とある休日の夕方。道留は真方葵として渋谷の街を歩いていた。モデルのようなスタイルの良さと、アイドルのような顔立ちを兼ね備えているので、女性だけでなく男性までもが横目で見ている。
外出の目的はショッピングでも、食事でもない。女漁りだ。顔がそこそこよかったら、もうそれでいい。普段、こういう事は他校の友人たちと共にやる。その方が成功確率が高いのだ。今日一人で来たのには、二つの理由がある。いつものナンパ仲間と連絡が取れなかったからというのが一つ。あまり群れたがらないタイプの、身持ちの固そうな、清楚系を狙うためというのが一つだ。渋谷を歩く、若い女は大概が友人たちと歩いている。一人で歩いていて、かつ、及第点に達している女性は今のところ見当たらない。
(カフェを覗きに行こうか)
カフェ実際、穴場である。声をかけるまでが面倒くさいが、このまま街をぶらつくよりは効率が良いだろう。道留は近くのカフェを調べようとスマホのロックを解除する。
「ねぇねぇ」
急に声をかけられた。声がしたほうに顔を向けると髪をダークグリーンに染めた女が笑っていた。くっきりとした二重まぶたの下から人懐っこそうな茶色の瞳が覗く。全体的に薄化粧ではあるが、ただ一箇所、口紅は真っ赤だ。鼻も高く、顔つきは北欧の少女のようにも見える。年はそう離れてはいなそうだ。そしてひたすらに美人である。そうそうお目にかかることができないレベルの顔立ち。美人になれている道留にも、彼女はひときわ強い印象を与えた。
「なに?」道留はにこやかに応じる。可愛らしい子に話しかけられて、機嫌がよい。
「一人?」
「これ逆ナン?」
「もう!言わないでよ」女はわざとらしく拗ねて見せた。
そのわざとらしい表情を見て、地雷女かもしれないと道留は一瞬考えたが、顔が良すぎるので、些細な問題だと判断した。時刻は五時半。カラオケに行って夕飯をとる。運が良ければホテルにも行ける。
「ごめんごめん」道留は言いながらスマホを操作し、カラオケの場所を調べた。「カラオケ、行こうか」
「行こ!」女はすぐに笑顔に戻った。「ねぇ、なんて呼べばいい?」
「葵」
「アオイ?女の子みたいな名前だね」
「よく言われるよ、それ」
「あたしは紗綾って呼んで」
「ちなみに苗字は?」
「赤井」
道留は彼女の名前を平仮名にした。『あかい さあや』が『はやさかあい』になるには『は』が足りない。何を警戒しているんだ、と道留は自分が可笑しかった。
〇
早坂愛は安堵していた。まだそうするには早いと分かっていたが、西園道留をうまく騙せたとなると、ついホッとしてしまう。隣にいる女が早坂であるという可能性を一切考慮していないようにも思える。
早坂の目的は西園道留が真方葵として話す身の上の話だ。両親と妹を飛行機事故で亡くし、自分だけ生き残った。真方葵はこの悲劇的な話を行きずりの女の子に打ち明け、同情を誘い、口説く。これが作り話なのか、実話なのか。早坂はこれを見極めたかった。
二人でこの部屋に入って、もうすぐ一時間が経つ。出なければいけなくなるまで、あと三十分ほどあった。彼はいま、流行りの曲を熱唱していた。歌がとても上手いことにも今更驚かない。彼が自分の主人に並ぶ程に高スペックなのは、短い付き合いの中で、充分すぎるほど思い知っていたのだ。
道留が歌い終わる。早坂は適当なやり方で歌唱力を褒めると、彼に体を寄せた。肩を当てて、少しもたれかかる。シナモンのような甘い香水の香りがした。キスもそれ以上のことも勿論させるつもりは無い。ただ、性的でないボディタッチくらいは今日は許す。それは早坂にとっては前代未聞の心境であった。
なぜ自分はそれほどに、この男に好奇心を抱いているのか。彼女は幾度となくこの命題と向き合ってきたが、現在は、好奇心は好奇心だと割り切っている。つまり彼女は、知らないでいるという選択を取れるほどには賢いのだ。
「どうした?」道留が早坂のフィジカルな接触に声だけで反応した。タッチパネルを手に取り、操作する。「紗綾ちゃん曲入れてないじゃん」
