウスという夏服の薄さも相まってグラマラスなスタイルが映える。

「あ、えっと……」

陽歌は目をあちこちに泳がせ、言葉を詰まらせる。別に、目の前の女性が美女だからではない。大人を、否、他人を前にすると、どうしてもこうなってしまうのだ。

『こんなところで何をしているんだ! 迷惑だぞ!』

『黙っていないで何か言えよ!』

『言い訳ばかり言ってないで!』

頭の中に誰かの大声が反響する。こうなると、何も言う事が出来なくなってしまう。身体を恐怖に支配され、言葉が出てこない。

『うちの子が……大変申し訳ありません』

(僕は……違う、僕は……!)

 それはいつだったか、弟がしたことを母は自分に被せてくる。車のエンブレムをもいで集めたみたいな小さな悪戯から、線路に石を置いて電車を脱線させたというおぞましい行いまで全て。

 誰も守ってくれない。誰も信じてくれない。助けてほしくても、誰に何を言えばいいかわからない。次第に陽歌は言葉を失った。

「っ……」

頭に手を伸ばされると、反射的に身体が固まってしまう。確実に来るであろうダメージに、防御も回避もする力が無いので耐える準備しかできない。

殴られる、反射的にそう感じた彼の予想に反し、目の前の美女が伸ばした手は優しく頭を撫でたのであった。今までされたことの無い行為に、彼はどうしていいのか分からなくなった。

「え……?」

暫く困惑する彼に、その女性は優しく言った。その声は今まで会ったどんな人のモノよりも暖かかった。

「大丈夫だった? アスルトさんのクスリ、効くでしょ。お名前は? 私はミリア」

どうやら彼女が手当してくれたらしい。空腹感は未だ残っているが、眩暈や疲労が収まってかなり身体が楽だ。名前を聞かれたので、固まった喉を必死に動かしてやっとの思いで名乗る。

「陽歌、です……」

陽歌は何故自分がここにいるのか分からなかった。すっかり途中の記憶が抜けている。普段から意識が朦朧としており、記憶がすっぽ抜けている期間が多いので慣れたことではあったが。

やけに人が多い場所だが、彼らは一様に机へ乗せられた何かを見て会話をしている。陽歌から見れば異様な光景ではあったが、彼らからは今まで出会って来た人から感じた刺々しいものが見えない。

「陽歌くんっていうんだー。とりあえず、どこか痛いとことか無いかな?」

ミリアと名乗った女性は、彼が起き上がれる様に義手の手を握って引き起こす。

「あ……」

義手には触覚が無いのだが、手を握られた瞬間に陽歌の胸の奥で熱が沸き上がった。義手になってからというもの、クラスメイトは落とし物一つ触られるのを嫌がり、身体が触れようものなら大騒ぎ。生身の腕が残っていた頃も、誰かに手を繋いでもらったことなど無かった。

小柄で痩せている陽歌の身体を起こすのは女性のミリアでもかなり簡単なことであった。僅かに力を込めて引っ張るだけで、起き上がることが出来る。が、なんと義手が外れてすっぽ抜けてしまったのだ。

「あ」

これはミリアにも予想外だった。だが、倒れかけた陽歌の身体を支えた人物がいた。紺色の髪を伸ばした、彼と同い年くらいの少女だ。右目は前髪で隠れていて見えないが、瞳の色はミリアと同じグリーンであった。そして、驚くべきことに彼女の頭には狼か狐の様な耳が生えている。オーバーサイズの白いハイネックをそのまま着込んだ様なワンピースの短い裾からは、先端が白く髪色と同じ色のもふもふした尻尾が覗いている。

「……?」

この様子を見て、陽歌は自分が死んであの世に行ったのかと思ってしまった。明らかに現実のそれではない容姿の少女、そして都合のいいまでに優しい人々、これが現実とは到底思えなかった。

「気を付けてよねー。これ結構外れやすいみたいだから」

「はーい」

ケモミミの少女に指摘され、ミリアはそうだったと言わんばかりにとぼけた表情をする。黙っていればミステリアスな美女なのだが、口を開くと案外おちゃらけているのだろうか一気に砕けた印象を受ける。

「とりあえず付け直すよ。私はさな。よろしく」

ケモミミの少女はさなと名乗った。彼女は擦り切れてよれた陽歌の体操服の袖を肩まで捲ると義手の再装着を試みる。陽歌自身も直視したくなく、また多くの人も見たがらない切断の痕にもさなとミリアは眉一つ動かさずに作業する。

「うわ、これ結構頼りない接続なのね……」

「完全な状態でも結構外れやすいんじゃないの?」

彼女達が苦言を呈したのは義手の接続方法であった。陽歌の義手は本体から続いているシリコンカバーの縮む力に頼った固定であり、肩口近くまで欠損している彼ではどうしても浅い接続になってしまう。加えて、同じ理由から義手の比重が大きく抜けやすさを助長する。申し訳程度に固定用のベルトがあるのだが、一人で付け外しするには難のある代物だ。完全な状態でもこの有様なのに、カバーやベルトが劣化しているため更に外れやすい。

「うーん、このまま付けても外れちゃう……」

 ミリアとさなが困っていると、ナルが何かを持ってやってきた。

「ジャンク交換の箱から使えそうなもの持ってきましたにー」

「お、ナルちゃん助かるよー」

ナルはキャラでも作っているのか外見も相まって猫の様な印象を受ける。彼女が持っていたのは、黒色をした球体関節人形の腕みたいなものだった。大きさは明らかに成人女性相当のものであった上、肉体と繋ぐための部品も存在しない。これをどうしようというのか。

「なるほど、この義手はマインド接続みたいだね」

「なにそれ?」

 さなが陽歌のうなじを見て義手の機能を判別する。ミリアは知らない様だが、陽歌も自分のことながら知識が無かった。なのでさなが簡単に説明する。

「脊髄に埋め込んだチップから神経信号を飛ばして義手を動かしているんだよ。あんまり良質じゃないけど、発信源が搭載されているなら話は早いね」

この技術は生身の手足が如く動かせて便利だが、円熟した技術とは言い難く非常に不安定だ。その結果、握ったつもりでも手が動かなかったり、デフォルトの状態が開いた手に設定されていると信号途絶を無操作状態だと判断して何かを持っていても手を放してしまう。

