「遺跡からが多くの情報らしきものを確認したがその発掘や解析を行うには王立海軍の全ての艦艇をドレッドノートにする程の資金と資源が必要であり現状投資はすべきであるが優先度は極めて低い」
――ジャック・メイベリー教授(1907年大英帝国内閣府向け報告書にて)
「遺跡から発掘された技術の多くはあまりにも高度でありこれらの0.01%を解析し実用化するには最低でも20年の時間と世界の技術を根底からひっくり返す発明が必要である。
現状、危険度も高いこのような技術に人員や資源を投ずるべきではなく現在開発中の兵器計画などに集中すべきである。」
――ハインリヒ・ルスト博士(1943年5月26日ドイツ軍需大臣アルベルト・シュペーア宛公式極秘書簡より。この後ナチスドイツは一切の遺跡研究を取りやめ封印、資源や人員をV兵器や新型兵器開発に集中する)
「遺跡研究は我が偉大なる祖国に多大なる恩恵を与えたと言えるのか?
答えはニェットだ。あれだけの投資をしておいて結局残ったのはなんだ?
あの出来損ないの兵器と数え切れないほどの有能な人材の損失だけだ。
ある程度の無害化研究は進んだと言えるがそれだけだ。
我々は毎年それだけでソ連国民全員にパンを毎日与えられるだけの予算と24時間ダンスパーティーができるエネルギーを投じて結果はこのザマだ。
遺跡研究は祖国を滅ぼす原因の一つとなった。」
――アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ヤコブレフ(1991年大統領評議会の席上にて)
「遺跡とはパンドラの箱、というよりもむしろ貧乏神に近い存在であった。
なぜなら莫大な予算とエネルギーを必要とする割に出てくるものは大概高度すぎて理解できないか数十年かけて自分達で開発した技術ばかりだからだ。
その上極めて危険ということもありどの国も開発研究には積極的ではなかった。
何せ使い方もわからない」
――フィリッポ・マンテガッツァ(初代国際崩壊液管理委員会委員長ギリシャの物理学者。2040年)
崩壊液というもの、正確に言うならばそれを含めた遺跡などが見つかったのは実に1905年のことであった。
2063年現在もう160年近い歴史があるという事になる。
現在ではある程度研究も進み崩壊液の持つ膨大なエネルギーは恒星間航行やワープなどを実現しうる存在と見なされている。
だが当時の列強はそれに対して大した関心を払わなかった。
なぜか?一つは中の遺跡の技術があまりにも高度すぎて理解できなかったことがある。
もう一つ、というかこちらの方が大きな要因であるが「よくわからないものに莫大な予算と資源を注ぎ込むなんてバカな事をしたくない」という理由だ。
それは当時の世界情勢が関わっていた。
というのも1905年というのはその年に日露戦争が終わり極東に新たな列強が登場、各国は世界各地で植民地開発に邁進、翌年にはイギリスで世界のパワーバランスを一気に変える新型戦艦ドレッドノートが就役している。
さらに最初に発見されたロシアは丁度日露戦争でツァーリご自慢の艦隊が文字通り消滅し、国内ではポチョムキン号の反乱や血の日曜日事件が発生、いわゆるロシア第一革命の勃発である。
ロシアの財務事情は敗戦と革命によって急激に悪化、国民には重税がのしかかり各地でデモやストや騒乱が発生、政府要人の暗殺も横行し左派政党の暗殺者によって1902年には内務大臣のシピャーギンが、1904年には後任の内務大臣プレーヴェ、同じ年にはフィンランド総督ボブリコフが暗殺、総督・知事・市長だけで8人も暗殺されている。
最終的に情勢が安定するのは1907年のストルイピンによるクーデタによってだがそれでも彼らには資金力も資源も無かった。