早坂は見積もっていた彼からの親愛度を彼の薄い反応を見て修正した。思っていたより、やりにくい。女好きというから、もっとあっさりと、飛行機事故の話をしてくると思っていたのに。
「お腹減った」出来るだけ可愛らしく、彼の心を引きつけるように、それでいて、わざとらしすぎないように言った。
「ピザ食べるか。美味しいとこ知ってるんだけど」
「行く行く!」ピザが好きでほとんど毎日食べているという情報は掴んでいたが、今日も食べるのか、と思う。
二人は部屋を出た。会計は道留が手早く済ませた。
ピザ屋までは十分くらいだと道留が告げた。会話は弾む。当然である。道留の趣味をあらかじめリサーチしておいたので、早坂は適当に合わせていったのだ。コンピュータ関連は道留も早坂も本当に好きな分野だったので特に盛り上がる。道留はバーチャルリアリティに関する知識が豊富で、話もわかりやすい。例えがうまかった。
「でも意外だな。綾ちゃんがコンピュータ好きだなんて」
「よく言われる」早坂は笑った。「でも、面白いじゃん?頭が拡張される感じがする」
道留が遠目に見える看板を指して「あの辺り」だと言った。あと三分程だと早坂は見積もる。そして思い切って、彼と手を繋いだ。指を絡ませる。思いのほか低かった好感度に対する修正打だ。彼は早坂の顔を見ると一瞬だけ驚いた顔をして、そのまま歩いていく。やはり慣れているようだ。
早坂は自分を制御せねばならない。外側の自分が作ったキャラクターを最も効果的に操るためには、中心の自我は常に冷静でなければならない。それが出来ないならば、四宮かぐやのヴァレットは務まらないだろう。
しかし、早坂にとって、同年代の男性とこうして手を繋ぐのは初めての体験だ。加えて、相手はアイドルグループにいてもおかしくないほど整った容姿の持ち主。少し照れくさいのも、心拍数が上がるのも仕方の無いことだ。だが、彼女はこれを抑えることが出来る。四宮の英才教育の賜物である。早坂は自分のメンタルをコントロールしようと試み、そしてあっけなく失敗。破綻した。
その瞬間、早坂は急に恥ずかしくなった。
西園道留と手を繋いで街を歩いているという事実。それは、自らの意思で辿り着いた状況であり、それゆえにますます恥ずかしくなる。そして早坂は、大胆にも恋人繋ぎを、指を絡ませる方の繋ぎ方をしてしまっていた。さらに手のひらを通じて彼の体温が感じられることに気づくと、もうダメだった。顔が熱くなるのがわかる。
手を繋ぐだけが初めてではない。デートも初めてだ。歳の近い男性とカラオケに行き、夕食を食べる一連の流れは、軽いデートである。計画を練っている最中の早坂は、これが自分の初デートになることをもちろん認識していた。しかしそれは軽い認識だった。二人で手を繋いで街を歩くということが、どれだけ心拍数上昇に作用するのかを甘く見ていた。要は、思っていたよりドキドキしていてヤバイのである。
人目も気になる。周りからは当然、カップルだと認識されている。それは自分の計画の内での事象なのに、猛烈に恥ずかしい。しかもその恥ずかしさは、決して嫌なものではないことに気付いてしまった。どこか心地良さを感じてしまっている。
恥ずかしくて、前を見て歩けない。俯いて歩く。しかしこの人混みの中、俯いて、前を見ずに歩けているのは、隣で自分の右手を握る西園道留のおかげである。この、『おかげで』という所もまた恥ずかしく、癪でもあった。
体温が上がっていくのが自覚できた。手のひらにも汗が滲んでいる気がして落ち着かない。なぜ落ち着かないのか。それは彼に良い印象を持って貰わないと、情報が引き出せないからだ。しかし早坂はそれがおそらく、自分の言い訳であることに気付いてしまった。では本当の理由は?答えはあっさり見つかる。このままでは危ないことにもすぐに気付いた。状況を打破しないと取り返しのつかないことになる。
取り返しがつかなくなってもいいんじゃ?
