騒動喫茶ユニオンリバー The novel 異端たる双眸   作:級長

84 / 121
 洒落怖とは

 インターネットに存在する「洒落にならないくらい怖い話」のこと。怪談なので真偽は重要ではないが、怨霊系からサイコホラーなど多岐にジャンルが渡る。


危険な好奇心(過去編)

「この子、里親決まらないね……」

 陽歌は去年の二月辺りから面倒を見ている野良猫、ダニエルのことを気にかけていた。里親探しをしているが、どうも彼以外に懐かないため譲渡が難しい状態なのだ。

「もう運命だろ。うちの子にしようぢぇ」

「でも……」

 七耶は諦めて飼う気満々で猫じゃらしをダニエルに差し出していた。だが、全くの無視である。もうそういう歳ではないのか、遊ぶつもりがないのか。

 陽歌はダニエルを飼うことにかなりの躊躇いがあった。猫が嫌いという様子は無いどころか、一番世話をしているくらいだ。

「アレルギーか?」

「いや、昔ちょっと……ね」

 もう彼は「ただでさえ居候なのに動物まで……」という遠慮は見せない。そもそもダニエル含め野良猫を集めたのはアスルト達なのだが。

「ペットロスか」

「そんなとこ……かな」

 七耶は過去に飼っていたペットを失ったことが原因と考えた。ペットロスは責任を持って愛情込めて生き物に接するほど重く長くのし掛かる。前のの子が忘れられず、次の子が飼えない、というパターンだろう。

「あ、ちょっと出掛けてくるね。小鷹のお見舞い」

「おう、行ってこい」

 陽歌は再会した友達のお見舞いに行くことになっていた。今のご時世、オンラインで会える上に少し離れた場所だが、気になる話があったので実際にいくことにした。

「さて……」

 ガレージに着いた陽歌は、自身のゾイドであるライオン種バーニングライガー、カイオンを見上げる。不完全な復元をされたところを拾って保護したが、一時は死の危機に瀕した。奇跡的に生還を果たしたが、

(そういえば、ゾイドも生き物なんだよね……)

 生きている限りいつかは死ぬ。そんなことは分かっていたが、その別れを想像などしたくなかった。それをカイオンの件で嫌でも突きつけられた形になる。

 元の癖で眠っていることの多いカイオンを起こさない様に、彼は敢えてゾイドではなく近くに停められていたクワガタを模したヘキサギアに乗り込む。

 ヘキサギア、モーターパニッシャーを飛行させ、陽歌は目的地へ向かう。今は亡き、かつての愛犬達を思い出しながら。

 

   @

 

 これは数年前のことである。

 

 陽歌は故郷、金湧市にいた頃は家族などもちろん、学校の教師やクラスメイト、街の人からも迫害を受けてボロボロになっていた。これがまだ小学一年の頃の話なので、少なくともこの地獄はあと三年近く続くのだが、当時の陽歌にはもはや当たり前の状態となっていた、

 そんなところを助けてくれたのが友人の広谷小鷹と狭山雲雀である。彼らは居場所の無い陽歌を学校の裏山に作った秘密基地に匿ってくれた。夏休み、この秘密基地に泊まろうという話になり夏の長い日が暮れる頃集まった。

 秘密基地は山に空いた穴の様な場所であり、中に拾ってきたカーペットを敷いている。おそらくここが開発される前に大きな熊でも冬眠していたのだろうか。それとも金鉱や炭鉱があったとのことなので、その痕跡なのか。

「うーん……さすがに捨てられるモンには当たりが少ねぇな」

 ショートヘアでメガネを掛けた女子、雲雀は拾ってきた成人向け雑誌を捲って呟く。近くには懐いている野良犬のヒューイがいた。

 陽歌は雲雀が持ってきてくれたお菓子をひたすら貪っていた。食事が基本用意されず、給食が命綱である彼は長期の休みになると食料の供給に悩まされる。場合によっては給食費の滞納を理由にそれすら食べられず、常にお腹を空かせているというより半ば飢餓状態になる。

 そんな陽歌の傍にも野良犬がいた。おこぼれを狙う様子もない。彼らは餌付けもしていないのに雲雀達に懐いて行動を共にしている。ブラウンというもう一匹の犬はその名の通り茶色い。

