もしも白蘭島事件が起きなかったら   作:ロンメルマムート

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第七部:多様性の中の統一
第85話


Viribus Unitis(力を合わせて)

  ――ラテン語の格言 オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のモットー

 

Est Europa nunc unita(今、欧州は一つになった)

 et unita maneat;(そして一つであり続ける)

 una in diversitate (多様性の中の統一は)

 pacem mundi augeat.(世界の平和に貢献するのだ)

  ――欧州の歌 ラテン語歌詞より

 

 

 

 

 リンガ・フランカという言葉がある。

 ラテン語の言葉で直訳すればフランクの言葉、即ち10世紀に西欧世界を統一したフランク王国の言葉であるラテン語の事でありそこから転じて複数の異文化地域の共通語を指す言葉になっている。

 だが、この事実は裏を返せば領域としては同じ時代ユーラシアの反対側で栄華を極めながらヨーロッパより広い領域を支配した中国とは真逆の統一された文化が存在していない事実を表している。

 ヨーロッパが最後に一つの国家、一つの文明として動いていた時代はいつだったか、答えは存在しない。

 ヨーロッパははるか昔、地中海の畔の砂漠で大工の嫁から神の子が生まれる数百年前、アテネの路上で偏屈な哲学者が路上でムキムキの哲学者とレスバトルを繰り返し、ギリシャの広場で原子や地動説の端緒となる思想が生まれた頃よりさらに前、とある頭だけはいい男が街中の油絞り機を買い占めてオリーブの収穫時期に貸し出して大儲けした時でさえヨーロッパは一つではなかった。

 古代ローマ帝国でさえ支配できたのは地中海沿岸部とそこから伸びた内陸部だけでありドイツの支配はゲルマン人によって阻まれた。

 

 ヨーロッパというのは歴史上一度として一つになった事はない。

 だが一方で民族という概念、更には民族による国家という概念そのものは比較的新しい物だ。

 少なくとも現在の民族意識という物が成立したのは中世であり、その民族による国家という新たな概念が誕生したのは実にフランス革命の頃である。

 そしてこの民族と国民国家という概念は歴史上最も人を殺す口実として使われた概念だった。

 エスニッククレンジングという歴史上幾度となく繰り返された忌まわしき虐殺の一形態を表す語はその残酷さに反して盛大に行われたのは近代以降ともいえるし語句が誕生したのは更に後、20世紀と言われている。

 ただ行為そのものは大昔から行われてきている。

 例としては世界史上最も狂っていた時代の一つ、20世紀を除けば最も残虐な時代とも称される五胡十六国時代の僅か二年で滅び十六国に入ってすらいない冉魏の冉閔はその二年間で国内で胡と呼ばれた北方の騎馬民族を盛大に大虐殺している。

 1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見後19世紀の終わりに北アメリカを耕しつくすまで行われたインディアンだかネイティブアメリカンだかの大虐殺移住大戦争もそうと言える。

 

 そしてその人類暗黒の歴史は20世紀に花開いた。

 開幕早々、ドイツ人はナミビアで現地民を虐殺、一次大戦中にトルコ人がアルメニア人を殺しまくり、その後はついでにギリシャと一緒に互いを殺しまくる、バルカン半島でも起きた。

 大戦間からWW2の頃はナチスがユダヤ人を消そうとし、おまけでスラブ人も殺しつくそうとし、一方スラブ人はとりあえず反抗的な山岳民族騎馬民族を皆殺し、バルカン半島はいつも通り。

 戦後はバルカンが少し大人しくなったが今度はアジアアフリカで大量発生。

 冷戦終わればまたバルカンが平常運転である。

 

 

 

 

 

 

 そんな人類負の歴史の煮詰まった半島と言えるのがバルカン半島でありその半島を東西に横断し途中から北へと曲がって流れる川がドナウ川である。

 そのドナウ川を遡上している曳船とパージの目的地はドナウ川沿いの街、ベオグラードだった。

 

「1時方向、右舷、タンカー接近」

 

 ブリッジの見張り員が叫ぶ。

 船長が双眼鏡で見ると対向から来る船が見える。タンカーだ。

 

「タンカーだな。」

 

「船名が…マティアス・コルヴィヌス。

 我々が傭船している船です」

 

 船長の横で軍服姿の将校が答えた。

 マティアス・コルヴィヌスはハンガリー王マーチャーシュ1世の事だ。

 

「お仲間ですな、大尉」

 

「ええ、警戒する必要はないでしょう」

 

 アメリカ海軍大尉オズワルド・クリーブランドが助言した。

 彼の任務はこの曳船ヴォイヴォディナに乗船して積載している数千トンの物資を無事ベオグラードまで運ぶことにあった。

 積載しているのはベオグラードに送られる戦車、大砲、対空兵器、医療物資、食料、弾薬等々。

 マストにはB旗がはためいている。

 

