騒動喫茶ユニオンリバー The novel 異端たる双眸   作:級長

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 世界では女性首脳の誕生が相次いでいる。これにより女性の意見が政治に反映されるという声が多く上がるのだが、女性の意見が反映できる人物なら男性首脳でも問題ないだろう。
 民主主義の主権者は国民。国を良くするには案外、斬新なリーダーを求めるより一人ひとりの地道な努力の方が重要なのかもしれない。


〇何をしても文句が出るのなら

 図書室の受付カウンターで、本を読む一人の女子高生がいた。彼女はこちらの存在に気づいたのか、本を開いたまま顔を向けて話始める。

「失礼、貸出ですか? それとも、新刊が気になる様子で」

 白楼学園の図書室に常駐する一人の女子生徒。常にいるので、周囲の生徒からはセーブポイントだのチュートリアル要員だの言われているが、彼女はまるで気に掛けない。とはいえ、新入生も卒業生も彼女を知っており、何等かの不思議な存在であるのは確かだった。

「時に、人とは奇妙なものよね。Aがダメだと文句を言われたのでBを用意したら、そちらにも苦情を付ける。実際には別々の人間の声が同じ相手に向かっているだけで、『何をやっても文句を言う人間』は存在せず、そういう錯覚なの。だけれど、世の中には妙なことにその『何をやっても文句を言う人間』というのが存在するのです。その場合は、やっていることではなく相手に文句を言うことが目的なのだからそうなるのも必然ね」

 女子生徒は本を差し出しながら、名を告げる。

「失礼、紹介が遅れました。私は久保田紬。白楼学園高等部二年生、図書委員ではないのだけれど、落ち着くからここにいさせて貰っているわ。今回ご紹介するのは、そんな相手への対応に困ったある人達が用意した、一つの答えについて……」

 

   @

 

 今の子供達には信じられないことかもしれないが、内閣総理大臣が一年おきに交代していた時期があった。あれがダメだこれがダメだ、と国民は、というより一部の大きな声を持つ者が訳知り顔で批判して国民が乗っかった結果である。

そんなことをしているうちに馬鹿馬鹿しくなったのか、それとも主権者たる国民が聡明になったのかは分からないが、二度の政権交代を挟んで史上最長の在任期間を記録した内閣が誕生。

 その内閣も首相の健康を理由に、遂に終焉を迎えた。残りの在任期間は官房長官に首相を引き継ぎ、つつがなく消化される……かに思われた。

 

 その官房長官は現在、暴食の真っ最中であった。とあるスイーツ専門店で好物のパンケーキを我慢の緒が切れたかの様にひたすら食べている。

「官房長官……そろそろお身体に……」

「分かっている……だが……」

 秘書の忠言も分かるが、こうせざるを得ない事情があった。

(今まで首相にやめろと言って来た連中が、まだ就任していない私にやめろと言い出すとはな……そこまで愚かか……)

 首相に反感を持って反対デモを日夜国会前で繰り広げる人間がいたのは事実だ。いくら民主的な手続きで政権を取ったとはいえ、人間というのは意見が一致しないものなのでこういう反発はあって然るべき、と思っていた。

 だが、その首相がやめるとなったら先回りの様に首相候補の自分にやめろと言い出したのである。彼らは首相に不満があったのではない、政府に歯向かう自分に酔っているだけなのだ。首相を独裁者などと呼んで非難していたが、実際にその首相が独裁者なら彼らはとっくに死んでいるだろう。日本という自由が保障された国で、革命ごっこがしたいだけなのだ。

 実際の独裁国家で戦っている人々へ、存在そのものが愚弄とも言える状態だ。

(それに生い立ちを精査しろ……だと? 私の場合腹など痛まないが、生い立ちなど選べるものではない。それを気にして生きている者が聞いたらなんと思うか……)

 官房長官がストレスを爆発させたのは、ある議員が発したSNSでの発言である。政治家というのは楽に高額な給料を貰える仕事と勘違いされているが、実のところ何かにつけて国会をボイコットする野党議員については事実といえ、官房長官ともなれば多忙を極める。そのストレスがその発言で限界にきたといった形だ。

 それでも他人を想って心を痛める辺りに人柄が感じられる。

(こういうのは一部の輩だろうが、与える傷というのは結局同じなのだ……浅野が聞いたらなんと言うか……)