「なんつーか、漫画にしてもバタ臭いんだよ画風が」

「うん、現代的じゃないって感じだね」

 『萌えキャラは髪やアクセサリーが無いと判別出来ない』と通ぶった人間がよく言うが、漫画というのはデフォルメの極北である。なので詳細を省く以上、そうなるのは当然の帰結。日本の漫画は特にその傾向が強く、実写化の際に違和感を生じる原因となっている。

 もちろん、成人向け雑誌ばかりではなく普通の漫画雑誌も収集されている。とはいえ拾ってくる都合、話は途中から、続けて読んでも途切れ途切れである。

「ふぅ、ごちそうさま……」

 陽歌はお菓子を食べ終え、ジュースを飲んで一息付く。ここが唯一安心出来る場所ということもあり、だんだんうとうとしてきた。

「あ、ムカデ」

 そこそこ大きなムカデを見つけ、陽歌は手を差し伸べる。ムカデは手に昇ってきて、彼を噛む。当然、毒の影響で物凄く痛いのだが、日頃から暴力に晒される彼にとっては何てこともない。むしろ大きな相手に立ち向かうため、身を守るための悪意無き力は心地いいくらいだ。

「雲雀、ムカデいたよ。何か儲け話あるかもね」

「うわ、けっこうデカイぞ……」

 陽歌はムカデを雲雀に見せる。こんなところを基地にしているだけあり、彼女はそこまで驚かない。ムカデはこうした洞窟に住むため金鉱ではよく見かけることから、金運の象徴とされることも多い。

「ほら、いっておいで」

 陽歌は用事を済ませるとムカデを解放する。変温動物の虫をあまり触っていると、体温で弱らせてしまう。

「あいつ、どっちかっていうと益虫だよな。家だとゴキブリ倒すし」

「そうだね」

「見かけで損してるよなぁ……噛むのも不可抗力だし」

 ムカデはその外見から嫌われているが、アシダカグモほどではないもののゴキブリハンターの一角である。有毒害虫であるがそれは人がむやみに手を出すからであり、益虫としての側面もある。見た目で差別されている、という点において陽歌は蜘蛛やムカデにシンパシーを感じないでもなかった。

「てーへんだてーへんだ!」

「なんだどうした?」

 そこへ慌てた様子で小鷹がやってくる。いつもの様に巾着袋を持っているが、小脇には捨てられたものである漫画雑誌が抱えられている。

「みち○んぐ先生の漫画が乗った快楽○が落ちてた!」

「なにぃー!」

「そんなことが……」

 一気に話のIQが低下する。成人漫画は単行本が出るとは限らない、出たとしても年単位で時間が掛かる世界。氏ほどの人気作家とはいえそれは例外でなく、そんなものが掲載された雑誌を捨ててしまう人間は滅多にいないのだ。特にこの時代、雑誌すら電子化しているのでは紙媒体自体流通量自体減っているというのに。

「先生の書く女の子かわいいなぁ……」

「垢抜けてるっていうか」

「分かる」

 小鷹、陽歌、雲雀の三人は小学一年生とは思えない齧り付きっぷりを見せる。大丈夫かこいつらとも思わなくないが、見た目が違うだけの子供を町ぐるみで迫害する連中よりは百倍以上もまともである。ヒューイとブラウンは内容こそ理解していないが、仲のいい人間三人が揃って見ているのでいいものに違いないと覗いてくる。

 

 ひとしきり漫画で盛り上がった彼らであったが、夜も更けてきた。小鷹と雲雀は友達の家に泊まると言って家を出ており、問題はない。陽歌に関しても風邪の症状があると移さない様に追い出されるので、それっぽい素振りを見せて自ら抜け出してきた。

「夜も更けて参りました。近所迷惑にならない様に音量を下げてお楽しみください」

「今やイヤホンでどうとでもなる世の中だがな」

 小鷹と雲雀は漫画を読み返してまったりと過ごしていた。陽歌は蓄積した疲労と久々の安心感から、毛布にくるまってぐっすりと眠っていた。ヒューイとブラウンも傍にいる。

「なぁ、小鷹」

 雲雀はある話を切り出す。それは、陽歌にとって深刻な話であった。

「私の親がなんか引っ越すとか話してんだよ」

「そっちもか? こっちもだ」

 悪いことは続くもので、小鷹も親から引っ越しの話が出ていた。金湧というのは陽歌の処遇からも分かる通り、まともな町ではない。普通の神経をしている子供の親では、こんな町で子育てをするなど耐えられないだろう。故に、そうした話が出るのは自然であった。