それよりも先に崩壊しつつある帝国の軍と国内情勢の立て直しが優先された。
ちなみにその後も革命勢力の活動は続き1911年にはストルイピン自身が皇帝の前で暗殺されている。
世界中殆どの国はこのような海の物とも山の物ともつかぬ代物に金を注ぎ込むならむしろドレッドノートに匹敵する戦艦の建造計画や植民地開発に資源と予算を注ぎ込みたいのだ。
結果、遺跡研究は第一次世界大戦後までは全くと言っていいほど進まなかった。
では第一次世界大戦後、研究が進んだのか?と言われればそれも違う。
どうしてか?まずドイツやフランス、ロシア、イタリアなどはというと戦争の戦火の爪痕からの回復や争乱で手一杯でそんな物にかまっている暇などない。
それ以外の新興独立国の大半は調査や研究が行えるほどの技術力もなかった。
次にイギリス、この国もまた戦争後の経済の混乱や損害に実際に戦場になった国ほどとはいえ被っていた。
また同時にインドでは独立運動が盛んとなるなど頭を抱える事案も多く実際に研究が進むのは1920年代も半ばになってからだ。
アメリカ日本はというと日本はそもそも資金力がないので研究すら覚束ないし中国の騒乱に首を突っ込んでいてそれどころではない。
アメリカは資金力もあり研究が進んだがそれでもやはり「まったくもって理解不能」(当時の研究に携わった物理学者)というほどであった。
またこの頃中国でいくつかの遺跡が発見されているのだが色々あって中国での研究は21世紀に入るまで殆ど進んでいなかった、詳細は後述するが。
一方で崩壊液の発見やその危険性の発見もこの時期であり最終的に世界大恐慌の余波や欧州情勢の激化に伴いフランス・イタリアでは1936年に、イギリスは1938年に打ち切り、アメリカもマンハッタン計画と機材や人員が被るため1940年には研究を停止、1941年頃まで研究を進めたのはせいぜいソ連とドイツだけであった。
遺跡研究の大半は殆どが大戦直前には打ち切られていたのだ。
ところで、第2次世界大戦中研究を行っていたドイツとソ連はどうだったか?
まずドイツだったがチェコスロバキアの地下遺跡調査の際に大規模なELIDバイオハザード事故を1942年に起こしてしまった。
その被害は甚大であり研究を管轄していたSSは最終的に全ての遺跡に通ずる坑道を無理矢理閉じると坑道内部に陸軍が要塞破壊に使用する特殊ガス兵器を使用して無理矢理内部を滅却することで被害の拡大を防いだのだがこの事故で少なくとも500人以上が死亡しており当時の価格で「略奪したユダヤ人資産の1/3がまるごと消し飛ぶほどの額」の経済的損失を被っていた。
あまりにも危険で同時にその割に利益の少ないこの研究に関する疑問もあり1943年には資源と人員の集中のため完全に停止され全ての遺跡が先の事故対処の時と同じ様に滅却された上で坑道を爆破処理して封印した。
一方ソ連だがこちらもそれなりに研究が進んだが大祖国戦争開戦後はそれどころではなく殆ど停止状態になり再開したのは結局戦後8年もたった1953年のことだった。
ここまで遅れたのは一つがソ連の甚大な経済的損失、次に原子爆弾開発への注力、最後にヴェノナ計画で判明した西側の遺跡研究の程度であった。
これらの理由から最終的に水爆開発が一段落するまでは殆ど停止状態になったのだ。
そして冷戦時代、遺跡研究はかなり進んだ。
冷戦期東西両陣営は互いに追いつき追い越せとばかりに莫大な予算と資源を集中、特に西側は核兵器開発が一段落し、ベトナム戦争も終わった1970年代から80年代にかけてかなりの研究を行っていた。
特にコンピューターの開発と理論物理学の進化は大きな助けとなった。
ソ連では崩壊液兵器バラクーダの開発とオガスの開発に成功してソ連の極秘の切り札として用意された。