 彼はかつて、身辺警備を請け負ったある警察官のことを思い出していた。年上だったが、公僕ですのでと呼び捨てで呼ぶことを求めた謙虚な男だったので記憶にある。そして、ある日再会した時に聞いた彼の行いに感激したものだ。

『あなたが、その子を?』

 既に警察官としては身を引いていたが、後輩に請われてある事件の犯人が身ごもっていた子供を引き取ったとのことだ。その子は母親が実父と不倫した末にもうけた子という、聞くだけで正気を疑う出生をしていた。

 加えて、毛髪や虹彩の色素異常により、隠れることもかなわない運命を背負ってしまった。

『この国の福祉は充実している方だ。大人になるだけなら施設に預けるだけでも十分だろう。だが、彼を誰が愛してくれるだろうか。きっといると信じたいが、手放しにそう信じられるほど人間というのは立派なものではない。親が片方いないだけで揶揄する心無い者がいるのも事実だ。なれば、私達が彼を愛する最初の二人になろう。愛され方を知らなければ、人を愛することもできない。もしそう育ってしまったのなら陽歌は……愛を掴むことが困難になる』

 そして、その子は官房長官となった彼の前に姿を現した。東京都知事の妄執を止める為に。彼は、浅野陽歌は愛を掴めたのだ。

「なら、善は急げだ。私は、浅野の様な男が育つ国を作る」

 官房長官には、ある策があった。

 

   @

 

『新しい総理大臣の発表について、各地で波紋が広がっています』

 陽歌は買い物の為に、家電量販店に来ていた。テレビでは新たに就任した首相に関するニュースをやっている。首相の交代、そんなことになるほど長い年月が流れたのだが、陽歌は生まれながらの髪色と瞳を晒す気にはまだなれず、パーカーのフードを目深に被っている。

 この国にいる大半の人間が肌の色、髪や瞳の色で差別することはない。見られたとしても、それは単に物珍しさからくるもので悪意はない。

 だが同時に、正義を振りかざし牙を剥く者は悪と断じた相手に何をしてもいいと思っているのも事実。外国人への差別を問題視する同じ口で、首相が長年苦しんでいる難病を揶揄するのだ。

 外の世界ではどちらの人間に会うか分からない。故に、陽歌はまだフードを脱ぐことはできない。

 それに最近は姿を見られると拝まれる様になった。斜陽とはいえテレビに出た時点で目立つのは覚悟していたが、予想外の状態に戸惑いつつあった。

『なんと就任したのは若干三十五歳の女性議員、大空まひる、理論上かつ最年少の女性首相誕生に困惑の声が広がり、「本当に参政権のある年齢なのか?」、「これまでの実績はどうなのか」といった意見が多く上がりました』

 テレビ画面に映されたのは、十代前半に見えるセーラー服の少女であった。とても首相になれる、というより成人にも見えない年齢だが、本人は記者の質問に『みんなが望んだ女性首相だぞ、喜べ』と解答している。

 左目に眼帯をしているなど独特な格好故なのか、『傀儡じゃないか』という意見も多いそうだ。確かにこんな急に実績も不明な若い政治家を出して来たのならそう疑う声もあるだろう。

 だが、文句はどこにでも付けられる。女性首相の誕生を望みながら、自分達の勢力外から出たのならそれが幾つの女性であっても傀儡だと文句を言う様子は想像できる。

 結局のところ、生産性の無いクレームは無視しないと立ちいかないのだ。この国は政府も企業も、クレームを真に受け過ぎた。その揺り戻しの一つがこれなのだろう。

「あれ? 浅野さん?」

 ふと、誰かに声を掛けられた。振り向くと、そこには眼帯をした黒髪ロングのセーラー服少女が立っていた。テレビと違い、帯刀しているが間違いない。この人物は、新しい総理大臣だ。

「あれ? 大空首相?」

「あ、人違いでした」

「いえ、浅野ではあるんですけど……」

 人違い、とも言い切れない可能性があるので陽歌は確認を取る。

「下の名前は仁平ではないですよね?」

「それは父の名です」

 まひるは流石に違うと確信していた。まさかこんな珍しい色合いの人間がこの世に二人といるはずもない、ましてやその人が日本人で苗字が浅野など。とはいえ陽歌は確かに父親の名前を出されたので無関係とは思えなかった。