「そうなると、こいつをどうするか……だな」

「ヒューイとブラウンは元々野良だから百歩譲っていいとしてもな」

 だが、そうなると陽歌が一人きりになってしまう。彼は家庭からして狂っており、子供であるが故に逃げられない。教師ですら彼への暴行に荷担する始末で、何度か児童相談所にも行ってみたが子供だけでは相手にもされないのだ。

「何とか親に掛け合ってみるよ。さすがにこれを放っておく様な人間だったら、嫌だしな」

 雲雀はどうにかならないか親に聞いてみることにした。自分の親が身寄りのない子供に何もしてやれないとは信じたくもなかった。

「ま、最悪この町の外に出りゃ誰か助けが得られるだろ」

 小鷹も最後の手段として、可能な限り遠くへ連れていくことを考えていた。そうすれば、状況の一つくらい変わるだろう。

(みんな……)

 だが、二人はこの話を陽歌が目を覚まして聞いていたことに気付いていなかった。彼は、あと一歩手を伸ばせば届く救いに飛び込むことができないでいた。

(ダメだよ……僕なんかの為に……)

 陽歌は今のままでも、十分救われていると思っていた。そして、外に行ったところで何も変わらないと思っていた。幼い陽歌にはこの町が全てで、この町の常識が世界の常識、そしてそうでないことを期待して裏切られた時の恐怖もあって動けなかった。

 こういう実験がある。ゲージの床の半分に電流が流れる様にしておくと、そこに入れられた犬は電流を避ける為に電流の流れない床へ移動する。だが、全面に電流が流れると犬は回避行動をやめるのだ。学習性無気力、と呼ばれるもので、陽歌が陥っているのもこれだ。生き物はどうしようもない状況に直面し続けると、抵抗や回避をやめる。

「ん?なんだこの音?」

 話をしていると雲雀が物音に気づいた。誰かが山の中を歩くような音であった。

(足音のペースからして……人間だ)

 陽歌は鳴っている足音のリズムから人間であると考えた。犬や熊の様に四足歩行だと、もっと頻繁に枝葉の折れる音がするはずだ。

「おいおい、幽霊か?」

 小鷹は立ち上がり、探索に出掛けようとする。雲雀も外の様子を伺い、どさくさに紛れて陽歌は起き上がって今しがた目を覚ましたフリをする。

「警察だったら私ら補導だぞ?」

「けっ、仕事しない警察に補導される筋合いないね」

 相手が見回りの警官であることを雲雀は危惧するが、小鷹は陽歌の保護に協力してくれない警察に不満があった。警察が仕事しない故にこうして陽歌の安全を確保しているのに、それで補導されたのでは納得がいかない。

「警察だったら闇討ちしてちょっと痛い目合わせるか」

「そうだな」

 二人は意見を合わせ、バットなどで武装して外に出る。陽歌はなぜ彼らがそういう話になったのかを察して止めに入る。

「ちょ、待って……」

 とはいえ日頃の恨みが募っている二人は止められず、ずいずいと足音の方向へ向かっていく。足音の先にいたのは期待の警官ではなく、やけに厚着した中年女であった。

「ん?なんだあいつ」

「なんだサツじゃないのか……」

 ガッカリ、といった様子であった小鷹と雲雀だったが、陽歌は血生臭いことにならなずに済み一安心。

「しかし、一応ここ学校の敷地だぜ?」

「不法侵入だな」

 だが、新たな疑問が生まれる。なぜこんなところに中年の女がいるのだ?見たところ教師の一人だとも思えず、それならむしろ怪しいくらいだ。

「一体何をしてるやら……」

「追いかけるか」

 自然な流れで中年女を追いかける小鷹と雲雀に陽歌はついていく。中年女の方は懐中電灯を持っていても足元が覚束ないが、彼ら三人は山の中に慣れている上夜目が効く陽歌を先頭にその足取りを真似て動いているため、足音すら立てずに追跡が出来る。歳の差もあるが、散々山を遊び場にしてるだけあり現代っ子にしては足首が柔軟だ。