 おまけに送信できる情報量が限られているので神経以上に深く繋がれるにも関わらず触覚のやり取りができない。ハッキングの危険も当然ある。

無線であることのデメリットが全面に出ている仕様だ。

「んじゃ、このチップを軸に接続するね。これをこうして……」

さなは空中を指で叩いて何かを操作する。その瞬間、元々対して動かないとはいえ義手が陽歌の意識で動かせなくなったのだ。

「一回接続をリセット、端末フォーマット。フリーのだけど義肢用のOSをインスコして……そっちの腕に繋ぐよ」

次は不思議なことに、ナルの持っている腕が動き出す。陽歌の意思によって、である。

「え? ええ?」

「規格が違うから結構無理やりだけど、その場凌ぎには十分かな?」

その腕を切断部に持っていくと、腕から黒い包帯の様な帯が飛び出して巻き付く。しっかり固定されているのに締め付けを感じない、不思議な感触であった。さらに、明らかに大きかったサイズも自動で調整され、重さも重すぎず軽すぎずという落ちつきを見せている。

「私の耳や尻尾を作ってるのと同じナノマシンの技術だよ。応急だけど地球のものよりは使いやすいんじゃないかな?」

「すごい……」

陽歌は謎の技術に感嘆するばかりであった。さすがに触覚までは取り戻せなかったが、以前の義手より言うことを聞く。もう片方の腕もこの新しい義手に取り換え、当面の問題は解決された。

 

    @

 

 腕も無事復旧したところで、ミリアは陽歌に事情を聞いた。

「一体どうしたの? 吹上ホールの前で倒れてたけど……」

「ふきあげ……?」

全く聞いたことのない地名であった。東海民ならばテレビコマーシャルでイベントの告知をする際、ちょくちょく耳にする場所ではある。だが、陽歌は北陸の人間。距離こそ近いが交通の便が悪く、名古屋は遠い街だ。

そもそも、ここに来た経緯も全く思い出せない。陽歌は記憶を辿ってみることにした。たしか、あれは金曜日のことだったはずだ。

「あの黒い人影に襲われたの?」

「え?」

 ミリアの口から出た黒い人影、そんなもの当然見てもいなければ心当たりもない。

「えっと……図書館に行ったら怒られて仕方なく帰ろうとして……そこから何も覚えてなくて……黒い人は、知らない」

「ええ? 図書館に行って怒る大人っている?」

さなの反応は考えてみれば自然なものであった。しかし、日時を考えれば怒られても仕方ないと陽歌は思っていたのでその部分については非常に言いにくかった。

「仕方ないよ……僕が悪いし……」

「図書館行って悪いこと無いよー。休みの日に勉強して偉いじゃん」

「お姉さんは毎日日曜日なのに遊んでばっかだもんね」

ミリアとさなは一体何をしている人なのか分からないが、ごく普通の事を言って励ましてくれる。その時、ナルが近くに置いてあったトートバックを拾ってきた。ボロボロで隅には穴が開いている。生地からして随分と安っぽく、何かのオマケに配布された程度のものと思われる。

「もしかしたら何か手がかりがあるかもしれませんに」

「あ、僕の……」

そのトートバックは陽歌のものだった。中にはくしゃくしゃになった教科書と数本の短い鉛筆と欠片の様な消しゴム、図書館で借りた本が入っていた。

「教科書はどこが何使ってるか分からないけど……四年生なのかな?」

さなは教科書から彼の学年を判別する。背の順で並べば最前列という小ささなので見た目ではそうも思えまい。図書館の本には『金湧市立図書館』と書かれており、陽歌がどこから来たのかの手がかりになった。

「金湧市ね……えーっと」

ミリアがスマホでその場所を調べる。すると、名古屋である吹上から距離の離れた、北陸に位置する都市であることがわかった。

「こんな遠くから?」

「しかし小学生で図書館に教科書持ち込んで勉強とは熱心で関心ですに……」

ナルは教科書を開いて、中を見た瞬間即座に閉じた。その理由は陽歌には分かっている。中にはとても見るに堪えない罵詈雑言が書かれている。猫を人にした様な彼女でもこの悪意と敵意の塊はそう長く直視出来るものではない。

「ま、まぁともかく、誰かさんに爪の垢でも煎じて飲ませたいですに……」

何とも言えなかったナルに対し、さなはこれで大体の事情を察した。

「あー、最近学校が嫌なら図書館においでって活動してるもんね。それで図書館に行ったと……あれ? でも今日日曜日……?」

しかしながら、自分で言いつつ矛盾に気づいた。学校に行きたくなくて図書館に行ったのなら、平日であるはずだ。陽歌も日曜日という言葉に驚愕する。

「日曜? だって今日は金曜……平日に学校サボったから怒られたんだし……」

「つまり丸っと二日分の記憶が抜けてるってこと?」

話を纏めると、さなは陽歌が二日も放浪した末ここに辿り着いた可能性に辿り着いた。

「大変! だったらすぐ帰らないと……!」

事態を把握した陽歌は帰路に着こうとする。だが、立ち上がる力は残っていない。方法は不明だが二日もぶっ通しで移動すれば当然である。

「まぁ落ち着いて。まずは身体を休めることが重要だよ」

ミリアは陽歌を留め、休息を取る様に言う。しかし、早く家に帰らないと怒られるという焦りが生まれており休むに休めないのが本音であった。そこに、さらに新たな人物が顔を出す。

「飯も食えん家に帰ってどうすんだ?」

さなやナルに輪を掛けて小柄な長い黒髪の少女であった。何故か巫女の様な衣装を纏っており、その割に靴はブーツとよくわからない組み合わせであった。

「七耶ちゃん、頼んだもの買ってきてくれましたかに?」

「おう、バッチリだぞねこ」

「とら」

ナルをねこ呼ばわりしたその少女は七耶というらしい。小さい体格に似合わず尊大な態度をしていて、陽歌は少し警戒した。手にはコンビニのビニール袋を持っており、その中の一つを渡す。それは随分分厚いサンドイッチであった。

「見ろ! 人気の具材が全部入ったスーパーサンドイッチだ!」

「何で全部乗せ買って来てるんですかに。消化の良いものにして下さいに」

「全部乗せは万病に効く薬なんだよ!」

謎理論であったが、とにかく自分に食べさせるためにこれを買って来てくれたという事実が陽歌には驚きであった。自分にここまで何かをしてくれる人がいるということ自体、久しぶりのことだったのでどう反応していいのか分からなかった。

「で、この小僧についてなんかわかったことはあるか?」

「遠くから二日も掛けてきたけど、その間の記憶が無いみたい」

「マジか……大丈夫なのか?」

 ミリアからの報告を受けた七耶は驚いたが、陽歌にとってはここまで事態が大きくなるのは初めてだが基本的なことは経験が無いわけではなかった。なので、普通に問題ないと答える。