「息子さんでしたか。息遣いとか雰囲気とか似てるもので」

 まひるはどうやら納得した様だ。血が繋がっていない、育てて貰ったのも物心つかない間という状態でもそんなに似るのか、まず息遣いが似てるって何さなど陽歌は思ったが言わなかった。

「私は大空まひると申します。この度、総理大臣に任命されました」

 知らぬ者はおるまいと奢った様子を見せず、丁寧に自己紹介をするまひる。

「父とはどの様な関係で……」

「子供の頃に知り合ったのですよ。こう見えても齢三十五でして」

 ふとした知り合い、程度みたいだがそれでも覚えているということは鮮烈な出会いをしたのだろうか。

「しかし一国の首相がどうしてここに……?」

「まぁいろいろあって、まだ正式に首相ではないんですよ。ここには野暮用とちょっと買い物をば」

 まひるはただここに来ただけだという。手には既に買い物を済ませたのか大荷物が有料化されたビニール袋でどっさり。漫画とのタイアップ食品が主だ。

そういえば今日は新しい仮面ライダーのベルトの発売日。先に抽選販売があったが陽歌は落選なので普通に買いにきた。そうでなくても、ホルダーなどの周辺アイテムは今日買わないといけない。

「古い感性なのは重々承知だが……やっぱり店頭で買う楽しみは捨てきれないんだよねぇ。こう、売り場にずらって並んでると人気出たなぁって」

 ふと見せる表情は女子高生のそれ。本当に三十五歳か疑わしいが、学校で養護教諭をしているレンも若い女性に見えて戦前生まれなので、まひるも多分なんかあるんだろう。

「あ、やっぱいますね」

「うむ……」

 陽歌は玩具コーナーのレジで揉め事を起こしている黄色い布の集団を見つけた。転売屋ギルド、マーケットプレイスだ。やはり目玉の新商品を求めて店員を恐喝している。こういう人気商品は買い占めを防ぐために転売目的の購入を断っていたり、個数制限がある。自身の勢力を誇示する為に巻いている布が転売の目印となり、購入自体断られている様子だ。

「あ、大空さん」

「やはりいたか」

 まひるはマケプレの姿を確認すると、速足で向かっていく。

「貴様らだな。転売屋集団、マーケットプレイスというのは」

「そうだ! お前……総理か?」

 マケプレも馬鹿の集まりとはいえ、さすがに首相くらいは知っていた。

「そうだ。お前ららしいな、議員達を脅してマスクなどの転売を禁じる法案を撤回させたのは。そして主犯は、この中にいる」

 陽歌はまひるの言っている一連の話を思い出した。今年の春頃にマスクなどの転売が相次いで悲惨な状況になった時、政府は転売を禁じた。しかし最近になってその法律をなくしてしまったのだ。もう十分マスクもトイレットペーパーも出回ったからと判断したのか、など言われていたが、実際はマケプレが一枚噛んでいた様だ。

「ふふ……分かっていて私に手を出すか……」

 前に出たのは腹の出た中年男。髭も満足に整えず、禿げた頭を誤魔化すため左右から見苦しく髪を持って来ているその男は忽ち、一体のロボットに姿を変える。

「私はアダムスミロイドが一人、フログ・カウパロイド!」

 手足の生えたオタマジャクシという実に半端な姿のロボットは、陽歌達がこれまで二体撃破したマケプレの戦力、アダムスミロイドであった。

「こいつは!」

「アダムスミス……神の見えざる手になったつもりか?」

 名前の由来を聞いてまひるは敵を挑発する。フログは機械の割にぬめぬめした液体を飛び散らせながら勝ち誇った様に語る。

「違うな! 神の見えざる手になるということは神になったということだ!」

「掃除が大変そうだ……」

 粘液を回避しつつ、まひるは帯びた刀に手を掛ける。粘液に当たった転売屋は服が溶けて大騒ぎしている。どうやらこれは溶解液の類らしい。

「まずい……強酸?」

「安心しろ、これは都合よく服だけ溶かす液体だ。害はない」

 陽歌が警戒するが、どうもよく漫画にあるタイプの液らしい。どういう理屈なのかはさておき、防具を剥がされるという一点においてかなり厄介な技である。

「辱めることが目的とは、どこまでも下劣だな。錆にする価値もない」

 呆れ果てたまひるが刀を抜こうとすると、フログはある警告をした。

「おっと、私を倒す気かね? だがそんなことをすると議員やその家族に仕掛けた爆弾が爆発するぞ? 私からの信号が途絶した瞬間爆発するから、出来やしないだろうが起爆する間もなく倒そうなどど考えないことだな」