「ん?」

 中年女がある巨木の前で立ち止まると、何かを取り出してそれを釘と金づちで打ち付け始めた。典型的な呪いの様だ。

(木を傷つけて……)

(んなことより呪いってやべぇだろ)

 陽歌は木が傷を受ける方を気にしていた。だが小鷹はこんな一目に付かない場所まで態々来て呪いをしていることのヤバさを実感していた。

(安心して、こういう呪いは見られたら無効になるか最悪跳ね返るよ)

(へぇ、んじゃ帰ろうぜ)

 陽歌の解説で安心した雲雀が振り向くと、後ろに付いてきたブラウンとヒューイがいた。そして、あろうことか吠えてしまったのだ。

「ワン!」

「このバカ犬……!」

 そのせいで中年女にバレてしまう。中年女は奇声を発し、逃げる陽歌達を追いかけてくる。

 それはもう人間の様子とは思えなかった。何かに憑りつかれた、というレベルではなく自身が悪霊と化した様な勢いであった。いかに女が中年相当の運動神経しかないとはいえ、子供と大人の歩幅は隔絶の差。距離はどんどん縮まっていく。

「うわっと……!」

「小鷹!」

 暗い山を走っていたせいで、小鷹が足を取られて転んでしまう。陽歌は逃げ足が速く夜目も効くので案外大丈夫だ。

「この!」

 陽歌が咄嗟に反転し、小鷹を掴もうとしていた中年女の顎に膝を入れる。日頃から暴行を受けている彼はどこが一番痛いかを本能的に把握しているのだ。ヒューイとブラウンも本気で足を噛み、中年女を足止めする。

 甘噛みではない本気の噛みつきは服の上からでも肉を食い破る力があり、中年女は獣の様な雄たけびを上げていた。ヒューイが足を払い、「行け」と示したのを雲雀はくみ取った。

「逃げるぞ!」

「でもヒューイとブラウンが……」

「人間は素手で猫にも勝てないんだ。それより早く離脱して二人が交戦する時間を……」

 躊躇う小鷹に、陽歌も逃走を提案する。さっさと逃げて二匹が格闘する時間を減らした方が、双方の生存率が上がる。常に敵対者がいる彼であるからこその冷静な判断であった。

「分かった」

 三人は急いで下山することにした。あの様な異常者がいる山で一晩など過ごせない。一番近い雲雀の家に逃げ込み、夜を明かすことにした。親が眠っている隙を突き、こっそりと忍び込んで避難する。

 

「ったく、なんなんだあの女……」

「今時呪いなんて……」

 走って汗だくであったので、陽歌と雲雀は風呂を沸かして汗を流した。一斉にじゃぽんと湯舟に浸かり、溜息を吐く。狭い湯舟に向き合って座るが、服を脱ぐと陽歌のやせ細った身体や酷く残る痣と生傷が目立った。膝を軽く擦りむくだけでも湯に浸かるのは難儀するのだが、陽歌はその程度の痛みに動じないほど感覚が麻痺している。

「ヒューイとブラウン……大丈夫かな……」

 心配があって眠れないだろうところを、陽歌はすぐにウトウトし始めた。どんなに心がざわついていても、身体がもう限界に近い証拠だ。

「大丈夫だ。犬が本気出したら人は勝てねぇって」

 雲雀も自分に言い聞かせる様に呟いた。だがあの常軌を逸した女のことだ。ゾンビのごとく痛みも無視して暴れたのなら、返り討ちにするチャンスはある。

 風呂を出ると陽歌をベッドに寝かせて休ませる。本当ならばこうして屋内で休息を取らせたいのだが、雲雀と小鷹の両親は周囲の風評を真に受けて陽歌と関わらない様に言ってくる。万引き常習犯という話も、家でご飯が食べられないなら仕方ないと思っている。

 

 日が昇ると雲雀の両親が目覚める前に、ブラウンとヒューイの安否を確認する為三人は山へ向かう。途中、野球クラブの倉庫に忍び込んでバットを拝借。武装して突入だ。

 まずはあの中年女が何かをしていた場所を捜索する。明るくなったのですぐに異常はわかった。木に釘が打ち付けられており、そこには写真が貼り付けられていた。その写真は見知らぬ女性のものであったが、証明写真でありどこかの書類から切り取ったのかかなり小さい。