 

 

 

 一方対向のタンカーマティアス・コルヴィヌスでは

 

「右舷対右舷の行き違いだ。距離は十分に取れ」

 

「イェッサー!」

 

 長閑なドナウ川を南下するマティアス・コルヴィヌスのハンガリー人の船長が命じると操舵手が威勢の良い返事をする。

 河川用とはいえ1500トンもするタンカーと合計すれば巨大貨物船に匹敵する物資を積載している艀と曳船の行き違い、幅の広いドナウ川でも気を抜かない。

 

「ヴォイヴォディナですね」

 

「ああ、危険物を運搬中か」

 

「何事もなければいいですね」

 

 この船に乗っているイギリス海軍士官と船長が会話する。

 二隻は何事もなく行き違いをし、数時間後マティアス・コルヴィヌスはルーマニアガラツ港に入港した。

 ここで船は休息を取り、荷物を載せてまたベオグラードに向かう。

 

 

 

 

 2063年春以降、ドナウ川流域の舟運は活況を呈していた。

 それは国連軍という上客の参入であった。

 彼らはドナウ川沿いの舟運業者を片っ端から雇い入れ物資をルーマニアのガラツからベオグラードに運ばせていた。

 

 それは来たる8月に予定されている欧州連合とソ連、アメリカ、EU、バチカン、日本、イギリス、英連邦、ロシアとの会談の警備と事前準備の現地への人道支援のための人と物資の輸送であった。

 通常なら鉄道か飛行機を使うべき所、彼らは船を選択した。

 

 それは色々な事情があった。

 まず鉄道、鉄道は陸上輸送ならば圧倒的効率を有している。

 だがなぜ鉄道が選択されなかったのか、それはソ連側が標準軌と広軌で共用できる機関車と貨物列車を十分な数用意できていない、物資の積み下ろしを行う鉄道操車場が現在ソ連側への輸出と国連軍全体への物資輸送で余裕がないという事情があった。

 何せ操車場は一ヶ所のみでここから民需も軍需も両方輸出しているためどうしても処理能力に限界がある。

 そのため新たなゲートの建設や拡張が検討されているがそれらが実現するのは未定である。

 

 では飛行機なら?

 確かにベオグラードには空港があるし楽そうだがこちらの方が問題が多い。

 それは効率の悪さと輸送機不足だった。

 輸送機の一部がエストニアに回され、さらにゲートの建設で域内航空輸送の需要が低下したと判断されたため段階的に軍用輸送機は減らされていた。

 今では民間旅客機も多く貨物機も民間委託の機が減ってトランスアエロ・ワールドワイドの貨物航空部門に移っていた。

 そしてこれらはソ連向け民需輸送と各地の空軍基地への輸送で手一杯であった。

 

 そのため国連軍は鉄道でルーマニアのガラツまで物資を輸送、そこから艀や貨物船やタンカーに乗せてベオグラードまで輸送するという方法を使用した。

 水運というのは陸運と比べて格段の効率を有している。

 ましてやドナウ川の水運は古代より欧州を結ぶ通商路であり交易路、利用しない手はない。

 また護衛の為ソ連政府との小麦のバーター取引で400トンの河川用貨物船と作戦指揮を統括する1000トンクラス客船を購入して改造を行いアメリカ海軍ドナウ小艦隊が結成されソ連海軍が派遣した河川用哨戒艦2隻と掃海艇3隻、本国から追加派遣された河川強襲艇5隻で編成された国連軍ドナウ艦隊が編成されドナウ川流域の哨戒任務と護衛を任されていた。

 

 さらにパラデウスの一件以降、現地勢力は信用できないという意識がまた再燃してしまっていた。

 その結果として警備要員装備等が増やされる事態になっていた。

 その上、つい先日パラデウスの物と思われる基地襲撃事件が発生してさらに緊張は高まった。

 その事件では幸い死者は出なかったが少女一人で突如襲い掛かり警備兵の顔を縦に切り裂くという事件はそのまま基地への自爆攻撃や更なる襲撃に繋がる案件だった。

 犯人は即座に射殺されたがその死体のDNAを解析したところ以前のキエフ、タリンでの一件で見つかった死体とほぼ同一であった。

 これら一連の事件での件から国連軍上層部はこのDNAこそパラデウスのカギと認識、その調査を開始した。

 

 

 

 

 

 ところ変わってイギリスのケンブリッジにあるMRC分子生物学研究所、ここである人物が接触を受けていた。

 

「教授は分子生物学、特にELIDの遺伝的耐性に関する研究の第一人者ですね?」

 

 研究所の実験室でスーツ姿の女性が話す。

 それにコーヒーカップを持った白衣の中年男性がドイツ訛りの英語で答える。

 その男の名はヴィルヘルム・フォン・オーバーシュタイン教授であった。

 彼と話しているのはキャラウェイ伯爵のリーエンフィールドだ。

 

「ええ。それで何の用ですか?