だが一方で東西両陣営で問題となったのはELIDへの対処、不治の病であり非常に危険でゾンビとなるこの病気の解決策がなければ誰も研究を進めたがらなかった。
結果として東西両陣営共に崩壊液無力化研究のほうが1980年代以降は重視された。
だが一方でこの研究には「原子爆弾開発が可愛く見える」程度の資金が「毎年」必要であった。
西側は各国が資金と研究者を出し合い共同研究をすることで資金と人員を用意できたがソ連は自国一カ国負担であった。
その経費は70年代以降、ソ連の財務状況悪化、経済の低迷などの悪影響をソ連に齎した。
結果、ソ連は91年に崩壊するがその原因の一つとなった財務状況の壊滅的悪化の原因となったのだ。
80年代、崩壊液無力化研究、というより崩壊液のコントロールに関する研究はそれなりに進み東側では科学薬品を使用した無害化が、西側では遺伝子工学を利用した崩壊液に耐えられる生物の実験が行われていた。
皮肉なことに、崩壊液研究で非人道的研究を繰り返していたり多数の人員の損失を被っていたソ連は「崩壊液を科学的に無害化する」という方向に舵を切った一方、西側は「生物学的に崩壊液に耐性を持つ生き物を作る」という倫理観のかけらも無い方向に進んだのだ。
そして西側は冷戦終結後、耐性を持つマウスを遺伝子組み換えで作り出したがこの時点で凄まじい額を投じていた事と冷戦終結後のこういった研究等の予算削減の煽りや東側の科学的無害化研究の情報によりそちらへの方針転換で打ち切られた。
さて、中国はどうしていたか?
最初の遺跡が発見されたのは1910年代後半なのだがこの時期中国は辛亥革命に端を発する動乱の真っ最中であり大規模な研究調査など出来やしなかった。
続いて1920年代に比較的情勢が安定していた上海周辺でも発見されるが直後、満州事変、更に第一次上海事変が発生。
そのまま中国情勢は悪化の一途をたどり最終的に1937年の日中戦争勃発へと至りそのまま多くの遺跡は戦争と終結後の国共内戦、中華人民共和国成立前後のゴタゴタと文化大革命の混乱、冷戦期を通しての中国の近代化の中で忘れ去られていった。
これらの遺跡が再発見されるのは実に21世紀に入ってから、中国はこの分野では殆ど何の基礎研究も行っていなかったため研究にはロシアやアメリカなどが参加し研究が進んだが10年代後半の米中対立の中でアメリカは離脱、コロナによる中国経済低迷や世界中での対中感情の悪化に伴う外交関係悪化などより危険な要素が次々と発生したため20年代半ばにはまた殆ど停止状態になった。
その中で白蘭島事件が起こり、中国は危険性の排除だけでなく他国の研究情報の入手や制限も目論んで崩壊液管理条約制定に動いた。
さて、2030年の崩壊液管理条約通称上海条約はこの崩壊液研究開発の大きな転換点となった。
この条約で今まで明文化されていなかった研究開発の優先度合いや統一された安全管理規則や設備が決まり世界中全ての研究機関が新たに設立された国際崩壊液管理委員会通称I3C傘下となった。
I3Cはジュネーブに本部を持つ国際機関であり組織としてはWHOなどと殆ど同じだが委員長をトップとして各国代表が集まる委員総会、その参加に安全管理を行う部門や研究施設を管理する部門、研究施設などが存在する組織構造であった。
基本的な仕事は全ての遺跡・崩壊液研究・崩壊液の管理、安全規則等の設置、安全性監査、統一した規則の制定などである。
初代理事長はギリシャ人物理学者フィリッポ・マンテガッツァであった。
崩壊液や遺跡の研究は国連が直接管理するという極めて特殊な形態となったのだ。
そして崩壊液中和剤の開発成功に伴い崩壊液の実際の利用という方向に研究は進んだ。
なぜ中和剤開発までその方向に研究を進めなかったのか?