「ブラウン!ヒューイ!」

 陽歌は二匹を探す。だが、何も反応が無い。いつも陽歌が山に入るとすぐに出迎えてくれるはずなのだが。

「基地の方かもしれねぇ」

「そうだな」

 撃退したのなら基地にいると小鷹は判断し、基地へと向かった。基地の屋根には、昨晩小鷹が忘れた巾着が釘で打ち付けられていた。

「しまった……」

 悪いことに、巾着には学年とクラス、フルネームが書かれておりあの中年女が情報を得たと思われた。学校の裏山なので、どの学校かは言うまでもないだろう。そして基地のあちこちに『小鷹呪殺』とわざわざ何かで文字を刻んていた。

「暇人……」

 呪われた張本人の小鷹はその手間を考えただけでげんなりした。いい大人が呪いなんてやっている時点でお察しなのだが。

「ブラウン……ヒューイ……」

 陽歌は二匹の亡骸を基地の中で見つけてしまった。格闘の末、ハンマーで殴打されて死んだのだろう。その頭に釘を打ち込むという異常な行動も見られた。

「う……ぅぅ……」

「陽歌……」

 どんなに痛め付けられても顔色一つ変えない陽歌が、涙を流す。彼にとってはこの二匹が心を許せる数少ない存在だったのだ。それを奪われた喪失感はとてつもないものであった。

「お墓、作ってやろうか」

「……」

 雲雀の提案で二匹の墓を基地の中に作ることにした。小型犬なので亡骸を埋めること自体は簡単であった。

 

夏休みの最中、二人は陽歌を元気付けようと手を尽くした。しかし彼の塞ぎ混み様はすさまじく、結局立ち直ることが出来ないまま夏休みが終わった。

夏休みが終わり二学期になった。雲雀と小鷹は陽歌とクラスが違うので、わざわざ探さないといけない。

「なぁ、陽歌見なかったか?」

「いや……ていうかなんだそれ?」

小鷹が湿疹まみれになっているのを見て、雲雀は心配した。

「知らね。まぁ汗疹か蕁麻疹だろ」

 時期が時期だけにそんなことだろうと小鷹は考えた。搔いてはいけないというが、痒いものは痒いので我慢出来ない。その様子を、通りかかった教員が見る。

「お前達、やはり浅野に関わっているな。こうなるからやめておけといっただろう」

「は?」

 湿疹が陽歌と関係あるかの様な物言いに小鷹は素で困惑する。中年女の呪いとも、ましてや陽歌が関係しているとも彼は考えていない。

「あいつは鬼子なんだ。犯罪者同士の間に生まれた上に母親の命を奪っている」

「あ、そうなんだ。それで何か問題?」

 親のどうのというのが全く関係ないことは、付き合っている小鷹と雲雀が一番わかっている。

「ゲームのやり過ぎだろ。ドラクエモンスターズかよ」

「ぐぬぬ……」

 雲雀に正論で返され、閉口するしかなかった教員はその場を去る。

 その後陽歌の安否が確認できたのでクラスに二人は戻った。やはりヒューイとブラウンを失ったことで精神的に参っているのか、いつも以上にやつれていた。二人はあの二匹が野良犬である以上、いつ保健所に送られても仕方ないと覚悟出来ていたが、行政処分に基づいて回収されるのと他人に殺されるのは違う。あの中年女は今度会ったらボコボコにしようと決めるのであった。

 とはいえ、年齢相応に数発殴る程度しか考えていない。

「えー、この辺で最近不審者が見られています」

 ホームルームで不審者の情報が共有される。この街の治安では珍しくないが、今回ばかりは二人の目を引くのであった。

「真夏なのにコートを着た女が子供の顔をじろじろ見るそうです」

「あの呪い女か?」

「まさか」

 ふと中年女が浮かんだが、まさかそこまで大人が暇だとは二人も思っていなかった。

 