 かなり厄介な仕掛けをしている様子であった。フログは想定していないが、改造を施した者は起爆装置の起動もさせずに撃破出来る達人を想定して作っている。

「それで法案が無くなったのか……」

 陽歌は不自然とも思えた転売禁止法案の消滅に合点がいった。どこまでも卑劣な連中である。

「それゆけい! あれを試すには丁度いい機会だ!」

 フログは部下に命じてタブレットを操作させた。すると、床に穴が開いて何かが這い出してくる。

「悪魔召喚プログラム、二十年以上前の代物だが互換性を持たせればまだ使えるようだ」

「そのプログラム、現存していたのか!」

 まひるは警戒を強める。陽歌は話をよく理解していなかったが、出てくる存在を迎撃する為に刀を呼び出す。出て来た悪魔は一本の足を軸に二対の腕が生えているという人型なのか判断に困る姿だった。ギロチンの刃に変化した腕を穴の淵に引っ掛け、地上に出てくる。

「何の悪魔? ソロモン関係でも七十越えてるからなぁ……」

 陽歌は悪魔の種類を判別して弱点を探ろうとするが、悪魔は種類が多い故に難しい。

「何も出てこないじゃないか!」

「あれ? おかしいな……?」

 だが、フログと部下はその悪魔が見えていなかった。明らかに変身したフログ以上の巨体が出現したのに、一体どうなっているのか。

「え?」

「当然だ。悪魔召喚プログラムは仲間にした悪魔しか呼べん。元々は誰かが無秩序に呼び出した悪魔へ対抗するシステムだからな」

 まひるはこのプログラムが開発された際の仔細を知っていた。名前の印象と違いゼロから呼び出すのではなく、既に顕現した悪魔を使役するプログラムだ。

「いや、今のコンピューターに互換を持たせたついでにランダムで悪魔を呼ぶ機能を追加したと聞いたのに……あの売人騙しやがった!」

 フログは怒りに震えるが、転売屋も詐欺師も同じ犯罪者である。

「いや、出てるよ! 見えないんです?」

 陽歌が訴えるも、まひるを含め誰にも見えていない様子だった。悪魔は腕を振るい、転売屋の首を撥ねていく。

「うあぁあ!」

「なんだ?」

 突然のことに場が混乱する。刃がまひるに迫った為、陽歌は割って入り刀で防ぐ。

「ぐ……」

「陽歌くん! 何が起きているんだ?」

 まひるは眼帯を外さない、ということはこういう時に役立つ魔眼ではないのか単なるアクセサリーなのか。

「そこか!」

 刀を抜いて、当てずっぽうの様に突きを繰り出すまひる。陽歌から見れば当たっているが、干渉できないのか悪魔は無傷だ。

「外した?」

 おそらくまひるは陽歌が庇った時の動きで攻撃の軌道や敵の位置を予測したのだろうが、干渉不能の存在では意味がない。

「いえ、当たってはいるんですが……」

「なんかずっこい!」

 悪魔の性質にぶー垂れるまひる。総理としての毅然とした姿か、それとも見た目相応な少女の姿か、どっちが素なのかは判断に苦しむところだ。

「【仏陀斬り】!」

 陽歌は一気に勝負を決めるべく燃える刀で悪魔に斬りかかる。しかし、四枚の硬い刃を集めた防壁に阻まれ、攻撃が通らない。ギロチンの刃は相当な硬度を持っているらしい。

「あ……」

 悪魔はそのまま組んだ腕を押し出し、陽歌を吹き飛ばす。

「うわっ」

 勢いよくバウンドして硬い床に叩きつけられ、棚が倒れるほど激しくぶつかってようやく止まる。痛みには耐えられるが、呼吸が出来なくなり身体が動かない。

「っ……」

「陽歌くん!」

「このくらい……」

 動きたいものの、筋を痛めたせいか立ち上がれない。まひるも心配そうに駆け付けるが、敵が見えない状態では危険だ。

「ん?」

 謎の存在に対処していると、突然銃声が複数聞こえた。銃撃が的確に悪魔を捉え、撃破する。倒れた悪魔は黒い靄になって消えていった。

「倒した?」

 銃声のした方を陽歌が見ると、髭面の革ジャンを着込んだオッサンがリボルバーを持って立っていた。