 私もあまり暇ではないんですよ、幾ら伯爵の使いでも」

 

「実はとある遺伝子データの研究をお願いしたい」

 

「詳しい話を聞かなければ受けるも何も決められない」

 

 オーバーシュタイン教授は言う。

 とにかく関わりたくないようだった。

 それにリーエンフィールドは食いつくであろう詳細を伝えた。

 

「なら言い方を変えましょう、国連軍の最高機密でありイギリス政府の国家機密の遺伝子です。

 貴方の研究にも大いにかかわりのある物です」

 

「具体的には?」

 

「ELID耐性の高いヒトの遺伝子」

 

 女の発したその言葉にコーヒーカップを持った手が止まる。

 そして疑いと驚きが混じった言葉を投げかける。

 

「本当か?」

 

「ええ、本当です。

 まだ詳細は研究されていませんが教授ならば興味を持っていただけ、そして何よりこの事を研究するのに最もふさわしい人物であると考えますが。如何でしょうか?」

 

 並の俗物、はたまた学識のある彼ならば興味を持つはず、彼女のオーナーでこのオーバーシュタイン教授を良く知っているキャラウェイはそう踏んでいた。

 だが現実はまだ彼は動きそうにない、その様子にリーエンフィールドはもう一つ聞いていた切れ者過ぎて慎重なタイプという評を思い出した。

 

「それだけではまだまだだね、私は君たち程暇じゃない。」

 

「分かりました、ではこれを」

 

 彼女は一枚の絵画の写真を見せた。

 

「これは、ドーラ・キャリントン?伯爵がザザビーズで落札したあの?」

 

「ええ。彼女の真筆作品です。

 教授は伯爵と同じブルームズベリー・グループのコレクターですから」

 

 それは20世紀初頭のイギリスの女流画家ドーラ・キャリントンが描いた人物画。

 数年前、キャラウェイが落札した貴重な品だ。ブルームズベリー・グループのコレクターの彼にとっては喉から手が出る程欲しい品だ。

 

「…いいだろう。だが費用は全てそちらで」

 

 ドーラ・キャリントンの絵というのは彼にとって十分魅力的だったようだ。

 研究費は出すという条件で呑んだ。

 

「MI6が出します」

 

「契約書には?」

 

「私は人形です。私の記憶データそのものが契約書です」

 

「交渉成立だな。」

 

 オーバーシュタイン教授はリーエンフィールドと契約締結の握手をする。




・ヴィルヘルム・フォン・オーバーシュタイン
ユンカー系貴族家オーバーシュタイン家当主でドイツ出身の分子生物学者
ELIDに関する遺伝子的研究に関する専門家でノーベル医学生理学賞受賞者(2061年)
姉は現ドイツ外務大臣
分子生物学者の一面の他に熱心なブルームズベリー・グループの収集家でもあり彼の持つ作品の中でも性的絵画のコレクションはオーバーシュタインコレクションとして評価が高く彼自身そのコレクションを度々各地の美術館などに貸し出している。なお当人曰く「性は人類の始まりでありそれを描く事は神聖で同時にその画家は決して腕を誤魔化すことのできない真の画家の腕を見ることが出来る題材」とのこと。

ドナウ川の河川舟運に関する論文読んだらパージと曳船の輸送効率がかなり良かった(一船団で1万トンぐらい行けるらしい)のでパージに
河川舟運は洋上輸送とは勝手が違うので論文読まなきゃ

綺麗なウィリアム君、普通の学者だけど趣味がブルームズベリー・グループ(20世紀初頭にイギリスに存在した芸術家グループ。ケインズが所属していたなど知名度の割に実は歴史上への影響度がかなり高い集団)の収集家

オリジナル兵器
・タイガー級補助巡洋艦
アメリカ海軍で約150年ぶりに復活した艦種第一号
武装はソ連から供与された100ミリ連装砲搭2基と23ミリ機関砲4基など。
サイズに比して防御力火力共に圧倒的に脆弱で追加でブッシュマスター機関砲の搭載が検討されている。
一方現地では埒が明かないのでM2や重迫撃砲、無反動砲などを搭載した結果120ミリ重迫撃砲4門が前後に搭載されている。
(各艦)
・タイガー
・ピューマ

・カトマイ級作戦指揮艦
アメリカ海軍がソ連から購入した大型クルーズ客船を改造した作戦指揮艦
最新鋭の指揮システムを搭載した動く司令部だが武装が自衛用の25ミリ機関砲4門とM2重機関銃、ミニガン、搭載している各種携行型火器のみ
(各艦)
・カトマイ(アラスカ州の火山カトマイ火山から)
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