 下校時間になり、三人は合流することにした。小鷹はホームルームでの話が気になり、二人に提案した。

「あの不審者が呪い女だとしたら、俺が狙われているかもしれん。だが、逆にチャンスだ」

 敵が自分を探している状況をあえて利用するのだ。

「チャンス?」

「俺も奴を探す。相手はどうもこっちを探しているようだが、こっちはコートの怪しげな女を片っ端からぶん殴ればいい」

 この残暑も厳しい中、コートを着ている女を見つけるのは容易だ。例え件の中年女でなくても、不審者なので殴られても警察に駆け込むことは出来ないだろう。相手の後ろめたさを逆手に取るのだ。

「んじゃ、お前らは気を付けて帰れよ! 戦果を期待しとけ!」

「あ、小鷹ー!」

 陽歌は小鷹を心配していたが、彼は走っていつもとは反対方向へ行ってしまう。

「どうしよう……」

「んじゃ、こっちも探して早めに撃破すんぞ」

 小鷹が危険な橋を渡ろうとすることに気が気ではない陽歌であったが、雲雀は単純な解決策を用意する。小鷹が危なくなる前にこっちが中年女を倒せばいい。

「とりあえずお前はうちに隠れてろ。今日は親帰ってこねぇんだ」

「うん……」

 秘密基地を失い、陽歌も隠れられる場所がないのでなるべく雲雀と小鷹の二人で順番に匿っていた。この猛暑では外にいるだけで危険だ。なるべく冷房の効いた部屋で眠れる時間を稼いだ方がいい。給食くらいしかまともな食事の摂れない彼は長期休みになるとそれも失うため、腹を満たすことも重要だ。

 子供の力では夏休みで欠食し、失った栄養を補うのは難しいので今後もなるべくこうして何か食べさせることに二人は決めていた。

「ん?」

 雲雀の家まで歩いていると、コートの女と遭遇してしまう。まさかこちらでエンカウントするとは、と雲雀は遠巻きに女の顔を確認する。やはりというべきか、あの中年女だ。気づかれない様に遠回りして、陽歌を家に置いたら戻って撃破、と彼女は順番を考えていた。肝心の陽歌は信号機の傍に備え付けられた交通安全の手旗を気にしていた。空腹のせいか彼はこういう奇行がたまに見られるので、雲雀は気にしていなかった。

「陽歌、ここは……」

 遠回りのルートを頭の中で模索し終えたので、雲雀は陽歌に声を掛ける。が、なんと陽歌が女の方にフラフラ歩いていくではないか。

「陽歌?」

 そして、いつの間にか手にしていた石で女の脛にフルスイングを決める。石と言っても握り拳よりは大きい代物の尖った部分での攻撃だった。

「ええええええ!?」

 あんまりな状況に雲雀は混乱した。あの自分を噛んだムカデさえ殺さない陽歌が殺す気の攻撃を行ったのだ。女は声にならない叫びを上げて転倒する。その女に馬乗りとなった陽歌は手旗をへし折り、鋭利な先端を喉へ目掛けて振り下ろす。

「陽歌! 待て!」

 雲雀が何とか腕を抑えて凶行を止めるが、既に攻撃を防ごうとした中年女の手を切り裂いて返り血を浴びる程度には攻撃していた。

「何をしている!」

 そこに運悪くかよくか、不審者を警戒していた警察が通りかかった。警察は陽歌を取り押さえると女から引き剥がそうとするが、彼は警察の手を旗で刺しつつ女を足蹴にして抵抗を謀った。拘束からの離脱と女への攻撃を同時に効率よく行っている。

 陽歌は特に怒りの声を上げることなく、瞳孔を開いて殺意を剥きだしにしている。

「あ、おいこれには事情が……」

「またお前か懲りない奴だ!」

「今度は暴力か!」

 雲雀がこうなった経緯を説明しようとしたが、警察は聞かずに陽歌を連れてパトカーに乗ってしまった。

 

 翌日、陽歌は学校に来なかった。おそらく警察に捕まっており、まだ出られないのだろう。教師は陽歌が狂暴なので近づかない様に言うだけで、相手が犬をも殺した不審者であり、呪いを見られた腹いせをしようと目撃者である小鷹達を探していたことには触れない。

「困ったな……」

「まさか陽歌が一番ボコボコにする気あったとはな」

 仕方なく、雲雀と小鷹は陽歌が返ってくるのを待った。中年女がいなくなって一安心なのだが、今度はまた違う心配が増えてしまった。

 