「外なるものを認識出来るのか。上が警戒するわけだ」

「あのマークは、退魔協会の上級退魔師?」

 まひるはジャケットの印を見てオッサンの所属を確認する。退魔協会、魔を退ける者の集まりの様だが。

「浅野陽歌を探しにきたついでにこんな厄介モンを見つけるとは。ま、倒すか」

 オッサンは事情を知らないのか、フログに銃を向ける。

「あ、あの、人質が……」

 陽歌は人質いることを説明しようとしたが、オッサンは弾をリロードして戦闘を始めようとする。

「それはコラテラルダメージだ。外なるものを呼び出す手段を持つモン放っておいた方が被害は大きい」

「あ、待って!」

 陽歌の静止も聞かず、オッサンは引き金に指を掛ける。フログは喉を鳴らしているが、鳴き声の様なものは一切聞こえない。爆弾を起爆しているのだろうか。信号が途絶したら爆発という話だが任意で爆発させる手段も当然あるだろう。

「ああ……」

 陽歌が頭を抱えると、液体が垂れる様な音が聞こえる。なんと、オッサンが口や目、鼻から血を流しているではないか。

「ウボァッ!」

 オッサンは倒れ、そのまま動かなくなる。フログは勝ち誇って笑う。先ほどの行動は爆弾の起爆ではなかったのか。

「フハハハハ! 集中音波攻撃だ! 人質などいなくても私は強いと見せねば、やけくそをされてしまうのでな」

 今までアダムスミロイドを倒していたのがエリニュースやエヴァなど規格外の人物だったので分からなかったが、奴らは相当に強い様だ。対象にしか聞こえない音波攻撃、ロスの無さを考えるとその火力のすさまじさが分かるというもの。

「はやく……七耶達に連絡を……」

 このままでは勝てない、と陽歌は増援を呼ぼうとする。だが、意識を保つのでやっとの状態では電話も出来ない。

「人質を見捨てても勝ち目はない! 貴様は人質を失った挙句負けるのだ!」

「そうか」

 しかし、話を聞いたまひるはいつの間にか剣を抜いており、鞘に納めるところだった。カチン、と刀の鎬が鞘に当たって鳴った瞬間、フログは真っ二つに切断されていた。

「なら、成敗」

「アバっ? 馬鹿が……爆弾が……」

 信号の途絶、それと共に発動するはずの爆弾は音沙汰がない。これはどうしたことか。

「日本国の立法、その根幹を侵害されて何もしていないと思ったか? そんなもの、とっくに解除して証拠として押収させてもらった。廃案にしたのも貴様らが国賊、破防法の適応対象になる実績を積ませるために過ぎん。泳がされていたのだよ、貴様らは」

 なんと、既に爆弾は解除済み。挙句証拠が残った上に排除する建前まで作られる始末。実際に人質を使って国を動かしたなどとなれば、どんな人間でもマーケットプレイスを擁護することなど出来まい。もししようものなら、同類の危険組織としてマークされることになる。

「そんな……爆弾の解除など、不可能なはず……!」

 とはいえ、当然爆弾の方にもセーフティがあるのが通例。それを破られたことがフログには受け入れがたかった。

「私を誰だと思っている? 内閣総理大臣だぞ? 不可能は無い」

「そんな大統領魂みたいな……」

 どこかで聞いたことのある言い回しに陽歌は困惑する。

「あ、いや実際マイケル・ウィルソン氏は私の尊敬する政治家だけどね」

 知っていてリスペクトした模様。さすがにあそこまではっちゃけられはしないが。

「私達は神なのだぞ! 今の人間が生きるためのものを自由に操る、神なのだぞ……神、なのに……ぐわぁあああ!」

 フログは周囲のマケプレを巻き込んで爆散した。店へ爆風で被害が出ない様に、まひるは居合で爆風を切り裂いて対処する。

「なんて早い剣捌き……!」

 陽歌にはその業がギリギリ見えていた。刀は粘液まみれのフログを斬ったにも関わらず、汚れていない。

「金を操ることが神か……その金さえ、国の保証がなければ紙屑と鉄くず。ぴえんを通り越してぱおんって感じねぇ」

 騒動は首相の一太刀で一瞬の解決となった。

 