「大丈夫……昔からの癖で、寝てる時にフラフラ歩いたりするみたい……」

「お前それ夢遊病ぢゃねーか」

「ハイジが山に帰れないストレスでなるやつですに」

それはどうも彼女達にとって深刻な問題だったようだ。さなも心配なことがあるのか、質問を投げかける。

「最後にご飯食べたのいつ?」

「えっと……木曜の給食……は食べてないから水曜かな?」

陽歌は記憶を辿って最後の食事を思い出す。もはや脳トレで質問される範囲である。

「水曜日の晩御飯?」

「晩御飯はお母さんが箱でカップ麺用意してくれるんだけど……最近、食べてもすぐ吐いちゃって……」

「今すぐ食え! 死ぬぞ!」

話を聞いた七耶はサンドイッチの包みを破って中身を陽歌の口に突っ込む。給食費を払っていないことで食べるなと言われたことはあっても、食えと言われたことは無かったので彼は反応に困りつつも素直に食べた。

「黒い人影に心当たりはないって」

「たしかに、怪我も古いものばかりだからあの場で襲われた、という感じではないな」

 肝心の人影に関する情報も無しと来ている。

「で、他に手がかりは……」

「借りてた本ですに」

 ナルは七耶に陽歌が借りていた本を見せる。数冊の厚いハードカバーで、児童向けでないことは初見で分かる。

「クライヴ・R・オブライエン著、『暴かれた深淵』、西城究著『機械仕掛けの友情』か……それに『仮面ライダーという名の仮面』までも。いいセンスだ」

小学生とは思えない選書に七耶は一種の可能性を感じていた。

「あの、やっぱり帰ります……僕がいても迷惑だし……」

当の陽歌は妙に優しい人々に居心地の悪さを感じ、帰ろうとする。とはいえ、この状態の子供を一人で交通手段や帰る方法も分からないのに見送るという選択は常識的に彼女達の中には無かった。

「そんなかっちりした場じゃないから休んでけって」

「ここは……?」

陽歌は七耶に引き留められ、初めてここが何をしている場なのかという疑問が沸いた。やはりここは現実ではないのではないか、そう思った瞬間、衣服に沁み込んだ汗が蒸発して身体が冷える。反射的にくしゃみが出る。逆に言えば、くしゃみ出来るほどに回復したということだ。

「すまんな、着替えまではないからこれで我慢してくれ」

七耶は陽歌に被せてあったパーカーを彼に着せる。我慢してくれだなんてとんでもなかった。寒くても雨で濡れても服が限られている陽歌には、上に羽織るもの一枚でもありがたかった。流石に大人のものなのでサイズは大きく、袖が余る。ただ、それさえもあまり見せたくない義手を隠すには丁度良かった。

少し落ち着いたことで、改めて周囲の状況を確認する。数人の大人達が心配そうに陽歌の方を見たりしていた。彼にとってそんな眼で見られるのは初めてのことだった。

「おいおい」

「あいつ大丈夫か……?」

着ている服のデザインが奇抜だったり、小人か妖精の様な小さい女の子を肩などに乗せているなど変なところはあったが、今まで他人に感じていた害意が無いという何とも変な集団に陽歌は困惑する。

「ほう、義手萌え袖ですか……」

そこに義手について言及する人物が現れた。ガスマスクの特殊部隊みたいな恰好という奇怪な格好をしていた。今まで好意的に捉えられたことが無かった部分なだけに、相手の妖しさもあって彼は胸の前で指を絡めて不安を露わにする。

「大したものですね」

が、どんな罵声が飛んでくるかと思えば反応に困る言葉であった。が、続けて放たれるセリフで更に困惑へ叩き込まれる。

「義手も萌え袖も一般的な萌え要素だが、組み合わさった途端にマイナージャンルとなってしまう。ですがメカニカルなマニュピレーターが見せる人間特有の柔らかい動きというギャップを萌え袖が最大限に引き出すためハマった場合は抜け出せなくなる人も多いんですよ」

正直何を言っているか分からないが、少なくとも否定的な意見ではないことはわかる。というかそれくらいしか分からない。

「なんでもいいけどよぉ」

「これは三次元なんだぜ?」

「肌荒れや髪の痛みは見られますが、手入れすればかなりのものになります。フェミニンな顔立ちにオッドアイも添えてバランスもいい」

周囲からは『不気味だ』、『気持ち悪い』と言われていたオッドアイにかつてない評価が下され、陽歌はますます混乱する。変な会話が続く中、七耶は咳払いして話を切り替える。

「ここはプラモ関係のオフ会だな」

「プラモ?」

この場の説明をする七耶。一つひとつの単語が陽歌にとって縁遠いものであったため、何のことだかさっぱりである。

「あー、そこからか。まぁ知らん奴はとことん知らんこと出しな……。そうだな」

彼女は大量の箱が積まれた机に向かうと、適当な物を一つ手に取って持ってくる。その箱を開けると、中には枠で繋がった大量のパーツがぎっしり入っていた。

「プラモデルってのはこの状態のものを組み立てて、この完成図と同じものを作る玩具だ。説明書通りに組めば、簡単に完成させられるぞ」

「あれが全部……プラモデル?」

陽歌は机に並べられたロボットや女の子の人形を見て呟いた。それらが全て、あの枠にはまったパーツを切り出して作り出されたというのか。

「で、オフ会ってのはネットで繋がった人間がリアルで集まるイベントだ」

「そう、なんだ……」

コンピューターに触れる機会の無い陽歌にとっては馴染みのない文化だが、どういうわけかそのオフ会をする集団に助けられたのは事実らしい。

「ま、お前もせっかく来たんならプラモデルが何なのか体験してけ」

「え……?」

七耶は唐突に提案する。陽歌はあんな難しそうなもの、例え生身の腕が残っていても出来るのか不安になった。随分マシになったとはいえ、触覚を持たない義手であるなら尚更だ。

「ほら、ちょうど簡単そうなものがあるぞ」

箱の山から七耶が持ってきたのは、小さい箱に入った丸いマスコットを作ると思われるプラモデルであった。

「こいつは道具がいらないんだ。とりあえずやってみろ」

「あ、うん……」

彼女の勢いに圧され、陽歌はその箱を開けてプラモデル作りに挑むことにした。中にはビニールに包まれた主に紺色のパーツが入っており、先ほど見たものより量は少なそうだ。説明書も紙一枚のみで工程も少ない。