早坂は脳内にポップアップしてきた提案を全力で無視する。
早坂は切り替えようと試みる。問題が山積みなだけで一つ一つはきっと大したことがない。まずはこの手を離してもらおう。そうすれば精神状態はずっと良くなる。
早坂は絡めていた指を解いて、右手をゆっくり引き抜いた。手を離してもらうことに成功。手を繋ぐのを辞めた理由を与えるために、右手でバッグをまさぐって250mlのペットボトルを取り出し、一口飲む。そして右手を定位置に戻したところで、自分を制御しようと呼吸をゆっくりにした。
しかしここで大誤算。道留の左手が早坂の右手を捕まえたのだ。先程と同じ、恋人繋ぎが形成されていく。拒もうか、と早坂は思ったが不自然すぎる行動なので断念。されるがままだ。このままでは深刻な事態に陥る。そう思った早坂は計画の断念を検討し始める。
「大丈夫?耳、真っ赤だよ?」道留の声がした。
「あ、うん。平気〜」道留の顔を見ずに言う。
「さっきから口数も少ないし」
「え〜、そんなことないよ〜」言いながら、ここまで恥ずかしい思いをしているのに収穫がゼロなのは割に合わないと考え、計画の続行を決意。
「もしかして、今更照れてる?」
道留への返答に、一瞬迷ったが、彼女の中に僅かに残った冷静さが、計画成功に有効な返答をたたき 出す。小さな声で、か弱く、答える。
「……うん」
実は男性経験少ないんだよアピール!
可愛くてなおかつ軽そうな女が、実はガードが固く男に慣れていないというギャップ。そのウブな仕草。そんな子が自分を選び、心を許してくれたという事実。破壊力は、凄まじい。
「手ぇ離そうか?」道留は優しく提案した。
早坂は黙ったまま大きく横に首を振った。あざとい。
「紗綾ちゃんって、思ってたよりいい子だね」
「どういうこと?」
「もっと軽い子だと思ってた。脳みそも男女関係も」
「よく勘違いされちゃう」
「なんで俺に声掛けたの?」
「それは、えっと……」彼女は考える仕草をした。「なんか……いいなって……」
「何それ」道留は笑った。
会心の一撃を続けざまに叩き込んだことにより、早坂のメンタルは自信と、安定を取り戻して行った。
○
店内はそれほど広くなかった。二人が客席に座るとそれで満員となった。レンガ造りの建物を摸した内装で、客席から窯が見えるようになっている。早坂はメニューを開くがどれが美味しいのかわからず、何度かこの店に来たことのある道留に自分の分も任せることにした。
「運良かったね」手を拭きながら道留が言った。どういうことかと早坂が尋ねると彼は入口の方を示す。「俺らが入ったあとから並びだしたみたい」
早坂が見ると三組の客が空席を待っていた。
「有名なの?ここ」
「何度かテレビ出てるよ、ほら」今度は壁を指さす。そこには芸能人のサインが並んでいた。
白い服に身を包んだ、三十歳くらいの男の店員が二人の席までやってきた。
「どうも、お久しぶりです。今日は御来店ありがとうございます」その男は道留に挨拶をした。
「いえいえ。すみませんね、わざわざご挨拶させてしまって」道留は立ち上がってそれに応じた。「お変わりなさそうで良かったです」
「お気にかけてくださり、ありがとうございます」男は早坂の方を見た。「こちらの方は、彼女さんでいらっしゃいますか?」
「やめてくださいよ」道留は笑って男の肩を軽く叩いた。「恥ずかしいな」
「申し訳ございません」男も笑う。「それで今日はどうしましょう。いつも通り、私のチョイスで構いませんか?」
「ええ。お願いします」道留は軽く頭を下げる。
「何枚にしましょう?」
「二枚で」
「了解しました。しばし、お待ちください」男はメニューと共に厨房へと帰っていった。
「今のは?」早坂が聞く。
「店長さん。親父の知り合いとここに来た時に紹介してもらったんだ」
「えー!すごーい!」目を輝かせて言う。「お父さん、何者なの?」
「なんだと思う?」
道留がはぐらかそうとしていることを早坂は感じ取った。
「えー、でも、結構な大物ってことでしょ?」
「大物だった、が正解だな」
「どういうこと?」
この問いは心からのものだった。早坂は道留の父親が、四宮グループ傘下の携帯通信会社の社長であることを知っていた。もちろん現在進行形で、彼の父親は社長である。だから「大物だった」なんて、過去形に言い換えられないはずだ。
「ご飯のあとで教えたげる」道留は答えた。
やがてピザが運ばれてきた。一枚目はクアトロフォルマッジ。四種のチーズがふんだんに使用されている。二枚目はロマーナ。トマトソースのピザだ。早坂はどちらのピザにも七十点をつけた。彼女は勤務先の関係上、もっと美味しいピザを食べているし、やたらと舌が肥えている。故に七十点。及第点ではあった。
食べ終えて、店を出る。代金は全て道留が支払った。 時刻は二十時を過ぎていた。街には夜が腰を下ろしているが、眠りにつくには灯りがうるさい。