それは安全第一という鉄則によるものだった。
崩壊液は原子力以上に周囲への危険があるのでそれに対する抜本的対処が出来なければ実際に使えなかったのだ。
では、その実際の利用研究はどのような物があるかというと最初に検討されたのは発電であった。
崩壊液は物質を崩壊させる、その時の崩壊熱は同じ崩壊熱を利用して発電する原子力発電よりもさらに強力なものだ、何せ形が違うとは言え実質的には核融合に近い。
そこでこの膨大なエネルギーを取り出して、発電に使えないか?と彼らは考えたのだ。
この研究は主にアメリカで行われ2045年にはネバダ州でエネルギー省管理のネバダ核実験場に最初の実験型崩壊液発電所が建設開始、5年後には実際に試験的な発電に成功している。
その後もこのネバダの実験炉を使用して実証実験が続けられ、2055年には遅れてロシアもロシア最北部の都市ノリリスク郊外の閉山したニッケル鉱山を利用して実験炉が建設された。
これらの実験炉のデータやノウハウから2061年、遂に初の実用型崩壊液発電所の建設計画がユタ州で立案されている。
次に計画されたのが「極めて高いエネルギーを必要とする研究」であった。
つまるところ、ワープ航法やワームホールである。
これらを行う計画、即ちシュヴァルツシルト計画とバルカン計画が誕生したのは実に2050年の事、前者は主にエネルギー省と国防総省が中心となって行っているワームホール計画、後者はNASAが中心となって行っているワープ航法の計画である。
この崩壊液発電に関してはある程度皆想像できることだったのだがこの2つとなるとどちらも最近までまさにSFの世界の話であり世界中から集められた物理学者による極めて慎重な計算と実験が繰り返された。
本命とされたのはシュワルツシルト計画であった。
何故か?後者の計画の問題は「そもそも宇宙空間までどうやって持っていきゃええねん…てか宇宙に持ってくだけでもエラい額かかるじゃねえか…月面開発進んで次火星なのに…」というNASAの資金不足であった。
ぶっちゃけNASAがやる気なかったのである。
政府の方も立ち上げた後で「流石に同時に2個やるのは無茶じゃね?」ということに気がついたようで後者の研究はまだ基礎研究段階をダラダラと続けていた。
そしてシュワルツシルト計画は2062年、遂に成功した。
それはまさに人類が宇宙へ行き、月面を歩いたのに匹敵する人類の輝かしき成功であった。
開いた先が地獄だったという点以外は。
(ざっと分かる崩壊液研究の歴史)
1905年
ロシア「革命騒ぎと戦争で遺跡どころじゃねえ」
英国「ドレッドノート作るぜぇえええええ!!!」
ドイツ「英国に匹敵する大艦隊作るぜぇえええええ!!!」
フランス「植民地で手一杯ンゴ」
アメリカ「遺跡?なにそれ食えるの?とりあえずフィリピンとチャイナどうにかしてからでいい?」
↓
1925年
ロシア「革命と内戦で遺跡どころじゃねえ」
英国・フランス・イタリア・ドイツ他「戦争でムリポ」
アメリカ「なんかよーわからんが100万ドルポン☆って出すぜ!!」
日本「遺跡金かかりすぎだろ…こんなん無理や…」
中国(爆発中)
↓
1945年
ソ連「大祖国戦争で遺跡どころじゃねえ」
英国・フランス・イタリア他「戦争でムリポ」
アメリカ「色々ヤバいってことが分かったからとりあえず追加で100億ドルポン☆って出すぜ」
ドイツ「やらかして全部消した」
日本「東京が灰になった」
中国(炎上中)
↓
1965年
ソ連「とりあえず100億ルーブル出すぞ」
英国(ry「単独じゃムリポ」
アメリカ「とりあえず追加で100億ドルみんなでポン☆って出そうぜ」
中国「遺跡?なにそれ食えるの?反革命的?」
↓
1985年
ソ連(家計大炎上)
アメリカ「やべえなこれ無力化研究やっとるがコスパ悪すぎだろ」
中国「遺跡?なにそれ食えるの?」
↓
1995年
ロシア「ソ連崩壊で遺跡どころじゃねえ」
アメリカ「ソ連の研究すげえなこっちに方針転換な」
中国「これ遺跡?おもろそうやな」
↓
2025年
中国(国際関係で炎上)
↓
2035年
I3C「で、俺が生まれたってわけ」