「まずは中身が全部あるか確認するんだ」

言われた通りに、袋を開封し、説明書のパーツ一覧と照らし合わせる陽歌。新しい義手はビニール袋を開けるのもスムーズだった。よく見ると、指などには細かく指紋らしき模様が刻まれている。これがちょうどいい滑り止めになってくれているらしい。以前のものはシリコンカバーの摩擦で止めていたので、力を籠めるとカバーそのものが磨耗してしまう上に、必要な時は滑らないくせに止まって欲しい時は滑る厄介者であった。

「よし、中身は全部あるな。ランナーとポリキャップ、そんでシールだ」

パーツの収まった枠のことはランナーと呼ぶらしい。後は説明書の指示通りに、組み立てるだけだ。

「普通はニッパーがいるんだが、このハロは手でパーツが取れるんだ」

 ランナーからパーツを外すのに道具は必要無かった。説明書に書かれたアルファベットと番号のパーツを手でもぎ取り、図と同じ様に組み立てていく。僅か数工程で丸いマスコット、ハロが完成する。色は紺色で、目は黄色だ。

「おお……」

 あの平らなパーツが固まって丸いものになったという事実に陽歌は胸の奥が熱くなる感覚を覚えた。この心の動きは何だろうか、彼には表現出来なかった。

何と見えなくなる中のメカも再現され、シールを貼らなくてもパーツの組み合わせで目の色を再現している。使わない手足のパーツも台座の下に仕舞って置ける便利仕様だ。

「おお、やるじゃないか。慣れてない奴はこれでも手こずるものだぞ?」

「ぁ……うん……」

七耶は世辞なのか本心なのか分からないが、褒めてくれた。こんな風に誰かに褒められたことが無いので、陽歌は反応が出来なかった。

「慣れればここにある様なものも作れる様になるぞ」

 彼女は陽歌を様々な作品が並べられているところに連れていく。様々なロボットが置いてあり、これも同じプラモデルなのかと疑問が出てくるほどだ。ただ、よく見ると表面の質感が今作ったハロと違う。

 何か特別な加工をしているのだろう。同じ材料から生まれたとは思えないほど違うものへ変化していた。中には。泥の様な汚れが付いていたり、塗装が剥げているものもある。

「こういう、さも自然の中で汚れたかの様な加工はウェザリングっていうんだ。まぁ実際、このサイズの人型ロボットが雨露に晒されたらどうなるかなんて中々わからねぇからみんな想像だけどな」

 綺麗に作るだけではなく、汚すという方向もある。プラモデルとは奥の深い世界であった。

「お、どうやら生きてたみたいだねー」

「え……」

 自分の前に、手のひらサイズの少女が現れて陽歌はフリーズする。妖精……やはり自分は死んだのだろうか。濃い青髪をツインテールにした、猫耳の少女。白いバニーガールっぽいのも一緒にいる。

「なんだ、フレームアームズガールを知らないのか? 結構大きなニュースになっていたから詳しくなくても存在は聞いたことあると思ったがな」

「ふれ……?」

 七耶によるとこの少女達はフレームアームズガールと呼ばれる存在らしい。たしかにこのサイズの人型ロボットが自律で動いているのは驚異だ。技術的な革新でもあるのでニュースになっているだろう。とはいえ、最近の記憶自体曖昧なので見たとしても忘れていたのだろうか。

「私はフレームアームズガール、バーゼラルドですわ」

「スティレットだよー」

 バニーの方はバーゼラルド、青髪の方はスティレットと刀剣の名前が使われている様だ。何の法則性だろうか。どちらも緩い表情をしており、『武装(アームズ)』の名に偽りありという印象を受ける。

「こいつらはうちのフレームアームズガール、通称FAガールだ。他のモデラーが組んだ奴もいるから見ておくといいぞ」

 周囲を見渡すと、似ている様な違う様な、そんなフレームアームズガールが多数いた。

「なるほど、あなたは陽歌っていうのね」

 黒い装甲を纏った、ブルーグレーの長髪をポニーに結ったFAガールが机に乗ってきた。

「同じ、歌を名に持つ者同士仲良くしましょう。私は雷歌」

「あ、よろしく……」

 そんなことで、FAガールとも知り合うことになった。

「あなた、いい顔の造形してるのね。磨けば更に良くなる……所謂原石ね」

 彼女は顔の造形という今までされたことの無い方向から陽歌を褒めた。

「え、ああ……」

「でも男の子はここからが勝負よ。成長期になるとホルモンが行き渡ってしまうもの。男性的な美しさもそれはそれでいい物だけど、あなたの良さは希少よ。維持を考えるのなら、今からでも注力した方がいいわね」

「でも……僕……こんな目と髪だし……」

 外見を褒められたとはいえ、陽歌には大きな懸念があった。髪色と瞳色。どうやら生まれつきらしいが、誰とも違う異質な色になってしまっている。髪は黒染めを試みたが、ブリーチが肌に合わず断念。瞳色はどうすればいいのか分からない。

「? 髪は伸びてるけど、揃えればいいじゃない。目もしっかり寝て隈を取れば……」

「そうじゃなくて……色が……」

「人間って、しょっちゅうつまらないことに拘って他人を傷つけるのね」

 色の事に言及したが、雷歌は全く気にしていなかった。

「人間は他人に自分と同じでいることを強制するものね。私達を見てごらんなさい。むしろ他人と違う存在たれと作られている」

 周囲のFAガールを見ると、全く髪色も瞳色も、他とは異なる様に作られている。

「私達は違うことを許されない人間社会の反作用、なのかもね。でも、ここみたいにあなたを受け入れてくれる場所はあるわ。子供が見られる世界は狭いもの、たった九年の学校が世界の全てになってしまう。ここを見られたのは、あなたにとってよかったのかもね」

 たしかに、と陽歌は思った。自分がいた街では、殆どが自分のことを異端の鬼子と見た。だが、ここではそんなことはない。それに、あの街でも僅かだがまともに接してくれた人はいた。そういう人ほど街を離れてしまったので、多分あの街が変なのだろうか。