二人は並んで歩いた。どちらが言い出したわけでもなく、駅へと向かっている。手は繋がない。食事中はよくしゃべった道留は、今は黙ったままだ。
「それで、さっきの話なんだけど」道留が切り出す。「これさ、他人に言うのはじめてなんだ」
「うん」これは嘘だ、と思いながら頷く。
「八年前、まだ八歳のときだ。飛行機に乗ってた」道留の声は静かで、低く響く。「ドイツ、ベルリンに行った帰りだった。家族四人で。向こうのことはよく覚えてないけど、日本とは色使いが全く違ったのは記憶に残ってる。原色を大胆に使うんだ、あっちは。そう、それでその帰りだ。上空でエンジントラブルが起きて、中国地方の山に墜落した」道留は淡々と告げた。
早坂が調べた飛行機事故の中には、確かに八年前、山口県で起こったものがある。しかし今の段階で、彼のこの話が嘘か本当かを判断はしなかった。ここで判断を下すのは短絡的である。
「怖かったよ、すごく」道留は続ける。「ああいうのってなんで記憶に残るんだろうね。警告音と怒声と泣き声。酸素マスクのにおい。落ち着いてくださいって言ってた添乗員が一番焦ってたこと。隣に座ってた父さんが手を握ってくれてた。みるみる高度が下がっていくのが分かった。父さんは、墜ちる少し前にベルト外して俺の上に優しく覆いかぶさった」彼は言葉を切った。空を見上げている。
早坂は彼の横顔をちらりと見ると、黙って彼の言葉を待った。これが演技だとしたら大したものだ、と自分のことを棚上げにした。
「おかげで俺は助かった。奇跡的に傷も、腕とか、外から見えるところにあるやつは、全部消えた。けど、父さんも、母さんも、妹も、全員ダメだった。まだ五歳だったんだぜ?」彼はそう言って悲しげに笑うとスマホを操作して一枚の写真を早坂に見せた。「ほら、可愛いでしょ」
小さい頃の道留の隣で、可愛らしい少女がこっちを見て笑っている。目元が、道留によく似ている。
早坂は、彼の飛行機事故の話が、もちろんフェイクは混ぜてあるだろうが、大筋は本当であることを悟った。
「うん、すごくかわいい」自分の口から出た言葉は、驚くほど無機質だった。氷柱のような冷たさを伴っている。
今はまだ駄目だ。自分を抑えて、頭の悪い女、赤井紗綾を演じなくてはならない。今の自分の口調に彼も違和感を持ったはずだ。早く修正しなくてはならない。早坂は必死に自分に言い聞かせた。しかし口の端はきつく結ばれているし、目の奥はどういうわけか熱い。泣きそうだ。もう無理。
「嘘ならどんなにいいかって、そう思ってました」早坂はもう演じるのをやめた。もう、一刻でも早く屋敷に帰って眠りたかった。「死んだ家族を餌に女性をひっかけるなんてどういう神経してるんですか?罪悪感、ないんですか?家族の死をそんなことに利用するなんて、頭おかしいんじゃないですか?」
早坂は道留の顔を見られなかった。自分が心の奥から憤っているのがわかる。今日、この男にときめいていた自分も許せない。
「......早坂?」道留が掠れた声で尋ねた。早坂は答えなかった。その反応に彼はため息をつく。「やられた、マジで」
彼が話すだけで虫唾が走る。道留が立ち止まったので、早坂もそうした。名前を呼ばれて、仕方なく顔を上げ道留の顔を睨みつける。彼は困ったような顔をしていた。ばつが悪いのだろう。良い言い訳が見つからないのかもしれない。とにかく、何を言おうか考えているのは間違いない。そのはずだった。
「嫌いになった?」道留は笑った。いつも通りに。
早坂は思い切り道留の頬を手の平で思い切りはたいた。そして速足で駅へと向かう。振り向かなかった。道留が追ってくる気配はなかった。駅について、そこで一回だけ後ろを見る。当然彼の姿はない。もうきっと、彼と話すことはないだろうなと思った。しかしそれでいい。彼女は、彼の性根が腐りきっていたことが残念だった。彼との縁を切るのは、少し抵抗がまだあったが、どうせすぐにどうでもよくなるだろうと割り切った。
実のところ、三月まで受験生でした。これを書くのが逃避だったわけだな。
聞かれてないけど言いますね。やったぜな結果に終わりました。
「ここにセリフあって」ここに地の文ある。「そしてここにセリフが続くというのを改行なしで書く私のやり方は読みにくい?」
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読みにくい
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少し気になる
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別に気にしない
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むしろ読みやすい