「話してみてわかったよ。君は仁平さんに、ある『呼吸法』を教わっている」

 まひるは陽歌に、ある確信を話した。それは、息遣いが似ていると言ったことへのアンサーであった。

「呼吸法?」

「考えてみるといい。君は他の人間より身体能力が高い、ということはないかな?」

「そんなこと……あ」

 身体能力が高いとはいえない陽歌だったが、言われてみれば気になることがあった。満足に食事や睡眠もとれない環境で、内臓も理由は不明だがいくらか摘出されている身体でユニオンリバーに保護されるまで生き延びられたのは何故か。単なる偶然と考えるには、無理しかない。

 やたら死ににくいのも、身体能力が高いと言えなくもない。今も負傷したが、少し休んだだけで動ける様になっている。

「仁平さんは高齢で君を設けたから、その髪や瞳を構成する遺伝子が健康へ影響を与えないか心配だったから、自分達がいなくなっても健やかに育ってくれることを願って君にその呼吸法を教えたんじゃないかな」

 仁平は自身の死後も考えていた。それは陽歌に守り刀を残したことからも明らかだ。娘に任せる思惑は失敗に終わったが、実の娘が引き取った子を虐待するなどとは思わないだろうしこればかりは仕方ない。

「あの人は通っていた剣術道場の倉庫で朽ちかけていた資料をなんとか読解してそれっぽいものを習得しただけだが、その名前は『全集中の呼吸』というらしいよ」

「全集中……」

 散逸した資料、途絶えた継承者。その状態で何とか再現したものを陽歌に託したのである。果たしてそれが完全な全集中の呼吸と言えるのかは不明だが、どうやら知らない内に父の愛が陽歌を救っていたらしい。

「私も何とか資料を探したがあまりなくて……それでも、松永総合病院ならリハビリに仕えるデータを貪欲に集めているだろうから何かあるかもしれない。仁平さんは君と同じリズムの呼吸を運動する時にしか使わなかったけど君は無意識にしてる、というよりそれが通常の呼吸リズムになっている。私が話を通すから、松永総合病院で話を聞くといいよ。あちらも使い手を探しているかも」

 首相らしく、ちゃんとパイプも持っていたまひるだが、生憎陽歌には必要なかった。

「いえ、僕はそこに通ってますし、松永先生なら主治医ですから、聞けば何かわかるかも……」

「おお、いいじゃん! あー、でもそんなことより、あの松永君が直に見たがるって、身体の方は大丈夫?」

 まひるは陽歌の健康を気遣った。患者である彼からはよくわからないが、松永順が直に見たがる患者というのはそんなに重症者ばかりなのだろうか。たしかに凡百の医者でも治せる患者なら彼ほどの医者が診る必要もないのだが。

「こんなですけど、なんとか」

 陽歌は義手の手を振り、髪を弄りながら状態を示す。

「機械義肢……再生治療に不都合があるか……。IPS細胞がノーベル賞を取って再生治療に世界が傾く中、義肢の研究を傘下で続けさせた彼の晴眼は確かだな。いや、治療手段の多様性は松永君の基本スタンスだったか」

 まひるは勝手に納得したらしく、何やら呟いていた。政治家なので色々考えることがあるのだろう。目的の買い物である変身ベルトを袋に入れて下げていてはとてもそうは見えないが。

「ふむ、君に会えてよかった。転売対策と、レジ袋の有料化の実情だけ見る気だったが、思わぬ声が聞けた。では、私は東京に戻るよ。君の様な子が安心して暮らせる国を作ると約束しよう」

「あ、ありがとうございます……」

「礼には及ばんよ。君達の税金で飯を食べている以上、君達に尽くすのは当然だ」

 こうして、新しい首相を迎えてこの国は2020年の先に進もうとしていた。だが、マーケットプレイスの野望は止まらない。そして陽歌にしか見えなかったあの悪魔の正体とは。

 まだ、騒動の火種はくすぶっている。




 国会議事堂には四つの銅像を置く台座があり、その内三つは既に使われている。残る一つは日本初の女性首相の銅像が立つのではないか、と言われているが、現在の大空まひるは自身の像を立てることに関心が無い、どころかむしろ否定的である。
 曰く、「まだなったばかりだから、とりあえずやってみてなんか功績残せたら考えるよ」とのこと。

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