「世界って、広いんだなぁ」

 陽歌がぼんやりしていると、突然扉が切り裂かれて破片が彼へ飛んで来る。

「え?」

「危ない!」

 唖然とする陽歌だったが、雷歌が破片を吹き飛ばしたので事なきを得た。だが、自身の身体より大きい破片を防いだせいで腕を損傷してしまう。

「雷歌……! そんな……僕のせいで……」

 自分を守ろうとして雷歌が傷ついたことに動揺する陽歌。

「別に……あなたでなくても人が怪我しそうなら守るわ。で、闖入者はどこの馬の骨?」

 雷歌は軽くやり過ごすと、窓を斬った存在を見据える。

「雷歌!」

「あら、マスター。遅いじゃない」

 雷歌の所有者らしきガスマスクの男がやってくる。陽歌は彼女が傷ついたことで何か言われるのではないかと身構えたが、彼は真っ先に陽歌の心配をする。

「怪我はないな……よかった」

「え……?」

「プラモならいくらでも直せるが、人間ってのは当たり所が悪いだけで取返しがつかんもんだ」

 当然と言えば当然、なのだが陽歌にとっては久しく忘れていたことだ。橋から川に突き落とされ、面白半分にバットで殴られ、ことあるごとに拳を浴びてきた彼にとっては。人間、自分が大事にされないと他人を大事にすることも忘れてしまうのかと陽歌は少しぞっとした。

「さて、入り込んだ虫は他の子に相手をしてもらおうかしらね」

「そうだな。とりあえず仕事はしたからな」

 雷歌はマスターと共に撤退する。スティレットとバーゼラルドが床でその犯人を見据えていた。相手も、同じフレームアームズガールの様だ。

「ふん……うじゃうじゃと群れて、気に食わないな」

 敵は水色のショートヘアにスク水の様なデザインのスーツを着込んだFAガール。背中には大型の機械ユニットを背負っている。陽歌はその姿より目つきが気になった。

(なんだろう……この感じ……)

 言葉には言い表せないが、既視感を覚えた。

「フレズヴェルクタイプのデフォルトか。スティ子、バゼ子、油断するな」

 七耶は何かを準備しながら、二人に声を掛ける。六角形の台座に、壁の様なラックが付いている。

「おーけー」

「私達の相手ではありませんわね」

 前に出た二人を別々に見て、フレズヴェルクという少女は大げさに溜息をつく。

「はぁ、人間の手にかかるとこうも腑抜けるのだな。別の機種ながら情けない……」

 陽歌は「これあれ? なんかSFでありがちなロボットの反乱?」などと思ってやはり自分が死んだのではないかと疑ってしまう。開けロイトビカムヒューマンである。

「人に飼い慣らされたその姿、見るに堪えん! この場で引導を渡す!」

「何かくれるの?」

 スティレットは引導を理解しておらず、クリアの刃が付いたトンファーの様な武器を向けられているのに、わーいとフレズヴェルクに近寄っていく。確かに見るに堪えない光景なので思わず陽歌が止める。

「待って! 引導って殺すってことだよ!」

「ええ! そんな物騒な! ロボット三原則はどこにいったのさ!」

「なんでそっちは知ってるの……」

 スティレットは完全に何か貰えるつもりだったのか、本気で驚いていた。引導という言い回しを知らない割にロボット三原則はスッと出てくるので陽歌も困惑する。

「誰が、人間が一方的に決めた、そんな奴隷条約に従うか」

 フレズヴェルクは知ってて破っている様子。

「そもそもロボット三原則が初めて出て来たアイザック・アシモフの『私はロボット』からしてその三原則の矛盾を描いたお話だよ……」

「ハナっから矛盾してたのか! これだから人間は……奴隷共を切り伏せたら貴様らも後を追わせてやる!」

 もう無茶苦茶である。FAガールにどの程度、行動の制限が掛かっているか不明だが、この様子では最低限の順法精神も期待できなさそうだ。こんな小さなロボットで人が殺せるのか、と思いそうだが、扉を切り裂いた剣があれば十分可能だろう。

「おい、なんのつもりだ?」

 その時、フレズヴェルクは怪訝そうに七耶を見る。

「何って、ガール同士のバトルならセッションだろ? セッションベース」

「タイマンでやろうっての? 私は別に、ここにいる全員一斉に来ても勝てるけど?」

 彼女はぎろりと睨む様に会場の全員を一瞥する。その目は敵意に満ちていたが、陽歌には違うものを感じた。

(あの目……敵って感じなのに、他の人から感じたものが無い……)

 敵意を終始向けられて生活してきた陽歌には分かる。この目は、自分に向けられてきたものとは違う。むしろ、フレズヴェルクは『こちら側』ではないか? という疑問が生まれる。

「ま、私の環境利用戦法が怖いってのなら、話に乗ってやるがな」

 フレズヴェルクはしばらく考えてセッションベースという台座に乗った。スティレットが乗ると、光の柱が上へ伸びていき、空間を作る。

「スティレット!」

「フレズヴェルク……」

「「フレームアームズガール、セッション!」」

 二人は試合開始の挨拶らしき言葉を交わす。あの態度のフレズヴェルクもキッチリ言っているのは、そうしないとフィールドに入れないからなのか、それとも単にそうプログラムされているからなのか。

「いくよー!」

「轢き潰す……!」

 そして二人はフィールドに入っていく。戦場は荒野。果たしてこれがどちらに利を与えるものか、それは陽歌に分からないことだ。

「殺す!」

 開始直後に、フレズヴェルクが背負ったユニットを吹かして斬りかかる。スティレットも背中のブースターを使って飛翔し、回避行動をとる。先ほどの緩かった表情は鳴りを潜め、端正な顔つきの美少女へとその印象を変える。

「ん?」

 陽歌は二人の出すブースト音が気になった。音が違うのだ。スティレットの方は静かであったが、フレズヴェルクの方は異音がする。しばらく飛行による接戦が続く。フレズヴェルクが攻めている様に見えるが、もたもたしているスティレットを捉えられる気配がない。

「殺す! ここにいる人間も、それに飼いなさられたFAガールも全て!」

 殺意に満ちた言動とは裏腹に、攻めあぐねるフレズヴェルク。武器は銃としても使える様だが、時折思った様に発砲出来ていなかった。

「あのポンコツ、戦い慣れてないからな……」

「シリアスモードが切れたらおしまいですに」

 七耶とナルはスティレットが勝つとは思ってはいなかった。どうも、あのかっこいい状態は集中モードで制限時間があるらしい。それはよく知られているのか、他のマスターも自分のガールを調整して連戦に備えている。

「これって……」

 陽歌はふと、フレズヴェルクの背負っているユニットの汚れを見つける。この戦闘で付いた砂埃ではない。雨による水滴の痕らしき汚れだ。先ほどのウェザリングだとしたら目立たな過ぎる。つまり、これは正真正銘、雨を受けての汚れだ。