   @

 

 何とか病院を抜け出した中年女は、足を引きずってある一軒家まで来た。あの後治療もそこそこに陽歌の自宅を特定し、そこまでやって来たのだ。手には灯油を入れたポリタンクを持っている。民事のどうのこうのを理由に陽歌と雲雀の住所を聞き出し、仕返しに火を点けようとしているのだ。

「あのガキ……一番ひ弱そうだから油断した……殺してやる……」

 この家に陽歌がいるかどうかまでは確認していない。もはや放火で留飲を下げることしか頭に無かった。灯油を撒き、チャッカマンで火を点ける。ガソリンほどではないとはいえ、灯油も危険物には違いない。炎は忽ち中年女の背丈さえ超えるほどになっていた。

「これでよし……次は……」

 中年女はその足で雲雀の家へと向かう。灯油は使い切った。だが子供くらいなら包丁一つで殺すことが出来る。中年女は逆恨みの復讐に頭がいっぱいで気づいていなかった。

 入れ替わりに外へ出て古新聞を炎にくべると、ハンマーを持ってそれを追いかける陽歌の姿に。

 

   @

 

「結局見つかんなかった」

 陽歌を探し回ったが、五時になってしまい雲雀は諦めて帰るしかなかった。今日は親が帰ってくる。陽歌とはつるむなと口酸っぱく言われているので、何もない振りをしなければならない。自分が怒られるだけならまだしも、陽歌に矛先が向いてはいけない。

 普段ならああいうことがあると家を追い出されて基地に隠れている陽歌だが、その基地がないのではどこに行ったのか分からない。もしかするとまだ警察にいるのかもしれないが、そちらの方が虐待とか見つかっていいのかもと彼女は思っていた。だがあれを放置している時点で期待は出来ない。

「あん?」

 物思いに耽っていると、窓をバンバン叩く音が聞こえる。放っている奇声からあの中年女であることは容易に想像できた。

「マジか」

 流石に雲雀も危機感を覚える。家までは尾行されていないはずだが、どこかで情報を仕入れたのだろう。陽歌が口を割るとも思えないので、警察経由の可能性が高い。中年女は執拗に扉を開こうとし、窓や壁を叩いて叫び回る。これだけ騒がしければこちらから開けない限り隣人が通報するだろうが、一応こちらからも警察に通報する。

「これでよし……」

 あとは警察が来るのを待つだけ。しかし外を中年女に包囲されていると思いの他時間が長く感じる。気晴らしに何かしようとしても、物音で気が散ってしまう。

「ああもううっせええな! 野郎ぶっ殺してやらあああ!」

 恐怖よりも苛立ちが勝った雲雀は扉を開けて中年女を迎撃しに向かう。ちょうど中年女は窓側に向かった様で、そちらに急行しぶっ殺モードで父親のゴルフクラブを振り回す。

「な?」

 だが、彼女の目に移ったのは衝撃の光景だった。なんと陽歌が、ハンマーで中年女の膝を砕いて地に付かせていたのだ。

「陽歌?」

 彼は中年女の落とした包丁を拾うと、横にして腹へ突き刺す。そのまま倒れた中年女に繰り返しハンマーを振り下ろしたり踏んづけたりして攻撃を続ける。純粋な殺意に突き動かされる陽歌は、耐えがたい奇声を放つ中年女と対照的に静かであった。

「陽歌、お前……」

 雲雀は初めて、口だけではない『殺す』を目の当たりにして動けなくなった。

 

 その後、警察が来て陽歌と中年女を回収していった。中年女は民事訴訟を理由に陽歌と雲雀の住所を聞き出したこと、陽歌の家を燃やしたことを雲雀と小鷹は知ることになる。あの中年女がしていた呪いは、横領を告発された相手へのものであったことも同時に明らかになった。

 こうして事件は解決した。だが、この事件が一つの切っ掛けとなり、雲雀と小鷹の両親は陽歌を助けることに難色を示す様になった。彼らが再会するまで、長い時間を要することとなる。




 次回、再会した三人が再び呪いと相まみえる。
 だが、力がないことで後悔はしたくない。そう誓った雲雀と小鷹は新しい技を身に着け、呪いに立ち向かう!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。