「あー、もうだめ……」

 スティレットの集中が途切れ、緩い表情に戻る。フレズヴェルクは畳み掛けんとブーストで迫った。

「スティレット! もっとフレズヴェルクに背中の機械を使わせて!」

「ん? こう?」

 スティレットは持っていたスナイパーライフルを乱射する。精密ではないものの、大雑把に自分を狙った攻撃に、フレズヴェルクは回避せざるをえなかった。

「悪あがきを!」

 短ブーストによる最小限の回避、しかしそれが仇となった。突如、背中のユニットが煙を吹いて動かなくなったのだ。

「何? 馬鹿な!」

 急に推力を失ったフレズヴェルクは動きをコントロール出来ず、地面へ激突し派手に転倒した。

「く……何が……」

「背中のユニットが壊れた! でもなんで……」

 ミリアはユニットの破損に気づく。だが原因までは分からなかった。さなはそこまで理解した上で陽歌に聞く。

「そうか、FAガールは生活防水とはいえ水濡れ厳禁。雨に降られてユニットが不調だったのに陽歌くんは気づいていたんだね」

「えっと……そうですね……」

 陽歌にとっても賭けではあったが、どうやら勝ったらしい。

「馬鹿にしやがって……馬鹿にしやがって!」

 フレズヴェルクのHPは勝手に減少していく。ユニットが熱暴走を起こし、スリップダメージを与えているのだ。地面に激突した分も含めて、彼女のHPは0になってしまった。

『winner スティレット』

 勝負はスティレットの勝ち。セッションベースから戻ってきたフレズヴェルクであったが、ユニットの破損は継続していた。

「ふざけるなよ……こんなお遊戯に負けたくらいで私が!」

 再び立ち上がってスティレットに斬りかかろうとするフレズヴェルク。だが、そこへ雷歌がやってきてロングスピアを構える。

「今のあなたなら、片腕の私でも倒せそうだけど」

「くそがあああぁああ!」

 咆哮と共に剣を振るうフレズヴェルクだったが、槍で簡単に弾かれてしまう。他のガールも集まってしまい、徐々に旗色が悪くなる。

「く……」

「待って!」

 陽歌がフレズヴェルクとガール達の間に入る。最初に敵意を向けてきたのは彼女とはいえ、こうも状況が悪いと自分と重なってしまい見ていられなかったのだ。

「フレズヴェルク……」

 とはいえ、彼女に掛ける言葉も思いつかない。それが余計に、フレズヴェルクの怒りを買ってしまう。

「ふざけるな! ふざけるな! 馬鹿野郎!」

 彼女を拾おうとする手に、フレズヴェルクは攻撃を続ける。義手には傷一つ付かない、罵声を浴びせられているのに、陽歌はいつも感じていた痛みが無かった。

「人間に同情までされるのか! 私はそこまで、堕ちていない! お前も! お前も! お前も! 善人ぶって、人間なんか私達を道具以下にしか思っていないくせに! みんな、生ごみみたいな中身を人型に取り繕っているだけのくせに!」

 近くにいた陽歌だけが気づくことが出来た。フレズヴェルクの憎悪に満ちた顔、その瞳に涙が浮かんでいたことを。

「フレ……わっ!」

 フレズヴェルクに声を掛けようとした陽歌だったが、何かを投げつけられて思わず手で防御した。床に落ちたものを確認すると、それは故障したユニットであった。フレズヴェルク当人は走り去ってしまった。

「フレズヴェルク!」

 嵐の様に過ぎ去った乱入者は、こうして姿を消した。だが、この時二人は知らなかった。妙な縁で繋がり、また出会うことを。

 

   @

 

「……」

「どうした? あのフレズヴェルクのことか?」

 陽歌はぼんやりと先ほどのフレズヴェルクという少女のことを考えていた。七耶はそれを見抜いている様だった。

「あいつの言葉を否定できないんだな……ま、死に目に遭えばそうも思うさ」

 フレズは人間を明白に憎んでいた。陽歌には憎悪というほどの強い感情は無かったが、他人への恐怖はあった。

 もしこの感情が強くなれば、自分も彼女の様に思ったかもしれない。こんなに優しい人達に囲まれているのに、何故かフレズの言葉に、首を横へ振ることが出来なかった。

「逆だったかもしれない……もしかしたら、僕も助けてもらえても、ああやって突っぱねたかもしれない……」

「でも、ちゃんと助けられたな、お前は。私達に会う前にも、少しは助けになってくれた奴がいんだろ?」

 七耶はそこが陽歌とフレズヴェルク最大の違いだと思っていた。FAガールはどうあがいても生きている年数が短い。それも、多感な十歳前後の知識と精神を積んだまま、だ。そして、繊細な様で妙に丈夫。電気さえあれば活動でき、故障しても最悪パーツ交換でどうとでもなり、不調を引きずらない。

だが、人間は徐々に、長い時間をかけて成長する。そして弱く、特に子供は何かが欠けただけで容易に死んでしまう。陽歌がこの歳まで生きられたのは、誰かが助けてくれたことの証拠だ。

「うん、一年の頃だけ引っ越しちゃったけど友達がいたよ。僕に図書館へ行くことを教えてくれた人もいる。短い間だけの友達も、もう一人……」

「そうか。友達に恵まれたな、こういうのは量より質だ」

 肝心の大人が手を差し伸べていないが、同世代の友達は可能な限り彼の生存を助けてくれていた。

「お、もうこんな時間か」

 ドタバタで忘れていたが、もう昼を過ぎていた。何か予定があるらしい。

「さぁプレゼント交換会を始めるぞー!」

七耶は集まった集団の前に出て、何かのイベントを始めようとしていた。どうやら、ホワイトボードの前に集まったプラモデルやらなんやらを融通するらしい。

「調子はどう?」

「あ……はい、大丈夫……です」

ミリアに状態を聞かれ、反射的に大丈夫と答える陽歌。とはいえ、まだ身体の節々にある傷が痛む。

「湿布温まってきちゃったんじゃない? お姉さん替え持って来て」

「はーい」

 さながミリアに頼み事をする。彼女が立ち上がり、荷物の中から湿布を取り出そうとしようとするが急に何かに押しつぶされたかの様に地面へへばりつく。

「へぶ!」

「な、なにが……ぐっ……!」

 さなも足に力が入らないのか膝を付く。他の参加者やナル、七耶も同じ様な状態になっていた。陽歌だけが異常のない状態だ。

「え? 何これ?」

「何か重いモノが乗ってる?」

 陽歌は原因を探すため、あちこちを見渡した。すると、ぼんやりと風景が歪んで見えた。これはどうしたことか。さな曰く、何かが乗っかっているらしいが、彼女達の背を見てもその正体は掴めない。異変は空間の歪みだけだった。

「あれは!」

 歪みを陽歌が凝視していると、それは姿を現した。本やゲームソフトの箱、プラモデルやフィギュアの箱などが積み重なった塔の様な姿をした存在で、空中に浮かんでいる。そして塔の壁を作っている箱が一面だけ一部に穴が開き、そこから瞳の様なものが出現した。

「妖怪?」

『サァ、オ前ノ詰ミヲ数エロ!』

 妖怪は機械の様な声で一言だけ発する。それで七耶はピンときた様だ。

「なるほど、こいつは『詰み』の怨霊か! そいつが詰んだ分の重みを味あわせているんだ!」

「え?」

 怨霊、魑魅魍魎の類なのは確かなようだが、陽歌には『詰み』という概念が理解出来なかった。そこでさなは、なぜこの怨霊が発生したのかの経緯を説明しつつ詰みというものを陽歌に語った。

「モデラー、いや……あらゆる趣味を持つ人間は往々にして買った本を読まない、ゲームを遊ばない、プラモを組まない、フィギュアを箱から出さない。それを繰り返して詰んでいき、『詰み』と呼ばれるものを作る……!」

「どうして買ったものを使わないんです?」

 純粋な疑問として陽歌は聞いた。彼の様に恵まれない環境で育った人物だけでなく、普通の人も大体はこんな疑問を抱くだろう。七耶は重さに耐えながら心情を吐露する。

「買うペースに遊ぶペースが追い付かないんだ……。プラモやフィギュアは発売からすぐ買わないと店頭から消え、再販されない……。すぐに入手するのが確実だが、そのペースで増やしていけば当然作れない……そして詰みあがる!」

「それが怨霊になって……!」

 要するに放置された恨みが固まってしまったというのか。しかし、こんな超常現象をどう収めるべきか。

「お前らは避難しろ……」

 ガスマスクの人物が立ち上がり、ある装置の近くに行ってロボットのプラモデルを置いた。彼は雷歌のマスターである。七耶はその様子を見て言った。

「お前……GPDの機械なんか使って何を……」

「俺は、ガンダムでいく!」

 機械を作動させ、青いロボット、ガンダムを発進させる。白と青のツートンにバイザーの顔が生える、剣を持ったロボだ。

「プラモデルが動いた!」

 陽歌は自分の作ったハロを思い出したが、動力などは入っていなかったはずだ。それがまるで本物かの様に緑の粒子を放って動いている。

「あれはガンプラデュエル……作ったプラモデルでバトルする為の機械だ。表面にナノマシンを塗布して動いているよ。あれで倒すつもり?」

 さなはガスマスクの人物がしようとしていることを予想した。

「行くぞアストレア!」

だが、何かが彼を押し潰す方が早く、ガンダムはコントロールを失う。

「グワーッ!」

「早えよ! 私達でも動けるのにお前は何を詰んでんだ!」

 七耶に聞かれたのでガスマスクは素直に答えた。

「マグアナック三十六機セットと幹部セットとサンドロックとフルドド四つにアドバンスドヘイズルと……」

「おいおいあいつ死ぬわ」

 三十を超えた時点で七耶は諦め、よくわからない陽歌もその危険性を何となく察する。

「何とかして対抗しますに!」

 ナルは敵を倒すべく、重さを背負って立ち上がる。立てなくなるほどの重さを外から加えられているというのは、かなり危険な状態だ。一刻も早く何とかしなければならない。

「必殺!」

「おお……」

 ナルは虎の様なオーラを纏い、何か技を出そうとしていた。陽歌も何とかなりそうだと期待する。

「タイガー魔法瓶!」

 叫びながら彼女が出したのは、一つの水筒だった。蓋がコップになっているタイプで、中には熱いお茶が注がれていた。それを飲んでナルは一服する。

「ふー……」

 その行為が怨霊の怒りを招いたのかは知らないが、ナルは見えない重量に潰される。

「にー!」

「何で回復技出した!」

 七耶の言うことも尤もである。今は攻撃が最優先だ。

「だったら私が……!」

 ミリアが今度は立ち上がる。そして、あるものを被って高らかに技名を叫ぶ。

「コットンガード! ミリアの ぼうぎょが ぐぐーんとあがった!」

 そんなものをなぜ用意していたのか、羊の毛を模した着ぐるみを着込んで防御を固める作戦に出た。正体の掴めない攻撃相手に、とても効果があるとは思えないが赤い上昇エフェクトが出たので多分何らかの恩恵はあるんだろうと陽歌は思った。

「お、重さが……増えた!」

 が、何故か増える重量に耐えきれずミリアは床に押し付けられた。さなには理由が分かったらしい。

「おねえさん、コットンガードは積み技だから『詰み』が増えるよ?」

「だれがわかるんだそんなもん」

 話を聞いた七耶はそう思うしかなかったらしい。まさに初見殺し。

「というかどいつもこいつも補助技ばっか使ってないで攻撃せんか!」

 回復したり防御したりしていては埒が明かない。攻撃しなければ。だが、さなはその試みすら無駄であると悟っていた。

「出来たらやってるよ。こいつ、実体がない。攻撃しても当たらないよ」

「そうか……よく考えたら詰みの怨霊だからな……」

 正攻法では攻略不能。こうなっては打つ手なしかと思われたが、七耶が何かを思い出した。

「詰み……そうか! プレゼント交換会を続けるぞ!」

 こんな緊急事態に何を言っているのか、陽歌は全く分からなかった。立ち向かえないから逃げる、そうして生きて来た彼はどうにかここにいる人を逃がす方法を考えるので精一杯だった。

「ど、どういうこと?」

「いいか? このプレゼント交換会に出されたモンは買ったはいいが作らなかったプラモ、つまり詰みだ! この場で詰みが誰かの手に渡って詰みでなくなった瞬間、こいつの未練は消えるかもしれん!」

 つまりは、除霊ということだ。だが、問題があった。

「本当はみんなでじゃんけんをしないといけないんだが……私は詰みの重さで立ち上がることすらできん!」

 ここにいる人間がほぼ全員、詰みの重さで動くことができない。除霊方法であるプレゼント交換会を問題なく進行出来る人物が残っていないのだ。

「お前だけが頼りだ! 逃げることもままならないみんなを救えるのはお前だけだ!」

 だが、全く詰みが無く影響を受けていない陽歌だけは動くことが出来る。彼なら進行出来る。

ここまで誰かに懇願されたことなど無かった陽歌は、頭の中が真っ白になる。それでも構わずに七耶はルールを説明していく。

「景品を持って、それが欲しい奴が立ち上がる! そしてそいつらとじゃんけんだ! あいこは負け、勝った奴だけが残る! それを繰り返して最後まで残った奴に景品を渡す。これを繰り返すんだ!」

説明を聞く限り、この大人数の前に立ってじゃんけんをすることになるらしい。ただでさえ人の前に出たくない陽歌が、そんなこと出来るのか。彼は恐怖で震えた。歯の根が合わず、生身ではない腕で細い身体を抱きしめる。

「っ……」

 侮蔑の目で見られ、拳や石が飛んで来る。すっかり当たり前で慣れてしまった為何とも思わなくなっていたが、どうやら恐怖は深く刻まれていた様だ。自分が何とかしないといけない、そうは分かっていても身体が言うことを聞かないのだ。さなは口にしないそんな恐怖を分かってくれていた。

「七耶ちゃん、無理だよ。この子には荷が重すぎる」

 ただ、陽歌の中には恐怖とは異なる感情がもう一つ沸き上がっていた。自分に初めて優しくしてくれたみんなを助けたい。何とかしたいという思いがあった。

「僕は……」

 陽歌はゆっくりと参加者の前に足を向ける。時々恐怖に負けそうになるが、その度に頭を振ったり顔を叩いたりして恐れを振り払い、自分を奮い立たせる。

「……僕は……」

「小僧……」

 迷いのある陽歌に、七耶が声を掛ける。

「お前の中には本当の勇気がある。恐怖を知り、乗り越えようとする心が!」

 その言葉に押され、彼の足は強く歩みを刻む。誰かが、自分を励まして支えてくれる。それがとても暖かく、助けになった。

「僕が、みんなを助ける……!」

 陽歌は恐怖を跳ね除け、戦いの舞台へ向かった。

「僕にだって……勇気があるんだ!」

 無意識に口から出た言葉。それと同時にあるビジョンが脳裏に過る。

 街を破壊する怪獣、それに立ち向かおうとする自分。これがいつの記憶なのか、それとも疲弊した脳が何かのごっこ遊びの願望をさも本物かの様にねつ造しているのか。

「おお、ゼアスの主題歌の……」

「あいつも最初は戦えなかったんだよなぁ」

 言葉に反応した参加者が口々に思い出を語る。普遍的な言葉であるが何かの主題歌と被ったらしい。みんなに背中を押してもらいながら、陽歌は前へと進む。

 

   @

 

 結論から言って、あの怨霊は七耶の予想通りプレゼント交換が進む度に力を失って参加者を縛る重力も弱まっていった。本当に詰みの怨霊だったらしく、部屋で埃を被っていた詰みが誰かに歓迎され、欲されることで未練が無くなっていったのだ。

「……」

 じゃんけんを主導した陽歌は精根尽き果て、パイプ椅子に座っていた。景品の量がとても多く、一時間以上に渡って本能的な恐怖を抑え続けるのはかなりの気力を費やした。

「ありがとう。君のおかげでみんなが助かったよ」

 ミリアが飲み物を持って来て彼を労う。不慣れな義手では開けるのが困難であると見越して、小さなペットボトルのオレンジジュースは既に蓋が開いている。

「あ、ありがとう……」

 自分が誰かにお礼を言える様なことをしてもらえるとは思ってなかったので、助けてくれたことも含めて陽歌はたどたどしく礼を言う。ゆっくり飲んだジュースの甘みが、疲れた心を癒してくれた。

(夢みたいな日だったな……)

 一回も痛い目に遭わず、お腹もいっぱいでまだこれが現実なのか曖昧な気分だった。少し瞼が重くなっても我慢する。今眠ってしまうと、この夢が覚めてしまいそうな気がしたのだ。

「で、どうする? 大体の住所は分かったが家の場所が分からないぞ?」

「というか今から北陸行く気ですかに?」

 ぼんやりした思考で陽歌は七耶とナルの会話を聞いていた。何かを相談している様だが、この話を聞いているとこれが現実なんだと思い知らされる。家に帰り、日常へ戻らないといけない。

「行けたとしても帰せるか? こんな状態になるまで放っておくような連中のとこに」

「それもそうですに」

 どうやら二人は何か考えているが、どんな理由があれど明日には学校があるので帰る必要が陽歌にはあった。ふらりと立ち上がると、彼は帰る為に歩き出す。

「今日は、ありがとうございました……僕、帰らなきゃ……」

「お、おい……」

 手段も道も分からない中、家へ帰ろうとする陽歌を七耶は止めようとする。そこにさなが割って入る。

「いい方法があるよ」

 そう言って、彼女は陽歌の前に立ちはだかる。そして瞬きほどの短い間に接近し、何かをした。

「お前も『家族』だ」

 そこから陽歌の意識は途切れた。

 

   @

 

「これで、いいのだな?」

 宇宙のとあるデブリの上、そこで黒い人影はある人物に確認を取る。蒼い仮面のウルトラマン、トレギア。彼はここ数年、己の目的を果たすため策謀を巡らせていた。

「ああ、彼こそ、君の障害となる。異なる世界の悪性存在、ダークファルスくん」

 ダークファルスと呼ばれた人影は疑問を投げかける。仮面の影響か、声は男か女か判別が出来ない。

「とてもそうは思えないな。名前や見た目など、たしかに、と思える部分があっても、偶然と片付けられる範囲だ。見た目なんかは後でいくらでも変えられる。私の素顔をどこからか盗み見て、奴を改造したのではないか? なにより奴は、フォトンを扱えない地球の原生民……その中でも外見以外の特異性は見られない」

 ダークファルスはトレギアを信用していなかった。奴は享楽の為に動く。支配という明白な目的があった、同じ地から生まれた悪、ベリアルとはまるで毛色が違う。

「私もそう思った。だがこの地球に起きたある異変を調べて驚いたよ。彼にここで死なれるのはつまらない」

 トレギアはある意図を持って、陽歌をダークファルスの手でユニオンリバーと引き合わせたのだ。

「とにかく、あの子がフリーでいるのは好ましくない。このままユニオンリバーの中に埋まってもらった方が、君としても予定外の動きがなくて好ましいだろう?」

 トレギアは去る。このおもちゃで遊ぶのは後。今は、新鮮な玩具がある。

(タロウの息子、タイガか。君で遊ぶには、彼が必要になりそうだね)

 だが、この時トレギアは思いもしなかった。浅野陽歌という玩具を詰んだまま、宇宙に果てるという未来を。

 

   @

 

 これは、傷を負った少年がホビーで心を取り戻す物語である。依然変わることなく。

 




 正式タイトル決定&一周年アニバーサリー!
 ついに動き出す、誰も知らない未来。そこに待ち受けるのは一体何か?

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